連関資料 :: 道徳
資料:716件
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道徳教育
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『現代の道徳教育の課題について』
今日においては、家庭や地域の教育力が低下してきているといわれるように人間としての基本的な生活習慣や、対人関係を構築・維持していくための方法などを習得していない児童・生徒が増加している。これからの社会(変化が激しい、先行き不透明な、厳しい時代)を生き抜くためには「生きる力」が必要不可欠である。
「生きる力」とは、自分で課題を見つけ・自ら学び・自ら考え・主体的に判断し、行動し・よりよく問題を解決する能力・自らを律しつつ・他人と協調し・他人を思いやる心や・感動する心など・豊かな人間性とたくましく生きるための・健康や体力を指している。
しかし、「生きる力」はいわば人間として生きていくための必要最低限度の能力であり、大切なことは「ただ生きるということではなくて、よく生きること」、すなわち個人の個性、能力、興味・関心に合った「生き方」をすることであり、「生き甲斐」、つまり人間として生きる意味を感じ、確かめることである。
「よく生きる」とは「幸福になる」と同義語だと私は考える。人間は誰しも自分が幸福になることを望まない人はいない。幸福の定義は人によりそれぞれであるが、共通して言えることは人間としての感情を持ち、それを表現できることだと考える。
フランスの哲学者デカルトによると、究極の道徳として「高邁する心(ジェネロジテ)」ということを考えた。
「驚き」、「愛」、「憎しみ」、「欲望」、「喜び」、「悲しみ」の6つを基本的な情念と考え、こうした情念を統御する決意を、つまりは意志を正しく使用しようとする決意を、自分自身のうちに感じることであると言っている。
また、イギリスの哲学者ベーコンは誤りのない知が人間に幸福をもたらすと考えた。現代社会においては多くの情報が氾濫している。そうした情報の氾濫の中で逆に人間は本当の意味で大切な知を見失いがちである。
ギリシアの哲学者ソクラテスによれば、人間は例え知恵があると思い込んでいたとしても、実際には「善美のことがらは、何も知らない」。人間は知らないということを知ること、つまり「無知の知」を出発点にして、知を愛し求めていかなければならないと言っている。
自ら学び、自ら考える力が損なわれつつある現代社会の児童生徒においても、このソクラテスの言葉はとても大切なものだと私は考える。
知を学ぶには大変なエネルギーと努力が必要である。具体的には多くの生徒が一度は経験する受験においては熾烈を極める。努力をすれば必ず幸福になれるというわけではないが、幸福になった者はみなすべからく努力している。その努力を怠ったときが人間としての「生き方」を否定し、「生き甲斐」を失うことである。
また、特に近年、数多く発生している子どもの自殺や殺人、いじめ、非行などの問題行動にしても、環境破壊の問題にしても、「生命・生(活)・いのち」の連関や自他の生命や人格・人権を尊重する態度のみならず、生きとし生けるものに対する思いやり、いたわりの心の欠如から起こっている場合が少なくなく、人間尊重の精神より一層の深化・拡大が必要とされている。
このような観点から「道徳教育」は、児童生徒一人ひとりが「生命・生(活)・いのち」の連関を重視しつつ、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を育て、それらを家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中で生かすことができるようにならなければならない。
1996年7月に出された第15期中央教育審議会第一次答申では「道徳教育」及び「道徳」の時間の目標は「教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、
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現代の道徳教育の課題について
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道徳とは何であったか
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小・中学校の道徳の時間では、副読本を使用していたと記憶している。他の教科書とは違い、個人専用に配布されるのではなく、「みんなの共有物」として教室で保管していた。そして、15分間の教育テレビ放送の番組(さわやか3組ではなかった。)を見ていた。副読本も、テレビ番組も、ストーリーが面白いのに結末がなく、がっかりした。「この話はその後どうなったのだろう?」とすごく気になった。副読本とテレビ番組からテーマ・課題が与えられ、その後についてクラスで話し合うといった形の授業だった。子ども達から色々な意見が出るが、先生から「その通り。」や、「そうすると良い。」「本当にそれでいいのか、みんなで考えよう。」と言われると思う。私は、「答えが無いようで、きっと先生はこう答えて欲しいのだろう。」と考えてしまうようになった。私にとって、道徳は「人として普通の行い・多くの人にとって当たり前のこと」だと考えていた。道徳の時間以外にも、学校で問題が起こると、クラスや学年で考える時間が与えられた。「どう思うか?これでいいのか?」とたずねられると、「このままじゃいけないから、こうやって考える時間を与えられたのだろう。」と思った。いつもはっきりした答えは見つからなかったが、「ほとんどの人が考える、正しいことといけないことの違い」を覚えていったのだろう。
先週、私が勤務する中学校で「チャットへの書き込み」が問題となった。チャットに悪口を書かれた生徒の保護者から学校へ訴えがあり、チャットの存在が判明した。チャットを直接見ていないが、市内中学校の各ページが存在し、教師の悪口、生徒の噂などが無記名で記入されていた。携帯電話からも簡単にアクセスが出来、生徒達は気軽に参加していたようだ。
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レポート
教育学
道徳
中学校
情報モラル
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法と道徳
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課題 『法と道徳の峻別について論じてください。最低でも 1,000 字以上は書くこと。』
1.はじめに
「法と道徳は峻別するべきである」-この考えは、トマジウスやカントらによって主張された。近代市
民社会の成立期において、人間の内心への国家権力の介入を抑制するために主張された。では、
法と道徳はどのように峻別されるのか。また、「法・道徳峻別論」は、どのような役割を果たし、どのよ
うな経過をたどったのか。
2.法と道徳の峻別の仕方
法と道徳をどのように峻別するかについては、次のような説がある。
(1)第一説
第一は、法の外面性と道徳の内面性とによって峻別しようとする説であり、トマジウスによって主張
された。すなわち、法は人間の外面性(行為や態度)に対する規範であるのに対し、道徳は人間の
内面性(意思や心情)に対する規範である、とする。しかし、法も全く人間の内面性に無関係ではな
い。例えば、刑法38条1項は、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規
定がある場合は、この限りでない。」としており、この場合についてみれば、刑事責任の存否は人間
の内心に依拠するこ
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道徳科指導法~道徳の時間のねらいとは
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?道徳教育とは自然な心ある行動を促す教育であり、その時間のねらいは、道徳的判断力、道徳的心情、道徳的実践意欲と態度を培うことを通して道徳的実践力を育成することである。
道徳的判断力とは、様々な場面での行為の善し悪しを判断する能力である。道徳的価値の大切さを知り、行為においてそれが望ましいことなのかを判断するのである。よりよい生き方をするためには欠かせないものであり、基本的な能力となる。
道徳的心情とは、道徳的価値を望ましいものとして受け入れ、道徳的に善い事をすることとし、人間として望ましい生き方をしていこうという感情である。善い行為を喜び、悪い行為に対しては憎む感情なのである。道徳的価値と結びつく感情であるため、道徳的情操とも呼ばれている。
道徳的実践意欲と態度は、道徳的心情や道徳的判断力によって選択された、より望ましい行為をしようとすることである。こうした態度は、道徳的実践への身構えということである。
道徳的実践力とは、一人一人の児童が道徳的価値を自分の内面から自覚し、様々な場面や状況においても道徳的価値を実現するための適切な行為を主体的に選択し、実践することができるような内面的な能力である。
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レポート
教育学
道徳
教育
生きる力
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道徳活動が重視される理由と、体験的道徳活動
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道徳教育が重視される背景
近年、道徳教育の充実が求められるようになってきているが、その背景には、生徒個人が集団、社会、自然といった諸々の環境とのつながりを認識する機会がなく、それらとの関係が希薄化してしまっているということが挙げられる。こうした環境との関係が希薄な状況が存在することによって、たとえば、生徒は学校で些細なきっかけから生徒は仲間はずれにされてしまい、やがていじめや不登校問題を生んでしまう。あるいは自然の存在をあまり意識しない生徒であれば、悪気なくゴミのポイ捨てを行ってしまうことも考えうるであろう。
こうした問題を解決するにあたっては、学生指導要領でいうところの「人は、家族、学校、地域社会、国家、国際社会などの社会集団の中で、何らかの役割を果たしながら生きている。そして、権利・義務や責任を通して互いに社会連帯の意識を持ち、進んで公共の福祉に努めようとするものである。」といった個人と集団との望ましい生き方を教えることが重要となり、それを担うのが道徳教育なのである。
体験的な道徳教育
それでは、道徳教育はどのように実践されるべきであろうか。これまで道徳教育においては、教師が
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教職
道徳
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学校における道徳教育の道徳は誰がどのように決めるべきか?
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学校における道徳教育の道徳は誰がどのように決めるべきか?
今現在、学校が家庭や国家から道徳教育の時間にいったい何を学習することを望まれているか、そのことについて少し触れてみたいと思う。歴史的なことをいうと授業でも習ったとおり、終身や社会科の要素をたどるものがあるのかもしれない。しかし、私も10年ほど前、道徳教育を受けてきた身として、いったい何を目的として授業が進められていたのかを思い返すと、けっして終身や社会科のように、国家の臣民育成としての授業ではなかったように思う。授業の内容は、いじめについて書いた本を読んだり、部落差別、在日朝鮮人についてなど、子供ながら道徳の時間はすごく暗い物語ばかり読まされるのであまり楽しみではなかったのを覚えている。
道徳教育を設けるにあたっての学習目標はどこらへんに置かれているのであろうか。現在は、幼稚園から高校まで一貫しての道徳教育を設けている。その個々の目標として、幼稚園では道徳性の芽生えを育てること(人間環境、就中、教師と幼児との人間的関係を両者が創造していく)、小学校は他律から自律、児童の道徳性の成長発展を促進する、主に低学年においてはしつけ(基本的生活習慣を身に付ける)、高学年においては、自分で判断し、決断したことに責任を持つ、中学校は人間としての生き方について自覚を深める(“人間の”ではなく“人間としての”)、高校は道徳として特別な時間を設けてはいないが人間としての生き方に関する教育を通して道徳教育が行われる(ホームルームや公民科)。つまり道徳教育とは心の教育であり、教育とは人格の完成を目標としているといえる。さて、国の方針としてこのような目標が掲げられていたが、そのことに対しての論議がないわけでもない。ちまたでの道徳教育観を聞くと各人各様の理論が散乱していることがわかる。たとえば道徳は生活そのものだから道徳などというものは抽象の産物に過ぎないという人があるかと思うと、道徳の現れる姿は、時代や社会によって異なるが道徳そのものは単純で、かつ普遍的だと主張する人もある。また、子供は善悪の判断をよく知っているので、ただ実行が伴わなかったり、ほかの社会的要因がこれを阻止したりするだけだと論じている人もいる。ところが、これとはまったく反対に学校でも善悪の判断を教えなければならない。教えることによって、道徳は育っていくものだとの意見もかなり多い。さらに、評論家の間では、道徳を行うためには、理想的人間像を確立することが先決だとの主張もある。このように、人によって、立場によって、道徳教育観は大変異なって出てくる。しかし道徳教育に携わる学校や家庭では、多様な価値観を論じて楽しんでいるわけにはいかない。この教育観の対立を克服して、子供によりよい生き方を指導するよう努めなければならない。
そこで、この問題を次のように整理し、道徳観の確立を図っていったらどうかと考える。世間的な道徳観を大きくまとめると、心情的なものを基準にして道徳教育を論ずる人と、責任的なものを基盤に道徳教育を主張する人があるということだ。たとえば責任の立場は、行為の道徳結果がいかなるものであるかということによってその行為の道徳的価値を評価しようとするのに対して、心情の立場は行為を道徳的に評価する場合にもっぱらその動機の純粋性を評価の対象にしようとする。そこで、道徳教育を考えるとき、両者の対立を絶対的な対立としてではなく、両者の立場が相補って初めて真の人格が形成されると考えなければならない。
このことは、人間の生き方が、行為の動機において純粋であるととも
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教育学
同志社大学
教職課程
道徳教育
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道徳教育の役割
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はじめに
20世紀後半から「生きる力」と「ゆとり」を育むために、様々な教育改革が推進されている。価値観が多様化し変化が激しい現代社会において、失われつつある人間としての豊かな心を取り戻し、夢と希望をもって生きていくためには、何を考え何を行うべきであろうか。「心の教育」としての道徳教育の重要性を、子どもの心を育てるための三領域(学校・家庭・地域)の役割から考察する。
1.学校の役割
ある日、小学生の娘に「道徳の授業では何をしているの?」と聞いてみた。返ってきた答えは、「道徳の時間?テレビを観る時間だよ。」であった。
道徳教育とは、日常生活での機会を待って行われるのでは不十分であり、初等教育の場で意図的・計画的に行うべきである。「気づく」「とらえる」「深める」といった過程を通して、様々な人やものと共生し、人が人として生きていくことの意味をじっくり考えられるような道徳の時間へと、発展させていくことが期待されている。
毎日生活している学級、家庭、地域の中からも、多くの課題があふれ出ている。そうした様々な課題を資料として子どもたちに直面させ考えさせていくことが大切である。
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