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連関資料 :: 人間が人間であることとは

資料:344件

  • 人間魚雷について
  • 私は、当初、別のテーマでレポート作成をしていたが、最後の補講で戦争と人間魚雷のことを教わり、テーマを変更することにした。理由は、以前のアレン・ネルソンさんの話と同様、戦争の恐怖とその被害者とは誰かということを強く感じたのと同時に、魚雷に関わる国全体の洗脳の恐ろしさを知ったからである。このレポートでは、戦時中の日本国民の意識と、その背景について考察する。  戦争中の日本国民には、二通りの感情があった。一つは「国のため」という使命感である。もう一つは、人間本来の願望である「生きたい」という気持ちである。しかし、圧倒的に使命感の方が強かったため、日本は、結果的に戦争によって、余計に多大な犠牲を払ったとも言える。 補講中のビデオから、その使命感は色々な場面で見られた。 まずは、山口県の魚雷操作の訓練場である。ここに何も知らされずに連れてこられた少年たちは、なぜ最終的に魚雷に乗り込み、またそのことに納得していたのか。戦場で敵を倒すことは生きて帰る可能性を残すが、魚雷に乗り敵を倒すことは、死の可能性以外にない。 もし、現代の子供があの訓練場に連れていかれ、人間魚雷に乗って死ななければならないと聞いたら、その子供たちはどうするだろう。間違いなく反抗するだろうし、それが駄目なら逃げ出そうとするだろう。そのことに対し、私たちは何もおかしいとは思わない。第一、訓練場についてからその事実を伝えることが、卑怯だと思うし、確実に命を落とす物に乗る訓練をするなどというのは、非常識だと考える。  しかし、当時の社会は違った。その事実を突きつけられた少年たちは、何とかそれを実行できるまでの精神力を身につけようと、必死に努力し始めたのである。  次に、このビデオの主人公の友人の話にも、その色は強く見られた。
  • レポート 人間魚雷 戦争の恐怖 罪悪感 使命感 精神力
  • 550 販売中 2005/07/18
  • 閲覧(2,077)
  • 人間の発達について
  • 子供の発達について私が最初に興味があったことは、受精後四ヶ月を過ぎると、母体の中の胎児に聴力が発達することが明らかになっていたことだ。ここから言語と付き合うことになるのだな、と思った。出産後、子供は自分か母親のおなかの中で母親が何をしていたかを知っているというのを私は母に言われた。看護婦である母はそれを聞いたとき興味がわいて自分の息子(私)にもやってみることにしたという。何歳のときに私に聞いたかは忘れたらしいが、私は確かに母体の中にいたときのことを覚えていたらしいのだ。母と父が口論していたときのことを覚えていたらしく、私は、「ケンカしちゃダメだよ!!」と言ったらしい。それを母は三歳の時にもう一度私に聞くと私は忘れていたと言う。もちろん今はそのようなことは覚えていないが、人間の聴覚は素晴らしいと思った。  次に興味をもったことは、筆者の行った実験のひとつである耳の聞こえない両親から生まれた子を利用した音楽の知覚の実験である。実験に使われた曲(モーツァルトのケッヘル一番fハ長調)は私も知っている曲で弾いたことがある。小さい頃に弾いて、そのときはその曲は嫌いではなかったが、今となっては大嫌いである。これは余談だが、モーツァルトの曲は同じことを繰り返すような曲で右手も左手も規則的な曲ばかりで高い曲は高いばかりで、低い曲は低いままだったり、左手が単純だったり、ショパン、リスト、グレインジャーのように感傷的な曲が少なく、練習用のような曲ばかりで飽きてしまう。
  • レポート 心理学 人間 発達 子供 発声
  • 550 販売中 2006/03/29
  • 閲覧(3,476)
  • 人間の性について
  • 孟子の時代に人間の本性についての問いが争点となった。孟子説の「人間は生まれもって善である」という性善説。もし赤子が井戸に落ちそうなところを見かけた時、誰でもはっと驚き助けようとするのは人には誰にでも惻隠の心があるからだという。  荀子説の「人間はもともと悪である」という性悪説。これは人の性はもともと利益を好むはたらきがあり、それに従うので争い、奪い合いが生じ、譲り合いがなくなる。そして生まれながらにして、ねたみ、憎しみのはたらきがあるから、傷つけ合いが生じ、誠実さがなくなる。生まれながらにして耳や目などの欲望があって、快い音声や美しい色を好むので、ふしだらな乱れが生じ、礼儀という文・理をめちゃくちゃにするに至り、暴力沙汰にもなるのだ。だから教育を受けて感化し礼儀を得なければならないのだ。というのが性悪説である。  次は告子説の「人間の本性は善でもなければ悪でもない」の様に人間の本性は道徳性と無関係だという性無記説。これは「人の本来の性質は、渦巻く流れのようなものだ。東の堰を切り落とせば東に流れ、西の堰を切り落とせば西に流れる。人の本来の性質が善と不善に分けられないのは、堰を切り落とす前に、水が西に流れるか東に流れるかに分けられないのと同じようなものだといっている。だから環境の変化に影響されるという意味である。  また本性は「性に善・不善あり」という説。これは孟子では主張者の名が記されてないがこれは環境や教育の善悪によって人はよくも悪くもなるという説で、のちの揚雄の、性は善悪が混合しているとする説の先駆といえる。  最後に「ある本性は善であるし、ある本性は悪である」と主張する者もいた。これは生まれつき性が善である人と悪である人と二種類の人間がいるという主張である。
  • レポート 哲学 中国 孟子
  • 550 販売中 2006/01/23
  • 閲覧(5,015)
  • 火山灰と人間
  • 火山灰が及ぼす影響は,健康影響や水環境への影響などのローカルな規模から,航空機への影響のようなグローバルな規模まで及んでいる。火山灰が噴火という特殊な環境で生み出されること,その組成がマグマや火山を形成する岩石の組成に依存することから,火山灰の影響に関する知見は各論的で不明瞭な部分が多い。一方,火山灰の特殊な物性は,工業材料をはじめとして,様々な形で利用されている。自然災害から資源まで火山灰と人間は密接に関わっているといえるだろう。このレポートでは、その火山灰と人間の関わりについて、既往の研究や過去の事例を基にまとめた。
  • 環境 情報 健康 問題 人間 影響 評価 金属 試験 調査
  • 770 販売中 2010/07/20
  • 閲覧(1,855)
  • 宇宙と人間
  • <宇宙と人間レポート>  人間原理とは一言でいえば、この世界がこのような姿をしているのは人間がいるからだという考え方である。このような姿とはなにか。それにはさまざまな側面がある。たとえばわれわれの宇宙はビッグバンにおいて膨張を開始して以来、百億年になるがなぜこのように長い時間なのか。どうして1万年ではないのか。光速度はどうして秒速30万キロメートルなのか。秒速1キロメートルではいけないのか。どうして空間は3次元であり、たとえば5次元ではないのか。このような一見とんでもない質問にこたえるのが人間原理である。  人間原理によれば、宇宙の存在は人間、さらに一般的には知的生命の認識にかかっているという。もし知的生命のいない宇宙があったならば、その存在は認識されないのだから、存在しないのも同然である。  この立場は天文学でよく言われる選択効果の一種である。選択効果とは、観測にかかりやすいものをよりとりあげてしまうことである。たとえば星の光度の分布を観測したとすると、観測結果そのままでは明るい星を数え過ぎることになる。明るい星は遠方にあっても見えるのに、暗い星は近くになければ見えないからである。た
  • レポート 人間 宇宙 ビッグバン
  • 550 販売中 2007/11/14
  • 閲覧(2,783)
  • 人間とは何か
  • 自分が教師となったときに、生徒から「人間とは何か」と聞かれたらどのように答えるだろうか。今日の社会背景や人間存在の位置づけを踏まえたうえで、生徒にとってわかりやすく答えるために、私はどのように答えたらよいだろうか。私は自分個人の考えとして次の三つを提供したい。それは、人間とは第一に「他者ともに生きていく存在」、第二に「合理性を超越する存在」、そして第三に「死を意識する存在」であるという考えである。  まず一つ目の、人間とは「他者と共に生きていく存在」であるということについて述べたい。当たり前のことであるが、人間は一人では生きていけない。人間は本来、一人で生きられる存在ではなく、家族、親類、友人といった人間社会の中で支えられて生きていく存在である。逆の例として狼に育てられた二人の少女、アマラとカマラの話が挙げられる。人間の間で育つことのなかった彼女達はなかなか狼の習性が抜けず、結局最後まで友情や愛情といったものを持たなかった。ここから、人間は、他人の愛情を受けることで生かされ、人間社会の中で育てられることで「人間」として成長するという事実を実感させられる。それゆえに、私は人間とは他者と共に生きていく存在であり、同時に、他者によって生かされている存在であるということを第一に生徒に伝えたいと思う。 しかし近年では、個人を重んじる風潮の下、集団生活、集団行動とった集団意識が薄れ始め、他者に対する配慮が届かなくなってきている。これによって、自分と異なる考えを持つ「他」を受け入れられなくなり、排除しようといった動き(小さく言えば、学校におけるいじめ、大きく言えば宗教間の対立が影響したイラク戦争)につながる。今、私たちは改めてキリスト教の「隣人愛」を見直す時にきているのではないかと思う。私の考える「隣人愛」とは、愛するに足る隣人は誰かと人間規定をした上での考えではなく、もっと簡単に、自分の大切さと同じくらい他人も大切であるから、他を理解し尊重しなければならない、という考えである。このことが世界に伝われば、今日多発している紛争やテロの解決の糸口ともなるのではないかと思う。 次にニつ目の考え、人間とは「合理性を超越する存在」であるということだが、その前に「合理性」について言及したい。人間はしばしば、「合理的」な存在であると言われる。合理的人間が提示する人間像とは、競争、学歴、名誉、効率化などであるが、果たして人間はそれまでの存在だろうか。私が考えるに、人間はその向こう側にある非合理的な側面を兼ね備えていると思う。マザー・テレサ、ガンジー、マーティン・ルーサー・キングが具体的な例として挙げられる。彼らはいずれも皆高学歴で恵まれた家の出身であったにもかかわらず、それを投げ打ってまで各自の活動に従事した。それは一体何故だろうか。それは、その現実を見た時に合理性を越えた何かに駆り立てられ、自分の使命を感じたからであろう。だから彼らは自らの地位、名誉を投げ打ってまで活動に従事したのだ。川に溺れた我が子を助けるあまり、自らの命を落としてしまった親の話を聞いたことがあるが、それもこの類である。つまり、本来、理性や合理性では説明の付かない行動までしてしまう人間とは「合理性を超越する存在」なのである。今日の社会では、学歴、地位、名誉だけで人間の価値を計りたがるが、人間とはそれらだけでは決して図ることのできない、素晴らしい能力を持った存在であるということを生徒に伝えたい。 最後に三つ目の、人間とは「死を意識する存在」であるということについて述べたい。言うまでもなく、人間は死について
  • レポート 人間 人権 聖書 イエス
  • 550 販売中 2007/02/09
  • 閲覧(41,537)
  • 人間学 『遊びと人間』 ロジェ・カイヨワ レジュメ
  • 『遊びと人間』 ロジェ・カイヨワ 第3章~第5章(p82~124)                 3,遊びの社会性  遊びは個人的娯楽ではない   技の遊び+競争の要素(競争者、観客)→技を競う遊び   腕くらべ=遊びの楽しみの本質  競争は規則の整備によって際立った競争形態になる(エスキモーの拳
  • 人類学 遊びと人間 レジュメ
  • 550 販売中 2008/03/21
  • 閲覧(3,122)
  • 人間人間の看護 トラベルビー 看護観
  • 冒頭 私は患者さんと関わる中で、客観的情報だけでなく、コミュニケーションを通して患者さんに今必要なことはなにか、どのような方法で行えば、必要なことを患者さんが望む方法でストレスなく行えるかを考えながら関わっている。なぜなら、客観的な情報だけで援助方法を決定したり、患者さんに提供してしまうと、ストレスにつながってしまったり信頼関係が崩れてしまうことがあるためである。 1577字
  • 看護 理論家 レポート
  • 990 販売中 2017/10/02
  • 閲覧(17,040)
  • 人間失格を読んで
  •                                                  人間失格    第一の手記  第一の手記で葉蔵は自身幼年期を語っている。恥の多い生涯を送って来た。  彼には、人間の営みというものが何もわかっていなかった。自分の幸福の観念と、世の中すべての人たちにとっての幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、葉蔵はその不安のために眠れぬ夜を過ごし、発狂しかけた事もあった。自分は、幸福なのだろうか。彼は幼い時から、幸せ者だと人に言われ続け、其の実、彼自身は常に地獄の思いで、自分を幸せ者だと言った人々の方が、比較にならない程ずっと幸せなように見えた。  彼には、災いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえあった。  つまり葉蔵には隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当がつかなかった。考えれば考えるほど、人間が分からなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりだった。彼は隣人と、ほとんど会話が出来なかった。何を、どう言えばいいのか、分からなかった。  そこで葉蔵が考え出したのは、道化だった。  それは、彼の、人間に対する最後の求愛だった。彼は人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間をどうしても思い切れなかった。そうして、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのだった。表では、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサービスだった。  彼は幼少の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、全く見当もつかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事も出来ず、既に道化の上手になっていた。葉蔵は、一言も本当の事を言わない子供になっていった。  葉蔵には、言い争いも自己弁解も出来なかった。人から悪く言われると、いかにも自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じていた。   人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分自身の言動に、微塵も自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナーバネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、葉蔵はおどけた変人として、次第に完成されて行った。  とにかく、人間たちの目障りになってはいけないというような思いばかりを募らせ、道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサービスをした。   学校での葉蔵は尊敬されかけていた。尊敬されるという観念もまた、彼を、おびえさせた。完全に近く人を騙して、ある時、ひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉微塵にやられて、死ぬ以上の赤恥をかかせられる、それが、彼にとって「尊敬される」という状態の定義であった。  葉蔵は、金持ちの家に生まれたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得ていた。子供の頃から病弱で、よく寝込んで学校を休んでいたが、試験を受けてみると、クラスの誰よりも「できて」いるようだった。具合のよい時でも、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせ、笑わせていた。また、綴り方には、滑稽噺(こっけいばなし)ばかり書き、先生から注意されても、やめなかった。
  • レポート 太宰治 日本文学 読書感想文 要約 人間
  • 550 販売中 2008/04/29
  • 閲覧(7,007)
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