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		<title>タグ“金子光晴”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[金子光晴]]></title>
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			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 23:24:28 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73952/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/73952/thmb.jpg?s=s&r=1289312668&t=n" border="0"></a><br /><br />金子光晴の「くらげの唄」を読んで
この詩を読んだとき、どことない哀愁にも似た脱力感を感じた。本編に登場するくらげは自分のことを確認するように、何回も定義している。己が何者なのかわからず、ただただ波に身を任せている。もしかしたら「自分が何者なのか」ということは、くらげ自体さして重要だと思っていないのかもしれない。「元の自分はこんな姿ではなかったこと」、そして「波にゆられ疲れ果ててしまったこと」のみを自覚し存在している姿は私にはなんとも悲しげに映った。
私が最も興味を持ったのは
心なんてきたならしいものは
あるもんかい。いまごろまで。
はらわたもろとも
なみがさらつていつた。
の部分だ。心は波にさ..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本の詩の歴史]]></title>
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			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Nov 2010 21:31:31 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/74303/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/74303/thmb.jpg?s=s&r=1289651491&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の詩の歴史
今回は日本詩の歴史を戦前詩、戦後詩、女性詩の視点から検証してみた。金子光晴、草野心平、新川和江の３人の詩を論じてみたいと思う。
金子光晴の「くらげの唄」を読んで
この詩を読んだとき、どことない哀愁にも似た脱力感を感じた。本編に登場するくらげは自分のことを確認するように、何回も定義している。己が何者なのかわからず、ただただ波に身を任せている。もしかしたら「自分が何者なのか」ということは、くらげ自体さして重要だと思っていないのかもしれない。「元の自分はこんな姿ではなかったこと」、そして「波にゆられ疲れ果ててしまったこと」のみを自覚し存在している姿は私にはなんとも悲しげに映った。
私が最も興味を持ったのは
心なんてきたならしいものは
あるもんかい。いまごろまで。
はらわたもろとも
なみがさらつていつた。
の部分だ。心は波にさらわれたと言っているにもかかわらず、心を汚いものと認識し、その口調も強調されているように感じられる。かつて自分が持っていた心を嫌悪しているのか、それとも心をさらっていった（そして自分をここまで透き通らせ疲れ果てさせた）波を嫌悪しているのか。定かではないが確..]]></description>

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