1-8固有時の意味

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    固有時の意味
    何とかして全宇宙共通の時間概念が欲しい!
    僕はここにいる!
     相対論の結果から、もはや、同時というものが慣性系によって変わってきてしまうということが分かると人は途端に不安を覚えるようだ。 それはなぜだろうか。
     同じ時を過ごせないという切なさからだろうか?  大宇宙に旅に出て光速近くまで加速し、遠く離れたある場所で何か素晴らしい発見をしたとしよう。 しかし、「俺は今この瞬間、ここにいる!」という心の叫びが誰かに届くのはいつになることだろう。 この自分にとっての「今」というのが遠く離れた他の人にとってどれほどの意味を持つことだろう。
    因果律
     別の人がこれとは独立して同じ発見をしたとしよう。 ここで言う「独立して」というのは、互いに光速で情報をやり取りしても影響を与えられないほどの僅かな時間差しかないという意味である。 互いに1万光年離れていて2つの発見の時間差が1万年以下であったなら、この2つの発見は全く独立して行われたと考えていい。 互いの発見に関する情報をこの時間以内では相手に伝えようがなかったのだから。 (超光速通信が発明されるまではこの議論は正しい。)
     このように2つの事件が独立している場合、結局、どちらの発見が先だったのかということでは人によって見方が違う。 立場によって、同時の概念がずれているためだ。 そしてどちらが先であったとしても物理的に何の問題もない。
     ところがこの2つの事件が独立でなかったとしよう。 Aの発見の結果、Bの発見があったとする。 つまり2つの事件の間には光の速さで情報を伝えるための十分長い時間差があったということだ。  この場合には、どんな人から見てもAが先でBが後である。 どんな立場に立とうともこの長い時間差を埋めることは出来ない。
     「因果律が守られている」というのはこういうことだ。 因果律というのは、原因があって結果があるという我々にとって当たり前に思えるルールのことである。 しかし、因果律がどれほど当然に成り立たなくてはならないのかについては物理的に証明されているわけではない。 キリスト教でも仏教でも「因果応報」というやつは大切な考えなので多くの人に支持されているというくらいのものである。
    苦肉の策
     我々はなるべく、共通に使える時間が欲しいのだ。 何とかうまいことをして全宇宙で通用するような時間の基準を決めることが出来ないだろうか?  相対論ではどの慣性系も同等の立場にあると考えるのであって、地球との相対速度を0にあわせた慣性系が特別な意味を持つわけではないのだ。  全宇宙で共通に流れる時間を定義できればこんな切なさや気持ち悪さを感じることはないのだが、相対論がどこまでも正しいとしたらそのような共通の時間を考えることは無意味である。  もはや共通に流れる時間がないので、時間の基準をどのように決めたらいいのかさっぱり分からない。  そこで、仕方ない。 こんな方法ではどうだろう。 ローレンツ変換をしても変わらない量があったのに注目しよう。
    w2 - x2 - y2 - z2
     後で都合がいいように前に紹介した時とは符号を逆にしてある。 符号が逆でも不変量であることには変わりがない。  この量は、どのような慣性系に変換しても値が変わらない。 つまり、どの慣性系にも共通して使える量である。
     これがなぜ、時間の代わりに使えるのだろうか?
     説明しやすいようにこの量の微小変化を考えて、その全体を dτ2 と表現することにする。 微小量でも不変量であることは変わりない。
    dτ2 = d

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    固有時の意味
    何とかして全宇宙共通の時間概念が欲しい!
    僕はここにいる!
     相対論の結果から、もはや、同時というものが慣性系によって変わってきてしまうということが分かると人は途端に不安を覚えるようだ。 それはなぜだろうか。
     同じ時を過ごせないという切なさからだろうか?  大宇宙に旅に出て光速近くまで加速し、遠く離れたある場所で何か素晴らしい発見をしたとしよう。 しかし、「俺は今この瞬間、ここにいる!」という心の叫びが誰かに届くのはいつになることだろう。 この自分にとっての「今」というのが遠く離れた他の人にとってどれほどの意味を持つことだろう。
    因果律
     別の人がこれとは独立して同じ発見をしたとしよう。 ここで言う「独立して」というのは、互いに光速で情報をやり取りしても影響を与えられないほどの僅かな時間差しかないという意味である。 互いに1万光年離れていて2つの発見の時間差が1万年以下であったなら、この2つの発見は全く独立して行われたと考えていい。 互いの発見に関する情報をこの時間以内では相手に伝えようがなかったのだから。 (超光速通信が発明されるまではこの議論は正しい。)
     この..

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