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連関資料 :: 卒論

資料:13件

  • 卒論の報道被害
  • 報道被害とマスコミ はじめに 私たちの現在の日常生活において、報道というものが極めて身近な存在であり、大きな影響力を有するに至っていることは否定できないだろう。報道されるものは、政治や選挙、事件物、そして芸能ネタなど、一般市民の関心を引きつける話題である。 しかし現在その報道倫理が低下している。事件が起きればマスコミは現場に押しかけ、地域は大量の取材陣で埋め尽くされる。被疑者は私生活や経歴を暴かれた上、無罪有罪に関わらず世間から激しい攻撃を受ける。インターホンと電話が鳴り止まず、悲しみの渦中にいる被害者の家族にでさえも容赦のない質問が浴びせられる。さらに、インターネットがこうした報道被害を増幅している。新聞などの報道が、検索エンジンでいつでも容易に検索でき、それが誤報であっても訂正されないままいつまでも残る。少年法で守られるべき少年の実名や顔写真、プライバシーもインターネットで流されている。 また、この報道被害を表向きの理由としたメディアの法規制が進んでいる。「報道の自由」「表現の自由」に権力の介入が懸念されているのだ。マスコミは自ら報道を改善し、権力の介入を防がなければならない。 このような報道の現状に疑問を抱くとともに、その原因を分析し、現在の報道を見つめなおしたいと考える。 Ⅰ市民が受けた報道被害 1被疑者が受けた報道被害 例えば殺人事件があれば怪しい人間をあたかも犯罪者のように祭り上げる。テレビと新聞を介してあることないことが確定した事実として大きく報道される。警察の捜査が及んだ時点でマスコミの犯人視報道で瞬く間に犯人にしたてあげられてしまうのだ。松本サリン事件における河野義行さんはそうした報道被害を受けた一人であった。 1994年6月27日の夕方から翌日6月28日の早朝にかけて、長野県松本市北深志の住宅街で起こった、テロ事件である。住宅街に化学兵器として使用される猛毒のサリンが散布され、7人が死亡、660人が負傷した。 事件の翌日、6月28日に河野さん宅に長野県警が容疑者不詳の殺人容疑で家宅捜査した。それからマスコミは騒ぎたち、大見出しをだして河野を犯人に仕立て上げた。  「調合「間違えた」救急隊に話す/以前から薬品に興味」(毎日)  「住宅の庭で薬物実験?/「あの家が―」周辺住民あ然/原因わかり安ど」(読売) ここで書かれている薬物というのは家宅捜査の際に押収されたもので、写真収集に使おうと思っていたものだった。当然この薬物はサリン※1とは一切関係ないもので、そこからサリンを製造するなどできない代物であった。中でも特に悪質だったのが週刊新潮で、『毒ガス事件発生源の怪奇家系図』という見出しの記事で河野家の家系図を掲載してプライバシーを侵害した。家系図が事件に関与しているとはとても考えられない。地下鉄サリン事件後も河野氏は週刊新潮のみ刑事告訴を検討していたが、謝罪文掲載の約束により取り下げた。しかし河野氏との約束は守られなかった。現在も河野氏は、「週刊新潮だけは最後まで謝罪すらしなかった」と語っている。 河野さん一家は5人家族のうち、河野さんも含めて4人が入院する被害を受けた。長男は共犯では、とも疑われた。何か月間も無言電話や脅迫状が続き、サリンの不眠と真夜中の電話に苦しめられた。 河野義行さんは著書でこのように語っている。 「事件発生からわずか二十三時間で警察が犯人のレッテルを作り、マスコミが二日でそれを貼ってしまった。世の中スピード時代と言われるが、あまりに早過ぎはしないだろうか。それに引き換え、潔白の証明が如何に困難で、時間がかかる
  • 報道被害 放送倫理 マスコミ 報道の自由 メディア サリン カレー事件
  • 550 販売中 2008/07/06
  • 閲覧(5,557)
  • 卒論決定版
  • 1 はじめに ニートの存在や非正社員の増加が社会問題へと発展し、ここ数年、若者と仕事をめぐる状況が注目を集めている。景気が回復してきていることなどから、問題は解決するとの見方がある一方、雇用の仕組みや学校教育からの見直しが必要だとの声もある。そこで、若者と雇用の状況をまとめていきたい。また、学校教育にはどのような対策ができるのか考えたい。 2 失業者、ニート・フリーター数の推移 2-1 定義 若者と仕事の問題としてニートやフリーターが注目されているが、統計のための定義は、内閣府と厚生労働省で違い、公表されている数にも違いがある。それぞれの定義は図表1の通りである。 図表 1 ニート・フリーターの定義 ニート フリーター 内閣府 既婚者、学生を除く無業者(仕事に就いていない者)で、求職活動もしていない者=85万人(2002年) 学生と主婦を除く若者で、正社員以外(パート、アルバイト、派遣社員、契約社員など)と働く意志のある無業者=417万人(2001年) 厚生労働省 厚生労働省定義の「若者無業者」。仕事に就いていない者のうち家事も通学もしていない者=64万人(2004年) 学生と既婚女性
  • 経済 企業 学校 社会 フリーター ニート 社員 労働 正社員
  • 1,100 販売中 2009/08/13
  • 閲覧(3,904)
  • 卒論 人の終期と脳死 論文の概要
  • 【論文の概要】 人の終期とは人の「死亡」である1 。つまり,人の終期をめぐる議論とは,どの時点に おいて人が死亡したとみなすのかを論じるものである。従来,心臓の鼓動が停止したとき や呼吸が停止した状態をもって人の「死」とするのが一般的とされ,「脈がなくなり,息 を引き取ったときが死だという死の判定基準に疑いをさしはさむ者は誰もいなかった。」 2 。しかし,近年,医療技術の発達により,従来では生じ得なかった「脳死」の概念が登 場し,心臓の鼓動停止や呼吸停止などをもってのみ「死」と判定することに異論が生じ,
  • 問題 脳死 臓器移植 権利 海外 移植 個人 呼吸 心臓 死亡 全脳死 脳幹死 大脳死 臓器移植法 卒論 レポート
  • 550 販売中 2010/09/02
  • 閲覧(12,396)
  • 卒論・グリム童話に込められた民族意識
  • 約2万7千字。 はじめに 我々が「童話」や「おとぎ話」と聞くとき、誰もが懐かしさを覚えるだろう。しかし大多数の人は大人になると童話やおとぎ話といった類の本はまず読まなくなってしまう。それは、それらの話が子供のためのものである、といった先入観があるためであろう。けれどももしその先入観が覆されたとしたらどうだろうか。童話やおとぎ話はけっして子供の為だけではない、と。  そもそも、当時グリム兄弟がなぜ古くからの民話や伝承を編纂し、童話集という形にして残そうとしたのか。 グリム童話集が誕生した当時のドイツは、まだフランスやイギリスのように単一の国家として存在せず、神聖ローマ帝国という国家とは名ばかりの、領邦国家の集合体という形でしか存在していなかった。そんななか1806年、神聖ローマ帝国が崩壊し、グリム兄弟の祖国であったヘッセン選帝侯国はナポレオンの弟ジェローム王のヴェストファーレン王国に組み込まれ、その後1813年にナポレオンが敗れるまでのあいだフランスの統治下に置かれることとなった。そんな状況下でKinder- und Hausmärchen(原題『子供と家庭の童話』、『グリム童話集』として呼ばれる方が多い)の第一巻は誕生したのである。  このような時代と国家の形態の関係が『グリム童話集』を生み出した、と言っても過言ではないだろう。仮に今、自分たちが統一された強固な国家としての国を持たず、そのうえ他国に占領されたとする。すると自ら団結し、自分たちの国家を持とうと考え、他国の支配に対抗しようとする動きが起こりうるのではないだろうか。グリム兄弟にとってそれが『グリム童話集』であり、民族の財産ともいうべき伝承や昔話を以て国民を統一し、まだ見ぬ国家としてのドイツを願ったのではないだろうか。だとするならば『グリム童話集』は単にゲルマン民族の財産として伝承や昔話を残すためだけのものではなく、その中に国民意識が溶け込んだ読み物であるといえよう。
  • 卒論 ドイツ史 グリム童話 民族意識 国民意識 ナショナリズム グリム兄弟
  • 1,650 販売中 2016/03/10
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  • 卒論 人の終期と脳死 本文 参考文献
  • 【目次】 一 序論 二 本論 (1)死の定義 (2)心肺死説,総合判定説 (3)脳死概念の登場 (4)各説の主張 (5)脳死と臓器移植 (6)考察 三 結論 一 序論 人は,死亡することによって,「多様な法的利益の享受主体」1 としての地位を失うこ とになるが,わが国では,人の終期について明確な規定がなされた法律は存在せず,ま た,これを明示的に定義した判例も見当たらない2 。そのため人の死亡については,関係 する分野ごとにその議論が存在してきた。 例えば民法上においては,人の「死亡」は婚姻解消の原因になり(民法728条2 項),また,人は死亡により権利能力が消滅し,その人に帰属した権利義務のすべては相 続人に相続される(民法882条)。この他,その人に帰属しなければ意味のない一身専 属権は,その人の死亡により完全に消滅する(民法896条但書)。一方,刑法上では, 人は「死亡」によって,生命・身体に対する犯罪行為から保護される利益の享受主体(あ るいは,生命・身体に対する罪の客体)としての地位を失うことになる。つまり生命は重 要な法益とされ,生きている人は殺人罪(刑法199条)・傷害罪(刑法204条)をは じめとする各種犯罪の客体(被害者)となり,また,それら犯罪の行為者に対しては重罰 が課されることから,結果として人は,法によって厚く保護されているといえるが,死亡 すれば,生きている人を保護する目的で規定された犯罪の客体となる地位を失い,その肉 体は「死体」として扱われることになる。 このように人の終期については,従来から,犯罪の加害者の側から見て,「人は死亡す ればもはや人ではなく,これに対する侵害行為は,死体損壊・遺棄罪(刑法190条。未 遂も過失もともに不処罰である。)は別として,殺人罪を構成しないから(ただし,死体 に対する侵害行為であっても,不能犯学説いかんによって,殺人未遂の成立する場合があ る。)」3 ,「人がいつ死亡したといえるかは刑法にとっても重大な関心ごと」4 とされ てきた。 つまり,刑法上,人の終期については,どの時点で死亡したかによって犯罪行 為者に対する処罰が大きく異なることになる5 。 然るに,「人の死」というのは,何よりも人の身体に生ずる現象であることから,その 理解にあたっては,まず医学的,生物学的知見に基づくのが自然と考えられ,従来から人 の死亡についての判断は,医師の裁量に委ねられてきた。この考え方からすれば,人が死 亡しているかどうかを判断するのは医学の専権事項であるから,その医学が人の死を判断 すれば,同時に法的・社会的にもそれを人の死として認められると考えられなくもない (医学追認説)。しかし,「法律家の役割は,人々にある考え方を教えることではなく, - 2 - 『普通の』人々の考えに従って法律をつくり,法律を
  • 民法 刑法 社会 法律 法学 問題 医学 生物 犯罪 生命 臓器移植法 脳死説 全脳死 脳幹死 大脳死 心肺死 心臓死 相対
  • 1,100 販売中 2010/09/03
  • 閲覧(11,440)
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