連関資料 :: 領土問題

資料:4件

  • 高校地理B学習指導案「パレスチナにみる領土問題
  • 〈教材観〉 クリントン前米大統領と全世界が見つめる中、ラビン・イスラエル首相とアラファト・PLO議長がホワイトハウスでパレスチナ暫定自治協定調印後に握手をしたのは、奇しくもちょうど12年前の1993年9月13日のことである。その翌年、イスラエル軍がガザ・イェリコ地区から撤退し、いわゆる「パレスチナ問題」は解決への一定の方向性を示したかにみえた。ところが2000年の中東和平交渉決裂、また2002年には相次ぐ自爆テロの発生によって、交渉は再び難航している。この背景にあるものは、西アジア・北アフリカ地域で比較的孤立した存在であるユダヤ教社会と、その周囲を取り巻くイスラム教社会との宗教的対立であると考えられている。この宗教的なアラブ・イスラエル紛争こそパレスチナ問題の構図なのであるとする考えは、教科書の規範とされて久しい。 しかし、本来のパレスチナ問題とは第一次世界大戦後、民族自決を適用したくないヨーロッパ諸国の委任統治のもとで発生したものであることはあまり知られていない。この当時、旧オスマン帝国領の「再分割」でパレスチナを「委任」されたイギリスの三枚舌外交、すなわち対アラブのフセインーマクマホン書簡、対ユダヤのバルフォア宣言、対仏のサイクス・ピコ協定によってパレスチナの地が外交戦略に利用されたことこそ、パレスチナ問題の本質である。上述したように、パレスチナの地をめぐる領土紛争は宗教対立に起因するものであると理解される傾向にあるが、領土紛争は果たして宗教的対立のみで起こるものであろうか。 それならば、第一次世界大戦以前にも紛争は起こっていたはずである。
  • レポート 教育学 高校 地理 パレスチナ 民族 水問題
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