ベンサム

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    「善とは快楽のことである」という主張のもっともな点と問題点をそれぞれ検討したいと思う。まずはもっともな点を考えてみると、人々にとって快楽とは決して悪いことではなく、むしろ人々は快楽を好み、それを追求するのが自然といえると思う。そもそも、快楽を欲しないひとはいないといえる。なぜならば、「生きる」という活動において、ひとびとは自らの最も愛すことがらに関して最大限の活動をするが、快楽はこういった活動を完璧たらしめ、したがってひとびとが追求しつつある「生」を完璧たらしめるのである。このように、ひとびとが生きるうえで快楽を追求するのも当然といえるのである。それゆえに、好ましいものは人々にとってよいことであるから、快楽は善といえるのである。ニコマコス倫理学第10巻の第2章には、エウドクソスが快楽とは逆のものである苦痛という面からもこのことが言えるとしていて、つまり、苦痛とは万物にとって即時的に好ましからぬものであり、それの反対は好ましきものでなくてはならないとするというのである。また、「善とは快楽のことである」という意識が根底にある功利主義をベンサムの論に添う形で見ていくと、これは古くはエピキュロス派に始まる快楽主義に根を持っているのだが、快楽を善とする立場をベンサムはとっているのである。そして、ベンサムはこの快楽の総量が最大となる社会を「善い社会」と考えたのであって、最大多数のひとが最大の幸福(快楽)を得ることのできる状態を「善い」状態と考えたのである。つまり、「社会を構成する人間の幸福(快楽)の総和」が増加するような行為が、よい行為になる、ということである。ちなみにベンサムは、快楽そのものを与えることはできないので、快楽を得る手段(つまり貨幣)の総和が増える行為が「善い行為」だとしている。こういったように、たしかに、快楽ほど根強くわたしたち人間の本性に結びついているものはないと考えられるし、快楽によってひとびとが幸福を感じることができるのも納得ができる。そして明らかにひとびとは苦痛を悪とし、快楽を善としてとるのである。これはつまり、ひとびとはそれぞれ、自らの快とするところは選び、自らの苦痛とするところは避けるということになる。しかし、単純に快楽を善とするには問題点がいくつかでてくるのである。その問題点はあえて簡潔にいうならば「快楽の多様性」であるといえると思う。まず、エウドクソスは万物にとって好ましくない苦痛の反対である快楽は好ましいものでなくてはならない、と述べているが、なにが苦痛でなにが快楽かを感じるかは言うまでもなくひとそれぞれであって、たとえば、同じものがあるひとびとを喜ばせてもあるひとびとには苦痛を与えるし、またあるひとびとにとっては苦痛であり憎むべきことであっても、あるひとびとにとってはそれが快適で愛すべきものであったりもするのである。よって、あらゆる快楽が好ましいわけではないことが明らかになったといえる。また、苦痛の反対としている快楽も作用の面で考えてみると、場合によっては苦痛の作用と快楽の作用は同じ方向に働くのである。これはニコマコス倫理学の第10巻第5章にあって、つまり、あるひとが同時に二つのことがらについて活動している場合に生ずるとしていて、その二つのことがらはそのひとにとって快楽を感じることであるが、より快適なほうの活動がもう一方の活動を駆逐し、その快楽の程度の著しく異なるときにはよりはなはだしい作用がみられ、ついにはもう一方の活動は行わないということさえ起こってくるのである。活動に苦痛が感じられると苦痛がその活動を滅ぼすに至る場合

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    「善とは快楽のことである」という主張のもっともな点と問題点をそれぞれ検討したいと思う。まずはもっともな点を考えてみると、人々にとって快楽とは決して悪いことではなく、むしろ人々は快楽を好み、それを追求するのが自然といえると思う。そもそも、快楽を欲しないひとはいないといえる。なぜならば、「生きる」という活動において、ひとびとは自らの最も愛すことがらに関して最大限の活動をするが、快楽はこういった活動を完璧たらしめ、したがってひとびとが追求しつつある「生」を完璧たらしめるのである。このように、ひとびとが生きるうえで快楽を追求するのも当然といえるのである。それゆえに、好ましいものは人々にとってよいことであるから、快楽は善といえるのである。ニコマコス倫理学第10巻の第2章には、エウドクソスが快楽とは逆のものである苦痛という面からもこのことが言えるとしていて、つまり、苦痛とは万物にとって即時的に好ましからぬものであり、それの反対は好ましきものでなくてはならないとするというのである。また、「善とは快楽のことである」という意識が根底にある功利主義をベンサムの論に添う形で見ていくと、これは古くはエピキュロ..

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