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		<title>タグ“R0702”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[佛大通信「仏教史概説」Ａ・B評価レポート＆科目最終試験対策6題　80点　セット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/93033/]]></link>
			<author><![CDATA[ by senbon_kitaouji]]></author>
			<category><![CDATA[senbon_kitaoujiの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 May 2012 13:09:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/93033/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/93033/" target="_blank"><img src="/docs/952760424668@hc11/93033/thmb.jpg?s=s&r=1336018180&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信「仏教史概説」のレポートと科目最終試験対策のセットです。
内容は、
第1設題「インド仏教教団の成立とその後の発展過程を、大乗仏教興起の事情とも関係付けながらまとめなさい。」
第2設題「道安、鳩摩羅什、玄奘が中国仏教に果たした役割[350]<br />レポート・第1設題　
インド仏教教団の成立とその後の発展過程を、大乗仏教興起の事情とも関係付けながらまとめなさい。
仏教が成立したのは、釈尊が菩提樹の下で悟りを開き、その悟りを人々に伝えたからである。釈尊は成道の後、初転法輪を行い、五比丘という最初の弟子が誕生した。五人はいずれも覚りに到達し、釈尊を含め六人の阿羅漢が生まれた。六人から成る共同体はサンガ（僧伽）と呼ばれ、最初の仏教教団が成立した。釈尊の集団は一箇所での定住生活を行わず、各地を移動しながら教団の拡大を図っていった。
釈尊の在世中に仮にサンガに問題が起こっても、それを解決するためには釈尊の裁定を仰ぐことで済んだ。ところが釈尊の入滅後の教団にとって、それは大きな問題となる。釈尊入滅後の教団の方向性を定めたきっかけこそが、一般に第一結集と呼ばれる出来事である。
第一結集は、王舎城に五百人の阿羅漢が集まり開催された。釈尊の教えが滅することを恐れた大迦葉がこれを主宰した。この時、阿羅漢たちは、各自が憶持していた教えを示し合い、教えの内容を確認し合った。教法の結集は阿難が、戒律の結集は優波離が中心となって行った。
このように、仏陀の教えは、入滅の直後から教法と戒律に分けて伝持された。教法は次第に整理され、整えられて経と呼ばれるようになった。その集大成が経蔵である。戒律も次第に整備され、律蔵として整えられた。仏滅後の仏教教団は経蔵と律蔵を伝持しつつ、戒律を守って修行し、教法を研究し、実習し、悟りを目指して修行した。この経・律二蔵に説かれる仏教を原始仏教と呼び、特に経蔵に含まれる経典を阿含経と言う。
その後マウリア王朝のアショーカ王の帰依と援助によって、仏教教団は盛大となり、仏教は急速にインド全体に広がり、国境を越えてアジア全体に広がる端緒となった。ところが、そのころ原始教団は、上座部と大衆部に分裂した。その原因は、教法の解釈をめぐる問題ではなく、律の規定を巡って時代の変化の中で教団がいかに対応していくべきかに関わる立場の違いにあった。上座部は、戒律に関する十事を厳格に守ることを主張した長老（上座）たちによって、また大衆部は、除外例を認めて緩やかに守ることを主張する一般の比丘たちによって構成された。この分裂は、根本分裂と呼ばれる。この時、教法の乱れを防ぐために第二結集が行われ、その後第三結集が行われたという伝承もあ..]]></description>

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			<title><![CDATA[佛教大学通信　B0102・R0702　仏教史概説　第2設題　B評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/91492/]]></link>
			<author><![CDATA[ by senbon_kitaouji]]></author>
			<category><![CDATA[senbon_kitaoujiの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 12 Mar 2012 17:39:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/91492/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/91492/" target="_blank"><img src="/docs/952760424668@hc11/91492/thmb.jpg?s=s&r=1331541577&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信、B0102、R0702「仏教学概説」、第2設題（道安、鳩摩羅什、玄奘が中国仏教に果たした役割を、仏教受容の変化と結びつけてまとめなさい。）のB評価リポートです。
採点者の所見は、「設題が示す三人の仏教者が中国での仏教受容に果し[334]<br />第2設題　道安、鳩摩羅什、玄奘が中国仏教に果たした役割を、仏教受容の変化と結びつけてまとめなさい。
中国での仏教の受容は、その受け入れた仏教経典の種類とその翻訳の変化によって、大きく四つの時代に分類することが出来る。即ち、古訳時代、旧訳時代、新訳時代、そしてそれ以後の時代の４つである。古訳時代とは、紀元前後の仏教伝来から漢、三国時代を経て西晋の時代まで。旧訳時代とは、4世紀の鳩摩羅什による後秦での所謂「三五部三〇〇余巻」の翻訳以降、また新訳時代とは7世紀の玄奘による所謂「七五部一三三〇巻」の経論の翻訳以降の隋、唐の時代を指している。それ以後の時代とは、唐代後期から五代十国以降の時代のことである。
中国への仏教の伝来には様々な伝説があるが、いずれにしても紀元前二世紀から開けていた「絹の道」を通って、インド商人や、仏教を信じていた西域人等が（西域とは、狭義には中央アジア（シナトルキスタン）を意味する）中国に来ていたから、仏僧の渡来が無くても、西域の仏教信者との接触において、中国人は徐々に仏教を理解していたと考えられる。従って紀元一世紀には、仏教が中国に伝わっていたことは確かであると考えられ..]]></description>

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			<title><![CDATA[佛教大学通信　B0102・R0702　仏教史概説　第1設題　A評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/91491/]]></link>
			<author><![CDATA[ by senbon_kitaouji]]></author>
			<category><![CDATA[senbon_kitaoujiの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 12 Mar 2012 17:33:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/91491/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/91491/" target="_blank"><img src="/docs/952760424668@hc11/91491/thmb.jpg?s=s&r=1331541199&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信、B0102、R0702「仏教学概説」、第1設題（インド仏教教団の成立とその後の発展過程を、大乗仏教興起の事情とも関係付けながらまとめなさい。）のＡ評価リポートです。
採点者の所見は、「インド仏教教団の成立状況と、その後に初期・[336]<br />第1設題　インド仏教教団の成立とその後の発展過程を、大乗仏教興起の事情とも関係付けながらまとめなさい。
仏教が成立したのは、釈尊が菩提樹の下で悟りを開き、その悟りを人々に伝えたからである。釈尊は成道の後、初転法輪を行い、五比丘という最初の弟子が誕生した。五人はいずれも覚りに到達し、釈尊を含め六人の阿羅漢が生まれた。六人から成る共同体はサンガ（僧伽）と呼ばれ、最初の仏教教団が成立した。釈尊の集団は一箇所での定住生活を行わず、各地を移動しながら教団の拡大を図っていった。
釈尊の在世中に仮にサンガに問題が起こっても、それを解決するためには釈尊の裁定を仰ぐことで済んだ。ところが釈尊の入滅後の教団にとって、それは大きな問題となる。釈尊入滅後の教団の方向性を定めたきっかけこそが、一般に第一結集と呼ばれる出来事である。
第一結集は、王舎城に五百人の阿羅漢が集まり開催された。釈尊の教えが滅することを恐れた大迦葉がこれを主宰した。この時、阿羅漢たちは、各自が憶持していた教えを示し合い、教えの内容を確認し合った。教法の結集は阿難が、戒律の結集は優波離が中心となって行った。
このように、仏陀の教えは、入滅の..]]></description>

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