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一遍で検索した結果:8件
踊念仏を見ていくにあたって、まず一遍が捨て聖と呼ばれていることから考えていきたい。家を捨て、妻子を捨て、衣食住を捨て、世を捨て、寺を捨て、経典を捨て、わが身を捨て、わが心を捨て、捨てる心まで捨てつくした。一遍の捨てる思想と実践は、十一不二頌から必然的に生まれ出たものである。一遍...
踊念仏は自然発生的に杜会の混乱期にはじめられたものらしい。戦乱とか闘争がくり返され、世の不安がつのるにつれ、人々は何かに頼ろうとする。それが神であり仏であったのだ。神や仏を求め、そして得ることが出来たとき、喜びを外面に表わし、自然と踊りだす。助けてもらえる、救ってくださるという...
遊行というのは各地を巡り歩くことである。遊行聖と言われる者が布教のために歩きまわった。奈良時代や平安時代においては、『僧尼令』によって、僧尼は寺院に定住するように朝廷から決められていた。寺院の外に出るためには許可を受けなければならなかったし、まして僧尼が一般の俗人を訪れて仏法の...
延応元年(1239)伊予の国(愛媛県)に誕生、河野通信(1156〜1223)の孫であり、父は河野通広(生没年不詳)で、出家名は如仏という。一遍が幼い頃の名前は松寿丸であった。 宝治2年(1248)母が亡くなり、無常の理を悟る。父の命で出家し随縁と名のる。 建長3年(12...
鎌倉仏教の代表として、一遍が起こした時宗がある。伊予の国の有力武士の家に生まれた一遍は、善人・悪人や、信心を問うことなく、すべての人が救われるという念仏の教えを説き、踊念仏によって多くの民衆に教えを広めながら各地を布教して歩いた。その足跡をたどって編集された絵巻に「一遍聖絵」(...
一遍の根本となっている思想は十一不二頌である。そこから必然的に捨て聖となった。十一不二頌という信念を確立した一遍は賦算という形で布教に成功した。十一不二頌は法蔵菩薩が仏の悟りを得て南無阿弥陀仏になったことと、凡夫が1度の念仏により往生することと同じだということであった。ただし念...
日本大学 通信教育部 「0015歴史学 分冊1 安部清明・一遍ー日本・中世史」の合格レポートです。「大変よくまとめられている」と評価をいただきました。参考文献を複数明記してありますので、参考になるかと思います。...
仏教は一部の渡来人系の子孫のなかではすでに六世紀の初めに信奉されていたと考えられるが,五三八年、百済の聖明王が釈梼仏像と経典その他を朝廷に献上したときが仏教公伝とされる。摂政聖徳太子の推古朝に,仏法興隆の道がひらけた。太子は仏教に深く帰依し,法華・勝鬘・維摩の三経の注釈書,いわゆ...