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		<title>タグ“M5101”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[文献学入門1 2　佛教大学]]></title>
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			<author><![CDATA[ by 小太郎くん]]></author>
			<category><![CDATA[小太郎くんの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Mar 2022 23:46:16 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/919474289804@hc21/147754/" target="_blank"><img src="/docs/919474289804@hc21/147754/thmb.jpg?s=s&r=1647009976&t=n" border="0"></a><br /><br />日本における装丁の歴史と種類についてその概要を述べよ。　

本レポートでは、まず、装丁とは何かについて述べ、紙が発見されるまでの歴史について述べる。次に、江戸以前の書物について触れ、装丁の歴史と種類について述べる。最後に書物についての感想を述べる。

装丁とは書籍の表紙、カバー、外箱、タイトル・ページのデザイン、および材質の選択を含めて装本を製作すること中国・日本には古来より折本、粘葉装などの冊子本や巻子本などの伝統的な装丁がある。（ブリタニカ国際大百科事典）

紙が発見される以前は、獣皮・布・木片・竹片まれには専用の煉瓦などに文字を記した。中国桂陽の人蔡倫が樹皮・麻頭・敝布・魚網等の原料として「紙」をはじめて作ったといわれている。
近世以前の紙は楮・雁皮・三椏などを原料として、これに石灰等のアルカリ性漂白材を加えて沸騰し、さらにこれをつき砕いて繊維質の塊とする。それに糊性の接合材をくわえ、一定の大きさの簀の中に入れ、水を加えた材料槽の中で紙料を平均化しながら、1枚1枚漉いていくわけである。

江戸以前の書物について述べる。中世までの出版は主に、国家権力や寺社が行っていた。例えば、最古の刊行物のひとつである『百万塔陀羅尼』 が、称徳天皇の発願により刊行され、大きな寺院に奉納された。平安時代の末ごろから興福寺、東大寺、西大寺など奈良（南都）の大寺院において経や論疏が出版される。これを「南都版」と呼んでおり、特に興福寺で出版されたものを「春日版」、西大寺のものを「西大寺版」と呼ぶ。少し遅れて鎌倉時代から高野山においても仏書の出版が始まる。これを「高野版」と呼ぶ。いずれの出版事業も、販売を目的としたものではなく、多くは有力な檀家の施入によって刷られたと考えられる。一例として、高野版には、鎌倉幕府の要人である安達 泰盛の援助によって刊行されたもの（「秋田城介泰盛版」）がある。
鎌倉時代に入り、五山を中心とした禅宗が盛んになると、禅宗寺院において、出版活動も行われるようになる。これを「五山版」と呼ぶ。禅籍が中心であることは言うまでもないが、外典と呼ばれた仏書以外の書籍、すなわち 儒教に関わる経書や詩文集も出版されていることが、「南都版」「高野版」などとの大きな違いである。応仁の乱以後、京都が荒廃し、地方の力が大きくなると出版も地方で行われるようになる。富裕な商人が多かった..]]></description>

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