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		<title>タグ“アリストテレス”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9/</link>
		<description>タグ“アリストテレス”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[【星槎大学】哲学・倫理学　評価S]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/919105389265@hc22/147365/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nil0000]]></author>
			<category><![CDATA[nil0000の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 28 Jan 2022 20:33:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/919105389265@hc22/147365/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/919105389265@hc22/147365/" target="_blank"><img src="/docs/919105389265@hc22/147365/thmb.jpg?s=s&r=1643369624&t=n" border="0"></a><br /><br />哲学の歴史において、古代ギリシャにおける「魂」と、近世以降における「意識」がそれぞれどのように捉えられていたのかを説明してください。[198]<br />１. 魂について
　人類は30万年以上前に発生し3万年前には今と変わらない姿に進化した。そして、現在よりおよそ5000年から4500年前に、エジプトのナイル川流域のエジブト文明、西アジアのチグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明、現在のパキスタンに位置するインダス川流域のインダス文明、そしてそれらの1000年後、今から3500年前に中国の黄河流域の黄河文明が形成された。文明は起こる以前の文化の基本は青銅器文化であり、宇宙や自然、生命などは様々な神に基づくものが多かったが、文明の始まりからそれらの根源や「魂」について人間は考え始めたのである。
　文明によって魂の哲学的相違はあるものの、人間や生命は「魂」が根源であるという認識は共通している。魂について哲学の用語としては、伊藤（2019）によると「世界の内なる『生きているもの』全てがその生命の原理として持っているものであり、この魂の働きの根幹は生命の維持」するためのものとされている。
　では、古代ギリシャの三大巨人と呼ばれる、ソクラテス、プラトン、アリストテレスは「魂」についてどう考えていたのだろうか。
　「哲学の祖」と言われているソ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[慶應通信　アリストテレス『政治学』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926328904995@hc19/146482/]]></link>
			<author><![CDATA[ by とらふぐ]]></author>
			<category><![CDATA[とらふぐの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Nov 2021 11:58:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926328904995@hc19/146482/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/926328904995@hc19/146482/" target="_blank"><img src="/docs/926328904995@hc19/146482/thmb.jpg?s=s&r=1636513130&t=n" border="0"></a><br /><br />アリストテレス『政治学』を読んで、関心を抱いたテーマについて

この資料の全面コピーandペーストを禁止します。あくまで参考程度にご使用ください[208]<br />課題：アリストテレス『政治学』を読んで、関心を抱いたテーマについて

１．はじめに
　アリストテレス『政治学』を読んで筆者が最も関心を抱いたテーマは、奴隷制についてのアリストテレスの考え方である。本論ではそのことについて論じる。構成に関して、まずアリストテレスの奴隷制の論理を整理し、続く第３章ではそれが後世に与えた影響及びそれがどのように解釈されてきたかを調査する。最後の第４章ではアリストテレスの奴隷制の考え方が現代社会において持つ意義を考察する。結論では本論で述べたことをまとめた上で、アリストテレスの奴隷制の考え方を評価する。

２．先天的奴隷説
　『政治学』においてアリストテレスは、奴隷制を肯定している。彼は、奴隷制は自然に反しないことであると論じる。なぜなら「支配することと支配されることはただ必然なことに属するばかりでなく、また有用なことにも属するからである。そして生れる早々から或る場合には相違があって、或るものは支配されるように出来ており、また或るものは支配するように出来ているからである」 。また別の箇所でも「自然によって或る人々は自由人であり、或る人々は奴隷であるということ、そして後者にとっては、奴隷であることが有益なことでもあり、正しいことでもあるということは明らかである」 と論じている。
　アリストテレスが、人間は平等ではないという事実を奴隷制肯定の根拠としているのは明白である。そして彼が人間の生まれつきの相違として最も強く意識している側面は、身体的なものである。すなわち、奴隷は「生活に必要な仕事に適するほど丈夫な」  身体を持つ一方、自由人の身体は「まっ直ぐで、かような労働には役に立たないが、しかし国民としての生活（中略）には有用なもの」 であると指摘している。言い換えれば、肉体労働をすることがその魂の最善の働きであるような人々は「誰でも皆自然によって奴隷」 なのである。
　では、そのような異なる身体を持つ両者の仕事の相違は何であろうか。奴隷の仕事としてアリストテレスは、生活必需品を作ることを挙げている 。そして「生活必需品のために肉体を以て貢献するということ」 が奴隷的な仕事であると言う。また、生活必需品に関する仕事は多いから、職人・技工など奴隷の種類が非常に多いのは当然であるとされる 。
　他方、アリストテレスによれば、自由人の仕事は生活必需..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育原理Ⅰ　評価B　「テキストをよく理解した上で、人間観が教育観に及ぼす影響について論じなさい」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931908848179@hc18/144879/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hinapiyo]]></author>
			<category><![CDATA[hinapiyoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Jul 2021 21:46:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931908848179@hc18/144879/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931908848179@hc18/144879/" target="_blank"><img src="/docs/931908848179@hc18/144879/thmb.jpg?s=s&r=1627303564&t=n" border="0"></a><br /><br />教育原理Ⅰ　評価B　「テキストをよく理解した上で、人間観が教育観に及ぼす影響について論じなさい」
聖徳大学　保育科
参考文献
｛教育原理｝聖徳大学短期大学部通信教育部
聖徳大学短期大学部通信教育部　平成26年５月１日
｛やわらかア[334]<br />1、はじめに 
人間観とは、「人間とはこういうものだ、こうあるべきだ」等の人間に関する捉え方の事
であり、教育観とは、教育をする上で「教育とはこういうものだ、教えられる側には、こ
うなってほしい」等の思想である。 
人間とは、誰しも特定の人間観を持っている。それは、教育を行う教育者にも言える事
である。教育者は、自分の持つ人間観を土台に教育観を考えるようになる。教育者は、自
分の持つべき人間観の理想に近づけるべく、子どもを育て、成長させていきたいと考える
だろう。一方で、自分の人間観から大きく反した子どもに対しては、思わず困惑してしま
うだろう。 
しかし、子どもは一人一人個性があり、その子の持つ気質や性格、今まで育ってきた環
境など、違って当たり前であり、教育者は一人一人と向き合い、教育を行わなければなら
ない。その為、特定の人物観や価値観に囚われず、柔軟に受け入れられるような、寛容さ
が必要不可欠である。その為には、自分以外の様々な人々の人間観や、思想、教育観など
を学ぶ必要がある。 
本レポートは、これまでの歴史の中でどのような人間観、教育観があったのかをまとめ、
我々が持つべき..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】【2019〜2022年度課題】倫理学概論　分冊1（新教材）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934026253949@hc17/138056/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Mace]]></author>
			<category><![CDATA[Maceの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Aug 2019 22:48:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934026253949@hc17/138056/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934026253949@hc17/138056/" target="_blank"><img src="/docs/934026253949@hc17/138056/thmb.jpg?s=s&r=1565358502&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信　倫理学概論リポート分冊1の合格リポートです。
リポートを書く際の参考・資料等にお使い頂き、内容の丸写しはやめてください。

課題：教科書の第一部を精読し、そこで論じられている倫理学理論の中からあなたがもっとも納得できるものを[346]<br />教科書で紹介された倫理学理論の中で私がもっとも納得できるのは、アリストテレス的徳倫理学である。なにが善いことなのか、正しいことなのかという問いについて考えるとき、人間が備えるべき資質を考えることなくして答えは導き出せないだろう。私たちが「徳倫理」と呼ぶべきものの原点は、魂の探求者とも云うべきソクラテスにあるが、「徳倫理学」と呼ぶべきものを確立したのはアリストテレスである。本レポートでは、アリストテレス的徳倫理学の要点を解説した上で、他の理論との比較を試みる。
アリストテレスは、ソクラテスの後継者であるプラトンの弟子である。ソクラテスといえば、『ソクラテスの弁明』の中で「魂の探求なき生活は人間にとり生甲斐なきものである」と語るほど、魂への問いかけを重視しながら人間という存在の真理に近づこうとした人である。そして、アリストテレスは『ニコマコス倫理学』において、善をプラトンが考えた「イデア」としてではなく、「目的」としてとらえ直した。私たちにとって幸福とは、求められるに値する目的であり、よって、諸目的は幸福という目的のためにあるという。たとえば、「この人間は善い」と語るとき、それは人間固有の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学法学部通信教育課程　２０２０年　哲学 第３課題 C評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138181/]]></link>
			<author><![CDATA[ by C'sf*ckin'idiot]]></author>
			<category><![CDATA[C'sf*ckin'idiotの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 27 Aug 2019 01:20:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138181/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138181/" target="_blank"><img src="/docs/930129924854@hc18/138181/thmb.jpg?s=s&r=1566836422&t=n" border="0"></a><br /><br />２０２０年度、中央大学法学部通信教育課程 哲学 第３課題です。C評価でした。[108]<br />1.最高善
技術や研究、あるいは行為や選択など、およそ人間によってなされるすべての活動は全て何らかの善を希求している。それゆえ善をもってそれぞれの行為の目的と見なさねばならないが、諸々の目的の間には、他のより高次の目的に到達するための手段となるがゆえに目的とされるものから、それ自体が目的であって、もはや他のものの手段とはならない究極的な目的にいたるまで、目的間にさまざまな高低の序列が見られる。たとえば、鞍作り術の目的は鞍であるが、鞍は乗馬のための手段であり、また乗馬は勝利を目的とする戦争のための手段となり、そして勝利は国家存立のための手段であるというように、もはや他の善きものの手段とはならず、かえって他のすべての善きものがそのための手段となるような究極の善が最高善である。だとすれば、一体何をもって人間の求めるべき最高善とすべきか。人間の求めるべき、あるいは人間が手に入れることのできる最高の善、すなわち人間的善を見定めること、それがアリストテレスがその倫理的研究によって目指した課題であった。 
2.幸福
ところで、何が目指されるべき最高の善であるかに関しては、それは幸福であるとして、あら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学　アリストテレスとカントの各々の倫理説を比較して述べなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936400343668@hc16/133904/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mosB]]></author>
			<category><![CDATA[mosBの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 May 2018 12:11:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936400343668@hc16/133904/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936400343668@hc16/133904/" target="_blank"><img src="/docs/936400343668@hc16/133904/thmb.jpg?s=s&r=1526008271&t=n" border="0"></a><br /><br />評価Aレポートです。[28]<br />哲学

アリストテレスとカントのそれぞれの倫理説を比較して述べなさい。
アリストテレスは幸福を究極の目的と捉え、その目的に即した行為を善と捉えた。このためアリストテレスの倫理観は「目的論的」と言われる。これに対しカントは実践理性批判の中で人間の倫理観について、アリストテレス以来の思想とは異なる考え「義務論」を提唱した。彼は「定言命法」を定め、それに従うという「義務」を遂行すること、それこそが「善（善い行い）」である、と主張した。本問では、アリストテレスとカントのそれぞれの倫理観を考察し述べる。

アリストテレスの倫理学では、どの存在者も自然本性からして自己に固有の善を追及し、この善の中で自己の完成を遂げるとされる。アリストテレスの考える善は個別的なものであった。そしてすべての人間が同じ権利を持っているとは考えていなかった。

女性や奴隷や非ギリシア人は根本的な理性が欠如しており、普通のギリシア人と同等の権利を持ちえないと考えていた。それゆえアリストテレスの考える幸福は選別的であり、普遍主義の欠如がみられる。アリストテレスによれば、人間にとっての善は理性に従った魂の活動であり、この活動の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ジェンダーの社会学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931873843025@hc18/132206/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ternod]]></author>
			<category><![CDATA[ternodの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 11 Jan 2018 20:33:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931873843025@hc18/132206/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931873843025@hc18/132206/" target="_blank"><img src="/docs/931873843025@hc18/132206/thmb.jpg?s=s&r=1515670397&t=n" border="0"></a><br /><br />ジェンダー社会学のレポートです。ジェンダー論について独特の観点から論じてみました。西洋思想におけるジェンダー表象の観点から、プラトンにはじまりカストラートの歴史、そして近世日本における水戸学などにも触れて思想横断的に思索した文章です。[351]<br />1
性別（セックス）は生物学的性差で
あるのに対し
、ジェンダー
と
は
社会的／文化的
な
性差である。
かつてプラトンは
『饗宴』の中で
、
男女
とも「完全な身体」から分かれた
相補的な存在という見方
を呈
示し
たが、アリストテレス以降、女性を
「不完全な男性」とする見
方
が
西欧の伝統となった。
近代以降
も
、フロイトの「去勢コンプレックス」
のように、
女性
を
「欠如
し
た存在」とみ
なす見方は継承された。あるいはフランス
近代文学を確立した
オノレ・ド・バルザックの短編小説『サラジー
ヌ』では、
ザンビネッラ
という
カストラート
（
去勢した元男性の
歌
姫）
をめぐる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[慶應通信　倫理学　『アリストテレスとカントの倫理思想』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945301191346@hc13/125439/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Saki_izm]]></author>
			<category><![CDATA[Saki_izmの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 15 Jul 2016 22:32:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945301191346@hc13/125439/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945301191346@hc13/125439/" target="_blank"><img src="/docs/945301191346@hc13/125439/thmb.jpg?s=s&r=1468589530&t=n" border="0"></a><br /><br />評価A
アリストテレスとカントの倫理思想を比較し、共通点と相違点を明らかにしています。
約3500文字[139]<br />倫理学
はじめに
　古代ギリシアの時代から現代に至るまで、人間がよりよく生きるには何が必要なのかということの考察がなされてきた。古代ギリシアの哲学者、アリストテレスの倫理思想は、中世ヨーロッパにおいて再度支持されている。そこで、まずアリストテレスの倫理思想を述べ、次にその影響を受けたカントの倫理思想について述べていく。
アリストテレスの倫理思想
最高善
　人間の生きる目的、人間がより善く生きるということを考えるとき、「より善く」ということが何を意味するのかということが重要となる。そこでアリストテレスは、万物が目指す目的は「善さ」であり、その中でそれ自体として望まれ他のものの手段として望まれるものが「最高善」であると考え、それは幸福であるとしている(1)。アリストテレスの最高善の条件として、次の3つのことを挙げている。
①大所高所に立つ最高能力が追求する望ましさである。
②手段としてではなく、それ自身として望ましいものでなくてはならない。
③卓越性よりも卓越性の活動でなければならない(2)。
最高善を明らかにすべくアリストテレスは、この３条件を満たす能力は「魂の卓越性」であると考えた。そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アリストテレスの論理学―三段論法を中心に―]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943544322665@hc14/112324/]]></link>
			<author><![CDATA[ by TaylorPRS]]></author>
			<category><![CDATA[TaylorPRSの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 May 2014 12:26:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943544322665@hc14/112324/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943544322665@hc14/112324/" target="_blank"><img src="/docs/943544322665@hc14/112324/thmb.jpg?s=s&r=1399001172&t=n" border="0"></a><br /><br />アリストテレスが主張した論理学のひとつである「三段論法」を中心にまとめています。
どちらかと言えば、言語哲学に近いです。[178]<br />「アリストテレスの論理学―三段論法を中心に―」
I. はじめに
　論理学とは、知を探求し事物を論理的に捉えるときに、必要な考え方のひとつである。クーパーによると、論理学とは、推論あるいは推論の仕方の体系的研究であり、つまり、与えられた諸前提から何が帰結し、そして、なぜそれが帰結するかについて研究するものだと論じている（セドレー編, 2009: 196）。ここでは、アリストテレスが発見した論理学のひとつである三段論法の定義および解釈について考えたい。
II. アリストテレスの三段論法の定義
II-1. 三段論法を考える上で満たす条件
　野内（2010: 67-68）によると、三段論法を考える場合には、内容の真偽はともかく次の５つの条件を満たさなければならないという。それは次の通りである。
(1) ふたつの前提と結論からなる三段構成である
(2) 名詞、形容詞、動詞などの3つの名辞（概念）が問題になる
(3) どの命題も主語と述語からなる
(4) 結論にある主語と述語は両前提を通じて一回だけ出てくる
(5) 両前提に出てきた結論で消える中名辞（媒介概念）が必ずある
(1)のふたつの前提とは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[法の目的について説明しなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945053294212@hc13/108705/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mee2]]></author>
			<category><![CDATA[mee2の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 Dec 2013 15:13:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945053294212@hc13/108705/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945053294212@hc13/108705/" target="_blank"><img src="/docs/945053294212@hc13/108705/thmb.jpg?s=s&r=1386137590&t=n" border="0"></a><br /><br />法学「法の目的について説明しなさい。」
評価：A
文字数：1,830[86]<br />連日、マスメディアによって多くの犯罪事件が取り沙汰されている。社会には、自分自身を含めそれぞれの個性を持った人間が暮らしている。人一人として、同じ個性を持つ人間などいない。それだけ多種多様な人々がいれば、争いやいざこざも必ず起こるということである。社会が社会として成立するためには、構成員である人間が標準的な社会道徳によって定められた規則を守る必要がある。しかし社会秩序を乱す者がいれば、その規則によって罰することができる。そうすることによって社会生活を安定させるのである。法にはそのようにして、正義の実現により社会秩序を維持させる目的があると考えられる。
1．社会規範としての法
　自らを律するということを全ての人間ができれば規則など必要ない。だが、欲望を含め感情という不安定な要素を持っているために、機械のように全ての動きを自制するということができないのが人間なのである。他人のことを顧みずに、自己利益のみを追求した勝手な行動をとってしまうこともある。すると、他者に損害を与えたり、社会全体に不利益をもたらすことになるのである。そのため冒頭で述べたように、社会秩序維持のために個人の行動を規制する..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　Q0505　哲学概論　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945970123249@hc13/105258/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atago]]></author>
			<category><![CDATA[atagoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 29 Jul 2013 11:03:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945970123249@hc13/105258/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945970123249@hc13/105258/" target="_blank"><img src="/docs/945970123249@hc13/105258/thmb.jpg?s=s&r=1375063391&t=n" border="0"></a><br /><br />合格したレポートです。参考にしてください。[63]<br />第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
アリストテレスにとって存在としての存在の原理・原因を研究する学が他の諸学と区別せられて第一哲学（存在論、形而上学）と呼ばれる。存在は付帯的存在、本質的存在、真としての存在、可能態・現実態としての存在に分類される。付帯的存在とは、「人間には教養がある」というように、主語と述語との一時的、偶然的な結びつきにおける「在る」である。真としての存在は、存在とは真であり、非存在は偽であるということである。本質的な存在は主語と述語との必然的な結びつきにおける「在る」であり、それ自体において存在するという意味での存在であり、この存在が最も基本である。その意味での存在は、実体であり、第一義的存在である本質及び個物としての存在と述語諸形態とに分けられる。実体の意味はさまざまあり、一つに実体は単純物質、内的原因、限界、本質に分類され、もう一つに実体は基体と本質と普遍概念と類とに分類される。実体には「他のいかなる基体（主語）の述語（属性）でもなく、かえって他の事物がこれらの述語であるところ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論　設題１・２セットＡ評価　佛教大学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955990722919@hc10/101324/]]></link>
			<author><![CDATA[ by みっちゃん]]></author>
			<category><![CDATA[みっちゃんの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 02 Mar 2013 13:55:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955990722919@hc10/101324/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955990722919@hc10/101324/" target="_blank"><img src="/docs/955990722919@hc10/101324/thmb.jpg?s=s&r=1362200121&t=n" border="0"></a><br /><br />教科書・参考資料を参考に作成したオリジナルレポートです。レポート作成の参考にして下さい。丸写し不可でお願いします。[171]<br />設題１『第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。』
設題２『第三章「知識の問題」第一節「認識の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。』
第一設題
存在とは
存在の問題は、古来より人間の知的興味を捉えてきた。「在る」というテーマは、古代哲学者達の時代から様々な問題が多様な形で考えられ、色々な可能性が議論されている。ここでは存在の原理・原因を研究した第一哲学（存在論・形而上学）の端緒となるアリストテレスの存在概念一般についてまとめていきたいと思う。
アリストテレスの形而上学
（１）存在の分類
アリストテレスは「存在（to on）」を全体として見た時に、次のように分類出来るとした。
付帯的存在
主語と述語との一時的・偶然的な結びつきで、「人間は教養がある」のように基本的存在に何らかの属性が付帯している場合の「在る」。
本質的存在
主語と述語との必然的な結びつきで、「人間は動物である」のように実体・性質・分量・関係・能動・受動・場所・時間などを示す「在る」。
真としての存在
存在は真、非存在は偽であり、真と偽の判断は自体的存在との関係においてのみ存在する「在る」であり、①と②に関連する副次的・付随的なもの。「存在としての存在」の原理からは除外される。
可能態・現実態としての存在
②の範疇に含まれる「在る」。現実態は常に可能態よりも本源的であると見なされる。
以上のように「存在」には様々な意味があるが、それ自体で存在するという意味での本質存在が最も基本の存在となる。更に、存在は本質及び個物としての存在と、述語諸形態とに分ける事が出来る。前者は第一実体と呼ばれる実体（基体）で、根本的に類や種差に分けることの出来ない数的に一になる個的存在者であるのに対し、後者は実体（基体）の中の形相と見なす事の出来る本質・普遍・類を指し、第二実体と呼ばれる。例えば「ソクラテスは人間である」を例にすると、ソクラテスが第一実体で人間が第二実体となる。
（２）質料と形相・転化・四原因説・可能態と現実態
また、アリストテレスは質料（素材）と形相（本質）から成る個的存在（個物）は転化する存在であると考えた。転化とは生成と消滅・変化・増減・移動の四種の過程を指す。彼はこの転化運..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アリストテレスとカントの各々の倫理説を比較して述べなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952794317263@hc11/99279/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lady...]]></author>
			<category><![CDATA[lady...の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 Dec 2012 13:37:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952794317263@hc11/99279/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952794317263@hc11/99279/" target="_blank"><img src="/docs/952794317263@hc11/99279/thmb.jpg?s=s&r=1355459850&t=n" border="0"></a><br /><br />評価は４で返却されています。[42]<br />「倫理学」とはどのようなものなのか。また、アリストテレスとカント各々の「倫理説」はどのようなものかを論じていく。
まず最初に、「倫理学」とはどのようなものなのか。
　「倫理学」とは、人間の秩序だった関係を「倫」と定める「理」を考察する学問である。
元々は住み慣れた場所や慣れた行動や習慣、それらから形成される人柄や品性などの総称をいう「エートス」のことを指していた。倫理学をエートスに関する諸々の事柄という学問として確立したのが、アリストテレスである。
　続いて、アリストテレスとカント各々の「倫理説」はどのようなものか。
　第１に、アリストテレスの倫理説は「徳倫理学」というものである。
　アリストテレスによると、人間の営為には全て目的があるとしている。その目的の頂点には、それ自身が目的である「最高善」がある。この最高善は幸福のことだが、幸福は快楽を得ることだけではなく、政治を実践して理性を発展していくことで、いかに善いことをすべきかではなく、いかに善い人間になるかということとした。これは、よく生き、よく行為することとほど同じことである。
　アリストテレスのいう理性の発展は、人間としての徳の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952724824624@hc11/95729/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shi24]]></author>
			<category><![CDATA[shi24の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 Aug 2012 13:51:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952724824624@hc11/95729/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952724824624@hc11/95729/" target="_blank"><img src="/docs/952724824624@hc11/95729/thmb.jpg?s=s&r=1344315073&t=n" border="0"></a><br /><br />哲学概論　第１設題Ａ評価レポートです。　参考にして下さい。[87]<br />第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
はじめに、アリストテレスは、存在への問いを明確に立て体系化した最初の人物である。彼は、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れる為の「道具」であるとした上で、「論理」、「実践」、「制作」に三分し、「論理学」を「自然学」と「形而上学」に、「実践学」を「政治学」と「倫理学」に、そして「政策学」を「詩学」に分類した。
中でも形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。すなわち、存在者のさまざまな特性を問う個別科学とは区別され、その上位に位置づけられる究極の学問として、「存在者である限りでの存在者」、「全体としての存在者」、すなわち「存在とは何か」を問う学問を構想し、これを「第一哲学」と呼んだのである。
以下に、何が存在であり、存在とは何であるかいにつてアリストテレスの存在概念をまとめるものとする。
上述した通りアリストテレスにとって存在としての存在の原理・原因を研究する学を第一哲学（存在論、形而上学）と呼ばれている。ア..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R0512　哲学概論　第１設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950691198591@hc12/95216/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sanjyushi001]]></author>
			<category><![CDATA[sanjyushi001の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Jul 2012 01:00:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950691198591@hc12/95216/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950691198591@hc12/95216/" target="_blank"><img src="/docs/950691198591@hc12/95216/thmb.jpg?s=s&r=1343059229&t=n" border="0"></a><br /><br />第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
我々は日常生活において「ある＝在る」という述語を多く使っている。この「在る」＝「存在」ということについて探求・考察したのがアリストテレスである。
彼の全学問の基礎は、存在としての存在を探求する存在論、形而上学にあり、これを第一哲学と呼んだ。彼の師であるプラトンは、存在として目に見える個物は私たちの住んでいる世界（現象界）にあり、その個物の本質は現象界を超えた、非物体的で、普遍・完全・不変・永遠で、目に見えないイデア界（英知界）にあるとした。これに対し、アリストテレスは、本質は目に見えないイデア界にあるのではなく、個物に内在すると考え、存在としての存在の原理・原因を研究したのである。
その研究の中で、彼は、その存在のあり方を実体、性質、分量などの十個の述語形式（範疇）に分類した。例えば、「私は人間である」（実体）、「私は男性である」（性質）、「私は一人である」（分量）などの範疇であり、主語と述語との必然的な結びつきにおける存在を、主語となって述語にはなりえない個物こそ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学　通信教育　倫理学概説　課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951366381787@hc11/90930/]]></link>
			<author><![CDATA[ by かつかつかつ]]></author>
			<category><![CDATA[かつかつかつの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 27 Feb 2012 23:27:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951366381787@hc11/90930/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951366381787@hc11/90930/" target="_blank"><img src="/docs/951366381787@hc11/90930/thmb.jpg?s=s&r=1330352862&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポートです[24]<br />「実践の意義」を考えるために、アリストテレスの「二コマコス倫理学」を取り上げて述べていきたい。
二コマコス倫理学の冒頭では、「どのような技術や探求も、行為も選択も同じく、何らかの一つの善いものを目指していると考えられる」と述べられている。つまり、人間は常に善きものを目的として行為する。その場合、「最高に善きなるもの」とは、他の目的の手段となるものではなく、それ自身のために追求される絶対的な善ではなくてはならない。アリストテレスはこれを「幸福」であると考え、人間の最高善は幸福であり、それは人間に固有な性質（人間のアレテー・徳）とかのかかわりで生まれてくるべきである。したがって、人間の幸福は、欲情的・感覚的に生きることではなく、理性に従って生きることであるとして、「知性的な徳」を尊重する幸福感を主張した。
アリストテレスは「知性的な徳」を最も価値を置いている。アリストテレスは知性の対象は真理である、と述べた上で知性を二種類に分ける。一つに理論的な知性である。理論的な知性は真理を真理のために求めるものだとする。その対象は必然的、永遠に変わらないものであり、例えば、科学的真理などがそれに当たる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学・論理学レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963745402112@hc07/81825/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chaka]]></author>
			<category><![CDATA[chakaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 30 May 2011 00:02:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963745402112@hc07/81825/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963745402112@hc07/81825/" target="_blank"><img src="/docs/963745402112@hc07/81825/thmb.jpg?s=s&r=1306681335&t=n" border="0"></a><br /><br />オッカムによる、スコトゥスとエギティウス・ロマヌスの説の批判を自分なりに解釈しまとめたものです。resとよばれる個体は何によって区別され、そのものであるという確証を得ているか、についてオッカムがスコトゥス批判をしています。
エギティウス・ロ[352]<br />哲学・論理学レポート
「スコトゥスの『個体化の理論と共通本性』」・「エギティウス・ロマヌスの『量独立説』」に関するオッカムの批判
１）スコトゥスの個体化の理論について
Ⅰ．概要
　同一のres内に形相的に異なる２つの存在（①共通本性・②個体的差異・このもの性）が存在する。
Ⅱ．スコトゥスの主張①
　自らに属する形式的に同一のものによってresAとresBが実在的に一致するならば、resAとresBは同じである。そのとき、その同一のもの（＝自らに属する形相的に同一のもの）によってresAとresBが異なることはあり得ない。ここで言う自らに属する形相的に同一のものとは①共通本性のことである。まとまると、resA,resBにおいて個体が一致する本質（①共通本性）と個体が異なる特質（②個体的差異）は相違し、区別される（同一res内には２つの存在性①共通本性・②個体的差異がある。と結論される。
Ⅲ．スコトゥスの主張②
　ソクラテスとプラトンという２人の人間を例に挙げて考えてみる。２人は「人間である」という共通本性により、実在的に一致している。また2人は「ソクラテス性」「プラトン性」という個体的差..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[物理の世界～自由落下]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78517/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78517/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78517/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78517/thmb.jpg?s=s&r=1296574128&t=n" border="0"></a><br /><br />自由落下の「落下」は文字通り、物は高いとこから下に落ちる意味である。ポイントは「自由」この二文字である。第一、落下が始まる時に物は静止の状態であり、即ち初速度は０である。もし、物に何かの初速度を与えたら、自由落下ではなくなる。第二、物は落下の途中で、重力以外の力の作用を受けていない。
地球の引力と物が地球中心までの距離は反比であるが、地面の付近では、地球の半径は自由落下が経過した距離より遥かに長いため、地面の近くの引力は変わらないと見なしてもよい。空気の抵抗を考えなければ、自由落下の加速度は変わらない定数である。初速度は０の等速直線運度であり、その加速度イコール重力加速度ｇである。
　自由落下の瞬間速度の計算公式はv=gt、変位の計算公式はh=1/2&middot;gt^2である。
　普通の場合、空気の中に自由落下体の運度速度の増加とともに、空気の抵抗もすこしずつ増え続ける。落下体を受ける重力と空気抵抗が等しくなった時、落下体は等速に落下する。その時達した最高速度は、すなわち最終速度と呼ばれている。例えば、空から降下した人はパラシュートを開かない場合、最終速度は秒速５０メートル、開いた場合だったら、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yoshyy]]></author>
			<category><![CDATA[yoshyyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Jan 2011 03:50:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/" target="_blank"><img src="/docs/953894836063@hc11/77720/thmb.jpg?s=s&r=1295376631&t=n" border="0"></a><br /><br />幸福と理性の関係について述べよ
1、幸福と理性の関係について
　「幸福とはどんな時か？」や「幸福とは何だと思うか？」と人に尋ねれば、「宝くじが当たった時」や「家族で楽しく食事をしている時」などの百人百色の答えが返ってくるだろう。
　そして、それらの答えに共通して言える事は、お金、健康、人間関係やスポーツ等の活動、大会での優勝や学問的な成果、生理的欲求等が満たされた時といった要素と、「うれしい」や「満足」といった感情の2つの要素が必要であると言えるだろう。
　すなわちスポーツの大会に負けても、その大会に出場できた事に対して「うれしい」や「満足」だと思えるのであれば、幸福であると言えるのではないだろうか。
　今回は、エピクロス、ストア派、アリストテレス、カント、以上4人の幸福論を考えてみようと思う。
　
2、エピクロスの幸福論
　エピクロスの考える幸福とは、幸福＝快＝善であるという考え方である。
　しかしエピクロスの考える快は普段私達が考える快楽とは違いアタラクシア(atra-xia)
と呼ばれる状態である。
　アタラクシアとは、精神的な苦痛が無いことと、心が平静であるということで、エピ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国士舘大学　倫理学概論(前期)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66827/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kino77happy]]></author>
			<category><![CDATA[kino77happyの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 22:15:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66827/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66827/" target="_blank"><img src="/docs/960471950769@hc08/66827/thmb.jpg?s=s&r=1273497318&t=n" border="0"></a><br /><br />倫理学概論
倫とは、人の輪を表しており、人間関係や社会関係のことである。
理とは、筋道のことである。
倫理とは、人間関係、社会関係においての筋道という意味である。
ソクラテス
神は自らの理性と意志の中に存在する
自分の魂(精神)をできるだけすぐれたものにせよと説いており、そのためには、何が善で何が悪であるかの正しい知識が必要である。今知っていることに満足せず、知らないことを知ろうとすること、それが汝自身を知れである。人間の知恵の最高のあり方は、無知の自覚から発する、知への愛にあると説いた。知への愛をフィロソフィアといい、哲学の言語である。事物の普遍不易である真知は、徳につながり、徳は幸福につながる。知的な教育をもって徳を求めることが、人間の幸福であると説いた。
しかし、神への冒涜（ぼうとく）、戦争の不利、若者を誤らせたとして裁判にかけられた。
プラトン
プラトンの著書は対話篇になっている。
世界を経験世界とイデア世界の二つに分けた。生成、流転、消滅する、変化のある不完全な現実の世界を経験世界とした。模範、原型、完全で変わることのない理想の世界をイデア世界とし、人々の目をイデアに向けよう..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「時間」論―古代西欧哲学における時間の捉え方]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960846083458@hc08/53582/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happy365days]]></author>
			<category><![CDATA[happy365daysの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 01:38:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960846083458@hc08/53582/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960846083458@hc08/53582/" target="_blank"><img src="/docs/960846083458@hc08/53582/thmb.jpg?s=s&r=1249576732&t=n" border="0"></a><br /><br />「時間」とは何か
１．はじめに
「時間」とは、何だろうか。時間そのものは、あるといえるのだろうか。
本レポートでは、身近に存在しているが、考えて見ると捉えることが難しい時間という存在について、パルメニデスを中心にゼノン、アリストテレス[348]<br />「時間」とは何か
１．はじめに
「時間」とは、何だろうか。時間そのものは、あるといえるのだろうか。
本レポートでは、身近に存在しているが、考えて見ると捉えることが難しい時間という存在について、パルメニデスを中心にゼノン、アリストテレスの学説を交えつつ、考えていきたいと思う。
２．パルメニデスと非時間性
　西洋古代において、最初に哲学を行ったのはタレスからだとされている。タレスやアナクシマンドロス、アナクシメデスといったミレトス派の哲学者たちは、それ以前の神話的世界観に対し、「万物の根源（アルケー）」という物理的原理を自然の中に探求することによって、感覚的な日常世界の解明を試みた。このように感覚によって経験的に世界を捉えた先人の哲学者に対し、理性によって論理的に世界を捉えるべきだとして、「存在」という抽象的概念を考察したのが、エレア派のパルメニデスである。
パルメニデスは、「あるものはある。あらぬものはあらぬ」という命題を立て、抽象的概念である「存在」を考察した。ここから彼は、あるものが消えることもあらぬものが現れることも起こりえないとし、存在するものにおける消滅や生成、変化、運動、多様..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[古代ギリシア思想三大哲学者]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431572201@hc05/51661/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sakihyde]]></author>
			<category><![CDATA[sakihydeの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 27 Jun 2009 13:19:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431572201@hc05/51661/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431572201@hc05/51661/" target="_blank"><img src="/docs/983431572201@hc05/51661/thmb.jpg?s=s&r=1246076370&t=n" border="0"></a><br /><br />古代ギリシア思想　三大哲学者
　
　三大哲学者とは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのことである。三大哲学者たちは、ポリスの崩壊過程の中で思索を重ねた。ソフィストたちが、ともすれば詭弁に堕していく中で、この三人は人間の生きる道や社会のあ[356]<br />古代ギリシア思想　三大哲学者
　
　三大哲学者とは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのことである。三大哲学者たちは、ポリスの崩壊過程の中で思索を重ねた。ソフィストたちが、ともすれば詭弁に堕していく中で、この三人は人間の生きる道や社会のあり方を考察した。この三人の思想をテーマにして私の考えを述べていく。
1．ソクラテス
ソクラテスは、中年期の初めに「ソクラテスよりも賢いものはいない」というデルフォイの信託を友人から聞かされる。ソクラテスは奢り高ぶらず、この信託を「無知の知」と解釈する。つまり、自分が無知であることを自覚しているという意味にとり、その分だけ他者よりも自分が優っているとした。そして、「無知の知」を、真の「知」に向かっていくための出発点として捉えていたと考察する。
　また、ソクラテスにおいては、真の知は人を正しい実践に駆り立てる力があると考えられる。つまり、真の知は正しい行為を導き（知行合一）、それは徳（アレテー）となって現れる（知徳合一）とされる。彼は徳の本質が「知」にあると考えていたのだろう。
　ソクラテスが、友人の逃亡の勧めを拒み、毒杯を仰いで死んでいったことは有名で..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理レポ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961331355462@hc08/23878/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 山葉堂]]></author>
			<category><![CDATA[山葉堂の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Sep 2008 11:37:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961331355462@hc08/23878/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961331355462@hc08/23878/" target="_blank"><img src="/docs/961331355462@hc08/23878/thmb.jpg?s=s&r=1221014275&t=n" border="0"></a><br /><br />ヨーロッパ倫理思想－アリストテレスまで　
ミレトス学派の人々は世界を構成する多種多様なものたちを統べる不滅の何者かが存在すると考えた。ここではそれが何かの答えを規定するのが重要なのではなく、不滅な実体を探求したこと、複雑な現象から単純な実[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学（１分冊）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430395101@hc06/21615/]]></link>
			<author><![CDATA[ by minminmin]]></author>
			<category><![CDATA[minminminの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 01 Jun 2008 16:33:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430395101@hc06/21615/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430395101@hc06/21615/" target="_blank"><img src="/docs/983430395101@hc06/21615/thmb.jpg?s=s&r=1212305629&t=n" border="0"></a><br /><br />アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は 論理学 として、 三段論法 などの形で体系化された。 アリストテレスの死後、彼の論理学の成果は『オルガノン』(Organon)として集大成され、これを[332]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学者]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962450015628@hc08/21414/]]></link>
			<author><![CDATA[ by タンタン]]></author>
			<category><![CDATA[タンタンの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 18 May 2008 01:31:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962450015628@hc08/21414/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962450015628@hc08/21414/" target="_blank"><img src="/docs/962450015628@hc08/21414/thmb.jpg?s=s&r=1211041862&t=n" border="0"></a><br /><br />哲学と心理学はとても似ている。哲学を学ぶには心理学が必要とされ、また、心理学を学ぶにも哲学は必要である。そういった観点から、今回は有名な哲学者であるソクラテス・プラトン・アリストテレスについて調べた。
ソクラテス
　「無知の知」「汝、自身を[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アリストテレス]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962406364888@hc08/21338/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 3103ss]]></author>
			<category><![CDATA[3103ssの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 May 2008 00:54:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962406364888@hc08/21338/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962406364888@hc08/21338/" target="_blank"><img src="/docs/962406364888@hc08/21338/thmb.jpg?s=s&r=1210262076&t=n" border="0"></a><br /><br />ソクラテスを賢者、プラトンを詩人とすれば、アリストテレスは独断的な体系化であるとするのが一般の動かぬ見解である。
も大きな影響を受けた。そしてプラトンの死後、後継者問題が勃発するのを契機にアリストテレスはアテナイを去る。これが第二期、遍歴[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生物学・化学・物理学の歴史的変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431506701@hc05/3836/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shun0915]]></author>
			<category><![CDATA[shun0915の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 11 Dec 2005 11:33:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431506701@hc05/3836/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431506701@hc05/3836/" target="_blank"><img src="/docs/983431506701@hc05/3836/thmb.jpg?s=s&r=1134268404&t=n" border="0"></a><br /><br />１．生物学と物理学の関係について
　古代ギリシアでアリストテレスによって始められたのが発祥とされる生物学の根本的命題はいのちの解明にあった。その命題について16世紀ごろの哲学者デカルトは、生命の神秘的な現象、たとえば動物の動き、器官の様々[352]<br />１．生物学と物理学の関係について
古代ギリシアでアリストテレスによって始められたのが発祥とされる生物学の根本的命題はいのちの解明にあった。その命題について16世紀ごろの哲学者デカルトは、生命の神秘的な現象、たとえば動物の動き、器官の様々な働きを機械の仕掛けと基本的には同じ原理であると考えた。生物は超複雑な機械で、生物と無生物の間に本質的な違いはないという「動物機械論」というこの考えが正しければ、生物学の研究が物理学や化学と同じ手法で行うことができることとなる。
このような機械論的自然観は、自然一般を対象にする自然科学的研究を活気づけ、とりわけ人間や動物の身体を対象にする自然科学的研究を活気づけることになる。人間の身体を機械として捉える研究方法は、18世紀末にイタリアのガルヴァニによって、いわゆる「動物電気」が発見されると、その有効性が強く確認されることになる。つまり、機械的にとりだされた電流を加えることによって、身体に筋肉収縮が生じることが発見され、また味覚や視覚などの感覚的な現象も、然るべきところに電流を流すによって生じることが発見されるのである。この発見は、「感覚」という、人間の意..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[デモクラシーの変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/10316/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sugiyama]]></author>
			<category><![CDATA[sugiyamaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 05 Aug 2006 17:25:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/10316/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/10316/" target="_blank"><img src="/docs/983432196501@hc05/10316/thmb.jpg?s=s&r=1154766315&t=n" border="0"></a><br /><br />デモクラシーはその対偶として何が置かれるかによってその意義を変動させてきた。哲人政治が念頭に置かれたとき、デモクラシーは暴徒の支配とほぼ同意義であった。絶対主義的専制政治が対偶概念に置かれたとき、それは人民の直接的政治参加を指した。身分制議[360]<br />「各国思想論　期末レポート」
　　　　　　　　　　　　　　
　デモクラシーはその対偶として何が置かれるかによってその意義を変動させてきた。哲人政治が念頭に置かれたとき、デモクラシーは暴徒の支配とほぼ同意義であった。絶対主義的専制政治が対偶概念に置かれたとき、それは人民の直接的政治参加を指した。身分制議会と君主の統治がおかれたときは、代議制・普通選挙制の獲得運動をさした。これらに共通する核とはなんだろうか。イギリスの政治哲学者は「曖昧ではあるが、その根本にはすべて人民の権力という理念があり、権力とおそらくは権威も人民の側にあるような状況が核となっている」と指摘している。
　デモクラシーとはいったい何であろうか。歴史的な起源から見てみたい。
デモクラシーという言葉はギリシャが起源で、デーモスと権力、支配の意味のクラトスという二つの語からできた。デーモスは何をいうかはよくわかっていないが、アリストテレスにとってデーモスは貧者と同義語としている。
アリストテレスは民主制に懐疑的であった。アリストテレスは「よき民主制が成り立つとすれば、田舎に散在して居住しているために民会に参加しがたい人々が多い..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アリストテレス「目的論」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429794701@hc06/10159/]]></link>
			<author><![CDATA[ by meleto]]></author>
			<category><![CDATA[meletoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 31 Jul 2006 03:10:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429794701@hc06/10159/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429794701@hc06/10159/" target="_blank"><img src="/docs/983429794701@hc06/10159/thmb.jpg?s=s&r=1154283056&t=n" border="0"></a><br /><br />アリストテレスやプラトンは、人間の行為は目的の追求であるとした。目指すは究極の目的、すなわち最高善である。以下、アリストテレスの言う「目的論」、「徳」に対して、私見を述べたいと思う。
アリストテレスは、行為には目的があり、その目的にもまた[356]<br />基礎倫理学　４学期末レポート
　アリストテレスやプラトンは、人間の行為は目的の追求であるとした。目指すは究極の目的、すなわち最高善である。以下、アリストテレスの言う「目的論」、「徳」に対して、私見を述べたいと思う。
　アリストテレスは、行為には目的があり、その目的にもまたさらなる目的があるとした。そしてその目的手段の連鎖の果てが最高善だと考えた。しかし、全ての行為がその連鎖を持つとは限らないではないか、という意見もある。目的の連鎖は終わらなければならないとアリストテレスは言うが、そもそも連鎖自体が必ずしも存在しないのではないか、と。例えば「食べる」という行為。この行為の目的は「空腹を満たす」である。ではなぜ「空腹を満たす」のか。空腹が続けばやがて餓死してしまう。すなわち「生きる」ためだ。ではなぜ「生きる」のか。この問題は、そもそも行為論における最初の問題であり、私たちは振り出しに戻ってしまうことになる。つまり、「食べる」という行為においては目的を連鎖させることができない、と言えないだろうか。このように、「さらなる目的を待たない目的」しか持たない行為は多く存在すると思う。なぜなら、「さら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 真空に関する諸学説について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/8208/]]></link>
			<author><![CDATA[ by e09012004]]></author>
			<category><![CDATA[e09012004の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 02 May 2006 14:58:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/8208/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/8208/" target="_blank"><img src="/docs/983430776801@hc06/8208/thmb.jpg?s=s&r=1146549491&t=n" border="0"></a><br /><br />１、古代の真空説について
原子論を完成させたデモクリトスは、宇宙を含む自然とは、目に見えない微少な粒子とその微粒子が動く空間から成り立っていると主張した。また、原子とは形、大きさ、位置、順序がすべて違い、無数にあり、原子の中には運動の原因[356]<br />　真空に関しての諸学説及び各実験について
１、古代の真空説について
原子論を完成させたデモクリトスは、宇宙を含む自然とは、目に見えない微少な粒子とその微粒子が動く空間から成り立っていると主張した。また、原子とは形、大きさ、位置、順序がすべて違い、無数にあり、原子の中には運動の原因が含まれているとした。そして、原子のまわりにある空間は真空の状態であり、原子はその中を自由に運動することができると定義した。
アリストテレスが述べた上下運動とは、それぞれの元素が固有の場所へ戻るための運動であり、起動者が元素自身の中にあるとし、これを自然の運動と呼んだ。いくつかの元素で構成されている物体は、それに含まれている元素の量の多少により運動の方向が定められるのである。これに対し、物体を投げるなどの外力により起きる運動は、強制された運動と呼んだ。強制された運動は、運動の原因である起動者がなくなれば、運動が止まってしまうか、自然の運動に移ってしまうものである。
さらにアリストテレスは、自由落下運動において、媒質が違う場合と運動体の重さが違う場合について考え、落下する運動体の速度は重さに比例し、媒質の抵抗に反..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 元素に関する諸学説について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/8207/]]></link>
			<author><![CDATA[ by e09012004]]></author>
			<category><![CDATA[e09012004の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 02 May 2006 14:55:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/8207/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/8207/" target="_blank"><img src="/docs/983430776801@hc06/8207/thmb.jpg?s=s&r=1146549343&t=n" border="0"></a><br /><br />１、古代の元素説について
　原始・古代時代をとおして発見された金・銀・銅・鉄・スズ・鉛・水銀は古代の七金属と呼ばれている。このほかに非金属である、硫黄と炭素が発見されている。しかし、古代において水銀は金属と認められておらず、金と銀の合金で[356]<br />　元素に関しての諸学説について
１、古代の元素説について
　原始・古代時代をとおして発見された金・銀・銅・鉄・スズ・鉛・水銀は古代の七金属と呼ばれている。このほかに非金属である、硫黄と炭素が発見されている。しかし、古代において水銀は金属と認められておらず、金と銀の合金で貨幣として使用されたエレクトラムを加えて七金属と呼ばれる場合があった。
　人類に最も早く知られた金属は銅であり、自然銅の発見は西暦紀元前５０００年以前といわれている。一般にいわれている説では、青銅は銅より遅く使われており、トロイの遺跡などから発見された青銅は、銅とスズの合金であったとされている。故に、スズも銅と同じ時期に発見されたといえる。
銅の次に人類に知られたのが金である。発見された時期は、西暦紀元前４０００年以前であり、自然金としての産出は、西暦紀元前８００年頃といわれている。すでにその時期の人は、金というものが展性と延性に富んでおり、空気中・水中で美しい光沢を失うことがなく、また、他の物質と化合することが少ないということを知っていたといえる。
銀は、西暦紀元前３８００年頃から自然銀が知られていたが、銀は単独では現..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の歴史的変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431108101@hc06/6116/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jamesdean]]></author>
			<category><![CDATA[jamesdeanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 01 Feb 2006 22:13:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431108101@hc06/6116/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431108101@hc06/6116/" target="_blank"><img src="/docs/983431108101@hc06/6116/thmb.jpg?s=s&r=1138799615&t=n" border="0"></a><br /><br />紀元前5世紀頃、アテナイを中心に「徳の教師」を自称する｢知識人｣(ソフィスト)たちが青年たちに、すぐれた市民になるための徳を授けようとしていた。そのソフィストの代表者プロタゴラスとソクラテスが「徳は教えられるかについて論争をおこなった。
[350]<br />道徳教育の歴史的変遷
紀元前5世紀頃、アテナイを中心に「徳の教師」を自称する｢知識人｣(ソフィスト)たちが青年たちに、すぐれた市民になるための徳を授けようとしていた。そのソフィストの代表者プロタゴラスとソクラテスが「徳は教えられるかについて論争をおこなった。
｢徳は教えられるか｣という問題には、「徳とは何であるのか」という問題と、｢教えるとは何であるのか｣という問題のとの、二つの問題がある。プラトンの記した『メノン』では、教えられる唯一のものは知識(エピステーメ)であるとしている、では「徳が知識であるならば教えられる」のである、したがって「徳は知である」と証明されるのである。
しかし、その証明できたときの知は、知識（エピステーメ）ではなく、知見（フロネシス）というものになっていたのである。徳が知見であると証明されれば、次に徳は教えられるかという証明なのだが、物事を教えるためには教師が必要である、しかるに徳（＝知見）には教師はない。したがって徳は教えられないという結論になるのである。『メノン』の最後に「徳は神から賜る運命によって、これを備える者の中に内在する」となっている。
次に知識と知..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ソクラテスとアリストテレスを比較して]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431331301@hc05/5296/]]></link>
			<author><![CDATA[ by imomusikaiko]]></author>
			<category><![CDATA[imomusikaikoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 22:48:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431331301@hc05/5296/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431331301@hc05/5296/" target="_blank"><img src="/docs/983431331301@hc05/5296/thmb.jpg?s=s&r=1137246492&t=n" border="0"></a><br /><br />１、はじめに
　諸学の礎を築いたアリストテレスと、その師、プラトンの更に師であるソクラテス。両者は「知を愛し求めた」という点においては共通しているが、その方法、内容については、多くの相違点が見られる。そこで「探求方法」、「アリストテレスの[356]<br />　１、はじめに
　諸学の礎を築いたアリストテレスと、その師、プラトンの更に師であるソクラテス。両者は「知を愛し求めた」という点においては共通しているが、その方法、内容については、多くの相違点が見られる。そこで「探求方法」、「アリストテレスのソクラテス批判」という観点を中心に、この二人の哲学を見ていきたい。
　
　２、ソクラテスの探求法
　「ソクラテス以上の賢者は一人もいない」というデルフォイの神託に納得のいかないソクラテスは、当時の賢人とされる人々に、「よく生きるということはどういうことであるか」と問い、自分よりも賢い誰かを探すことによって、これに反証しようと試みた。しかし、自分を含め、その問についてすべてを知っている者は居ないことに気づき、「自分は知らないということを自覚している点において、他の者より少しは知恵がある」と神託を解釈した。
ソクラテスの生活はこれを契機に変わったのだ、と村井氏は述べる。
彼はこの神託の教えに従って人びとに人間的智恵をすすめること、すなわちいわゆる無智の知に向かって自分の知識を吟味すること、また彼の得意な表現に従えば「魂（プシュケー）」の世話をする」こと、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アリストテレス]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/2896/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happyabc]]></author>
			<category><![CDATA[happyabcの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 06 Nov 2005 14:13:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/2896/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/2896/" target="_blank"><img src="/docs/983432357601@hc05/2896/thmb.jpg?s=s&r=1131254028&t=n" border="0"></a><br /><br />アリストテレス
ポリスと家
実践の学
　・学問研究の方法
　　プラトンの影響を受けながらも、事物の変化や運動に関心を向ける。
　　　プラトン　　　　万物の秩序づけを哲学と善のイデアによって行おうとした。
　　　アリストテレス　万[336]<br />アリストテレス
ポリスと家
実践の学
　・学問研究の方法
　　プラトンの影響を受けながらも、事物の変化や運動に関心を向ける。
　　　プラトン　　　　万物の秩序づけを哲学と善のイデアによって行おうとした。
　　　アリストテレス　万物の秩序づけは経験に傾斜していると考えた。
この違いは
　　　彼が独自の形而上学に基づいて四つの原因についての考察を行ったためである。
・学問の分類
「それ以外の仕方においてあることのできないもの」
理論学・・・数学、自然学、神学
　　　　「それ以外の仕方においてあることのできるもの」
　　　　　倫理学・・・人間の良き行いにかかわる
　　　　　実践学・・・政治学、家政学
　　　　　制作学・・・変化する素材を使って一定の作品を作り出す
　　　　このうち、政治学は実践学の一つであるが、それは理論学のように厳密な知識を与えるものではなく、具体的な状況の中で良い行いをするための実践的能力、思慮を培うことを目標にする学問であった。
　　　　こうした学問の分類は近代まで欧州の学問の共通の基盤であった。
　・政治と倫理との結合関係
　　　人間の行為の目的は善の実現であり、最高..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政体論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/2892/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happyabc]]></author>
			<category><![CDATA[happyabcの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 06 Nov 2005 14:02:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/2892/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/2892/" target="_blank"><img src="/docs/983432357601@hc05/2892/thmb.jpg?s=s&r=1131253330&t=n" border="0"></a><br /><br />各政体の性格
国政&hellip;多数支配の中でよい政体、配分的正義
王政・貴族政&hellip;徳（品性）のある人物に権力を与える。
寡頭制&hellip;富者に権力を与える。つまり、政治に参加するためには一定の財力がいる。悪い政体
民衆政&hellip;自由人に権力を与える。全てに自[344]<br />政体論
　国政の権力分配の基準&hellip;配分的正義（公民の範囲、権限のあり方、人事の決定の仕方）
　理想のポリス&hellip;論理的卓越性に焦点を合わせるが、現実には様々な形で配分的
　　&rarr;どのような国政が望ましいかという議論に発展
国政論&hellip;支配者の数と統治の内容の是非を組み合わせる議論&rarr;やや形式的な議論
アリストテレスの政体論&hellip;異質な要素を含む&rarr;極めて複雑な構成
六政体論
支配するもの 状態 一人の支配 少数の支配 多数者の支配 良い政体（支配） 王政 貴族政 国制 悪い政体（支配） 僭主政 寡頭制 民衆政 
各政体の性格
国政&hellip;多数支配の中でよい政体、配分的正義
王政・貴族政&hellip;徳（品性）のある人物に権力を与える。
寡頭制&hellip;富者に権力を与える。つまり、政治に参加するためには一定の財力がいる。悪い政体
民衆政&hellip;自由人に権力を与える。全てに自由人に権力を与える。全ての自由人に平等な政治参加できるが、その中で多数を占めるもの特に貧しいものに権力が与えられる。悪い政体
僭主政&hellip;王政、貴族政を転倒させたもの。自らの利益のために支配する最悪の政体。
　理想のポリス論のための政体&hellip;王政、貴族政&rarr;ギリシャの現実にあまり..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[プラトンとイデア]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1952/]]></link>
			<author><![CDATA[ by go55go]]></author>
			<category><![CDATA[go55goの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 12:46:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1952/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1952/" target="_blank"><img src="/docs/983432257401@hc05/1952/thmb.jpg?s=s&r=1122695208&t=n" border="0"></a><br /><br />プラトンは、ソクラテスを通じて、知と徳の一致、真理愛などを説いたが、かれの根本思想の一つは、｢イデア｣である。この世のすべての存在は、それに対応するイデアの模倣に過ぎない。そして最高のイデアは、「善」のイデアであり、それはまた神である。
[356]<br />プラトンは、ソクラテスを通じて、知と徳の一致、真理愛などを説いたが、かれの根本思想の一つは、｢イデア｣である。この世のすべての存在は、それに対応するイデアの模倣に過ぎない。そして最高のイデアは、「善」のイデアであり、それはまた神である。 　現実の民主政を、無知な大衆の支配するものと落胆していたプラトンは、著書『国家論』のなかで、理想国家の姿を描いた。それによれば、国家や人類一般の悪を根絶するためには、哲学者が君主になるか、あるいは現在の支配者が本当の意味の哲学をなして、政治と哲学とを結合させなければならない。 　その国家の最大の使命は、善のイデアを実現することにあり、個人はその国家目的にまったく適応しなければならない。財産も妻も共用であり、教育、身分および職業の選択、芸術や科学活動すべてが支配者の指導によって行われる。結婚をして子供を生む年齢までが、その指導者によって定められる、と説いた。 　プラトンの考えでは、国家そのものが一大教育機関であり、大規模な家庭にほかならなかったのですプラトンは、最も幸せな生活をするには、最も良い政治を持たねばならない、といっている。そして、最もよい政治と..]]></description>

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