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		<title>タグ“Q5101”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[佛教大学　Q5101日本史概論（初期議会から日露戦後にかけての政党）　受理レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/907479439869@hc25/155475/]]></link>
			<author><![CDATA[ by だしまき]]></author>
			<category><![CDATA[だしまきの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 11 Dec 2025 17:27:53 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/907479439869@hc25/155475/" target="_blank"><img src="/docs/907479439869@hc25/155475/thmb.jpg?s=s&r=1765441673&t=n" border="0"></a><br /><br />2025年佛教大学Q5101日本史概論「初期議会から日露戦後にかけての政党」の受理レポートです。そのままコピペせずベースに使ってください。宜しくお願いします[216]<br />初期議会から日露戦後にかけての政党について

はじめに

明治維新後、日本は西欧列強に追いつこうと急速な近代化を進めたが、国家は不安定であった。明治二十三年の初期議会以降、政党が次々に誕生したものの、短期間で分裂や再編を繰り返すなど「離合集散」が続いた。その背景には、政府が国家の安定を最優先し、官僚主導で政治を運営したことがある。著者も「後進ゆえに国家統合の過程は、天皇制官僚の主導で強力に推進され、」（『概略日本歴史』佐々木潤之助ほかp188）と述べており、当時の政治が中央集権的に展開していたことがわかる。本稿では、初期議会から日露戦後にかけての政党政治を取り上げ、政府の姿勢、政党の未成熟、外圧による不安定化の三点から、離合集散の理由を述べていく。

明治政府が官僚主導で政治を運営した背景には、外圧と国際的不安があった。開国以降、日本は不平等条約の改正や朝鮮半島情勢など、列強との緊張関係にさらされていた。国内の政治基盤が整わない中で、外的危機に迅速に対応するためには、強力な中央集権体制が不可欠であった。そのため、政府は民意よりも国家の統一を優先し、安定を維持することを最重視した。この「..]]></description>

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			<title><![CDATA[佛教大学　Q5101日本史概論（鎌倉幕府と執権政治について）　受理レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/907479439869@hc25/155474/]]></link>
			<author><![CDATA[ by だしまき]]></author>
			<category><![CDATA[だしまきの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 11 Dec 2025 17:21:55 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/907479439869@hc25/155474/" target="_blank"><img src="/docs/907479439869@hc25/155474/thmb.jpg?s=s&r=1765441315&t=n" border="0"></a><br /><br />2025年佛教大学Q5101日本史概論「鎌倉幕府と執権政治について」の受理レポートです。そのままコピペせずベースに使ってください。宜しくお願いします[204]<br />鎌倉幕府と執権政治について

はじめに

鎌倉時代は、京都の公家政権と鎌倉の武家政権が並びたって、二重に全国を支配した。承久の乱によって、両者の勢力関係は大きく変化し、寛喜の大飢饉をへて、鎌倉幕府は武家政権の自立宣言というべき関東御成敗式目を制定する。しかし公家政権も、なおその実質を保っていた。やがて二度にわたる蒙古襲来は、得宗専制の拡大、異国警護の強化、徳政の政策、悪党集団の活動など、国内政治にも緊張を生み、幕府滅亡の大きな要因ともなった。（『概略日本歴史』佐々木潤之助ほか）

この文章に示されるように、鎌倉時代は公家と武家の二重支配の中で政治体制が展開し、やがて執権政治によって武家政権が確立していった時代である。本稿では、鎌倉幕府と執権政治がどのように成立し、どのように変化し、さらにそれが日本の政治史においてどのような意義をもったのかを、時代の流れに沿って考察する。

１鎌倉幕府の成立とその背景

平安時代の後期になると、摂関政治が衰退し、白河上皇による院政が始まった。上皇は、政治の実権を天皇から取り戻す一方で、地方支配の安定をはかるために武士団を積極的に登用し、権力基盤に取り入れ..]]></description>

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