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連関資料 :: 国語

資料:877件

  • 国語科概論
  • 『「ことばの学び手としての児童に教えること」について、具体的な例を示して論じなさい。』 第1節 ことばの学び手としての児童 まず、「ことば」を国語辞典で調べると「人間が自分の考えや気持ちを相手に伝えるため、話したり書いたり、また、相手の考えや気持ちを理解するため聞いたり読んだりするもの」と記されている。つまり、ことばには、人と人が関わり合うための「伝達の機能」と「認識の機能」が存在する。また、生活を豊かにするため、ことばで文化を作り出し、学問や芸術、技術などの継承や発展、創造に言語が深く関わる。これが表現によることばの「文化的な機能」である。これらの機能を総合化し、自ら発揮することができる力の育成を教育的に行うことが国語化教育に期待されているのである。 児童の実態を把握するということは、価値ある授業展開の実現のために重要である。教師は児童を理解し、児童の資質能力の発展を目指さねばならない。つまり、教師が児童の「今」を知ることは、児童の「明日」を作り上げることになるのである。児童理解のためには、児童がそれぞれ独自の経験や言語体系を持っていることを知る必要がある。また、児童が違った言語体系を持っているということは、新たな状況において、児童は異なる言語体系を展開する。つまり、教師自身が多くの言語活動の過程での言語認識を観察しなければならないのである。 第2節 「話すこと・聞くこと」について  児童は話されている内容がおもしろく、興味関心があれば聞き、話し出す。つまり、毎日の授業がおもしろく、興味がもてる内容か否かが問われるのである。「話す・聞く」を学習するためには、一つのテーマのもとに、それぞれが学習してきたことを出し合うような授業には聞くこと・話すことの必然性が盛り込まれていることになる。この例としては「作者の考えを知る」や「主題について考える」というものが挙げられる。しかし、この学習方法は「ひとり学習」ができるようにならないと、おもしろさがない。低学年や中学年では様々な場を通して「聞くこと・話すこと」のおもしろさを味わうことが重要である。また、聞く内容の多様さや話し方の方法についてもひとつひとつ取り上げて学習するような小さな単元を組むべきである。高学年でも討論や討議の仕方については取り上げて学習する必要がある。  「話すこと」重要なものの一つが「説明の仕方」である。児童が説明をしようとするとき、児童の反応を考察すると話し方や説明方法が分からなかったり、緊張した場面で話すことができず、立ち往生したりすることがある。「説明の仕方」を学ばせるためには、1年から6年までの過程で学年ごとに「比較」「順序」「理由」「類別」「根拠」「評価」を話すことの内容として捉えなければならないのである。例えば、「道順を話す」や「物あてゲーム」といった学習が設定され、この学習は機会がある毎に体験させ、教師は内容の明確化をすることが必要になる。  もう一つは「討議や討論の仕方」である。話し合いは発表とは違い、他人と交流するために二人の対話かグループの話し合いかといった「形式」や一つの結論を出すのか多様な考えを挙げるのかといった「目標」などを把握しなければならない。また、話し合いでは他人の考えや思いを知ることもできることを知っておく必要がある。学力発揮の場の充実によって、学習の場を交流の場にすることは、教師の一斉教授の脱却となり、授業を楽しくすることが可能になると考えられるのである。 第3節 「書くこと」について  書き言葉の指導をする場合、最初にその特性を踏まえておく必要がある
  • 文化 言語 授業 指導 ことば 言葉 理解 能力 表現
  • 550 販売中 2007/11/26
  • 閲覧(3,219)
  • 国語科概論
  • 『「ことばの学び手としての児童に教えること」について、具体的な例を示して論じなさい』 第1節 ことばの学び手としての児童  「ことばの学び手としての児童」を理解するためには「現在児童が発揮している力」と「児童がこれまでに獲得してきた力」を理解することが大切である。その為には児童の実態の把握が必要となってくるが、それは決して一時的なものであってはならない。では、「児童理解」のためにはどのようなことに留意しなければならないだろうか。まずは、どの児童にも独自の経験があり、その児童はそこで培われた言語体系を持っているということを知っておくことである。次に、児童は新しい状況において、多様な言語活動を行なっていくということに留意しておきたい。しかし、言語には音声を伴わないものもある。それは、考えることや考えながら聞くということである。そこで教師は児童理解のために、児童自身の内部で行なわれ、音声を伴わない言語過程(内言)を知ることを考えなければならないということになる。  このようにして、児童の「過去」と「今」を知ることは、児童の「明日」を作り上げていくためにも大切なことである。 第2節 話すこと・聞くこと  「話すこと・聞くこと」は、学級作りの基盤に当たる内容である。「話すこと・聞くこと」の学習として具体的に行なわれているものの例を挙げてみる。①朝の会で、好きなものを持ってきて話したり、新聞記事を使って話す。②終わりの会で、一日の出来事を話し、それについて生徒同士で議論する。③作文の時間を作って、共感したことやよく似た体験を話す。こうした取り組みの中で、児童は「話すこと・聞くこと」の土壌を豊かにしていき、聞く態度や話す態度、聞き方や話し方の基本的なところを身に付けていくのである。 「話すこと・聞くこと」を育てるためには児童の積極性が必要である。児童は話されている内容に興味や関心があれば聞くし、話し出す。つまり、毎日の授業が面白く、興味が持てるような内容かという点が問われてくる。  では、実際にどうしたらよいのだろうか。ひとつのテーマのもとに、それぞれが学習してきたことを出し合う形は、すでに聞く・話す必然性が盛り込まれていることになる。例えば、「作者の考え方を知る」とか「主題について考える」などが考えられる。ただ、この方法は一人学習が出来るようになって、その面白さが味わえるようになるため、低学年や中学年でそのまま学習活動に盛り込むことは難しい。そのため、低学年や中学年では、様々な場を通して話すことや聞くことのおもしろさを味わうことを大事にするべきである。  以上のように「話すこと・聞くこと」を育てるには、教師が発問して児童が答えるという型から脱却し、学習の場に様々な形式の交流の場を設定することで授業を楽しくすることによって、児童が進んで取り組む姿勢が必要である。 第3節 書くこと  「書くこと」は、単に語彙数獲得のためだけではなく、日本文化に触れる大きな手段になっているのである。日本語で書かれた文章を読む機会を少なくしたならば、語彙数減少に繋がるであろうし、日本文化の理解を阻害することに繋がりかねない。では、「書くこと」についてどのように指導していけばよいのだろうか。 「書き言葉」について、ただ書かせていればよいというものではないと思われる。特性を踏まえた上での指導がなされなくてはならない。その特性としては次のようなことが挙げられる。①書き言葉は、文字として継続的に残る言語であり、読む行為と深く関連している。②書き言葉には、その意味を正確に伝えるための文の構造
  • 佛教大学 レポート 国語科概論 言葉の学び手
  • 550 販売中 2008/02/25
  • 閲覧(2,099)
  • 国語科教育法
  • 『「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。』 ●第1節● 教材について 「やまなし」は、宮沢賢治独自の造語や擬音語、擬態語が随所にちりばめられた独創的な作品である。 造語の一つ「クラムボン」は、その聞きなれない言葉で読み手に大きなインパクトをあたえ、それと同時に疑問・興味を抱かせる。「クラムボン」については、研究者の間でも意見が分かれ、アメンボ説や、かにのはく泡説、光説など様々だ。しかし、そもそも正しい答えなどなく、その解釈は読み手に委ねられている。 そういった点から「よく分からない」となりがちな教材ともいえるが、一つ一つの言葉や、登場する生き物の気持ちの解釈の仕方は無限にあり、児童の想像力を育むことのできる教材である。 この作品は、語り手の「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」から始まり、「私の幻灯は、これで終わりです。」で、締めくくられている。「幻灯」といえば、写真のフィルムに光を当て、スクリーンに映し出す静止した映像である。しかし、賢治の描き出す世界は、色や光、音などが、みごとに表現されており、命を吹き込まれたかのよう
  • レポート やまなし 国語科教育法
  • 550 販売中 2008/11/05
  • 閲覧(1,633)
  • 小学校国語科教育について
  •  石原千秋著「秘伝 中学入試国語読解法(新潮撰書)」について考察してみたいと思う。まずこの本は夏目漱石を専門とする大学教授の著者が息子の中学受験を機に国語について考えたものである。現代の国語指導の矛盾点や非合理性を鋭く抉り国語階に新風を起こしたといわれている。私の感想として、題名の通り入試に必要とされている能力をまるでゲームを解くように紹介しており、非常に面白いものであった。塾や予備校のような解法で国語に取り組む石原論は現在の国語教育とは明らかに違い、印象は強烈であった。特に「いま『国語』がやっていることは『道徳教育』である」「子供たちはルールを説明されないままゲーム(試験)に参加させられているようなものである」「『道徳教育』を目的としている以上『国語』で教えることの出来るテーマはごく限られている」「入試国語は受験者と採点者との格闘技なのだ」という言葉は強烈であった。
  • レポート 教育学 小学校国語 石原千秋 トップダウン
  • 550 販売中 2006/02/22
  • 閲覧(1,843)
  • 国語と日本語のちがい
  •  佐伯啓思著 『自由とは何か』によれば、現代のリベラリズムの立場は大まかに4つに分けられるという。一つは、A<市場中心主義>の立場。これは、ミルトン=フリードマンやハイエクの主張と重なる。もう一つは、B<能力主義>の立場。これはロバート=ノージックの主張。もう一つは、C<福祉主義>の立場。これは言うまでもなくジョン=ロールズ。そして、もう一つはD<是正主義>の立場。これはロナルド=ドゥウォーキンやアマルティア=センの主張と類似するものである。  私はDの立場を支持する。Dの立場とは、ハンディキャップを背負った人たちや、あるいは構造的に差別されている人たちにも、その人その人の状況に応じて、その人
  • レポート 社会学 日本語 国語 日本語概説
  • 550 販売中 2007/01/04
  • 閲覧(1,161)
  • 国語科教育法
  • 「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。 ・ 第1節 教材観について 「やまなし」は1924(大13)年4月8日付「岩手毎日新聞」に発表され、原稿は現存しないが、先駆形の原稿が残っている。「童話的構図」および「花鳥童話集」中の一遍である。「花鳥童話集」においては、死の主題と美の主題、滅びと永遠とのかかわりを一貫して追求している。とりわけ「やまなし」の言語美は極限的である。宮沢賢治独特の造語や様々な箇所に比喩表現が使用され、非常に幻想的な作品である。象徴的で、幻想的な作品であり、「クラムボン」や「イサド」といった造語一つ一つからいろいろな想像が広がり、場面の情景や登場人物の様子などを豊かに想像することが可能である。 作品は語り手の「小さな谷川の底を写した、
  • 国語科教育法 やまなし レポート 教材研究 事例 合格 佛教大学
  • 550 販売中 2008/05/19
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