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鎖国で検索した結果:8件
「国を鎖す」、つまり「鎖国」。語源は既に広く知られていることだが、長崎通詞・志筑忠雄(1760-1806)の訳書『鎖国論』に拠る。 原書はケンペル(1651-1716)『日本誌』の巻末付録に収められた論文の一つで、志筑はこれに「今の日本人国を鎖して国民をして国中国外に限らす敢て...
日本は1543年、ポルトガルが鉄砲を伝えてからヨーロッパとの直接の付き合いが始まった。そして1549年にはキリスト教が伝わり、それまでは中国・朝鮮から伝わった物が多かったが、新しい考え方等が入ってきた。時代は変わり、1603年に江戸幕府が誕生し徳川家が日本を支配するようになってか...
①「韃靼漂流記」の時代を簡単に要約せよ 1644年4月1日。竹内藤右衛門、国田兵右衛門ら58人が商売のため、松前に出航する。が、しかし2回の暴風雨にあい、ポシェット湾に漂着する。翌々年に清朝や李氏朝鮮の協力の元、故郷の越前に帰れた。これが韃靼漂流記の概要である。ここから鎖国後の江...
幕藩制確立期の幕府政治、主に寛永期を中心として考察する。 徳川家光は二代将軍秀忠以上の大名統制策を推し進めた将軍であった。三代将軍となった家光は、“生まれながらの将軍”と見栄を切り、諸大名に対する威容は、ますます高揚し、世襲体制は強化される。家康は政権の世襲を示すのが主であり、...
BSE問題が発生してから、日本はアメリカ産牛肉の輸入をストップしたり、再開したと思えば、背骨付近の肉が混ざっていたからと言って再び輸入を禁止したりしたことで、飲食業界や国民の食卓にも影響を与え、振り回されてきた。日本の国民性として遠い昔から変わっていないのは、几帳面で大変器用であ...
統一政権の成立と体制の整備 豊臣秀吉の全国統一により戦国時代が終わると、徳川氏は諸法度の制定を通じて、朝廷・寺社統制をふくむ幕藩体制を確立した。 外交では、秀吉の朝鮮侵略の後、江戸幕府は李氏朝鮮と国交を結んだが、明との国交を結んだが、明との国交は実現しなかった。また、幕府は鎖...
家康・秀忠・家光の3代の内に江戸幕府の支配体制が整った。この支配体制を幕藩体制という。幕藩体制確立の過程として、幕府への服従を強化するため、徹底した大名の改易や転封を断行、関東は直轄領・旗本・譜代の小藩の領地で固め、東海道・畿内の要地はこれに準じ、外様の大藩は辺境地帯に移す方針で...
幕藩官僚制とは、近代における官僚制や官僚とはかなりギャップをもつものの、近世社会には行政、裁判、財政など一定の職務分担をもった政治機構が組織され、またそれを個人の意志としてではなく職務として執行する人的集団が存在した。こうした実態を幕藩官僚制ということばで表しておくことにする。 ...