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		<title>タグ“英語圏”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[「英語的思考」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12062/]]></link>
			<author><![CDATA[ by king01]]></author>
			<category><![CDATA[king01の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Dec 2006 20:18:00 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12062/" target="_blank"><img src="/docs/983430385501@hc06/12062/thmb.jpg?s=s&r=1166095080&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　　　　　　　　　　「英語的思考」を読んで
言語が異なれば、思考も異なるのではないか。以前から私はこのような疑問を抱いていた。その疑問に対しての手がかりになりそうなのがこの本である。九つの章から成り立っているが、私が興味をもった四つの章[358]<br />　　　　　　　　　　　　「英語的思考」を読んで
言語が異なれば、思考も異なるのではないか。以前から私はこのような疑問を抱いていた。その疑問に対しての手がかりになりそうなのがこの本である。九つの章から成り立っているが、私が興味をもった四つの章を要約し、感想を述べていきたいと思う。
第一章は「雄弁こそ金、沈黙は&hellip;&hellip;」である。このタイトルは日本のことわざ「沈黙は金、雄弁は銀」と対照的になっており、日本語と英語におけるコミュニケーションの捕らえかたの違いを示唆しているようにもとれる。ここでは、英語圏の子供たちは幼い頃から自分の考えをはっきりいう事は生きていくうえで極めて重要なことと言い聞かせられていることがうかがえる。アメリカでは、学校の科目で「演説法」というものが設けられているほどである。
アメリカ人のコミュニケーション能力の高さは日本人にはない特徴として着目していたが、学校教育でそのような取り組みがなされているとは思わなかった。ここに日本と英語圏のコミュニケーションに対する意識の違いが見て取れると思う。
第二章は「個人主義と集団主義」である。「個人主義」は日本では利己的、英語圏では「自立的..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本人はなぜ英語が出来ないか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/507/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 19:18:44 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/507/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/507/thmb.jpg?s=s&r=1119349124&t=n" border="0"></a><br /><br />　鈴木孝夫氏の「日本人はなぜ英語ができないか」という本は、著者の主張や、その理由などは当たり前のことを述べているのだろうが、その当たり前のことこそが、大事なことであり、私としては驚きの連続と、納得と、そして自分自身に言われているような痛みを[360]<br />「日本人はなぜ英語ができないか」を読んで
平成１５年１１月１０日
　鈴木孝夫氏の「日本人はなぜ英語ができないか」という本は、著者の主張や、その理由などは当たり前のことを述べているのだろうが、その当たり前の事こそが、大事なことであり、私としては驚きの連続と、納得と、そして自分自身に言われているような痛みを感じた。
　その題名から私は、どうすれば英語が出来るようになるのか、といった内容だと思っていたが、実際はそれだけではなく、今では「国際語」と言われている英語教育の場において、何が必要なのか、などが記されていた。繰り返し登場する筆者の主張は、「受信型な教育ではなく、発信型の教育を」というものと、「日本と諸外国の間に見られる、言語情報の流れの不均衡を是正されるべき問題である」ということである。
　私が最も痛感させられたのが、「受信型な教育ではなく、発信型の教育を」と言う点である。今までの英語教育は、外国（アメリカなど）の文化を積極的に取り入れ、日本人である文化を捨て、外国の真似をするというものだったが、国際交流に最も大切なのは、自分の母国である日本に愛情と自信を持ち、日本を外国に発信させるこ..]]></description>

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