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		<title>タグ“善悪”の公開資料</title>
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		<description>タグ“善悪”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[65倫理学概論第3課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126353/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:08:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126353/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126353/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126353/thmb.jpg?s=s&r=1473998932&t=n" border="0"></a><br /><br />メタ倫理学の主張について述べよ。[48]<br />メタ倫理学の主張について述べよ。
倫理学には規範倫理学とメタ倫理学がある。正義とは何か、道徳的な行いとは何か、死刑制度は廃止すべきであるかなどの内容について具体的に考えるのが規範倫理学であり、メタ倫理学は正義とはどういうことか、道徳的とはどういうことか、死刑制度とはどういうことかという、道徳的な判断の内容ではなく、その形式を研究する学問のことであり、規範倫理学を英語でstudy of ethics となるが、メタ倫理学はstudy about ethics　となる。
規範倫理学とメタ倫理学の違いは、規範倫理学では考えたことを実践できるが、メタ倫理学ではその実践は何であったかと、問題を提起できる..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[小説ノート2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67843/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 May 2010 16:45:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67843/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67843/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/67843/thmb.jpg?s=s&r=1274514330&t=n" border="0"></a><br /><br />パラドックス13 2010年1月15日 東野圭吾 何が起きたのか、これから何が起きるのか、全くわからない状態ですから、何かを断定するのはやめましょう。
「おまえは、人々が消えたら、何もかもがリセットされるとでも思ってるのか」
「違うのか？学校も会社も組織もないんだぜ。序列だけが残ってるなんてのは、おかしいだろ」
「じゃあ尋ねるが、おまえには歴史がないのか。おまえという人間は、誰とも関わらず、誰の世話にもならず、今のお前があるのか。そうじゃないだろ。いろいろな人に支えられて、そだってきたんじゃないのか」
「たしかにそうだよ。でも俺は、このおっさんには何の世話にもなってないぜ」
「じゃあおまえは、何の行政サービスも受けなかったか。文明の利器を使わなかったか。文化や娯楽を味わわなかったか。おまえよりも先に生まれて社会に出た人間たちが、税金を払い、科学や文化の発展に貢献したから、おまえという人間がここにいるんだ。違うか。それとも、それらのものがすべて消滅したから、もう恩義も感じなくていいというわけか」
誠哉の剣幕に、冬樹はたじろいだ。返す言葉が思いつかなかった。今いわれたような考え方をこれまで..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『戦争におけるプロパガンダに存在する悪についての考察』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961811159546@hc08/52697/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pippy]]></author>
			<category><![CDATA[pippyの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 19 Jul 2009 02:25:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961811159546@hc08/52697/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961811159546@hc08/52697/" target="_blank"><img src="/docs/961811159546@hc08/52697/thmb.jpg?s=s&r=1247937901&t=n" border="0"></a><br /><br />『戦争におけるプロパガンダに存在する悪についての考察』
　　　　　　　　　　　　　　　　　
　戦争におけるプロパガンダに存在する悪とはなんだろうか？
１、戦争プロパガンダ
　始めに、アーサー・ポンソンビー（1871－1946）という[328]<br />『戦争におけるプロパガンダに存在する悪についての考察』
　　　　　　　　　　　　　　　　　
　戦争におけるプロパガンダに存在する悪とはなんだろうか？
１、戦争プロパガンダ
　始めに、アーサー・ポンソンビー（1871－1946）という平和主義者によって提唱された、戦争プロパガンダの１０の法則というものを紹介したい。彼によると、あらゆる戦争において共通する法則があるという。それは以下に挙げるものである。
Ⅰ，「われわれは戦争をしたくはない」
Ⅱ，「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
Ⅲ，「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
Ⅳ，「われわれは領土や覇権のためではなく偉大な使命のために戦う」
Ⅴ，「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる」
Ⅵ，「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
Ⅶ，「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
Ⅷ，「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
Ⅸ，「われわれの大儀は神聖なものである」
Ⅹ，「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
これは、第１次世界大戦中にポンソンビーが戦争プロパガンダの分析を行う上で、法則を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[保育内容の指導法（言葉）2分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430395101@hc06/21563/]]></link>
			<author><![CDATA[ by minminmin]]></author>
			<category><![CDATA[minminminの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 28 May 2008 21:01:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430395101@hc06/21563/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430395101@hc06/21563/" target="_blank"><img src="/docs/983430395101@hc06/21563/thmb.jpg?s=s&r=1211976073&t=n" border="0"></a><br /><br />保育の現場では、よく絵本の読み聞かせが行われている。保育室にも絵本が配置されていることが多く、子どもたちにとって絵本はとても身近なものになっている。ここでは、昔話『おむすびころりん』を取り上げ、読み聞かせではなく素話で子どもたちに話してみて[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳の存在とそれに伴う判断について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429139001@hc07/13075/]]></link>
			<author><![CDATA[ by azaz_2go]]></author>
			<category><![CDATA[azaz_2goの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Feb 2007 15:17:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429139001@hc07/13075/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429139001@hc07/13075/" target="_blank"><img src="/docs/983429139001@hc07/13075/thmb.jpg?s=s&r=1170656244&t=n" border="0"></a><br /><br />倫理学概論レポート
道徳の存在とそれに伴う判断について
世の中には、絶対的に正しい行為、などというものがあるのだろうか。社会や個人の「規範」に囚われることなく、全てにおいて誰もがそうだと認めるような正しさは、果たしてあるのだろうか。中には、[356]<br />倫理学概論レポート
道徳の存在とそれに伴う判断について
世の中には、絶対的に正しい行為、などというものがあるのだろうか。社会や個人の「規範」に囚われることなく、全てにおいて誰もがそうだと認めるような正しさは、果たしてあるのだろうか。中には、数学のような人間たちから切り離され、独立して無条件に正しいものもあるが、これに倣って、全ての事柄を絶対的に正しいと判断するわけにもいかない。そうしたことから、人々が普段何気なく行っている道徳的な判断は、ほとんど１００％何らかの規範に囚われていると言っても過言ではない。つまりそれは『ある種の行為を許すときには、そのような行為は妨げられるべきではないという規則を暗に前提している』のであり、『習俗はたんにくりかえされる習慣であるばかりでなく行為の規則なのである』。そして日常繰り返されるそれらの行為は道徳の基礎として形成されるのである。
道徳の基礎に関してはまず、「事実を引き合いに出す」ということが考えられる。この場合の事実とは、多くの人がその社会において妥当と認められるような規範に沿うものである。例えば、その社会において多くの人々がゴミのポイ捨てを行ってそ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ベンサム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429223501@hc07/12493/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 2manydjs]]></author>
			<category><![CDATA[2manydjsの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 Jan 2007 18:57:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429223501@hc07/12493/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429223501@hc07/12493/" target="_blank"><img src="/docs/983429223501@hc07/12493/thmb.jpg?s=s&r=1168077465&t=n" border="0"></a><br /><br />「善とは快楽のことである」という主張のもっともな点と問題点をそれぞれ検討したいと思う。まずはもっともな点を考えてみると、人々にとって快楽とは決して悪いことではなく、むしろ人々は快楽を好み、それを追求するのが自然といえると思う。そもそも、快楽[360]<br />「善とは快楽のことである」という主張のもっともな点と問題点をそれぞれ検討したいと思う。まずはもっともな点を考えてみると、人々にとって快楽とは決して悪いことではなく、むしろ人々は快楽を好み、それを追求するのが自然といえると思う。そもそも、快楽を欲しないひとはいないといえる。なぜならば、「生きる」という活動において、ひとびとは自らの最も愛すことがらに関して最大限の活動をするが、快楽はこういった活動を完璧たらしめ、したがってひとびとが追求しつつある「生」を完璧たらしめるのである。このように、ひとびとが生きるうえで快楽を追求するのも当然といえるのである。それゆえに、好ましいものは人々にとってよいことであるから、快楽は善といえるのである。ニコマコス倫理学第１０巻の第２章には、エウドクソスが快楽とは逆のものである苦痛という面からもこのことが言えるとしていて、つまり、苦痛とは万物にとって即時的に好ましからぬものであり、それの反対は好ましきものでなくてはならないとするというのである。また、「善とは快楽のことである」という意識が根底にある功利主義をベンサムの論に添う形で見ていくと、これは古くはエピキュロ..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[なぜ蛇は、はじめに「善悪の実」を進めたのか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431648401@hc05/11357/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 未熟児の卵]]></author>
			<category><![CDATA[未熟児の卵の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 Nov 2006 22:23:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431648401@hc05/11357/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431648401@hc05/11357/" target="_blank"><img src="/docs/983431648401@hc05/11357/thmb.jpg?s=s&r=1162905827&t=n" border="0"></a><br /><br />なぜ一番狡猾な蛇が勧めた実が「善悪の木の実」であり、エバとアダムはエデンの園の中央に生えさえて「いのちの木の実」を先に食べず「善悪の木の実」を先に食べたのか。
　ゼミで扱ったキリスト教旧約聖書である創世記内では、3&minus;22から解るように「い[350]<br />　表題　「善悪の木の実」の魅力さと、「いのちの木」の魅力なさについて
なぜ一番狡猾な蛇が勧めた実が「善悪の木の実」であり、エバとアダムはエデンの園の中央に生えさえて「いのちの木の実」を先に食べず「善悪の木の実」を先に食べたのか。
　ゼミで扱ったキリスト教旧約聖書である創世記内では、3－22から解るように「いのちの木の実」は、人間達が永遠に生き延びられるような性質を持つ食べ物であると推測できる。それならば、なぜ「いのちの実を」人間は食べなかったのだろうかと疑問に思い、推論形式のレポートを制作しようと思った。
　推定①、食べてはいけない実についての認識ミス。
　キリスト教旧約聖書である創世記内では、神である主は、7－16から7－18にかけての記述で「善悪の実」は食べてはいけないと謳っているが、「いのちの木の実」についての記述はない。しかし、エバは3－3で、「その中央にある実について・・・それを食べてはならない・・・と仰せになりました。」とご認識した意見を蛇に述べている。これにより、アダムもエバも共に神が命じた食べてはいけないモノに「いのちの木の実」が入っていたと認識していたと考えられる。し..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[安楽死について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432098301@hc05/6967/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuu0822]]></author>
			<category><![CDATA[yuu0822の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 16 Feb 2006 04:49:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432098301@hc05/6967/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432098301@hc05/6967/" target="_blank"><img src="/docs/983432098301@hc05/6967/thmb.jpg?s=s&r=1140032942&t=n" border="0"></a><br /><br />安楽死について
　日本では「安楽死」は法律上認められていないが、オランダでは国家としては初めて「安楽死」を合法化した。年間の死者の3％が「安楽死」で亡くなっている。またアメリカではオレゴン州で1997年に「安楽死」を認めている。安楽死が良[346]<br />安楽死について
　日本では「安楽死」は法律上認められていないが、オランダでは国家としては初めて「安楽死」を合法化した。年間の死者の3％が「安楽死」で亡くなっている。またアメリカではオレゴン州で1997年に「安楽死」を認めている。安楽死が良いか悪いか、国家レベルでの判断が必要となっている。安楽死について良いか悪いかを述べる前に、善悪について述べておくべきであろう。
１　安楽死とは
(1)善と悪
　善と悪とは良い行為と悪い行為の事であるが、それは人により考え方が違うため、善悪の判断には個人により多少の誤差がある。代表的な考え方にベンサムやミルの功利主義とカントの倫理主義(厳格主義)がある。
まず功利主義とは、行為のもたらす結果によりその行為の善悪を判断する考え方である。功利主義は何をなすべきかを問う倫理学の根底に、人間のこの自然の本性を据えるのである。功利主義の立場では、その行為が快をもたらすならばそれは良い行為であり、逆に苦をもたらすならばそれは悪い行為となる。この考え方では自分自身の快さえ増せば良い行為となるのである。
それに対し、行動の動機によって善悪を判断するのが倫理主義(厳格主義..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[富める者と貧しい者]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431011401@hc06/5699/]]></link>
			<author><![CDATA[ by momobuta]]></author>
			<category><![CDATA[momobutaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 25 Jan 2006 01:05:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431011401@hc06/5699/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431011401@hc06/5699/" target="_blank"><img src="/docs/983431011401@hc06/5699/thmb.jpg?s=s&r=1138118711&t=n" border="0"></a><br /><br />　現代の世界では何百人もの人々が常に飢えており、そうでないものも、よりよい食生活によって防ぐことができる欠乏性疾患や伝染病にかかっている。
　そして貧しさというのは食糧不足だけに尽きるわけではない。ロバート・マクナマラは世界銀行総裁のとき[356]<br />　富める者と貧しい者
現代の世界では何百人もの人々が常に飢えており、そうでないものも、よりよい食生活によって防ぐことができる欠乏性疾患や伝染病にかかっている。
　そして貧しさというのは食糧不足だけに尽きるわけではない。ロバート・マクナマラは世界銀行総裁のときに、状況をより全体的に示すために、「絶対的貧困」という言葉を提案したが、先進工業国において我々がよく知る貧困は、相対的貧困である。それは周りに比べて貧しいというもので、他方絶対的貧困というのは、いかなる基準によっても貧しいということである。
　絶対的貧困とは、生存の限界ぎりぎりでの生活である。マクナマラはそれを、人間の品位のいかなる理にかなった定義にも満たないほどに、栄養不良、文盲、疾病、不潔な環境、高い幼児死亡率、短い平均寿命によって特徴付けられた生活条件とまとめている。
　栄養不良で死んでいく人は昨日もいて、また明日にはもっとたくさんいるかもしれない。しかし、このような大惨事は地震や洪水といった災害に比べて、報道されることは少ない。しかし、だからといって問題意識をもたないことは間違いである。
　世界はその住人を養うだけの食料や住..]]></description>

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