油小路の名称由来を探る

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    (1)油小路の現状、歴史紹介

     油小路は京都最大の幹線道路である堀川通りの東に一筋入った南北の通りである。道幅は全体的に数メートルとあまり広い通りではないが、実は京都の南北の通りでは長さが最大級である。「京都の大路小路」(小学館)によれば、七条通から北へ花屋町通りまでは、仏具屋街であったり、西本願寺の寺内町であることから小さな旅館が点在している。五条通から四条通までは染物屋の看板が見受けられる。四条通から御池通は京都市指定文化財である野口家をはじめとした町家の落ち着いた雰囲気の町並みで、御池通を越えるとホテルや現代建築の住宅が町家と共存する形で建ち並んでいる。
     歴史については、平安京の油小路は一条大路から二条大路までは官庁街が広がり、六条大路以南は国営マーケットの東市に接していた。中世は多くの武士たちの邸宅が建ち並び、一条大路より北には誓願寺、百万遍知恩院、行願寺が造られた。15世紀後半になると、応仁の乱により油小路の様相は一変し、田畑と化した。戦国期に入ると本能寺が建てられ、織田信長が本能寺を寄宿所としたことから、油小路は武家が往来する通りに変わり始めた。明智光秀の信長襲撃によって本能寺は焼け落ちたものの、翌年には再興され、豊臣秀吉が法華宗の妙顕寺を接収したことにより、油小路は京都行政の拠点、そして武家の街路となり続けた。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    京都市内は南北、東西に150近い大路・小路によって張り巡らされ、碁盤の目状となっている。その大路・小路の名称は、歴史的由来を思い起こさせられるようなものであり、非常に興味をそそらされる。
     複数の大路・小路の中で、今回は油小路の名称由来について探ってみたい。油小路を調査対象とした理由は、現在私の住居が油小路一条に立地しており、非常に身近であり、かついつも疑問に思っていたからである。
    本レポートは以下のような構成となっている。
    (1)油小路の現状、歴史紹介
    (2)フィールドワーク
    (3)油小路の名称由来の仮説
    (4)感想
    (1)油小路の現状、歴史紹介
     油小路は京都最大の幹線道路である堀川通りの東に一筋入った南北の通りである。道幅は全体的に数メートルとあまり広い通りではないが、実は京都の南北の通りでは長さが最大級である。「京都の大路小路」(小学館)によれば、七条通から北へ花屋町通りまでは、仏具屋街であったり、西本願寺の寺内町であることから小さな旅館が点在している。五条通から四条通までは染物屋の看板が見受けられる。四条通から御池通は京都市指定文化財である野口家をはじめとした町家の落ち着いた..

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