川上弘美『消える』について:色川武大『蒼』との比較からみる幻想の世界

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     今回『消える』を論ずるにあたり、戦後短篇小説再発見18(講談社文芸文庫,2004)に収録されている色川武大『蒼』との比較をおこなった。その中で、1.構成(幻想世界の構築手法)、2.人物(非人間)、の2つの観点に焦点をおき、論を展開させていく。
    1. 構成(幻想世界の構築手法)
     まず、『消える』と『蒼』の幻想の世界へのいざない方の違いについて述べる。
     <このごろずいぶんよく消える>という一文から始まる『消える』は、生きている人が突然消えることなど、現実では異常と思えることが日常(当たり前のこと)となっている世界が描かれた話である。初めの一文では「消えるもの」は何であるかはわからず、それほど異常なさまはないが、次に続く一文<いちばん最近に消えたのが上の兄で、消えてから二週間になる>によって異常であることがはっきりとし、幻想の世界の入口であることがわかる。
     また、現実であれば昨日まで一緒に生活していた家族が突然消えたら驚き途惑う。しかし、『消える』の中では「私」は<消えるのはありふれたことなのでさして心配はしない>と述べる。曾祖母が消えて一年以上戻ってこなかったのに、そのときの家族がたいして詮索をしなかったことに対して、<詮索しなかったというのもおかしな話で、一年もいなかったらいくら昔のことだといっても大騒ぎになっただろうに>と現実的な感想も述べているのであるが、<いったいにこの家族は安穏を好むので、起こったことをすぐさま認めてしまいがちなのは自分のことをかんがみてもわかりはする>と、やはり異常を日常としている。
     このように、『消える』は初めの段階で幻想の世界の入り口を明示し、「消えることがありふれたこと」であるとすることで、この先に展開される異常な出来事を、読者も異常ではなく日常のように受けとめることができるようになっている。

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    川上弘美『消える』について
    ―色川武大『蒼』との比較からみる幻想の世界―
     今回『消える』を論ずるにあたり、戦後短篇小説再発見18(講談社文芸文庫,2004)に収録されている色川武大『蒼』との比較をおこなった。その中で、1.構成(幻想世界の構築手法)、2.人物(非人間)、の2つの観点に焦点をおき、論を展開させていく。
    構成(幻想世界の構築手法)
     まず、『消える』と『蒼』の幻想の世界へのいざない方の違いについて述べる。
     <このごろずいぶんよく消える>という一文から始まる『消える』は、生きている人が突然消えることなど、現実では異常と思えることが日常(当たり前のこと)となっている世界が描かれた話である。初めの一文では「消えるもの」は何であるかはわからず、それほど異常なさまはないが、次に続く一文<いちばん最近に消えたのが上の兄で、消えてから二週間になる>によって異常であることがはっきりとし、幻想の世界の入口であることがわかる。
     また、現実であれば昨日まで一緒に生活していた家族が突然消えたら驚き途惑う。しかし、『消える』の中では「私」は<消えるのはありふれたことなのでさして心配はしない>と..

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