連関資料 :: 算数科教育

資料:259件

  • 算数教育の歴史について
  • 「算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。」 1はじめに  時代の変遷と共に、変化を遂げていく教育方法の特徴やねらいを汲み取り、今現在の時代背景を考慮した上で、求められるべき算数の知識・教育方法について考察する。 2算数教育の変遷  明治38年、日本で最初の国定算術教科書は、「黒表紙教科書」と呼ばれ教育のねらいは日常計算の習熟・生活上必須な知識・思考の精密化であった。その中でも日常計算の習熟が一番の主軸であり、一方的に計算方法の例題を示し、練習問題を課すことで計算の熟練をはかる方法をとった。生活上必須な知識の題材は、租税・利息・株式・度量衝など生徒の日常生活とはかけ離れていたが、学校を卒業して役立つような職業教育的算数教育だった。思考の精密化では暗算を通して思考力を養成することが目的だった。この教科書は3回修正されたが根本的な変化は無く、鍛錬によって知識を身に付ける数学教育が行われたと言える。結局、全体が抽象的で生徒の心理に対する配慮が払われていないという批判が多かった。事実、計算編重で生活に触れた事実問題が少な過ぎたのだろう。 昭和10年に改訂された教科書は、「緑表紙教科書」と呼ばれ掲げた目標は、数理思想を開発し日常生活を数理的に正しくするとした。主な特徴を3点挙げる。①児童中心主義への配慮―多くの挿し絵が入っている。一年生の教科書は絵のみで構成された。生徒の興味・関心に訴える配慮が汲み取れる。②学習過程の転換―従来の過程は数から始まったがこの過程は、具体的生活問題から始まり数理的問題に繋げ、練習を積んだ後、さらに具体的生活問題の解決に取り組む流れが考慮された。③作業を通しての学習―数を頭の中と紙の上で扱うのではなく、体を動かして数理的体験を深める生活教学が重視された。 昭和16年、算術は算数と改められ理科とともに理数科の一科目とされた、「水色表紙教科書」が登場する。内容は、「緑色表紙教科書」と大きな差は見られないが、軍国調の強い内容になっている。特徴は、この頃から図形・幾何教育において直観力の育成の要素が現れ始めた。 昭和22年、理数科は解体され算数は再び単一教科になった。算数科の目的は日常の現象に即して数・量・形の観念を明らかにし現象を考察処理する能力と科学的な生活態度を養うことだったが、実際は生活経験中心の教育観に基づく「生活単元学習」が強調された。この教育のねらいは、社会を理解し良くし優れた文化を作り出すことだった。小学算数は生活指導が中心で社会科のような印象を受ける。この頃から学力低下などの問題が出始めた。 昭和33年、それらの批判を受けて文部省は、算数科を「生活単元学習」から「系統学習」へ移行した。その教科目標は、数学的な考え方の育成であった。 1960年代から1970年代にかけて世界的な「数学教育の現代化運動」(数学教育の内容の刷新を図る運動)が起こる。日本でも、昭和43年学習指導要領が改訂され生活を基本とした題材は「現代化」によってほぼ姿を消した。系統学習の方向はさらに強まり集合・確立の内容が取り入れられたが算数・数学の教育内容のレベルが高く難しくなり、生徒が授業についていけない等の問題が起こり批判される。昭和52年、「現代化」の反省を踏まえてゆとりと基礎基本がテーマとなる。現代数学の多くが整
  • レポート 教育学 算数科 黒表紙教科書 緑表紙教科書
  • 550 販売中 2007/09/20
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  • 算数教育
  • 現在の小学校の算数科の内容について学習指導要領では、「数と計算」「量と測定」「図形」「数量関係」の4つに分かれている。歴史的にも、明治時代の黒表紙教科書には、「数と計算」の内容が多く占められていた。この時代には、小学校令に学齢児童の就学が父母後見人等の義務であることが明記されたこともあり、就学率が劇的な増加をみせた。また、算数の内容は厳格な数え主義のもとで「数と計算」を中心に構築されていったが、それは国家としての教育制度を確立する上で強力な推進力を担うものであったが、当時の子どもの認識の発達を考慮したものではなかった。  大正時代になると、国民の生活が経済的に安定してきたことを受け、子どもの教育への関心が高まってくるようになった。さらに大正自由教育運動によって、教育のあり方が再度問い直されるようになった。それは教育を大人の立場からではなく、子どもの立場から創りあげていこうという姿勢を生み出すこととなった。しかし、数え主義の影響は強く、固定教科書の内容が大幅に変わるということはなかった。それでも除々に子どもの立場で教育を考える姿勢が浸透していき、1935年には緑表紙教科書が発行された。この教科書は、数学・生活そして子どもの認識という3者を踏まえて教育内容を設定しており、日本の算数教科書史において、その斬新さと内容の充実の度合いは群を抜くものであった。また黒表紙教科書と比べて編纂方針も、計算技術や数量だけでなく、図形なども取り入れ数理的な思想を養う傾向になった。さらに訓練・注入的な指導方も、子どもの認識を重視し、自発的な活動を主とする指導方へと変化していった。  1930年代の日本は、満州事変や5.15事件・2.26事件がある中、植民地の拡大とファシズムという方法で、こうした局面を打開しようとするようになっていた。学校教育もこうした社会の変動に大きく左右されることとなる。
  • レポート 教育学 黒表紙教科書 学習指導要領 ゆとり教育 大正時代 算数科の歴史
  • 550 販売中 2006/07/08
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  • 算数教育
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ。』  明治時代、欧米で使用されていた教科書を翻訳し、それを用いて教育を行なうという形が主流であった。教育内容は、数、加減乗除、分数など、数と計算が主流を占めるものの、幾何の内容もユークリッド幾何学の内容を基底にし、それを小学生用にアレンジしたものを用いて、小学校高学年の段階で行なわれていた。数計算では、珠算を使用せずに筆算を基本とする洋算が中心となっており、江戸時代の算数教育とは大きく方向変換した時期である。しかし、次第に珠算も併用されようになり、珠算用の教科書も発行されるようになった。一方、ペスタロッチの直観主義が取り入れられなど、当時の先進的な教育理論が教科書に反映される時期でもあった。 その後、明治時代中後期には、黒表紙教科書と呼ばれる国定教科書が導入され、厳格な教え主義のもと、数と計算を中心に構築されるようになった。そのため
  • 佛教大学 レポート 算数科教育法 黒表紙教科書
  • 550 販売中 2008/11/10
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  • 算数教育
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。』  まず初めに、算数科教育の歴史についてである。日本における算数科教育の歴史は江戸時代からはじまる。当時は、武士のための学校と庶民のための学校と二つに分かれており、庶民の勉強の場であった寺子屋では算盤を用いた珠算などの算数が重視されていた。実学的なものが多かったということができる。明治時代になると学生が制定され、国家による学校教育が行われるようになる。算数教育においては数と計算のものが中心となり、江戸時代とは大きく転換した時期ということができる。教科書は絵柄が入り、幾何は小学校の内容から次第に消されていくようになる。明治後期になると、学制改革などの教育制度は国家による統制となり、小学校令の発布により就学率が急激に増加する。算数教育は学問と算術の分離、数え主義が取り入れられた。これは小学校の算数を数と計算問題の内容へと一元化することになった。しかし当時の子供の認識の発達を考慮したものではなかった。大正時代になると自由教育運動により教育のあり方が問われ、教育を大人でなく、子供の立場から創ろうという姿勢が生まれる。算数教育でも数え主義は子供にとって理解しにくい理由から少しずつ修正を行う動きにつながる。しかし、数え主義を主張する藤沢利喜太郎の影響により改訂は中途半端であった。明治時代前期になると国定教科書〔緑表紙教科書〕が発行された。これまで使われていた黒表紙教科書は数の分野を極端に重視していたのに対し緑表紙教科書は数・量・図形が算数教育の中心であり、計算問題や数え主義を中心にしていた今までと大きく転換された。子供を認識した構成ではあったがブルジョワ階級が中心となって作ったものなのでファシズムへの道を止められなかった。第2次世界大戦が始まると算数教育もファシズムの影響を受けるようになり、水色表紙教科書が出される。内容は緑表紙教科書と大きな差はないが理科との結びつきを持つようになる。数理学的な思想の重視と日常生活に役立つ実測・実験重視という内容的な発展がいくつか見ることができる。敗戦後は軍国主義が廃止され、民主主義が浸透するようになる。従来までの教師主義から子供中心へと移り、自由度のある教育となる。算数教育においてもアメリカの新教育と日本の研究者の流れが併存することによって教育現場において多くの矛盾が生じ、混乱が起こった。1950年代になると算数教育の改革の中で最も世界的に広く行われた数学教育の現代化という流れがおこる。日本では欧州のような現代化が導入されたわけではないが旧来の算数の内容に集合論を中心とした現代数学の内容を断片的に差し込むというものであった。しかし急速な改革は算数を理解できない多くの子どもを生み出し校内暴力・非行等、学校現場の敗退をもたらすことになる。このような結果が反省され現代数学の多くが削除され、ゆとりがテーマとして設定される。土曜日が休日になったこともあり授業数の削減も行われた。情報通信機器の普及した現代、集団より個が重視される傾向があり、算数教育もここのニーズに見合うように内容の多様性への変容を迫られている。今では生きる力が中心的な課題となり知識重視ではなく、学習過程の楽しさを重視したものへと変わっていく。しかし、「なぜ学ぶのか?」という根源的な解決方法
  • 佛教大学 レポート 算数 算数科教育法 通信
  • 550 販売中 2008/05/11
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