連関資料 :: アジア史2

資料:7件

  • アジア
  • (d)清朝政府が列強に奪われた諸権益  ⇒アヘンの密輸による清国内からの銀の流出とアヘンによる風紀上・衛生上の問題から起こったアヘン戦争であったが結果はイギリスの勝利となり1841年、清朝は南京条約を締結した。内容は、上海・広州・寧波・厦門・福州の開港、香港の割譲、2100万ドルの賠償金、公行の廃止、関税の設定などである。この条約にはアヘンに関する事項がなかったため、アヘンの密輸入は戦前よりも多くなった。そればかりか、1843年には虎門条約が結ばれ、南京条約に領事裁判権・片務的最恵国待遇などの条項が追加されることになった。さらに翌1844年にはアメリカとの間に望厦条約、フランスとの間に黄埔条約が結ばれた。二つの条約の内容は南京条約とほぼ同じ内容で、1847年にはスウェーデン、ノルウェーとの間に広東条約が成立した。このような不平等条約の下で中国はイギリスを中心とした近代資本主義世界市場の中に組み込まれていき独立した王朝体制の下の封建社会から半植民地社会へと変質し始めた。   アヘン戦争後、イギリスの工業製品の対中国輸出は思うように業績が伸びなかった。そのため、開港場の増加や、アヘンの自由
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  • アジア2設題
  • アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例を踏まえながら述べなさい。  清朝政府は17世紀後半にロシア帝国とネルチンスク条約という対等な条約を結ぶなど、その勢力は大きいものであった。しかし19世紀にはいると、大規模な社会動乱、経済停滞、食糧の供給を逼迫させる人口の爆発的増加などに苦しむ中その力は衰え、1840年のアヘン戦争を契機に次々と欧米列強に搾取される存在となっていく。本論では、アヘン戦争、アロー戦争、日清戦争とその後、北清事変を取り上げ、その概要とともに列強に奪われた諸権益について列挙し、その影響について考察していく。 【アヘン戦争】  18世紀以降、欧州において喫茶の風習が広まり、イギリスは茶や陶磁器などを、清との貿易において大量に輸入していた。しかしイギリスからの輸出は伸びず対中貿易赤字は膨らむばかりであった。そのためイギリスは植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺し、三角貿易を整えることとなった。 清はアヘンの禁令を何度か出していたが、それでも吸引者は増え続け社会が退廃するばかりでなく、多量の銀
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  • アジア第一・第設題
  • 2012年度 アジア史第一、第二設題セットです 第一設題:儒教・道教・仏教は中国社会を理解する上で大きな意味をもつ思想である。これらのなかから一つを選択して、それを中国の歴代王朝がどのように取り扱ってきたのかについて述べよ *儒教を選択しました 第二設題:太平天国が成立した背景、およびそれがめざした社会について述べよ
  • 佛大 通信 教職 アジア史 儒教 道教 仏教 太平天国 中国
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