連関資料 :: 自殺

資料:29件

  • ネット心中とデュルケムの自殺
  • 社会学概論 ネット心中 目的 自殺には様々な形態がある。一人でする場合もあれば心中のように複数でおこなう場合もある。首つり、飛び降り、服毒など手段も様々であるし、リストラ、貧困、病苦など原因も様々である。そんななか、インターネットが社会で広く利用されるようになり、2000年ごろから「ネット心中」なるものが出てきた。ネット心中とは、インターネット上の自殺関連掲示板で、一緒に死んでくれる人を募集し、見ず知らずの赤の他人が何人か集まり自殺するというものだ。本レポートでは、デュルケム(1897)の自殺論を参考にして社会学的な観点から、ネット心中がなぜ起こるかについて考察する。 デュルケム(1897)は、自殺の理由を説明する上で、個人の性質や動機だけでなく個人を超えて個人に影響をあたえるもの、すなわち「社会的潮流」の存在を強調している。社会的潮流がある一定の人々を自殺へと促しているという。 また、デュルケム(1897)は背後にある社会的潮流に従って自殺を3つに分類している。集団本位的自殺、自己本位的自殺、アノミー的自殺の3類型である。集団本位的自殺とは、集団の規制、価値観に絶対服従を求められることから生じる自殺である。自己本位的自殺とは、社会や集団の統合が弱まり、個人の孤独化が進むために生じる自殺である。アノミー的自殺とは、個人の欲求を規制する社会規範が緩んだことから欲求が増大し、そこから不満が生まれ虚無感から生じる自殺である。 募集する心境と集まった集団の力  ネット心中が自殺である以上、一定の人々をネット心中へと追い込む社会的潮流があると考えられる。日本社会という集団を対象として、その社会的潮流がなんであるかを考える。 ネット心中は、過去にあった他の手段をつかった自殺や心中とは違う性質をもっている。ネット心中が特異なのは、一緒に死んでくれる人を募集することだ。募集する理由としてよく言われるのは「一人で死ぬのは淋しい」「一緒にすれば決行できる。自分だけなら引き返してしまうかもしれない」などである。ここに見られるのは、一人では死ねないほどの孤立感(これについては後で述べる)と、自分だけでは引き返すほど自殺の動機が弱いこと、にもかかわらず未遂に終わらせず確実に自殺することである。 動機が弱いのに確実に自殺するのを求めるのは矛盾するようにも思える。動機が弱いなら自殺しなければいいと思うかもしれない。確かに、ネット心中未遂者からは死にたいという意志の強さは感じられないが、普通に生きてはいられないほど“生き苦しさ”、“生きづらさ”が感じられる。 ネット心中で重体になった大学生は「あと40年同じ生活をするのは苦しい」と言ったという。それに対して池田清彦は次のように言っている(朝日新聞夕刊2003年4月24日)。「甘ったれんじゃない、と私は思う。さしたる才能もない人間があと40年も平凡に生きられたとして、それ以上どんな人生を望むというのかね」 池田がいうことはもっともだが、この大学生は平凡さや退屈さ故に自殺したのではなく、彼にとって生きること自体が相当苦しかったのではないかと思う。死にたいという強い意志があるわけではないが、生きているには苦しすぎて、死ぬことも生きることもできないような心境がうかがえる。最近の自殺未遂者は「死んでも死ななくても、どっちでもよかった」というようなことをよく言うが、これもそのような心境を表しているのではないか。 このように、個人的な自殺の動機は弱いが、生きるのに耐えられず自殺を考える。そして動機が弱いため一人では実行できず、確実に自殺する方
  • 社会学 自殺 デュルケム ネット 心中
  • 550 販売中 2008/01/21
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  • 自殺率の上昇と高度経済社会
  •  近年中高年の自殺率の上昇が問題となってきている。経済が発展し、近代化が進み、人々の生活は十数年前と比べても格段に利便性のあるものとなってきた。それなのに、なぜ人は自殺という道を選ぶのか。デュルケムの自殺論を基に考察したい。  高度経済成長下において、急激な生活水準の上昇に伴う新環境への適応が求められる現代、それは人を自殺に追いやりかねない単純アノミーを生む。人間の欲望は無限であるにもかかわらず、常に限りある充足しか得られないから、社会的歯止めとなる規範が必要となる。規範によって無限ともいえる欲望には制約が課せられる。そして、人は足りるということを知るのである。アノミーとは、この規範や拘束力が弱体化した状態のことをいう。しかし、経済発展によって生活水準が上昇すれば、人はさらに高いものを望み、その欲求を満たす困難性はますます増大する。一方、異なった水準の生活はそれぞれ欲望を制御する規範も持っている。その内容は状況に合わせて異なっているため、生活水準が変わると人は新環境の新たな規範を受け入れなくてはならない。その時、それまでの旧規範と新規範の間には葛藤が生まれ、人は激しい心理的緊張を感じる。しかし、人間はこのような心理的緊張に永く耐えることはできず、自殺に追い込まれることもありえる。現代の日本はまさにこの状態にあるといえる。さらに深刻なものとして、その生活の変化における非対称的ともいえる二重構造が挙げられる。十数年前には高嶺の花であった自動車やカラーテレビなどの商品が安価で入手できるといった生活の一面が上昇する反面、一方では公害や交通渋滞、住宅問題などによって安全性、利便性、快適性の維持が困難になる。また、インフレによる物価の上昇にも同じようなことが言える。これらは消費生活の上昇と感じることもできるだろう。
  • レポート 社会学 自殺 高度経済成長 デュルケム 自殺論
  • 550 販売中 2006/01/24
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  • 契約締結後の一定期間を過ぎた自殺について
  •  保険者には保険金支払義務があるが、以下の法定または約定の免責事項がある場合には、保険者は保険金支払義務を負わない。(商法680条1項)  Ⅰ保険者の法定免責事由  ①被保険者が自殺によって死亡したとき。(商法680条1項1号)この「自殺」とは、被保険者が故意に自己の生命を断ち、死亡の結果を生ぜしめる行為をいい、死亡の結果が過失行為に起因するか、または精神病による精神障害中の動作に起因する場合を含まないとされている。(大判大5.2.12)  普通保険約款では、契約締結後の一定期間 (多くは1年)を経過した後の自殺は、保険免責の事由としない旨を定めるのが通例である。このように、法定の絶対免責を緩和する事によって、保険金受取人は保護されるのである。  では、契約締結後の一定期間(多くは1年 )を経過した後の自殺はどのような場合でも保険免責の事由としないのであるかという点について考えてみたい。  次の事例は、X社の取締役Aを被保険者、保険契約者および死亡保険金受取人をX社とする生命保険契約をY・Z・保険会社の間で結んでいた。Aには会社名義の負債が1億円以上あり、この負債を清算するために本契約
  • 保険法
  • 550 販売中 2007/11/14
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  • 社会学史(近代)−デュルケム自殺論について
  •  ここではデュルケムの「自殺論」についてまず内容をまとめ、その後に具体例として池田小児童殺傷事件とネット自殺について取り上げ、デュルケムとの関連性とその今日的な意義を考えていこうと思う。  デュルケムは自殺を単に個人的問題として扱うのではなく、その自殺を引き起こす様々な社会的要因について考察した。彼は自殺を社会の連帯が弱まり、個人が孤立してしまい、無気力になり引き起こされる「自己本位的自殺」、反対に社会が強い結合度を持って個人に自殺を強制させたり、そのような状況に追い込まれ自殺させたりする「集団本位的自殺」、社会の規範が崩壊すことにより、個人の欲望が無限に増大し、そのむなしさから自殺を引き起こす「アノミー的自殺」、反対に欲望に対する規制が強すぎるため絶望感が募って自殺を引き起こす「宿命的自殺」の4種類に分類した。また彼は「自殺論」に先立つ彼の著書「社会的方法の基準」のなかで「社会的事実を物のように考察しなければいけない」と書いており、彼は自殺にたいしても―「物」という言い方が適切だったのかは分からないが―極めて冷静で客観的に、先入観や予断を拝して観察しようとした。例えば、自殺と宗教の関係について彼はプロテスタント諸国で自殺が多く見られ、カトリックの国家では相対的に自殺の発生率が低い、という事実をまず統計から見出し、そこからこの事実について考察し、この事実は両方の教義とも自殺を禁じている、ということから教義による違いではなく、プロテスタントではカトリックと比較して統合の度合いが弱く、そのため孤立が強まり自殺が多く引き起こされると結論づけている。つまり、彼は社会的統計によりある傾向を取り出して、そこからなぜそのような傾向になるのか、といったことを様々な仮説を立て、冷静に考察しているのである。
  • レポート 社会学 デュルケム 自殺の特徴
  • 550 販売中 2005/11/18
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  • 夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺
  • 夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺論                                                                                 自分が教師だとして、夏目漱石の「こころ」でどのようなことを教えたいかについて考察してみる。 「こころ」という誰もが知っているであろう名作の解釈うんぬんよりも、「K」と「先生」の「自殺」から、広く自殺一般、現代における生の解釈の多様性について生徒に考えさせてみたい。そこから、本当に命の価値は希薄になったのか、救いはあるのかということについて「こころ」を題材に生徒に考えさせたい。 また、ここでは私の主観でそれの是非を問いたり警鐘を鳴らすとかいうものではなく、普段あまり意識しない生死の問題について少し立ち止まって考えることのできる時間を高校生くらいの年齢に与えられればいい。もちろん大学生である自分も、中身は無力な高校生であることくらい自覚しているが、きっかけを作ることくらいはできるだろうと思う。 現在日本では、年3万人、一日にして約100人が自殺しているという統計があるが、これはあくまで大本営発表
  • 自殺 夏目漱石 こころ レポート
  • 550 販売中 2009/01/19
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