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連関資料 :: 文化

資料:499件

  • 文化交流論(歴史)
  •  人類史上において、情報伝達、コミュケーションの発達には目覚しいものがある。  400万年前、人類はアフリカから世界中に広がり、紀元前7000頃から農業が始まり、紀元前3000頃から都市革命によって文明が形成され始める。紀元前3000頃になるとメソポタミアの川口地域に青銅器を用いてシュメール人が文明をきづきはじめた。  文字の歴史は、粘土がつくり出した都市「メソポタミア」からは粘土に書かれた楔形文字、石才の豊かなエジプトでは石に碑文刻まれただけではなく、パピルスから作られた筆記の材料に神聖文字や民衆文字が記されている。メソポタミア、エジプトの両文明の影響を受けて紀元前20世紀頃から栄えていたクレタ文明、トロヤ文明が衰えると、クレタ人の変わりに地中海の商業覇権を握ったのはフェニキア人だった。彼らはメソポタミア、エジプトの先進文明を地中海各地に伝えたが、エジプトの象形文字から工夫して作り出したアルファベットを用いて、22の子音からなる便利な文字を作った。その後アルファベットに母音が加えられてギリシャ文字となり、ローマに伝えられて西ヨーロッパ諸文字のもととなった。ギリシャ文字も後に東ヨーロッパに伝えられてスラブ諸文字のもとになっている。フェニキア人がつくり出した新しい文字は、その便利さから世界中に広まった。  彼らは、海岸の石英の白砂を原料とするガラス、ミュレックスという小さな貝から作られる染料を用いた染色などの工業も発展させ、山からレバノン杉という良質の木を切り出して船を作り、オリエントと地中海諸地域を結ぶ海外交渉に乗り出した。アルファベットは文字数が少なくて覚えやすく、交渉に利用するのに便利だったため、広い地域に広がったといわれる。
  • レポート 史学 文字 新聞 印刷 コミュニケーション
  • 550 販売中 2006/01/09
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  • 化政文化の歌舞伎
  • 序文  文化・文政年間以降の江戸時代は、最も歌舞伎がブームとなった時代である。「和事」「荒事」の演出様式が誕生した元禄歌舞伎から時を経て、作品の傾向も変化していく。  この時代を象徴した作者には、四代目鶴屋南北(一七五五〜一八二九)、河竹黙阿弥(一八一九〜一八九三)がいる。彼らの作品を紹介しながらこの時代の歌舞伎の特徴を述べて みることにする。 南北  黙阿弥より先に生まれた南北は、四十六歳の時に脚本家として脚光を浴びるのだが、傑作の多い彼の作品の中で、今日でも特に有名なのが『東海道四谷怪談』(一八二五)である。  塩冶浪人伊右衛門が私欲に走り、邪魔になった妻お岩を殺して死骸を川に流したが、その亡霊に悩まされて自滅する、というご存知幽霊物の話である。夏のお化け屋敷には、今でもお岩を真似た幽霊があるほど知られた話であるが、ただ幽霊を用いた話が暑い夏に涼しさを与えたから大ヒットとなっただけではなかったのである。  初演は文政八年(一八二五)、この時時代物として大御所の『忠臣蔵』の作品と『東海道四谷怪談』は話を同時進行で交互に上演され、武士の仇討ちとお岩の仇討ちを、南北は計算して対比している。『忠臣蔵』(一七四八)は『東海道四谷怪談』より七十七年も前に書かれた作品である。同じ江戸時代の作品とはいえ、書かれた時代背景はずいぶん変化しており、忠義の為の仇とお岩のそれが違うという部分を南北は印象つける為に、伊右衛門に「今自分親の敵もあんまり古風だ。よしにしやれョ」という台詞が幕府崩壊寸前ですでに武士道は古く、なんの役にも立たないという時代であると訴えているのである。場当たり主義の伊右衛門に当時の人間を諷刺し、武家出身で古風なお岩を世間が嘲笑しお岩の顔が崩れていく様を社会の現象として鋭く描いている。『忠臣蔵』のパロディという形としてより強調されている。
  • レポート 芸術学 南北 黙阿弥 四谷怪談 幽霊 白波五人男
  • 550 販売中 2005/11/18
  • 閲覧(6,691)
  • 渤海文化の特色
  •  渤海は、高句麗滅亡後に遺民が建てた国で、今から1300年前の698年、今の中国東北部とロシアと北朝鮮にまたがる地域に成立した古代王朝国家である。この国は以後200年余の間、日本と同じように唐から政治、文化、仏教を取り入れ、平和な文化国家として栄え続けた。 日本で言えば、ちょうど奈良時代から平安時代前期に当たる時代である。  外交で言えば、唐に対しても何度となく使者を送り、それに付随して留学生を唐へ送り文化を吸収させ、持ち帰らせた。この事より渤海の上層部は儒教的な教養を元に国政に当たったと思われる。  また、日本海をへだてた隣国である日本に友好を求めて727年から919年までの約200年間に公式の使節だけでも34回も派遣してきた。この派遣は、平均すると5.6年に1回の割合となる。渤海からの遣日使は形式的に日本への朝貢とされていたため日本側は渤海側の使者を大いに歓待をしており、この財政的負担がふくらんだために後期では12年に1回と回数の制限も行われている。日本も、親善使節や渤海使を送って行く送使として15回も使節を派遣して親善を深めた。この交流の歴史はあまり知られていないが、日本古代において長く、濃密に展開された国際交流であった。  渤海が日本との交流を求めた当初の理由は、新羅に対する軍事同盟の形成だった。しかし交流が緊密化するにつれ、その目的は儀礼的・商業的な意味合いが強くなっていった交易中心に変わってゆく。
  • レポート 史学 渤海 日本 韓国の歴史
  • 550 販売中 2005/11/22
  • 閲覧(2,015)
  • 私の異文化体験
  •  日常生活の中で、自分と異なるグループ(異なる性別、年齢、民族等)に属する人々と接する機会は多々あるが、私の場合国内から外に出る機会はほぼ無いと言えるので、先にあげた「民族」間の異文化を感じる機会は今まであまり無い。中学や高校・大学で多くの留学生が同じ環境にいる事は確かであったが、直接的な接点を持つ友人がいるわけではなく、民族に関しては同じカテゴリーである「日本人(しかも関東人)」としか関わりが無かった。  そんな生活の中で、まず最初の「異文化体験」は関西人の友人が出来た事であった。ちょっとした事から意気投合し、一緒に過ごす時間が次第に増えると、同じ国内でも東と西でこんなにも物の捉え方が違うものかと驚かされた。出身だけでなく、性別も年齢も違った事がまた一つ原因でもあるのかもしれないが、彼から見た「東」は「冷たくて真面目一徹・お互いに本性は見せない」世界らしかった。  生まれて今まで関東で過ごしてきた私は特にそんな事を感じる事も無く、大袈裟だ位に捉えていたが、彼とのやりとりの中で次第に私も「東と西」の違いに気付き始めた。  彼が一つとしてあげた「本性は見せない関東人」に対して、どうやら関西の人は「お互いをぶつけ合って理解を深める」ようだった。知らぬが仏・うそも方便と言った考え方はあまり無い様で、生活の中で感じた多くのことを「言葉」にして発信していた。それが、「余計なお節介・無遠慮」と捉えるか「腹を割って誰とでも話せる・相手の為に言える人間」と解釈するかの違いが、東と西の違いである様だ。  もちろんどちらも決して悪気は無くて、生活環境の中で身に付いた言動なのだろう、と冷静に分析しなければ互いにカチンときても当然であるほど、これはカルチャーショックであった。
  • レポート 国際関係学 異文化 コミュニーケーション 関西人 東京人 関東
  • 550 販売中 2005/12/01
  • 閲覧(11,311)
  • 図書館における多文化サービスについて
  • 1、はじめに  日本における図書館は、国家の歴史的事業を保管するための文書の記録館として捉えられてきた。これは古代中国の考え方をそのまま真似たものであった。しかし戦後、アメリカ式図書館法が導入され、日本でもようやく図書館は〈市民のための施設〉と定義づけられるようになる。今日の公共図書館は「利用者を中心とした動的な知識の集合体で、その存在と発展は母体機構の制約と影響を受ける」ものである。(1)つまり今日の日本の図書館は利用者の知的要求に対し、その要求に応えることで発展してきたのだ。  しかし近年、外国人労働者の増加により、日本でもその母体機構が多様になってきている。それに伴い、図書館では他文化サービスという新しいサービスを受け入れ始めた。そこで、各国の多文化サービスが現在抱えている問題点を通し、日本における多文化サービスのあり方について考えてみる。 2、アメリカ・カナダ・ドイツにおける多文化サービスの問題と対策  「多文化サービスと一口に言っても、その民族的構成や各マイノリティの背景、彼らへの対応は国や時代により、かなり異なるものである」と安部氏が指摘しているように、(2)抱えている問題は各国により様々である。もともと多文化サービスを開始したのは欧米の図書館であった。彼らはどのように問題を打破していったのだろうか。ここでは、アメリカ・カナダ・ドイツの例をみていきたい。 (1)図書館側の問題点 ?予算不足  まず一番大きな問題は、外国語で書かれた図書を買うための十分な資金が確保できないことにある。これは、行政機関が図書館サービスの現状を把握していないことによる。 ?人材不足  近年、外国人労働者や難民を受け入れ始めた欧米諸国の図書館では、慢性的な司書不足に悩まされているが、わが国ほどは人材不足に悩んでいない。
  • レポート 多文化 多言語 図書館 東京都
  • 550 販売中 2005/12/04
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  • 医療における文化人類学
  •  医療における文化人類学 ①ナチュラリスティックな民族医療  ナチュラリスティックな民族医療体系とは、病気の原因を非人格化し、体内の要素を平衡的なものとしてモデル化することである。身体の中の非生命的な要素がおのおのにふさわしいバランスにあるとき、健康であるとされる。逆に、そのバランスが崩されたとき、つまり平衡が乱されたときが病気にかかっているということである。 地域やそこに根ざす伝統によって、ナチュラリスティックはいくつかの形を持つ。古代ギリシャではヒポクラテスによって四つの体液という概念がもたらされた。これを体液病理学と呼ぶ。すなわち、人間の身体の中には血液・粘液・黒胆汁・黄胆汁の四種類の体液が存在しており、それぞれ、血液は熱と湿、粘液は冷と湿、黒胆汁は冷と乾、黄胆汁は熱と乾の性質を持っている。それを春夏秋冬の四つの季節に当てはめてバランスを考えたり、その人の性質を定めたりしていたようだ。この考え方はやがてアラブ世界へ、更にスペインを経由してラテンアメリカや東南アジアなどへ広がった。 インドではアユルベーダ医学という伝統的医学が存在する。食物を暖かい性質を持つものと冷たい性質を持つものとに分類し、それによって体内の要素のバランスを量る、というものだ。体内のそれらのバランスが崩れたときには、正しい組み合わせで食物を摂ることによって、もとの正しいバランスに戻すことが出来るとされている。アユルベーダによると、身体中にはドーシャという三つの体液、すなわち粘液・胆汁・風素(あるいは空虚)があり、これらが正しく均衡を保っているときが健康な状態である。また、ギリシャの体液病理学と同じく三つのドーシャもまた季節などに関係する性質を持っているとされる。 中国には漢方という独自の医学がある。これは医食同源、つまり食習慣そのものを医療として取り込むもので、体内において欠乏した要素を体外から食という形で摂取することによって病を治すという考えだ。この、「要素」という概念には古代より中国にあった陰陽思想によるものである。宇宙の全てはこの陰と陽に収束されるため、無数の性質を付与することが出来る。よって病の原因も突き詰めればこの陰と陽のバランスに行き着くわけである。体外の力によって引き起こされるのが陽の、体内の力が元になって起こるのが陰の病気であるが、陰と陽は常に表裏一体であるので、両方の要素の合体産物でないものは存在しない。病気や現象であっても例外は無いのである。 このように、一口にナチュラリスティックな医療体系といっても、伝統や文化によってその形態は様々である。また単一の社会においてナチュラリスティックとパーソナリスティック(病気の原因を生命のある作用体の干渉によるものとする考え方)がともに存在することも珍しくないが、それらは相互に排他的なものではない。多くの社会がナチュラリスティック・パーソナリスティック両方の考えを持つことがわかっている。現代医学の基になった、あるいは現在でも多く使用されているということもあり、近代的医学を併せて考えるにしても、「原始的」という言葉で切り捨てることは難しいのである。 ②精神病 精神病には様々な種類があり、またそれに対する方法も数多くある。『水中毒』という精神病があるが、これは薬物医療を受けている長期入院患者によくみられるものだ。これに陥った患者の体調をコントロールするために、飲水を制限したり保護汁に入れて抑制したりするのだが、ここにはどうしても表向きの意味合いとは別に、患者に対する『罰』的な意図がこめられることになる。また患者側も、『罰
  • レポート 医・薬学 人類学 民族医療 精神病
  • 550 販売中 2006/11/24
  • 閲覧(5,310)
  • 文化との出会い(ドイツ)
  • Ⅰ.はじめに  私はドイツに関する授業を受け、国旗について調べてみたいと思う。ドイツ国旗は年代によって変化してくるが、一定の傾向がるようにみえる。その国の象徴である国旗から何が読み取れるのかを考察したいと思う。 Ⅱ.国旗について  旗の始まりは定かではないが、一説によると紀元前34世紀の古代エジプトでは“聖なるシンボルの標識”として用いられていたという。現在のような1枚の布を竿に結びつける形式は今から約3000年前の古代中国で始まったものといわれている。  それぞれの国を象徴する国旗だが、国によって大きさはまちまちで、色も色彩標準規格で厳密に定めている国もあれば、漠然とした語で定めている国もある。 Ⅲ.心理的効果から考える解釈  ドイツの国旗は上から「黒」「赤」「黄(金)」の3色からできている。その3色が意味する主な心理的効果は以下の通りになる。 ■黒⇒不安・不気味・死・陰気 ■赤⇒情熱・興奮・危険・暑い ■黄⇒明朗・快活・躍動 Ⅳ.国や民族から考える色の解釈  旗の色の象徴的意味は国や民族によって違ってくる。その他、時代や政治的背景によっても大きく異なる。主な意味は以下の通りになる。
  • レポート ドイツ 国旗 異文化
  • 550 販売中 2007/09/12
  • 閲覧(1,630)
  • 朝鮮と日本の文化の比較
  • 私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較・対照する。それは日本の文化は、大和政権のときに朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからである。しかし実際のところ似た点も確かに見つかるのだが、相違点の方が多く見つかっている。これから、朝鮮と日本の文化の違いを講義で取り上げた中から私が興味を持ったものでレポートしていく。 ①天文台と占星台 まず、「慶州の瞻星台(チョムソンデ)」と日本最古の天文台の「占星台」を比較する。瞻星台は現存する世界最古の天文台であり、647年に建立される(建立時代には諸説ある)高さは9.1メートルの石造建築物であり、新羅時代の天体観測の中心であったことは言うまでもない。また私はこの建造物が占星に使われていたとも推測する。なぜならこのころ陰陽五行説が朝鮮に伝わっており、天の運行を見て、地の作物等の生産計画を立てていたのと、王が天命を伺うための手段であり、その占儀は一大国家行事であった。天体そのものを見るのではなく、むしろ占うために天を見ていたと思われる。また675年には日本で占星台が建てられる。このころの日本は遣唐使が盛んに往来しており、天文台や陰陽五行が伝わった。占星台は天武天皇が建て、そこで占ったことが記録に残っている。これが朝鮮と日本の同じ点である。だがやはり違った点もある。それは何で作られているかだ。瞻星台は石で作られていて、占星台は予測の範囲内だが多分木造であったと思う。もちろん日本にはそれ以前から石で作られた物はあった。例えば蘇我馬子が眠る石舞台古墳や、寺社に奉納された小さな石塔などだ。しかしどちらも瞻星台のような本格的な加工ではなく、ただ石を運んだだけや、少し削って加工する程度である。天文台の技術が伝わったなら石でそれを作ってもよかったのでは無いか?不可能だった理由は二点挙げられる。一つめはただ単に日本の技術が遅れていたのだと思う。このころは中国・朝鮮から伝わる技術にほとんど頼っていた。石工の技術も入ってきただろうが、まだ加工しやすい木で作ったのと考えられる。二つめとして日本には木材資源がたくさんあったので、数少ない石よりも木を使ったのだと思う。また調べてみたら、日本最古の石造建築物は安土桃山時代に作られた大宮橋ということが判明した。やはり占星台は木造であろう。 ②仏国寺と石窟庵、法隆寺と奈良の大仏 同じことが仏国寺にもいえる。仏国寺とはまさしく石を前面に出した作りである寺であり、まさしく石の芸術と言っても過言ではない。境内は石の階段や石塔で目につく。また石窟庵とは、仏国寺の近くにある釈迦如来像が安置されている場所で、世界文化遺産にも登録されている。また石窟庵の本尊の如来像も、白御影石をそのまま掘って作り上げるという手法は日本では滅多に見られない。それに加え、そのまわりにある仏像も既存の花崗岩を掘って作ってあるという。このころの朝鮮は石工の技術がある程度発展していたのであろう。それに対して当時の日本は、寺というと法隆寺を代表とした木造である。石を使っていると言えば石畳ぐらいか。まさしく豊富な木材資源を有効活用した日本ならではの建築方法である。また、仏像は木造もしくは金属製である。かの有名な奈良の大仏(廬舎那大仏)も型を作って金属を流し込む金剛仏である。これは渡来人がもたらした高い精錬術が織りなすものである。仏国寺と法隆寺、石窟庵と奈良の大仏、石と木の対比ができる。 ここで渡来人の話だが、なぜ精錬術と一緒に石
  • レポート 国際関係学 韓国 朝鮮 日本 仏国寺 李朝活字
  • 550 販売中 2007/11/14
  • 閲覧(4,343) 1
  • 文化理解(西欧)
  • 『EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。もっとも基本的な発現状況を要約して述べよ。』 EU(ヨーロッパ連合)は、その前身であるEC(ヨーロッパ共同体)を母体として、1993年11月1日の「欧州連合を設立する条約」(マーストリヒト条約)の発効によって設立された。現在は27カ国がEUに加盟しており、EUの裁判所、文化、議会事務局などの拠点はベネルクスの3国に置かれている。 EUの最も重要な目的としては、平和の維持・確立といった現実的な要請が挙げられている。EUを不戦共同体として、ヨーロッパに平和を実現することは、国民一人ひとりの願いである。これは古来よりヨーロッパでは戦火が耐えなかったことを考えれば容易に理解できることであろう。ヨーロッパでの平和論の興隆は、30年戦争が勃発していた16世紀ごろにすでに見られる。そして、ブルボン家のアンリ4世の宰相シェリー公爵が唱えた「グランド・デザイン(大計画)」は後世に影響力を残したのだ。その後、国際舞台で平和の実現のために統合の必要性が認識されたのは、特に第1次世界大戦と第2次世界大戦によってである
  • 異文化理解 佛大 EU EU統合 ヨーロッパ 英文科 英語 英米
  • 550 販売中 2008/06/30
  • 閲覧(2,334)
  • 朝鮮と日本の文化の比較
  • 私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較照する。それは日本の文化は、大和政のときに朝鮮半島から渡ってきた渡人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからである。しかし際のところ似た点も確かに見つかるのだが、相違点の方が多く見つかっている。これから、朝鮮と日本の文化の違いを講義で取り上げた中から私が興味を持ったものでレポトしていく。 ①天文台と占星台 まず、「慶州の瞻星台(チョムソンデ)」と日本最古の天文台の「占星台」を比較する。瞻星台は現存する世界最古の天文台であり、647年に建立される(建立時代には諸ある)高さは9.1メトルの石造建築物であり、新羅時代の天測の中心であったことは言うまでもない。また私はこの建造物が占星に使われていたとも推測する。なぜならこのころ陰陽五行が朝鮮にわっており、天の運行を見て、地の作物等の生産計を立てていたのと、王が天命を伺うための手段であり、その占儀は一大家行事であった。天そのものを見るのではなく、むしろ占うために天を見ていたと思われる。
  • 朝鮮 文化 日本 天文台 占星台 仏国寺 石窟庵 李朝活字 法隆寺 駿河版銅活字
  • 550 販売中 2007/12/17
  • 閲覧(3,254)
  • 文化コミュニケーション概論
  • H27〜28年度 日大通信 「異文化コミュニケーション概論」の一発合格レポートです。 教科書の内容を無難にまとめてあります。 汎用性が高く参考にしやすいと思います。 丸写しはご遠慮ください。 レポート作成の参考にしていただければと思います。 Exploring Hidden Culture 日本とアメリカ―深層文化へのアプローチ 単行本 – 2001/7 金星堂 Paul Stapleton (著), 伊藤 章 (編集)
  • 日大 通信 教職 日本大学 英文
  • 550 販売中 2016/10/24
  • 閲覧(2,068)
  • イメージと文化 テスト まとめ
  • イメージと文化 テストまとめ メディアリテラシーとは何か メディアリテラシーとはメディアがどのように機能し、どのようにして意味をつくりだし、どのように組織化されており、どのようにして現実を構成するかについて、子供たちの理解と学習の楽しみを育成するもので行う教育である。 メディアリテラシーとはメディアがおくりだす情報を単に受信するのではなく、意図をもって構成されたものとして、積極的に読み解く力を養うことである。 ワンクッションおいて批判的に考える。 ステレオタイプとは何か ステレオタイプとは印刷に使用される鉛板のことをいい、ステレオ板とも呼ばれるが、同じ活字面を繰り返し印刷できることから、決まりきった表現や行動様式のことを意味する慣用句となった。 ステレオタイプは、物語やフィクションなどで造形される人物像にその典型的な形がみられる。勧善懲悪では、善役はいかにも善役らしい姿や言動があり、他方、悪役には悪役らしい姿や言語で表現される。 エイゼンシュテインの「衝突のモンタージュ」とはなにか 衝突のモンタージュと呼ばれるように、衝突もしくは対立・対照のコンセプトを画面接続・画面構成を基本としてい
  • 情報 文化 メディア 映画 言語 問題 広告 知覚 神話 イメージと文化
  • 550 販売中 2009/07/22
  • 閲覧(2,121)
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