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		<title>タグ“西洋法”の公開資料</title>
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		<description>タグ“西洋法”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[勅法Ｌｅｇｅｓと学説法Ｌｕｓについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958936071063@hc09/67518/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rindberg21]]></author>
			<category><![CDATA[rindberg21の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 May 2010 20:06:21 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958936071063@hc09/67518/" target="_blank"><img src="/docs/958936071063@hc09/67518/thmb.jpg?s=s&r=1274267181&t=n" border="0"></a><br /><br />１．初代ローマ皇帝アウグストゥスは、不安定な共和制にピリオドを打ち、元首政を開始したが、形式の上では共和制的支配を崩さずに「法による支配」を確立した。このような社会の中で、法学は国家権力と結合し、最盛期を迎えることとなった。
　この時代の法学を特徴づけるものは、解答権の制度と、学派の対立である。解答とは、「特定の学者に付与された、解答を与えることのできる地位」のことである。しかし、この解答権を持つ法学者の解答も、なんら法的拘束力を持つものではなかった。
　学派の対立については、アウグストゥス帝時代からハドリアヌス時代まで続いた。学派の対立とは、共和主義的なプロクリアヌス学派と体制派のサビーヌス学派の対立であった
が、具体的な法律問題での立場の違いによるもので、師弟関係を重視するローマ的なやり方に基づいており、理論的・思想的な背景は重要ではなかった。
　２．その後の五賢帝の時代に、解答権が制度的に完成するに至る。つまり、前時代においては、法的拘束力を持たなかった法学者の解答は、解答権を持つ法学者の意見が一致することによって法としての効力を持つこととなった。このように、法学者の学説は「学..]]></description>

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			<title><![CDATA[ローマ法継受]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958936071063@hc09/67517/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rindberg21]]></author>
			<category><![CDATA[rindberg21の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 May 2010 20:06:19 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958936071063@hc09/67517/" target="_blank"><img src="/docs/958936071063@hc09/67517/thmb.jpg?s=s&r=1274267179&t=n" border="0"></a><br /><br />１．ローマ帝国においては、古代においては例外的に取引が活発に行われ、その取引にまつわる紛争とその解決方法についての先例が積み重ねられ、それらは６世紀に皇帝ユスティニアヌスの命により「ローマ法大全」として集大成された。ローマ帝国滅亡後の中世ヨーロッパにおいてはローマ法が使われることが多かったが、このことは、ローマ法が実際の紛争を解決できる法であったからであり、「ローマ法は、帝権の故にではなく、理性の力によって継受された」とも言われている。
２．ローマ法の継受は３期に区分することができる。①中世初期のゲルマン部族法におけるローマ卑俗法の継受②１５～１６世紀の中世イタリアの普通法（注釈学派、後期注釈学派によって加工されたローマ法）の継受③１９世紀のパンデクテン法学によるローマ法の継受（後期継受）である。
ローマ法の継受は、中世の帝国がローマ帝国を承認したものとする考え方に基づき、法学者がユスティニアヌス法典を「書かれた理性」とみて、法的問題解決のよりどころとしたことにある。
３．中世ローマ法学の成果は広くヨーロッパ全体に影響を及ぼしたが、なかでもドイツでのローマ法の浸透・同化の過程は「継受..]]></description>

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