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		<title>タグ“西洋”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E8%A5%BF%E6%B4%8B/</link>
		<description>タグ“西洋”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[大西洋革命]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149479/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 30 Aug 2022 15:09:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149479/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149479/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/149479/thmb.jpg?s=s&r=1661839788&t=n" border="0"></a><br /><br />大西洋革命
大西洋革命たいせいようかくめい、英語: Atlantic
Revolutionsは、18..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋美術史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148653/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 03 Jun 2022 13:25:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148653/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148653/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148653/thmb.jpg?s=s&r=1654230307&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[コロンブス物語を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922397895040@hc21/146823/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねねみ]]></author>
			<category><![CDATA[ねねみの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Dec 2021 22:08:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922397895040@hc21/146823/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922397895040@hc21/146823/" target="_blank"><img src="/docs/922397895040@hc21/146823/thmb.jpg?s=s&r=1639487282&t=n" border="0"></a><br /><br />「コロンブス物語を読んで」
佛教大学　英語　スクーリング　試験
参考文献　コロンブス物語[130]<br />まず、講義の中でコロンブス物語を読んで、読み取れたこと、分かったことを簡単に書いていこうと思う。
1451年、ジェノバでクリストファー・コロンブスが誕生した。コロンブスの父は、羊毛職工の仕事をしていたが、あまりうまくいかなかった。ジェノバはイタリアの中でも海運業が盛んであったため、当時13歳のコロンブスは、父の布を売りにイタリア海岸沿いの港に行った。これが初めてのコロンブスの航海である。そして、20歳までに商人として財産を作ることを望んでいたが、叶わず、航海を続けていた。25歳だったコロンブスは、命がけの戦闘に巻き込まれ、なんとか生きて、ポルトガルのビーチに辿り着いていた。
コロンブスはポルトガルで、たくさん航海をしながら、海図作成の仕事をしていた。そうしていると、コロンブスの鋭い知性によって船や航海に関しての知っておくべき知識を習得していた。そんな中で、まだ誰も行こうとしていない大西洋について興味を持っていた。
その後、地理学、天文学等他分野の勉強も始めたり、伝記などを読んだりした。その中で、コロンブスの中では偉大な考えが生まれていた。地球が球体であるという考えに確信を持っていた彼は..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋社会文化論　第１設題レポート　佛教大学【P5418/2020年】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/921870053856@hc21/143491/]]></link>
			<author><![CDATA[ by つむじい]]></author>
			<category><![CDATA[つむじいの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 16 Mar 2021 02:38:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/921870053856@hc21/143491/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/921870053856@hc21/143491/" target="_blank"><img src="/docs/921870053856@hc21/143491/thmb.jpg?s=s&r=1615829937&t=n" border="0"></a><br /><br />【設題内容】
現代都市パリの生成とブランド戦略について、マネキンを通して論じなさい

【コメント】
１発合格レポートです！テキスト内でマネキンに関する描写が１章分しかないので、ボリュームがある感じにまとめるのが苦労した点です。ぜひ参[344]<br />西洋社会文化論　第１設題レポート

現代都市パリの生成とブランド戦略について、マネキンを通して論じなさい

　現代では世界中の百貨店やアパレルショップで当たり前のように姿が見られるマネキンだが、本格的に表舞台で活躍するようになったのは1750年代からであるとされている。そんな約270年に渡る長いマネキン史実の中で最も大きな変革を起こしたのは、世界で初めて全身マネキンを発明したフレッド・ストックマンではないだろうか。ストックマンは今日のS~XLサイズの測定値を規格化したり、直立が基本だったマネキンに動きをつけるなどの工夫をこらし、パリの人々を利便性に長けるだけでなく独創的なマネキンで魅了した。後にストックマンはメゾン「シエジェル・エ・オメイ」と合併し、19～20世紀パリのマネキン界で更なる躍進を続けた。またストックマンは今でもなお世界屈指のマネキン製造会社「シエジェル・エ・ストックマン」として現世にその名を残している。ストックマンの生み出すマネキンが、当時のパリにおいてセンセーショナルな芸術であったことは確かだが、もともとマネキンとは洋服を美しく見せる為の１つのツールではなかっただろうか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Q0103　西洋の歴史　第2設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/940623593874@hc15/137604/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Ｒ３８２]]></author>
			<category><![CDATA[Ｒ３８２の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 May 2019 17:02:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/940623593874@hc15/137604/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/940623593874@hc15/137604/" target="_blank"><img src="/docs/940623593874@hc15/137604/thmb.jpg?s=s&r=1557216179&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信課程の高等学校地理歴史、中学校社会課程、西洋の歴史（Q０１０３）第2設題のリポートです。

テキスト『多神教と一神教』について
古代地中海世界の多神教そして一神教の成り立ちや変化、後世への影響について、歴史的背景を意識しな[344]<br />Q0103 西洋の歴史 第 2 設題 
（1） 
テ キスト 『多 神教と 一神教 』につ いて 
古 代地中 海世 界の多 神教そ して一 神教 の成り 立ちや 変化、後 世への 影響
に ついて 、歴 史的背 景を意 識しな がら論 じな さい。 
1. 多 神 教の成 り立ち 
古 代 ロ ー マ の地方 都市ポ ンペイ の街 の一角 を歩く だけでも 、いた ると
こ ろに神 々が あふれ ていた 。壮麗 な神 殿のな かだけ でなくて も道路 に立
て ば辻神 に出 会う。 それら の神々 は、 いわば 小さな 町域の守 護神と して
あ がめら れて いたの である 。それ ぞれ の家々 には家 の守護神 ラレー スと
先 祖の霊 が祭 られて いる。 神殿の 形を した神 棚があ った。そ れとと もに
人 々はさ まざ まな神 々の小 像を並 べて 祈り続 けた。 とりわけ 、伝説 上の
ポ ンペイ の創 設者ヘ ラクレ ス、熱 狂の 酒神バ ッカス 、美と豊 穣の女 神ウ
ェ ヌスに 祈願 する人 々は跡 を絶た なか った。 このよ うに、古 代地中 海世
界 の生活 の中 にはい たると ころに 神々が 姿を 見せる 多神教で あった 。 
多 く の 神 が 存在す るとい う考え に至 ったの は、人 間に畏怖 という 感情
が 生まれ たか らとさ れる。 自然の 天変 地異と 人間の 死は、畏 怖とい う感
情 の芽生 えに おおい に力が あった 。自 然界の 激変は 目に見え る世界 の向
こ う側に 何か 得体の しれな い力の ある ことを 感じさ せる。ま た、生 命あ
る 人間の 死は 、その 生命の 死滅を 認め たくな いとい う気持ち をおこ させ
る 。に肉 体を 離脱し た霊魂 は目に 見え る世界 の向こ う側に今 も生き 続け
て いると いう 思いが する。 このよ うに 、目に 見える 世界の向 こう側 にあ
る 超自然 的な 世界に 人々は 恐れお のの くので あり、 人間を脅 かす目 に見
え ない力 を「 神」と して考 えた。 
自 然 に は 摩 訶不思 議な現 象にあ ふれ ていた ので、 それらに は説明 が必
要 だった 。自 然環境 や災害 、人間 の感 情や行 動のこ れらの現 象..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Ｑ０１０３　レポート　西洋の歴史　第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129329/]]></link>
			<author><![CDATA[ by シュリーマン]]></author>
			<category><![CDATA[シュリーマンの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 16 May 2017 16:58:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129329/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129329/" target="_blank"><img src="/docs/933940365340@hc17/129329/thmb.jpg?s=s&r=1494921486&t=n" border="0"></a><br /><br />私のレポートの多くは教科書とインターネットのみで作成しており、参考文献を用いたものは末に記載しております。評価はAが多く、不合格になったことはありませんので安心してください。
先輩・後輩・友人たちとレポートや試験のことを対策できる四年制大学[356]<br />テキスト『多神教と一神教』について
古代地中海世界の多神教そして一神教の成り立ちや変化、後世への影響について、歴史的背景を意識しながら論じなさい。
ネアンデルタール人による埋葬の習慣以降、「宗教」は歴史のなかで重要な役割を担い続けている。そして、今回の舞台となる「古代地中海世界」においては、多くのファクターが征服活動や交易を経て、撹拌されることで様々な宗教が生じたという背景がある。なお、宗教は「一神教」と「多神教」に大別することができ、それらは必ずしも二者択一的なものではない。
本リポートでは、古代地中海世界が生み出した多神教と一神教の成り立ちや変化を考察し、まとめとしてそれらが後世に及ぼした影響を論じていく。一神教に関してはテキストに記述の多いユダヤ教とキリスト教を中心に挙げ、それらと関連するイスラム教を扱う。
多神教
《多神教の特徴》
多神教崇拝は自然史の一部ともいえる人間生活の営みのなかで自ずと芽生えたものであった。なにか歴史上の出来事があり、開祖にあたるような人物がいたわけではなく、民衆の間で素朴な形で生まれたのである。
例えば、太古の昔から世界各地で豊満な裸婦の象徴する地母..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Ｑ０１０３　レポート　西洋の歴史　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129328/]]></link>
			<author><![CDATA[ by シュリーマン]]></author>
			<category><![CDATA[シュリーマンの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 16 May 2017 16:58:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129328/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129328/" target="_blank"><img src="/docs/933940365340@hc17/129328/thmb.jpg?s=s&r=1494921483&t=n" border="0"></a><br /><br />私のレポートの多くは教科書とインターネットのみで作成しており、参考文献を用いたものは末に記載しております。評価はAが多く、不合格になったことはありませんので安心してください。
先輩・後輩・友人たちとレポートや試験のことを対策できる四年制大学[356]<br />テキスト『古代地中海世界の歴史』について
古代地中海世界はどのように形成、発展したのか。また後世にどのような歴史的影響を与えているといえるのか。テキスト全体を意識しながら論じなさい。
古代地中海世界はオリエント文明からギリシア・ヘレニズム文明、そしてローマ文明へと変遷した。その過程には、多様な宗教の勃興、製鉄技術の発見と伝播、騎馬遊牧民の発生、共通言語の誕生などの様々な出来事があり、それらを経て西洋世界の基礎は紡がれた。以下にテキストで特筆すべきだと判断した古代地中海世界の各項目の「形成と発展」を論述し、考察していく。
《オリエント世界》
ティグリス川とユーフラテス川にはメソポタミア文明が興った。前４０００年期半ばにはシュメール人が往来し、楔形文字が作られた。聖域をなす神殿群も整備され、ウルク、ウル、ラガシュなどの城壁に囲まれた都市国家が群立し、灌漑農業による穀物生産は生活を豊かにした。後にその豊かさが引き金となり、アッカド人勢力によるアッカド王国に２００年間も覇権を奪われる。シュメール人は反撃の機を狙い続け、それはウル第三王朝の成立を機に達成された。この時代はジッグラトなどの建築活..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[歴史学メディアMAレポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943946394475@hc14/123622/]]></link>
			<author><![CDATA[ by frankl]]></author>
			<category><![CDATA[franklの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 25 Feb 2016 10:16:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943946394475@hc14/123622/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943946394475@hc14/123622/" target="_blank"><img src="/docs/943946394475@hc14/123622/thmb.jpg?s=s&r=1456363000&t=n" border="0"></a><br /><br />実際に合格をいただいたものですが、あくまで参考資料として下さい。ノークレームの自己責任でお願いします。[153]<br />課題：トルコにおける世俗化とイスラームの相克について、あなた自身の意見を交えながら論じなさい。【解答文字数：2,000字以上3,000字以内】

＜以下本文＞
私たち日本人からすると、イスラーム圏というのは西洋化世界とは違い、戒律の厳しい生活を送っているイメージを抱く。そのような中でトルコは、西洋化の進んだ日本の友好国でもあり、いわゆるイスラームというイメージとは異なる国である。娯楽や飲酒にも寛容で、日本から旅行客が足を運ぶ観光地としても有名である。しかし現在のトルコが見せる姿の背景には、それまでの宗教支配から国ごと抜け出そうとした世俗化への奮闘があった。以下に、世俗化とイスラームの相克についてトルコが歩んだ過程を辿りつつ、私自身の意見を交えて述べる。
　まず、トルコの前身であったオスマン帝国について解説する。７世紀に登場したイスラームは絶大な勢力を誇り、ウマイヤ朝によってイスラーム圏を拡大した。その一つであるオスマン帝国（1299～1922）は、始祖オスマン１世の治世最盛期には、北はハンガリーから南はインド洋に、東はイラクから西はアルジェリアに至る広大な領土を帝国の支配下においていた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[農業論第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106625/thmb.jpg?s=s&r=1379223864&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
現代世界の食糧問題が、先進諸国における食糧の過剰と開発途上諸国における食糧の不足との併存として現れている要因について分析しなさい。
　その場合、同じ開発途上国であっても、なぜサハラ以南アフリカや南アジア諸国において飢餓問題が生じているのか、考察しなさい。
　・はじめに
　先進諸国における食糧過剰と開発途上諸国における食糧不足との併存として現れている要因を先進国、開発途上国の食糧事情を比較しながら要因を探る。また、開発途上国であるサハラ以南アフリカや南アジア諸国でおきている飢餓問題も考察していく。
　・先進国
産業革命以降工業生産社会となり、農業もまた工業化され、大量生産が必須の要件となった。生産される農作物は商品として扱われ、収穫量が高く、成長の早い品種が開発、栽培され、広大な土地に単品種が栽培されていく。工業化された農業は、機械力の動員はもちろんのこと、大量の化学肥料や農薬が使用される。特に第二次世界大戦後に、化学肥料や農薬の大量投入がなされ、その内容が一新されることとなった。化学肥料や農薬、そして機械は、大規模なエネルギーと資源を使用する工業製品に他ならない。これらを..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本経済史第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106623/thmb.jpg?s=s&r=1379223863&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
「大戦ブーム」と「反動恐慌」について論じなさい。
明治維新から第一次世界大戦への過程、特に明治初期の殖産興業、日清、日露戦争が与えた日本の資本主義への影響を考えていく。
政府は富国強兵をめざして殖産興業に力をそそぎ、近代産業の育成をはかるとともに、封建的制度の撤廃につとめ、近代産業の発展の基礎をかためた。政府は１８７０年に工部省を設け、佐渡・生野などの金属鉱山や高島・三池などの石炭鉱山を官営とした。軍部の近代化をはかる意味から東京・大阪の砲兵工廠や横須賀・長崎の造船所の拡充に力をいれた。さらに輸出の中心となっていた生糸の生産に力をいれ、群馬県に富岡製糸場を設けた。１８７３年に設立された内務省は製糸・紡績などの軽工業の分野で、官営模範工場をつうじて民間の機械制生産をうながした。そして１８６９年蝦夷地を北海道と改称して開拓使をおき、１８７４年には屯田兵制度を設けて開拓を行わせ、１８７６年には札幌農学校を開校した。
交通・通信制度の整備にも力がそそがれた。交通では１８７２年東京・横浜間に官営の鉄道が開通した。また岩崎弥太郎の三菱会社に手厚い保護を与えて欧米資本の海運業に対抗させた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動論第１回（1）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106622/thmb.jpg?s=s&r=1379223862&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）①特別活動の教育的意義について、指定本に言うところと、「学習指導要領」及び「学習指導要領解説」に言うところの比較を含めて論じて下さい。
　　　　　②指定本の「実践編１」について論評してください。その際、「実践編１」の筆者が、どのような意図を持って活動に関わっているかを読み取って、その点を踏まえて下さい。
①
　特別活動とは、学級活動・生徒会活動・学校行事等を総称したものだと教育課程では規定されており、第二次世界大戦後に時間をかけて教育課程に組み込まれ、形式上インフォーマルなものからフォーマルなものになった。
　特別活動の目標として子どもたちが市民的資質を自分たちの中に築いていくことにある。折出は、その資質のキーワードとして、「権利」・「責任」・「参加」・「自治」・「アイデンティティ」の五つをあげ、「子どもたちが問題を自主的・共同的にとらえ、その現状を意味付けながら、その解決のための取り組みの課題意識と見通しを持てるようになる」ことに教育的意義がある、と述べている（折出2008、pp22－23）。学級単位や学年単位、学校単位で起こりうる問題解決の過程で、子どもたちがその問題を自..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育指導論　第1回（1）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106621/thmb.jpg?s=s&r=1379223862&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）現在の日本の公教育において、道徳教育はどのように行われているか。
その仕組みと特徴について
そうした取り組みが、教師の道徳教育実践を支援するものになっているかどうかについて、具体的な根拠をあげながら述べなさい。
①　現在の日本の公教育での道徳教育の仕組み
公立学校における道徳教育は、学習指導要領第1章総則に記されているように、「道徳の時間を要として学校教育活動全体を通じて行うもの」である。すなわち、「各教科、総合的な学習の時間及び特別活動」を通じて行われるものであって、その中核として「道徳の時間」が置かれる。これを実施するにあたり、「道徳教育の全体計画と道徳の時間の年間指導計画」を作成する。広範なこれらを支える二つの柱は、以下のような内容である。
すなわち、全体計画として各学校の道徳教育の重点目標の設定を行い、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動における指導の内容・時期を定める。また家庭、地域社会との連携の方法も必要となる。家庭では人格形成の基本的な場である。そして地域社会での異年齢集団や異世代との交流から、学校、家庭とは異なる学びを経験できる。
これらを組織的で計画的な取..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学通論第（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106620/thmb.jpg?s=s&r=1379223861&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）世界のさまざまな地域で見られる自然環境の破壊について、テキスト第３章～第１０章の各地域のうちから二つを選び、その地域における現状と問題点とをまとめて述べよ。
熱帯地域における環境破壊
はじめに、熱帯雨林気候下でのシンガポールについて、シンガポールはマレー半島の南端に位置しており、淡路島ほどの面積を持つ。熱帯雨林気候下にあり、高温多雨である。イギリスの植民地となり、アジアニーズの一国として発展するが、かつてあった熱帯雨林の大部分が失われてしまった。1965年の独立以後、外国資本導入による工業化が推進され、急激な経済成長を遂げた。シンガポールは石油精製基地となり、造船や電気、電子などの工業が盛んである。
しかし、それにともない、環境問題もある。シンガポールは国土が狭く、人口密度が7382.0人/平方キロメートルと高く、経済活動が活発であることに起因している。
　特に水質汚染における海洋汚染が深刻である。石油精製、シンガポール港でのタンカー修理などから発生する汚染排水や、タンカーの座礁事故から排出される廃油などが原因となる。また、積極的な外国資本導入による工業化で、大気汚染も問題と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋史概説第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106618/thmb.jpg?s=s&r=1379223854&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（２）フランス・ブルボン朝の治世を例に、絶対主義について論述しなさい。
Ⅰ　親政の始まりとヨーロッパ情勢
　ルイ１４世は政務の一切を宰相マザランに委ねてきたがマザランの死後権力を自らの手中に掌握することにした。彼は「朕は国家なり」という言葉を残す一方で、「国政に思いをめぐらし、その決定をなすのは、ひとえに国の元首たる者の任務である。他のなすべきは、ただ与えられた命令を実行するのみ」と国政覚書には記している。彼はマザランの家令としてその経理の才能を認められていたコルベールに王国財政を委ねた。
　スペインは新大陸の銀を獲得でハプスブルク家の衰退はおおいがたく、神聖ローマ帝国は３０年戦争のよる打撃により、今やみるかげもない怪物に例えられるほどとなった。スペインとドイツの没落に代わってオランダとイギリス威勢を高めていた。このような時期にコルベールは後にコルベルティスムの名で知られる経済政策を展開した。フランスはそれまでも重商主義政策を推し進めてきたが国際商業におけるフランスの立ち後れは明白であった。さらに重要なことは国際商業を支える国内産業の発展であった。フランスは多様性に富んだ土地を持っ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋史概説第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106617/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:14 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106617/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106617/thmb.jpg?s=s&r=1379223854&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）ドイツにおける叙任権闘争の経緯とその結果、ドイツ史、ヨーロッパ史に与えた影響について論述しなさい。
Ⅰ　教皇権の目覚め
１０７６年ハインリヒ４世に教皇グレゴリウス７世から書面が届く。その内容はハインリヒが即位後ドイツ国内の教会改革を怠り、俗人の手による聖職叙任を禁止した四旬節公会議の決定にも関わらず、ミラノ大司教、フェルモとスポレトの司教を叙任したことを非難し、破門と廃位との威嚇の下に、ハインリヒの悔い改めを要求したものだった。直接のきっかけとしてはハインリヒが北イタリアの司教叙任を強行したことであり、この闘争を通じて「俗権による聖職者叙任」が争点をなしたばかりではなく教皇権と皇帝権の闘争自体、一つの妥協、ヴォルムスの和約へ到達した。
この闘争の背後には、教権と俗権との関係がいかにあるのか、根本的な意見の対立があったことが挙げられる。ドイツのテレンバハはその本質を「あるべき世界の秩序」をめぐる争いであったとしている。皇帝側からすると「あるべき秩序」は国王が皇帝は世俗の支配者であると同時に「塗油せられたる者」として、国内最高の司祭者でもあった。「杖と指輪」をもって国内の聖職者の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生徒・進路指導論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106616/thmb.jpg?s=s&r=1379223853&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
学校教育において生活指導（生徒指導）が果たす役割について論じるとともに、戦後日本の学校教育における生活指導（生徒指導）の位置の変化について論じなさい。その際、教科指導や特設「道徳」の時間などとのかかわりに留意すること。
生徒指導とは、本来一人一人の生徒の個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や能力態度を育成し、さらに、将来において社会的に自己実現できるような資質・態度を形成していくための指導・援助であり、個々の生徒の自己指導能力を目指すものである。（注１）生徒指導が児童生徒一人一人が心身ともに健康であり、社会の中で自己実現できるように個性の伸長を図り、社会的資質を高めることを支援するためのものである。生徒指導は一人一人の児童生徒に対して個別的に行われ、何か問題が起こってから取り組むのではなく、児童生徒が将来にわたり自己実現できるように、開発的、長期的に継続する必要がある。生徒指導の目標として「自己指導力」が挙げられる。そのためには自発性、自律性、自主性の育成が重要である。この自己指導力を育成するためには学校教育全体で行われる教育目標を達成する機能として考える必要がある。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学概論第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106614/thmb.jpg?s=s&r=1379223852&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）２０世紀以降の日本の人口変動の様相について調べ、その特徴をまとめてみよ。なお、人口に関する具体的な数値を示し、かつその出典を明記すること。
　第二次世界大戦直後、日本の人口は海外からの引き揚げ者およそ４９４万人の社会増加と、１９４６年から始まるベビーブームで１９４８年までに８０５万人余りの出生があったことで、増加した。（年次別全国推計人口（明治５～昭和３３年）『人口白書』P.121）
　しかし社会増加は１９４５年が特に高かったのみで、ベビーブームも１９４９年には収束に向かった。出生数・出生率ともに高かったベビーブームが終わると、出生数・出生率は急速に減少し、１９５７年には戦後最低の約１５７万人を記録した。（人口動態統計『人口の動向　日本と世界』P.49）
　出生率変化の特徴を調べるため、１９４７年と１９５５年のデータを比較すると、女子（母）の年齢階級別出生率で２０代の出生率低下の割合が３０％程度であるのに対して、３０代で５０％、４０代で８０％低下しており、高年齢の低下が大きい。出生順位別では、第一児から第三児の出生率はそれほど低下していないのに対して、第四児以上の出生率は大き..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会思想史　第二回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106610/thmb.jpg?s=s&r=1379223844&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会思想史、評価Ａ＋[60]<br />設題（２）１
以下のテーマのうちいずれかを選んで論ぜよ。
１８世紀後半のドイツ思想について論ぜよ。
ドイツ観念論の社会思想について論ぜよ。
　ドイツはイギリスやフランスと異なり近代化が遅れた。それは宗教戦争によりドイツの国土は荒廃し人口も激減したことからあらゆる分野において発展が遅れてしまった。しかし、人間精神は異なっていた。「上からの近代化」によりドイツの啓蒙化は進むが政治、経済の発展が滞ったため現実的生活の改革までには及ばず意識内部の改革へと向かった。その中で１８世紀の啓蒙思想はカントにより完成される。今回はカントについて考えていくことにする。
カントは「啓蒙とは何か」において、啓蒙とは人が未成熟の状態から抜け出すことであるとし、「理性の公共的使用」によって社会全体に啓蒙がもたらされると主張した。理性の公共的使用とは、「教養のある人が読者層全体に向けて自由に発言すること」である。それに対して、理性の私的使用とは、「特定の役職に就いている人の理性の使用」のこと。この場合は、上司の命令を批判する自由は制限されてよいとカントは述べている。つまり、表現の自由を通じて批判的な世論が形成される..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会公民科法第２回（学習指導案）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106608/thmb.jpg?s=s&r=1379223843&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />学習内容 
学習活動と指導上の留意 　　　　時間 
資料等 
導
　
入 福島第一原発の事故により原発への関心が高くなってきている。宿題で原子力発電所の長所と短所について調べてきてもらう。それを次の「展開」で発表してもらう。
教師が福島第一原発の事故を説明する。その際、生徒にも被害の内容を知っている範囲で答えてもらう。
例）冷温停止状態
　　津波による破損
　　放射性物質
　　などを挙げてもらう。 
１０分 教師の説明と発問、それに対する生徒の発言。 
展
　
開
ま
と
め １）原子力発電所の長所・短所
（発言例）
原子力：
＜長所＞
・安定、大量の電力
・単価が安い
・温室効果ガスを出さない。
・大気汚染の原因となる酸化物を出さない
＜短所＞
・事故が起きた際、放射能によって土壌や大気を汚染する。
・事故が起きて放射能が流出すると、人が近付けなくなり修復が困難になる。
・処理方法
ウランの残りカス「プルトニウム」を適切に処理する方法が無い。
＜事例＞原子力発電所の問題について深く考える。2011年の福島第一原発の事故によって原発の危険性が明らかになった。セシウムとは？なぜ海岸沿いに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会・公民科教育法第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106605/thmb.jpg?s=s&r=1379223836&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />設題（１）
テキスト第１編「中学校社会科の課題と実践」をすべて読んで何を学び考え、テキストからどのように今日の中学校社会科の課題を理解したのか述べなさい。
そして、その課題に答える内容の学習指導案（１時間分）の一例を作成して下さい。指導案は地理か歴史分野のいずれかを選ぶ。かならず教材（コピー可）も一枚付けて下さい。
Ⅰ　はじめに
　先進国であるがゆえに地理、歴史、の授業は主観的な、そして公民においては私たちにとって身近な問題を扱っているにも関わらず教科書では具体的な事例が挙げられていない。そのため身近で起こっていても興味、関心を持てないこともある。また、生徒参加型の授業を行うことで生徒自身が主体となって学ぶ必要がある。ここでは地理、歴史、公民科教育における課題（第Ⅱ節）を挙げ、そして子どもが自ら学ぼうとするためには教師がどのようなことに注意しなければならないか。また、テキストの実践例を基に教材選定とよりよい教材作りをするために必要なことを考えていく（第Ⅲ節）。そして最後に生徒と教師が客観的に物事を捉え、そして生徒が主体となって学習できる環境を教師が整えるためには何が必要かを考えていく..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会・公民科教育法第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106604/thmb.jpg?s=s&r=1379223835&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />設題（２）
テキスト第２編をすべて読んで、何を学び考え、また自ら今日の若者の政治・社会意識の現状と特徴を分析し、その両方から導かれる高校公民科教育の課題について述べなさい。
そして、その課題にこたえる公民科の一科目の指導案（１時間分）を作成して下さい。教材（コピー可）をかならず一枚付けて下さい。
Ⅰ　はじめに
今やグローバル化が進む中で国家主義が再び登場してくる社会になった。人権、民主主義は国家主義に抑圧されつつある。それを回避するためには公民科で人権、民主主義について学ぶ必要がある。しかしその公民科教育は、国家主義的な道徳を植え付けようとしている。また、高校公民科の授業実践を踏まえて問題の解決を導く。
Ⅱ　人権・民主主義の学習
　人権とは個人を取り巻く社会が生きる権利を保障することである。これは私たち人間が当たり前のように持っている権利である。「すべて国民は健康にして文化的最低限度の生活」を保障し、「義務教育は、これを無償とする」というものは国会に請願した結果盛り込まれていた。よって日本国憲法が押しつけではないと言うことでもある。また、情報化時代となったためマス・メディアを通じて世界がつながるようになった。情報はありふれるようにはなったが、国家や企業が巧妙に情報を操作することも可能となった。国民主権の立場から新しくできた権力に対してどう規制すべきかという視点も必要になっている。
　民主主義の重要な内容は人間の尊厳を承認するという基礎の上で個々の人間の対等平等性を主張することである。また、機構原理として機能するためには人間の自由と平等が必要である。しかし対等平等をうたっているが、経済格差や雇用不安、差別問題など人間の尊厳を揺るがすような大きな課題である。経済活動はグローバル化したことにより生活破壊や環境破壊を引き起こすことにもなった。これらから私たちは人間の尊厳、対等平等性の実現を目指して不断に努力しなければならない。
今日では国民国家を越えてＮＧＯなどの活動も大きな広がりを見せている。民主主義を守り発展させることは私たちの責任である。
Ⅲ　高校社会科教育の解体と政治介入
　戦後、社会科教育は平和で、民主主義的社会を形成する人間を育成する教科として再編される。しかし、１９５７年の第三次学習指導要領改訂では指導要領が「法的な拘束力」を持つものとされ、「道徳」を特設..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[工業論第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106602/thmb.jpg?s=s&r=1379223834&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、工業論、評価Ａ＋[54]<br />設題（２）
後進国の工業発展と技術革新について、第二次世界大戦後の日本のケースについて論じよ。また、アジアＮＩＥｓ、ＡＳＥＡＮ、中国、インドなどから最低一国を選択し、工業発展と技術革新の観点より日本のケースと比較検討し、結論を導け。
＜日本の工業発展と技術革新＞
第二次世界大戦後の日本について、戦後の日本が急速に回復した理由は朝鮮戦争に伴う、特需であった。後方補給基地として、アメリカが食料や雑貨、資材の調達、船舶・車両等の修理、などを日本で行ったため経済が活性化した。そして1955～73年の20年近くの間、日本経済は成長率が年平均10％をこえる高度成長を続け、国民総生産であるＧＮＰは、1968年に資本主義国ではアメリカにつぐ第2位の規模に達した。鉄鋼・造船・自動車・電気機械・化学などの部門が、アメリカなどの技術革新の成果を取り入れて設備を更新し、石油化学・合繊繊維などの新部門も急速に発達した。鉄鋼業の例を取ると、薄板圧延方式からストリップ・ミル方式を導入することで大量生産が可能となった。こうした薄板での量産方式の導入は自動車、家電などの耐久消費財産業への原料供給体制を築くものとなった。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経済史第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106600/thmb.jpg?s=s&r=1379223827&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、経済史、評価Ａ＋[54]<br />設題（２）第２次大戦が生じた経済的要因とは何か。第１次大戦後のドイツおよびアメリカ経済のそれぞれの状況を踏まえて論じなさい。とくに、1920年代と1930年代の両国経済のあり方を十分に比較・対照しながら、ドイツがなぜ大戦までに至ったかに留意して、この課題に取り組みなさい。
＜ドイツ経済＞
（１）第一次大戦後のドイツ経済
第一次世界大戦の敗戦国ドイツについてロンドン会議では、ドイツは１３２０億マルクもの多額の賠償金を払うよう決定した。これは天文学的な賠償金の額であり、とても払える金額ではなかった。これにより、ドイツはこの賠償金の支払いを滞らせるようになった。しかし、この賠償金の不払いによりフランスは、ドイツでも有数の工業地帯のルール地方を占領した。これによりドイツ経済は致命的な打撃を被り破綻状態となった。失業率は１０％を超えた。これに対し、政府は企業の補償と失業者の生活保護のために巨額の不換紙幣を乱発した結果、ハイパー・インフレが生じた。ドイツのハイパー・インフレが収束したのは、シャハト氏が新たにドイツの中央銀行であるレンテン銀行を設立し、そのレンテン銀行の総裁に就任してからであった。シ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育相談第１回（２）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106598/thmb.jpg?s=s&r=1379223826&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育相談、評価Ａ＋[57]<br />設題（２）カール・ロジャーズ（Carl Rogers）のカウンセリングの要点を紹介し、それらを青年期の生徒の指導に用いる場合の注意点と問題点、限界を考察せよ。
＜ロジャーズのカウンセリングとパーソナリティ理論＞
　　カウンセラーが来談者に対して指導、助言、指示を与えるのではなくカウンセラー主導の関係から来談者の能動性とした。その一方で能動性が引き出される契機として、カウンセラーの存在と役割を重視している。これを来談者中心療法という。来談者中心療法は、来談者が自己受容・自己成長により問題を解決するとした。それにはロジャーズの人間観である「自己実現傾向」があることによって説明することができる。人間は有機体として、生理・心理的発達、分化、成熟へ向かう傾向を示し、依存から独立へと発展。欲求を満たすために、自動的に調和を保つように機能する傾向を本来持っていると考えた。すなわち、人はどのような時でも自己の人間的な成長を目指す前向きな姿勢を持っているということである。来談者はカウンセリングがうまくいくと自己不一致から自己一致へと向かう。自己不一致の状態とは不適応状態のことでこれは「自己概念」が「経験」とかけ離れ固定化した時に起きる。理想的自己と現実の自己との隔たりも大きい。（注１）自己概念とは自分についての認知であり、経験は個人の内面的世界である。ここで来談者の主体的経験が尊重されて明らかにされると自分の感情を感じ取れるようになる。そして来談者が自分の経験と自己概念の不一致に気付けば自己不一致から自己一致へと変化する。
ロジャーズはカウンセラーの役割を重視した。来談者の能動性を前提としている一方来談者の能動性を引き出すためにその役割について重視している。ロジャーズはカウンセラーに共感的理解、無条件の積極的尊重（受容）、自己一致を求めた。
共感的理解とは、共感は同一化とは異なり、「あたかも」同一化しているようにみえることである。共感とは一つになることではなく、別の二つが全身で浸透しあった状態をさす。人が何かを選択し、行動する背景には、その人の理由がある。それを、ロジャーズは、「内的準拠枠」と呼んだ。相手の内的準拠枠を理解しようとしなければ、話し合いは往々にしてすれ違う。つまり共感とは、自分の中の価値判断を押し付けて相手と一つになることではなく、カウンセラーはカウンセラー、来談者..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育相談第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106597/thmb.jpg?s=s&r=1379223826&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育相談　評価Ａ＋[57]<br />設題（１）
　いじめの事実を思い浮かべつつ、思いやりがあって権威に盲従しない、しっかりした人格を形成するために、教育はどのような援助が可能か考察せよ。
　＜思いやり行動を促進する条件とは＞
　いくつかの関連性で思いやり行動が検討されてきた。まず、子どもの性や家庭での出生順位、家庭の社会経済的地位などの人口統計的変数。つぎに子どもが社交的か否かと社会的状況の中での対処能力。そして他者に対する同情や共感的反応性と関係している。またＩＱ、他者の視点取得能力などの認知的発達をあらわす能力である。最後に思いやり行動に一貫性を示しているかである。
　これらの思いやり行動を促進するには彼等を取り巻く環境が大切である。最も思いやり行動に影響を与えるのは家族である。その思いやり行動を促進するために親は誘導的なしつけをし、他者の視点、共感性、同情心を奨励する。次に友だちやクラブ、近所の人、教会、学校といった家庭外の影響である。こういった自分を取り巻く環境で相手を思いやる行動は育まれていく。
　＜権威に盲従するメカニズム＞
ミルグラム実験の実験から、約６５％の被験者たちが、隣室から聞こえる悲痛な叫びと実験..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[教育の制度経営第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106596/thmb.jpg?s=s&r=1379223825&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育の制度経営　評価Ａ＋[66]<br />設題（１）テキスト『学校経営』（小島弘道編著、2009年）の確証には、その末尾に「考えてみよう」というコラムがあります。これらを参考にしながら、日本における教育の経営と制度に関する問題や課題について、自分なりに自由にテーマをたて、テーマに即した資料や事実を探し、先行研究などを参照して、そのテーマを論じて下さい。なお、論述に際しては、冒頭の１行目に２０字以内で具体的なテーマを記し、次の１行をブランクにして、本文を書き始めて下さい。
Ⅰ　はじめに
最近教師が精神を病み休職したり、自殺をするケースが増えている。教師は人間と接する機会が多くストレスを抱えやすいと考えられる。しかし、それ以上に教師としての業務とは異なるものが多く存在していることも言える。例えば親が出来ないようなしつけを教師や学校が対応すること。また、最近では給食費の徴収を教師がやるなど教師の多忙化も挙げられる。今回は小野田正利氏の「悲鳴をあげる学校」からイチャモンをつける保護者と地域住民の問題点（第Ⅱ節）とどのように対応すべきか（第Ⅲ節）、そして地域の在り方（第Ⅳ節）を考える。最後に学校と地域がどのように今後協力していく必要が..]]></description>

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			<title><![CDATA[Q0103西洋の歴史第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949276790327@hc12/102819/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 私のリポートは全てA判定かB判定]]></author>
			<category><![CDATA[私のリポートは全てA判定かB判定の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 25 Apr 2013 15:53:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949276790327@hc12/102819/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/949276790327@hc12/102819/" target="_blank"><img src="/docs/949276790327@hc12/102819/thmb.jpg?s=s&r=1366872791&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信課程の合格済みレポートです。あくまでも学習の参考としてお使いください。各科目B判定以上です。テキストを中心にまとめています。[202]<br />テキスト『アトラティス・ミステリー』について。アトランティス伝説の解釈について３つ以上例を挙げながら、自分の解釈を論じなさい。そのうえで、なぜアトランティス伝説が人々を魅了してきたのか、テキストの内容をふまえたうえで、自身の考えを論じなさい。
　アトランティス伝説とは、紀元前四世紀の古代ギリシアの哲学者プラトンの著作である対話篇の「ティマイオス」と「クリティアス」に登場する伝説の島のことである。その中で、今から約一万二千年前に大西洋上にアトランティスという島が存在し、繁栄していたが、次第に堕落してしまい、神罰によって一昼夜にして海中に没してしまったと伝えられている。一万二千年前には、文明はまだ存在しておらず、人類はまだ石器時代の段階にあったはずであるが、アトランティスはすでに海上を支配する国家を築き、豊かな物資に恵まれながら、高度な建築技術を擁して都市を建造し、繁栄していたとされている。はたして、アトランティスは実在していたのであろうか。
　数多く存在するアトランティス伝説をめぐる諸説の中に大西洋実在説がある。この解釈は、アメリカのダンリーという人物によって広められ、大西洋東西の文明に..]]></description>

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			<title><![CDATA[08831外国史（西洋）第２分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954703356904@hc10/99796/]]></link>
			<author><![CDATA[ by slyly0078]]></author>
			<category><![CDATA[slyly0078の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 05 Jan 2013 14:11:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954703356904@hc10/99796/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954703356904@hc10/99796/" target="_blank"><img src="/docs/954703356904@hc10/99796/thmb.jpg?s=s&r=1357362689&t=n" border="0"></a><br /><br />ヨーロッパの宗教改革は，ドイツのルターから始まる。彼は，論文にローマの堕落ぶりを書き，道徳や教義上の改革を主張し，秘躊や聖者信仰を非難し，境界の指導を経ない聖書だけが真のキリスト者への道であると強調した。イギリスでは国王ヘンリー８世の，王妃キャサリンとの離婚問題が挙げられる。教皇は再婚を認めず，彼をを破門した。これに対してヘンリー８世は，議会で首長令を通過させ，国王はイングランド教会の首長であり，教皇権はこの国に及ばないと宣言した。ヘンリー８世下のイギリスにおいては，真の教義上，道徳上の宗教改革は行われなかった。その後，イギリス国教会を樹立して，ローマ教会の勢力を国外に駆逐し，教会を王権に従属させたが，次のエドワード６世の下で教会の新教化が進められた。
次のメアリー女王は，敬虔なカトリック教徒で，父ヘンリー８世以来の宗教改革を行い，カトリック復興政策を多くした。これはイギリス国教会新教徒への弾圧を伴ったため強い反発を招いた。
カルヴァンもルターのように教会ではなく聖書が最高の権威であるとした。彼は，公的な行事においては教会が指導権をとるべきであり，牧師や教師，教会の長老達からなる協議会..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[08831外国史（西洋）第１分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954703356904@hc10/99795/]]></link>
			<author><![CDATA[ by slyly0078]]></author>
			<category><![CDATA[slyly0078の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 05 Jan 2013 14:11:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954703356904@hc10/99795/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954703356904@hc10/99795/" target="_blank"><img src="/docs/954703356904@hc10/99795/thmb.jpg?s=s&r=1357362687&t=n" border="0"></a><br /><br />現代に生きるわれわれが西洋の古代と中世を学ぶ意味は何か。それは，広く西洋の政治・社会・文化を歴史的に位置付け，それが現代に生きるわれわれとどんな関わりを持っているのかを史料に基づきながら実証的に探求することである。
また，かつてヨーロッパとアメリカは世界で最も進んだ文明だった。明治以降の日本の急速な近代化は，西洋文明なくしては考えられない。それを学ぶ意味は，大いにある。その歴史を詳しく学び，どのようにして現代の社会が成り立ったのか知ることができるからだ。
古代西洋文明の残した最大の遺産といえるキリスト教。われわれは，そのキリスト教世界で標準化された暦に従って生活し，神が６日間で天地万物を創造して７日目に休んだという旧約聖書の説話に従い，週１回日曜日を休日としている。さらに，日本に生まれながら，洋服を標準的な服装とし，欧米の映画や音楽を好んで聴き，西洋を模範とした法律と政治のもとで暮らしている。朝食にはパンを食べ，英語などの西洋の言葉を学び，住居さえ洋風に建てることが主流である。
私は，こうして身近に入り込んでいる西洋の過去を学び，研究せずにはいられない。西洋の歴史を異なる文化をもつ社会..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学 2011年度 西洋法制史 第三課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/98640/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nnncap]]></author>
			<category><![CDATA[nnncapの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Nov 2012 22:17:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/98640/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/98640/" target="_blank"><img src="/docs/948219509622@hc12/98640/thmb.jpg?s=s&r=1353676671&t=n" border="0"></a><br /><br />古典法とユスティニアヌス法について[51]<br />西洋法制史　2011年度　第三課題　
古典法とユスティニアヌス法について
　古典法とは、2世紀の初葉から3世紀の中葉にわたる時代、ほぼ元首政に相当する時代のローマ法のことである。この時代には、元首の立法が確立され、その布告が法律として認められることにより、勅法という新たな制度が完成された。また、法学提要の著者ガイウス・ウルピアヌスのような著名な法学者が現れ、勅許解答権の制度によって他に類例をみない学説法としてのローマ法が生まれた。更に、法学の学派が2派同時に存在したため精密な法理論論争が展開され、多数の法学者による膨大な著作が記され、後生に多大な影響を与えた。そのような意味において、この時代はローマ法学が最も隆盛を極めた時代であった。その後、ディオクレティアヌス帝の時代には独裁君主制が確立され、次帝コンスタンティアヌス時代には、勅法は立法と分離して法律と呼ばれるようになり、学説法は旧法で、法律たる効力を有するに至った勅法は新法と呼ばれた。
　ユスティニアヌス法とは、東ローマの皇帝であるユスティニアヌス1世が編纂させたローマ法の法学である。ユスティニアヌス帝は軍事、文化の面で多大な功績を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[読む『注文の多い料理店』観る『注文の多い料理店』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95092/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 鞠文庫]]></author>
			<category><![CDATA[鞠文庫の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 19 Jul 2012 23:15:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95092/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95092/" target="_blank"><img src="/docs/949162249076@hc12/95092/thmb.jpg?s=s&r=1342707324&t=n" border="0"></a><br /><br />宮澤賢治『注文の多い料理店』の舞台上演を観劇した所感を手がかりに、用言が持つ自己表出性への、体言の持つ指示表出性への傾きが、演劇のせりふとして口にされる中でどの様に趣を異にするのか検証する。[285]<br />読む『注文の多い料理店』・観る『注文の多い料理店』
　「イギリスの兵隊のかたち」「白熊のやうな犬」「山が物凄い」など、この物語には、他の作家の作品にもみられるとは言い難いような、独特の表現が多々見受けられる。分析とは例えば、これら一つ一つの表現のもつ不可解さを、謎解きすることから始められるべきだろう。ところが私にはそのモチベーションが生まれなかった。なぜなら、私にとって、それらは謎ではなく、ただただ納得させられる表現でしかなかったからだ。
　「イギリスの兵隊のかたち」と書かれていれば「あぁ、イギリスの兵隊のいでたちだったのだ」と思い「白熊のやうな犬」と書かれていれば、「そりゃ高そうだなぁ」と考え「山が物凄い」と書かれていれば「そんなに物凄かったのか」と感じ入るだけだ。疑問を差し挟む余地がない。
　この状況は、レポートを課された大学生としては、非常に好ましくないものなのではなかろうかと、やや悩んだ。このままでは、読書感想文しか書けない。論理を発展させる可能性を感じられない。そんなとき、次の文章に出会った。
　　（筆者の住む）町は山とほぼ接しており、わたしたちは日課のように裏山へ出かけて行..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[音楽基礎Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951127332460@hc11/92408/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ゆーまま]]></author>
			<category><![CDATA[ゆーままの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Apr 2012 17:18:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951127332460@hc11/92408/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951127332460@hc11/92408/" target="_blank"><img src="/docs/951127332460@hc11/92408/thmb.jpg?s=s&r=1334391529&t=n" border="0"></a><br /><br />「クラシックの代表的作曲家と、クラシック音楽の保育・教育等の現場での活用方法について述べよ。」
クラシック音楽とは、直訳では古典的音楽であるが、一般には西洋の芸術音楽を指していう。他の音楽と比べて使われる楽器の種類が多く音域も広く、全ての音楽の基礎とされる。古典的という意味の通りその歴史は深い。にもかかわらず、現代社会の日常生活では、他国の音楽であるクラシック音楽に深く触れる機会は少ないようにも思える。だが実は、意外と身近にあり、例えばテレビのＣＭやドラマ、バラエティ番組、フィギュアスケートに使われたりしている。学校では、登下校時に流し時間を知らせたり、運動会や卒業式でのＢＧＭとして使われている。保育・教育等の現場での様々な場面で、日常的にクラシック音楽を活用していけば、子ども達が親しみを持ち、音楽への興味を持っていくことにつながっていくと考える。
以下、クラシックの代表的作曲家と、クラシック音楽の保育・教育等の現場での活用方法について述べる。
バロック音楽の時代の有名な作曲家はバッハ・ヘンデルである。バロック音楽とは、ヨーロッパにおける17世紀初頭から18世紀半ばまでの音楽である。オ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋史２ＨＣ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952724824624@hc11/88493/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shi24]]></author>
			<category><![CDATA[shi24の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Nov 2011 08:18:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952724824624@hc11/88493/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952724824624@hc11/88493/" target="_blank"><img src="/docs/952724824624@hc11/88493/thmb.jpg?s=s&r=1322608720&t=n" border="0"></a><br /><br />西洋史第2設題のレポートです。　西洋史は２０１１年からテキストが変りました。アトランティスミステリーについてのＡ判定レポートです。参考にして下さい。[220]<br />テキスト『アトランティス・ミステリー』について。アトランティス伝説の解釈について３つ以上例を挙げながら、自分の解釈を論じなさい。そのうえで、なぜアトランティス伝説が人々を魅了してきたのか、テキストの内容をふまえたうえで、自身の考えを論じなさい。
アトランティス伝説とは、史上最も有名な伝説の一つであり現代から一万二千年ほど前の太古に大西洋上に「アトランティス」という島が存在し、栄華を極めたが傲慢さゆえに神の怒りにふれ神罰によって一昼夜にして海中に没したという伝説である。これは、古代ギリシアの哲学者プラトンが前３６０年～前３５０年頃に著した対話篇「ティマイオス」「クリティアス」という２つの著書において語られている。
歴史的な定説において一万二千年前には文明は存在しておらず、人類最古の文明と位置づけられているメソポタミアのシュメール文明よりもはるか太古に「海上を支配し豊かな資源と高度な技術をもった都市国家を築き繁栄していた」とプラトンは紹介している。
世界各地には､ このアトランティスの文明の名残とされる遺跡などが多数発見されており、現在提唱されている説は約１７００説もある。そして、通常有力..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[占星術の歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78699/]]></link>
			<author><![CDATA[ by alen]]></author>
			<category><![CDATA[alenの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 06 Feb 2011 16:09:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78699/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78699/" target="_blank"><img src="/docs/953905014038@hc11/78699/thmb.jpg?s=s&r=1296976193&t=n" border="0"></a><br /><br />ギリシャ・ローマの思想と文化に基づいた占星術の歴史[75]<br />占星術の歴史
　今やどの雑誌を開いても必ず目にする占い。毎号載るものでありながら、年末や年初めに出版される雑誌で１冊まるまる特集をくまれていたりする。みな、何気なく、もしくは真剣に運勢を見る。つまり、今月はどんな１カ月なのか。年末年始であれば、来年は、今年は、どんな１年になるのか、を見るのである。そこには今後起こりうる事が書かれていて、それを見て一喜一憂したりする。
ほとんどの人が、信じる・信じないは別として、占いを見たことがあるはずである。ましてや朝の情報番組で「今日の占いは～」と放送をしていて勝手に耳に入ってくる場合もある。この点において、占いはとても私たちにとって身近なものである。占いと言ってもたくさんの種類があるが、多くの場合、西洋占星術が用いられている。では、西洋占星術はどのようにして私たちの生活に浸透していったのだろうか。
まず、占星術は英語のAstrologyの訳語であり、元々は古代ギリシャ語のAstrologiaから来ている。意味は、Astron（星）とLogos（知ること）から、星の科学という意味だ。これは天文学をさすAstronomiaと全く同じ意味である。
このこ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生活の科学Ⅰ-2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kmitukonoheya/68345/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bunntann]]></author>
			<category><![CDATA[bunntannの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 Jun 2010 11:36:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kmitukonoheya/68345/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kmitukonoheya/68345/" target="_blank"><img src="/docs/kmitukonoheya/68345/thmb.jpg?s=s&r=1276051002&t=n" border="0"></a><br /><br />通信教育のレポートです。あくまで参考にお願いします。一部変えただけや、そのまま写したりは、違反になり処罰の対象となります。生活の科学Ⅰ-2の課題「星空を観察し、星の明るさや色、星団や星雲などについてまとめなさい」に対し「夏の星空」を中心にま[356]<br />第2課題
　星空を観察し、星の明るさや色、星団や星雲などについてまとめなさい
星空といえば、一般に冬の星座が美しいと言われている。なぜなら、太平洋側の地方は、冬の間晴天の続くことが多い。また、空気が澄んでいることも多い。また、冬の星空にはたくさんの明るい星があるからである。寒いことを除けば、冬は星空を観察する良い季節であると言える。冬の星座には、オリオン座、すばる（プレアデス星団）、カシオペア座、おおいぬ座などがある。
　ここではあえて、夏の星空を中心にまとめていくことにする。理由は、今このレポートを作成している時期が、7月のはじめであり、私の誕生月でもある。それに、七夕もあり、加えて今年（平成21年）の7月22日は46年ぶりに、日本国内から見られる皆既日食の日でもある。そういう理由で夏の星空を観察することにした。
　早速、7月7日の夜、家族と共に七夕の星を観測してみようと試みることにした。七夕の星は七夕にしか見えない訳ではないがこの日は満月でもあり、夜空を見上げたいと考えたからである。私の住んでいる地域は、中心地からも外れており、夜は暗いので、天気がよければ「天の川」は月の明るさで見..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋医学と西洋医学の違い]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956497146175@hc10/65371/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まるも]]></author>
			<category><![CDATA[まるもの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 01 Apr 2010 09:55:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956497146175@hc10/65371/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956497146175@hc10/65371/" target="_blank"><img src="/docs/956497146175@hc10/65371/thmb.jpg?s=s&r=1270083353&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋医学と西洋医学の違いは、疾患や体のとらえ方です。
　西洋医学では患者の症状や訴えを聞き、様々な検査方法を用いて、考えられる病名を診断し、その病気あるいは病原菌などに対して治療方針をたてます。検査値の正常化が治療の重要なポイントとなります。薬や手術が病原菌と戦う主戦力となり、局部の病気は主にその部分だけの病変と認識され、薬や手術でその部分の治療のみに力を注ぎます。
　一方、東洋医学では、病気は体のある部分だけの病変ではなく、五臓六腑の全ての機能につながった生命体の病変としてとらえます。東洋医学の考え方としては、人間はもともと自然治癒力が備わっており、常に襲ってくる細菌やウイルスなどの病原菌と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[イスラムと西洋の価値観の相違]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53371/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53371/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53371/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53371/thmb.jpg?s=s&r=1249141369&t=n" border="0"></a><br /><br />現在、イスラームが西洋から敵意を受ける要因として、まずは以下のような西洋とイスラームの根本的な価値体系の相違が考えられる。
　西洋世界は近代化の過程で、人間の理性にもとづく価値体系・社会規範を築き上げ、宗教から脱し世俗化していく過程こそが[356]<br />　現在、イスラームが西洋から敵意を受ける要因として、まずは以下のような西洋とイスラームの根本的な価値体系の相違が考えられる。
　西洋世界は近代化の過程で、人間の理性にもとづく価値体系・社会規範を築き上げ、宗教から脱し世俗化していく過程こそが進歩だとみなすようになった。その過程で登場したのが、現在の欧米諸国が掲げる自由と民主主義という理念であった。一方、イスラームの信仰の中に生きているムスリムにとって、イスラーム規範つまり「神の法」こそが歴史的に唯一絶対の価値であり続け、人間の手による社会の進歩などは認めることはなかったため、民主主義や個人の自由といった概念に特別な価値を見出すことはなかった。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際文化振興委員会]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35708/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35708/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35708/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35708/thmb.jpg?s=s&r=1233297706&t=n" border="0"></a><br /><br />私は国際文化振興会の創設のあらすじと誕生の話である。さらに、国際文化振興会の対外事業や今までの文化交流活動について、述べていた。草創時期から戦後の発展時期までの様々な様態で文化活動をし続けていることについて考察している。
　まず、国際文化交[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[★『デカルト・西欧哲学』　について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961892812145@hc08/35278/]]></link>
			<author><![CDATA[ by northcircular]]></author>
			<category><![CDATA[northcircularの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 29 Jan 2009 12:45:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961892812145@hc08/35278/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961892812145@hc08/35278/" target="_blank"><img src="/docs/961892812145@hc08/35278/thmb.jpg?s=s&r=1233200759&t=n" border="0"></a><br /><br />『デカルト･西欧哲学』　について
　　　　　　　　　　　　
　　
『デカルト･西欧哲学』について　　　　
　映画マトリックスで語られる「実はコンピューターの見せる夢で
した」という話、起源をたどると17世紀のデカルトの言葉「我思う[336]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋医学と西洋医学の違い]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962433310714@hc08/21266/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cherish_05]]></author>
			<category><![CDATA[cherish_05の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 May 2008 23:10:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962433310714@hc08/21266/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962433310714@hc08/21266/" target="_blank"><img src="/docs/962433310714@hc08/21266/thmb.jpg?s=s&r=1209996611&t=n" border="0"></a><br /><br />西洋医学と東洋医学の違い
　西洋医学と東洋医学の違いとは何だろうか。西洋医学と東洋医学では、どちらも「病気を治す」という目的においては同じであるが、病気に対する考え方やとらえ方は大きく異なっている。まず、西洋医学では病気の原因を「悪」ととら[358]<br />]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[オリエンタリズム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430756801@hc06/6982/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chiroru]]></author>
			<category><![CDATA[chiroruの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 16 Feb 2006 20:55:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430756801@hc06/6982/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430756801@hc06/6982/" target="_blank"><img src="/docs/983430756801@hc06/6982/thmb.jpg?s=s&r=1140090919&t=n" border="0"></a><br /><br />私は、二回目の読書課題であるＲ・ベネディクト『文化の型』で気になる文を見つけたのでそれについて述べていきたい。まずは、その部分を引用する。
「白人たちは別の経験をしてきた。白人は&ldquo;外人&rdquo;にけっして会わなかった。あれの会う&ldquo;外人&rdquo;は、すでに[356]<br />　
私は、二回目の読書課題であるＲ・ベネディクト『文化の型』で気になる文を見つけたのでそれについて述べていきたい。まずは、その部分を引用する。
「白人たちは別の経験をしてきた。白人は&ldquo;外人&rdquo;にけっして会わなかった。あれの会う&ldquo;外人&rdquo;は、すでに西洋化した人であった。白人は旅行しても、コスモポリンタン なホテル以外では泊ることなく世界をまわってしまう。かれは自分のやり方以外の生活のしかたに、ほとんど無知である。かれが周囲に見出すみかけ上の慣習の単一性は、そうおもいこませるに十分なほど存在していて、その単一性が歴史的偶然の結果だという事実をかくしてしまうのだ。白人は人間性一般とかれ自身の文化の基準の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋における道徳教育の歴史的変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431673501@hc05/3801/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lka9i3ak]]></author>
			<category><![CDATA[lka9i3akの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 10 Dec 2005 20:58:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431673501@hc05/3801/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431673501@hc05/3801/" target="_blank"><img src="/docs/983431673501@hc05/3801/thmb.jpg?s=s&r=1134215914&t=n" border="0"></a><br /><br />　道徳は人間相互の関係を律する社会規範であり、しかも社会規範である法や習慣とは異なり、個人の良心あるいは自己責任の意識によって保たれる独自性を持つ。内面的自覚、自主的に選択し実践する能力を道徳性といい、その道徳性の発達を目指す営みが道徳教育[360]<br />道徳は人間相互の関係を律する社会規範であり、しかも社会規範である法や習慣とは異なり、個人の良心あるいは自己責任の意識によって保たれる独自性を持つ。内面的自覚、自主的に選択し実践する能力を道徳性といい、その道徳性の発達を目指す営みが道徳教育である。人が集まり集団が形成されると、有形・無形のルールが形成される。新しく集団に入る人はそのルールを学ぶ必要があり、すでに属している人はそのルールを積極的に教えようとする。人が社会集団を形成して生活するようになった時から、先行世代と後続世代の間で日常的に行われてきたものである。人間が人間らしくあるために道徳は必須であり、その教育はどのように行われてきたのか。西洋における変遷について記述する。
西洋における道徳教育思想の起源は、紀元前5世紀に求めることができる。「徳の教師」と自称するソフィストたちが、すぐれた市民になるための徳を授けようとした。「徳は教えられるか」という問題について、ソフィストの代表者とも言えるプロタゴラスは世の中の人々の憤りや懲罰や叱責が存在するという事実に注目し、徳は教えられると主張した。それに反してソクラテスは、物事を教えるために..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[文化人類学から見た妖術―日本の憑きもの信仰について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3428/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 26 Nov 2005 02:35:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3428/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3428/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/3428/thmb.jpg?s=s&r=1132940154&t=n" border="0"></a><br /><br />１．妖術とは

　妖術の英語の原名はwitchcraft(ウィッチクラフト)である。ここでのwitch(ウィッチ)とは中世ヨーロッパにおける「魔女裁判」でやり玉にあげられた人々である。日本では「魔女」や「魔法使い」と訳されることが多いが、人[318]<br />西洋地域史Ⅰ補足レポート　　2005/07/29
文化人類学から見た妖術―日本の憑きもの信仰について
妖術とは
　妖術の英語の原名はwitchcraft(ウィッチクラフト)である。ここでのwitch(ウィッチ)とは中世ヨーロッパにおける「魔女裁判」でやり玉にあげられた人々である。日本では「魔女」や「魔法使い」と訳されることが多いが、人類学の分野では「妖術師」という訳語を使っている。呪術と妖術は似ているが、本質的には大変異なった特色をもつものであるので、本稿では呪術ではなく、妖術という用語を用いていく。
　そこでまずヨーロッパにおける妖術師について歴史的に探ってみると、その発達は13世紀のことであり、教会は神の対立物としての悪魔の存在を公認し、これに対する闘争を開始することになった。その結果、悪魔と交通することによって有害な魔力を得たものと疑われた女性たちが、妖術師のレッテルを貼られて火あぶりにされたのである。
しかし魔女裁判が狂信的、かつ組織的な形を取るに至ったのは1480年代以後のことだった。これ以後になると、妖術師とはさまざまな方法によって周囲の人を病気にしたり、死亡させたり、財産..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[西洋で生まれた科学技術の特徴と日本の自然観を比較する]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431684601@hc05/3310/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kurukuru]]></author>
			<category><![CDATA[kurukuruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 21 Nov 2005 18:25:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431684601@hc05/3310/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431684601@hc05/3310/" target="_blank"><img src="/docs/983431684601@hc05/3310/thmb.jpg?s=s&r=1132565103&t=n" border="0"></a><br /><br /> 西洋で生まれた科学技術の特徴と日本の自然観を比較する
　西洋では17世紀の科学革命によって宇宙観や思想が一新された。当時は自然研究に宗教的な動機が伴っていたのである。その動機とは、ユダヤ・キリスト教にみられる「神の世界創造」つまり神が世[350]<br />西洋で生まれた科学技術の特徴と日本の自然観を比較する
西洋では17世紀の科学革命によって宇宙観や思想が一新された。当時は自然研究に宗教的な動機が伴っていたのである。その動機とは、ユダヤ・キリスト教にみられる「神の世界創造」つまり神が世界（自然）を作ったので、自然を通して神を理解しよう（＝自然神学）というものであり、18世紀後半、その仮説が不要になっても近代科学は自然神学の延長であった。
しかし近代科学では人間が自然を超越し、支配しようとしていた。神が創ったために神と同等であるとされた自然を超越するということは、完全に神の存在を自然から切り離したから可能になったのだろう。近代自然哲学者（＝科学者）は、自然の研究は神から与えられた「自然という書物」を読み解くことと考えた。これは宗教的動機に基づいていたと言える。それはこの時点では、まだ科学技術とキリスト教（神）の複雑な関係があったのだ。それはガリレオの弾劾に見て取ることができるだろう。
今日西洋の「科学技術」は神への信仰と自然探求を完全に切り離し、宗教的動機が消え、人間の進歩のために利用するようになった。聖俗革命では「神－自然－人間」という..]]></description>

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