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		<title>タグ“地理歴史科”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E5%9C%B0%E7%90%86%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%A7%91/</link>
		<description>タグ“地理歴史科”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[日大通信 宗教学基礎購読 合格レポート 分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152092/]]></link>
			<author><![CDATA[ by UVmoisture]]></author>
			<category><![CDATA[UVmoistureの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Sep 2023 16:24:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152092/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152092/" target="_blank"><img src="/docs/922016880007@hc21/152092/thmb.jpg?s=s&r=1695108240&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 宗教学基礎購読の合格レポートです。
あくまで参考程度としてご利用ください。
（丸写しはバレますので、ご注意ください。）

科目コード：P30100

宗教学基礎購読 分冊2
教材の「廃仏毀釈」から「むすび」までをまと[314]<br />教材の「廃仏毀釈」から「むすび」までをまとめ、近現代日本の宗教がかかえた課題について記しなさい。
徳川幕府・江戸時代の長い歴史を支えたものは、鎌倉時代より続く封建制度にほかならない。朱子学を官学とし、士農工商のような身分の上下によって人間の尊卑を分かち、権威と服従によって社会の秩序を保っていた。封建社会の精神的支柱を、儒教は担っていたのである。
しかし、さらなる制度の強化・維持のためには、他の宗教の支えも必要であった。幕府は儒教と同じく、仏教にも国教的地位を与えた。これは封建政治を押し進めるための、いわば見返りともいえる保護利用政策であった。寺請や宗旨人別帳の制度を作るために仏教寺院が必要だったのである。仏教は幕府の御用機関となることで教線の拡大を図ったが、内実は形骸化・因襲化の一途を辿り、僧侶の腐敗堕落へと繋がっていった。
このような仏教界に対し、神道、儒教側から非難の声が上がった。思想的批判の域にとどまらず、寺院は民を惑わすのみで国家にとって無用の長物だ、というような政治的経済的立場からの攻撃も現れ始めた。僧侶の淘汰や寺院の廃合を行い、仏葬から儒葬、神葬へ切り替える藩も多かった。廃..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信 宗教学基礎購読 合格レポート 分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152091/]]></link>
			<author><![CDATA[ by UVmoisture]]></author>
			<category><![CDATA[UVmoistureの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Sep 2023 16:23:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152091/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152091/" target="_blank"><img src="/docs/922016880007@hc21/152091/thmb.jpg?s=s&r=1695108239&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 宗教学基礎購読の合格レポートです。
あくまで参考程度としてご利用ください。
（丸写しはバレますので、ご注意ください。）

科目コード：P30100

宗教学基礎購読 分冊1
教材の「近代との対決」から「現状と課題」ま[314]<br />教材の「近代との対決」から「現状と課題」までをまとめ、西欧近代キリスト教の変容とそのかかえた課題についてどのようにとらえたかを記しなさい
ルターから始まりヨーロッパ各地で起こった宗教改革、十八世紀の啓蒙主義による世俗化は、生活の各分野に浸透していた宗教の影響を後退させた。社会的に、信仰上の寛容による政教の分離が表面化し、国家が特定の宗教集団に特権を付与したり、処罰を課したりしてはいけないという考え方が芽生えた。それは、教会と国家の本質についての新しい理解である。教会は信徒の自由意思に基づく宗教目的のための任意結社であり、国家は生命財産の保護など現実的な目的のための機構という截然とした区別がなされた。この信教自由の原則は、近代社会を特徴づける重要な展開であった。しかし、中世を経て多少ともキリスト教的文化の影響を受けた西欧文化圏においては、政教分離や国家・社会の世俗化も完全に行われている訳ではなく、国教的な形態を保っている国が今日も存在する。
思想・文化の面においても、非キリスト教化の傾向にあった。啓蒙思想期からの寛容の増大によって、教説に対する自由な批判や攻撃が可能となった。このような展..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信 史学概論 合格レポート 課題2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152090/]]></link>
			<author><![CDATA[ by UVmoisture]]></author>
			<category><![CDATA[UVmoistureの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Sep 2023 15:44:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152090/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152090/" target="_blank"><img src="/docs/922016880007@hc21/152090/thmb.jpg?s=s&r=1695105882&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 史学概論の合格レポートです。
あくまで参考程度としてご利用ください。
（丸写しはバレますので、ご注意ください。）

科目コード：Q30100

「歴史的に考える」とはどのように実践されるものか。
①初等・中等教育での[318]<br />「歴史的に考える」とはどのように実践されるものか。
①初等・中等教育での「歴史」の扱われ方、
②大学での「歴史」の扱われ方、
③日常生活での「歴史」の扱われ方
の三つの観点で整理し、論述しなさい（1600～2000字）。
なお①②③をバランスよく記述してください。
「歴史的に考える」ことは、学校教育や普段の日常の中に多く存在する。初等・中等教育、大学、日常生活の三つの観点から、どのように実践されるのか論ずる。
初等・中等教育において「歴史的に考える」とは、「歴史」のバイアスに自覚的になることである。
小・中・高校の授業は、受験対策として教科書の内容をまんべんなく教え、学力を定着させることであり、「正解」に効率よく辿りつくことを学ぶ。よって、教科書をバイアスのかかった「歴史」として学ぶことは忌避されてしまう。
しかし、小・中・高校では、歴史的な見方・考え方を働かせて授業を展開する、課題を設定し追及する、などを学習指導要領に取り入れており、教えている。グループになって教科書や資料集の記述をもとに予想し発表する活動などで、「歴史的に考える」授業をしているのだ。その際の教師の授業意図は、「歴史..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信 史学概論 合格レポート 課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152089/]]></link>
			<author><![CDATA[ by UVmoisture]]></author>
			<category><![CDATA[UVmoistureの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Sep 2023 15:44:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152089/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152089/" target="_blank"><img src="/docs/922016880007@hc21/152089/thmb.jpg?s=s&r=1695105882&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 史学概論の合格レポートです。
あくまで参考程度としてご利用ください。
（丸写しはバレますので、ご注意ください。）

科目コード：Q30100

史学概論 課題1
歴史学を扱う者が歴史像をつくりあげるためには、
①「[310]<br />歴史学を扱う者が歴史像をつくりあげるためには、
①「史料のあり方」
②「歴史の意味づけ」
③「歴史の見方」
に留意する必要がある。それはどういうことか、それぞれについて具体例を示しながら論述しなさい（1600～2000字）。
なお①②③をバランスよく記述してください。
歴史学を扱う者が歴史像をつくりあげるために留意する「史料のあり方」「歴史の意味づけ」「歴史の見方」の三つについて、それぞれ論じる。
歴史は史料に基づかなければ書くことが出来ないが、すべてのことが史料に残されてはいない。史料から読み取れること以外のより細かな事柄は、他の資料と合わせて確認する必要がある。例えば、十八世紀のハンガリーで行われた魔女裁判の史料は、この時代の数限りなく行われた裁判記録の一つだが、この事件が無ければ記されなかった、事件の周りにあった事柄を浮かび上がらせることが出来る。しかしこの史料だけでは、登場人物の職業や村での作物の栽培状況といったことが分かるのみで、村人についての基本的なことは分からない。そのためもう一つ、村の納税帳簿を合わせて用いることで、村の全体像に近付くことが出来る。帳簿に女性名が載ってい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【最新2019～2022年度】日本大学通信 日本史概説 日本史概論 課題1,2（分冊1,2） 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139907/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大教職]]></author>
			<category><![CDATA[日大教職の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 07 Mar 2020 15:57:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139907/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139907/" target="_blank"><img src="/docs/925076427501@hc20/139907/thmb.jpg?s=s&r=1583564258&t=n" border="0"></a><br /><br />■日本大学通信教育部

・科目：日本史概説、日本史概論

・課題１：次の２問について、全て答えなさい
①１世紀から９世紀半における倭国と東アジア（特に中国王朝）との外交の経緯と特徴について説明しなさい。
＜ポイント＞画期となる出[336]<br />日本史概説 
・課題１：次の２問について、全て答えなさい 
①１世紀から９世紀半における倭国と東アジア（特に中国王朝）との外交の経
緯と特徴について説明しなさい。 
＜ポイント＞ 
・画期となる出来事を抜き出し、その前後の変化を捉えること。「どこで変わる
のか」「何が変わるのか」を意識。冊封関係を軸に捉える。 
＜キーワード＞冊封関係、倭五王、遣隋使、遣唐使 
＜参考文献＞『日本古代史』全６巻（岩波新書）、『日本中世史』全４巻（岩波
新書）、『日本古代の歴史』全６巻（吉川弘文館）、『日本中世の歴史』全７巻（吉
川弘文館） 
弥生時代には、水稲耕作、文化の輸入のほか多くの渡来人が列島に渡ったと
いう東アジア地域との交流や、物資の遠距離交易にみられる列島内での交流が
盛んになった。57 年には倭の奴国が朝貢して後漢の光武帝から印綬を授けられ
たことが、107 年には倭国王帥升らが後漢に生口を献上したことなどが『後漢
書』東夷伝に記されている。 
五世紀になると、中国は南北朝時代にあったが、倭国の王は、その南朝と宋
と交渉を持った。『宋書』倭国伝によれば、讃・珍・済・興・武の五人の王が、
宋の皇帝に朝貢の使者を出した。宋の皇帝からは倭王に中国の官爵を授け、倭
王は中国皇帝の臣下となるが、一方では倭国の王としての地位を皇帝から認め
られる、冊封体制を築いていった。 
南北朝時代では、特に中国北部において高句麗が領土を拡大しはじめた。高
句麗好太王碑によると、四世紀末から五世紀初頭には倭はしばしば朝鮮半島に
出兵し、高句麗とも戦っている。そのような中で、倭の五王は倭国内だけでな
く、朝鮮半島南部諸国に対する軍事権を含む官爵を宋王朝に要求している。つ
まり、倭の五王の宋への遣使は、高句麗に抵抗し、朝鮮半島における倭国の地
位を高める、という外交目的を持っていたことが言える。 
このような中で朝鮮半島から渡来人が倭に渡り、技術や文化などが伝えられ、
「仏教の導入」を始めとした大陸文化と在来文化の交わりによって新たな古代
文化が形成されていった。592 年に推古天皇が即位すると、仏教の保護を中心
に国家組織の形成を進めていった。しかし、朝廷の権威は弱かったため、国内
での影響力を維持するために隋との国交が必要となった。そのため、607 年に
遣隋使が派遣され、倭の五王時代とは異..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【最新2019～2022年度】日本大学通信 地誌学 地誌学概論 地理学概論 課題1,2（分冊1,2） 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139906/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大教職]]></author>
			<category><![CDATA[日大教職の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 07 Mar 2020 15:48:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139906/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139906/" target="_blank"><img src="/docs/925076427501@hc20/139906/thmb.jpg?s=s&r=1583563730&t=n" border="0"></a><br /><br />■日本大学通信教育部

・科目：地誌学、地誌学概論、地理学概論

・課題１：教科書で取り上げている明治期から大正期の日本人の海外移住については、多くの関連書籍が刊行されている。そこで、当時、ハワイを含む合衆国以外の国々へ向かった日系[344]<br />地誌学 
・課題１：教科書で取り上げている明治期から大正期の日本人の海外移住につ
いては、多くの関連書籍が刊行されている。そこで、当時、ハワイを含む合衆
国以外の国々へ向かった日系人移民に関して、移民先の国を任意に選び、教科
書と同じような視点でまとめること。（参考文献の複数の呈示と引用箇所の明示
は必須） 
＜ポイント＞ 
地元の近代史等の文献を見ると、じつはある国との深いつながりが、特定の個
人を軸にまとめられ、その交流が未だに継続していることに気づくこともある。
あるいは、移民史的に特定の人物を詳細に取り上げて、移民の実態が分かるよ
うな記述が好ましい。レポートの中にはなぜにその課題を選択したかに関して
も記述すること。 
ブラジルへの移民が開始されたのは 1908 年のことである。ブラジル政府から
日本人移民の実施を打診されたのを受けて、移民の送り出しを行っていた皇国
殖民会社が移民希望者を募った。その際にブラジルでの高待遇を喧伝しており、
移民のほとんどは数年間契約労働者として働き、金を貯めて帰国するつもりで
あったが、その実情は奴隷と大差ないものであった。 
今回、ブラジル移民の中でも平野運平と青木林蔵を取り上げて移民の環境変
化を論じたい。彼らは移民の労働環境の改善の鍵となる自立型農園への転換と
産業組合の組織化に取り組んだ人物であるため、その取り組みの前後を探るこ
とで、移民の実態を詳細に理解することができると考える。 
第一回移民では、日本人移民は６箇所の農場へ配置されることとなった。そ
れぞれには日本の外国語大学を出たばかりの日本の若者が通訳兼世話役として
付くことになり、平野はグアタバラ農場の担当となったが、日本人移民に待ち
受けていたのは農園での過酷な労働であった。異国の地での慣れない食居住環
境やコーヒーの不況による収入減などを要因とし、移民者は次々と逃げ出した。
日本公使館の調査によると、入耕して 6 ヶ月後には 772 人中 430 人が原契約農
場を去っていき、かくして第一回移民は失敗に終わった。 
移民の収入はコーヒーの採取高によって決まり、コーヒー樹の管理を請け負
って得られる賃金も加算される。高橋幸春によると「農場主は日本人移民に対
して一家族三人当たりコーヒー樹 3000 本から 4000 本を請け負わせた。報酬は
100..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【最新2019～2022年度】日本大学通信 人文地理学概論 課題1,2（分冊1,2） 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139905/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大教職]]></author>
			<category><![CDATA[日大教職の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 07 Mar 2020 15:44:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139905/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139905/" target="_blank"><img src="/docs/925076427501@hc20/139905/thmb.jpg?s=s&r=1583563494&t=n" border="0"></a><br /><br />■日本大学通信教育部

・科目：人文地理学概論

・課題１：日本における都市の特徴は「歴史的重層性」を有していることであるという。また、それゆえに現代において歴史的景観がみられる都市の保全をいかに行うべきかについて、法規制を含めて議[344]<br />人文地理学概論 
・課題１：日本における都市の特徴は「歴史的重層性」を有していることであ
るという。また、それゆえに現代において歴史的景観がみられる都市の保全を
いかに行うべきかについて、法規制を含めて議論されている。そこで、日本に
おける大都市の発展過程について整理するとともに、歴史的景観保持の施策・
方法について具体的事例（教科書以外の都市&lt;川越・鎌倉・鹿沼・横浜以外&gt;）
を挙げて説明しなさい。（教科書以外の参考文献を複数呈示することがレポート
の条件。ネット検索 NG） 
＜ポイント＞ 
１．近世都市が近代・現代における都市化の過程で、どのように展開してきた
か、またその都市中心地の変容等についてまとめること。 
２．近世以来の歴史的景観が保持されている都市に注目し、現在それがどのよ
うに保全されつつあるかについて整理すること。 
＜キーワード＞城下町・歴史的慣性・中心地の移動・歴史的風土保全・町並み
整備 
＜参考文献＞教科書章末文献リスト参照 
日本の都市の特徴は、過去の都市の位置と重複するように現代都市が形成さ
れる歴史的重層性を有する点にある。宿場町は中世の鎌倉街道に起源があるが、
江戸時代に入ると一般人の街道利用が増えたことから、幕府の統制のもとに計
画的な交通都市として造られることになる。現在の新宿も江戸期の宿場町を起
源とし、現存する太宗寺を中心とする「内藤新宿」として栄えた。幕府は内藤
新宿の開設から 20 年が経過した 1718 年に、風紀の悪化を理由に新宿を廃駅と
したが、1772 年には甲州街道の交通量増加に伴い、必要に迫られて宿駅開設の
許可を出した。1885 年には宿場町の中心部である追分に日本鉄道の新宿駅開設
が予定されたが、歴史的な中核であった追分地区が将来の商業中心になるとい
う見方から、そこから西に 100m 以上離れた位置に駅舎が完成した。その後、
大正末期には現在の三越や伊勢丹が追分の地に開店することになった。このよ
うに歴史的中心地は一旦位置が決定すると、新たな変容を引き起こす力が生じ
ても、容易にその位置は移動しない特徴、つまりは歴史的慣性を持っている。 
安土桃山時代になると、農村と都市の範囲が明確になり、計画的な市街地の
配置が行われるようになった。江戸の城下町では、江戸の市街地の拡大が渦巻
状に外方へ延伸する..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【最新2019～2022年度】日本大学通信 自然地理学概論 課題1,2（分冊1,2） 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139902/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大教職]]></author>
			<category><![CDATA[日大教職の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 07 Mar 2020 15:19:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139902/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139902/" target="_blank"><img src="/docs/925076427501@hc20/139902/thmb.jpg?s=s&r=1583561960&t=n" border="0"></a><br /><br />■日本大学通信教育部

・科目：自然地理学概論

・課題１：次の２題の設問すべてについて答えなさい
①氷河の作用によって形成される地形について事例をあげて説明しなさい
②気温を人間活動の環境としてみた場合の評価について事例をあげ[336]<br />自然地理学概論 
課題１ 
①氷河の作用によって形成される地形について事例をあげて説明しなさい 
＜ポイント＞物質の移動によってどのような氷河地形が形成されるか 
＜キーワード＞浸食作用、堆積作用 
＜参考文献＞教科書章末文献リストを参照 
氷河は水が流れる河川と異なり、一日に数十センチメートルから数十メート
ルというようなゆっくりとした速度で移動し、そのときに氷河の氷が岩盤を U
字形に削っていき、ケニヤ山を代表とする U 字谷を形成する。そして寒冷期に
氷河がつくった U 字谷がその後の温暖期に海面が上昇し、U 字谷が沈水したも
のがフィヨルドである。フィヨルドは両岸が U 字谷の急斜面の断崖絶壁になっ
ていることが多く、両岸への交通が発達しにくく、大きな都市は立地できない
特徴を持つ一方で、峻長なフィヨルドは山岳地域では海上交通路や観光地とし
て利用されている。 
モレーンは、氷河時代などの寒冷期に氷河が前進しながら砂礫をブルドーザ
ーのように前面に押し出して、その後、氷河が後退したときにその場所に残し
ていった堤防上の地形である。ボリビアのアンデス山系、ワイナポトシなどで
は、谷をせき止めるように堤防上のモレーンが形成されるが、モレーンの堆積
物は氷河によって運ばれてきたものなので、特に氷河前面に運搬、体積してで
きたターミナル・モレーンの堆積物は角ばっている傾向がある。また、U 字谷
内に水がたまったり、堤防上のモレーンで囲まれた窪地に水がたまると氷河湖
を形成する。 
氷河の浸食作用によって形成された半円形をした深い窪地をカールと呼ぶ。
カールとカールが隣り合っている場合、極めて急峻なノコギリ状のアレッツを
形成する。日本でも南アルプスの荒川岳ではカールを見ることができる。雪が
解ける量よりまさる高度の下限である雪線よりも高い標高では雪が多く積り、
その雪圧で氷河が形成される。雪線高度は現在の森林限界高度にほぼ一致する
ため、カールの末端までは森林がないことになる。カール底は消雪時期が遅く、
植物が生息せずに裸地になっているが、モレーンは小高い地形のため、消雪時
期が早く、北アルプスの野口五郎岳では嫌雪性の植物であるハイマツが生息し
ている。 
また、大陸氷河が流れると、それによって運ばれた砂礫が氷河の底に堆積し
て、さらに新たに前進してきた氷河によ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【最新2019～2022年度】日本大学通信 外国史 外国史概説 課題1,2（分冊1,2） 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139901/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大教職]]></author>
			<category><![CDATA[日大教職の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 07 Mar 2020 15:10:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139901/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/925076427501@hc20/139901/" target="_blank"><img src="/docs/925076427501@hc20/139901/thmb.jpg?s=s&r=1583561417&t=n" border="0"></a><br /><br />■日本大学通信教育部

・科目：外国史, 外国史概説

・課題１：アメリカ独立革命について述べなさい。
＜ポイント＞アメリカの植民地の状態、本国政府の制作、独立運動、思想的背景などに重点をおいて、独立運動に至る歴史的背景、独立まで[336]<br />外国史概説 
課題１：アメリカ独立革命について述べなさい。 
＜ポイント＞アメリカの植民地の状態、本国政府の制作、独立運動、思想的背
景などに重点をおいて、独立運動に至る歴史的背景、独立までの経過、および
影響について簡潔に述べること。 
＜キーワード＞重商主義、課税権、コモン・センス、憲法 
＜参考文献＞『世界の歴史＜２１＞アメリカとフランスの革命』五十嵐武士他
（中公文庫）、『コモン・センス他三編』トーマス・ペイン（岩波文庫） 
アメリカの植民地は、豊富な資源や土地に対してさまざまな技術や労働力が
導入されてことや、イギリス本国政府のアメリカ植民地の貿易活動を、航海法
によって重商主義的に規制することすることで発展し、その人口は１７７０年
には２１４万人ほどに達した。ただし、イギリス本国政府の統治はきわめてゆ
るやかであったため、植民地では密貿易が横行し、政治的にも人々は大幅な自
治を享受しており、１８世紀の中盤になると、植民地人は大規模な西部開発に
も意欲的に取り組んでいった。 
また、中部植民地にはイギリス以外のさまざまな国からの植民者による多民
族社会が形成されたことから、植民地人の融和を図るために、複数の民族が共
存できる社会を築き上げていった。特にタウンミーティングをはじめとした植
民地による政治的自立や自治運営の経験は、アメリカの立憲主義の意識を高め
ることに貢献することとなった。さらには、信仰上の回心を惹き起こした信仰
復興運動の「大覚醒」を通じた各植民地への回心の浸透によって、多民族社会
の中で自らの信仰を重視し、既成の宗教や社会的権威に対して批判的な姿勢を
打ち出しはじめ、ひいてはイギリス本国の権威に対する自主性の主張が形成さ
れていき、アメリカの独立革命の基礎を築き上げたと言える。 
アメリカの独立革命のきっかけとなった七年戦争時のフレンチ＝インディア
ン戦争では、フランスは概ね全面的に北アメリカ経営から撤退し、莫大な戦費
と引き換えにイギリスは新たな領土を獲得した。イギリス政府は戦争で疲弊し
た財政を再建するために、アメリカ植民地に対してイギリス本国並みの課税を
負担させる印紙税法を１７６５年に制定した。これに対し、アメリカの植民地
人は「代表なくして課税なし」をスローガンに各地で反対運動や抗議運動を起
こし、翌年の１７６６年には同法を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【2014】【明星大学】【社会・地理歴史科教育法１】合格レポート(1.2単位目)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/117662/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syogo_1002]]></author>
			<category><![CDATA[syogo_1002の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 29 Dec 2014 19:02:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/117662/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/117662/" target="_blank"><img src="/docs/945317737954@hc13/117662/thmb.jpg?s=s&r=1419847338&t=n" border="0"></a><br /><br />２０１４年度の明星大学 教育学部 通信教育課程における、レポート課題の合格レポートです。特に指摘もなく、高評価で１回目で「合格」の評価をいただきました。皆様のお役に立てれば幸いです。

（課題１単位目）
　1947年の社会科の誕生から今日ま[342]<br />（課題１単位目）
　1947年の社会科の誕生から今日までの中学校社会科の教育実践の流れを学習指導要領の改訂を踏まえまとめるとともに、今回の改訂のポイントとこれからの中学校社会科教育に求められているものを述べなさい。
（課題２単位目）
　１.指導計画・学習指導案を作成する上での留意点について、評価の意義や観点と関連させて述べなさい。
２.授業づくりの上で、生徒が興味・関心をもって主体的に関われるようにするための具体的な手立てについて考え、中学校社会科、高等学校地理歴史科どちらかの立場で述べなさい。
社会科という教科は、どんな特質を持った教科なのか。また、生徒がこの教科を学ぶことにどんな価値があるのか。これらのことは、中学校社会科を教えることを志す者としておさえておきたい事柄である。これらについて、明確な答えをすぐに出すことはできない。しかし、常に念頭に置いて社会科教育を進めることは、よりよい教育を行うためには必要不可欠である。社会科教育にはどんな価値があるのか。これを踏まえて、社会科の誕生から現在までの教育実践を探り、今後中学校社会科教育にどんなことが求められているのかについて考えを深めたい。
　これまでの社会科の教育実践を掘り下げていくと、大きく２つのキーワードが見つかる。１つ目は「時勢との深い関わり」。２つめは、「経験と系統」である。
　まずは、戦後すぐの頃から1950年代初頭までの実践についてである。この時期は戦後間もなくということもあり、教師の自発的な研究を奨励し、地域・学校の特色を生かした社会科カリキュラムが作られた。現在あるような系統だったカリキュラムではなく、生徒の実生活に即した社会問題が学習問題に反映されていた。このように、生徒の身近にある諸問題を教材化し、追求させ、その社会的経験を伸ばそうとする点にこの時期の教育実践の特色
がある。他方、この経験主義を批判し、系統主義に転換する声も強まる。
　次に、1960代から1970年代の時期の社会科教育実践についてである。経済成長を進める国の政策に呼応するように、科学教育の推進に舵をきることとなる。教科内容を体系化することが教育実践の本流となってくる。その中で、分野制が取り入れられた中学校社会科では、よりいっそうの系統性の重視や、各分野の相互関連及び一体化を追求する動きも見られた。これまでの「ザブトン型」の..]]></description>

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			<title><![CDATA[外国史概説分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/100632/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Jan 2013 23:40:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/100632/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/100632/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/100632/thmb.jpg?s=s&r=1359470402&t=n" border="0"></a><br /><br />辛亥革命について説明しなさい。&lt;ポイント&gt;1911年に辛亥革命が発生した歴史的背景、辛亥革命の経緯、辛亥革命の歴史的な意義に重点をおいて簡潔に述べること。&lt;キーワード&gt;革命運動、立憲運動、武昌蜂起、孫文、中華民国臨時政府[318]<br />辛亥革命は『外国史概説分冊１』で取り上げたフランス革命とは異なり、必然にして起こった時系列的な革命である。清朝は1840年のアヘン戦争により、欧米列強と外交で対峙する必要に迫られた。西洋文化を取り入れて近代化を図ろうとする一部官僚や知識人もいたが、文官偏重の伝統的な政治体制では限定的なものに留まった。さらには外国からの脅威を学び、先に近代化を進めた日本に日清戦争で敗れ、ますます列強国に付け入る隙を与えてしまった。海外で学び、帝政では近代化が推し進められないと考えた孫文らが国民主権となる国家を建国しようと立ち上がった。一連の革命運動の主な担い手は留日学生や上海の知識人、華僑たちであった。
次に辛亥革命の経過について順に説明する。多くの知識人たちは武力革命により清朝を打倒し、共和政の樹立を唱えた。孫文もまたサンフランシスコで興中会を結成し、革命運動に必要な軍資金の調達を開始した。
1895年から1911年にかけて興中会及び同盟会により10回以上にわたる武装蜂起が行なわれた。これらの蜂起は短期間で収束され失敗に終わったが、革命運動を中国全土に広げていった。
清朝は国内における革命運動に対抗..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[外国史概説分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/100631/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Jan 2013 23:40:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/100631/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/100631/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/100631/thmb.jpg?s=s&r=1359470402&t=n" border="0"></a><br /><br />フランス革命について論述しなさい。&lt;ポイント&gt;フランス革命の原因、経過、そこにおける人々の動き、革命の意義などを、的確にまとめること。&lt;キーワード&gt;アンシャン－レジーム、全国三部会、山岳派独裁、テルミドール9日[309]<br />フランス革命は様々な原因が作用して起こった革命である。主な原因の第一には、貴族の反抗による「アンシャン・レジーム」の解体である。アンシャン・レジームは日本語では旧体制、旧制度などと訳され、フランス革命以前の絶対王政期の政治体制を指している。当時、フランス国民は三つの身分に大別されており、第一身分が聖職者、第二身分が貴族、第三身分が市民や農民であった。相次ぐ戦争による財政危機の深刻化から、財務総監のカロンヌは土地上納金を身分差別なしに徴収しようとした。免税特権を有してきた貴族の反抗はすさまじく、カロンヌは失脚しイギリスに亡命した。後任であるブリエンヌの懐柔案も貴族は拒否し、1789年５月に全国三部会の開催を約束させた。第二には、凶作等を発端とする民衆暴動である。農民を大多数とする民衆の根底には貴族への疑心暗鬼があり、貴族が民衆をさらに搾取するだろうといった「貴族の陰謀」と呼ばれる観念があった。その結果、民衆は貧困から生活を守るため、都市や農村で蜂起や一揆に至った。第三には、ブルジョワによる新しい政治指導集団の台頭である。全国三部会が開かれた際に、採決方法をめぐって貴族代表と第三身分代表..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[日本史概説分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98360/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2012 18:21:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98360/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98360/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/98360/thmb.jpg?s=s&r=1352366510&t=n" border="0"></a><br /><br />次の二問について、すべて答えなさい。一、近世の文化について、前期の寛永文化、中期の実学の発展、後期の洋学の発展のそれぞれについて概観しなさい。二、明治六年政変と明治十四年政変における板垣退助と大隈重信の下野から隈板内閣の成立までの政治過[356]<br />一、近世の文化について、前期の寛永文化、中期の実学の発展、後期の洋学の発展のそれぞれについて概観しなさい。
　十七世紀前半の寛永文化はサロン文化と呼ばれている。中世以来の座や寄合の伝統を受け継ぎ、身分や階層ごとにサロンが形成され、それが連鎖したかのように交友が行なわれた。サロン文化の中心となったのが数寄屋風書院などで行なわれる茶の湯と和歌であった。「かぶき」の時代も終焉を迎え、「きれいさび」と呼ばれる穏やかな優美さの精神があふれた。
　本阿弥光悦や俵屋宗達が残した作品も寛永文化の美意識を代表している。彼らは好んで『源氏物語』や『伊勢物語』、『枕草子』や『古今和歌集』などの古典文学を題材に選び、日本版ルネサンスに貢献した。さらに木活字による製版が始まり、仏教書や学問書の出版が行なわれた。また仮名草子や俳楷書、往来物なども出版され、都市部だけではなく農村部にも広く普及していった。寛永文化はまさに啓蒙時代への先駆けであった。
　十七世紀後半の元禄時代には、諸産業の発達に伴い、人々の日常生活に役立つ実学が発展した。まず農業では農業技術が体系的に論じられた農書が作られた。『農業全書』を著した宮崎..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科・地理歴史科教育法Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98359/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2012 18:21:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98359/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98359/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/98359/thmb.jpg?s=s&r=1352366510&t=n" border="0"></a><br /><br />平成10年度版の中学校学習指導要領の歴史的分野に関し、以下の2問それぞれについて解答しなさい。①「国際協調の精神を養う」という歴史的分野の目標(3)に沿うテーマを、学習指導要領で記述されている「内容」を踏まえて、五つ以上挙げなさい。[340]<br />①「国際協調の精神を養う」ためには、日本や世界の諸事情を多面的に考察し、公正に判断する能力や態度の養成が必要である。世界が急速に狭くなり、国際問題が日常に密接に関わり始めたのは、近現代（大項「(5)近現代の日本と世界」、「(6)現代の日本と世界」）からであるが、古来よりわが国は、諸外国の歴史や文化が相互に深く関わってきた歴史を有している。他民族の文化、生活などにも関心を持たせ、国際協調の精神を養うという観点より、以下の五点について述べる。
　朝鮮諸国をはじめとする諸外国との交流が盛んになった5世紀頃の日本では、朝鮮半島より日本に移住する人々が増えた。彼らは渡来人と呼ばれ、鉄製の農具を広め、溜め池を作る技術や、硬質の土器、絹織物の技術などを伝えた。また漢字を普及させるばかりではなく、彼らは朝廷の記録や諸外国への文書伝達など、政治や外交の面においても活躍した。
　聖徳太子が摂政として冠位十二階を取り入れた6世紀頃には、中国や朝鮮から制度を学び、仏教や儒教の考えを取り入れた十七条の憲法を発布し、役人の心構えを示した。古来より中華帝国への朝貢は銅銭等の見返りがあり、継続的に続けられてきたことで..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学概論分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97104/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Sep 2012 11:19:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97104/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97104/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/97104/thmb.jpg?s=s&r=1347848356&t=n" border="0"></a><br /><br />次の1～4の意見の中から2つ選び、その番号をそれぞれ最初に掲げ、キーワード2つの語句を使用して、賛成か反対かの立場を明確にしてからその理由を述べなさい。1.　グローバリゼーションの進展は、世界の人々に等しく経済的な豊かさをもたらすだろう。[346]<br />1 私は｢グローバリゼーションの進展が世界の人々に等しく経済的な豊かさをもたらすだろう｣という意見に反対である。21世紀はグローバル化時代である、と私が大学生の時分から良く耳にしてきたが、グローバル化によって世界の人々と富を等しく分配できる段階ではないことを10代の学生でも容易に想像することができた。グローバリゼーションとは、先進国である北側諸国の新自由主義に傾倒された概念であり、国境を越えた市場の開放と自由経済を唱えているにすぎない。そこで南側、すなわち貧困国と呼ばれる国々の諸問題について取り上げる。
　第一に、貧困国が貧困から抜け出せない共通した理由の一つに｢モノカルチャー経済｣が挙げられる。｢モノカルチャー経済｣とは、ある国の経済が特定の一次産品の生産や輸出に依存している経済状況のことを指す。例えば中央アフリカにおけるコーヒー豆やガーナのカカオ豆などが挙げられる。これらの嗜好品に限定し、一次産品として輸出に特化して経済を支える傾向がアフリカ諸国には多く見られる。嗜好品の輸出価格は安定しづらいため、輸入側の先進国の景気に左右されることが多い。そのため計画的な歳入の増加が見込めず、生..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学概論分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97103/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Sep 2012 11:19:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97103/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97103/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/97103/thmb.jpg?s=s&r=1347848355&t=n" border="0"></a><br /><br />次の中から2つ選び、選んだ番号を明記して、それぞれキーワード2つを使用して解答しなさい。1.　E.ハースの「スピルオーバー・モデル」を使ってＥＵ（欧州連合）の統合過程を説明せよ。［キーワード］ローポリティクス、マーストリヒト条約2.　[338]<br />１欧州連合（EU）は世界最大規模の単一市場である。単一市場とは共同市場を昇華させた形態であり、製品規制に関する共同の政策や土地、労働、資本の生産要素の移転の自由や開業の自由を伴っている関税同盟である。欠かすことのできない機関である。第一のテーマとしてE.ハースが述べた｢スピルオーバー・モデル｣についてEUの統合の過程を踏まえ以下に述べる。
　アメリカの政治学者であるE.ハースは、｢個々の忠誠心・期待・および政治活動を一つの新たな中枢に移転する｣と政治統合について触れている。政治統合とは、既存の国民国家に対して、何かしらの管轄権を要求する新しい共同体の形成であるとされた。このような条件が国民国家において達成されていく過程を｢統合｣として把握しており、その機能が他の分野に波及することの機能的特殊性をもって、その統合の｢スピルオーバー（波及）過程｣が位置づけられた。つまり、通商・経済問題を主要なテーマとするローポリティクスと、軍事や政治問題に限られた外交政策であるハイポリティクスが｢統合｣がなされることにより、その垣根がなくなるのである。
1952年の欧州石炭鉄鋼共同体（ECSC）の設立は共..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[法律学概論分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97017/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Sep 2012 09:33:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97017/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97017/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/97017/thmb.jpg?s=s&r=1347496383&t=n" border="0"></a><br /><br />法の発展において、福祉国家主義の特徴を近代市民法の特徴との対比の中で具体的に論じ、さらに現代の日本で福祉国家主義を象徴する法律を３つ挙げてそれぞれ論評せよ。[234]<br />福祉国家主義の特徴と近代市民法の特徴は対峙するものではない。福祉国家主義とは、近代市民法を適用した資本主義社会におけるセーフティー・ネットであり、補助輪の外れた「新自由主義」の本質こそ、資本主義の原型であると言える。
教科書では、近代法とは近代市民社会＝資本主義社会の法である、と定義されている。私的所有が認められ、契約による財貨の交換が認められ、交換当事者の独立自由な法的主体性が認められなければならない自己完結的な体系をなしている（私的自治の原則）。近代法の成立過程は、欧米の主要国だけをとってもきわめて多様であり、単純な図式に当てはめて説明できるものではないが、大まかな流れは次のような流れを汲んでいる。
ヨーロッパでは19世紀後半から20世紀初頭にかけて労働者たちが政治的自由を獲得するために闘争を行なうようになった。このような市民社会の大衆社会化に対応して、「所有権の絶対」や「契約の自由」などの市民法の基本原則が制限するかわりに、国民の政治的権利が承認され、市民法の成立が民主主義の確立に先行した。
西欧諸国がもはや植民地を維持し続けられないことが明白になるにつれて、労働者は小生産者の経..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[法律学概論分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97016/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Sep 2012 09:33:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97016/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/97016/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/97016/thmb.jpg?s=s&r=1347496383&t=n" border="0"></a><br /><br />なぜ刑法は存在するのか？また刑法を適用する際に求められる諸原則は何か？説明しなさい。[126]<br />私たちが社会において共同生活を営むときには、そこに一定の秩序を保つことが必要である。秩序を保つためには、いかなる社会であっても、その構成員が守らなければならない規範が存在する。ここで触れる「法」とは、近代国家の法典のように、明確な強制力によって裏付けられた専制的なものでなく、国民一人ひとりが国家と契約する社会契約であり、ほとんどすべての法的関係には権利と義務が発生するのである。
刑法とは、犯罪とそれに対する刑罰の関係を規律する法であり、「犯罪法」とも呼ばれている。「刑法」という語は、狭義では「刑法」という名の法典を指し、これを「形式的意義の刑法」と呼んでいる。刑法典は、一般的な犯罪に関わるものとして、「一般刑法」と呼ばれている。また広義では、犯罪の成立要件とその犯罪に対して科せられる法律効果としての刑罰の内容を規定した国家的法規範のすべてを指し、これを「実質的意義における刑法」と呼んでいる。
刑法には三つの役割がある。第一には、刑法が用意されることによって、罪を犯せば処罰されることを知らせることで一般国民に警告を与え、国民に犯罪や非行を行なわないよう抑止力を与えることである。第二には..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96651/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 04 Sep 2012 09:20:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96651/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96651/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96651/thmb.jpg?s=s&r=1346718035&t=n" border="0"></a><br /><br />ハイデッガーにおける「存在論」の特質について説明しなさい。&lt;キーワード&gt;「生哲学」「時間」「現存在」「ディルタイ」[169]<br />ハイデッガーの「存在論」を説明するためには、ディルタイの「生哲学」が欠かせない。それはディルタイの主張する生の「時間性（歴史性）」がハイデッガーの存在論に受け継がれていったからである。哲学とは元来、生を研究する学問であるが、ディルタイの生哲学とは、人間そのものを徹底的に観察しようとする試みであった。中世において人間を考えるときは、神、すなわちキリスト教を媒介にして行なわれた。ルネサンス以後は、神に替わり、知識、すなわち論理によって行われた。このような考え方とは異なり、人間を人間として直接に把握すること、それが生哲学である。それまでのロゴス中心の人間観から、パトス中心の人間観へ、合理主義から非合理主義へと人間のとらえ方を変化させていった。
ディルタイは人間の存在についてこのように述べている。「人間が何であるか、それをわれわれは自己に就いての瞑想によって知るのではなく、また心理学的実験によって知るのではない。却って歴史を通じて知るのである。」
生そのものの歴史を通じ、生を追体験することによって、人間が人間を把握することができると説いたのである。このようなディルタイの「人間とは何か」と言う問..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96650/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 04 Sep 2012 09:20:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96650/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96650/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96650/thmb.jpg?s=s&r=1346718035&t=n" border="0"></a><br /><br />近代哲学に現われる「人間中心主義」について説明しなさい。&lt;キーワード&gt;「ルネサンス」「主観主義」「デカルト」「カント」「ベーコン」[193]<br />近代哲学に現れる「人間中心主義」について、その成り立ちと系譜について以下に説明する。「近代哲学」を定義するためには、中世の人々の世界観や思想がどのような位置づけであったかを理解しなければならない。中世の人々の世界観は神と一体であり、決して切り離すことができないものであった。「スコラ哲学」では次のような二つの考え方があった。第一には、万物には魂が内在し、それが物質を動かす原動力となっており、段階を追って精神から天使を経て、最終的には神に至るという考え方である。第二には、神によって与えられた「位序（オルド）」の信仰である。神によって与えられた位序により、人々の生活は決まると考えられてきた。このような世襲的で階層的な考え方は、身分制度と同様、中世の人々が描く無限地獄から抜け出すことのできない世界観となっていた。
　この永遠にも続くと考えられてきた封建的状況を打ち破ったのがルネサンス運動である。「ルネサンス」は人文主義、文芸復興、宗教改革運動など様々な顔を持つが、それらはすべて神によってではなく、人間による、人間の知識をひたすら求める「人間中心主義」と呼ばれるものであった。つまり、ルネサンス..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96250/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Aug 2012 14:19:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96250/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96250/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96250/thmb.jpg?s=s&r=1345526365&t=n" border="0"></a><br /><br />かつてのＥＣを基盤とした今日の「ＥＵ」連合について、地理的な視点からその特徴を説明しなさい。記述する際には、加盟各国の実態が理解できるような内容とすること。（参考文献を複数取り上げることが、提出の条件である）[312]<br />現在、ＥＵ加盟国は発足時の倍以上の27カ国である。サブ・プライム問題が世界中を震撼させる直前まで地理的・民族的に多様性に富むＥＵの政策は、各方面から賞賛されてきたが、その一枚岩にもひびが生じてきた。
欧州連合（ＥＵ）の基礎となったのは1952年に設立された欧州石炭鉄鋼共同体（ＥＣＳＣ）、1958年に設立された欧州経済共同体（ＥＥＣ）および欧州原子力共同体（ユーラトム）の３つの共同体である。1967年に３つの共同体の行政執行機関と意思決定機関がそれぞれ統合されて欧州共同体（ＥＣ）が生まれた。統合により生まれたＥＣの単一行政執行機関がEC委員会である。1993年11月にマーストリヒト条約が発効したことによって、従来のＥＣの役割のほか、「共通安全保障政策および司法・内務協力」を加えたＥＵが誕生したのである。
次に地理的特質であるが、欧州連合（ＥＵ）の「欧州」とは、いったいどこの地域を指しているか、赴任校の社会科の授業でたびたび議題となる。一口に欧州といっても、世界をどのような視点から見るかによって、その答えは違ってくる。ヨーロッパはユーラシア大陸のうち、ウラル山脈とカスピ海、黒海、ボスポラス..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96249/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Aug 2012 14:19:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96249/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96249/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96249/thmb.jpg?s=s&r=1345526365&t=n" border="0"></a><br /><br />中国社会の現状について、地理的な項目を選択して説明しなさい。ポイント解説の指摘事項についても学習すること。（参考文献は複数呈示すること）[204]<br />私の学生時代、ビデオゲームの『三国志』が流行した。後漢の曹操や劉備、孫権らの君主となり、中国を統一するシミュレーションゲームである。初めて見る紀元200年前後の中国の支配領域が非常に小さかったことを今でも覚えている。社会科で学んだロシア、インド、中央アジア、東南アジアに接する広大な中国ではなかった。
昨秋、私は英語科の教員免許状取得のため埼玉県内の高校で教育実習を行なった。英語Ⅱの単元である｢ナシ族とその生活様式｣を担当させてもらい、教材研究の一環として中国の歴代王朝の版図について調べた。「ナシ族は800年近くも雲南省の麗江に暮らし、トンパ文字と呼ばれる独自の象形文字と伝統文化を守っている」ことを生徒たちは学ぶ。しかしながら、これらの文字情報をイメージ化してスキーマを獲得させるためには、「13世紀の中国」と「麗江」について地理的な情報が必要だと私は考えた。
当時、中国はモンゴル帝国に支配され、フビライ･ハーンが元朝を建国した。漢民族が支配したこれまでの王朝とは異なり、清朝に匹敵するほどの広大な領土を支配した。ナシ族が居住する麗江についてであるが、この地は元々、漢民族が支配する地域ではな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理学概論分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96248/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Aug 2012 14:19:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96248/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96248/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96248/thmb.jpg?s=s&r=1345526365&t=n" border="0"></a><br /><br />次の２題の設問すべてについて答えなさい。１　成帯土壌を１つ挙げ、基礎的土壌生成作用との関係を踏まえ説明しなさい。２　ユーラシア大陸における森林帯の特徴を説明しなさい。[251]<br />１成帯土壌と基礎的土壌生成作用との関係
成帯土壌とは気候や植生帯の影響を強く受けて生成された土壌のことであり、気候型土壌とも呼ばれている。私は成帯性土壌のうち、日本列島においてその多くを占めるポドゾール性土壌について取り上げる。
ポドゾール（Podzol）という言葉はロシア語で「Pod」＝「下」、「Zol(a)」＝「灰」を意味しており、農民たちが灰色の土層を持つ農地に対して用いたのが由来であるとされている。湿潤亜寒帯のタイガ地帯に分布するポドゾール性土壌は、針葉樹林下で比較的砂質の母材から生成される。土壌に供給される有機物が塩基に乏しい状態で分解され、微生物の作用でフルボ酸を大量に含む腐食が促進され、無機成分と反応して複合体が生成される。この土壌ではアルカリやアルカリ土類のフルボ酸塩が溶脱されやすく、次に鉄分やアルミナのフルボ酸塩が続いて溶脱されていく。この結果、針葉樹の葉積層の下に強く洗脱を受けた塩基、鉄分、アルミナなどが溶脱された漂白層が作り出される。また下方に移動した鉄分やアルミナのフルボ酸塩は、漂白層の下に沈殿して集積層をつくる。この集積層はしばしば堅い地層を形成し、黒い鉄さび..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理学概論分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96247/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Aug 2012 14:19:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96247/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96247/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96247/thmb.jpg?s=s&r=1345526365&t=n" border="0"></a><br /><br />次の２題の設問すべてについて答えなさい。１　関東平野の地形発達史について、次のキーワードを用いて説明しなさい。　　（段丘、沖積平野、関東ローム層、縄文海進）２　気候区と気候因子との関係について、具体的な地域を挙げて説明しなさい。[344]<br />１関東平野の地形発達史に関する説明
　東京の地形が山の手と下町から成り立っているのと同様に、関東平野は台地と低地から成り立っている。台地はほとんどが段丘地形であり、段丘礫層や関東ローム層などの洪積層であるため、古くから洪積台地と呼ばれている。
一方、低地は若い沖積層が堆積して作られた平地であり、そこには河川が流れている。関東平野の河川は台地面を至るところで分断し、切り削って谷とした轍を流れている。都内にある谷や沢が地名に付く場所は低地であり、かつて川が流れていた場所である。低地を満たす沖積層は、河川が氾濫した際に堆積した地層であり、現代においてもしばしば氾濫による堆積作用が続行するような土地である。この堆積していった原土を沖積地と呼び、さらにはその地層を沖積層と呼び、これらはごく最近生まれたか、あるいは誕生しつつあるような新しい形成物である。
今からおよそ5000～6000年前の縄文前期の時代には、今の関東平野のかなり奥まで入江に浸かっていた。当時の海の侵入を縄文海進と呼んでおり、この海進はウルム氷期の終焉がもたらした産物であった。海水位の上昇が当時の関東平野で入江を作り、そしてその後..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学概論分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96050/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 17 Aug 2012 10:11:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96050/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96050/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96050/thmb.jpg?s=s&r=1345165905&t=n" border="0"></a><br /><br />わが国の都市開発は、この方面の先進地である英国に学ぶことが多い。つまりニュータウン政策も、その基本はイギリスにあった。これら一連の経緯は教科書pp.86-102に詳細に説明されている。そこで、この部分を十分に学習した上で、わが国を代表するニ[342]<br />今から10年前、私はイギリス南西部の町エクセターとボーンマスに語学留学した。ロンドンからエクセターまではバスでおよそ３時間。いくつかの都市を経由する度に、グリーンベルトと市街地を出入りする景観の美しさに見とれながら目的地に到着した。エクセターの人口はおよそ12万人で、中心地は「City Centre」である。一方、リゾート地として知られるボーンマスの人口はおよそ17万人で、エクセターと比べ人口の流入が多いものの、中心地は「Town Centre」である。当時の語学学校教師からそれらの違いについてレクチャーを受けたことを私は今も記憶している。「City」とは大聖堂を有する都市であり、英国国教会の首長であるエリザベス女王からの宣旨を受けなければならない。「Town」は人口の大小を対象としない比較的新しい都市（ニュータウン）を指していたのである。
先述の通り、ニュータウン構想の発祥の地はイギリスである。産業革命後、都市へ大量の労働力の需要が生じ、地方の農村から工業都市への労働人口の流入が激しくなった。その結果、工場周辺の住宅街では大気汚染・コレラなどの伝染病が蔓延するなど住宅環境は悪化の一途..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学概論分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96049/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 17 Aug 2012 10:11:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96049/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96049/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96049/thmb.jpg?s=s&r=1345165905&t=n" border="0"></a><br /><br />わが国の歴史都市の多くが、近世の城下町を基盤として、明治以降に顕著な都市化をしてきている（教科書pp.25-35参照）。そこで、国内からこの内容に合致する事例都市を任意に選び、具体例として掲載している川越市を参考に、同じような分析を試みるこ[344]<br />東北最大の都市として成長してきた仙台市は1960年代から急激に人口が増え始め、1989年に政令指定都市となった。従業者の４人に１人が支店従業者であると推計されており、首都圏の支社・支店のオフィスビルなどが商業地の中心に位置している。
仙台市の都市構造は仙台駅および東北新幹線・東北本線によって大きく東西に分けられている。仙台駅の西口側は、江戸時代からの城下町があったところで、現在に至るまで中心部であり続けているが、四方が河川や丘陵地、鉄道敷設地で囲まれており、都心部としての機能拡大が容易ではない。近年、一時は高騰した地下も下落が進み、住民の都心回帰を助長している。
一方、仙台駅の東口側は、古くからの町並みが残る地区が集まっており、江戸時代から続く地名が残る。この地域の東側に隣接していた水田地帯には、1960年代に仙台バイパスが設けられ、周辺に流通業や印刷業関係者の団地が建てられた。東北本線をまたいで西口に到る幹線道路も、卸町を迂回した経路のみで、卸町によって南北の街も分断された状態になっていた。しかし90年代に入り、卸売業を通さない「中抜き流通」が主流になると、卸町の存在意義が薄れ、規..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史概説分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96048/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 17 Aug 2012 10:11:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96048/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96048/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96048/thmb.jpg?s=s&r=1345165904&t=n" border="0"></a><br /><br />次の二問についてすべて答えなさい。一. 国司が受領とよばれるようになる前と後とについて両時代を比較してのべなさい。二. 室町幕府の成立と、その統治のあり方、幕府の制度について概観しなさい。[276]<br />一、国司が受領とよばれるようになる前と後とについて、両時期を比較してのべなさい。
国司が受領と称される前の国家体制は、律令国家であったと言える。七〇一年に制定された大宝律令を皮切りに、律令制は個人を徴税単位とする人別支配を基本原則としており、唐に倣った律令法典や官僚・地方制度などが導入された。中央政府から派遣された国司は、人民を一人ひとり把握する必要があったため、地方豪族ら出身の郡司を率いて、公民に班田を与え、戸籍を六年ごとに作成し、これに基づいて毎年計帳を作成した。百姓の浮浪・逃亡に備え、計帳には身体的な特徴も記載された。しかし、早くも八世紀後半頃より百姓の偽籍や浮浪・逃亡が見られはじめた。中央政府は律令制を維持しようとする試みが繰り返したが、逃亡したり負債のある貧困民と、その土地を吸収し、開墾を進めた富豪層との階層分離はますます加速していった。
　国司が受領と呼ばれるようになる後の国家体制は、王朝国家であった。九世紀後期にもなると、律令国家体制が基調としていた人別支配は機能しなくなり、土地に対する課税・支配を基調とする王朝国家体制に移行されていった。律令制における租庸調は、個人に対..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科・公民科教育法Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/95475/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 01 Aug 2012 12:22:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/95475/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/95475/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/95475/thmb.jpg?s=s&r=1343791361&t=n" border="0"></a><br /><br />教材全体を精読し、次の中から1問選択し、番号に必ず○印を付けて答えなさい。1 第一章「現代社会」の教育内容に深く関連すると思われる自分自身の体験を一つ取り上げて、教材の記述を引用しながら述べなさい。2 第二章「倫理」の教育内容に深く関連[346]<br />公民という教科が「現代社会」、「倫理」、「政治・経済」の３科目からなることを知ったのは、私が大学生になってからである。今から16年前、私が高校３年生だった1994年に、高校の社会科は第１学年から地理・歴史科と公民科に分かれた。私の高校では確かに「倫理」の授業が導入されたが、今から思えば手探り的な内容であった。受験教科ではなかったため、キリスト教の「アガペー」や「隣人愛」について教師が講義している間、生徒たちは「日本史」と「世界史」の暗記を内職しながら聞いていた記憶がある。
「公民」の「公」は「公共」の「公」ではなく、「公民」とは「公務に参加する権利と義務を有する市民」のことである。大辞泉によると、「倫理」とは「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。」とされている。すなわち、「倫理」は「公民教育」におけるモラルを学ぶ科目であり、また中学校の「道徳」や「総合的な学習の時間」、「特別活動の時間」の延長上にある科目でもある。「公民」は先哲たちが悩み考えた「人間らしく生きる」ことを踏まえながら、現代社会にどのようにコミットしていくかを学び考えるリベ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科・公民科教育法Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/94922/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 10 Jul 2012 18:44:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/94922/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/94922/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/94922/thmb.jpg?s=s&r=1341913449&t=n" border="0"></a><br /><br />以下の2問について、それぞれ解答しなさい。①　平成10年告示『中学校学習指導要領社会科編』における公民科の「能力目標」といわれるものはどれかを指摘し、その趣旨について自分の言葉で説明しなさい。②　現行の文部科学省検定済中学校教科書（出版[350]<br />1.平成10年告知『中学校学習指導要領社会編』に示された公民分野の目標は4項目から成り立っている。第1の項目では、人権尊重と権利と義務について触れ、第2の項目では、個人と社会の関わりを理解し、自ら考えようとする態度の育成を目指している。第3の項目では、世界平和の実現と国際協調について触れ、第4の項目では、「能力目標」について次のように触れられている。
「現代の社会的事象に対する関心を高め、様々な資料を適切に収集、選択して多面的・多角的に考察し、事実を的確にとらえ、公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる。」
　これは社会的事象を学習し、さらに問題意識を持ってそれを考え、必要な資質や能力、態度を育むことを目標としている。「現代の社会的事象に対する関心」は、課題学習などの意図的な学習計画とその実践により高められていくとされている。関心なくして事象の深耕は図れない。まずは身近なものをテーマとして扱い、「なぜ？」という興味・関心を引き出すことが大切である。「様々な資料を適切に収集・選択」とは、「調べ学習」における図書館メディアの活用や情報を取捨選択する能力を育むことである。「多面..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科・地理歴史科教育法Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/94920/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 10 Jul 2012 18:32:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/94920/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/94920/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/94920/thmb.jpg?s=s&r=1341912724&t=n" border="0"></a><br /><br />次の中から1問を選択し、番号に必ず○印を付けて答えなさい。1 戦前から戦後にかけての歴史教育の沿革について述べなさい。2 わが国の地理教育の将来像を考える際に、アメリカ合衆国の地理教育の実体を知ることは有効な方法である。教科書pp.39[336]<br />今日までの歴史教育は大きく分けて「明治期」、「大正期」、「昭和戦前期」、「昭和戦後期」の４つの時期に区分できる。
「明治期」は1872年（明治５）年の「学制」以降の近代教育体制の形成期である。明治初期から明治１０年代にかけ、民権運動の高揚とも重なり、この段階の歴史教育は国家主義的色彩の濃いものではなかった。教育制度の未整備とも相まって、教科書は自由刊行とされた。日本史のほか外国史も小学校段階で組み入れられるなど、欧米の新知識の普及が期待された。その後、1879年（明治12年）の「教育令」を発端に、歴史教育の内容が整備され、日本史が重視されるようになった。
1887（明治20）年になると小学校における教科書検定制度に変化が見え始める。前年には「小学校令」、「中学校令」が公布され、歴史教育はこの時期以降、国家主義的傾向が顕著となっていった。明治20年代から30年代にかけて、検定制度は国定制に移行される。以後、６次にわたる国定教科書が作られ、日本の歴史教育は大きく変化していった。
「大正期」に入るとデモクラシー的な社会風潮が高揚し、各地の学校でも自由主義教育、児童中心教育、芸術教育の推進運動..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現代の世界]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/755/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ぶーにゃん]]></author>
			<category><![CDATA[ぶーにゃんの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 07 Jul 2005 07:57:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/755/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/755/" target="_blank"><img src="/docs/983432374901@hc05/755/thmb.jpg?s=s&r=1120690668&t=n" border="0"></a><br /><br />政治経済、現代社会といった公民科の分野ともいえる冷戦終結後の現代世界を世界史的視点から学び、現代社会を歴史の終点として携えることは、世界史を「人類の出現」から「文明の起こり」「国民国家の形成」「主権国家の成立」「国家間の戦争」「局地的戦争・[360]<br />「地理歴史科教育法」
＜世界史分野の学習指導案＞
「現在の世界」
１．教材観
　政治経済、現代社会といった公民科の分野ともいえる冷戦終結後の現代世界を世界史的視点から学び、現代社会を歴史の終点として携えることは、世界史を「人類の出現」から「文明の起こり」「国民国家の形成」「主権国家の成立」「国家間の戦争」「局地的戦争・内戦・紛争」と順次に学んできたことについての総観であり、現在もまた歴史の延長線上に存在するということを自覚させ、社会状況や国際情勢に対し能動的思考を促す一助と成ると思われる。
　日本は長期にわたる鎖国政策を１８５３年のペリー来航により転換し、急速な近代化を推し進めた。１８７２年の徴兵令施行以来、軍国建設を行い、わずか150年の間に「日清戦争(1894－95年)」「日露戦争(1904－05年)」「WWI(1915年)」「満州事変(1931年)」「日中戦争(1937年)」「太平洋戦争(WWII・1941－45年)」と数多くの国家的戦争を行った。戦争を「史実」として理解することに加え、「戦後の『後』」を見つめることは、世界史学習の成果を単なる「知識」に終わらせず、現代社会に生き..]]></description>

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