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		<title>タグ“黒人”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E9%BB%92%E4%BA%BA/</link>
		<description>タグ“黒人”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[「奴隷解放宣言」の真実]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933836483725@hc17/129675/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hiro45678]]></author>
			<category><![CDATA[hiro45678の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 04 Jun 2017 11:59:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933836483725@hc17/129675/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933836483725@hc17/129675/" target="_blank"><img src="/docs/933836483725@hc17/129675/thmb.jpg?s=s&r=1496545188&t=n" border="0"></a><br /><br />1863年1月1日は、アメリカ合衆国の黒人奴隷にとって記念すべき日となった。第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカンによって、「奴隷解放宣言」が発布されたのだ。この宣言により、多くの黒人奴隷は解放され、一部白人と同等の法的諸権利を[344]<br />【課題】 
あなたの専門分野（領域）などが内包している幻想・妄想・ハッタリをひとつ取り上げ、それの「意
義」について社会学的に説明しなさい。 
「奴隷解放宣言」の真実 
１．はじめに 
1863 年 1 月 1 日は、アメリカ合衆国の黒人奴隷にとって記念すべき日となった。第 16 代アメリカ合
衆国大統領エイブラハム・リンカンによって、「奴隷解放宣言」が発布されたのだ。この宣言により、多
くの黒人奴隷は解放され、一部白人と同等の法的諸権利を手に入れた。この日以降、黒人奴隷解放の動
きはアメリカ全土に広がり、同年 12 月に批准された「アメリカ合衆国憲法修正第 13 条」によって合衆
国は奴隷制を永久的に廃止した。奴隷解放の端緒となった奴隷解放宣言はアメリカ民主主義の記念碑的
存在として後世に語り継がれ、リンカンは奴隷解放の父として歴史にその名を刻むことになった。 
しかしながら歴史をさらってみると、奴隷解放宣言が民主主義の記念碑的存在だというのは幻想であ
る。それは民主的・人道的宣言では決してなく、様々な政治的・経済的思惑から発布された南北戦争
1に
おける軍事的措置の一環であった。そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ウィズリー・ジョン・ゲインズ(Wesley John Gaines)が見た奴隷解放]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933836483725@hc17/129544/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hiro45678]]></author>
			<category><![CDATA[hiro45678の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 28 May 2017 19:15:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933836483725@hc17/129544/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933836483725@hc17/129544/" target="_blank"><img src="/docs/933836483725@hc17/129544/thmb.jpg?s=s&r=1495966529&t=n" border="0"></a><br /><br />本稿が迫るのは、奴隷解放後の南部社会の実態である。
研究書を読むだけではこれらの問いに近づくことはできない。ゆえに本稿では、より史料に則した視点から奴隷解放後の社会を見つめてみたい。
使用する史料は、奴隷解放後の社会を生きたとある南部黒[352]<br />1 
ウィズリー・ジョン・ゲインズ(Wesley John Gaines)が見た奴隷解放 
１．序論 
1863 年 1 月 1 日は、アメリカ合衆国の黒人奴隷たちにとって決して忘れることのできな
い日となった。第 16 代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカンによって、「奴隷解
放宣言」が発布されたのだ。この日以降、黒人奴隷解放の動きはアメリカ全土に広がり、同
年 12 月に批准された「アメリカ合衆国憲法修正第 13 条」により、合衆国は奴隷制を永久
的に廃止した。 
奴隷解放の端緒となった奴隷解放宣言はアメリカ民主主義の記念碑的存在として後世に
語り継がれ、リンカンは奴隷解放の父として歴史にその名を刻むことになった。 
アメリカの歴史において、奴隷制廃止や制限に関わる宣言や法令は幾度となく出されて
いる。ヴァーモント州は他の州に先立ち 1777 年に奴隷解放の宣言をしているし、1808 年
にはアメリカ合衆国が公式的に奴隷貿易禁止を宣言した。 
かつてイギリスの植民地であったアメリカの地に奴隷制が誕生したのが 17 世紀初頭。以
後、奴隷制廃止へ向けた闘争は絶え間なく続く。その結晶が奴隷解放宣言であった。しかし、
解放によって成功を手にした黒人は少数であったのはもはや周知の事実である。 
共和党による南部再建は挫折し、多くの黒人は社会的弱者としてアメリカ社会の下層で
辛酸を嘗めることを余儀なくされた。解放後も黒人たちの自由と平等を求める闘争は続き、
その獲得は 20 世紀半ばまで持ち越された。 
奴隷解放宣言ならびに、その後に次々と批准された公民権法や憲法修正は、たしかに黒人
の社会的・政治的権利を保障したものであった。たとえば 1870 年の「アメリカ合衆国憲法
修正第 15 条」は、人種に関わらず平等な参政権を保障した。しかしながら、このような黒
人と白人の法的平等は、アメリカ社会の様々な力によって阻害された。そして仮に法的な平
等が保障されても、「形式上では」という留保がかけられ、多くの場合、実質的な平等をも
たらすには至らなかった。 
この法的平等と実質的平等の乖離については、現在までに多くの議論が交わされてきた。
たとえば上杉忍は、奴隷解放後の南部再建の挫折を経済的観点から考察し、シェアクロッピ
ング小作制度の誕生をその一因と位置づけた。一方、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Z1305　教科教育法地理歴史　第２設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950691198591@hc12/95219/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sanjyushi001]]></author>
			<category><![CDATA[sanjyushi001の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Jul 2012 01:00:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950691198591@hc12/95219/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950691198591@hc12/95219/" target="_blank"><img src="/docs/950691198591@hc12/95219/thmb.jpg?s=s&r=1343059236&t=n" border="0"></a><br /><br />学習指導要領・世界史Ｂの内容（４）の「オ　帝国主義と世界の変容」の授業のあり方を、あなたの経験・テキストｐ.１２にある３つの社会科観・ｐ.９２にある「世界最初の奴隷解放革命・ハイチ革命を扱って」の授業と関連させて説明しなさい。
本稿のテーマである「オ　帝国主義と世界の変容」を歴史上の時代区分で見ると、近代の区分に当てはまる。ルネサンス・宗教改革・大航海時代を経てきた近世から、イギリスに始まる産業革命による工業化の流れとフランスに典型的に展開した政治革命の流れとによって大きく移行した時代である。また、政治革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の成立、ナポレオン戦争による国民国家の形成など、１８世紀以降のヨーロッパで成立し、現代世界を特徴付ける社会のあり方が誕生した時代でもある。
こうした時代の中で、世界最初の奴隷解放革命であるハイチ革命はどのような意義を持つ歴史事象なのであろうか。ハイチ革命は他の独立と比較して他に先駆けて１８０４年という最も早い時期に起こったことに重要な意義を持っており、そうした意義を学ぶ歴史教育は「市民として必要な知識や価値を子どもに伝達する教科」である。ま..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカの文化と言語Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951127332460@hc11/92406/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ゆーまま]]></author>
			<category><![CDATA[ゆーままの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Apr 2012 17:18:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951127332460@hc11/92406/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951127332460@hc11/92406/" target="_blank"><img src="/docs/951127332460@hc11/92406/thmb.jpg?s=s&r=1334391527&t=n" border="0"></a><br /><br />8章「Marin Luther King，Jr．」について日本語で要約した上で、あなたの考えを述べよ。
（要約）
　マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のライフワークは、アメリカ黒人の社会的、政治的、経済的平等を平和的な手段で勝ち得ることだった。このために人種主義者に激しく攻撃され1968年に暗殺された。1950年代半ばから亡くなるまで、公民権運動の指導者で、その運動は人種を超えて人々の良心をよびさますこととなった。1964年には、ノーベル平和賞が贈られた。この偉大な賞の最年少受賞者だった。
　キング牧師は、ジョージア州アトランタで生まれ、15歳でモアハウス大学に入学し、牧師になる道を選び学士号を取り、ボストン大学で博士号を取った。この間に、キング牧師はモハメド・ガンジーの信奉者となった。ガンジーは、インドの聖者で非暴力抗議行動を率い、イギリスの支配から自由になった。キング牧師は、自分の実践テクニックはガンジーから、思想はキリスト教からとったと語った。1955年アラバマ州モンゴメリーでデクスター・アベニュー・バプテスト教会の牧師になった。
　当時、南部では市内バスは、法律で白人に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカ社会における黒人女性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84452/]]></link>
			<author><![CDATA[ by houcheck]]></author>
			<category><![CDATA[houcheckの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Aug 2011 21:38:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84452/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84452/" target="_blank"><img src="/docs/952186677794@hc11/84452/thmb.jpg?s=s&r=1312461531&t=n" border="0"></a><br /><br />1400字程度のレポート。アメリカにおける「女性像」の問題、それによって生まれた女性差別の実態を論じる。また、現在問題となっている「マイノリティ同士の対立」にも言及し、これから社会全体としてどうあるべきかをまとめた。シカゴ万博博覧会で実際に[352]<br />アメリカ社会において黒人女性は、黒人であり女性であるという人種と性別の二重の重荷、貧困層である場合は三重の重荷を背負って生きてきた。本レポートではアメリカにおけるマイノリティの女性がどのような差別を受けてきたか、そしてその問題をどう解決すべきかを論じていく。
１９世紀、女性は夫に従順で信仰心が厚く、家庭の守護神のような女性像、つまりヴィクトリア的女性像が強調されていた。女性は「淑女らしい主婦」であり、「家庭の天使」であることが期待され、男女の生活の領域が明確に区別されていた。だが経済的な安定を手にいれ家庭に落ちつけたのは東部にすむ白人の中産階級のごく一部の女性にすぎず、大多数の女性は生活のため..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「貧困大国」アメリカ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84446/]]></link>
			<author><![CDATA[ by houcheck]]></author>
			<category><![CDATA[houcheckの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Aug 2011 21:05:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84446/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84446/" target="_blank"><img src="/docs/952186677794@hc11/84446/thmb.jpg?s=s&r=1312459532&t=n" border="0"></a><br /><br />3500字程度のレポート。「先進国」のイメージが強いアメリカの貧困・ホームレス問題を取り上げる。日本との比較をしながら、レーガン政権、ニクソン政権、ジョンソン政権を経てアメリカ社会がどのように形成されてきたのかを論じる。また、ホームレス問題[352]<br />私にとってアメリカにはホームドラマなどでよく見るような中流階級の人々が多いイメージがあり、国民の経済的水準は総じて中の上、世界を引っ張るトップリーダーという印象が強かった。しかし今回レポートを書くにあたって調べ始めると、アメリカの貧困問題、格差問題の深刻さは日本をもしのぐものであり、その現状に非常に驚いた。また、アメリカの歩んできた道が最近の日本の状況と被っていることも興味深い。アメリカでは新自由主義が推し進められ、本来国が行うべき多くの事が民間にゆだねられた結果、国民は富裕層と貧困層に二極分化されてしまった。本レポートでは、格差社会における数多くの問題から特にホームレスの問題に着目して、貧困層を生み出すアメリカ社会のメカニズムを現在の日本と比較しながら、格差をどう解決すべきかを論じていく。
福祉政策重視だったニクソン大統領と対照的に、レーガン大統領は効率重視の市場主義を掲げ、企業の民営化などで経済活性化を目指す「小さな政府」を目指した。経済を発展させるための政策を次々と打ち出す代わりに、社会保障や人的サービスの削減を行ったのである。特にジョンソン政権時代に作られた要扶養児童家族扶助、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[エミット・ティル惨殺事件からみる差別する側とされる側の認識のズレ（差別意識論）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429195401@hc07/78577/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 虎三郎]]></author>
			<category><![CDATA[虎三郎の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Feb 2011 15:54:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429195401@hc07/78577/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429195401@hc07/78577/" target="_blank"><img src="/docs/983429195401@hc07/78577/thmb.jpg?s=s&r=1296716068&t=n" border="0"></a><br /><br />本稿では「エミット・ティル惨殺事件」から、なぜ白人が黒人に対して凄惨なリンチを与えて殺害に至ったのかを考察するとともに、白人社会が持つ共通の差別観と黒人それぞれが感じている差別観の微妙なズレについて検討したい。[315]<br />『エミット・ティル惨殺事件からみる差別する側とされる側の認識のズレ』
参考図書：ジェームス・M・バーダマン著、水谷八也訳、『黒人差別とアメリカ公民権運動～名もなき人々の戦いの記録～』、集英社新書、2007年
１．はじめに
　南北戦争（1861-65）終了後、リンカーン大統領の奴隷解放宣言によって合衆国憲法に３つの修正条項法律が加えられた。第一に「第13条：合衆国内の奴隷制度の廃止」、第二に「第14条：市民権の付与と、「法による平等な保護」の保障」、第三に「第15条：女性以外のアフリカ系アメリカ人に対する投票権の保障」である。合衆国憲法の下、白人の奴隷であった黒人は晴れて自由の身になるはずであったが、白人社会において強く深く根付いていた人種差別主義を簡単に取り除くことはできなかった。
下線部の「法による平等な保護」は、黒人を平等な存在として認めない白人によって「分離はすれども平等」という概念にすり替えられる。その後、黒人の大リーグ選手の登場やアメリカ軍内における差別が禁止（1948）されるなど、社会において少しずつではあるが黒人に対する意識も変わり始めていた。そうした世の中の変化は法にも影響を与え、1954年の「ブラウン教育委員会裁判」では、「分離すれども平等という原則に根拠がないとし、教育現場における人種分離を違憲である」という判決を下した。教育分野に限定されてはいたものの、アフリカ系アメリカ人が権利を求める際の法的基盤となったため、公民権運動の始まりが「1954年」と言われるようになったのである。
ブラウン教育委員会裁判の翌年、1955年8月に起きた「エミット・ティル惨殺事件」は、少しずつ変化しはじめた社会と権利を求める際の法的基盤を得た黒人たちに「行動」を持って抵抗する決意を固めさせ、公民権運動の発火点となった事件である。
本稿では「エミット・ティル惨殺事件」から、なぜ白人が黒人に対して凄惨なリンチを与えて殺害に至ったのかを考察するとともに、白人社会が持つ共通の差別観と黒人それぞれが感じている差別観の微妙なズレについて検討したい。日常生活における一つひとつの悲しい迫害の事実は、一人ひとりの胸にそっとしまわれていくだけである。ティルの母親であるエミット・メイミーや大叔父のモーゼス・ライトの勇気ある行動がなければ、人々の意識を変えることはできなかったかもしれない..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[投票権と人種格差――M・L・キングを通して――小論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955485550032@hc10/69317/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yotta]]></author>
			<category><![CDATA[yottaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 19 Jul 2010 01:09:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955485550032@hc10/69317/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955485550032@hc10/69317/" target="_blank"><img src="/docs/955485550032@hc10/69317/thmb.jpg?s=s&r=1279469353&t=n" border="0"></a><br /><br />投票権は黒人の何を変えたのであろうか。キングは「立法府の議場を善意の人々で満たし」と語り、また正しい裁判官や、人間的でキリスト的な知事を据えると述べている。投票権を持つことで、黒人たちは自らに発言権を持ち、また自らに不利益な法に対する抵抗権[360]<br />キングが公民権運動の中で、成し得たかったこととは、一体何であっただろうか。それはすなわち「すべての人々が兄弟として共に生き、人間としての人格の尊厳と価値を尊重し合う」ということである。
　しかし現在においても、キングの成し得たかったことが実現しているとは言い難い。キングの働きによって、新たな問題が見えてきたからである。それは、黒人の権利が回復してもなお、埋めることのできなかった経済格差の問題である。
　本稿では、キングの成し得たことを踏まえた上で、何が問題であったか、また人種差別とは何が問題であるかを述べたい。
　キングによる公民権運動の中で、黒人の回復した権利として、投票権がある。投票権は行政に関わるものとして、国民に対する重要な権利であるが、これが事実上で黒人に認められたのは1965年の投票権法からである。
まず黒人の投票権は、1868年の憲法修正14 条（法の平等な保護）で取り組まれ、1870 年の憲法修正15 条（人種によって投票権を拒否したり制限したりする事を禁止）によって「司法的な救済」がなされた。しかしながらこれらの修正憲法は、1892年に白人中心予備選挙が行われたり、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[映画『クラッシュ』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961172430105@hc08/63395/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pero0827]]></author>
			<category><![CDATA[pero0827の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 02 Feb 2010 03:32:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961172430105@hc08/63395/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961172430105@hc08/63395/" target="_blank"><img src="/docs/961172430105@hc08/63395/thmb.jpg?s=s&r=1265049139&t=n" border="0"></a><br /><br />映画「クラッシュ」について
作品（映画）の紹介
　2005年公開のアメリカ映画。一見すると、アメリカという国における人種差別、そしてそれを取り巻くさまざまな人種、民族の人々のつながりを描いた映画のように見える。実際、映画の中での黒人やヒスパニック、その他さまざまな人種の人々に対する差別は、私たち日本人にとって想像以上に痛烈なものである。しかし、この映画が描いているものはそれだけではない。映画のタイトルである「クラッシュ（Crash）」。一人の人間が他の人間とCrash（衝突する）こと、そしてその時々の人々の動きを、クローズアップして描いた作品のように感じた。
印象的なセリフと作品全体の印象
『人はぶつかりあう 人は人を傷つける それでも人は人を愛していく
ぶつかりあって 僕たちはわかりあっていく 本当は皆触れ合いたいのさ 
ぶつかって 何かを実感したいんだ』
映画冒頭のセリフである。このセリフは、これから起きる話の展開を象徴している。また、話の前半には、ドアの開閉が多く映されている。これは、人間関係の壁を表していると考えられる。実際、この後、白人警官がヒスパニックの女性に性的嫌がらせを..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ハックルベリーフィンにみるアメリカ文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/62498/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 難関国立大卒、マスコミ勤務]]></author>
			<category><![CDATA[難関国立大卒、マスコミ勤務の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 22:52:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/62498/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/62498/" target="_blank"><img src="/docs/957001582434@hc10/62498/thmb.jpg?s=s&r=1264341172&t=n" border="0"></a><br /><br />「ハックルベリー･フィンの冒険」について
				

「ハックルベリー･フィンの冒険」は、アメリカ文学史に残る傑作であるとして多くの人に認められていると同時に、白人男性中心の物語であるという批判がある。「ハックルベリー･フィンの冒険」[340]<br />「ハックルベリー･フィンの冒険」について
「ハックルベリー･フィンの冒険」は、アメリカ文学史に残る傑作であるとして多くの人に認められていると同時に、白人男性中心の物語であるという批判がある。「ハックルベリー･フィンの冒険」における論争は、その物語自体が内在する人種主義的側面への検証と、児童文学としての学校教育における位置定義の困難性にある。これら２点を跡付けながら、「アメリカ近代文学の源」として賞賛をもって読み継がれてきたこの文学作品を再考したいと思う。
「ハックルベリー･フィンの冒険」における黒人差別の構造は、まず黒人の表象をめぐる問題からはじまる。これは、「ハックルベリー･フィンの冒険」は人種主義を打倒する小説なのか、強化する小説なのかという問いを生む。物語内に描かれる社会状況や、主人公らを取り巻く様々な人々たちの行為など、「ハックルベリー･フィンの冒険」の内在的人種主義は全体にわたり散在しているが、それは主人公ハックと黒人奴隷ジムの関係性に集約されている。
ジムと川くだりの旅を共にし、彼を守り助けるハックは、起こる様々な出来事を経る中で、それまで自身の持っていた白人秩序の社会的良..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカにおけるマイノリティの市民権戦略ー黒人と女性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53370/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53370/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53370/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53370/thmb.jpg?s=s&r=1249141369&t=n" border="0"></a><br /><br />アメリカにおけるマイノリティの市民権戦略
序
　アメリカ合衆国はその建国以来、多様な「人種」や「民族」集団を内包または排除することにより、その歴史を進めてきた。アメリカ「市民」は「人種」や「民族」に関わりなく、「自由・民主主義」という建国理[356]<br />アメリカにおけるマイノリティの市民権戦略
序
　アメリカ合衆国はその建国以来、多様な「人種」や「民族」集団を内包または排除することにより、その歴史を進めてきた。アメリカ「市民」は「人種」や「民族」に関わりなく、「自由・民主主義」という建国理念の下に集まった共同体とみなすことができる。これは市民権移民局が掲げる「市民」の要件や「忠誠宣言」を見れば明らかである。アメリカ人としての義務を果たし、国家に忠誠を尽くし国のために闘うこと、すなわち「国家への能動的参加」が「市民」の条件であるのだ。
アメリカ社会は上記のような原則のもと、多様性・多元性をその基盤に取り込むことによって、国民統合をより強く、開いたものしてきているということであり、その原動力となったのはマイノリティによる市民権運動である。そしてこれは決して過去の現象でもない。
以下では、従来アメリカ「市民」の範疇から排除されてきたマイノリティ集団が、どのような戦略をもってそれに挑戦し、権利を獲得していったかについて分析していく。そのために、ここでは具体的なマイノリティ集団として、アフリカ系アメリカ人と女性に焦点を当てていきたい。前者は「民..]]></description>

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			<title><![CDATA[アメリカの抗議運動史と「国民」の境界ー黒人解放と反帝国主義からの考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53367/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53367/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53367/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53367/thmb.jpg?s=s&r=1249141367&t=n" border="0"></a><br /><br />アメリカの抗議運動と「国民」の境界
序
　アメリカ合衆国はその建国以来、多様な「人種」や「民族」を内包または排除することにより、その歴史を進めてきた。「アメリカ国民」は「人種」や「民族」に関わりなく、「自由・民主主義」という建国理念の下に集[356]<br />アメリカの抗議運動と「国民」の境界
序
　アメリカ合衆国はその建国以来、多様な「人種」や「民族」を内包または排除することにより、その歴史を進めてきた。「アメリカ国民」は「人種」や「民族」に関わりなく、「自由・民主主義」という建国理念の下に集まった共同体とみなすことができ、それに挑戦する勢力を打倒し「他者化」をはかることで、国民統合の紐帯を確認し、逐次共同体の構造化を更新してきたといえる。言い換えれば、多様性・多元性をその基盤に取り込むことによって、国民統合をより強く、開いたものしてきているということであり、それは決して過去の現象でもない。逆にいえば、アメリカは一方では「普遍的価値」を標榜しながら、「他者」を作り続けるという二面性を持っているといえる。そのような意味から、ここではアメリカ「国民」は「創られたもの」とする視点をとりたいと思う。
　18世紀後半に、イギリス帝国からの「独立」により成立したアメリカでは、それ以降現在に至るまで、上記のようなカテゴリーにおさまらない人々、すなわちアメリカ「国民」として認められない人々が多様な政治的、または社会的権利を要求して抗議運動を展開してきた。..]]></description>

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			<title><![CDATA[アメリカ合衆国の移民の流入過程を説明し、最近の民族構成の変化について述べなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47789/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 12:22:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47789/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47789/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/47789/thmb.jpg?s=s&r=1241752941&t=n" border="0"></a><br /><br />アメリカ合衆国の移民の流入過程を説明し、最近の民族構成の変化について述べなさい。
　アメリカは国民のほとんどが移民とその子孫から成り立つ他民族国家であるが、はるか昔は先住民が狩猟や農耕生活を営んでいた。そこに、16世紀以来、西ヨーロッパか[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本語で要約した上で、Elvis Presleyに対するあなたの印象を述べなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/aya/22341/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 樺音]]></author>
			<category><![CDATA[樺音の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 Jul 2008 19:16:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/aya/22341/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/aya/22341/" target="_blank"><img src="/docs/aya/22341/thmb.jpg?s=s&r=1215598564&t=n" border="0"></a><br /><br />＜要約＞
エルヴィス・プレスリーは、ブルースとカントリーとゴスペルミュージックの流れを統合させ、ロックン・ロールで初のスーパースターになった。彼の魅力に溢れた音楽は、全世代の心をとらえ、激しく腰をくねらせる彼のライブ・パフォーマンスは、彼を[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私には夢がある[語句解説１]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/17842/]]></link>
			<author><![CDATA[ by caduceus]]></author>
			<category><![CDATA[caduceusの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 13 Jan 2008 18:44:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/17842/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/17842/" target="_blank"><img src="/docs/983428999201@hc07/17842/thmb.jpg?s=s&r=1200217447&t=n" border="0"></a><br /><br />Martin Luther　King, Jr.
　1929年生まれのアフリカ系アメリカ人で、公民権運動を指導した。その名は父親が宗教改革の火付け役となったマルティン・ルターからとったもので、本人はバプティスト派の牧師であった。1964年に[296]<br />Martin Luther　King, Jr.
　1929年生まれのアフリカ系アメリカ人で、公民権運動を指導した。その名は父親が宗教改革の火付け役となったマルティン・ルターからとったもので、本人はバプティスト派の牧師であった。1964年にノーベル平和賞を受賞したが、1968年に暗殺された。下は本人の写真。
the demonstration for freedom in the history of our nation
奴隷解放宣言からちょうど100年経った1963年8月28日、フィリップ・ランドルフ、マーティン・ルーサー・キングらによって計画された20万人以上による政治的デモ行進のことで、..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[黒人社会における生活環境と死　&quot;SOUL GONE HOME&quot;を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/13434/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Feb 2007 13:25:44 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/13434/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/13434/thmb.jpg?s=s&r=1171513544&t=n" border="0"></a><br /><br />立命館大学　　　人文総合科学基礎講読Ⅰ

レポート自体は日本語で書いています。
※抜粋部分は原文のままです。

この舞台小説は、少々奇妙だとも感じられる一組の親子の関係が、息子の生前と死後とで変化している。
二人の性格や生活環境などの要因を[348]<br />人文総合科学基礎講読Ⅰ
SOUL GONE HOME
私はこの舞台小説を読んで少々、奇妙だとも感じられるこの一組の親子の関係が息子の生前と死後とで変化したのかを二人の性格や生活環境などの要因を通して明らかにしていきたいと思う。
　まず最初に、親子の生活環境から見ていく。家族構成は、主人公の少年Ronnieとその母親の黒人の母子家庭であった。そんな彼らの生計を立てているのは主に母親で、その仕事と娼婦だったがあまり収入は得られていないようである。そして彼らは大変貧しい暮らしをしており、食事もまともに食べることのできないような生活をしていた。しかしそんなことが原因となって息子は栄養失調を引き起こして死んでしまう。これがこの物語の重要なところで、この息子が死後の世界から戻ってくるというのが主なところである。次に、この二人のそれぞれの性格を見ていきたい。
　まず母親の性格を見ていく。彼女は赤いセーターを着たり、化粧を何度も直すシーンがあることから、派手好きな女性であることが分かる。そして彼女は売春で生計を立てており、息子Ronnieを生み、未婚の母になっているが女手一つでここまで育てたことからも..]]></description>

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			<title><![CDATA[『アフリカの底流をよむ』福井聡著　要約と感想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/12719/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yasu0226]]></author>
			<category><![CDATA[yasu0226の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 20 Jan 2007 16:50:11 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/12719/" target="_blank"><img src="/docs/983429944501@hc06/12719/thmb.jpg?s=s&r=1169279411&t=n" border="0"></a><br /><br />民主化の呪縛
冷戦構造が崩壊後の１９９０年以降、アフリカには民主化の波が押し寄せた。独裁政権は崩れ、複数政党制が相次いで導入され、形の上ではそれが進んだ。
　ところが、この民主化は中々根付かなかった。その過程で鍵となる複数政党制の導入は、ア[356]<br />民主化の呪縛
冷戦構造が崩壊後の１９９０年以降、アフリカには民主化の波が押し寄せた。独裁政権は崩れ、複数政党制が相次いで導入され、形の上ではそれが進んだ。
　ところが、この民主化は中々根付かなかった。その過程で鍵となる複数政党制の導入は、アフリカの場合必ずといっていい程、部族ごとの利益代表政党が、それぞれの利益を追求するばかりの、政策を論じ合う本来の性質からはかけ離れた政権を生み出してしまう。この為西欧型の民主主義はアフリカの現状に馴染まないとの主張が、指導者層からも噴出している。
　一方、旧宗主国側の西欧諸国の都合で進める一貫性に欠けた民主化そのものにも多くの矛盾が生じている。例えばマウライの場合、地方では曾長（チーフ）の言葉が全てであり、１人１人に民主化の意識などというものはない。
　筆者は自分達と同じ民主化を進めようとする西欧緒諸国に恣意的なものを感じていた。しかしアフリカにはまた別の問題もある。
　ザンビア（旧南ローデシア）のイアン・スミス元首相は「彼らは助力無しではやっていけないのだ」と話す。この言葉は差別主義者の暴言に聞こえるが、決してそれだけで片付けられない現実がアフリカ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Civil Rights]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431012401@hc06/8618/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 1yurouchi]]></author>
			<category><![CDATA[1yurouchiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 27 May 2006 06:42:23 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431012401@hc06/8618/" target="_blank"><img src="/docs/983431012401@hc06/8618/thmb.jpg?s=s&r=1148679743&t=n" border="0"></a><br /><br />In modern life, all people have more equal rights in their society no matter how they look or what skin color they have [120]<br />Present Civil Rights
In modern life, all people have more equal rights in their society no matter how they look or what skin color they have or what religion they belong. White and Black people go to the same school. Those different colored peoples work together at the same workplace, at the same position. Those things are normal to us to see in our society today. However, in the past centuries, there had been lots of unequal rights occurred to certain peoples such as African-Americans. If there..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 人種差別について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432297001@hc05/7744/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bestinme]]></author>
			<category><![CDATA[bestinmeの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Mar 2006 02:30:47 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432297001@hc05/7744/" target="_blank"><img src="/docs/983432297001@hc05/7744/thmb.jpg?s=s&r=1143480647&t=n" border="0"></a><br /><br />I have never learned about `black` before. So I have never thought about race. But I gradually feel that 
this is a ser[120]<br />I have never learned about `black` before. So I have never thought about race. But I gradually feel that 
this is a serious problem by looking this interview. When I was in Australia, I have a friend who is black. 
One day a friend of mine was saying to my friend, who is black, `What`s up my nigger?` I didn`t 
understand what he said. But I knew the friend who is black looked angry. I just thought that this 
sentence was not good for him and I just thought one of my friend made fun of him. But h..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Black Culture in Caribbean Thinking from Reggae music and Rastafarism]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431888601@hc05/5460/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomaco]]></author>
			<category><![CDATA[tomacoの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 Jan 2006 14:10:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431888601@hc05/5460/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431888601@hc05/5460/" target="_blank"><img src="/docs/983431888601@hc05/5460/thmb.jpg?s=s&r=1137561040&t=n" border="0"></a><br /><br />　Jamaica　is a Caribbean small island country. It has a deep relationship with Reggae music. It and Rastafarism contribut[124]<br />Reggae music of Jamaica
Jamaica　is a Caribbean small island country. It has a deep relationship with Reggae music. It and Rastafarism contribute to culture, economy, and politics of Jamaica.
Reggae
　Reggae is the individual music which advances among in Jamaican blacks. 
It is a kind of music. Reggae 
It advance to England in 1970&#039;s (Jamaica is an English country), and it has become new face of popular music with many fans in the world for a short term. It receives the influence of Jamaican nati..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカにおける黒人問題について(ミシシッピーバーニングなる映画をもとに)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431327901@hc05/4370/]]></link>
			<author><![CDATA[ by スミレ]]></author>
			<category><![CDATA[スミレの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Dec 2005 21:48:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431327901@hc05/4370/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431327901@hc05/4370/" target="_blank"><img src="/docs/983431327901@hc05/4370/thmb.jpg?s=s&r=1135601327&t=n" border="0"></a><br /><br />　I&rsquo;m going to talk about today&rsquo;s situation of black people in the U.S.  The setting in this film is in 1964.  The year i[126]<br />I&#039;m going to talk about today&#039;s situation of black people in the U.S. The setting in this film is in 1964. The year is important for black people because the U.S made a new civilrights law in the year. It protected a lot of rights of black people so black people&#039;s situation began to improve after 1964. For example the number of black public officers sharply increased after 1964. There were 33 black public officers in 1941. In 1965 there were 280, in 1975 1469, in 1985 6016. As a more remarkabl e..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカの奴隷制度の背景]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/3759/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Dec 2005 19:41:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/3759/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/3759/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/3759/thmb.jpg?s=s&r=1134124865&t=n" border="0"></a><br /><br />映画『アミスタッド』の歴史的、社会的な背景にあるものは「奴隷制度」に関わる、アメリカ合衆国の南北の対立であった。
　啓蒙思想の普及にともない人道的主義的な見地が広まり奴隷社会から抜け出そうとしていた時代であった。そしてついに1833年にはイ[350]<br />アメリカの奴隷制度の背景
　
この映画の歴史的、社会的な背景にあるものは「奴隷制度」に関わる、アメリカ合衆国の南北の対立であった。
啓蒙思想の普及にともない人道的主義的な見地が広まり奴隷貿易の廃止が徐々に叫ばれるようになっていき、奴隷社会から抜け出そうとしていた時代であった。そしてついに1833年にはイギリスで奴隷制廃止法が成立した。こうして奴隷貿易は衰退していくが、奴隷制度自体は消えたわけではなかった。アメリカ合衆国では綿花貿易が大きく成長し、綿花のプランテーションのある南部地方において綿花の収穫量の大幅な増加に伴って、労働力としての奴隷の需要が増加していった。しかし、すでに奴隷制の廃止法を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[奴隷制度と映画「アミスタッド」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/3758/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Dec 2005 19:34:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/3758/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/3758/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/3758/thmb.jpg?s=s&r=1134124498&t=n" border="0"></a><br /><br />映画の感想
　まず冒頭のシーンで鎖を必死の表情で壊し、一気にスペインの船員に向かって蜂起する姿には少々恐怖を感じましたが、回想シーンで明らかになったこと、つまりその蜂起につながるまでの数々の出来事を目の当たりにするとどれほどの思いでシンケ[356]<br />奴隷制度と映画「アミスタッド」
映画の感想
　まず冒頭のシーンで鎖を必死の表情で壊し、一気にスペインの船員に向かって蜂起する姿には少々恐怖を感じましたが、回想シーンで明らかになったこと、つまりその蜂起につながるまでの数々の出来事を目の当たりにするとどれほどの思いでシンケたちが立ち上がったのかが伝わってきた。子どもの未来を案じて海に身を投げる母親の姿やスペイン人の都合で海に次々と捨てられていく命の数々を見てとても胸が苦しくなった。捨てているのは荷物ではなく一人一人思いのある命だというのに、ともどかしい思いまで感じた。また彼らをそこにつれてきたのが利用された他の部族の黒人という事実も衝撃的なものだ..]]></description>

		</item>

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