私の遺伝子観

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    資料紹介

    一見、目的論的にも考えられやすい生物の進化は、生物に内在する生命原理としての遺伝子、ゲノムの間違いを起こし得る性質が重要なファクターであったのである。

    アニミズム的な世界観では、大自然のすべてに浸透して存在する“霊(魂)”が生命原理であり、外見上生命のあるものとないものとの差は偶然的であり、したがって主・他(客体)の区別はなく、呪術(じゅじゅつ)的な共感の世界が広がるのである。ギリシャ時代に入って、市民社会の成立は、主体性をもつ個人としての人間の自覚は、大宇宙(客体)と小宇宙(主体)の分離を促した。生命をもつ小宇宙の大宇宙からの独立である。われわれの知るギリシャの哲人たちは自然哲学的に根源的なものとしての生命原理を模索した。生物は生命をもつものではあるが生命そのものではない。呼気の類推から生命原理と考えられたプシケ、同じようなアナクシメネスのプネウマも、アニミズム的な相関の思想に根をもってはいるが、アニミズム的な大自然の普遍的“霊”ではない。デモクリトス、エピキュロスの、原子が相互にもつ親和性から偶然に集まって物質を作りあげるという原子論と呼ばれる自然観の中で、生命は生命の原子が(同じような)親和性に基づいて加わることで生まれると考えている。生命の原子と言い、プネウマと言い、これらは解析不可能な超自然的なものであり、一般的に呼ばれる生気論の範疇(はんちゅう)に入れることができる。そして、述べておきたいことは、デモクリトスらの原子論はさておき、アリストテレスのような自然学者でさえ、大宇宙に対すると同様に、小宇宙(生命の世界)を目的論の中で捉えていることである。生命も、やはり外から与えられた秩序の中にあり、“自然は決して無駄をしない” と言う信念(真理)の中で説明されるものであったのだ。

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    私の遺伝子観
    生命とは何か。これは人類誕生以来ずっと考え続けられて来た命題であろう。これは生物を生物たらしめる、生物に生命を与えるものとしての生命原理の探求であると言うことになる。大宇宙も小宇宙も総合的に根源的な霊の世界と捉えたアニミズム的生命観から始まり、生命原理に関わる考え方の歴史的な変遷は、文化的、文明的な社会環境の進歩発展と変化に影響されて来たと言える。長い間生命原理は宗教的な、また自然哲学の対象であった。自然科学の場で、これを探求しようとする萌芽はあったにせよ、これのはっきりしたしるしとしては、19世紀半ばのダーウィンの進化論とメンデルの実験遺伝学的成果に求められるだろう。分子生物学が分子レベルからの遺伝機構の解明を目的としたのも、近代科学を踏まえての物質レベルからの生命原理の探求であるのだ。即ち“遺伝子の話”はとりもなおさず現在の生物科学からする生命原理の話である。この話に踏み入る前に、ごくごく簡単に歴史的な生命観、つまり時代時代に生命原理をどのように考えたのだろうか。
     アニミズム的な世界観では、大自然のすべてに浸透して存在する“霊(魂)”が生命原理であり、外見上生命のあ...

    コメント1件

    moenaoki 購入
    良かったです。
    2007/01/21 0:27 (17年3ヶ月前)

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