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連関資料 :: 文化

資料:498件

  • 恥と罪の文化
  • 講義の中で、日本人とキリスト教を重んじでいる国の人との考え方の違いを学ぶことの出来た「恥と罪の文化」というテーマについてもう一度調べ、理解を深めると共に、日本人の文化や意識の現状について考察した。   日本の文化では、「人に迷惑をかけるような恥ずかしいことはしない」というのが道徳の基準となっている。 多神教の日本では、神や仏の意識はそれほど強くない。強く意識するのは世間の目である。狭い日本、多くの人間の中で生活して行かなくてならないので、常に他人の目を意識しないわけにはいかないのである。怖いのは神や仏ではなく、他人の目であり、他人の口ということになる。他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定している。つまり、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで、自分の行動を決めるのだ。これが「恥の文化」と言われるものである。 「恥の文化」の長所は、人からどう見られるかを大切にするので、周囲に対して気遣いや心配りをしていく面が挙げられる。また、体裁を気にかける文化であるので、謙虚さや協調性などが身についていく。これは日本人の美徳とする部分でもある。
  • 日本 文化 道徳 思想 人間 日本人 自分 行動 変化
  • 550 販売中 2009/06/05
  • 閲覧(5,709)
  • アジアにおける文化の共生
  • 1000字程度のレポート。「アジアにおける観光対象としての少数民族・文化の共生について」というテーマで、台湾・中国・マレーシアがどのようにして少数民族と協力して自国の観光資源を活かしているのかを考察した。少数民族の独特な文化を保つことは、(中略)観光客を集め、その国をさらに発展させることにも繋がる、という結論で結ぶ。
  • アジア 共生 少数民族 文化 観光
  • 550 販売中 2011/08/05
  • 閲覧(2,433)
  • 日本の言語文化.
  • 『日本の言語文化』 日清戦争以降「一等国」となった日本は、大東亜共栄圏を樹立しようと台湾や朝鮮、満州、東南アジアに領土を拡大していた。しかし、植民地語の使用は日本の統治政策を崩すことにもなりかねず、異民族を統治するためには言語問題の解決が必要であった。つまり、統治による画一性、近代化の効率性を追求していくと、国民的同一性そして、それにつながる均質な単一言語が必要となってくる。では、帝国日本内のこの明らかな多言語性はどのように認識され、「国語」が、近代日本の帝国的
  • 社会言語論 社会文化 日本語学
  • 550 販売中 2008/03/21
  • 閲覧(2,070)
  • イスラーム文化―その根底にあるもの―
  • イスラーム文化とは、腫々様々に異なる文化伝統の入り乱れ、錯綜し、絡み合う多くの交差点の網の目の広がりの中で形成された複雑な内的構造をもった一つの国際文化である。イスラームの地理的広がりを見ても分かることであるが、顕著な例としては、イスラーム文化の一番重要な歴史的担い手であるアラブとイラン人の思想的差異が挙げられる。この2つの民族は、その世界観、人生観、存在感覚、思想形態において、あらゆる場合に正反対の性格をあらわす。アラブの代表するスンニー派とイラン人の代表するシーア派との隔たり、その確執は言うまでもないだろう。しかし、様々な要素を含んだイスラーム文化だが、それにもかかわらず、全世界のイスラーム教徒は『自分たちは一つの共同体だ』という自覚を持っている。そして、イスラーム文化を一個の有機的文化構造体たらしめている統一要素は、宗教としての、あるいは信仰としてのイスラームであり、さらにその根底にあって全てを統一しているのが聖典『コーラン』ただ一冊の書物である。預言者ムハンマドが神の啓示を受けて、その神の言葉が記録されることによって成立したといわれている一冊の書物。全てがこの一点から発出する、まさにイスラームの原点である。国際的文化構造体として歴史的に自己形成したイスラームがどれだけ複雑な様相を呈しようが、そのどの側面を取ったとしても、イスラームは究極的には聖典『コーラン』の自己展開なのだ
  • 歴史 宗教 文化 哲学 国際 思想 人間 言葉 イスラーム イスラム レポート 書評 社会学 文学部 社会学部 卒論 論文
  • 550 販売中 2010/01/26
  • 閲覧(4,494)
  • 大衆文化と男らしさ
  • 男らしさ」というのは時代を問わず男性の興味関心を引く話題である。また男性だけではなく、昨今ジェンダーの問題もあり、女性からも関心の寄せられるテーマである。そのためこの「男らしさ」とは何かを考えることは男性女性両方のベネフィットとなると思う。私は「男らしい」条件のひとつとして「ストイックであること」がかなり大きな部分を構成していると考える。これは新渡戸武士道による結論であるが、さらにこれを突き詰めていくうちにもうひとつの結論を導き出した。それは男らしさの構成要件においてストイックであることの占める割合が低くなったことであり、そこには男性性の変化・および再生産が読み取れる。以下その詳細を示す。
  • 女性 文化 比較 少年 能力 男性 変化 表現 マンガ ジェンダー
  • 550 販売中 2010/01/27
  • 閲覧(2,531)
  • イギリス文化研究
  • 私はイギリスには行ったことがない。しかし、授業で学んだとおりイギリスは実に深い歴史を持ち興味深い国であると思う。私はイギリスの文化や国民性についていくつかのイメージを持っている。それらのイメージが果たして本当なのか?ということを今回のレポートで検証してみようと思う。 ~私が考えるイギリス~ 1.イギリス人はお茶を愛している。 2.イギリス人は紳士である。 3.イギリス人は討論が得意である。 4.イギリス人はプライドが高いので謝らない。 5.イギリスは質素でイギリス料理は美味しくない。 6.イギリス人は傘を差さない。 まず、これらが私が持っていたイメージである。これらのイメージの真偽を調べるために、調査には私のイギリス人の友人にも協力をしてもらった。 イメージ1について。 本当である.        昔から『お茶を飲む』ということはリラックスしたり友人とのコミュニケーションの時間ということで大切にされてきた。午後4時がお茶の時間であり、その名の通り、『アフタヌーン・ティー』である。この名前は日本にも浸透していて、カフェなどでは紅茶とお菓子という組み合わせのメニューとなっているのをよく見かける。しかし、伝統的なイギリスの『アフタヌーン・ティー』は、サンドウィッチやスコーン、ケーキなどの3コースから成る、ボリュームたっぷりのメニューである。イギリス人はお茶が大好きで、かつてロンドンのオフィスでは、『ティーレディー』と呼ばれるお茶を入れてくれる専門の女性を会社で雇っていた。しかし最近では仕事の手を止めてまでお茶の時間を取ることがなくなってきたそうである。それに伴い、ロンドンでは街中で紅茶をのめるティールームがなかなか見当たらないという。その代わりに日本の様にたくさんのカフェができていて、コーヒーが主流になりつつあり、若者がカフェやレストランでお茶を頼むのではなく、おしゃれ感覚でトレンディなミネラルウォーターなどを注文しているという。しかし、それでも田舎に行くとまだお茶の時間を取るところがあり、のんびりとお茶の時間を楽しむ光景が見られる。そしてドライバーや公務員、商売をしている人などいろいろな人がティーバッグやお湯で溶かすだけのインスタントティーであっても、仕事場でお茶をのんで休むという習慣をまだしっかりと持っている。忙しくせわしない日本にいる私はこの様な習慣をうらやましく思う。 イメージ2について. どちらとも言えない。 私たちはなぜか幼い頃から『イギリス人=紳士』というイメージがあるが、このイメージと現代の若者の間には大きなギャップがあるという。ロックバンドの影響もあるのか、若者の中には『All English gentlemen are dead (英国紳士は絶滅した)』と、冗談まじりに言う者もいる。彼らは『紳士でいること』は、『時代遅れ』だと思っている。私たちが考えるイギリスの紳士の服装は、背広にシルクハットに葉巻パイプにステッキといった感じである。しかし、これは日本に例えるとサムライや将軍の格好をした人々が見られないのと同じように『紳士風』に固めた服装の人は現代のイギリスの街中では見られないという。しかし、個々の英国紳士ファッションというものは人気があり、日本で背広の語源となったSaville Rowという通りには、今も高級紳士服のテーラーが立ち並び、ファッションにうるさい男性の間ではここでスーツを仕立てることがステータスのひとつとなっているそうだ。また、かちっとしたイギリス紳士靴は定評があり日本でも人気があり『John Lobb』や『Tric
  • レポート イギリス 文化 お茶 アフタヌーンティー
  • 550 販売中 2008/01/07
  • 閲覧(9,493)
  • 朝鮮の歴史と文化
  • 朝鮮の歴史と文化 関東大震災  1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。相模湾を震源地とする大地震の襲来であり、相模湾の南西部の深さ1300mの海底が、長さ24km、幅2kmから5.5kmにわったて陥没した。反動で相模湾の北東部では海底が100m以上も隆起した。相模湾に沿ったところでは、列車の転落など地震の直接被害が大きかった。小田原では崖は崩れ、橋は落ち、建物は崩壊し、多くの市民が亡くなった。地震直後、東京ではたちまちにして火事が起こった。人家の密集していた東京の震災被害は、震源に近い相模湾沿いの地域に比べて火災被害によるものが圧倒的に多かった。東京において全死亡者のおよそ85%が焼死であった。 関東大震災時における日本の朝鮮政策  震災の混乱の中で、朝鮮人による暴動が起こっているという流言が人々に広まった。流言が簡単に信じられた最大の理由は、多くの日本人が、非常の場合など何かあったときには朝鮮人が襲ってくるかもしれないと恐れていたからである。日本人は、官憲も民衆も、朝鮮人に襲われるかもしれないと思うほど、強く恨まれていると確信していた。そのように確信するには理由があるが、その理由は朝鮮人の側にあるのではなく、日本政府の朝鮮政策にあった。朝鮮を植民地にしてから、1910年より1918年にかけ、日本政府は、朝鮮においては近代的な土地所有権制度が確立していないとの理由から、大規模な土地調査を行った。その調査によって土地所有権を確認しようとしたのであるが、真の目的は違うところにあった。調査は土地の利用者に所有権を届け出させるものであった。届出がなかったり、所有権があいまいであった土地は、指導や仲裁をして実際の耕作者の権利関係をはっきりさせたのであれば、それなりに土地制度の近代化に役に立ったのであろう。しかし日本政府は、届出のなかった広大な土地を所有権者がいないものとして朝鮮人耕作者から強権的に取り上げてしまった。ここに土地調査の真の目的があったのである。識字率の低かった朝鮮にあっては、多くの朝鮮人耕作者には、所有権の意味、届出や、まして届出しなかったことによる効果の意味がわからなかった。そのため届出がなされなかった土地が多かった。これを利用したのだ。届出がなかった土地は、所有権者がいない土地とされ、詐欺的に耕作者などから取り上げられ、日本関係の土地とされた。それはそれまでの朝鮮における土地利用の慣行をまったく無視したものだった。  土地を奪われた朝鮮人は、働く手段を奪われたのである。彼らは土地を離れて、生活のための職を求め、北部の者は主に満州へ流れ、南部の者は日本に入ってきた。土地を奪われた者は、土地調査の意味がよくわからない、文字の書けない下層農民がほとんどであった。したがって日本に流入してきた朝鮮人の大半は、流入の経緯からして、下層の識字できない者が多かった。そのような経緯で来日した朝鮮人は、知らないうちに土地を奪われ土地から離され、異国である日本に来て、そこで激しい民族差別、同時に貧困による差別を受けたのであり、日本を恨まないはずがない。程度の差はあれ、日本に対して何らかの恨みを持っている、と多くの日本人、特に支配層の日本人が考えていた。 埼玉県における朝鮮人虐殺  <大里郡熊谷町を中心に>  埼玉県大里郡熊谷町、現在の熊谷市は関東平野の北部寄り、秩父山塊に源流を持つ荒川の中流域に位置している。震災による、埼玉県における建物被害は全壊4562戸、半壊4348戸である。埼玉県でも県南部の被害はかなりのものになっていたが
  • レポート 史学 関東大震災 朝鮮人虐殺 朝鮮人の歴史
  • 550 販売中 2006/12/30
  • 閲覧(2,712)
  • 文化人類学
  •  人間社会において子供の誕生というものはどのようなものなのか。子供は生まれると同時に生まれた場所の文化に組み込まれ、そこの文化体系によって発育されていく。文化はそれぞれの国や地域により異なっていて、子供の誕生に対する考え方もさまざまである。    今回このレポートでは、サモアと韓国の社会を例に挙げ、この二つの社会における子供の誕生に対する考え方の相違を述べていく。 まずサモアにおいてだが、サモアでは初めて夫婦間に子供が生まれると初子誕生祝いが行われる。これは父親の家族と母親の家族の間で、結婚式で行った交換を小型にした交換を行うものである。この交換で男方からは現金が贈られ、女方からは細編みゴザや
  • レポート 文化人類学 サモア 韓国
  • 550 販売中 2007/01/07
  • 閲覧(4,963)
  • 文明と文化のバランス
  •  人の自然との関わり方は2種類ある。文化と文明という二つである。この二つは前者は自然に向かい合い自然の脅威に晒されながらも自然に聞き従おうとする態度、である。簡単に言うと自然と共に生きていく、共存しながら生きていくということである。もうひとつ、後者は自然から逃避しながら生きてゆくことである。なぜ文明が自然からの逃避になるかというと、文明が自然の持つ原理をおしつけ、捻じ曲げて人間の都合に従わせるものだからだ。たとえばヒーター、クーラーなんかは文明の利器として上げられる。夏は暑く冬は寒いという自然の原理を押し付け、捻じ曲げて夏は涼しく、冬は暖かくしている。これは自然からの逃避といえるだろう。文化と文明、人間はほかの動物と違って生まれ持ったものだけでは生きてゆくことができないからやはり文明は必要であると思う。しかし現代では文化と文明のバランスがとても崩れているように感じる。文明に偏りすぎているのだ。言い換えると人間が文明に頼りすぎであると思われる。
  • レポート 文明 文化 倫理
  • 550 販売中 2006/07/27
  • 閲覧(1,992)
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