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		<title>タグ“B0304”の公開資料</title>
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		<description>タグ“B0304”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[佛教大学通信　科目最終試験対策6題セット　印度哲学概論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/100002/]]></link>
			<author><![CDATA[ by senbon_kitaouji]]></author>
			<category><![CDATA[senbon_kitaoujiの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 10 Jan 2013 22:15:57 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/100002/" target="_blank"><img src="/docs/952760424668@hc11/100002/thmb.jpg?s=s&r=1357823757&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信「印度哲学概論」　科目最終試験対策6題セットです。
予想問題は、
・ジャイナ教の業説について論ぜよ。
・ヤージュニア・ヴァルキヤのアートマン説について述べよ。（P24～。特にP31～）
・ニヤーヤ派の論証式について述べよ。（P1[334]<br />・ジャイナ教の業説について論ぜよ。
ジャイナ教は、仏教の開祖と同じ頃、六師外道の一人であるニガンタハ・ナータブッタ（尊称マハーヴィーラ）の開いた教えである。彼は、ジナとも呼ばれ、そのため彼の開いた教え及び教徒は、ジャイナと呼ばれる。
ジャイナの世界観の基礎になっている原理は五種の有聚である。その五種の原理は、即ち「ダンマ」「アダンマ」「虚空」「命我」「素材」である。ここで「ダンマ」と「アダンマ」は、全く特殊な用法で、前者は運動の条件、後者は静止の条件を表している。ある場合には他に「時間」を原理として加える場合もあるが、一般には、ジャイナはこの五種の基礎事実によって世界を説明する。
「虚空」とは、場所の許容でこの世界と非世界を包括する。「素材」は物質、物体のことで、それは全ての存在の構成要素である。人間も存在の一つであるから、「素材」の構成によるものであるが、人間には精神作用がある。それが「命我」である。人間は主として、「命我」と「素材」によって活きていることになる。
ジャイナでは、人生を苦的なものとして捉えていた。つまり「命我」に外から物質的なものである「業」が侵入し附着することによって、昇天解脱することが妨げられているからである。従って、苦行によって「業」を滅し、「命我」への附着を防ぐことが重要なのである。
そこで、マハーヴィーラは、殺生せず、妄語せず、与えられざる物を取らず、淫欲を行わず、物を所有せずという、懺悔を伴う五大誓の順守を説き、これがジャイナの基本教条を形づくっている。
知識については、ジャイナは一種の不可知論を主張したとされている。人間は事実を一つの側面からしか知ることが出来ず、事実そのものを完全に知ることが出来ないという考え方である。この立場は、不定主義とも呼ばれる。
ジャイナ教団は、マハーヴィーラの死後、何度かの分裂を繰り返した後、後に「白衣派」と「空衣派」に分かれた。
・ヤージュニア・ヴァルキヤのアートマン説について述べよ。（P24～。特にP31～）
ヤージュニア・ヴァルキヤは、実在論的な見方で梵我同一を説明するのではなく、主観的なアートマンを基礎として、唯心論的に全有の統一を見る。彼は主観の極致は実在の梵と同一であるという自覚の面を強調する。そして、そのような認識の主体は認識されないものであると繰り返し主張するのである。この認識の主体は、..]]></description>

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			<title><![CDATA[佛大通信「印度哲学概論」第2設題　B評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/95119/]]></link>
			<author><![CDATA[ by senbon_kitaouji]]></author>
			<category><![CDATA[senbon_kitaoujiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jul 2012 15:14:44 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/95119/" target="_blank"><img src="/docs/952760424668@hc11/95119/thmb.jpg?s=s&r=1342851284&t=n" border="0"></a><br /><br />佛大通信「印度哲学概論」第二設題のB評価レポートです。
設題は「転変説、積集説、縁起説について。」です。
採点者の所見は「では仏教では現象社会をどのようなものと見たのでしょうか。ここでは後の仏教におけるよりもゴータマ・ブッダの純粋経験主義か[354]<br />第2設題　転変説、積集説、縁起説について。
印度哲学において、現象界、つまり存在をどのように見ているか。転変説、積集説、縁起説それぞれに、それを考察する。
転変説について
因中有果論は、因と果に関係する説であって、インド思想中では、二つの異なった形式で認められる。すなわち、サーンキャ派によって主張された転変説と、不二一元論を主張したヴェーダーンタ派に認められる仮現説である。後者は、原因の結果への変化はただ単に現れただけのものであるとする考え方である。つまり、ブラフマンによって生じられた現象界のものは、ブラフマンが事実的に変化したものでは無く、仮に現れているものにすぎず、神自身は常に同一を保持しているという説である。
一方、転変説によれば、ある結果が生ずる時、原因の結果への事実上の変化があると考えられている。このサーンキャの所説では、結果が、それが生じる以前に、既に資料因の中に何らかの形で予定されたものが存在していることになる。その根拠は、以下のようなものである。
1）もし果が事実、資料因の中において存在しないならば、作者のいかなる努力もそれを存在へともたらすことは出来ない。従って果があ..]]></description>

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			<title><![CDATA[佛大通信「印度哲学概論」第1設題　B評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/95118/]]></link>
			<author><![CDATA[ by senbon_kitaouji]]></author>
			<category><![CDATA[senbon_kitaoujiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jul 2012 15:08:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/95118/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/95118/" target="_blank"><img src="/docs/952760424668@hc11/95118/thmb.jpg?s=s&r=1342850907&t=n" border="0"></a><br /><br />佛大通信「印度哲学概論」のB評価レポートです。
設題は「ウッダーラカ・アールニとヤージュニヤ・ヴァルキヤのアートマン説について。」です。
採点者の所見は「前半部分が多すぎです。ウッダーラカとヤージュニアを中心に据えるべきです。前者に於ては、[354]<br />第1設題　ウッダーラカ・アールニとヤージュニヤ・ヴァルキヤのアートマン説について。
アートマンについて
インドに進入してきたアリヤン人種が最初に産出した文学がヴェーダである。ヴェーダの語は、もと知識の意味であるが、とりわけ神聖な宗教上の知識をあらわし、さらに転じて、宗教上の知識の源泉としての一定の聖典を表示する。それは、狭義にはサンヒターと呼ばれる四種の文献であるが、その中で最も古く価値の高いのはリグ・ヴェーダ本集である。
リグ・ヴェーダにおいては、多数の神々が崇拝の対象とされている。神の原語はデーヴで、元々は「天的なるもの」を意味し、ラテン語のdeusに相当する。この神々の多くは、自然界の現象、威力及び構成要素を神格化した自然神であったが、一方で抽象的観念も尊崇されていた。
ヴェーダの詩人はそれぞれの神に、最上の讃辞を羅列した。そのことによって、多数の神々の個性は稀薄ならしめられた。つまり、多数の神々も要するに名称の相違にすぎないという思想が生じたのである。その一方で、諸神の中の最高神を探求する意向があらわれて来ると共に、他方には神の存在に疑を抱く者も生じた。結果、諸神の統一は哲学的..]]></description>

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