少年法改正議論について―主権者の責任

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    「少年法とは何か」ということを問う前に、「法とは何であるか」という命題について考えたい。ある何らかの秩序や道徳が公権力による裏付けを得て有形化したものが法である。それが秩序や道徳と異なるのは、公権力による規制や罰則が存在することである。しかし、公権力もまた、何らかの法によって存在保証がなされているのであって、方と権力の存在はどちらがどちらかを支えるという一方的な関係ではない双方向的な効果を持ったものである。法や権力をそれだと認めるには、社会の構成員である我々一人一人の最大多数の承認がなければならない。法とはつまり、社会の多数によって認められた、規制や罰則を包含する秩序なり道徳なのである。
     しかしながら、社会というのは、公権力の存在が強大すぎては、民主性に欠けてしまう。他方で、公権力の存在が矮小すぎては、無法同然の状態となってしまう。つまり、公権力の存在は自明ではあるが、存在しないかのように感じられる社会が最も安定的で効率的に機能する社会といえるのである。

    法の一種である少年法については、現在、罰則規定の改正にばかり議論が集中しているように思われる。少年法は未成年者による犯罪に対する処罰や裁判方法を定めたものである。その中には、社会復帰のために教育面・精神面でのサポートを行うことも定められている。
    そもそも少年法はなぜ、成人に適応される刑法とは別として存在しているのか。刑法は14歳以上の全ての者に適応されるが、犯罪者が未成年である場合、指名や顔の公表の禁止という規定には、刑法犯少年達の社会復帰への配慮がなされている。
     少年法は、その存在自体が、未成年者への特赦なのである。子供だからこそ過ちを犯し、子供だからこそ、その罪の重さを推し量ることができないのである。そして、子供だからこそ、学び反省する機会を与えられるべきなのである。この事実をしっかりと理解する必要がある。

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    少年法改正議論について
    ―主権者の責任―
     「少年法とは何か」ということを問う前に、「法とは何であるか」という命題について考えたい。ある何らかの秩序や道徳が公権力による裏付けを得て有形化したものが法である。それが秩序や道徳と異なるのは、公権力による規制や罰則が存在することである。しかし、公権力もまた、何らかの法によって存在保証がなされているのであって、方と権力の存在はどちらがどちらかを支えるという一方的な関係ではない双方向的な効果を持ったものである。法や権力をそれだと認めるには、社会の構成員である我々一人一人の最大多数の承認がなければならない。法とはつまり、社会の多数によって認められた、規制や罰則を包含する秩序なり道徳なのである。
     しかしながら、社会というのは、公権力の存在が強大すぎては、民主性に欠けてしまう。他方で、公権力の存在が矮小すぎては、無法同然の状態となってしまう。つまり、公権力の存在は自明ではあるが、存在しないかのように感じられる社会が最も安定的で効率的に機能する社会といえるのである。
     これに通じて、その罰則規定や制限規定ばかりが強化されている法は、社会への適応性が低く..

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