有間皇子挽歌卒論6

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    O歌「鳥翔成」は旧来難訓であり「トリハナス」「ツバサナス」「カケルナス」「アマガケリ」「トリトナリ」など多くの試訓がある。「アマガケリ」の訓みは、憶良歌に用例があること(巻五 八九七)、さらには有間の魂を、ヤマトタケルの白鳥伝説に重ねて、「上代の信仰として、死んだ人の魂は鳥の形となつて、生きてゐた時心を寄せてゐた所へ自在に翔びゆきうるものとしてゐた」との指摘があることからも有力であり、これに従いたい。
     二句目以降は、「有間の魂は松に通い続け、ずっと見ているが」の意で、逆接をもって「人こそ知らね松は知るらむ」につながっていく。下二句がさらに逆接を用いている点について中西進氏は「憶良の『人間の』意識を、ここに明瞭に見て取ることが可能である」として、二度の逆接という窮屈な表現を用いなければ追和し得なかったことを述べている。意吉麻呂のM歌が、「人は帰りてまた見けむかも」と疑問を投げかけたのに対し、憶良は「人こそ知らね松は知るらむ」と、有間の魂が結び松の元へ通っていることと応えている。
    死者の魂が鳥となり、故ある地へ還ることに加え、ヤマトタケル東征の際の一つ松伝承までも前提に詠まれた、との村瀬...

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