連関資料 :: 教育学
資料:2,233件
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教育心理学第一設題
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『象徴機能の発生について説明せよ。また、教育との関連で大切な点を説明しなさい』
1, 象徴機能
象徴機能は生後一年半から二年後に発生し始めるとされている。この象徴機能の出現を示す初期の活動として延滞模倣やごっこ遊び等が考えられる。延滞模倣とは、前に経験したモデルの動作や発話をモデルがいなくなった時に模倣する現象である。これは、モデルのしたことが、しばらくの間、心の中にイメージとして保持されていることをあらわす。
初期の例として、小石を飴玉に見立てたり、空き箱を車に見立てて、「ビューン」などと車の出す音を声で真似て遊ぶといったことが考えられる。ここでの空き箱や子どもの発声は、車という指示対象を意味するもの、つまり象徴であり、指示対象と象徴は頭の中のイメージによって結び付けられている。3歳頃になると、子どもはふりやみたてを複雑に組み合わせて虚構の世界を作り上げるようになる。その代表的な例として『ままごと』が考えられる。これは、母親や父親の真似をして遊ぶという大きな模倣行為の中に、空っぽのお茶碗でご飯を食べる真似をする、段ボール箱の中に入ってお風呂に入っているようにするなどの、小さな模倣行為が多数含まれている。
このように象徴機能の出現によって、直接的な経験や自分の身体の感覚や運動を通した認識の仕方から、次第に一旦経験を心の中に取り込み、心の中で対象にいろいろな操作を加えて動かしてみる、というような感覚的な思考が可能になってくる。
すなわち象徴機能とは、具体的な知覚経験をもとに自分なりにイメージを構成し、それを利用して時・場所を変えて自分なりのやりかたで活動する機能である。つまり、意味するものと意味されるものとを区別して使うことが可能になるということであり、今そこに知覚している物を手がかりにして、そこにない物を思い浮かべ、それに反応することが可能になるということでもある。
この象徴機能を用いたごっこ遊びは、「役割遊び」として、対人関係の学習に役立つ。さまざまな役を分担し、そのつもりになりきって遊び興じる場合、その子の中に母親像、父親像などが育っていて、その各々の役割を実演できる能力が発達してきたことを示している。やがて役割を交替しても遊べるようになる。この役割交替は相手の立場に立てるようになることで、自己中心性よりの脱却を意味している。自己中心性とは、自分自身を他者の立場においたり、他者の視点に立ったりすることができないという、認知上の限界性を示す用語であり、常に自分の視点から見た様子でしか物事を認識することができず、他人がどう見えるのかということを考えられないことである。
ガーベイは、役割・動作プラン・ものおよび状況の設定の3つの要素に着目してごっこ遊びの構成を分析した。まず、役割対象や動作についての知識の利用である。幼児が最もよく知っているのは家族であり、様々な動物や架空の人物が登場しても、その動作プランは家庭生活における家族の役割に基づいていることが多い。また、子どもは一日の生活をいくつかの一定のつながりを持った、決まりきった活動の系列として捉えるようになる。遊びの中での動作プランは、こうしたスクリプトに様々なことばを組み入れることによって組み立てられる。さらに、虚構性の表明・調整する手段の上達が指摘できる。遊びを一つのテーマのもとに展開させていくためには、子供どうしが今どのような役割を演じ、どのようなプランのもとに状況を設定しているかを伝え合う必要がある。このように、ごっこ遊びの展開は子どもの認知発達によって支えられているのである。
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教育心理学
象徴機能
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教育心理学第二設題
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『適応・不適応の心理的機制、またはそれから引き起こされる特徴的行動について説明せよ』
『適応』とは、主体としての個人が、その欲求を満足させようとして、環境の諸条件と調和するためにとる行動や態度の調整のことである。「適応」という言葉は本来生物学で使われるが、この場合は「順応」、ないしは「調節」ということばで言い表されることがある。しかし、人間においては、むしろそれ以上に家庭や近隣、学校や職場といった社会的環境に対しての心理的・文化的「適応」がより重要な意味を持ってくる。そして、人間は適応するために、目標を定めたり、学習や訓練を受けたりと、さらに、時には環境そのものを変化させようと試みるなど、自らの行動を調整するのである。
この適応によって、人は、自己の欲求や願望を実現し、より活発な生の展開を目指して、環境を意図的に変革し、状況を操作するのである。しかし、時として、欲求充足を阻害する障壁や困難にぶつかることもある。それに対処する仕方を働かせる心的機能の基本となる機制、あるいは適応への努力を「適応機制」という。
次に、主な「適応機制」を挙げて簡単に説明してみる。
1,抑圧 自我が不安や破局を起こしそうな衝動やそれに結びついた観念や感情を無意識の中に押し込める働きをいう。「抑圧」された衝動や感情はもつれ合って、「コンプレックス」を形成し、日常生活でのあやまち行為や夢などに現れることがある。過度の「抑圧」は、自我の十分な機能を妨げ、正常で積極的な適応を妨害するもとになる。
2,合理化 「人がいたから、集中できなかった」というように、自分の失敗や欠点に都合の良い理屈付けをすることで自分の立場を正当化し、非難をかわしたり、失敗感や劣等感から逃れようとすること。
3,補償 スポーツが苦手な子どもが、勉強で努力して良い成績をとるといったように、他の面で人より優越することで自分の弱点や劣等感を補おうとすること。
4,代償 本来の目標が得られないとき、獲得しやすいほかの目標によって満足する機制である。海外旅行は高いので、国内旅行にするなどはこの例である。
5,置き換え ある対象に向けられていた感情や態度が、別の代理の対象に向けて表現されること。会社の上司に対する不満や敵意を、部下に当たったりすることなどがこれである。
6,反動形成 抑圧された欲求や願望とは正反対の傾向を持つ行動や態度をとろうとする機制。過度に親切であったり、丁寧であったりすることの背後に、憎悪や敵意が現れることへの強い不安があることがある。
7,投影 自分でも認めがたい自らの欲求や衝動、或いは弱点などを他人の中に見いだし、それを指摘したり非難することによって、不安を解消しようとすること。自身の無い人ほど、他人の欠点を批判したりする。
8,同一視 対象の望ましい属性を、あたかも自分自身のものであるかのようにみなし、同じように考え、感じ、行為することによって、満足や安定を得ようとすること。チームでの優勝を自分自身の優越性のように感じて、それを誇示するなどがこの例である。
9,退行 精神分析の理論において、現在の状態より以前の状態へ、あるいはより未発達な段階へと逆戻りすることである。
10,逃避 不安や緊張、葛藤などをもたらすような状況を回避することによって、一時的にせよ自分を守ろうとすること。学校を無断で欠席して引きこもったり、実際とはかけ離れた空想や白昼夢の世界で欲求を満足させようとすることもこれに含まれる。
11,昇華 社会的に認められない欲求や衝動が生じたとき、芸術やスポー
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教育心理学
適応
不適応
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教育社会学第一設題
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「学歴社会とは何かを明らかにし、高学歴化が進行すると教育はどのように変化するのかについて学力の視点から述べよ。」
学歴社会とは、「社会における社会的・職業的地位などの配分の基準として学歴が重きを占める社会」を意味する言葉であると考えられている。学歴は配分の基準として考えられるのであり、論理的には「低学歴社会だが学歴社会」という社会もありうるし、「高学歴社会だが非学歴社会」という社会もありうる。つまり学歴社会と高学歴社会とでは、その意味するところがまったく異なるのである。
重要なことは、学歴社会が、ただ単に教育を重視する社会ではない、ということである。現在、先進国、発点途上国を問わず、教育の充実は各国家、社会の最重要課題の一つにあげられている。教育を重視する社会が「学歴社会」であるのなら、「学歴社会」でない社会などこの世には存在しないことになってしまう。ただ単に、教育を重視するという意味以上のものが、学歴社会の中の教育にはあるのである。
一方、学歴社会とはよく混同される言葉に、高学歴社会がある。高学歴社会とは、単に「高学歴者の多い社会」を意味する言葉である。
学歴社会は、なにも日本だけでの特徴ではありません。欧米の先進国諸国や、最近ではお隣の中国や韓国の方が、学歴獲得競争の激化した社会です。企業が採用する大学を指定していて、そうでない大学生は就職試験を受けることさえもできないという状況まであるようです。
日本の学歴社会は、学歴を獲得したあとの不平等が問われることがあっても、それ以前の不平等を問題視する議論はこれまであまりされてきませんでした。言い換えれば、18歳までの不平等には目をつぶってきたのです。高い学歴を取得するまでに、みんなが同じ条件で競争していることが表面上は自明視されており、したがって、成功した人はそれまでの努力が報われたと解釈するのが日本型学歴社会の特徴であったのです。つまり、高度な職業に就こうとすれば高度な学歴を所持していなければだめだという、機能主義にもとづく考え方があります。「技術機能主義理論」と言いますが、こうした社会のあり方は、日本型の学歴社会にとってはとても都合のいい考え方でした。ランドールコリンズはこれに反論します。すなわち、取得された学歴と個人のもつ本当の実力は乖離しており、生まれながらにもっているさまざまな不平等が学歴取得以前にすでに存在していることが技術機能主義では隠されてしまいやすいというのです。このような社会を容認してしまうと、高度な職につけなかったのは日本人の努力不足のせいであって、そこには何も言い訳をできなくしてしまうのです。今の日本社会は、一部の人間にとって都合のいいシステムになっているといわざるをえません。現実をみれば、職業の世襲が始まっているのです。
一方、高校教育進学率をみると、2004年では約70%(大学・短大・専門学生も加えた場合)にもなっているのです。アメリカの社会学者マーチン・トロウは、その大学進学率が15%までを「エリート段階」、50%までを「マス段階」、それをこえると「ユニバーサル段階」と定義しました。トロウ・モデルによると、ユニバーサル化の段階をも大幅に超えています。まさに学歴のインフレ状態が起こっているのです。
しかし、近代化するにつれて、教育が学歴エリー地を峻別する社会から大衆教育社会へと移行することは、時代の必然でもありました。大学や学歴が、エリートの所有物から大衆のものへと変化したのです。ここに矛盾が生じます。学歴貴族性を解体しようとする社会的な風潮がある一方で、
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教育
教育社会学
学歴社会
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教育社会学第二設題
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「学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような社会的不平等と学力がどのような関わりをもつのかについて述べよ。」
今日、議論されている「学力低下」は、過去の議論とは明らかに質が異なるからである。つまり、新しい世代の学力が前の世代の学力に及ばない、縮小再生産の過程が始まったのではないかという疑念があるところに、根本的かつ深刻な問題があるわけです。高学歴化が起これば「大学生」というカテゴリーに入る人々の平均学力は確かに低下です。一部の大学においては、すでに学力低下以前に学生に学習する習慣がないのです。かつての大学であれば、少なくとも学校教育で展開される日々の学習に適応する生徒が進学していたはずです。そうでなければ大学入試には受からなかったはずです。しかし、現在は、そして今後一層、大学進学は容易になっていき、ほぼフリーパスに近い状態が到来し、学習習慣をほとんど身に付けていない学生が大量に発生することになると考えられています。
もちろん、社会人・主婦の学生など学習の場から離れていた学生もいます。こういった学生も学習する習慣をかつては身に付けていたかもしれませんが、現時点では失っているかもしれません。しかし、伝統的年齢層の学生が異なるのは、学習することに対する価値付けが低いという点にあります。表面的な現象としての学力低下よりも、この学ぶことへの価値付けの低下が問題であると考えられます。
また、社会学的な視点からみても、社会階層間の学習意欲・学習時間の格差(インセンティブ・デバイド)が拡大しています。
学力低下をめぐる議論には、いくつかのタイプがあります。ここでは、一応4つの類型にわけてみます(もちろん、学力低下をめぐる議論は多岐にわたるものですから、この4つの類型にすべての議論が収まるわけではありません)。
タイプⅠ…「国家・社会の観点」から「ゆとり教育」に肯定的なもの。『教育過剰論・新自由主義的教育論』。このタイプの意見は保守層に広くみられます。いわゆる現代の教育問題の原因は、教育過剰にあるという見解です。政府の供給するべき公教育には適正規模があり、それを超えると望ましくない事態が生じるという考えをもとに、高学歴社会を批判的にみる人びとがこれに当てはまります。このタイプの議論は、多かれ少なかれ、学校に適応しない、あるいは適応しようとしない児童・生徒を無理して学ばせなくてもいいという議論であり、その資源を優秀な児童・生徒の教育に回して有効活用しようという趣旨のようです。ある意味で学力低下そのもの、ゆとり教育、現行の改革そのものの是非よりも、教育資源をいかにして有効活用するかという議論のひとつであると考えるべきかもしれません。また、すべての児童・生徒が学校で組織化された形で勉強し続ける必要はないともいえます。自分に適合する学習形態を選択し、学習すればいいのであり、定型化された形ではない、学校で教えられない形の知識・技術などは学校外で学習せざるをえないのです。現在の子どもの生活において学校の占めるウエイトが大き過ぎるので、家庭や地域社会と連携して子どもの教育にあたるべきものであり、学校教育をもう少しスリム化すべき、そして分岐型教育システムにするべきという主張もこのタイプの論者にはみられるわけです。
タイプⅡ…「国家・社会の観点」から「ゆとり教育」に否定的なもの。『国際競争力低下論・学習意欲論・階層論』。このタイプの意見は、学力低下が一国のあるいは当該社会の活力(ことに経済力)の減退につながるという見解です。オイルショック以降の欧米諸国が例として取り
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教育社会学
学力低下
社会階層
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教育心理学第一設題
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「象徴機能の発生について説明せよ(説明には子どもの行動についての具体的研究例も提示する)。また、教育との関連で大切な点を説明しなさい。
幼児期は、人格の基礎としての自我が芽生える時期である。子どもが自分なりの意図や予測を抱き、それにもとづいて行動するようになると、両親や仲間との衝突が起こる。しかしながら、そうした葛藤を経験するうちに、子どもはしだいに自分を律していくことを学び、自分自身について認識を深める。また、他者との交渉能力を磨き、周囲に適応した行動基準を身につけていく。他方、イメージを浮かべて物事を考えるという表象機能が現れ、ごっこ遊びの中で自由自在に架空の世界を展開するようになる。そうした認知能力の発達にともなって、数概念や文字の習得も進行するが、日常の具体的な経験のなかでの子ども自身のイメージや気づきが大切にされなくてはならない。
子どもは、1歳半から2歳にかけて表象能力を現しはじめる。今、目の前にないものごとについても頭に思い浮かべ、自分で実際に行動してみなくてもその様子を頭に思い描く。つまり、具体的な知覚経験をもとに自分なりにイメージを構成し、それを利用して時・場所を変えて自分なりのやり方で活動するようになる。表象能力の出現を示す初期の活動として延滞模倣があげられる。例えば、中沢の観察によると、ある子どもは「ガアン…、ゴオン…」と言
いながら長方形の箱を動かし、ときどき箱を止め、自分のからだの動きも止めて「プシュッ」と言った。電車に乗ったときのイメージをもとに、後日、家の中でその特徴を再現しているのだが、この模倣行為には箱を電車にみたてる活動、箱やからだを動かしたり止めたりして電車に乗っているふりをする活動が含まれている。ここでの箱や子どもの音声・しぐさは、電車という指示対象を意味するもの、すなわち象徴である。
3歳ころには、子どもはふりやみたてを複雑に組み合わせて虚構の世界を作り上げるようになる。単なるモデルの模写ではなく、自分のイメージや知識にもとづいて演技しているのである。やがて、子どもは遊びのなかでの役割を意識し、それにふさわしい動作を思い描き、状況を設定することによってごっこ遊びを展開するようになる。遊びをひとつのテーマのもとに展開させていくためには、子どもどうしが今どのような役割を演じ、どのようなプランのもとに状況を設定しているかを伝え合う必要がある。このように、ごっこ遊びの展開は子どもの認知発達によって支えられているのである。
子どもは、数を、日常活動の中で経験することによって自然にその理解を深める。例えば、お風呂の中で親が子どもを抱いてゆっくり数を唱えて聞かせる。すると、知らぬ間に子ども自身も唱和するようになる。また、子どもはものを集めたりあけたりするうちに、共通のもののあり方に興味をもつ、並んだ配列はリズムがとりやすく数唱に結びつきやすいし、同じものが幾つかある、ものを幾つかに分ける具体的な状態を見れば数詞の意味もわかりやすい。
数の概念の獲得についての近年の研究によると、子どもは数を数える能力を持って生まれていると考えられ、数を扱う方略を自分なりに産み出していくことが強調されている。幼児期には、頭の中に数のイメージをつくりあげ、論理的な構造を構成することが大切である。そのためには、大人は、子どもが数をめぐる操作を自発的に行い、遊びができるような環境を用意する、そして必要に応じて援助してやることが望ましい。
同様のことが、文字の習得についてもあてはまる。文字を覚え始める時期には個人差があっても、子どもは生
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教育
教育心理学
550 販売中 2008/05/01
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教育心理学第二設題
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「適応・不適応の心理的規制、またそれからひき起こされる特徴的行動について説明せよ。」
向社会的傾向の強い小学生は、適応がよく、自己統制が優れている。また抑鬱的な青年と行動障害のある青年は健康な青年よりも回避的処理反応を用い、一方、接近的処理反応が多く回避的処理反応が少ない青年は適応がよいことが知られている。
心理学では適応の概念は、環境、とくに社会的環境の要請に対する心理的反応による適合のよさとして用いられることが多い。つまり、適応とは、他の人との関係において、自分を取り巻く社会的環境と生活の要請に適合して、責任を果たし、ストレスを処理し、個人的要求に合致させることである。人生はたえず変化するものであるから、態度や行動を修正する能力は適応にとって欠くことのできない成分である。適応うまくいかず、個人が生活の要請に合致できず、過剰な精神的緊張を生じたり、情動的な症状をもったりすると、その人は心理的援助を必要とする。カウンセリングや心理療法の目的は、そのような人々がより適切に適応できるように助けることである。
子どもの不適応を理解するために、機能の発達から社会的認知にアプローチする立場と構造の発達から社会的認知にアプローチする立場がある。
まず、機能的発達によるアプローチから説明する。
最初の社会的適応に関する研究は社会的認知の立場をとっている。この社会的認知は子どもの社会的適応に重要な働きをすることが強調されている。また、社会的情報処理機構の検討は、子どもの社会的適応の理解を大いに深めるのに役立つことが示唆されている。子どもの社会的適応の機構を理解することは、児童・生徒の学級内行動の指導にとってよい手がかりを与えることになるであろう。
子どものときに仲間からあまり受け入れられなかったこと、つまり社会的適応の悪さと後の生活における困難との関係が、いくつかの研究により検討された。クリックとドッジは、子どもの社会的適応に関する社会的情報処理モデルを提供した。彼らによると、子どもたちは生物学的に規定された特徴と過去経験の記憶をもって家庭、学校、地域社会などを含む社会場面に登場し、社会的環境からさまざまな手がかりを受ける。行動による反応はそれらの手がかりを処理する機能であって、クリックとドッジのモデルは6つのステップを含んでいる。
このモデルを要約すると、子どもはある社会的状況を解読すると、状況に適した目標を設定し、適切な行動を選択するということになる。社会的場面に適切な反応を選択した子どもは適応のよい行動を
するが、社会的状況に不適切な目標を設定し、不適切な反応を選んだ子どもは不適切な行動を示すであろう。学級の中で仲間から拒否される子どものうち、ある者はすぐ喧嘩を始める子であるとともに、攻撃の犠牲になりやすい子どもである。また、攻撃的な子どもは他の子どもよりも社会的場面に対する反応数が少なく、グループに加わったり、物を獲得したり、友達関係を始めたりする社会的場面で、仲間から受け入れられ人気のある子どもよりも攻撃的で向社会的でない反応を示しやすい。社会的に不適応な子どもは不適応な行動を好ましいものと見なすために不適応な社会的行動をするらしい。仲間から拒否され、攻撃的な子どもは、よく適応している子どもよりも攻撃的反応を好ましいものと評価し、向社会的反応を否定的に評価することが知られている。このような事実から、クリックとドッジは、不適応な子どもには、適切な社会的反応を覚えさせ、社会的反応の形成に含まれる認知過程を改善させ、すでにもっている反応の仕方を
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教育
教育心理学
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S 0107 教育行政学-2
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憲法では自由権として学問の自由を、社会権として教育を受ける権利を保障しており、
日本国憲法23条
学問の自由はこれを保障する。
日本国憲法第26条
1、すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2、すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
と定めている。
1、学問の自由について。
学問の自由を保障する規定は明治憲法にはなかった。学問は、真理を発見することを目的とするが、真理は政治やその他の権威によって利用されやすいものである。また、真理は既存の価値や考えに疑問を抱き、それを批判することによって発見されることが多いが、このように疑問を抱いたり、批判を行ったりすることは、時の権力者や社会一般から弾圧を加えられることが多かったのも歴史的事実である。地動説を唱えたガリレオに対しての迫害は有名である。このように、学問の自由は、特に時の権力者による干渉を受けやすいため、憲法では学問の自由を保障している。
学問の自由の内容は①学問研究の自由。②研究発表の自由。③教授の自由である。①は個人の内心にとどまる限り憲法19条と同様に絶対的な保障をうける。②は他人の人権・利益に関わるので憲法21条の一部として一定の制約を受けるものの、学問研究によって発見した研究結果を外部に表明できなければ、学問研究した意味がないため、尊重されている。そのため、学問の特殊性から特に侵害される危険が高いため23条であらためて保障している。また、裁判(最高裁判決、平成5年3月16日)で教科書検定について研究発表の自由を侵害するのではないかが争われたが、判決は教科書が研究発表を目的とするものではないとして憲法23条に違反しないとしている。③も他人の人権・利益に影響を与えるので②と同様一定の制約を受ける。ここで問題となるのが大学以下の高校、中学校、小学校などにおいても教師の教授の自由が保障されるかである。この点、高校、中学校、小学校などにおいては、大学と同様には保障されないというのが一般的である。昭和51年最高裁判例(昭和43 (あ)1614、建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反事件。通称:旭川学テ事件)でも、普通教育においても一定範囲の教授の自由が保障されるべきであるが、児童・生徒の授業内容に対する批判能力、教師の影響、全国的に一定の水準の確保の要請などを考えれば、完全な教授の自由を認めることはできないとしている。つまり、高校までの教育においては、ある程度教育内容の自由は認めるものの、児童・生徒の教育を受ける機会の保証と、教育内容の水準を確保するため、国などの行政機関の介入を必要としている。
2、教育の自主性。
憲法26条では、教育を受ける権利と教育を受けさせる義務について定めているが、教育内容の決定権が誰にあるのかが争われることもある。学力テストを課すのが憲法26条に反するか争われた昭和51年の最高裁判所判例(昭和43 (あ)1614、建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件。通称:旭川学テ事件)では国家教育権説、国民教育権説のいずれも極端かつ一方的であると否定し、教育権は国、親、教師のいずれにもあるとしている。教育権の具体的内容については1枚目の波線部のように法律に委任されているため、国をはじめとする行政機関の役割は学校教育法や教育基本法で定められている。
特に教育の自主性尊重のために、教育行政の独立について教育基本法第10条に「不当な支
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教育行政学
770 販売中 2008/05/11
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教育心理学 第1設題
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「人格とは何か、主なとらえ方(理論など)を簡単にまとめ、さらに人格形成の要因とそれがどのように作用するか、主なものを説明せよ。」
人格とは簡単に言うと、人としての特徴であり、その人の性格をさし、そしてそれは、精神・身体システムのダイナミックな組織であり、その人の全体像を言う。
人格をどのように記述し説明するかについては、その基礎となる4種類の理論が存在する。まず類型論は、人格を全体的に、統一的に、そして具体的にとらえようとするもので、多様な人格を整理して、何らかの原理に基づいて類型的なものを発見して分類しようとする考え方である。次に特性論は、類型論とは対照的で、人格の特徴は多面的であり、これを
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教育
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550 販売中 2008/05/11
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教育方法学 第1設題
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『従来の知識伝達を重視した授業の設計と評価に対して主体的な学習を基本とする授業について設計と評価の特徴を比較し、その比較の視点毎にまとめて授業設計ならびに評価についての留意点を述べよ。』
現代社会での教育の担当者である学校の教師には、単に児童・生徒の発達過程についての心理学の知識や、教科・教材についての専門的な力量や、また学校の運営に関わる管理上の資質だけでなく、これからの社会のあり方と、社会の中での人間の生き方について洞察力を持つことがもとめられる。そのような社会認識、人間認識への広がりをふくめて、これからの「教職教養」は組みなおされていく必要がある。また、学校での授業は学力の育成を目指すものであり、目指す学力によって設計方法や評価などが異なる。
では、ここで従来の知識伝達を重視した授業の設計と評価と主体的な学習を基本とする授業についての設計と評価の特徴を比較していくこととする。
新教育課程では、4つの学力をバランスよく育てることが大切である。その4つの学力とは、「基礎的な学力A」、「基礎的な学力B」、「発展的な学力」、「実践的な学力」である。その内、前者3つが「教科学習で主にめざす学力」で、最後のものが「総合的学習で主に目指す学力」である。また、前者2つはまさに「不易な学力」であり、主に教師から与えられた課題や問を子ども達が解決すること(「課題習得型学習」)により、計画的、体系的に身に着く学力である。これは、教師が問を出し子どもがそれを答え、正解も唯一の答えがあることが多く、教師はその答をわかっている場合が多い。教師と子どもの関係は「教える―教えられる」の関係で教師は「指導者(教授者)」である。学習する場は学校、特に教室で教科書、参考書といったテキスト(2次資料)を使い、主に「座学」で行われる。そして、「必修教科の学習」に位置づけられ、ペーパーテストやパフォーマンスといった「量的評価法」によって評価される。
一方、後者2つは「流行の学力」であり、それは「自ら考える力」に深く関わり、子ども達が自ら学習課題を発見し、「学ぶための問い」をつくること(「課題発見型学習」)が求められている。これは、自ら考えることを育てるが狙いとされ、自らの興味・関心によって子ども自身によって課題や問が作られる。そのとき、必要に応じて教師や学外の専門家が支援する必要がある。正解は必ずあるとは限らず、むしろ正解がないことが多い。そして、教師にも子どもにも正解がわからない状態で学習が展開されることもたびたび起こる。学習様式に関しては、子ども自身による「自問自答」で行われる。教師と子どもの関係としては「助ける―学ぶ」あるいは「見る―学ぶ」の関係で、教師は「支援者(助言者)」となり、子どもの主体性が高まることとなる。活動場所はフィールドという「生きた現実」で、地域の社会(人々)、自然、伝統文化、といった実物(本物)で、学習者自身が直接集める「一次資料」である。したがって、学習者の問題意識(関心)や視点が重要な意味を持つことになる。また、「体験」を中心とし「総合的学習」、「発展的な選択教科の学習」に位置づけられ、レポート、作品、学習のプロセスを記録したポートフォリオなどの「質的評価法」によって評価される。
それでは、ここからは新しい学力を育てるための工夫を述べていくこととする。基礎的な学力を育てるための学習指導法の工夫では、まず、ティーム・ティーチング(T・T)が挙げられる。複数教師によるT・Tには「クラス内でのT・T」、「同一学年内でのT・T」、「複数学年間でのT・T」
550 販売中 2008/05/25
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教育方法学 第2設題
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『現在は情報社会さらには知識社会と呼ばれているが、その社会にあっては知識を扱う教育はきわめて重要である。基礎基本の学力と教育格差と経済格差との関連について論ぜよ。また、格差問題を解決するうえで教育方法はどのようにあるべきか。』
現在の教育は様々な問題を抱えており、今後も問題が生み出されるであろう。その問題とは、校内暴力、いじめ、学級崩壊、学力低下などがある。これらの問題に対しては、その時代に合った教育問題の解決方法が求められる。現在までに、この教育問題を解決するために行われているのが学習指導要領の改訂である。
一番最近行われた学習指導要領の改訂が、平成10年
である。この年の改訂は「ゆとり教育」が取り入れられ、完全学校週5日制が導入された。その結果、年間の授業数の削減により、児童の基礎・基本の学力が低下するという問題を引き起こしてしまった。また、IEA(国際教育到達度評価学会)は3回にわたり教育調査を行ったが、第1回、第2回の教育調査から見ると第3回教育調査のほうが相対的に学習到達度は低下している。また、2002年の12月に公表された「全国一斉学力テスト(教育課程実施状況調査)」の分析結果においても、同じような結果を物語っている。したがって、教育関係者は、これまで以上に、教科の学力をすべての子どもたちに確実に身につけさせる方策を講じなければならない。それには「個に応じた指導」がポイントとなる。
また、平成10年の学習指導要領の改訂では「総合的な学習の時間」が「生きる力(自ら考え、自ら学び、主体的に判断する資質や能力を育てる)」を身につけることを目標に新設された。さらに、教育は「受けさせるもの」から「選んで受けるもの」になりつつあり、教育を受ける側にどのような教育を受けるのかといった決定権が与えられてきている。学習者の学習意欲を駆り立てる工夫がこれからの学校には必要となるのではないだろうか。こういったことは、私立学校だけでなく公立学校も無縁とはいえなくなっている。こういった厳しい現状が現在の学校を取り巻いているわけだが、その背景にはどのようなものがあるのだろうか。
日本は高校への進学率、大学への進学率ともに非常に高い水準を保っている。また、学歴によって社会人になったときの給料が違ったり、待遇が違ったりする。これを考えると日本は学歴社会であるといえる。また、高校入試、大学入試だけでなく、私立中学に進む子どもも少なくはなく、小学生の頃から入試というものを意識した学習を行っている子どもがいるのが現状である。こういった現状を考えると「基礎基本の学力」はとても重要なものであるといえる。
「教育格差」については一見すると、学歴の差と考えられる部分もあり、誰もが頑張れば良い学歴を手に入れることができそうである。しかし、よい大学に入るためにはそれなりの資金を必要とする。私立中学校に入学する子どもならさらに資金は必要となるであろう。これを考えると学校教育のみでは希望の大学などに入学することは難しく、授業時間数、教育内容の削減、総合学習の時間の導入、などにより、大学入試のためには塾・予備校などにお金を使わなければならない。そうすると、裕福な家庭の子供たちは塾・予備校に通い、どんどん学力を身につけていくが、裕福ではない家庭の子供たちは、塾・予備校などに通うことは到底無理で、大学入試さえ受けることができないのが現状といえよう。これを考えると、将来は有名大学に進学し、有名な企業に就職できるのは裕福な家庭に生まれた子どもたちで、一方で、裕福ではない家庭に生まれた子ども
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情報社会
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基礎基本の学力
教育格差
経済格差
格差問題
教育方法
550 販売中 2008/05/25
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教育方法学(第1設題)
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『従来の知識伝達を重視した授業の設計と評価に対して主体的な学習を基本とする授業について設計と評価の特徴を比較し、その比較の視点毎にまとめて授業設計ならびに評価についての留意点を述べよ』
従来の知識伝達を重視した授業の設計と評価に対する姿勢は、教科書や指導要領に沿った内容の下、教師が指導目的・指導方針をしっかり決めてから指導に臨み、紙の試験による評価をするため、授業態度がしっかり授業に参加する、積極的に発言する、課題に出した問題集をしっかりやって提出させるなど、教師側の望む「いい子」、紙の試験がよくできる子が「いい子」という評価になりがちで、本来の子どもの能力や可能性を伸ばす教育にならないのではないかと思う。
たしかに、これからの社会を担っていく子どもたちに既存の知識を伝達できる教育において、知識伝達は必要不可欠なものなので、教師の高い専門性と、指導をもって、子どもの興味・関心を引き出しながら、指導にあたらなければならない。しかし、その伝達行為の過程や、習得度を確認するために評価する側の主観だけや、生徒を「扱いやすい」という観点だけで評価することは、「先生の言われたとおりにやっていればよい」、「先生に気に入られるように行動しよう」という誤った認識をする生徒が生まれてしまい、今後子どもたちが生きていく、めまぐるしい情報社会と、さまざまな人間関係の中では生きていきにくい教育がなされてしまうのではなかろうか。
授業設計ならびに評価についての留意点は、先述のように、教師の好みのような主観的な評価を絶対にしないようにし、公平に判断できる基準を授業設計のうちから用意をし、授業展開に臨むべきである。
古来より、さまざまな教育方法について議論され、実施される中、近年は、情報通信技術を取り入れた教育は必須だと思う。
子どもたちの私生活、ひいては教育者の行動の中でも、情報通信技術は切り離せないものとなっている。それにもかかわらず、教育の現場で、紙面だけを取り扱い、情報通信機器を「悪」のような意識で接していては、時代錯誤ととらえられてもしかたがない。といっても過言ではないと考えている。
現状では、インターネットを利用した調べ学習も かなり詳しいレベルまで調べることができる。文書を作成するにあたっても、推敲まで容易にできるので、一人一台単位で情報通信機器を使用させ、高度な情報を手に入れ、情報機器を自分で扱えるように学校側も尽力すべきである。
しかしこの件においては懸念すべき点が多々あるのも否めない。インターネットを接続するとなれば、有料サイトや、教育において無益なものも子どもの操作で簡単に閲覧・使用できることにもなる。また、それ以前の問題で、情報機器自体が精密機器で、高価なものであるので、破損したり、使用方法を誤たりすると、子どもの手におえないような作業をしなくてはならなくなることにもなる。このようなことから、有害なサイトに接続できないようにしたり、できるだけ単一作業だけにしたりするといった方法が考えられるが、私の考えとしては、あえて一般的に使う機器のそのままの機能で良いと思う。それらの機器を通して試行錯誤しながら方法を学び、さまざまな情報を閲覧する中で倫理観を見につけられるのも、立派な評価の対象となりうるのではないだろうか。
そういった子どもの試行錯誤の中で、教師のあるべき姿は、子どもの行為を見守り、子どもが意見を求めたり助けが必要となったりしたときは、手を差しのべるようにするべきだ。
適切な場所で適切な援助をするには、相当量の情報通信機器などについての知識が必要である
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教育方法学
佛教大学
レポート
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教育方法学(第2設題)
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『現在の情報社会さらには知識社会と呼ばれているが、その社会にあっては知識を扱う教育はきわめて重要である。基礎基本の学力と教育格差と経済格差との関連について論ぜよ。また格差問題を解決するうえで教育方法はどのようにあるべきか。』
現在、情報社会さらには知識社会と呼ばれているので、いかに多くの知識・情報を、適切な時期に、適切なものを再度取り出せるか、また、あふれる情報の中で、自分に必要なものを取捨選択し、その情報の真偽を追究できるかが、今後必要な力となるであろう。様々な面で、教師が自らの能力を高め問題解決に立ち向かい、教職専門性について発展しているのかどうかが問題となり、教職においても、子どもたちに情報通信技術によって新しい知識を伝達し、国際的にも通用する専門的知識を創出することが期待されている。つまり、教師の側も現状を把握し、問題意識を持ち、そして切磋琢磨して様々な場面でも対応し、またそれを子どもにも対応させられるような教育をしていかなければならない。
今後の教育の変動の将来を予測すると、従来の知識詰め込み型の教育方針より、「子どもが意欲・興味・関心を持って物事に臨むべきだ」という傾向が、ますます強くなると予想させる。
指導方針も中央指導型から現場指導型に大きく転換しているので、それぞれの場所で、特色ある、個性的で創意工夫にみちた、地域や子どもに合った教育ができる。教育は基本的に「受けさせられるもの」ではないので、子ども主体の教育がなされなければならない。
基礎基本の学力と教育格差のことを鑑みても、「読み、書き、計算」などの学習の基礎は、学校教育ばかりでなく、子どもたちの将来の社会生活の基礎となるものである。今後の学習指導要領で現行のものよりは学習時間・内容等が増えるにせよ、基礎基本を定着させるための時間の確保は、今後も多くは望めないだろうと予測される。しかし、そのような中でも基礎基本の学力は身につけさせなければならないので、特設時間の設定や、興味付けなど、考慮しなければならないことがたくさんある。
もうひとつの、目標と内容に基づく教科等の基礎的な学力は、具体的な目標を明確にし、子どもの将来に有益な教育をしていくべきだ。ブルームの言う、「子どもたちみんなに学ばせるのだ」という意識を忘れてはならない。
ここで、教育格差が発生してしまうのは、基礎基本の定着度合いと、学校や教師の裁量で決まってしまう発展的・実践的学力の内容についても考えられる。これらの学力は、いくらでも伸ばすことがき、その名の通り、実践的な面もある。ティーム・ティーチングなど、様々な方法をその場に応じて使い分け、基礎基本、発展的な学力、実践的学力の三つの学力をバランス良く身に付けさせるのが理想である。しかし、学校現場の現状と、紙資料による教育方法論とはうまく連動しない場合も多々あるかもしれない。このように、「理想追求だけだ」と発展の門扉を実践する前から閉ざしてしまうのではなく、周りに成功事例があれば自分の場合に置き換えて実践を試みたり、何か方法を思いついた場合、他の先生と協力しあったりして、コミュニケーションを図り、他と連携を取っていくことも教育格差を無くしていくことにつながると思う。
教育格差と経済格差の点から見ても、今後ますます経済格差が広がり、経済的に余裕のある家庭において、今以上に子どもへの期待が高まり、教育に対する期待感は膨らむばかりである。最終学歴のことなどまで視野に入れ、私立学校に進学させることを考える選択肢も増えている。
学校の選択肢を論に加えないとしても、裕福な家庭の
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教育方法学
佛教大学
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新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
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