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		<title>タグ“近世”の公開資料</title>
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		<description>タグ“近世”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[国文学基礎講義_課題2　第2版]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/150339/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kz355]]></author>
			<category><![CDATA[kz355の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Dec 2022 12:05:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/150339/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/150339/" target="_blank"><img src="/docs/920554918266@hc21/150339/thmb.jpg?s=s&r=1670987131&t=n" border="0"></a><br /><br />2022年度までのレポート課題です。
日本近世文学における井原西鶴『好色一代男』の画期性とその時代背景について論じています。[177]<br />一．概要
　井原西鶴の功績として、大まかに次の四つを挙げる。
　・「浮世草子」という新しい文学ジャンルの先駆けになったこと。
　・当時の大坂出版業界発展の火付け役となったこと。
　・前時代の文学の中心的要素であった「雅」と、町人の価値観である「俗」を織り交ぜた作品を生み出したこと。
　・好色物に留まらず、多彩な文学作品を生み出したこと。
　これらの活躍の背景には、経済発展に伴う町人の台頭が深く関連している。
二．時代背景
　まず、西鶴の作品について論じる前に当時
の社会環境を確認する。
　　寛文六年（一六六六）、『遠近集』という句集に西鶴作の俳諧が三句収録された。これを西鶴の文学活動の端緒とすると、その活動期間は１７世紀後半に位置するといえる。この時期、日本は大坂の町人を主体とする元禄文化の直中にあった。大坂の陣の終結により平和が訪れ、経済活動が活発になる時期である。一般の市民層にも経済的余裕が生まれ、浮世草子や浄瑠璃、俳諧に代表される文芸や浮世絵などの娯楽が浸透し始める。日用の知識や作法を収めた『家内重宝記』や大坂の商工業を案内する『難波雀』といった地誌・重宝記などの書物も出版され、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[古墳]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148574/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 26 May 2022 13:27:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148574/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148574/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148574/thmb.jpg?s=s&r=1653539276&t=n" border="0"></a><br /><br />古墳
古墳こふんとは、
・原義・第1義としては、「古い墓」「古人の墓」を意味する。日本では少なくとも平安時代中期
以来の日本語漢語である。
・第2義・考古学的語義・近代以降現代の語義としては、「墳丘墓」・「盛土封土をした古代
の墳墓」を意味する。
・最狭義には、日本の古代に属する一時代古墳時代というに築造された特定の形態の墳丘墓を
指す歴史用語である。高塚たかつかともいう。
東アジアにおいて位の高い者や権力者の墓として墳丘墓が盛んに築造された。本項はこれ以降、特
筆しない限りは日本の古墳について解説する。
「古墳」という日本語は、古代から近世にかけては「古人の墓」全般を指す語であったが、墳丘を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】2019～2022年度　国文学講義Ⅳ　課題2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926362783876@hc19/140210/]]></link>
			<author><![CDATA[ by knk2]]></author>
			<category><![CDATA[knk2の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Apr 2020 14:18:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926362783876@hc19/140210/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/926362783876@hc19/140210/" target="_blank"><img src="/docs/926362783876@hc19/140210/thmb.jpg?s=s&r=1586323129&t=n" border="0"></a><br /><br />浄瑠璃と歌舞伎について論じなさい。その際、以下の条件を満たすこと。 

①浄瑠璃と歌舞伎の共通点・相違点に言及する 

②浄瑠璃と歌舞伎の関係性に言及する 

③浄瑠璃と歌舞伎のおのおのの史的変遷に言及する 

④具体的な作[320]<br />浄瑠璃と歌舞伎について論じなさい。その際、以下の条件を満たすこと。
①浄瑠璃と歌舞伎の共通点・相違点に言及する
②浄瑠璃と歌舞伎の関係性に言及する
③浄瑠璃と歌舞伎のおのおのの史的変遷に言及する
④具体的な作者・演目名を一つ以上示す

〈ポイント〉
あらすじ説明や先行研究の引き写しにならないために、観点として条件を設定しています。条件に留意して、本文を読みましょう。自分の意見と、文献等を参照した部分ははっきりと区別できるように書く必要があります。引用・参考文献は必ず注記します。代表的な文献を次に示しますが、このほかにも注釈書や研究書など有用な文献が多くあります。大学・公共図書館も利用して積極的に読みましょう。
〈キーワード〉
浄瑠璃、歌舞伎、演劇
〈参考文献〉　
『新編日本古典文学全集74～77近松門左衛門集・浄瑠璃集』（小学館、１９９７～２００２）
『新版歌舞伎事典』（平凡社、２０１１）

近世の演劇の本流は浄瑠璃と歌舞伎の二大潮流である。この二つは全く別な起源から発したものであるが、途中から相互に関連しあって成長し、江戸時代の代表的な演劇として完成したのである。
まず、浄瑠璃につい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学史Ⅱ　分冊１ 2014　合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/116862/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yumeno]]></author>
			<category><![CDATA[yumenoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Nov 2014 17:26:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/116862/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/116862/" target="_blank"><img src="/docs/947055634295@hc13/116862/thmb.jpg?s=s&r=1415867214&t=n" border="0"></a><br /><br />課題　近世文学は写本文化から出版文化時代の文学ともいわれる。大量出版された文学作品の影響(長所・短所)について記しなさい。
合格レポートです。参考程度にご利用ください。[246]<br />国文学史Ⅱ　分冊１　平成２５・２６年報告課題
&lt;近世文学は写本文化から出版文化時代の文学ともいわれる。大量出版された文学作品の影響(長所・短所)について記しなさい。&gt;
　従来の文学と近世文学を比べて一番大きな相違は、印刷文化の出現を挙げることができる。西欧の活字印刷術が日本にもたらされたのは、天正十八年(一五九〇)イタリアの宣教布アレッサンドロ=ワリニヤニによるという(新村出『南蛮文学概観』。)翌天正十八年、この印刷機によって、『サントスの御作業の内抜書』が肥前国高来郡の加津佐の学林で刊行された。以降、天草・長崎等で印刷出版が行われる。いわゆる天草版と呼ばれるものである。これとほとんど同じ頃に日本に輸入されたもう一つの印刷技術が朝鮮系統のものである。これは豊臣秀吉の朝鮮の役の時に持ち帰ったものであるが、実際に活用されたのは後陽成天皇勅版の『古文孝経』の印刷であった。
　近世以前、書写本や肉筆画は最も限られ高値であり、庶民には無縁であったが、印刷という大量複製技法の向上により、おびただしい数の出版物が生み出され、価格も江戸庶民が容易に手に出来るまでに下がり、さらには参勤交代で上京した下級..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学講義Ⅳ(近世)　分冊１　2014　合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/110953/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yumeno]]></author>
			<category><![CDATA[yumenoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 Mar 2014 18:59:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/110953/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/110953/" target="_blank"><img src="/docs/947055634295@hc13/110953/thmb.jpg?s=s&r=1394445568&t=n" border="0"></a><br /><br />課題　『猿蓑』所収の歌仙「市中は」の巻の表六句を評釈しなさい。
合格レポートです。参考までにご利用ください。[160]<br />国文学講義Ⅳ(近世)　分冊１　平成２５・２６年報告課題
&lt;『猿蓑』所収の歌仙「市中は」の巻の表六句を評釈しなさい。&gt;
　『猿蓑』所収の「市中は」歌仙は、草稿と考え得る本文を異にした巻子本が二本と、草稿過程を示す断簡が一本伝存しており、実際の興行後、刊行の定稿形に至るまで、何度か推敲・改稿が繰り返された。実際の興行は、元禄三年六月上旬から中旬にかけて、芭蕉が滞在していた凡兆宅での興行とされている。では、「市中は」の巻の表六句について、評釈を述べていく。
　発句は、凡兆の「市中は物のにほひや夏の月」である。この句は、「町の中は、夏の夜の暑さが籠もり、さまざまな生活の臭いが漂うが、夏の月は涼しげな光を放っている」と解釈できる。「物のにほひ」という大まかな表現によって、夏の夜の蒸し暑さがイメージされ、さらに切字「や」を介して天上の涼しげな月とを対照している。『和歌題林抄』に、「夏の月は泉の水に宿し、霜かと見えて光涼しき心を詠む」とあるように、夏の月の涼しげなイメージをうまく取り入れた作品である。発句の条件である、①切字を必要とすること、②当季を結ぶことも、満たされている。
　脇句は、芭蕉の「あ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　日本文学史　第１設題　A判定（上代・中古・中世・近世の文学の流れと特質）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948411428560@hc12/97783/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ひまわり２５]]></author>
			<category><![CDATA[ひまわり２５の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 14 Oct 2012 20:13:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948411428560@hc12/97783/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948411428560@hc12/97783/" target="_blank"><img src="/docs/948411428560@hc12/97783/thmb.jpg?s=s&r=1350213225&t=n" border="0"></a><br /><br />〈上代〉口承文学の誕生から７９４年の平安遷都までを文学史では上代と呼ぶ。共同体、小国分立の時期を経て大和政権による全国統一がなされ、律令国家が成立した時代である。この時代、人々の生活と命は自然の力に大きく左右されたため、その超人間的な力を神[360]<br />〈上代〉口承文学の誕生から７９４年の平安遷都までを文学史では上代と呼ぶ。共同体、小国分立の時期を経て大和政権による全国統一がなされ、律令国家が成立した時代である。この時代、人々の生活と命は自然の力に大きく左右されたため、その超人間的な力を神として祭売るようになった。その祭の場における神に関する様々な語り伝え（神話）や、神への祈り・感謝の歌などの口承のなかから文学が誕生してきた。５世紀ごろの漢字の伝来により、万葉仮名などの表記法を用いて神話や歌謡も文字によって書きとどめられるようになってゆく。
政権の安定と正当化を意図した大和政権は、諸国の氏族を皇室の配下に位置づける形で史書・地誌の編纂を行った。そのなかでも８世紀初期に編纂された『古事記』は、皇室の神話に出雲など諸氏族の神話を統合して皇室の支配の正当性を強調する一方、英雄的人物の伝説なども語られ、叙事的世界が文学性豊かに描かれている。また約１９０首の歌謡が収められており、多方面にわたる生活感情が様々の歌体で豊かに歌われている。その後、うたは集団でうたう歌謡から個人の感情を詠む和歌へと性格を変えていき、歌集も編まれるようになった。それは統..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　通信　日本文学史　第１設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960057307006@hc09/95656/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuuchi103]]></author>
			<category><![CDATA[yuuchi103の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 06 Aug 2012 00:06:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960057307006@hc09/95656/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960057307006@hc09/95656/" target="_blank"><img src="/docs/960057307006@hc09/95656/thmb.jpg?s=s&r=1344179192&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信学部 R0112 日本文学史 第一設題「上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。〈古事記・万葉集・古今集・女流日記(女性によって書かれた日記)・源氏物語・平[340]<br />上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。
〈古事記・万葉集・古今集・女流日記(女性によって書かれた日記)・
源氏物語・平家物語・徒然草・近代小説〉
　大化の改新や壬申の乱を経て、政治的には強力な中央集権的律令制国家へと発展してしき、遣隋使、遣唐使を派遣し政治体制ばかりでなく漢字や仏教など多くの影響を中国から受けた大和から奈良時代が上代と呼ばれる時代であり、上代の文学で代表的なものが、古事記と万葉集である。
まず古事記の文学的意義は日本最古の書であること。そして国内の思想統一を目的とし、神話・伝承を重視した文学性豊かな史書ということである。内容は、上巻は神話、中・下巻は神武天皇から推古天皇を中心とした物語であり、序文以外は漢字の音を借用した変体漢文である万葉仮名で書かれ、仮名発明以前の表記の工夫が見受けられるという特質がある。
もうひとつの代表的な作品は現存する最古の歌集である万葉集。歌風は「ますらをぶり（男性風）」で、現実に密着した感動を具象的に表現。率直な実感を大胆素朴に表現する力強さが特徴の歌集である。現存する..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R8103日本文学史1レポート（A判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953888125099@hc11/90478/]]></link>
			<author><![CDATA[ by みすみす]]></author>
			<category><![CDATA[みすみすの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2012 17:42:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953888125099@hc11/90478/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953888125099@hc11/90478/" target="_blank"><img src="/docs/953888125099@hc11/90478/thmb.jpg?s=s&r=1329036162&t=n" border="0"></a><br /><br />①上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。
〈古事記・万葉集・古今集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説〉
　【上代】
　上代とは、都が大和（奈良）から平安京（京都）へ遷都されるまでの時代である。日本は、遣隋使や遣唐使により、漢字・漢籍・佛教などの文化の面でも多大の影響を受けることとなった。文化的所産を口から口と伝えていく口誦や語りに頼っていた口承文化から、文字による伝達・保存が可能な記載文学が誕生することとなったのである。その代表的な作品として、『古事記』が挙げられる。『古事記』は、現存する最古の書である。語り部の稗田阿礼が語る神話・伝承を、太安万侶が筆録したもので、国内の思想統一をねらいとし、神話、伝承を重視した文学性豊かな史書である。上巻は神話、中・下巻に初代神武天皇から三三代推古天皇までの事跡を記している。序文は漢文で書かれているが、それ以外の部分は、漢字の音と訓とを交ぜあわせた変体漢文である、特に人名や歌などは一字一音の「万葉仮名」で書かれたものとなっている。
また..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R0508 西洋史　レポート第1設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955223212624@hc10/70559/]]></link>
			<author><![CDATA[ by たんたかたん]]></author>
			<category><![CDATA[たんたかたんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 Aug 2010 10:03:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955223212624@hc10/70559/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955223212624@hc10/70559/" target="_blank"><img src="/docs/955223212624@hc10/70559/thmb.jpg?s=s&r=1282093427&t=n" border="0"></a><br /><br />絶対主義とよばれる近世ヨーロッパの国家と社会のありかたをフランスを中心に検討せよ[120]<br />絶対主義といわれる近世ヨーロッパの国家と社会のあり方を、フランス中心に検討せよ
　絶対主義（絶対王政）とは一般的に、16から17世紀のヨーロッパに広まった国王が強大な権力を持ち、中央集権的な国家として、地方の諸身分を統合していく政治体制であるといわれている。世界史の教科書にも、絶対主義国家は「中央の官僚制と常備軍の二本柱のもとで、国王による統合が進展した」と書かれている。しかし、実際の国家や社会は、王権が何事においても国中のいたるところまで行き届いているわけではなかったし、官僚制においても現在のわれわれの持つイメージとは違うものであった。
　近世ヨーロッパにおける絶対主義の典型と目されるフランス王国では、15世紀半ばのルイ11世の時代から18世紀後半のルイ15世までの300年の間にほぼ現在のフランスの領土へと拡大していった。しかし、新たに編入した領域に王権が発揮できたかというと、そうではなかった。たしかに領地はフランス王の臣下となったが、そこの統治権はその領地の諸侯にゆだねられた。今で言う地方分権である。これは、フランス王領に新たな地域を編入する際に、「フランス王に服属し、その臣下とな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[レポート：黒澤映画『七人の侍』と六人の女性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63615/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 東大生KOHKI]]></author>
			<category><![CDATA[東大生KOHKIの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 16:20:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63615/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63615/" target="_blank"><img src="/docs/956912323808@hc10/63615/thmb.jpg?s=s&r=1265354446&t=n" border="0"></a><br /><br />日本映画に関する研究は，日本のみならず世界においても活発であり，数多くの優れた，内容として興味深い論文が発表されているにもかかわらず，外国語であるせいか敬遠され，また映画という特殊な分野であるためにその翻訳も十分に行われていない。そこで，こ[360]<br />黒澤映画『七人の侍』と六人の女性 
１．はじめに 
日本映画に関する研究は，日本のみならず世界においても活発であり，数多
くの優れた，内容として興味深い論文が発表されているにもかかわらず，外国
語であるせいか敬遠され，また映画という特殊な分野であるためにその翻訳も
十分に行われていない。そこで，ここではある優れた論文の抄訳（簡単な紹介）
を行おうと思う。 
黒澤明の『七人の侍』はよく知られている日本映画の一つである。「侍や百姓
たちは一面的ではなく、特に百姓たちは善悪や強弱を併せ持った存在として描
かれ、侍たちと百姓たちが相互にかかわりあい変化してゆく様がしっかりと描
かれている」（wikipedia ）という点での評価がしばしばなされ，「侍や百姓」に
焦点をあてた論文は非常に数多くある。しかし，実はこの映画では「脇役」と
見られがちな女性たちこそが物語の進行に大きく寄与している。だが，このこ
とに注目した論文はほぼ皆無に等しい。ここで取り上げる論文は，そういった
女性たちの役割に光を当てた傑作である。以下，筆者が行ったその抄訳を掲載
する。 
２．抄訳 
『七人の侍』は，最も分析され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦国大名の登場と織豊政権]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/59319/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Nov 2009 13:49:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/59319/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/59319/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/59319/thmb.jpg?s=s&r=1258865364&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文化論　設題２・近世の文学について－②]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57499/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 910kyuto]]></author>
			<category><![CDATA[910kyutoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 17:05:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57499/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57499/" target="_blank"><img src="/docs/958149952954@hc09/57499/thmb.jpg?s=s&r=1257494706&t=n" border="0"></a><br /><br />設題２．近世の文学について概説しなさい
近世（江戸時代）に入ると印刷物の発達や国民の識字率が上昇したことによって読者層が拡大し、いわゆる町人文学の時代といわれる庶民の文学が主流となった。
近世の文学は、普通前期と後期に大別される。前者は[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学史　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960811353085@hc08/57103/]]></link>
			<author><![CDATA[ by p1205]]></author>
			<category><![CDATA[p1205の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 14:10:02 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960811353085@hc08/57103/" target="_blank"><img src="/docs/960811353085@hc08/57103/thmb.jpg?s=s&r=1257225002&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

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			<title><![CDATA[『「死せる魂」の社会史』を読んで（要約・書評・感想）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53363/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53363/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53363/thmb.jpg?s=s&r=1249141365&t=n" border="0"></a><br /><br />『「死せる魂」の社会史』を読んで（要約・書評・感想）
序
　本書は、18世紀以降の近世ロシアに生きる農民たちの日常生活や内面意識を、身分制や共同体生活の観点から、豊富な資料を基に描き出したものである。
　一般的に近世ロシアというと、啓[344]<br />『「死せる魂」の社会史』を読んで（要約・書評・感想）
序
　本書は、18世紀以降の近世ロシアに生きる農民たちの日常生活や内面意識を、身分制や共同体生活の観点から、豊富な資料を基に描き出したものである。
　一般的に近世ロシアというと、啓蒙専制君主による中央集権化と急速な近代化・大国化といった教科書的なイメージを抱きがちである。しかし、近世ヨーロッパ全体で人口的に多数を占めていた農民の生活・意識を理解することなく、近世社会の実像を捉えることは困難であると思う。その意味で、本書で詳細に分析された農民の在り方は非常に興味深いものである。
　以下では、本書に描かれた農奴制の下での農民の生と意識についてまとめていきたい。
1. 農奴制と共同体
　18世紀ロシアの人口の大多数を占めていたのは、他の欧州諸国と同様に農民であった。その実情は、農民の納税義務の徹底のために政府が度々実施した人口調査に見ることができる。本書では、農民の中でも「農奴」と呼ばれる領主の人格的支配の下にあった人々を主に扱うが、彼らは全農民の約半数を占めていた。
　農民はその規模の差こそあれ、ミールと呼ばれる共同体の中で生活していた..]]></description>

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			<title><![CDATA[毒消し売りの社会史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14382/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shakara]]></author>
			<category><![CDATA[shakaraの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 25 Sep 2007 13:09:43 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14382/" target="_blank"><img src="/docs/983428421901@hc07/14382/thmb.jpg?s=s&r=1190693383&t=n" border="0"></a><br /><br />毒消し売りの社会史
近世において、日本では「家」制度の下、生活面でも経済面でも「家」を中心に回ってきた。しかし、近世、近代、現代へと移り変わる中で、その様態はだんだんと変化を遂げてきた。毒消し売りの社会史第二部ではその変化が毒消し売りの家々[358]<br />毒消し売りの社会史
近世において、日本では「家」制度の下、生活面でも経済面でも「家」を中心に回ってきた。しかし、近世、近代、現代へと移り変わる中で、その様態はだんだんと変化を遂げてきた。毒消し売りの社会史第二部ではその変化が毒消し売りの家々にも影響を及ぼし変化をさせてきたことがわかりやすく見て取れる。特に、角田浜においてはそれが顕著に現れているように思われる。
　私が最も興味を持ったのは、当時の人々、特に女性の家内での仕事である。毒消し売りの家である以上、やはり女性は外に働きに出てさらに家の中の仕事もする時代であったことがよくわかる。昔の女性は、家内の仕事、さらには外での女性の仕事を一手に引き受けていたというのは、本当に大変なことであったと思う。男性が漁に出ていることを考えても、女性の負担はやはり重かったであろう。また、男性が漁にでる、つまり海の近くの漁村とも言うべき地域において農家的生活をして、さらには女性が毒消し売りにでるという職業形態に驚きを感じた。主たる職業が、男性は漁業で女性は毒消し売りなのであろうか。遠い昔に、税金が米で納められていた時代のなごりなのかとも思った。さらに、角..]]></description>

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			<title><![CDATA[からくりとは何か？]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428562001@hc07/14129/]]></link>
			<author><![CDATA[ by a_k_o]]></author>
			<category><![CDATA[a_k_oの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Jul 2007 23:48:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428562001@hc07/14129/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428562001@hc07/14129/" target="_blank"><img src="/docs/983428562001@hc07/14129/thmb.jpg?s=s&r=1185115699&t=n" border="0"></a><br /><br />　「からくりとは何か？」
本来からくりとは江戸時代の庶民の目を楽しむものであった。つまりは一種の娯楽である。からくりの命とは見るもの、観客の意表をつく一瞬の変化である。そして、その影響力は絶大な物であり、その当時の文化という文化、文学作品や[358]<br />　「からくりとは何か？」
本来からくりとは江戸時代の庶民の目を楽しむものであった。つまりは一種の娯楽である。からくりの命とは見るもの、観客の意表をつく一瞬の変化である。そして、その影響力は絶大な物であり、その当時の文化という文化、文学作品や絵画や歌舞伎、あらゆるものがからくりと結びついた。お互いに需要、供給しており、当時の作品をみると同じテーマを題材にして表現方向が多岐にわたるものがたくさん現存している。また、一つのテーマが二重三重もの意味にも通ずると考えられている。「九想詩」といって人が死んだらどうなるのかといった人生永遠のテーマを解説したものも存在する。第一想では人の亡くなられたところを新思想として描き、続いて膨張想・血塗想・蓬乱想・　食想・青痣想・白骨連想・骨散想・古墳想となっている。どのような美しい女性であっても、このような過程を経て、汚れた世界から別れて成仏していくのだ、という浄土真宗の考え方を表した作品も存在する。（美人変じて髑髏となる図）西洋美術でいうシュールリアリズムであろうか。
　先ほどの具体例としては、竹田からくりの演目の一つである「六どう哥ねんぶつ」を挙げたいと思..]]></description>

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			<title><![CDATA[近世城郭に関する考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432223901@hc05/12484/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ayamine]]></author>
			<category><![CDATA[ayamineの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Jan 2007 23:34:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432223901@hc05/12484/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432223901@hc05/12484/" target="_blank"><img src="/docs/983432223901@hc05/12484/thmb.jpg?s=s&r=1168007690&t=n" border="0"></a><br /><br />進級して本格的に城に興味を持ち始めた私は、今年５月に会津若松城を訪れた。鶴ヶ城（会津若松城の俗称）北口でバスを降り、高い石垣に囲まれた北出丸へと入ると、石垣の上に天守閣が顔を出している。そして北出丸の反対側の門・西門は、堀の向こうに天守閣が[360]<br />進級して本格的に城に興味を持ち始めた私は、今年５月に会津若松城を訪れた。鶴ヶ城（会津若松城の俗称）北口でバスを降り、高い石垣に囲まれた北出丸へと入ると、石垣の上に天守閣が顔を出している。そして北出丸の反対側の門・西門は、堀の向こうに天守閣が良く見えるベストスポットである。
しかし、城郭構造の初歩を学んだ現在の目で見るとこれはおかしいではないか。北出丸から天守閣の写真が良く撮れる城など、堅城とは到底言い難い。
戊辰戦争の激戦地となった会津若松城は、余りに長大過ぎた惣構えこそ役に立たなかったが、城郭部分のみの防御で１ヶ月以上も篭城に耐えたという堅城であったはずである。
　幸い会津若松城の正保城絵図はすぐに見つけることができたが、それによる往時の会津若松城の姿は、北出丸は横矢掛けのきく２箇所の虎口に守られ、郭を成す石垣の上には更に屋根付きの塀が乗っていたことが分かる。
これならば北出丸から天守閣を見透かされることは無い。それどころか、屋根付きの塀と虎口、そしていくつかの櫓を伴うと、この出島は急に堅固な防壁へと変貌する。これは本丸に続く他の２つの出島・西出丸、二の丸においても同じであるから、周..]]></description>

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			<title><![CDATA[貝原益軒と近世の教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/6333/]]></link>
			<author><![CDATA[ by makkori]]></author>
			<category><![CDATA[makkoriの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Feb 2006 20:38:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/6333/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/6333/" target="_blank"><img src="/docs/983430848801@hc06/6333/thmb.jpg?s=s&r=1139139517&t=n" border="0"></a><br /><br />　近世の教育には、近代の学習原理とは全く異質な原理にたつ学習文化が存在した。その近世の社会の中で、無自覚のうちに蓄積されてきた教育と学習の文化を明確な形で言語化したのが貝原益軒であった。ここでは、貝原益軒の思想に見られる近世教育の注目すべき[360]<br />―貝原益軒と近世の教育―
近世の教育には、近代の学習原理とは全く異質な原理にたつ学習文化が存在した。その近世の社会の中で、無自覚のうちに蓄積されてきた教育と学習の文化を明確な形で言語化したのが貝原益軒であった。ここでは、貝原益軒の思想に見られる近世教育の注目すべき点について考えていく。
まずは、近世の教育機関として有名な手習塾（寺子屋）について見てみる。手習塾は文 
字通り手習い＝文字を書くことを学ぶ塾である。江戸時代は文字の読み書き能力がないと 
不利益を被る社会システムであった。それ故江戸時代の庶民たちは、可能な限り読み書き 
そろばんの習得に向かったのである。手習塾への入門は、ほぼ７,８歳であるが、特に定 
まった時期はない。また手習塾という教育機関に入学するというのではなく、ある手習師 
匠に弟子入りするという意味を持つのである。重要なことは、どの師匠を選択するかはあくまでも学ぶ側にあるということである。制度としてではなく一種の人格的関係としての教える者－教えられる者の関係である。それ故手習塾における学習法は、個別の学習と指導、そして自学自習である。決まった登校時間もなく、手本..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[近世の女性史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1968/]]></link>
			<author><![CDATA[ by go55go]]></author>
			<category><![CDATA[go55goの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 15:15:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1968/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1968/" target="_blank"><img src="/docs/983432257401@hc05/1968/thmb.jpg?s=s&r=1122704143&t=n" border="0"></a><br /><br />近世を通じて女性の社会活動は極度に制約された異常ともいえる時代であった。また、それを当然とする秩序と秩序意識が長く全体を覆っていたことは否めない事実である。
　その理由を強いて挙げるならば次のことにふれなければならないのだが、近世社会を、[356]<br />室町時代を分水嶺として女性の地位は降下の一途をたどり、江戸時代の二百数十年の間に、その従属的な地位は決定的になったとされて、近世は女の顔の見えない時代と、しばしばいわれる。しかし女性の側からは、従来の抑圧された女性像に代わる、かなり自由度の高い女性の存在に光が当てられてはいるものの多くは幕末といわれる近世末期を待つことになる。　　　　　　　　　　　　たとえば信州の松尾多勢や、歌人としても夙にその名を知られた野村望東なども政治の場に関わっているが、彼女らはあくまでパトロン的な立場であり自ら主体的に政治の表舞台に生きた女性とは言い難い。また、幕藩体制の秩序が崩れようとする時期故に与えられた活動の場でもあったのである。　 　近世を通じて女性の社会活動は極度に制約された異常ともいえる時代であった。また、それを当然とする秩序と秩序意識が長く全体を覆っていたことは否めない事実である。 　その理由を強いて挙げるならば次のことにふれなければならないのだが、近世社会を、前後の時代のそれと截然と分ける特色は士農工商の身分制度にあったことは明らかである。一種の階級秩序の元で地位や資格及び行動形式まで様々な制..]]></description>

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