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		<title>タグ“M6108”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/M6108/</link>
		<description>タグ“M6108”の公開資料</description>
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		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

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			<title><![CDATA[佛教大学　M6108　日本漢文入門　第2設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133746/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kkkt]]></author>
			<category><![CDATA[kkktの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Apr 2018 00:44:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133746/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133746/" target="_blank"><img src="/docs/931045839664@hc18/133746/thmb.jpg?s=s&r=1524325463&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学 日本漢文入門M6108の第2設題のレポートになります。 A判定をいただいているので、勉強の参考にどうぞ。 参考文献： 近藤春雄（一九五二）『漢文学び方の基礎（改訂版）』武蔵野書院．[263]<br />万葉集における「七賢」について概説せよ
○七賢とは
　七賢とは、通称「竹林の七賢」のことを示し、後漢に引き続く魏・晋の時代に生きた一流の名流詩人で、阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎のことである。七賢と聞くと、良いイメージが浮かぶが、彼らは常識的に考えられるまともな意味での賢者ではない。それどころか、まともな意味での賢者からは、口をきわめて非難さるべき奇矯・放達の士人たちであった。にもかかわらず、彼らが「賢」と呼ばれるのは彼らの生きた時代がまともならぬ時代であったからかもしれない。
「竹林の七賢」が生きた時代は、魏晋の時代であるが、この時代の政治権力者たちは、おもてに道徳・礼教を振りかざしながら、実は涼しい顔でそれを踏みにじり、己の欲望をたくましくして恥じるところがなかった。このような時代に生きることの苦悶は、政治権力とは無縁の存在である庶民大衆よりも、政治的権力に密着して生きねばならぬ士人たちにとってこそ、より深刻であったといえる。そして、「竹林の七賢」の思想と行動とは、そのような政治権力に対するレジスタンスの典型だったのである。
魏・晋時代の名流士人の生活行動を丹念に記録した..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[佛教大学　M6108　日本漢文入門　第1設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133745/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kkkt]]></author>
			<category><![CDATA[kkktの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Apr 2018 00:41:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133745/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133745/" target="_blank"><img src="/docs/931045839664@hc18/133745/thmb.jpg?s=s&r=1524325302&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学 日本漢文入門M6108の第1設題のレポートになります。 A判定をいただいているので、勉強の参考にどうぞ。 参考文献： 近藤春雄（一九五二）『漢文学び方の基礎（改訂版）』武蔵野書院．[263]<br />日本文学における「漢文」の特徴を概説せよ。
○漢文とは
漢文とは、ブリタニカ国際大百科事典によると「古代の漢民族において発達し，現代まで伝承されている漢字による文字言語およびそれで書かれた言語作品。」であり、「漢文は朝鮮、日本、安南にまで広まり、使用され、言語作品が作成された。日本には、古く大陸からの渡来者がもたらしたが、次第にその外国語である中国語に返り点、送りがなをつけ、日本語文語文に翻訳しながら読む訓読法が発達し、固定化するようになった。」とある。
○「かな」と漢字
弥生時代の日本祖語は、古墳時代に入って、琉球語と日本語とに分かれたとみられるが、当時、日本語にはまだ文字はなかった。日本人が文字で言語を記すことを学び知るのは、早くても四世紀末か五世紀初、それ以後のこととされている。そして、その文字こそが、中国の江南地方から学んだ漢字である。日本で今でも「呉音」と言っている字音が、そのはじめて知った文字の発音であり、それは中国の南朝劉宋と修貢関係をもったことによるものである。
魏志の倭人伝には、倭王武の上表が録されているが、彼は史を置いて韓人に記録をはじめさせたとされている。そして、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　M6108　日本漢文入門　科目最終試験6題セット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133744/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kkkt]]></author>
			<category><![CDATA[kkktの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Apr 2018 00:39:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133744/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931045839664@hc18/133744/" target="_blank"><img src="/docs/931045839664@hc18/133744/thmb.jpg?s=s&r=1524325172&t=n" border="0"></a><br /><br />日本漢文入門の科目最終試験６題セットです。  この内容を丸暗記して96点をいただきました。  最終試験の参考にどうぞ。  参考文献：近藤春雄（一九五二）『漢文学び方の基礎（改訂版）』武蔵野書院．[275]<br />1.日本語の仮名の成り立ちについて説明せよ。
仮名文字とは、表意文字である漢字をもとにして日本人が独自に作り出した表音文字の事である。
漢字が伝来するまで、日本語にはまだ文字がなかった。最初に文字で記録したのは、百済系の帰化人であり、倭国の地名や人名を、漢字に音訳して記した。その後、日本語の全てを漢字に音訳しようと試みる者が出てきたのである。
万葉歌人である山上憶良はその先駆者とされる。彼は歌の中で、「銀（しろかね）」「金（くがね）」「玉（たま）」の三字を除き、全てが日本語の一音節を漢字一字に音訳した。これを「音かな」と言う。そして使用された漢字を見ていけば「宇」は後の平仮名「う」の字源であり、「利」は「り」、「波」は「は」というように、平仮名は漢字の草書体を音字に転用したものである。　また、日本語の性質を考えると、日本人が漢文を翻訳するには、本来の表意文字としての漢字と漢字の間を繋ぐものが必要になる。そこで、用言の活用と助詞を書き込む際の文字として、「仮名文字」が用いられたのである。そして、体言や用言の語幹は表意文字としての漢字をそのまま使い、読み方だけ倭語（訓読み）で読まれるようになった。
このようにして、七・八世紀の日本人は日本語を表す文字を求めて漢字に取りつき、その漢字を両様に使い分けた。この使い方から万葉の音かなができ、さらに、その草書体からひらがなができた。他の一方では漢字の意をとって音を捨てた。この使い方から漢字に日本語が、日本語に漢字があてはめられ、該当、対応が得られるにつれて体言や用言の語幹が漢字で表記されるようになったのである。そして、このような両様の使い分けは、結局、この両者を併用するところに落ち着いた。
つまり、日本語の仮名は、日本語が文字を持とうとして中国という異系の言語からその漢字を借用するなかで作り出されたのである。
2.漢字の音と訓の成り立ちについて説明せよ。
音とは、漢字本来の読み方のことで、漢音と呉音、唐音が存在し、もともと中国の発音だったものである。しかし、中国には日本語にない子音や母音があるので、そのまま日本語として発音することはできない。そこで中国語独特の子音・母音には、それに近い日本語の発音で代用させた。例えば、「安」という漢字を例にとってみると、この漢字の中国人の発音を聞いて「アン」と聞き取ったから、以後、「安」を日..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108　2017年度　リポート課題　B評価　日本漢文入門　第二設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931790612638@hc18/132456/]]></link>
			<author><![CDATA[ by dekoboko333]]></author>
			<category><![CDATA[dekoboko333の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 30 Jan 2018 00:39:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931790612638@hc18/132456/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931790612638@hc18/132456/" target="_blank"><img src="/docs/931790612638@hc18/132456/thmb.jpg?s=s&r=1517240342&t=n" border="0"></a><br /><br />万葉集における「七賢」について概説せよ。
　はじめに、竹林の七賢について概説を述べる。竹林の七賢とは、三世紀の中国で酒を飲み、清談を行った人々の呼び名である。その七人とは、阮籍、嵆康、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎のことである。『世俗新語』には、彼らが自由奔放な言動を行っている様子が記されている。しかし、彼らは何も考えずに気楽な発言を繰り返していたのではない。こうした振る舞いは、当時の社会に対する批判意識の表明と自らを守るための方法であった。彼らが生きた三世紀の中国とは、魏の曹操が覇権を握り、血で血を洗うような乱世の時代だった。乱世において、知識人は権力者に対して従順でなければ殺されてしまうという立場に立たされていた。そうした中で、酒ばかり飲んでいるという印象を周囲に与えることには利点があった。酒に溺れている愚者を演じれば、自由な振る舞いをしても職を失わず、また、権力者から目をつけられることもなかった。彼らは才気溢れる人物で、仕事を行う能力は高かった。だが、実際に才能を発揮することはせず、目立たないように目覚ましい成果を上げることはなかった。こうした工夫のおかげで、彼らは権力者から見放さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108　日本漢文入門　第1設題＆第2設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130197/]]></link>
			<author><![CDATA[ by riko0925]]></author>
			<category><![CDATA[riko0925の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Aug 2017 19:24:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130197/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130197/" target="_blank"><img src="/docs/938120814570@hc16/130197/thmb.jpg?s=s&r=1501669450&t=n" border="0"></a><br /><br />これは「日本漢文入門」のレポートで、第1設題と第2設題はA判定を受け、試験では92点を獲得して合格しました。これが参考になることを願っています。[206]<br />日本文学における「漢文」の特長を概説せよ。
○漢文とは
漢文とは、古代中国の文語体の文章のことである。近代中国人や日本人、ベトナム人によって書かれた古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法で書かれたものを示している。
中国語の文章は、文言と白話に分けられるが、漢文とは文章語の文言のことを示し、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは言わない。日本における漢文とは、訓読という方法で日本語に訳して読む場合を示し、訓読で適用し得る文言のみを対象としている。
　なお、漢文の学習指導を考える上では、全校大学国語教育学会『新たな時代を拓く　中学校高等学校　国語科教育研究』によると、漢文とは何かについて明らかにしておくことが重要であると述べられている。一九五一年に示された『中学校高等学校　学習指導要領国語科編（試案）』における定義が引用され、記されている。以下にその定義を記す。
　ここに漢文とよぶものは、（１）漢民族によって作られた文語体の詩文。（２）それを学んで日本人が作った詩文。のことであり、広い意味では、（３）日本語を混じた漢字のみの文。もはいる。そして、これらの漢文は、昔から我が国のことばで訓読されてきたものであり、その訓読されることによって、はじめてわが国語生活と結びつくものであるから、訓読することは漢文学習における必要な条件である。
　国語科における漢文とは、日本の古典としての性質をもつものである。その内容が中国を話題としていても、訓読を通して日本語や日本文化に大きな影響を与えた点は、日本の古典としての性質をもっている。国語科の教科としては、漢文は「外国語」でもあり、「日本語」としても取り扱わなければならないと記されている。
○日本のかなと漢字の成り立ちについて
仮名文字とは、表意文字である漢字をもとに、日本人が独自に作り出した表意文字のことである。
漢字が日本に伝来したのは、五世紀末から七世紀初頭ではないかと言われている。漢字が伝来するまで、日本にはまだ文字がなかった。最初に文字で記録したのは、百済系の帰化人で、倭国の地名や人名などを、漢字の意味とは関係なく、漢字の音・訓だけを借りて使用した。
　その後、万葉仮名が生まれた。日本語定着の最初の試みとして、この方法を推進したのは、万葉歌人の山上億良である。歌の中で、「銀（しろかね）」「金（くがね）」「玉（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108　日本漢文入門　第2設題　レポート　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130180/]]></link>
			<author><![CDATA[ by riko0925]]></author>
			<category><![CDATA[riko0925の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Aug 2017 19:35:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130180/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130180/" target="_blank"><img src="/docs/938120814570@hc16/130180/thmb.jpg?s=s&r=1501583727&t=n" border="0"></a><br /><br />「日本漢文入門」の第２設題です。レポートはA判定、試験は92点で合格しました。参考になれば、うれしいです。[153]<br />万葉集における「七賢」について概説せよ。
○竹林の七賢について
七賢とは、三世紀の中国の時代末期に、酒を飲んだり、清談を行ったり、交遊した七人の称「竹林の七賢」のことである。
林田の『人間三国志』（１９９０）によると、三国時代が終わろうとしていた戯王朝の末年は、厳しい政治的季節だった。その頃、魏室曹氏から政権の簒奪をねらう実力者の司馬氏が、目的のためには手段を選ばず、大儀名分を掲げて、魏室の勢力をそぎ落す血の誅殺を繰り返していた。この厳しい政治的季節の中を、真剣に生きた七人の賢者がいた。嵆康・阮籍・劉伶・阮咸・山濤・王戎・向秀である。これを世に、竹林の七賢と呼ぶ。いずれも老荘の思想を好み、その哲学を論じて倦むことのない清談家だったことが述べられている。
当時の時代の背景と竹林の七賢の思想を説明するにあたり、目加田の『世説新語』（２００３）より、竹林の七賢の一人である阮籍の故事を二つ紹介する。
○阮籍について
阮籍は母を葬るに当たり、一匹の肥えた豚を蒸して、酒を二斗飲んだ。その後、母との別れに臨むと、「おしまいだ。」と言って号泣し、血を吐き、しばらくの間、気が抜けたようにぐったりとした..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[M6108　日本漢文入門　第1設題　レポート　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130179/]]></link>
			<author><![CDATA[ by riko0925]]></author>
			<category><![CDATA[riko0925の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Aug 2017 19:33:15 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938120814570@hc16/130179/" target="_blank"><img src="/docs/938120814570@hc16/130179/thmb.jpg?s=s&r=1501583595&t=n" border="0"></a><br /><br />「日本漢文入門」の第１設題です。レポートはA判定、試験は92点で合格しました。参考になれば、うれしいです。[153]<br />日本文学における「漢文」の特長を概説せよ。
○漢文とは
漢文とは、古代中国の文語体の文章のことである。近代中国人や日本人、ベトナム人によって書かれた古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法で書かれたものを示している。
中国語の文章は、文言と白話に分けられるが、漢文とは文章語の文言のことを示し、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは言わない。日本における漢文とは、訓読という方法で日本語に訳して読む場合を示し、訓読で適用し得る文言のみを対象としている。
　なお、漢文の学習指導を考える上では、全校大学国語教育学会『新たな時代を拓く　中学校高等学校　国語科教育研究』によると、漢文とは何かについて明らかにしておくことが重要であると述べられている。一九五一年に示された『中学校高等学校　学習指導要領国語科編（試案）』における定義が引用され、記されている。以下にその定義を記す。
　ここに漢文とよぶものは、（１）漢民族によって作られた文語体の詩文。（２）それを学んで日本人が作った詩文。のことであり、広い意味では、（３）日本語を混じた漢字のみの文。もはいる。そして、これらの漢文は、昔から我が国..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108 日本漢文入門 第2設題 レポート A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937957340833@hc16/128861/]]></link>
			<author><![CDATA[ by campbell26]]></author>
			<category><![CDATA[campbell26の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 07 Apr 2017 19:19:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937957340833@hc16/128861/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937957340833@hc16/128861/" target="_blank"><img src="/docs/937957340833@hc16/128861/thmb.jpg?s=s&r=1491560359&t=n" border="0"></a><br /><br />M6108 日本漢文入門 第2設題のレポートです。A判定でした。
レポート作成の参考にしてください。[131]<br />万葉集における「七賢」について概説せよ。
竹林の七賢とは、魏晋時代を生きた、阮籍・嵆康・山濤・劉伶・阮咸・向秀・王戎の七人のことである。いずれも、老荘の思想を好み、その哲学を論じて倦むことのない清談家であった。
　この時代、つまり三国時代から晋代に及ぶ乱世にあって、人々は苦悩や絶望から逃れる道を切実に求めた。その代表が「竹林の七賢」と呼ばれる七人組であり、彼らは俗人を避けて、自然人としての真の生き方を実践しようと、竹林に集って気ままに酒を酌み交わし、音楽を愛し清談にふけった。
この「竹林の七賢」については、五世紀中頃に成立した魏晋の名士のエピソード集、『世説新語』（任誕編）に収録された逸話を嚆矢とする。
「陳留の阮籍、譙国の嵆康、河内の山濤の三人は、いずれも年齢が接近しており、嵆康だけが若くてこれに次いでいた。かれらの交遊にあずかったものは、沛国の劉伶、陳留の阮咸、河内の向秀、琅邪の王戎であった。この七人はいつも竹林のもとに集まり、心ゆくままに酒を飲んで楽しんだ。だから世にこれを「竹林の七賢」といった。」以来、七賢は自由な生き方を志向する人々の理想像となる。
「竹林の七賢」が生きた魏晋..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108 日本漢文入門 第1設題 レポート A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937957340833@hc16/128860/]]></link>
			<author><![CDATA[ by campbell26]]></author>
			<category><![CDATA[campbell26の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 07 Apr 2017 19:19:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937957340833@hc16/128860/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937957340833@hc16/128860/" target="_blank"><img src="/docs/937957340833@hc16/128860/thmb.jpg?s=s&r=1491560359&t=n" border="0"></a><br /><br />M6108 日本漢文入門 第1設題のレポートです。A判定でした。
レポート作成の参考にしてください。[131]<br />日本文学における「漢文」の特長を概説せよ。
漢文とは、「古代の漢民族において発達し，現代まで伝承されている漢字による文字言語およびそれで書かれた言語作品。漢文は朝鮮，日本，安南にまで広まり，使用され，言語作品が作成された。日本には，古く大陸からの渡来者がもたらしたが，次第にその外国語である中国語に返り点，送りがなをつけ，日本語文語文に翻訳しながら読む訓読法が発達し，固定化するようになった。」とブリタニカ国際大百科事典に記載されている。
弥生時代の日本祖語は、古墳時代に入って琉球語と日本語に分かれたとみられるが、当時、日本語はまだ文字がなかった。
日本人が文字で言語を記すことを学び知るのは、四世紀末か五世紀初め、それ以降とされている。その文字とは、中国江南地方から学んだ漢字であった。日本で今でも「呉音」と呼んでいる字音が、日本人が初めて知った文字の発音であった。仏教関係の語や古く渡来した文物調度の名称に多く用いられ日本漢字音の基礎となった。『古事記』『万葉集』などの音仮名は呉音系統のものである。このように日本は他国の文化を自国に取り入れ始め、それに伴い、多くの外国人が日本にやってきたとい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108 日本漢文入門 第二設題（2016年度）A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938726280968@hc15/128354/]]></link>
			<author><![CDATA[ by buyyyy]]></author>
			<category><![CDATA[buyyyyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 01 Mar 2017 13:57:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938726280968@hc15/128354/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938726280968@hc15/128354/" target="_blank"><img src="/docs/938726280968@hc15/128354/thmb.jpg?s=s&r=1488344231&t=n" border="0"></a><br /><br />[設題] 万葉集における「七賢」について概説せよ。

【評価】A判定
【所見】讃酒歌を、仏典、漢籍故事に焦点を当てて解釈している点が大変良いです。（一部抜粋）


★参考文献を多数引用し、わかりやすくまとめました。
文献は最後[324]<br />第二設題
万葉集における「七賢」について概説せよ。
初めに、「七賢」とは、三国時代の魏から西晋にかけての三世紀後半、河南省北東部一帯の竹林で、俗人を離れて集い、酒を飲み琴を弾きながら清談を行った、阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉怜・阮咸・王戎の七人の知識人、通称「竹林の七賢」のことを示す。
「竹林の七賢」が生きた時代は、魏晋の時代である。この時代は、四百年にわたる漢王朝が崩壊し、三国志で有名な戦乱の時代や、司馬一族によるクーデターなど、不安定な政治状況であった。また人々の思想的にも漢代までの思想体系がゆらいだ。前漢の武帝が儒教を王朝の正統教学として採用して以降、儒教の礼教主義は政治の理論を擁立させるだけでなく、人々の日常生活にまで浸透し、あらゆる価値体系が儒教を基にしていたが、漢代が失墜し、相手を欺いたり陥れたりする戦々恐々とした混乱の時代の中では、儒教の礼教は形骸化し、偽善的なものにすぎなくなってしまっていたのである。しかし、このような時代の転換期で、これまで与えられ信じ続けてきた儒教思想に隙が生まれたからこそ、人々が精神を自由にすることができた。そして、特に思想の自由を謳歌したのが、「竹..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 M6108日本漢文入門　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946318076770@hc13/120073/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 現役教員　佛大通信修了]]></author>
			<category><![CDATA[現役教員　佛大通信修了の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 02 May 2015 10:53:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946318076770@hc13/120073/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946318076770@hc13/120073/" target="_blank"><img src="/docs/946318076770@hc13/120073/thmb.jpg?s=s&r=1430531623&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信課程のレポートを作成する際に参考になれば幸いです。

【設題】
日本文学における「漢文」の特長を概説せよ。

添削担当者の評価を以下に示します。
【設題の把握】　十分
【テキストの理解】　十分
【評価】Ｂ
【所[324]<br />日本人が文字で言語を記すことを知るのは、4世紀末か5世紀初め、それ以降とされる。ここでいう文字とは、中国江南地方から学んだ漢字であった。現代において「呉音」と呼んでいる字音が、日本人が初めて知った文字の発音であった。宋書倭国伝において、倭の五王の世系に触れたのち、倭王武の上表文を記録している。また、倭王武の在世当時の文献は日本に残存していないが、
彼が史(ふひと)を置いて、韓人に記録を始めさせたとされる。その韓人は百済系の帰化人が最も多かったと考えられる。彼らはできる限り漢文に近い文体で記録をしたが、記録するべきは百済のことではなく、倭国のことであり、その文中には倭国の地名・人名が出てくる。これらの表記の方法として、倭国の地名・人名を漢字で音訳すこととした。
万葉歌人の山上憶良は、日本語の全部を漢字に音訳することを試みた。万葉集巻五において｢宇利波米婆　湖藤母意母保由&hellip;｣や反歌として｢銀母　金母玉母　奈尓世武尓&hellip;｣と記されている。今日ならば、平仮名に漢字を混ぜて、｢瓜食めば　子ども思ほゆ&hellip;｣や｢白かねも　黄がねも玉も　何せむに&hellip;｣と書くところであろう。｢銀(しろかね)｣「金(くがね)」..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 M6108日本漢文入門　第２説題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946318076770@hc13/120072/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 現役教員　佛大通信修了]]></author>
			<category><![CDATA[現役教員　佛大通信修了の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 02 May 2015 10:53:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946318076770@hc13/120072/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946318076770@hc13/120072/" target="_blank"><img src="/docs/946318076770@hc13/120072/thmb.jpg?s=s&r=1430531622&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信課程のレポートを作成する際に参考になれば幸いです。

【設題】
万葉集における「七賢」について概説せよ。

添削担当者の評価を以下に示します。
【設題の把握】　十分
【テキストの理解】　十分
【評価】Ｂ
【所見[324]<br />万葉集における「七賢」を概説するにあたり、その語を含む「大宰帥大伴卿讃酒歌十三首」の引用を用いつつ、各首の通釈及び考察を加える。そののち、竹林の七賢について概説することとする。
【万葉仮名】験無 物乎不念者 一坏乃 濁酒乎 可飲有良師（3-338）
【訓読】験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし
【通釈】くよくよと甲斐のない物思いに耽るよりは、一杯の濁り酒を飲む方がよいらしい。
【万葉仮名】酒名乎 聖跡負師 古昔 大聖之 言乃宜左
【訓読】酒の名を聖と負ほせし古の大き聖の言の宣しさ（3-339）
【通釈】酒の名を聖人と名付けた昔の大聖人の言葉のなんと結構なことよ。
【補記】『魏史』巻二十七、清酒を聖人、濁酒を賢人に譬えた故事に由る。
【万葉仮名】古之 七賢 人等毛 欲為物者 酒西有良師
【訓読】古の七の賢しき人たちも欲りせし物は酒にしあるらし（3-340）
【通釈】昔の竹林の七賢も、欲しがったものは酒であったそうな。
【補記】『世説新語』任誕篇の竹林の七賢が酒を飲み清談に耽ったとの故事に由る。
【万葉仮名】賢跡 物言従者 酒飲而 酔哭為師 益有良之
【訓読】賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするしまさりたるらし（3-341）
【通釈】かしこぶって物を言うよりは、酒を飲んで酔い泣きするようがましのようであるよ。
【万葉仮名】将言為便 将為便不知 極 貴物者 酒西有良之
【訓読】言はむすべ為むすべ知らず極りて貴き物は酒にしあるらし（3-342）
【通釈】言いようもなく、どうしようもない程に、この上もなく貴い物は酒であるらしい。
【万葉仮名】中々尓 人跡不有者 酒壷二 成而師鴨 酒二染甞
【訓読】中々に人とあらずは酒壺になりてしかも酒に染みなむ（3-343）
【通釈】なまじ人であるよりは、いっそ酒壺になってしまいたい。いつも酒浸りでいられようから。
【万葉仮名】痛醜 賢良乎為跡 酒不飲 人乎熟見者 猿二鴨似
【訓読】あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む（3-344）
【通釈】ああみっともない。かしこぶって、酒を飲まない人をよく見れば、猿にそっくりではないか。
【主な派生歌】世の人はさかしらをすと酒飲みぬあれは柿くひて猿にかも似る(正岡子規)
【万葉仮名】價無 寳跡言十方 一坏乃 濁酒尓 豈益目八方
【訓読】価なき宝といふとも一坏の濁れる酒..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 M6108 日本漢文入門 科目最終試験 最新模範解答]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117543/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 早稲田 文系]]></author>
			<category><![CDATA[早稲田 文系の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 18 Dec 2014 23:20:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117543/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117543/" target="_blank"><img src="/docs/946629829016@hc13/117543/thmb.jpg?s=s&r=1418912454&t=n" border="0"></a><br /><br />M6108日本漢文入門の科目最終試験、模範解答になります。 2014年度の最新の出題傾向に対応しています。 平易な語を使用して、全ての解答を800字程度に収めました。 試験対策の参考にしてください。[267]<br />M6108日本漢文入門 科目最終試験 (2014~)
1,日本語の仮名の成り立ちについて説明せよ。
2,漢文における返り点を説明せよ。
3,ヲコト点について説明せよ。
4,漢字における漢音、呉音、唐音、について説明せよ。
5,漢字の音と訓の成り立ちについて説明せよ。
6,漢文における訓読について説明せよ。
日本語の仮名の成り立ちについて説明せよ。
　仮名文字とは、表意文字である漢字をもとにして日本人が独自に作り出した表音文字の事である。
　漢字が伝来するまで、日本語にはまだ文字がなかった。最初に文字で記録したのは百済系の帰化人であり、倭国の地名や人名を漢字に音訳して記した。その後、日本語の全てを漢字に音訳しようと試みる者が出てきたのである。
万葉歌人である山上憶良はその先駆者とされる。彼は歌の中で、「銀（しろかね）」「金（くがね）」「玉（たま）」の三字を除き、全てが日本語の一音節を漢字一字に音訳した。これを「音かな」と言う。そして使用された漢字を見ていけば「宇」は後の平仮名「う」の字源であり、「利」は「り」、「波」は「は」というように、平仮名は漢字の草書体を音字に転用したものである。
また、日本語の性質を考えると、日本人が漢文を翻訳するには本来の表意文字としての漢字と漢字の間を繋ぐものが必要になる。そこで、用言の活用と助詞を書き込む際の文字として「仮名文字」が用いられたのである。体言や用言の語幹は表意文字としての漢字をそのまま使い、読み方だけ倭語（訓読み）で読むほうが字数が少なく便利である。
このようにして、七・八世紀の日本人は日本語を表す文字を求めて漢字に取り付き、その漢字を使い分けた。一方では漢字の音を取って意味を捨てることで、音かな、平仮名を生み出した。もう一方では漢字の意味を取り、音を捨てることで、漢字に日本語が、日本語に漢字が当てられ、対応を得るにつれて、体言や用言の語幹が漢字で記されるようになった。そして、最終的には漢字とかな文字の併用という形に落ち着いた。
つまり仮名文字は、日本語を表す文字を求めた日本人が試行錯誤の末に生みだした独自の文字だといえるだろう。
漢文における返り点を説明せよ。
返り点は漢文を読む際にその順序を指定するものである。つまり、漢文の語順を変えて、日本語として読むためのツールである。
例えば、漢文で「我観花」は主語・述語・目的..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 M6108 日本漢文入門 第一設題レポート A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117542/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 早稲田 文系]]></author>
			<category><![CDATA[早稲田 文系の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 18 Dec 2014 22:50:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117542/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117542/" target="_blank"><img src="/docs/946629829016@hc13/117542/thmb.jpg?s=s&r=1418910616&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学M6108「日本漢文入門」の第一設題レポートです。 A評価を頂いております。 参考文献を記載しておりますので、ご自身でレポートを書かれる際の参考にしてください。[236]<br />日本文学における「漢文」の特徴を概説せよ。
漢文とは、漢民族によって書かれた古典である。これは現代の中国語に対して、古い中国の文章という意味でもある。また、それにならって日本人が書いた漢字だけから成る文章も漢文という。
漢文の構成要素について最初に概説する。漢文における文の成分は主語、述語、目的語、補語の四要素に分類することが出来る。
主語は現代の日本語や英語の機能とほぼ同じである。述語は現代日本語とほとんど違わないが、文中での位置が異なる。英語のbe動詞に相当するものが無く、名詞や形容詞も述語になることが特徴である。目的語は「ヲ」と送り仮名を付けるものを指す。補語は主として「ニ」「へ」「ト」「ヨリ」と送り仮名を付けるものを指す。英文法にも補語が存在するが、それとは異なる。
漢文の基本文法は①主語&mdash;述語型、②主語&mdash;述語&mdash;目的語型、③主語&mdash;述語&mdash;補語型、④主語&mdash;述語&mdash;補語&mdash;目的語型、⑤主語&mdash;述語&mdash;目的語&mdash;補語型、⑥主語&mdash;述語&mdash;補語&mdash;補語型の六つに分類することが出来る。この他にも倒置形があり、主語と述語の倒置が起こるパターンと述語と目的語・補語の倒置が起こるパターンの二つがある。
さて、日..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 M6108 日本漢文入門 第二設題レポート A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117541/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 早稲田 文系]]></author>
			<category><![CDATA[早稲田 文系の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 18 Dec 2014 22:41:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117541/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946629829016@hc13/117541/" target="_blank"><img src="/docs/946629829016@hc13/117541/thmb.jpg?s=s&r=1418910095&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学M6108「日本漢文入門」の第二設題レポートです。
A評価を頂いております。
参考文献を記載しておりますので、ご自身でレポートを書かれる際の参考にしてください。[236]<br />万葉集における「七賢」について概説せよ。
『万葉集』は現存する最古の和歌集である。
奈良時代初期からその編纂が始まり、奈良時代末から平安時代初頭の八世紀後半に成立した。編者は未詳とされているが、編纂過程の最終段階には大伴家持が関係していると考えられている。
　この『万葉集』の歌人に大伴旅人という人物がいる。大伴家持の父である彼は筑前守の山上憶良らと親交し、いわゆる「筑紫歌壇」を形成することになる人物である。
大伴氏は古来武門の家柄として知られた名族であり、旅人もそうした父祖の血筋を受け継ぎ、中央政界で重きをなす存在だった。しかしながら、新興勢力である藤原氏の圧迫を受けるようになり、太宰師として筑紫に下った。そのとき彼は六四歳であり、事実上の左遷を受けることとなった。高齢の身で遠く都を離れた彼は奈良に再び帰ることが叶わないのではないかという思いを抱いていたであろう。
&nbsp; 旅人は望郷の念を詠んだ歌を数多く残しているが、彼にはそれとは全く別の側面がある。「旅人の本質は、むしろ文雅の世界につよく傾倒した教養ある知識人、ないしは趣味人としての在り方のなかに現れている」。ここでいう文雅の世界とは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108　日本漢文入門　第二設題　Ａ評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947660144632@hc13/116146/]]></link>
			<author><![CDATA[ by na-ma-ko]]></author>
			<category><![CDATA[na-ma-koの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Oct 2014 16:23:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947660144632@hc13/116146/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947660144632@hc13/116146/" target="_blank"><img src="/docs/947660144632@hc13/116146/thmb.jpg?s=s&r=1412234588&t=n" border="0"></a><br /><br />M6108　日本漢文入門のレポートです。
Ａ評価で合格しています。
レポート作成の一助としてください。[139]<br />万葉集における「七賢」について概説せよ。
竹林の七賢とは
日本国語大辞典によると、竹林の七賢とは、「中国の晋の時代に、俗世間をさけて竹林に集まり、酒を飲み琴をひき、清談をした七人の隠者。」とある。つまり、多くの優れた人々が政争の渦中で殺害される動乱の世にあって、俗世間を離れ、儒学の礼節に反抗して、勝手気ままに空理を談じていた知識人たちのことである。
ここで、竹林の七賢の筆頭である阮籍の故事を紹介する。「阮籍遭母喪、在晋文王坐進酒肉。司隷何曾亦在坐、曰、明公方以孝治天下、而阮籍以重喪、顯於公坐飮酒食肉。宜流之海外、以正風敎。文王曰、嗣宗毀頓如此。君不能共憂之、何謂。且有疾而飮酒食肉、固喪禮也。籍飮噉不輟、神色自若。」概説すると、阮籍は、母の喪に服すべき立場にありながら、文王の宴席で、酒を飲み肉を食べていた。阮籍の行動を見た司隷何曾は、文王に「礼節に反する阮籍を追放して、風紀を正しましょう」と提案する。しかし、文王は「阮籍は、悲しみであんなに痩せ衰えているではないか。病気になったときに、酒を飲み肉を食うことは、礼節に準じている。」と答えた。つまり、阮籍は、母を失った悲しみのあまり弱っている..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[M6108　日本漢文入門　第一設題　Ａ評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947660144632@hc13/116145/]]></link>
			<author><![CDATA[ by na-ma-ko]]></author>
			<category><![CDATA[na-ma-koの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Oct 2014 16:23:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947660144632@hc13/116145/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947660144632@hc13/116145/" target="_blank"><img src="/docs/947660144632@hc13/116145/thmb.jpg?s=s&r=1412234585&t=n" border="0"></a><br /><br />M6108　日本漢文入門のレポートです。
Ａ評価で合格しています。
レポート作成の一助としてください。[139]<br />日本文学における「漢文」の特徴を概説せよ。
漢文が日本に受容された経緯
　『古事記』によると、漢文は、応神天皇の時代に帰化人たちの手によって日本にもたらされたことになっている。しかし、『古事記』による記述は、もたらされた書物の成立と書物が日本にわたってきた時代に矛盾があり、後世の人の憶測による説であると考えられている。いずれにしても、漢文は、朝鮮半島を経由して、日本にもたらされたことは間違いないようである。そして、我国の祖先たちは、漢字によって自らの感情や考えを表現することを学んだのである。
ところで、漢字が日本に伝来したのは、五世紀末から七世紀初頭の間のことであると考えられている。当時、記録を担当していた帰化人は、漢文によって記録を行っていたが、地名や人名など固有名詞の記述に関しては漢字の音・訓を借りて、漢字の意味とは関係なく使用していた。
　その後、漢字の音・訓を借りて使用する方法から、万葉仮名が生まれた。万葉仮名の誕生について神田秀夫は「地名・人名に限らず、日本語の全部を漢字に音訳することも可能ではないか、と考へたらしい。（中略）古事記の歌謡や、万葉集巻五の歌などの筆録は、この方..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　M6108日本漢文入門 科目最終試験⑥題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/112026/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きよきよ]]></author>
			<category><![CDATA[きよきよの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Apr 2014 03:11:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/112026/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/112026/" target="_blank"><img src="/docs/947704285169@hc13/112026/thmb.jpg?s=s&r=1397671877&t=n" border="0"></a><br /><br />●最新版の科目最終試験問題の解答です。●教科書に忠実に、600～800字程度でまとめています。●私は現在、単位はすべて習得済みです。およそ80～100点をつけて頂いているので、完成度には自信があります。●資料を丸暗記、もしくは自分の意[332]<br />①日本語の仮名の成り立ちについて説明せよ。
　仮名文字とは、表意文字である漢字をもとにして、日本人が独自に作り出した表音文字の事である。
　漢字が伝来するまで、日本語にはまだ文字がなかった。最初に文字で記録したのは、百済系の帰化人であり、倭国の地名や人名を、漢字に音訳して記した。その後、日本語の全てを漢字に音訳しようと試みる者が出てきたのである。
万葉歌人である山上憶良はその先駆者とされる。彼は歌の中で、「銀（しろかね）」「金（くがね）」「玉（たま）」の三字を除き、全てが日本語の一音節を漢字一字に音訳した。これを「音かな」と言う。そして使用された漢字を見ていけば「宇」は後の平仮名「う」の字源であり、「利」は「り」、「波」は「は」というように、平仮名は漢字の草書体を音字に転用したものである。
また、日本語の性質を考えると、日本人が漢文を翻訳するには、本来の表意文字としての漢字と漢字の間を繋ぐものが必要になる。そこで、用言の活用と助詞を書き込む際の文字として、「仮名文字」が用いられたのである。体言や用言の語幹は表意文字としての漢字をそのまま使い、読み方だけ倭語（訓読み）で読むほうが字数が少なく便利である。
このようにして、七・八世紀の日本人は、日本語を表す文字を求めて、漢字に取り付き、その漢字を使い分けた。一方では漢字の音を取って意味を捨てることで、音かな、平仮名を生み出した。もう一方では漢字の意味を取り、音を捨てることで、漢字に日本語が、日本語に漢字が当てられ、対応を得るにつれて、体言や用言の語幹が漢字で記されるようになった。そして、最終的には漢字とかな文字の併用という形に落ち着いた。
つまり仮名文字は、日本語を表す文字を求めた日本人が、試行錯誤の末に生みだした独自の文字だといえるだろう。
②漢文における返り点を説明せよ
返り点は漢文を読む際に、その順序を指定するものである。つまり、漢文の語順を変えて、日本語として読むためのツールである。
例えば、漢文で「我観花」＝主語・述語・目的語という順である。漢文は、語順が固定されているものであり、動かすことはできない。しかし日本語は、「は・が・に・を」というような助詞を使い語順を自由に動かせる。そのため、一番自然な日本語になる「我ﾊ花ｦ観ﾙ」という、主語・目的語・述語の順番に読めるように、「返り点」を付けて日本語らしくすれ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　M6108日本漢文入門　課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/111429/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きよきよ]]></author>
			<category><![CDATA[きよきよの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 26 Mar 2014 02:58:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/111429/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/111429/" target="_blank"><img src="/docs/947704285169@hc13/111429/thmb.jpg?s=s&r=1395770320&t=n" border="0"></a><br /><br />『2014年　最新版』　佛教大学通信教育課程の合格済みレポートです。●図書館で資料を集めてから作成。参考文献も記載しています　●文章構成やレイアウトにも気を配りました。●設題の意図を正確に捉え簡潔にまとめています。ぜひ参考にしてくださ[346]<br />第一設題　　日本文学における「漢文」の特長を概説せよ。
本論では、まず漢文についての定義を述べる。その後、漢字の伝来、日本文学における「漢文」の特長を考えることを目的とする。
　一.漢文の定義
日本文学における漢文の特徴を考える前に、「漢文」とは何なのかを先に述べておきたい。そこで、まず辞書を使用して「漢文」の定義を探った。
・【漢文】①中国（特に漢・唐宋代）の文章・文学。②日本人が①にならって書いた漢字だけの文章。　　　　　『旺文社　国語辞典第九版より』
・【漢文】①中国漢時代の文章および文学②現代中国語に対して、漢字だけで表記された中国の文章や文学。また、これらにならった日本の文章や文学をもいう。　　　　　　　　　　　『日本国語大辞典第五巻より』
辞書の内容から分かることは
・「漢文」と呼ばれるものは、中国で書かれたものである。
・「漢文」は漢・唐宋時代に書かれ文章である。
・日本人が「漢文」をならって書いた文学・文章も「漢文」である。
・現代中国語ではなく、中国の古典語を指す
以上のようなものである。ここで以外であるのは、われわれ日本人が漢文を習って書いた文学も漢文と呼ばれる点で..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　M6108 日本漢文入門　課題2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/111428/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きよきよ]]></author>
			<category><![CDATA[きよきよの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 26 Mar 2014 02:58:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/111428/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947704285169@hc13/111428/" target="_blank"><img src="/docs/947704285169@hc13/111428/thmb.jpg?s=s&r=1395770318&t=n" border="0"></a><br /><br />『最新版』　佛教大学通信教育課程の合格済みレポートです。●図書館で資料を集めてから作成。参考文献も記載しています　●文章構成やレイアウトにも気を配りました。●設題の意図を正確に捉え簡潔にまとめています。ぜひ参考にしてください。[342]<br />第二設題　　万葉集における「七賢」について概説せよ。
本論では、まず中国の故事である「竹林の七賢」について述べる。そして万葉集にある大伴旅人の「酒を褒むる歌十三首」について、竹林の七賢との関係を考え、考察する。
一.「竹林の七賢」
竹林の七賢とは、『陳留の「阮籍」、譙国の「嵆康」、河内の「山濤」に加え、沛国の「劉伶」、陳留の「阮咸」、河内の「向秀」、琅邪の「王戎」の七人の思想家を指す。彼らはいつも竹林に集まり、思うままに酒を飲み清談をした、世は彼らを「竹林の七賢」と呼んだ。《中国の文人：大修館書店》』
　さて、なぜ彼らは一日中、酒を飲み酔っぱらっていたのだろうか。もし単純に快楽のために飲むというのなら、音楽や色事だって快楽の道具になるし、酒が唯一のものではない。さらに、竹林の七賢より以前にも大酒飲みは存在したが、七賢のように「高風が国中に広まった」というような者はいなかった。こうした理由からも七賢が「思う存分酒を飲み楽しませた原因」が何なのかを考えたい。
　『「世説神話」任誕篇には、「三日も酒を飲まないと、心と体がどうもしっくりいかぬ気がする」、「酒は人を佳境にいざなう」と書かれており..]]></description>

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