3-4スピンとは何か

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    スピンとは何か
    歴史の順に従うと説明が複雑になり過ぎる。 だからここまでは順序を無視してきた。
    磁気モーメントの測定
     かなり後になってしまったが、原子が持つ角運動量を測定する方法の一つを紹介しよう。
     まず、小さい穴の開いた容器の中に調べたい物質を入れて、加熱する。 するとその物質は蒸気となって穴から噴き出すだろう。 酸化を防ぐためにも真空中で行った方がいい。
     その穴から少し離した所に衝立を置いて、そこに小さい穴を開けておく。 こうすることで、容器の穴から衝立の穴まで真っ直ぐに飛んできた原子だけが通過を許されて、穴を抜けた原子はその後も真っ直ぐに飛び続けることになる。 こういう働きをする衝立を「コリメータ」と呼ぶ。 「平行になるように整える装置」くらいの意味だ。 こうして一本の原子のビームが作られるわけだ。 この装置を真空中に置く本当の理由は酸化防止よりもむしろこちらである。 障害物となる気体があっては原子は真っ直ぐに飛べない。
     このビームの進路上に磁場を働かせてやると原子の持つ磁気モーメントが磁場と作用して、原子が進路を曲げることになる。 ただしここで一工夫が必要である。 普通の磁場では曲がらせることはできないのだ。
     もし電子のビームならば電場の中を通せば進路は曲がる。 同様に、もし磁気モノポールというものがあったとしたら、それを磁場の中に通せば同じように進路は曲がるだろう。 しかし磁気モーメントというのは、異符号の磁気モノポールが棒で繋がったようなイメージのものである。 一様な磁場の中ではその両端がそれぞれ反対方向へ同じ大きさの力を受けることになり、どちらへも動かないことになる。
     ではどうすれば良いか。 一方へ近付くほど強い磁場が掛かるようにしてやるのである。 例えば次の図のような断面の磁極を作ってやればいい。
     オレンジ色に塗った部分に注目すると、下へ行くほど磁力線が広がって疎になるので磁力は弱くなるというわけだ。 磁力線の様子はあまり正確ではないので信用してはいけない。 こんな凝った形状にしなくても次のようなものでもいいようだ。
     このような磁場の中では磁気モーメントはすぐに向きを変えてしまうのではないのか、という心配は無用である。 確かに磁気モノポールが2つくっ付いたものなら、磁場の向きに従う方がエネルギーが低いので、向きを変えて、余ったエネルギーを光として放出してしまうだろう。 しかし原子の磁気モーメントの原因は電子の角運動量であり、角運動量保存則がある限り勝手に向きを変えてしまうなんてことは起こらないのである。
     ただし、磁場中で他の粒子と衝突したときに、角運動量を相手に与えることで、磁気モーメントの向きを変える現象は起こり得る。 しかしこの実験が真空中で行われていることを思い出してもらいたい。 そのような衝突はそれほど頻繁には起こらない。 その頻度についてはきちんと計算されており、誤差として評価される。 物理実験というのは、昼過ぎの奥様向けテレビ番組で行われているような子供騙しの実験とはレベルが違うのである。
     こうして進路を曲げられたビームがたどり着く先にガラス板などを置いてやると、多数の原子はこれに張り付いて、吹き付け塗装をしたようになる。 後でこの板を取り出して良く観察してやれば、原子がどのように進路を曲げられたかが分かるわけだ。
    シュテルン・ゲルラッハの実験
     上で説明したような実験は1922年に銀原子を使って行われた。 「シュテルン・ゲルラッハの実験」と呼ばれる有名なものだ。 この実験によって

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    資料の原本内容

    スピンとは何か
    歴史の順に従うと説明が複雑になり過ぎる。 だからここまでは順序を無視してきた。
    磁気モーメントの測定
     かなり後になってしまったが、原子が持つ角運動量を測定する方法の一つを紹介しよう。
     まず、小さい穴の開いた容器の中に調べたい物質を入れて、加熱する。 するとその物質は蒸気となって穴から噴き出すだろう。 酸化を防ぐためにも真空中で行った方がいい。
     その穴から少し離した所に衝立を置いて、そこに小さい穴を開けておく。 こうすることで、容器の穴から衝立の穴まで真っ直ぐに飛んできた原子だけが通過を許されて、穴を抜けた原子はその後も真っ直ぐに飛び続けることになる。 こういう働きをする衝立を「コリメータ」と呼ぶ。 「平行になるように整える装置」くらいの意味だ。 こうして一本の原子のビームが作られるわけだ。 この装置を真空中に置く本当の理由は酸化防止よりもむしろこちらである。 障害物となる気体があっては原子は真っ直ぐに飛べない。
     このビームの進路上に磁場を働かせてやると原子の持つ磁気モーメントが磁場と作用して、原子が進路を曲げることになる。 ただしここで一工夫が必要である。 普通の磁場では曲がらせることはできないのだ。
     もし電子のビームならば電場の中を通せば進路は曲がる。 同様に、もし磁気モノポールというものがあったとしたら、それを磁場の中に通せば同じように進路は曲がるだろう。 しかし磁気モーメントというのは、異符号の磁気モノポールが棒で繋がったようなイメージのものである。 一様な磁場の中ではその両端がそれぞれ反対方向へ同じ大きさの力を受けることになり、どちらへも動かないことになる。
     ではどうすれば良いか。 一方へ近付くほど強い磁場が掛かるようにしてやるのである。 例えば次の図のような断面の磁極を作ってやればいい。
     オレンジ色に塗った部分に注目すると、下へ行くほど磁力線が広がって疎になるので磁力は弱くなるというわけだ。 磁力線の様子はあまり正確ではないので信用してはいけない。 こんな凝った形状にしなくても次のようなものでもいいようだ。
     このような磁場の中では磁気モーメントはすぐに向きを変えてしまうのではないのか、という心配は無用である。 確かに磁気モノポールが2つくっ付いたものなら、磁場の向きに従う方がエネルギーが低いので、向きを変えて、余ったエネルギーを光として放出してしまうだろう。 しかし原子の磁気モーメントの原因は電子の角運動量であり、角運動量保存則がある限り勝手に向きを変えてしまうなんてことは起こらないのである。
     ただし、磁場中で他の粒子と衝突したときに、角運動量を相手に与えることで、磁気モーメントの向きを変える現象は起こり得る。 しかしこの実験が真空中で行われていることを思い出してもらいたい。 そのような衝突はそれほど頻繁には起こらない。 その頻度についてはきちんと計算されており、誤差として評価される。 物理実験というのは、昼過ぎの奥様向けテレビ番組で行われているような子供騙しの実験とはレベルが違うのである。
     こうして進路を曲げられたビームがたどり着く先にガラス板などを置いてやると、多数の原子はこれに張り付いて、吹き付け塗装をしたようになる。 後でこの板を取り出して良く観察してやれば、原子がどのように進路を曲げられたかが分かるわけだ。
    シュテルン・ゲルラッハの実験
     上で説明したような実験は1922年に銀原子を使って行われた。 「シュテルン・ゲルラッハの実験」と呼ばれる有名なものだ。 この実験によって、とても不思議な結果が得られることになった。
     結果について話す前に、この実験が行われた背景を説明しておこう。 科学の歴史というのは必ずしも分かり易い順序で発展してきたわけではない。 この実験が行われた年はまだシュレーディンガー方程式が発表される数年前であり、これまでに説明してきたような波動関数のイメージはまだ出来ていなかった。
     しかし原子が飛び飛びの値の角運動量を持つことについては、この頃までに高度な理論が出来ており、スペクトル線の観察と合わせて、かなりの事が明らかになっていたのである。 ただ量子力学に比べてそれほど洗練されていなかった、というくらいのもので、スペクトル線の説明についてはわずかな謎を残していただけだった。
     だからこの実験は、原子の角運動量を測るという意味では理論の確認に過ぎず、当時提唱されていた「方位量子化」が現実に起きていることを分光スペクトルの解析以外の方法でも確かめようと意図したものだと思われる。 ところがそこで意外なことが起こった。 銀原子のビームは上下の2本に分かれたのだ。
     何が意外なのか。 銀の電子配置についてはスペクトル線の解析から見当がついていた。 原子番号は47番で、47個の電子の内の28個は M 殻を全て埋めており、残りの19個は N 殻の s, p, d 軌道を埋めて1つ余る。 この余った電子は 4f 軌道ではなく、5s 軌道に入ることが知られている。 記号で書けば次のような感じだ。
    (1s)2 (2s)2(2p)6 (3s)2(3p)6(3d)10 (4s)2(4p)6(4d)10 (5s)1
     カッコ内が軌道を表しており、右肩の数字がそこに入っている電子数を表している。 つまり N 殻までに納まった電子は角運動量を互いに打ち消しあって0になっており、さらにそこからただ一つ飛び出した 5s 軌道の電子でさえ l = 0 の状態にあるわけだから、全体としても角運動量を一切持たないはずなのだ。
     ところがこの結果は一体どういうことか? 角運動量を持たないはずのものが、磁気モーメントを持っているとは! しかも上下に2通りのみ。
     この現象はここまでシュレーディンガー方程式を使って考えてきた我々にとっても説明できないことだ。 l = 0 なら角運動量を持たないので当然ビームが分かれたりしないが、その次に許された l = 1 の場合でさえ、3つに分かれるはずなのだ。 2つにだけ分かれるというのはここまでの理論には出てきていない。
    電子はスピンしている?
     この現象が起きる理由について誰も全く見当が付かないわけではなかった。 物質の磁性の原因は「電子の自転運動」によるのではないか、という考えはこの実験の少し前から出始めており、やがてこのイメージは1925年にハウシュミット (Goudsmit) とウーレンベック (Uhlenbeck) の論文により「スピン」と呼ばれ始めた。 当時は電子を波動として捉えるイメージはまだなく、実在する粒のようなものを考えていた。 電荷はその粒の表面に分布していて、それが回転することで磁気モーメントが生じるのではないかという説である。
     今回の実験で見出された謎の磁気モーメントの原因は、殻外に一つだけ飛び出した電子のスピンに因るものであろうというわけだ。 スピンに右回転と左回転の2種類があることを仮定すればビームが2つに分かれたことを説明できそうだ。 N 殻までの電子はスピンが互いに逆を向く形で2つずつペアを作って納まっており、磁気モーメントを打ち消し合って観測に掛からないのだと考えられる。 そして今回のように一つの電子だけが単独で余る場合にだけ、そのスピンが観測に掛かるというわけだ。
     しかしこの説明には疑問が沢山ある。 なぜ2つにしか分かれないのか。 右回転と左回転があるのはいいとしても、回転の度合いは幾つもあっていいはずだ。 自転が止まっているような状態はないのだろうか。
     それに電子を大きさのある粒だと考えた時の致命的な問題は、その表面の回転速度が光速を超えてしまうということである。 原子核の周りを回る電子の速度でさえ古典的に考えれば光速にかなり近いことになるので、それより小さい半径で回転しようとすればすぐにこの制限にぶつかるだろう。 だから多くの学者は敢えてこの説を口にしなかったようだ。
    先の二人は若い研究者であって、表面速度が光速を超える問題があることを知っていたが、相談を持ちかけたエーレンフェスト先生によって勝手に論文を投稿されてしまうのである。 まさに生贄だ。 参考リンク:「 量子力学の歴史 」4章, 1925年秋のところ
     この辺りの問題に触れるのを避けつつ、何とかして理論化しないといけない。
    理論化への一歩
     さあここで、前回までに考えてきた角運動量についての数学の出番だ。 方位量子数が l の時、磁気量子数 m は 2l + 1 個の状態が考えられるのだった。 今は状態の数は2個しかないのだから、同じルールを適用すれば、2l + 1 = 2 より、l = 1/2 とすれば良いのではないだろうか? 実際これはうまく行って、角運動量と全く同じ理屈がそのまま当てはまる。 磁気量子数 m は l ~ -l の範囲であって、1ずつ増減したものが存在する。 つまり m = +1/2 と m = -1/2 の2つの状態のみが考えられるのであり、現象をうまく説明できそうだ。
     しかし磁気量子数が ±1/2 だというのは一体何を意味するのだろう。 m が整数でなければならないことは、波動関数が原子核の周りを一周したときに同じ値で繋がらなくてはならないという条件で導かれたのだった。 しかし m = ±1/2 となると、波動関数が2周してようやくつながるような条件を課したときに出てくる値ではないか。 もしそのような条件を許すなら、m = ±3/2, ±5/2, ±7/2, ... などという値だって出てきてもおかしくな...

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