国際政治学3

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    資料紹介

     第二次世界大戦の敗戦は、当然ながら、戦後の日本外交の枠組みに大きな影響を与えた。戦前のいわゆる「アジア主義」的な思想は、戦後は欧米先進国、特にアメリカとの協調の重視に転換したし、またいわゆる「吉田ドクトリン」と呼ばれる経済中心主義と国際的な不介入主義は戦後の日本外交の基本的な指針といわれてきた。
     「アジア」に対するアイデンティティの変化から考察する。「アジア主義」と「脱亜入欧」の両者どちらに重点を置くかということは、日本の近代化の課程における大きな課題であった。「アジア主義」の思想は太平洋戦争中に「大東亜共栄圏」の名の下で国際的孤立の頂点を極めた。しかし、これは結果として敗戦につながったこともあり、戦後に欧米協調路線に移り変わったことは当然であったといえる。
     次に戦後賠償がどういった結果を構築していったのかを考察する。日本の賠償・準賠償は、日本政府から相手国政府への直接的な資金の提供ではなく、日本政府の負担による財やサービスの提供であり、それを具体的に受注したのが日本の企業であった。すなわち日本企業は日本の賠償によって成長したといえる。これは意図したものとは言えず、実際に金銭で日本が賠償を行える体力は無く、「サービスや物」というスタンスによる偶発的な結果が、賠償がマイナスだけでなくプラスに働いたといえる。さて、賠償・準賠償の多くは、1950年代に交渉が妥結したが、韓国との間でなされた「請求権」とその「補償」をめぐる交渉が残っていた。この交渉が妥結した背景としては、?アメリカがベトナム戦争により勧告への経済援助を減らし始めたこと?国際情勢が移り行く中クーデターで成立した朴政権が韓国の経済建設のために日本を利用したいということが挙げられる。しかし、裏にはアメリカが動いていたことも事実である。

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    国際政治学
    第3章 ODA政策にみる戦後日本外交の「規範」
      第二次世界大戦の敗戦は、当然ながら、戦後の日本外交の枠組みに大きな影響を与えた。戦前のいわゆる「アジア主義」的な思想は、戦後は欧米先進国、特にアメリカとの協調の重視に転換したし、またいわゆる「吉田ドクトリン」と呼ばれる経済中心主義と国際的な不介入主義は戦後の日本外交の基本的な指針といわれてきた。
     「アジア」に対するアイデンティティの変化から考察する。「アジア主義」と「脱亜入欧」の両者どちらに重点を置くかということは、日本の近代化の課程における大きな課題であった。「アジア主義」の思想は太平洋戦争中に「大東亜共栄圏」の名の下で国際的孤立の頂点を極めた。しかし、これは結果として敗戦につながったこともあり、戦後に欧米協調路線に移り変わったことは当然であったといえる。
     次に戦後賠償がどういった結果を構築していったのかを考察する。日本の賠償・準賠償は、日本政府から相手国政府への直接的な資金の提供ではなく、日本政府の負担による財やサービスの提供であり、それを具体的に受注したのが日本の企業であった。すなわち日本企業は日本の賠償によって..

    コメント1件

    inoshishi5 購入
    助かりました
    2007/01/23 19:31 (9年10ヶ月前)

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