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		<title>タグ“Ｚ1312”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[Ｚ1312　教科教育法　英語　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942528612768@hc14/124591/]]></link>
			<author><![CDATA[ by michelangero]]></author>
			<category><![CDATA[michelangeroの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Apr 2016 21:01:55 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942528612768@hc14/124591/" target="_blank"><img src="/docs/942528612768@hc14/124591/thmb.jpg?s=s&r=1461326515&t=n" border="0"></a><br /><br />参考資料として提供しています。丸写しなどぜったいにしないでください。[102]<br />第１設題　　音声学教授法を唱えた学者５人（日本人１人）を列挙し箇条書きにまとめると共に、パーマー、クラッシェン、リトルウッドの教授法を論述しなさい。
　このレポートでは、音声学教授法についてまとめ、前半に音声学教授法を唱えた学者5人を紹介し、後半においては、パーマー、クラッシェン、リトルウッドの教授法について論述します。
　音声教授法を唱えた学者
ドイツ　ヴイルヘルム・フィーエトル（Wilhelm Viёtor）　文法・訳読式教授法に取って代わる口と耳から入る直接教授法を唱えた。1882年匿名で発表した『言語教授改善論』（Der Sprachunterricht muss umkehren!= The teaching of language must start afresh!）。
*翻訳にたよらない。
*自国語で考えない。
*発音・連語・構文の模倣。
*語彙は脈略のある文から成るテキストを使い、会話によって習得する。
フランス　ポール・パシー（Paul Passy）は、フィーエトルの直接教授法に賛成し、1901年フランスの学校で、外国語教育に直接教授法を用いた。
*発音の教授にいわ..]]></description>

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			<title><![CDATA[P6304,英文学研究・Z1312,教科教育法英語Ⅰ合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950028687114@hc12/97533/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mutt]]></author>
			<category><![CDATA[muttの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Oct 2012 20:41:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950028687114@hc12/97533/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950028687114@hc12/97533/" target="_blank"><img src="/docs/950028687114@hc12/97533/thmb.jpg?s=s&r=1349264480&t=n" border="0"></a><br /><br />①英文学研究【Ｐ6304】
2012年度新テキスト合格レポートです。あくまで参考にして下さい。
『イギリス-文学と教会』開文社出版

②教科教育法英語Ⅰ【Ｚ1312】
こちらもＢ合格レポートです。レポート作成の際のご参考にどうぞ。
1.音声[318]<br />ⅠからⅥまでの章からふたつを選んで、それぞれの内容を1,200字前後でまとめてください。選んだふたつの章からひとつ段落を選び、日本語に訳して、最後に付け加えてください。(選んだ段落のページを訳の最後に最後に「50ページ，第3段落のように示すこと」)　
Ⅰ章&ldquo;魂のキャンバス、イギリスの大地&rdquo;
イギリスにおけるキリスト信仰の到来は記憶による伝達のみならず、建物、文学、人々の心にいき続けることで、歴史的に記録されている。温故知新という言葉の示すとおり、イギリスのキリストの歴史は古きをたずね新しさを知る歴史の連続であるといえる。そのことは建物や文学の奥に密やかな意味や目的を見つけることができる。
イギリス開拓の大昔は謎に包まれているが、地方のあちこちに奇妙な石でできた円があるのだが、それはおそらく戦士たちを埋葬したものではないかという説がある。そしてキリスト信仰をはじめてブリテン島に伝えたのは、ローマの戦士ではなかろうか。そもそもローマの皇帝コンスタンティンがキリスト信仰をはじめ、黙認の大儀を発布した。この出来事をきっかけにブリテン島で沢山のキリスト信仰者があらわれた。教会がたち、家がたった。キリスト信仰のシンボルをつけて。五世紀初頭、ローマ帝国が支配したブリテン島はドイツからの侵略をうける。ドイツからの侵略者はアングロサクソンあるいはイギリス先住民を追いやった。
六世紀にはキリスト信仰はイギリスでは消えており、西側の山間地方のイギリスキリスト教生徒たちは迫害に憤慨していた。　そして続く七世紀、イギリスのキリスト信仰への転化がおこる。これはセントオウガスティンの使命であるケント王とベルーサの結婚により、彼はケント王からの国内でのキリスト信仰と布教を許可させた。さらに王自身にも洗礼をうけさせた。そして、教会や、修道院がたてられ、その後も彼は北側の王朝へ使徒をおくり、洗礼を迫った。イギリスで二番目のキリスト信仰の中枢になったその新しい王は伝道をケルティックの修道士にむけた。そして沢山の修道院があちこちに建てられキリスト教徒の生活が栄えはじめたのである。こうして七世紀終わりには、東西南北に新しい教えが広まったのである。しかし南側への伝道はローマの使者により、幾分かちがう伝統が公示された。そして少ししてローマのしきたりに従うということになる。新しい大司教は新しい基準や評価、管理..]]></description>

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