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連関資料 :: 教育

資料:11,657件

  • 道徳教育の歴史的変遷について
  • 道徳教育思想の起源は古く、西洋において紀元前5世紀に求めることができる。古代の道徳教育思想として「徳の教師」と自称するソフィストたちが、すぐれた市民になるための徳を授けようとした。プロタゴラスとソクラテスの論争は道徳教育の本質について考える手がかりを与えた。「徳は教えられるか」という問題から、ソクラテスは、徳は教えうるものではなく徳を教える教師もなく、徳を教える方法もないとした。反するプロタゴラスは世の中の人々の憤りや懲罰や叱責が存在するという事実に注目し、徳は教えられると主張した。 プロタゴラスが主張する道徳教育は三段階で行われ、第一は家庭での躾、第二は教師の元での学習を通じての教育、第三は社会の中での学びである。これに対しソクラテスは子供ではなく青年を対象とし、永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に掲げた。 ソクラテスの弟子プラトンは、子供の道徳的成長を発達段階的にとらえ、子供が理性的になるまではプロタゴラス的立場を、理性的になればソクラテス的立場を、それぞれ採用するという考えを示した。プラトンは人間の精神を理性・気概・欲望の三つに分け、それぞれ知恵・勇気・節制の徳を対応させた。道徳教育論を理性の時期を基準として、子供の道徳性を発達段階にとらえソクラテス的方法とプロタゴラス的方法を調和させたのである。
  • レポート 教育学 道徳 教育 日本 道徳教育
  • 550 販売中 2005/07/14
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  • 移住者の子どもに対する母語教育
  • 1 現状  日本が国際化してきたことに伴って日本国内で生活する外国人の数は急増した。在日外国人の数は1985年の経済急成長を経て、職を求めて多くの人々がやってきたこともあり、多く訪れれば当然その子どもの数も増えることとなる。近年の我が国の公立小・中・高等学校、中等教育学校及び盲・聾・養護学校に在籍する日本語指導が必要な外国人児童生徒数は、19,250人と調査以来もっとも多い数字となっている。(平成13年)しかし、その前年に比べ、外国人児童の数は10,000人近く増加しているのに比べ、在籍学校数はわずか50校ほどしか増加していないことに気づいた。そして日本の教職指導において地域差はあると考えられるが、日本語教育という面においては共通して学んでいないのが現状である。ここで前提として述べておきたいのは、移住者の子どもが行く学校には、在日児童のみを集めての日本語教育を行う日本語学校と、日本人の子どもとともに一般義務教育を受けさせるものと2通り考えられる。本レポートでは日本の義務教育に受け入れて教育を行うという前提で現状とその問題を考えていきたいと思う。 2教育者側の理解  日本が今の経済状態を維持するためにも相当数の外国人労働者を受け入れなければならないことを考えても、政策を打ち出さなければならない。日本社会に生活するすべての人々がそれぞれ背負っている歴史や文化などに理解を深め、尊重し合うことができるように教育することが必要である。親について来日してきたものの、日本自体を拒絶する子どももいる。言葉はもちろん、習慣や考え方の違いにより日本人との摩擦が生まれ、いじめや不登校が生じるケースもあるという。場合によっては受け入れる側が相手の国の習慣等を理解していれば避けられたものもあるであろう。
  • レポート 教育学 母語教育 多文化教育 日本語教育
  • 550 販売中 2006/01/22
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  • Z1102 教育原論1
  • ハヴィガーストの発達課題について述べよ。 【参考文献】 教育学の基礎 佛教大学出版 田中 圭治郎 編 教科書に忠実に書き上げていますので、参考にしやすいと思います。
  • 佛教大学 Z1102 教育原論1
  • 550 販売中 2016/08/17
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  • 英語科教育法3
  • 日大通信の英語科教育法3のレポートです。 和訳は第二章の学習者についてをしました。 英語力には自信があります。それゆえ、一発でレポートの合格を頂きました。 参考にして頂ければと思います。 英語科教育法3 科目コード T30300 分冊1 通信教育教材の第一章「外国語学習の条件」、第二章「学習者について」、第三章「文法の指導法」、第四章「運用訓練の技術」、第五章「テストとその応用」、第六章「教授法理論とその実践」の中から、1つの章を選び、選択した章について次の2つの課題に取り組みなさい。 1、 第一章から第四章までは、conclusionの和訳 第五章については章末のbrief notes on close in language testing p78の全訳 第六章についてはp94の和訳 2、各章末にあるexerciseに答えなさい なお、1900字未満のレポートは認めません。また、英単語を本文中で1ますに2文字、3文字入れてもかまいません。読みやすさを旨とすること。 ポイント 教材が正確に理解できていること。また、日本語訳は、正しい日本語、わかりやすい日本語であることが大切です。 キーワード 正確な英文読解力
  • 日大 通信 英語科教育法3 平成27-28年度
  • 770 販売中 2016/08/22
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  • 教育実習研究Ⅱ(小)
  • 『子どもたちの可能性を伸ばす授業をするにはどのようにすればよいか。』  義務教育の義務とは、子ども(国民)は教育を受ける義務を負うのではなく、教育を受ける権利を有するということである。教員は、この権利を保障する義務を負っている。教育実習生といえども、実習中、教壇に立つとき、クラブ指導に当たるときには、この義務の一端を担うこととなることを肝に銘じなければならない。  また、実習生が授業を行っても、ベテラン教員が授業を行っても、その両方は子どもにとってはかけがえのない授業である。このことから、ベテラン教員が担う責務と、実習生が担う責務は同じものを負っているといえる。したがって、実習前から事前にしっ
  • 子ども コミュニケーション 教師 学校 道徳 児童 教育実習 授業 教員 実習
  • 550 販売中 2008/04/29
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  • 教育史第二設題
  • 「ルソーの教育思想について述べよ。」  ルソーは、17・18世紀の教育期、啓蒙期に、異色の思想家として教育論を展開し、後世にまで広く大きな影響を与えたのである。  ルソーの教育思想の特徴をみてみると、まず、「消極教育」がある。ルソーは、子供に多くの知識や大人の義務を教える教育を積極教育と名付け、その積極教育とは反対の教育が必要と考えた。それが消極教育である。積極教育では子供の本姓を悪ととらえるため、教育目的は子供の性質を根絶するとこにあり、人為的に外から知識や技術やしつけを教え込むとこが重視されていた。「初期の教育はだから純粋に消極的でなければならない。それは美徳や真理を教えることではなく、心を不徳から、精神を誤謬からまもってやることにある」。ルソーは、子供は生まれながら善であると考え、それゆえこの善なる本性を自然な形で成長させることが教育の本務と考えた。それゆえ人為的・積極的に子供に知識の伝達をしたり、道徳を教えることはできるだけ避けなければならない。つまり教師の子供に対する働きかけは、消極的でなければならない。このようにルソーは消極教育を推奨するのだが、消極教育の基盤となるのが自然主義と感覚主義である。  初めに自然主義とは、ルソーは「自然人」を教育の理想と考えた。ルソー曰く、「この教育は自然か人間か事物かによってあたえられる。わたしたちの能力と器官の内部的発展は自然の教育である。この発展をいかに利用すべきかを教えるのは人間の教育である。わたしたちを刺激する事物についてわたしたち自身の経験が獲得するのは事物の教育である」。つまり挙育には人間の教育、自然の教育、事物の教育の三種類があるのだが、ルソーは「自然の目的」に合致する教育が行われるならば、この三つの教育は調和的になるとか考え、人間が生まれつきに自然に持っている素質を開発することを主張した。そのため彼は「社会」を敵視し、子供を社会から引き離して育てるように主張する。「りっぱな社会制度とは、人間をこのうえなく不自然なものにし、その絶対的存在をうばいさって、相対的な存在をあたえ、「自我」を共通の統一体のなかに移すような制度である。そこでは、個人のひとりひとりは自分を一個の人間とは考えず、その統一体の一部分と考え、なにごとも全体においてしか考えない」。ルソーは教育形態を「公民的・社会的教育」と「個人的・家庭的教育」の二種類に分け、後者の重要性を説く。ルソーは社会の中で子供を教育することを否定し、学校教育も否定している。そして彼は個人教育、家庭教育を肯定している。またルソーは他人の命令や権威によってのみ行動する人間ではなく、自分自身で考えて行動できる人間の育成を重視している。教育を知識・技術の伝達としてではなく、人間性の成長として捉える。つまりこの点で、彼は実質陶冶ではなく、一般陶冶の立場にたっていると言えよう。また自然の歩みに従う、つまり子供の内在的な興味や好奇心に則った教育を重視したことは、子供の個性の重視にも繋がる。  次にルソーは、理性や精神よりもまず感覚の役割を重視した、感覚主義を説いている。「子供の興味をそそることができるのは、純粋に肉体に属するものだけだということを、わたしはなんどでもくりかえして言わずにはいられない」。「私たちのほんとうの教師は経験と感情なのであり、けっして人間は人間にふさわしいことをかれがおかれている関連の外で十分によく感じることはないからだ」。ルソーは理性を不要として斥けるのでは決してない。しかし子供はまだ記憶力も想像力も十分に働かないので、まず感官の礎となる。
  • 佛教大学 レポート 教育史 ルソー 教育思想
  • 550 販売中 2008/05/01
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