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		<title>タグ“芸術学”の公開資料</title>
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		<description>タグ“芸術学”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[浮世絵の歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429041701@hc07/13744/]]></link>
			<author><![CDATA[ by osa]]></author>
			<category><![CDATA[osaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 26 May 2007 05:14:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429041701@hc07/13744/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429041701@hc07/13744/" target="_blank"><img src="/docs/983429041701@hc07/13744/thmb.jpg?s=s&r=1180124099&t=n" border="0"></a><br /><br />浮世絵は庶民の風俗を捉えた絵画である。 その誕生は桃山初期、戦乱が終わり安定した 世の中へ移っていく時代である。それまでの 上から庶民を見下した形で描かれた風俗画と は違い、庶民の視点から描かれている。これ は、庶民でも生活を楽しむ余裕を持[350]<br />浮世絵は庶民の風俗を捉えた絵画である。 その誕生は桃山初期、戦乱が終わり安定した 世の中へ移っていく時代である。それまでの 上から庶民を見下した形で描かれた風俗画と は違い、庶民の視点から描かれている。これ は、庶民でも生活を楽しむ余裕を持てる者が 増え、絵が娯楽の一つになったためと考えら れる。
初期浮世絵のはじまりは『伊勢物語』など 木版本の挿絵で、技術的には未熟で単色摺り の摺り自体も粗い物であった。江戸時代にな ると、これらの挿絵が次第に一枚の絵として 発展し、書物の一部としてではなく純粋に絵 を楽しむための一枚絵として出版されるよう になった。後に、多色摺りが可能になり、よ り高度な彫や摺の技術が生み出された。多色 摺り浮世絵版画は、江戸大衆文化の発展とと もに、世界でも類を見ないほどの高レベルな 印刷技術へと進化していったのである。
【浮世絵の歴史】　　　　　　　　　　　　&lt;400&gt;
―初期―
明暦の大火ごろから宝暦の頃までをさす。 初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色摺り（墨 摺絵）が主である。この頃、木版画の原図を 描く者を版下絵師といい、その中で絵本や浮 世草子に挿絵を描..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[今日の美学に求められていること]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430123601@hc06/9875/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marijb]]></author>
			<category><![CDATA[marijbの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 Jul 2006 15:58:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430123601@hc06/9875/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430123601@hc06/9875/" target="_blank"><img src="/docs/983430123601@hc06/9875/thmb.jpg?s=s&r=1153378692&t=n" border="0"></a><br /><br />これらの弊害と歪みは、&ldquo;首尾一貫した&rdquo;合理性の信仰という点で過去のそれとは根本的に異質なものである。例えば、科学還元主義的な立場に立脚する原子核物理学や分子生物学が、技術・経済・産業・医療などの分野へ経済優先の視点だけで安易に応用されると、[360]<br />　今日、近代科学文明の頂点に立っているはずの我々は、&ldquo;倫理観・正義感・寛容性・環境意識&rdquo;など人間性の根本にかかわる課題、いわば人間存在の真実についての認識の欠如が、環境・社会・政治・経済などの未来に、一向に先が見定まらない&ldquo;不安の影&rdquo;を投げかけている。
だから、人間存在の根本にかかわる「美の存在」とそれを「評価する感性」を考察対象とする美学が、我々の未来に対して必ずしも無力だとは言い難いのではないか？これからの美学には何が出来るのか？を考える。
そもそも美学とは、鬼丸義弘著『字動画のロゴス』(系草書房)によると、子供の画の発達段階には&ldquo;三つの画期&rdquo;があるという。
第一期は&ldquo;描かれたものが、大人の目に何を現しているのかわからない時期&rdquo;、第二期は&ldquo;描かれたものが何を現すかおおよそ大人の目にも分かるようになるが、その描き方が普通の大人の描き方と非常に違っている時期&rdquo;、第三期は&ldquo;ほぼ一般の大人が常識的にもっている普通の描き方かそれに近い仕方で描く時期&rdquo;と言っている。この三つの画期には科学的・合理的・発達史観的な価値評価を当てはめることができないことである。
我々の美意識の原点とも言える、これら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[&ldquo;The Dream of the father of the piano&rdquo;]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5514/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marierock]]></author>
			<category><![CDATA[marierockの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 19 Jan 2006 23:40:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5514/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5514/" target="_blank"><img src="/docs/983431336301@hc05/5514/thmb.jpg?s=s&r=1137681633&t=n" border="0"></a><br /><br />Gravicembalo col piano e forte; this is the proper name of an instrument that is called piano today. Of course, there we[120]<br />&quot;The Dream of the father of the piano&quot;
Gravicembalo col piano e forte; this is the proper name of an instrument that is called piano today. Of course, there were the precursors to the piano. The representatives of those were the dulcimer, the clavichord, and the harpsichord. After they had invented, a musical instrument technician in Italy, Baltolomeo Cristofori, invented gravicembalo col piano e forte. His work, piano, is well known to everyone however the person, Baltolomeo Cristofori is not k..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ピエタに描かれたベッリーニ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428899801@hc07/14595/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rythemelody]]></author>
			<category><![CDATA[rythemelodyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 06 Nov 2007 00:09:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428899801@hc07/14595/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428899801@hc07/14595/" target="_blank"><img src="/docs/983428899801@hc07/14595/thmb.jpg?s=s&r=1194275360&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
多くの絵画の中から一つの絵画を選ぶにあたって、以前から興味があり、きちんと学びたいと思っていたキリストの死について描かれている宗教画を探した。これについての絵画はいくつかあったが、自分自身の中でもっとも興味を持っていたテーマが含[356]<br />はじめに
多くの絵画の中から一つの絵画を選ぶにあたって、以前から興味があり、きちんと学びたいと思っていたキリストの死について描かれている宗教画を探した。これについての絵画はいくつかあったが、自分自身の中でもっとも興味を持っていたテーマが含まれている絵画を見つけることができた。それが初期ルネサンス、ヴェネツィア派のジョヴァンニ・ベッリーニの「ピエタ（聖母と聖ヨハネに支えられる死せるキリスト）」である。この作品を題材とし、まず、ジョヴァンニ・ベッリーニとヴェネツィアの宗教性、ピエタの意味とその背景、そして聖母マリア・キリスト・聖ヨハネの関係、結論という形でレポートを進め、ベッリーニとこの絵画が絵画の中で深い関係を作っていることを明らかにしていく。
ジョヴァンニ・ベッリーニとヴェネツィアの宗教性
ジョヴァンニ･ベッリーニはヴェネツィア派の巨匠であり、イタリア出身で初期ルネサンス、ヴェネツィア派の始祖であるヤコボ・ベッリーニの子（正妻の子ではない）で、ヴェネツィア派のジョルジョーネやティツィアーノなどの師である。
初期にはドナッテロや義兄弟であったマンテーニャの影響を受け、テンペラを用いた絵画..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ジャズミュージックの発達史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428392101@hc07/14437/]]></link>
			<author><![CDATA[ by あしゅ]]></author>
			<category><![CDATA[あしゅの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Oct 2007 00:47:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428392101@hc07/14437/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428392101@hc07/14437/" target="_blank"><img src="/docs/983428392101@hc07/14437/thmb.jpg?s=s&r=1191944873&t=n" border="0"></a><br /><br />＜ジャズの発達史＞
ジャズは、ルイジアナ州ニューオリンズで生まれた。世界中の民族や文化が集まるニューオリンズは、黒人や白人、またクレオールなどの音楽文化が混在していた。彼らの音楽に、ヨーロッパやアフリカの伝統音楽の要素が加わり、独特の新しい[358]<br />＜ジャズの発達史＞
ジャズは、ルイジアナ州ニューオリンズで生まれた。世界中の民族や文化が集まるニューオリンズは、黒人や白人、またクレオールなどの音楽文化が混在していた。彼らの音楽に、ヨーロッパやアフリカの伝統音楽の要素が加わり、独特の新しい音楽表現として生まれたのがジャズである。1917年には、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドによる史上初のレコードが録音、発売され、1920年、新たにジャズの拠点となったシカゴでは、ルイ・アームストロングが第1期黄金時代を築いた。1930年代中頃、大恐慌による不況時代から徐々に景気が回復してくると、人々は明るく軽快な音楽を求めはじめ、ダンス・ホールを拠点にスイング・ジャズが台頭した。当時のスイング・ブームの立役者は、ベニー・グッドマンをはじめアーティー・ショウらの白人バンドが中心だった。幅広い層に熱狂的に受け入れられたスイングは、アメリカの象徴的音楽として、ジャズを広く大衆に定着させた。1940年代初頭にミュージシャンたちが繰広げたニュー・スタイルがビバップである。ビバップは、メロディやハーモニーやリズムの面に革新的なアイディアを導入して、後..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[モネ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428560701@hc07/14203/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gla0323]]></author>
			<category><![CDATA[gla0323の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 29 Jul 2007 23:51:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428560701@hc07/14203/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428560701@hc07/14203/" target="_blank"><img src="/docs/983428560701@hc07/14203/thmb.jpg?s=s&r=1185720672&t=n" border="0"></a><br /><br />芸術学レポート課題
　国立新美術館で現在開かれているモネの展覧会に行って来ました。入場までの長い列を抜けて展示場へ入ると、そこにはさらに多い人の群れと講義でとりあげられていたモネの絵の数々がありました。その中でもひときわ人々が注目していた作[358]<br />芸術学レポート課題
　国立新美術館で現在開かれているモネの展覧会に行って来ました。入場までの長い列を抜けて展示場へ入ると、そこにはさらに多い人の群れと講義でとりあげられていたモネの絵の数々がありました。その中でもひときわ人々が注目していた作品がありました。
その絵は、モネ展のポスターにもなっていた日傘をさした女性の絵でした。構図は、日傘の女性が丘の上から見下ろしており、顔はほとんど描いてありませんでした。私は、このような構図をとることによって、強い影を女性の上半身に作ることができ、そのため顔を描く必要がなく、顔を描かないことによってモネの人物も風景のように描くという思想にかなったものになるのだ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自由の幻想とイデオロギー]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429919101@hc06/14110/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kana0314]]></author>
			<category><![CDATA[kana0314の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jul 2007 00:24:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429919101@hc06/14110/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429919101@hc06/14110/" target="_blank"><img src="/docs/983429919101@hc06/14110/thmb.jpg?s=s&r=1184945095&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　　　　　　　　　「自由の幻想」とイデオロギー
「自由」とは、他のものから拘束・支配を受けないで、そのもののあるがままにある事を言う。タイトルの「自由の幻想」とは、自由とは所詮幻想にすぎない、幻想の中でしか自由は成り立たない、自由とはあ[358]<br />　　　　　　　　　　　「自由の幻想」とイデオロギー
「自由」とは、他のものから拘束・支配を受けないで、そのもののあるがままにある事を言う。タイトルの「自由の幻想」とは、自由とは所詮幻想にすぎない、幻想の中でしか自由は成り立たない、自由とはありえないものだということを意味しているに違いない。わたしはそう考える。
このフィルムは、イデオロギーだらけである。自分がイデオロギーの中に閉じ込められているのも気づかない幸せそうな登場人物しかでてこない。そしてその登場人物たちは、私たちが考えるところの「常識」をことごとく覆してくれるのだ。たとえば、男が一人、公園で遊ぶ少女たちのところへやってきて、「すばらしい写真をみせてあげよう」と数枚の写真を渡す。少女たちはその写真を持ち帰り、両親にみせる。すると両親はその写真をみてこう言う。「なんて猥褻な写真だ！」と。こちらにはその写真に何がうつっているのか一切わからない。散々罵ったあとに、ようやくその写真がカメラにうつると、その写真がどれほど「ハレンチ」で「卑猥」で「猥褻」なものなのかと期待していた我々はそれをみてハッとするのだ。そう、そこには一般的に言われる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私にとって「私」とは」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428587101@hc07/14078/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kat_tun]]></author>
			<category><![CDATA[kat_tunの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 Jul 2007 17:11:12 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428587101@hc07/14078/" target="_blank"><img src="/docs/983428587101@hc07/14078/thmb.jpg?s=s&r=1184746272&t=n" border="0"></a><br /><br />私にとって「私」とは
「私」とはなんなのか？
私は何度かこのテーマを考えたことがある。普段の繰り返しの生活や些細なことで落ち込んだとき、私の存在を考え、自問自答する。そこには「問う私」と「問われる私」が存在する。「問う私」は「問われる私」に[356]<br />私にとって「私」とは
「私」とはなんなのか？
私は何度かこのテーマを考えたことがある。普段の繰り返しの生活や些細なことで落ち込んだとき、私の存在を考え、自問自答する。そこには「問う私」と「問われる私」が存在する。「問う私」は「問われる私」に対し、質問を繰り返す。一方で「問われる私」は懸命にこの問題に対し答えを見つけ出そうと考える。この中には「問う私」と「問われる私」の二つの関係で成り立っている。「問われる私」とは「私」そのものである。社会学の研究者であるＧ．Ｈ．ミードはこれを主我といった。これに対して「問う私」とは、自己の中に取り入れられた、他者の視点からの「私」であり、これを客我といった。「私」という一つの肉体の中主我と客我という二つの意識生まれ対立しているのだ。
そして日々の生活の中で自分の考えていることが自分の感じていることとずれていると感じることがある。「やらなければならない」と頭では考えていても、「やりたくない。遊んでいたい」と思ってしまったり、「他人に気を遣わなければ」と考える一方で「面倒くさい。どうでもいい」と心のどこかで思ってしまっている「私」がいる。そんな時、自分の心..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[葛飾北斎と歌川広重]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428618301@hc07/14027/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cruloop]]></author>
			<category><![CDATA[cruloopの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 13 Jul 2007 13:04:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428618301@hc07/14027/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428618301@hc07/14027/" target="_blank"><img src="/docs/983428618301@hc07/14027/thmb.jpg?s=s&r=1184299484&t=n" border="0"></a><br /><br />歌川広重と葛飾北斎
小学生の時に 永谷園 のお茶づけ海苔に入っていたオマケ、歌川広重の＜東海五十三次＞を集めるのがきっかけで、美術にあまり縁のない僕でも広重の作品は鑑賞することがありました。そして、後期の授業を振り返って、広重とならんで浮世[354]<br />歌川広重と葛飾北斎
小学生の時に 永谷園 のお茶づけ海苔に入っていたオマケ、歌川広重の＜東海五十三次＞を集めるのがきっかけで、美術にあまり縁のない僕でも広重の作品は鑑賞することがありました。そして、後期の授業を振り返って、広重とならんで浮世絵の巨頭として、その作品の迫力が今でも心に残っている葛飾北斎の２人をとりあげようと思います。
２人が描いた作品のなかで北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海五十三次」の２つの風景版画は、個人的には「浮世絵といえばこの二作品」というくらい美しく有名な作品だと思います。実際授業で浮世絵版画の工程をみたときに、彫師、絵師、摺師の技によって美しい「富嶽三十六景・凱風快晴」が完成していくのを見たときは感動でした。
これら風景版画は浮世絵の題材の中でも、人気のあったカテゴリーだと言われています。２人の絵師が活躍した江戸後期は、お伊勢参りなど、一種の旅行ブームであったのが関係しているようです。その中でこれらの浮世絵は、今でいう旅行ガイドブックや名所案内のような役割を果たしていました。そのため、両作品に描かれている風景も東海道や江戸・京都など似たような場所が多く、北斎..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[松林図屏風と狩野派]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428618301@hc07/14026/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cruloop]]></author>
			<category><![CDATA[cruloopの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 13 Jul 2007 12:58:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428618301@hc07/14026/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428618301@hc07/14026/" target="_blank"><img src="/docs/983428618301@hc07/14026/thmb.jpg?s=s&r=1184299135&t=n" border="0"></a><br /><br />松林図屏風と狩野派
前期授業の中で最も印象に残った作品、長谷川等伯の松林図屏風を取り上げようと思う。この作品は縦156.0・横347.0cmの紙本墨画で、六曲一双の屏風である。描かれたのは桃山時代・１６世紀末で、作者は長谷川等伯。
桃山時代[332]<br />松林図屏風と狩野派
前期授業の中で最も印象に残った作品、長谷川等伯の松林図屏風を取り上げようと思う。この作品は縦156.0・横347.0cmの紙本墨画で、六曲一双の屏風である。描かれたのは桃山時代・１６世紀末で、作者は長谷川等伯。
桃山時代の絵画を代表するのは、狩野永徳を中心とする狩野派一門である。永徳は障壁画や屏風など、大画面に巨大な松や動物を豪快な筆さばきで描くという桃山時代絵画様式を完成させたとされている。「檜図屏風」に代表される豪胆で迫力ある絵画表現は当時の武将達に好まれ、信長の安土城障壁画をはじめ多くの絵画制作を行い、一門は隆盛を極めた。それらの絵画は寺院の書院などにも取り入れられるほどになるが、しかしその中で時代の流れに逆らうかのようにまるで別の空気を漂わせている作品がこの松林を描いた水墨画、「松林図屏風」であり、作者は巨大な狩野派に単身挑み、画壇の双璧を築いた一匹狼・長谷川等伯である。水墨画という手法の性格もあるだろうが、永徳らの華美な世界とは正反対の自然の静寂がある。等伯の故郷、能登の浜を題材にしたといわれる松林図はこの時代からみて異質なものであったといえるだろう。
松..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ローマの休日はなぜ現代においてなお愛され続けるのか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13892/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jo_dam]]></author>
			<category><![CDATA[jo_damの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jun 2007 04:04:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13892/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13892/" target="_blank"><img src="/docs/983429023001@hc07/13892/thmb.jpg?s=s&r=1182798264&t=n" border="0"></a><br /><br />ローマの休日はなぜ現代においてなお愛されるのか
いつの時代においても人々に愛されるものには共通点がある。それは、それが独自性と絶対性を持っているということである。そのどちらかが欠けていても普遍的に愛されるものは生まれ得ない。そういったものは[358]<br />ローマの休日はなぜ現代においてなお愛されるのか
いつの時代においても人々に愛されるものには共通点がある。それは、それが独自性と絶対性を持っているということである。そのどちらかが欠けていても普遍的に愛されるものは生まれ得ない。そういったものは、独自性と絶対性を持ち合わせているがゆえに必然的に新しい価値観を創り、多くのフォロワーを生み出す。ローマの休日は、新聞記者と王女との一日だけのラブストーリーを描いた作品で、その作品が誕生した当時、斬新な物語であったのは違いないが、斬新であったがためにそれ以降同じような設定であったり、演出がされた作品が世にあふれ、現代を生きる僕たちにとっては決して目新しさを感..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[吉増剛造]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13891/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jo_dam]]></author>
			<category><![CDATA[jo_damの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jun 2007 04:00:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13891/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13891/" target="_blank"><img src="/docs/983429023001@hc07/13891/thmb.jpg?s=s&r=1182798028&t=n" border="0"></a><br /><br />吉増剛造
これまで詩に対する興味などほぼ全くといってよいほど無かったし、当然詩人と名乗る（呼ばれる）人たちに対しても同じであった。詩や詩人と聞いただけで胡散臭く聞こえるためだ。というのも、これまで読んだことのある詩といえば小学生や中学生のこ[358]<br />吉増剛造
これまで詩に対する興味などほぼ全くといってよいほど無かったし、当然詩人と名乗る（呼ばれる）人たちに対しても同じであった。詩や詩人と聞いただけで胡散臭く聞こえるためだ。というのも、これまで読んだことのある詩といえば小学生や中学生のころに教科書で読んだものや、雑誌などで掲載されていたものを流し読みしたものくらいなのであるが、何せ理解できない。理解できないというのは、そこにある文章、または単語としての意味は当然理解できるのだが、それが優れている意味が全くわからないのだ。音楽にしろ映画にしろ小説にしろ、優れていると言われているものの優れていると言われる理由は何となく理解できるのだが、詩はこれがうまくいかない。勿論詩の文脈に対して無知なせいも多分にあるのだろうが、それにしても詩を鑑賞するということは結局詩を読む（これがどの程度の「読む」なのかはわからないが）ことであり、その行為を行うことによってある程度の優れていると言われている所以のようなものが伝わってきた経験がない。詩に対する評論や読み方について書かれた文章も何度か読んだことがあるが、それさえもよく理解できなかった。どの単語、文が何..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ワイルド・アットハート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13890/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jo_dam]]></author>
			<category><![CDATA[jo_damの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jun 2007 03:55:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13890/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429023001@hc07/13890/" target="_blank"><img src="/docs/983429023001@hc07/13890/thmb.jpg?s=s&r=1182797730&t=n" border="0"></a><br /><br />ワイルド・アットハート
自由を生きることは難しい。誰もが自由に生きたいと思うけれども、結局は自由を象徴とするもの（ヒッピームーブメントやロックンロール）にすがりつく、或いは同化することによってしか自由を感じることはできない。自由という漠然と[358]<br />ワイルド・アットハート
自由を生きることは難しい。誰もが自由に生きたいと思うけれども、結局は自由を象徴とするもの（ヒッピームーブメントやロックンロール）にすがりつく、或いは同化することによってしか自由を感じることはできない。自由という漠然とした概念は、己と接するところに置くか同化するかでしか感じ取ることができないからである。
この映画では、セイラーのトレードマークとしての蛇皮のジャケットが、その漠然とした概念そのものとなっている。セイラーはエルヴィスプレスリーと自分を重ね合わせることで自由を手に入れる。セイラーにとっての自由とは、文字の通り自由奔放に生きる（思想や実生活において）ことであり、物..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ペドロ・アルモドバル監督作品『アタメ』に対する考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428749501@hc07/13805/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mayuponut]]></author>
			<category><![CDATA[mayuponutの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 11 Jun 2007 19:34:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428749501@hc07/13805/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428749501@hc07/13805/" target="_blank"><img src="/docs/983428749501@hc07/13805/thmb.jpg?s=s&r=1181558066&t=n" border="0"></a><br /><br />スペイン語圏の映画／文化／社会・映画リポート
ペドロ・アルモドバル監督作品『アタメ』
(ⅰ)この作品を私が選んだ理由
私は、以前同監督作品である『オール・アバウト・マイ・マザー』と、『トーク・トゥ・ハー』を見て、形容し難い感動を覚え、不思議[350]<br />スペイン語圏の映画／文化／社会・映画リポート
ペドロ・アルモドバル監督作品『アタメ』
(ⅰ)この作品を私が選んだ理由
私は、以前同監督作品である『オール・アバウト・マイ・マザー』と、『トーク・トゥ・ハー』を見て、形容し難い感動を覚え、不思議でかつ後を引く印象を受けた。それまで私が見てきた大胆で迫力はすごいものの、ただの娯楽でしかないようなハリウッド映画とは、何かが明らかに違った。そしてその後数日、映画の印象が体中を占めてしまうという変な現象を体験したのだ。その時から一度ペドロ・アルモドバルという人物の作品を深く検証してみたいと思っていたのである。これが、私がこの作品を選んだ一つ目の理由である。
次に、『トーク・トゥ・ハー』で示されていた看護士ベニグノの、異様ではあるが献身的な愛の形を見て、私は人を愛するということはどういうことなのかについて考察した。
ある側面から見れば正常で純粋な愛の形は、別の側面から見れば変質的でストーカー的なものなのかもしれないと。そしてアルモドバルは極端な形でそれを描き出そうとしているのではないだろうかと。授業で『アタメ』の一部を見て、私は『トーク・トゥ・ハー』..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[原始美術]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429041701@hc07/13745/]]></link>
			<author><![CDATA[ by osa]]></author>
			<category><![CDATA[osaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 26 May 2007 05:20:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429041701@hc07/13745/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429041701@hc07/13745/" target="_blank"><img src="/docs/983429041701@hc07/13745/thmb.jpg?s=s&r=1180124455&t=n" border="0"></a><br /><br />我々にとって美術はどのような意味を持っ ているのだろうか。そもそも美術は、元来ど のような人間的、社会的機能を持っていたの であろうか。
世界各地で、先史時代の美術的遺品が次々 に発見され、現存未開人の美術活動が知られ るようになると、原始[348]<br />我々にとって美術はどのような意味を持っ ているのだろうか。そもそも美術は、元来ど のような人間的、社会的機能を持っていたの であろうか。
世界各地で、先史時代の美術的遺品が次々 に発見され、現存未開人の美術活動が知られ るようになると、原始美術についての研究が 各方面で始まった。これらの研究は現在も進 行中であるが、このような探求を通じて、我 々が知りえたことは、美術制作は生活の余暇 の単なる手すさびではなく、人間がこの世に 生きるための本質的な活動であったというこ とである。
【ラスコーの洞窟壁画】
　
これらの壁画を描いた後期旧石器時代人は、 いわゆるホモ・サピエンスで、我々の直接の 祖先である。しかし、彼らはいまだ農耕や牧 畜を知らず、野生の動物や植物など、自然が&lt;400&gt; 与えてくれるものをそのままとって食べると いう自然経済の段階にあった。罠をしかけ、 狩に出て、あらゆる手段をつくして狩猟に専 
念した。野獣との日々の対決の結果、彼らの 脳裏には動物の姿態がこびりついた。格別の
美意識もテクニックも有しているわけではな い旧石器人が、ラスコー壁画にみられるよう なすばらしい動..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ステンドグラスを巡る旅]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/13432/]]></link>
			<author><![CDATA[ by makkori]]></author>
			<category><![CDATA[makkoriの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Feb 2007 22:57:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/13432/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/13432/" target="_blank"><img src="/docs/983430848801@hc06/13432/thmb.jpg?s=s&r=1171461431&t=n" border="0"></a><br /><br />　私はこのレポートでは、フランスの様々なステンドグラスを見てまわる旅の計画書を作成しようと思う。なぜこのテーマにしたかというと、私は以前からフランスに強い憧れと興味を持っていたので、まずフランスの旅について書きたいと思った。そして私がフラン[360]<br />　私はこのレポートでは、フランスの様々なステンドグラスを見てまわる旅の計画書を作成しようと思う。なぜこのテーマにしたかというと、私は以前からフランスに強い憧れと興味を持っていたので、まずフランスの旅について書きたいと思った。そして私がフランスで一番行きたいと思っていたのがサント・シャペルだった。以前、テレビでサント・シャペルのステンドグラスを目にして、その美しさに驚きいつか自分の眼で実物を見たいと思ったのだ。さらに、調べてみると同じように実物を見たいと思うステンドグラスがいくつかあったので、今回のレポートのテーマにすることに決めた。
　
　まず一番初めは、やはり上で述べたサント・シャペルに行きたいと思う。サント・シャペルはパリ中心部、シテ島にあるゴシック建築の教会堂である。ルイ９世が後援者となり１２４２年の着工から僅か６年の１２４８年に完成した。１階は王家使用人用、２階は王・特権貴族用の２つの礼拝堂に分かれており、２階の礼拝堂の壁面は見渡す限りのステンドグラスで埋め尽くされている(図版①)。ステンドグラスには旧・新約聖書の物語にちなんだ、約１１００の場面が表現されていて、そのうち約半分..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「歌曲のシューベルト」〜魔王に寄せて〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/13212/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kibayashi]]></author>
			<category><![CDATA[kibayashiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Feb 2007 22:40:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/13212/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/13212/" target="_blank"><img src="/docs/983431157801@hc06/13212/thmb.jpg?s=s&r=1170855604&t=n" border="0"></a><br /><br />「歌曲」のシューベルト
～「魔王」に寄せて～
■調査動機
今回の音楽史のレポートのテーマとしてシューマン、ヴォルフ、そしてシューベルトの３人の作曲家が挙げられた。その中で私はシューベルトを取り上げるわけだが、ここではそれに至った理由について[354]<br />「歌曲」のシューベルト
～「魔王」に寄せて～
■調査動機
今回の音楽史のレポートのテーマとしてシューマン、ヴォルフ、そしてシューベルトの３人の作曲家が挙げられた。その中で私はシューベルトを取り上げるわけだが、ここではそれに至った理由について書きたいと思う。
まず私自身、幼少の頃からピアノを習っており今現在に至っても趣味で続けているという経緯がある。その中でクラシックに触れることも多く、ショパンやリストなどを弾いた。シューベルトを実際に弾いたことはなかったのだが、耳にすることはあった。ただそれはピアノ曲のシューベルトであった。
前期の音楽史の授業を履修し、初めてシューベルトが歌曲において偉大な功績を残していることを知った。そしていくつかの作品をきくことができ、特に「魔王」に感銘を受けた。退屈に感じがちなクラシックであるが思わず聞き入ってしまった。小中学校の教科書にも載っているほど有名であるという「魔王」であるが恥ずかしながら私はそれを知らなかった。とにもかくにもこのようにして私の中にあったピアノ曲のシューベルトのイメージは変わった。
そこでこのレポートではこの授業を通して知ることができた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「法隆寺の百済観音像と浄瑠璃寺九体阿弥陀如来像における一木造と寄木造の違いは何か」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430069701@hc06/13145/]]></link>
			<author><![CDATA[ by carameltea]]></author>
			<category><![CDATA[caramelteaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 06 Feb 2007 17:29:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430069701@hc06/13145/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430069701@hc06/13145/" target="_blank"><img src="/docs/983430069701@hc06/13145/thmb.jpg?s=s&r=1170750594&t=n" border="0"></a><br /><br />　「一木造」とは、頭部から体部までの主要部を１つの用材から掘り出す技法のことである。厳密には文字通り、頭の先から足の先まで、さらには台座・光背までのすべてを「一材」から掘り出したもののことを言うのだが、　　この条件を満たす例は、江戸時代の円[360]<br />　「一木造」とは、頭部から体部までの主要部を１つの用材から掘り出す技法のことである。厳密には文字通り、頭の先から足の先まで、さらには台座・光背までのすべてを「一材」から掘り出したもののことを言うのだが、　　この条件を満たす例は、江戸時代の円空や木喰たちの仏像のみで、他ではほとんど見られないものとなっている。そのため、今では頭部と体部という像の基本部が「一材」から掘り出されていることを条件に、「一木造」と呼んでいる。「一木」であれば、腕・脚などは、別材で組みつけられていても良いことになっていて、もちろん、台座なども別材でよい。
「一木造」は、飛鳥時代、仏教が伝来し、釈迦像制作が行われた頃から始まる。その後、奈良時代後期から平安時代初期にかけて、仏像制作の技法の主流となった。
平安時代になると仏像の制作は概ね「金銅像」などから「木彫像」へと変化していくが、それはわが国では、彫刻に適した良質の木材が多く産出することと、木の持つ加工性の良さが大きな要因だと思われる。また、最初に仏像が伝わったときに、それが銅像であったため、飛鳥時代では金銅像が多く制作されたものの、造仏が盛んになっていく過程で、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[掛幅調書]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/12729/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 21 Jan 2007 18:24:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/12729/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/12729/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/12729/thmb.jpg?s=s&r=1169371456&t=n" border="0"></a><br /><br />掛幅調書
掛幅とは、書や絵画を壁につるして鑑賞し、しまうときには軸の周りに巻きつける形式の物を言う。以下は、この掛幅を調査する際に用いる調書に必要な項目である。調査年月日、名称、数量、寸法、材質・技法、作者、制作時期、内容、付属品、伝来、そ[358]<br />掛幅調書
掛幅とは、書や絵画を壁につるして鑑賞し、しまうときには軸の周りに巻きつける形式の物を言う。以下は、この掛幅を調査する際に用いる調書に必要な項目である。調査年月日、名称、数量、寸法、材質・技法、作者、制作時期、内容、付属品、伝来、その他が必要項目として挙げられる。
　まず、調査年月日について、自分が作り出した情報に年月日を省いてはならないという観点から、また、誰がいつ文化財に触れたかということが問題になることがあるため、それも考慮して記録をしなければならない。
次に、調査対象文化財の名称を書く。この場合、広く普及している名前、または作者がそのもの自体に命名していればその名前を書くのが一..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の美とイサム・ノグチ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432205601@hc05/12686/]]></link>
			<author><![CDATA[ by philoxxx]]></author>
			<category><![CDATA[philoxxxの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 19 Jan 2007 03:14:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432205601@hc05/12686/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432205601@hc05/12686/" target="_blank"><img src="/docs/983432205601@hc05/12686/thmb.jpg?s=s&r=1169144082&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の美とイサム・ノグチ
はじめに
私がイサム・ノグチについて全く知らなかった。初めて知ったのは数年前に札幌芸術の森美術館で開催された「イサム・ノグチ展」であった。当時は、彼について全く知らず何故名前が片仮名なのかも分からなかった。また彫刻[356]<br />日本の美とイサム・ノグチ
はじめに
私がイサム・ノグチについて全く知らなかった。初めて知ったのは数年前に札幌芸術の森美術館で開催された「イサム・ノグチ展」であった。当時は、彼について全く知らず何故名前が片仮名なのかも分からなかった。また彫刻にも興味がなかったのもあり、彼への興味は薄れていた。今回、彼について調べていく内に彼がどう生きて、どのような作品をつくったのかを知った。日本人とアメリカ人の間に生まれた彼の葛藤はもちろんあっただろう。その中で、彼はどう日本の美に出会い、現代の日本人たちに伝えたかったのかと疑問に思った。また彼と日本の美について考察してみたいと思う。
イサム・ノグチの人生
イサム・ノグチは詩人・英文学者の野口米次郎とレオニー・ギルモアの子として1904年ロスアンゼルスで生まれる。1907年、母と共に日本に移り住む。1918年単身欧米。彫刻家を目指す。その6年後、レオナルド･ダ･ヴィンチ･スクールに入学し彫刻を学ぶ。1951年＜あかり＞のデザインを開始する。1988年、札幌・モエレ沼公園の設計を行う。その年、イサム・ノグチはニューヨークにて死去する。
イサム・ノグチの作品..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大エルミタージュ美術館展]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431096501@hc06/12683/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rud]]></author>
			<category><![CDATA[rudの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 18 Jan 2007 23:01:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431096501@hc06/12683/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431096501@hc06/12683/" target="_blank"><img src="/docs/983431096501@hc06/12683/thmb.jpg?s=s&r=1169128871&t=n" border="0"></a><br /><br />　
　
博物館資料論レポート
『大エルミタージュ美術館展を博物館資料論の目線で』
　　　　
１
１、大エルミタージュ美術館展の概要
　２００６年１０月１９日から同年１２月２４日まで東京上野の東京都美術館にて、企画展「大エルミタージュ美術館展[346]<br />　
　
博物館資料論レポート
『大エルミタージュ美術館展を博物館資料論の目線で』
　　　　
１
１、大エルミタージュ美術館展の概要
　２００６年１０月１９日から同年１２月２４日まで東京上野の東京都美術館にて、企画展「大エルミタージュ美術館展」が行われた。また現在、２００７年１月５日から３月４日までの間、名古屋市美術館にて名古屋展が、その後２００７年３月１４日から５月１３日には京都市美術館にて京都展が巡回展として行われる予定である。主催は東京都美術館、名古屋市美術館、京都市美術館、中京テレビ放送、日本テレビ放送、読売新聞社、エルミタージュ美術館、後援は外務省、文化庁、ロシア連邦大使館、日本テレビ文化事業団である。本展の監修者は成城大学の千足伸行氏であった。エルミタージュ美術館はおよそ300万点もの所蔵品を誇る世界最大の美術館のひとつであり、１７６２年から３４年間、ロシアを統治した最後の女帝エカテリーナ二世が収集したコレクションから成る国立美術館である。「大エルミタージュ美術館展」は、その膨大なコレクションの中から、「都市と自然と人びと」をテーマに、15世紀のヴェネツィア派から20世紀の近..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[マジッド・マジディ『太陽は、ぼくの瞳』について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429170901@hc07/12577/]]></link>
			<author><![CDATA[ by taraf]]></author>
			<category><![CDATA[tarafの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Jan 2007 02:36:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429170901@hc07/12577/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429170901@hc07/12577/" target="_blank"><img src="/docs/983429170901@hc07/12577/thmb.jpg?s=s&r=1168623410&t=n" border="0"></a><br /><br />　本レポートでは、イランのマジッド・マジディ監督作品『太陽は、ぼくの瞳』（99年）を分析する。
あらすじは以下のようになる。
テヘランの全寮制の盲学校に通うモハマドは、夏休みに故郷の農村に帰り自然の中で楽しく過ごしていたが、父親は、再婚する[352]<br />　本レポートでは、イランのマジッド・マジディ監督作品『太陽は、ぼくの瞳』（99年）を分析する。
あらすじは以下のようになる。
テヘランの全寮制の盲学校に通うモハマドは、夏休みに故郷の農村に帰り自然の中で楽しく過ごしていたが、父親は、再婚するためにやむなくモハメドを盲目の木工細工師に預けてしまう。しかし、心労で祖母が死にそれに伴い再婚話も破談になり、父は悲しみに打ちのめされる。その後、モハマドを連れ戻すが、その途中モハマドは荒れ狂う川に落ちてしまう。父は息子を助けるため川に飛び込むが海まで流されてしまい、息子は既に息が無い。悲しむ父親が息子を抱き寄せると、奇跡が起こり息子の手がかすかに動く。
本作は、都市を舞台にすることの多いマジディとしては珍しく、砂漠の国という一般的なイランのイメージからは想像できないような緑豊かな農村を舞台にしている。しかし、あらすじを読めば判るように、農村を舞台にした素朴で温かい映画とは言い難い。しばしば一歩引いたカットで映し出される農村の明るい色調は、モハマドがそこでの暮らしを満喫しながらそれを見ることが出来ないという残酷な現実を突きつける。マジディの作品は一貫..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[増田聡氏　「クラシック」言説]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431210201@hc06/12557/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kaiketsu]]></author>
			<category><![CDATA[kaiketsuの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 11 Jan 2007 07:19:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431210201@hc06/12557/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431210201@hc06/12557/" target="_blank"><img src="/docs/983431210201@hc06/12557/thmb.jpg?s=s&r=1168467551&t=n" border="0"></a><br /><br />　初めに、私は増田聡の言う「クラシック」言説には賛同できない。増田の述べるとおり、確かに、現代の日本には、音楽を語るとき「クラシック」言説が根強く存在する。しかし、元々クラシック音楽の発祥の地でもない日本が「クラシック」言説に従い、法律でさ[360]<br />　初めに、私は増田聡の言う「クラシック」言説には賛同できない。増田の述べるとおり、確かに、現代の日本には、音楽を語るとき「クラシック」言説が根強く存在する。しかし、元々クラシック音楽の発祥の地でもない日本が「クラシック」言説に従い、法律でさえも「クラシック」言説に従い、PE&rsquo;Zのようにクラシックをジャズにするという音楽の幅を広げる行為を阻止してよいのだろうか。日本が「クラシック」に従う・・・私には非常に違和感。本文中に増田が引用し、批判している藍川由実の文献だが、確かにいくつかの矛盾は感じる。しかし、
「西洋音楽の実態すら知らないままクラシック音楽を崇拝し、自国の音楽を卑下しているわれわれの姿..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ダリ回顧展感想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430200001@hc06/12457/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lepuy11]]></author>
			<category><![CDATA[lepuy11の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Jan 2007 08:45:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430200001@hc06/12457/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430200001@hc06/12457/" target="_blank"><img src="/docs/983430200001@hc06/12457/thmb.jpg?s=s&r=1167781514&t=n" border="0"></a><br /><br />平日の水曜日に上野の森美術館でダリ展（ダリ回顧展）を見てきました。混んでいると聞いていましたが、平日の午前中でもあり、1時間でゆっくり全ての絵を鑑賞できました。 
大変人気のあり、且つ、商業的に成功した画家です、ダリは、現代美術の代表格と言[354]<br />平日の水曜日に上野の森美術館でダリ展（ダリ回顧展）を見てきました。混んでいると聞いていましたが、平日の午前中でもあり、1時間でゆっくり全ての絵を鑑賞できました。 
大変人気のあり、且つ、商業的に成功した画家です、ダリは、現代美術の代表格と言えるのではないでしょうか。 
ダリの作品は、素人目にも、これはいいなと素直に思える作品が多かったと思います。何故、今まで見てきた現代美術の作品が、うまいか下手かよくわからないのに、ダリの絵は素直にうまいなと思えたか。
それは、ダリの基本的な美術の才能・技量が素晴らしいのではないかと思いました。つまり、普通に絵を書いても、ダリは天才的にうまいのではないでしょう..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「抽象絵画」とカンディンスキー]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12052/]]></link>
			<author><![CDATA[ by サカマ]]></author>
			<category><![CDATA[サカマの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Dec 2006 11:18:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12052/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12052/" target="_blank"><img src="/docs/983429731901@hc06/12052/thmb.jpg?s=s&r=1166062725&t=n" border="0"></a><br /><br />「抽象絵画」とカンディンスキー
はじめに
　抽象絵画はロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー（Wassily Kandinsky　Vassily Kandinsky　ヴァシリー・カンディンスキー）にその始まりを見るのが一般的である。講義[288]<br />「抽象絵画」とカンディンスキー
はじめに
　抽象絵画はロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー（Wassily Kandinsky　Vassily Kandinsky　ヴァシリー・カンディンスキー）にその始まりを見るのが一般的である。講義で受けたように、その絵画の不思議な魅力に心惹かれた。そこで今回のレポートでは抽象絵画の起こりとカンディンスキーについてまとめていく。
１、「抽象絵画」を示唆する発言
　もともと抽象的なパターンを用いて日常の物事や建築物を形作ることに関して、その歴史は古く、今日では人間の根本的な衝動に近いものではないかと考えられている。しかし、現代において一般的な意味合いにおける、つまり意識的に「純粋な造形要素の組み合わせによる自律的な世界を作り出す」、いわゆる「抽象絵画」が始まったのはやはり20世紀に入ってからのことである。
その一つの例としてドイツの美学者ヴォリンガー（1881-1965）による『抽象と感情移入』（1908）が発表されたことが挙げられるであろう。この著書によって彼は「抽象的なパターンの繰り返しによって日常の事物や建築物を飾ろうとする装飾活動は、人間..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[西洋近代絵画と「日本趣味」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12051/]]></link>
			<author><![CDATA[ by サカマ]]></author>
			<category><![CDATA[サカマの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Dec 2006 11:11:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12051/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12051/" target="_blank"><img src="/docs/983429731901@hc06/12051/thmb.jpg?s=s&r=1166062298&t=n" border="0"></a><br /><br />西洋近代絵画と「日本趣味」
はじめに
　西洋の近代絵画には、日本の浮世絵や小物などが描かれることが多く見られる。とくに名前を挙げるならば、背景に浮世絵版画を並べたゴッホ《タンギー爺さん》、日本屏風と版画を描いたマネ《エミール・ゾラの肖像》、[356]<br />西洋近代絵画と「日本趣味」
はじめに
　西洋の近代絵画には、日本の浮世絵や小物などが描かれることが多く見られる。とくに名前を挙げるならば、背景に浮世絵版画を並べたゴッホ《タンギー爺さん》、日本屏風と版画を描いたマネ《エミール・ゾラの肖像》、妻に着物姿をさせて描いたモネ《日本衣装の女》、孔雀の屏風を描いたルノワール《シャルパンティエ夫人と子供たち》、他にドガ、ピサロ、ゴーギャン、ロートレック、ボナールなど数え切れぬほどの画家がいる。
なぜ異国の文化をこれほどまでに取り入れ表現したのか、何に彼らは興味を持ったのか、またそのことによって何を表現しようとしたのか興味を持ったので、今回のレポートでは参考文献に沿ってこの「日本趣味」をまとめてみたいと思う。
１、「日本趣味」の流れ
　ロマン派（もしくはロマン主義；〔romanticism〕一八世紀末から一九世紀の初めにかけてのヨーロッパで、芸術・哲学・政治などの諸領域に展開された精神的傾向。近代個人主義を根本におき、秩序と論理に反逆する自我尊重、感性の解放の欲求を主情的に表現する。憧憬・想像・情熱・異国趣味と、それらの裏返しとしての幻滅・憂鬱などが..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ルーヴル美術館]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/11940/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 07 Dec 2006 15:22:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/11940/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/11940/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/11940/thmb.jpg?s=s&r=1165472525&t=n" border="0"></a><br /><br />─古代ギリシア芸術・神々の遺産─では昨年とはその雰囲気を大きく変えていた。絵画ではなく、今年は神々の彫刻を初め、哲学者たちの肖像など、１３４点の展示がされていた。ギリシアの建築、彫刻、絵画の中で最もギリシア的な特長を持つと言われる彫刻にはど[360]<br />　今回の実習で訪れた、京都市美術館で行われたルーヴル美術館展─古代ギリシア芸術・神々の遺産─では昨年とはその雰囲気を大きく変えていた。絵画ではなく、今年は神々の彫刻を初め、哲学者たちの肖像など、１３４点の展示がされていた。ギリシアの建築、彫刻、絵画の中で最もギリシア的な特長を持つと言われる彫刻にはどのような特徴があるのだろうか。
まず、全体を通して彫刻のその細やかさに驚かされた。人間の体の柔らかな曲線や、男性の筋ばった体の線や、筋肉の隆々しさや、そして青年のしなやかな筋肉、神々の像がまとった衣装の生地のなめらかさなどが、まるで本物がそこに存在しているかのように表現されていた。葬礼記念碑のライオンでは、うっすらと皮下に感じられる血管までもが見えていたほどである。これは、今回の京都市美術館の展示の仕方においてそれが最大限に感じられたのではないかと感じられた。ケースがないものもあり、直接眺めることでその質感そのものまでが伝わってきたようである。また、展示されている彫刻と彫刻の間にはスペースがあったりし、１つ１つを前後左右からと言うようにさまざまな角度から見ることができ、これは今までに、見れな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宇宙への憧れ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/11877/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pandakun]]></author>
			<category><![CDATA[pandakunの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 05 Dec 2006 08:59:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/11877/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/11877/" target="_blank"><img src="/docs/983430433301@hc06/11877/thmb.jpg?s=s&r=1165276762&t=n" border="0"></a><br /><br />宇宙への憧れ　今回は宇宙への旅についてのフィルムを見た。アポロ計画の実際のフィルム、映画「アポロ13」、中国の神舟についてのドラマ、スタートレックのオープニングで現在の宇宙への旅の映像を観た。その後まだ人類が宇宙に進出する前に撮られた映画[354]<br />宇宙への憧れ
　今回は宇宙への旅についてのフィルムを見た。アポロ計画の実際のフィルム、映画「アポロ13」、中国の神舟についてのドラマ、スタートレックのオープニングで現在の宇宙への旅の映像を観た。その後まだ人類が宇宙に進出する前に撮られた映画での宇宙への旅の様子をフィルムで観た。
　現在の宇宙への旅は、かなり重労働である。重そうな宇宙服をつけなければならないし、発射台は巨大なものを作らなければならない。また、一度に一つのシャトルしか打ち上げられないし、宇宙へ送るために大きな燃料タンクが必要である。途中で燃料タンクを何度も切り離すため、打ち上げる時と帰ってきた時ではかなり大きさが違う。飛行機のよう..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[黄金のしずくに関するレポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429955301@hc06/10442/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gacyapin1129]]></author>
			<category><![CDATA[gacyapin1129の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Aug 2006 16:06:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429955301@hc06/10442/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429955301@hc06/10442/" target="_blank"><img src="/docs/983429955301@hc06/10442/thmb.jpg?s=s&r=1155366394&t=n" border="0"></a><br /><br />パリに写真を取り戻しに来たのだが、ミイラ取りにミイラのマネキンのモデルをさせられたり、覗き部屋でイマージュに興奮したりするが、それらは「イマージュ」の枠を抜け出さず、自分もそこに到達することができないことを知る。
また、タイトルでもある「[356]<br />ミシェル・トゥルニエ　「黄金のしずく」　に関するレポート
サハラ砂漠のオアシスに生きる少年イドゥリスが、フランスからやってきた金髪の美しい女性に生まれて初めて写真(「イマージュ」)を撮られる。彼女はイドゥリスに、写真を送ることを約束したが、写真は送られてこない。「写真を撮られることで魂が抜かれる」と噂され、イドゥリス自身がその写真を取り戻すため、パリに出向く。そこで彼は、西欧世界が見ている砂漠の「イマージュ」が、現実に彼が生きていた世界とは違っていることを知る。西欧から見た砂漠の「イマージュ」は、例えば冒険としての砂漠であったり、それと対称的に歓楽溢れる癒しのオアシスのホテルだったり、そうした..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ ムーラン・デ・ラ・ギャレット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430091301@hc06/10288/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mai0606neo]]></author>
			<category><![CDATA[mai0606neoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Aug 2006 01:51:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430091301@hc06/10288/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430091301@hc06/10288/" target="_blank"><img src="/docs/983430091301@hc06/10288/thmb.jpg?s=s&r=1154623891&t=n" border="0"></a><br /><br />『ムーラン・デ・ラ・ギャレット』について
ルノアールの暖かい感じの絵が以前から好きだったので選びました。ルノアールの人生のうちの実りある時期に描かれた最もすばらしい作品といわれています。絵の舞台となったのはつつましい生活を送る中流階級とそ[356]<br />『ムーラン・デ・ラ・ギャレット』　1976年
ピエール・オーギュスト・ルノアール
油彩　カンバァス　１３１&times;１７５ｃｍ
パリ　　オルセー美術館
作者　ルノアールについて
１８４１年２月２５日　フランス中部のリモージュにうまれ、３歳でパリに移住、どちらかといえば貧しい中流階級でありました。ルノワールが最初に絵画の分野で才能をみせはじめたのは１３歳のときでした。磁器製品の絵付けをはじめ、コーヒーカップの小さな花模様や牧歌的な羊飼いの風景、あるいはわずか８スーでマリーアントワネットの肖像までも描いたりしていた。女性用の扇子や教会の旗に絵を描くようになり、こうして彼は絵筆を使う技術を着実に会得していきました。２１歳にならないうちに美術学校（エコール・デ・ボザール）へ行くだけのお金も稼いでいました。印象派の一員として風景画を政策したが、特に裸婦像、少女象などを得意としました。1970年代から1880年代初頭にかけての作品は典型的な印象主義の作品に『ムーラン・デ・ラ・ギャレット』『舟遊びの人々の昼食』があります。「余暇の楽しみは、我々の生活に欠かせないものでもある。充足に満ちた時間を我々はどれほど..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ ミュージカルの誕生]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431131301@hc06/10019/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ba050044]]></author>
			<category><![CDATA[ba050044の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 26 Jul 2006 03:22:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431131301@hc06/10019/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431131301@hc06/10019/" target="_blank"><img src="/docs/983431131301@hc06/10019/thmb.jpg?s=s&r=1153851755&t=n" border="0"></a><br /><br />私は今回、授業で習ったテーマの中で、一番親しみのあるミュージカルについて調べました。私が始めて見たミュージカルは、「オペラ座の怪人」です。高校の頃に学校から団体として行ったのがきっかけで、今ではミュージカルのファンになりました。演劇そのもの[360]<br />　私は今回、授業で習ったテーマの中で、一番親しみのあるミュージカルについて調べました。私が始めて見たミュージカルは、「オペラ座の怪人」です。高校の頃に学校から団体として行ったのがきっかけで、今ではミュージカルのファンになりました。演劇そのものもとてもよかったのですが、私はその中の歌に感動しました。歌の中に感情を込め、せりふを歌として歌っていました。場面と場面の合間に歌を入れるのではなく、歌によりストーリーが進められているのです。そのとき私はミュージカルの素晴らしさに感動し、興味を持ち始めました。この授業を受講したのも、映画やミュージカルに興味があるからです。今までで見たミュージカルの中で、一番印象に残っているのが、アメリカへ留学したときに見た「プロデューサーズ」というミュージカルです。英語の能力不足のため、ストーリーはあまり理解できませんでした。しかし、舞台そのものが素晴らしい芸術であったため、とても感動し、満足して帰ることができました。ミュージカルの歌やダンスは、言葉がなくても伝わる、すごい力を持っています。そこで今回私はこの授業を機会にミュージカルについて調べてみることにしました。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[岡本太郎]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429859701@hc06/9985/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yurikinoko]]></author>
			<category><![CDATA[yurikinokoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jul 2006 19:28:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429859701@hc06/9985/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429859701@hc06/9985/" target="_blank"><img src="/docs/983429859701@hc06/9985/thmb.jpg?s=s&r=1153736893&t=n" border="0"></a><br /><br />４０年近く行方が知れず、つい先日の７月７日に汐留日テレプラザにて公開された「明日の神話」の作者である岡本太郎はその発見を待たずに１９９６年に永眠した。１９７０年の大阪万博でかの有名な「太陽の塔」の制作者として世の中の人々に知られることになっ[360]<br />４０年近く行方が知れず、つい先日の７月７日に汐留日テレプラザにて公開された「明日の神話」の作者である岡本太郎はその発見を待たずに１９９６年に永眠した。１９７０年の大阪万博でかの有名な「太陽の塔」の制作者として世の中の人々に知られることになった彼は、「明日の神話」が再び世に出ることによって死後１０年経った現在再評価されつつあるのだ。
この日本が誇る芸術家にとってなくてはならない存在なのがフランスだ。彼は下積み時代というもの時期をフランスで過ごした。父親の仕事の都合で渡仏した岡本太郎は当時の日本からの留学生のようなフランスにとけこまない生ぬるい生活を嫌い、自らをいわゆるフランスまみれの生活の中に置いたのだ。それまでフランス語の勉強を特にしていたわけでもない彼にとっては楽な生活ではなかったであろうが、彼はフランス語を習得しソルボンヌ大学で学ぶまでになる。岡本太郎はフランス語を会得し、フランス文化を吸収し、フランスを知らなければ意味がないと考えたのである。事実、その当時のフランスに新しい芸術を模索しにきていた生ぬるい生活をしていた日本人留学生たちはそれが見つからずにもがいていた者たちも多くいた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[   難民問題の変容と対応をめぐる一考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/9783/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yasu0226]]></author>
			<category><![CDATA[yasu0226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 18 Jul 2006 13:24:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/9783/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/9783/" target="_blank"><img src="/docs/983429944501@hc06/9783/thmb.jpg?s=s&r=1153196646&t=n" border="0"></a><br /><br />近代の国民国家は、共同体を保証するものとして想定された抽象的なネイション概念の中に地域的、文化的、民族的、言語的、階級差異を溶解させることによって成り立ったという意味においても、一つの擬制であり、フィクションに他ならならず、ネイションへの自[360]<br />難民問題の変容と対応をめぐる一考察
近代の国民国家は、共同体を保証するものとして想定された抽象的なネイション概念の中に地域的、文化的、民族的、言語的、階級差異を溶解させることによって成り立ったという意味においても、一つの擬制であり、フィクションに他ならならず、ネイションへの自己同化を拒否して分権への欲求を持ちつづける他者を最初から内包していたので、ネイションとエスニシティとの実質的な分離を克服しえない構造を本来的にもっている。
　列強の植民地支配という歴史的背景を負って第三世界に族生した国民国家群は、最初からナショナルな共同性を持ちえない擬制的性質を宿命的に賦与され、今や全世界に国民国家が成立している現在の状況は、内に様々な差異や多元性を抱えながら、それを抽象的な単一のネイションの名によって観念的に覆い隠す国民国家の擬制性が普遍化した事実を示していると言ってよい。 　国民国家の擬制性が普遍化した事実は、難民問題の発生源の究極にあるものである、ナショナルなアイデンティティのゆらぎを必然的にもたらす国民国家の擬制性と、しかも、国民国家体系の中で難民にとっての最大の悲劇である彼らが、国境を越..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[組香について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430002201@hc06/9686/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hashiko]]></author>
			<category><![CDATA[hashikoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Jul 2006 13:56:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430002201@hc06/9686/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430002201@hc06/9686/" target="_blank"><img src="/docs/983430002201@hc06/9686/thmb.jpg?s=s&r=1153025813&t=n" border="0"></a><br /><br />組香とは
聞香の主たる形式は名香合であるが、東山時代に一時期を形成した連歌の要領で香木を き継ぎ、香の連続推移と香銘を鑑賞する「 合香」と、文学的主題の基に二種以上に香木の香気を鑑賞する「組香」が創案された。名香合と 合香はかなりの知識と[350]<br />組香とは
　聞香の主たる形式は名香合であるが、東山時代に一時期を形成した連歌の要領で香木を炷き継ぎ、香の連続推移と香銘を鑑賞する「炷合香」と、文学的主題の基に二種以上に香木の香気を鑑賞する「組香」が創案された。名香合と炷合香はかなりの知識と技量を要求されるから、通常は沈水香に対し国文学などと密接な組香を行う。授業中に体験した「白河香」や「三夕香」も組香の一種である。
組香の発達
　組香の形は十炷香で始まったと言われる。室町初期の「香聞御記」（応永3年、1416年）に「十種香」として見えるのが早期に属し、歌合せのあとでこれを行っている。「親長卿記」に文明5年（1473年）3月12日に十種香会をしたとあり、「実隆公記」には、文亀元年（1501年）4月10日に十炷香を行ったとある。以上３つが日記に最初に見られる十炷（種）香会である。しかし、それ以前にも行われていたであろうことは、日記に日常のこととして書かれていた点から推測できる。
　こうして始まった十炷香が組香の基礎であり、それが時代の流れに従って発達し、花やかさを加え、種類も大いに増し、遊戯的な要素の多い盤物などがあらわれることとなる。授..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 長崎の彫刻作品を見て]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430054601@hc06/9477/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yui0708]]></author>
			<category><![CDATA[yui0708の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 20:45:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430054601@hc06/9477/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430054601@hc06/9477/" target="_blank"><img src="/docs/983430054601@hc06/9477/thmb.jpg?s=s&r=1152445544&t=n" border="0"></a><br /><br />33．平和公園内　「乙女の像」　中華人民共和国寄贈

この女性の彫刻は、人類の平和と末長い日中友好を願う中国人民の真心を表している、と記されていた。私がこの作品から感じたのは優しさである。平和の象徴となっている鳩が、それを願う人々の心を[348]<br />言語と芸術レポート
長崎の彫刻作品を見て
教育学部　学校教育教員養成課程　初等
２年　*****************
33．平和公園内　「乙女の像」　中華人民共和国寄贈
この女性の彫刻は、人類の平和と末長い日中友好を願う中国人民の真心を表している、と記されていた。私がこの作品から感じたのは優しさである。平和の象徴となっている鳩が、それを願う人々の心を率直に表し、鳩に微笑みかける女性はとても暖かく感じる。スカートの膨らみや、長い髪が風になびいているところから、作者は女性らしいというか女性のみが持つやわらかさを表現したかったのではないだろうかと私は思う。
　また、鳩に微笑みかけている表情は、鳩..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 風土が人に与える影響]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430076301@hc06/9459/]]></link>
			<author><![CDATA[ by daruina]]></author>
			<category><![CDATA[daruinaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 02:39:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430076301@hc06/9459/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430076301@hc06/9459/" target="_blank"><img src="/docs/983430076301@hc06/9459/thmb.jpg?s=s&r=1152380387&t=n" border="0"></a><br /><br />思想というのは、幼い頃から、その現在に至るまでの育ってきた環境や状況などの様々な要因が関わってくる。そのひとつであるのが、それぞれが育ってきた風土である。風土とは人間の文化の形成などに影響を及ぼす精神的な環境である。私たちはこの思想・文化に[360]<br />思想というのは、幼い頃から、その現在に至るまでの育ってきた環境や状況などの様々な要因が関わってくる。そのひとつであるのが、それぞれが育ってきた風土である。風土とは人間の文化の形成などに影響を及ぼす精神的な環境である。私たちはこの思想・文化に影響を及ぼす精神的な環境とは切っても切れない関係である。前述したように人は風土はと密接な関係である、それは日本人だけに言えることではない。この世の何処かに風土と関わることなく生きてきた人間がいるだろうか、いや、いるはずはない。風土と関わりの無い人間どころか、風土と関わりの無い生物さえいないだろう。この風土が私たちに与える影響とはどのようなものなのか考えてみよ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[狩野永徳の作品について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430076301@hc06/9458/]]></link>
			<author><![CDATA[ by daruina]]></author>
			<category><![CDATA[daruinaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 02:34:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430076301@hc06/9458/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430076301@hc06/9458/" target="_blank"><img src="/docs/983430076301@hc06/9458/thmb.jpg?s=s&r=1152380049&t=n" border="0"></a><br /><br />私は狩野派の一人である狩野永徳について述べたいと思う。狩野永徳は1543年から1590年まで生きた安土桃山時代の画家である。まず、狩野永徳の代表作であり、私の好きな「唐獅子図」屏風について述べたいと思う。
次は「洛中洛外図」である。そして[340]<br />私は狩野派の一人である狩野永徳について述べたいと思う。狩野永徳は1543年から1590年まで生きた安土桃山時代の画家である。彼は京都に生まれ、彼の祖父の元信や父の松栄から絵を学んでいた。また彼は歴史では欠かすことのできない織田信長や豊臣秀吉の御用。絵師として安土城などの名城の建設にも深く関係しているのである。
まず、狩野永徳の代表作であり、私の好きな「唐獅子図」屏風について述べたいと思う。この作品では右の獅子の前の右足が浮いて、今にも次一歩を踏み出そうとしており、そして獅子が右の方に２頭いることによって、獅子が左の方へ動いていくのだというような、獅子が今にも左の方へ動いていくような感じが私には..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ ファッションデザインの左右対称性について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430237101@hc06/9057/]]></link>
			<author><![CDATA[ by redjack]]></author>
			<category><![CDATA[redjackの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 18 Jun 2006 16:55:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430237101@hc06/9057/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430237101@hc06/9057/" target="_blank"><img src="/docs/983430237101@hc06/9057/thmb.jpg?s=s&r=1150617350&t=n" border="0"></a><br /><br />ファッション・デザインの「左右対称性」について
　美学上の概念では、ある対象の美しさを左右する条件を形式的に見ていく場合、これを美的形式原理という。美的形式原理の主たるものは、統一・調和・リズム・バランス・プロポーションなどであり、これら[356]<br />ファッション・デザインの「左右対称性」について
　美学上の概念では、ある対象の美しさを左右する条件を形式的に見ていく場合、これを美的形式原理という。美的形式原理の主たるものは、統一・調和・リズム・バランス・プロポーションなどであり、これらの形式原理は個と個、個と全体との関係を見ていく中で、個をどのように取り扱うかという事に対する理論である。美的形式原理において、左と右との対称性はバランスに含まれる。バランスとは均衡・釣り合いの意味を持ち、秤(天秤)から出た考え方である。天秤は品物を載せる皿と錘を載せる皿があり、両者が同じ重さになった時、釣り合いが取れ、静止する。この状態を「バランスが取れた」という。本来、物理的な重さの釣り合いに対するものであるが、日常生活の中にこの考えを及ぼして、安定性への指標として使っている。バランスの原理の応用にシーソーがあるが、シーソーは体重の異なる２人が乗った場合、重い人が中心の方へ身体を移す事で安定を得る事ができるが、これは支点からの距離と重みとの関係が反比例するということで説明ができる。　バランスは力学的には重量の釣り合いを取る事であるが、造形的には同一の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ ガリレイの生涯]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430259301@hc06/9006/]]></link>
			<author><![CDATA[ by genuine]]></author>
			<category><![CDATA[genuineの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Jun 2006 16:44:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430259301@hc06/9006/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430259301@hc06/9006/" target="_blank"><img src="/docs/983430259301@hc06/9006/thmb.jpg?s=s&r=1150357451&t=n" border="0"></a><br /><br />ガリレイの生涯
この戯曲を読む前に、私が抱いていたガリレオ・ガリレイのイメージは、頑固で頑なに自分の考えを貫き通そうとする、そんなイメージだった。それはあの有名な「それでも地球は回っている」という名言の印象が強かったからだ。しかし、この作[356]<br />　　　　　　　　　　ガリレイの生涯
この戯曲を読む前に、私が抱いていたガリレオ・ガリレイのイメージは、頑固で頑なに自分の考えを貫き通そうとする、そんなイメージだった。それはあの有名な「それでも地球は回っている」という名言の印象が強かったからだ。しかし、この作品で描かれているガリレイが、「それでも地球は回っている」などという場面は書かれていない。この言葉はローマでの異端審問裁判の判決の時に口にしたとされているが、もし、実際にこの言葉を言っていたとしたら火あぶりの刑に処されていてもおかしくないだろう。ということは、伝説として語り継がれてきた逸話なのかもしれない、と思った。いずれにせよ実際のガリレイが言ったかどうかは別にして、このブレヒトの作品の中でのガリレイは、そのようなことは言いそうにない、そんな印象を受けた。きっとブレヒトも、彼の思うガリレオ像には似合わない発言だと思って省いたのだろう。でなければガリレイの代名詞ともいえる名言を取り入れないはずがない。
ブレヒトの描いたガリレイは、純粋に研究が好きで、科学を探求することに幸福を覚える、典型的な学者気質の人間である。彼は全てを、世界そのも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大絵巻展を見て]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/8771/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Jun 2006 22:06:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/8771/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/8771/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/8771/thmb.jpg?s=s&r=1149512808&t=n" border="0"></a><br /><br />今回の京都国立博物館での「大絵巻展」では数多くの素晴らしい作品が展示されていた。これらの展示のどこが素晴らしいのかというと、まず第一に挙げられる点として、色彩の美しさなどにも関係することであるが、保存状態が非常に良いということが挙げられる。[360]<br />大絵巻展を見て
今回の京都国立博物館での「大絵巻展」では数多くの素晴らしい作品が展示されていた。これらの展示のどこが素晴らしいのかというと、まず第一に挙げられる点として、色彩の美しさなどにも関係することであるが、保存状態が非常に良いということが挙げられる。京都国立博物館の説明にもあったように、「絵巻とは巻物の形に絵画と詞書を配列して物語をあらわした作品で、我が国で独自の展開を遂げました。」（引用）とある。しかしこのような物の他に、絵巻作品の中の一部にもあった描写では、巻物には絵画だけを載せ、物語を冊子に表したものもあり、当時の貴族の間では女房に冊子の物語を読ませてその描写の絵画を眺めるのが流行していたという記述もあった。これらから言えることであるが、絵巻は展示のように常に伸ばした状態で観賞するものではなく、その時々でその場面を何度も眺めたりするために、ところどころで痛みが激しくなる部分があるものなのである。しかし、破れなどのそのような痛みはほとんど見られず、保存や、もしくは修復の技術の高さが保存状態の良さに繋がっていると思われる。
次に挙げられる点として、その色彩の美しさが挙げられるだ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[  現在の博物館〜私が感じたこと〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430364001@hc06/8725/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sakuraimika]]></author>
			<category><![CDATA[sakuraimikaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 03 Jun 2006 09:10:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430364001@hc06/8725/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430364001@hc06/8725/" target="_blank"><img src="/docs/983430364001@hc06/8725/thmb.jpg?s=s&r=1149293452&t=n" border="0"></a><br /><br />今回私は、豊科近代美術館と安曇野ちひろ美術館の2ヶ所を見学してきた。この2つの美術館は対称的であった。

☆見学者数の違い
豊科近代美術館は見学者はほとんどいなかった。私の行ったときにいた人数は多く見積もって10人くらいである。一方、[340]<br />現在の博物館～私が感じたこと～
参考博物館
　　豊科近代美術館 （問い合わせ先 0120－73－5638）
　　安曇野ちひろ美術館 （問い合わせ先 0261－62－0772） 　今回私は、豊科近代美術館と安曇野ちひろ美術館の2ヶ所を見学してきた。この2つの美術館は対称的であった。
見学者数の違い
豊科近代美術館は見学者はほとんどいなかった。私の行ったときにいた人数は多く見積もって10人くらいである。一方、安曇野ちひろ美術館は駐車場が満車になり、物凄く賑わっていた。豊科の中心部に近い豊科近代美術館、松川村の安曇野ちひろ美術館。どちらも立地条件としてはそれほど変わらない。むしろ豊科近代美術館の方がかえっていいような気さえする。この違いはどこにあるのだろうか。
豊科近代美術館
豊科近代美術館には1階に高田博厚と宮芳平の作品が常設されている。また、2階では特別展として、あづみ野ガラス工房20周年記念展が行われていた。常設展で私が率直に感じたことは
ストーリー性がない
メッセージが伝わってこない
とい2点であった。ただ同じ種類のものを1箇所に集めて並べただけ、そんな様子に見受けられた。どこか寒々..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 香港武侠映画と現代中国映画〜「スウォーズマン（剣士列伝）」と「HERO」の比較〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8300/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pandakun]]></author>
			<category><![CDATA[pandakunの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 May 2006 23:57:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8300/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8300/" target="_blank"><img src="/docs/983430433301@hc06/8300/thmb.jpg?s=s&r=1147186675&t=n" border="0"></a><br /><br />まず「スウォーズマン」が、キン・フー、チャン・ツェー、チョウ・ヤン等が監督を務めている香港映画の流れをくんでいることを、内容や映像技術などの面で確認し、最近大きく取り上げられることになった映画「HERO」と比較して検証してみる。&amp;#[340]<br />　映画「スウォーズマン（剣士列伝）」と「HERO」
まず「スウォーズマン」が、キン・フー、チャン・ツェー、チョウ・ヤン等が監督を務めている香港映画の流れをくんでいることを、内容や映像技術などの面で確認し、最近大きく取り上げられることになった映画「HERO」と比較して検証してみる。
⊡「スウォーズマン（剣士列伝）」
　監督：ツイハーク
金庸の小説「秘曲　笑傲江湖」を香港で映画化したもの。シリーズがありこの「剣士列伝（1990）」の他に「スウォーズマン（女神伝説の章）（1992）」「スウォーズマン（女神復活の章）（1993）」がある。女神伝説の章から配役ががらりと変わる。剣士列伝で主役であったサミュエル・ホイ演じるリン・ウーチュンは、女神伝説の章では、現在「ジェット・リー」として有名なリー・リンチェイが演じている。
「笑傲江湖」とは「勇者のなかの勇者」という意味であるそうだ。劇中で「笑傲江湖」という名前の唄がうたわれている。
ここからは「スウォーズマン」の中での映像表現に注目して見ていきたい。
全編にわたって、この映画は暗いシーン（濃紺が基調）、明るいシーン、その間（室内、オレンジを基調）..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 観客にやさしい小津映画]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8297/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pandakun]]></author>
			<category><![CDATA[pandakunの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 May 2006 18:28:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8297/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8297/" target="_blank"><img src="/docs/983430433301@hc06/8297/thmb.jpg?s=s&r=1147166939&t=n" border="0"></a><br /><br />・ローポジション
　小津映画の特徴としてよく挙げられる特徴の一つとして、ローアングルで撮影されたシーンがほとんどであることがある。そして低い位置に設定されたカメラ（なんと、脚立を短くしてしまったカメラがある）が動かないというのもよく言われ[356]<br />観客に優しい小津映画
　このレポートは、小津映画の特徴を、小津映画の一つ「お茶漬けの味」において確認を行い、小津映画は映画の限界を超え、観客に本当の意味で優しい、観客のことを良く考えた映画であるということを結論として出そうというものである。
目次
・映画「お茶漬けの味」について
・ローポジション
・小津映画の「脱映画性」
・固定ショット
・物だけのショット
・顔がうつっていないのにしゃべる
・視線の食い違い
・相似形
・幾何学的な物に執着
・動く構図主義
・主役の抑えた演技
・カット中心
・映画「お茶漬けの味」について
　昭和27年（1952）、小津安二郎49歳の時に撮影される。
【スタッフ】 
監督 ： 小津安二郎 　製作 ： 山本武 　脚本 ： 野田高梧・小津安二郎 　
撮影 ： 厚田雄春 　助監督 ： 山本浩三 　美術 ： 浜田辰雄 
【出演】 
佐分利信、木暮三千代、鶴田浩二、笠智衆、淡島千景、津島恵子、三宅邦子、柳永二郎、十朱久雄
【あらすじ】
　　佐竹妙子、茂吉夫婦は見合い結婚で、結婚生活は冷めたものであった。妙子は夫の茂吉に満足がいかず、「鈍感さん」などと馬鹿にしている。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[＜浮世絵と国際交流＞日本美術が海外に与えた影響]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/7757/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 30 Mar 2006 20:04:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/7757/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/7757/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/7757/thmb.jpg?s=s&r=1143716685&t=n" border="0"></a><br /><br />　様々な情報を秘めた浮世絵は江戸時代後期より各国に流出され、日本の文化を紹介すると共に、数々のジャンルの芸術にインスピレーションを与えた。
　一八五五年パリ万博のオランダ部門で初めて大衆に紹介された浮世絵は、パリを始めヨーロッパ各地、その[356]<br />　様々な情報を秘めた浮世絵は江戸時代後期より各国に流出され、日本の文化を紹介すると共に、数々のジャンルの芸術にインスピレーションを与えた。
　一八五五年パリ万博のオランダ部門で初めて大衆に紹介された浮世絵は、パリを始めヨーロッパ各地、その後アメリカまで、熱狂的なジャポニスムブームを起こすほど衝撃的なものであった。その理由はなんだったのか。
　浮世絵の独特なアシンメトリーな構図・平面的な表現・豊かな色彩などの技術や、自然美を芸術に取り入れるといった要素は、パリの印象派の多くの画家達に影響を及ぼした。後、極東の日本の美術は、初めての国際基準の美が表現されたアール・ヌーヴォー誕生の、要因の一つとなったのも周知の事実である。それはそこに日本の美に、精神的な価値があったからこそ、パリを始め各国の人々を魅了することができたのである。
　印象派画家のクロード・モネ（一八四〇～一九二六）が、浮世絵から受けた影響は絵画に活かされるだけに留まらなかった。モネは『睡蓮』（一九一六）でも知られるように、パリ郊外の「ジヴェルニー」の自宅の庭のデザインも自身で手掛け、庭師としても才能を発揮する。
　自然の光を利用..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[音楽と絵とリルケ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430708401@hc06/7114/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ozzzzz]]></author>
			<category><![CDATA[ozzzzzの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 26 Feb 2006 12:56:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430708401@hc06/7114/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430708401@hc06/7114/" target="_blank"><img src="/docs/983430708401@hc06/7114/thmb.jpg?s=s&r=1140926200&t=n" border="0"></a><br /><br />　「音楽は立像がもたらす吐息か」という作品はリルケの１９１８年１月の作品である。リルケは非常におもしろい生涯を辿っている。
　リルケが生まれる前年、姉が生まれるも数ヶ月で死亡。そのこともあってか、生まれて７歳まで女の子として育てられる。授[356]<br />「音楽は立像がもたらす吐息か」という作品はリルケの１９１８年１月の作品である。リルケは非常におもしろい生涯を辿っている。
リルケが生まれる前年、姉が生まれるも数ヶ月で死亡。そのこともあってか、生まれて７歳まで女の子として育てられる。授業中に配られた資料には５歳までとあったが、私が読んだ資料には７歳までと書いてありました。それが原因で、小学校でいじめられたりし、孤独で異常な少年期を過ごしたそうである。父親は母親以外の女性からも非常にモテる人であったため、母親は愛情不足だと感じており、それでリルケに当たったりしたこともあったという。リルケも母親とは仲が余りよくはなく、２０歳を過ぎた頃から母親を避けるといった傾向が見られるようになった。こういった環境が、まったく芸術とは関係ない血縁の中からリルケという偉大な詩人を生み出したのである。詩人というものに付きまとう暗いイメージに合致するものと言っていいだろう。母親は良家の出ではあるが、そこまで裕福な暮らしは出来なかったようだ。安物のワインに高級ワインのラベルを貼ったり、部屋を広く見せるためにパーティの時にはベッドを部屋の隅に固めて置くといった見栄を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[京鹿子娘二人道成寺]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/6853/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 16:58:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/6853/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/6853/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/6853/thmb.jpg?s=s&r=1139990301&t=n" border="0"></a><br /><br />　可憐、清らか、しとやか、そして艶やか。日本女性美の名詞をすべて凝縮した、舞踊の大作と言ったら『京鹿子娘道成寺』（一七五三）であろう。この作品には、着物を着た時にお手本にしたい美しい動作が多々含まれており、歌舞伎好きではなくとも、女性として[360]<br />　可憐、清らか、しとやか、そして艶やか。日本女性美の名詞をすべて凝縮した、舞踊の大作と言ったら『京鹿子娘道成寺』（一七五三）であろう。この作品には、着物を着た時にお手本にしたい美しい動作が多々含まれており、歌舞伎好きではなくとも、女性として生まれたからには是非見ておきたい作品とも言える。
　この『京鹿子娘道成寺』は、安珍に恋をした清姫が、嫉妬に狂い鐘の中に逃げた安珍を焼き殺す、という『大日本国法華経験記』（一〇四〇～一〇四四）にも記された「安珍清姫の物語」の伝説の一部を、歌舞伎化したものである。もともとは能の作品として先に舞台化されたものであり、歌舞伎の作品の中にも能の一部が取り入れられている。
　今回私が鑑賞した『京鹿子娘道成寺』は、二人で舞う「道成寺もの」として、平成十六年一月（二〇〇四）に五代目坂東玉三郎・五代目尾上菊之助の二人の白拍子花子の艶やかな競演が大きな評判を呼び、再演となったものである。
前述のごとく「道成寺もの」は能から始まり、絵画の『道成寺縁起絵巻』（一三九四～一四二七）、歌舞伎では文楽人形のように舞う『日高川入相花王』（一七五九）などもありその他にも様々なバリエー..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「日本文化」像と「牛タン」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/6590/]]></link>
			<author><![CDATA[ by makkori]]></author>
			<category><![CDATA[makkoriの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2006 00:34:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/6590/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/6590/" target="_blank"><img src="/docs/983430848801@hc06/6590/thmb.jpg?s=s&r=1139672098&t=n" border="0"></a><br /><br />　著者はこの文章で、『われわれが普段「日本らしさ」だと思っているものは西洋人の視線で日本文化を見たときに表れてくるものであり、西洋人の求める｢日本文化｣を自らの固有の文化と錯覚していて、日本人は西洋人の日本文化に対する視線を内面化してしまっ[360]<br />著者はこの文章で、『われわれが普段「日本らしさ」だと思っているものは西洋人の視線で日本文化を見たときに表れてくるものであり、西洋人の求める｢日本文化｣を自らの固有の文化と錯覚していて、日本人は西洋人の日本文化に対する視線を内面化してしまっている。また、日本人自体がそのような｢日本文化｣像を積極的に提示し、むしろ強化するように振舞ってきた。』と述べている。私はこの文章を読んで、このようなことは「西洋と日本」という世界的な規模の場面だけでなく、日本国内においても発生する現象だと思う。
私は出身は仙台で、大学のために埼玉に来た。埼玉に来て多くの人との新しい出会いを経験しているが、だいたいはじめて話す人とはお互いの出身地の話になる。そこで私が「出身は仙台です。」と言うと、多くの人は「あ、仙台は牛タンだよね。」という反応を示す。そしてそれに対して私も「そうそう、牛タンだよー。」と返答する。相手が何も反応を示さない場合は、「仙台は牛タンが有名なんです。」と言う場合もある。確かに仙台は牛タン発祥の地らしく、牛タン専門店も数多くあり、全国でも有名になっている。しかし「仙台＝牛タン」のような図式ができた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[創造性と伝統について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/6548/]]></link>
			<author><![CDATA[ by えっこ]]></author>
			<category><![CDATA[えっこの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 11 Feb 2006 13:09:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/6548/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/6548/" target="_blank"><img src="/docs/983430775401@hc06/6548/thmb.jpg?s=s&r=1139630957&t=n" border="0"></a><br /><br />　創造における伝統の役割について少し関心が持てたので、自分なりの考えをまとめてみようと思う。個人的な話であるが、私はギターをやっていて、自分の芸術との関わりは音楽を通じてであると思うので、その都度音楽の場合（主に軽音楽）のことを考えながら伝[360]<br />創造性と伝統について
自分なりの考えを述べようとするところのもの
　創造における伝統の役割について少し関心が持てたので、自分なりの考えをまとめてみようと思う。個人的な話であるが、私はギターをやっていて、自分の芸術との関わりは音楽を通じてであると思うので、その都度音楽の場合（主に軽音楽）のことを考えながら伝統と創造について考えていきたいと思う。さて、最初に断ってしまうが、伝統は創造において必要不可欠なものであるという考え方については、納得できる部分も多々あるが、どちらかというと反対である。が、気を悪くせずに読んでもらいたい。自分なりに、創造というものに対する考え方を示したつもりだ。
　いきなり最初に伝統が必要不可欠だとは思わないということを書いたが、自分の音楽活動はというと、（少なくとも今のところは、と注意書きしておくが）どっぷり伝統に浸かっていると自覚している。私はいわゆる軽音楽をやっているわけだが、いくら独自のものをやろうとしたところで、ギターとベースとドラムとヴォーカルでバンドを組み、誰かが考え出した音階の上で曲を作ろうとした時点ですでに伝統の枠内、もっと言えば「人マネ」である。そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アートの他領域への介入]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/6547/]]></link>
			<author><![CDATA[ by えっこ]]></author>
			<category><![CDATA[えっこの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 11 Feb 2006 12:58:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/6547/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/6547/" target="_blank"><img src="/docs/983430775401@hc06/6547/thmb.jpg?s=s&r=1139630289&t=n" border="0"></a><br /><br />　アート(art)という言葉は「芸術」という意味であると同時に「美術」という意味も示す。このことからも、芸術といえばまず連想されるものは美術であるようだといえるが、人がそこに美的価値を見出せるのであれば、どんなものでも芸術に成りうる。さらに[350]<br />アートの他領域への介入
　アート(art)という言葉は「芸術」という意味であると同時に「美術」という意味も示す。このことからも、芸術といえばまず連想されるものは美術であるようだといえるが、人がそこに美的価値を見出せるのであれば、どんなものでも芸術に成りうる。さらにいうと、この「アート」という言葉は、そのまま「美的価値」という言葉に置き換えられるのではないかと思う。さて今日、このような「アート」とされるものと、そうでないもの（たとえば「娯楽」）との境は、次第になくなりつつある。アートがそうでないものの領域に介入し、そうでないものがアートの要素を取り入れる。ここでは、そのようなアートの他領域への介入について考えてみたいと思う。
　まずは、テレビゲームについて考えてみよう。昭和50年、日本で初のテレビゲーム『テレビテニス』が発売され、84年にはファミコン（ファミリーコンピュータ）の大ブームがおこった。この時、なぜファミコンが売れたのかというと、当時ファミコンを買った人達は「ゲームが面白いから。」と答えた。しかし考えてみると、ドンキーコングも、マリオも、ロードランナーも、他機種でも遊べるもので..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ブラジルの音楽。ボサノヴァについて。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430794701@hc06/6400/]]></link>
			<author><![CDATA[ by puertorico]]></author>
			<category><![CDATA[puertoricoの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Feb 2006 11:35:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430794701@hc06/6400/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430794701@hc06/6400/" target="_blank"><img src="/docs/983430794701@hc06/6400/thmb.jpg?s=s&r=1139366123&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　ブラジルといえばまず一番に思うのがサッカー大国というイメージです。確かにその通りサッカーはたいへん盛んな国で、世界一のサッカー大国だといえます。その証拠に、サッカーの最も有名な大会「FIFAワールドカップ」の優勝回数も単独１位[348]<br />ブラジルの音楽、ボサノヴァについて
はじめに
ブラジルといえばまず一番に思うのがサッカー大国というイメージです。確かにその通りサッカーはたいへん盛んな国で、世界一のサッカー大国だといえます。その証拠に、サッカーの最も有名な大会「FIFAワールドカップ」の優勝回数も単独１位の５回（ちなみに２位はイタリアと西ドイツが同位で３回）で、今年ドイツで開かれるワールドカップの優勝予想の大本命もブラジルです。今年の世界最優秀選手、欧州最優秀選手は共にロナウジーニョというブラジル人の選手です。そして私が個人的にブラジルという国のサッカーが最もすごい所だと思う事が、ブラジル人の選手が他の国に帰化する事によって、ブラジルの中だけではなく世界中のナショナルチームに元ブラジル人の選手がいるという事です。たとえば日本でも、サントス・アレサンドロやラモス瑠偉などがいます。他にもスペインやオランダなどの強豪チームにも、元ブラジル人の選手がいる事は珍しいことではありません。
このような情報を見ても、ブラジルがサッカー大国だという事に文句のつけようもありませんが、実は音楽もたいへん盛んな国なのです。一般的にはあまり知ら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[レンブラント展の感想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6293/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sugiyama]]></author>
			<category><![CDATA[sugiyamaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Feb 2006 17:25:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6293/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6293/" target="_blank"><img src="/docs/983432196501@hc05/6293/thmb.jpg?s=s&r=1139127905&t=n" border="0"></a><br /><br />　展覧会のはじめにあったのは、前レンブラント派としたセクションで、レンブラントが弟子入りしたピエール・ラストマンらの絵があった。絵のテーマはすべて聖書の中からとられており、風景画などとは違う物語性を感じることが出来る。これはレンブラントにも[360]<br />　展覧会のはじめにあったのは、前レンブラント派としたセクションで、レンブラントが弟子入りしたピエール・ラストマンらの絵があった。絵のテーマはすべて聖書の中からとられており、風景画などとは違う物語性を感じることが出来る。これはレンブラントにも通じるものであろう。個人的には、ここにあった絵はあまり好きにはなれなかった。輪郭をぼやかさずに描かれている絵が嫌いだというわけではないのだが、そのはっきりと描かれる仕方に気に食わないものがあった。ダリの絵などは好きなので、これはただの個人的な趣味であろう。また、聖書の中身をあまり知らないので、絵で訴えたいことが全くわかっていなかったことも、この場所にあった絵があまり気に入らなかったひとつの理由かもしれない。
　その次にあったのは、レンブラントによる版画であった。版画については、高校時代にエッチングをやっただけなのでよく知らなかったが、エッチングがふんだんに使われていて非常に楽しかった。自分でエッチングをやってみて感じたことだが、エッチングをしていて最も力が入るのは、光と陰を表現するところであり、絵を描くときより簡単に陰陽の表現ができることには感動した..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[色彩感情の諸層]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6177/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mi-ho]]></author>
			<category><![CDATA[mi-hoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 16:50:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6177/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6177/" target="_blank"><img src="/docs/983431260701@hc06/6177/thmb.jpg?s=s&r=1138866657&t=n" border="0"></a><br /><br />1&minus;色彩感情の分類
　無意識的から意識的まで、さまざまな水準の多様な性質の感情と結びつく色彩感情を、４つに分類してみる。
?	無意識的に身体全体の機能的な促進作用・沈静作用を及ぼす。
?	色彩の共感覚的印象には感情的雰囲気が随伴してい[338]<br />◎色彩感情の諸層
1－色彩感情の分類
　無意識的から意識的まで、さまざまな水準の多様な性質の感情と結びつく色彩感情を、４つに分類してみる。
無意識的に身体全体の機能的な促進作用・沈静作用を及ぼす。
色彩の共感覚的印象には感情的雰囲気が随伴している。
慣習などによって色彩が記号として機能し、その意味に由来する色彩感情が生まれる。
個人的な体験のなかで色彩と感情が結びつき、主観性の強い色彩感情が形成される。
2－色彩感情と身体
　①②は、身体的な、生理的な構造を基盤とし、生物学的存在として、色彩への感情的反応が決定しているものもあるだろう。集合的無意識のように、刺激（色彩）に対する反応の神経経路が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[黄色い大地を見て]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6043/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sugiyama]]></author>
			<category><![CDATA[sugiyamaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2006 18:24:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6043/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6043/" target="_blank"><img src="/docs/983432196501@hc05/6043/thmb.jpg?s=s&r=1138699460&t=n" border="0"></a><br /><br />　この作品を見て、無限に広がっていくような黄土と静かに流れていく時間の中で、その中に佇んでいるような印象を受けた。そして登場人物を見守っているかのようなタッチで物語が進んでいった。その様子は映画というよりもドキュメンタリーのようであり、見て[360]<br />　　　　　　　　　　　　　『黄色い大地』を見て
　この作品を見て、無限に広がっていくような黄土と静かに流れていく時間の中で、その中に佇んでいるような印象を受けた。そして登場人物を見守っているかのようなタッチで物語が進んでいった。その様子は映画というよりもドキュメンタリーのようであり、見ていて一般の映画にはない安心感や落ち着きといったものを感じ、心地よさも感じた。しかし、ただ穏やかであるだけでなく、穏やかさの中に力強く生きていくことに対する情熱が読み取れるように思う。その情熱とは変化に対する情熱であるように思う。自由恋愛・自由結婚などが許されている八路軍の顧青に出会うことによって、翠巧の中に起こる自分の人生の変化への情熱である。顧青に出会うまでは疑問に思うことのなかった村での生活をそとの世界を知ってしまった翠巧はそれに魅力を感じ変化を望むのである。
私はこの作品に描かれている翠巧の物語をどこか自分にとって身近な女性、母・祖母・叔母らみ重ね合わせて見ていた。なぜならそれは翠巧の姿が中国でいういわゆる「現代化」の中で変化し、成長していく女性のひとつの典型的な姿であるようにわたしには思われたか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ ショパンの「革命のエチュード」について　]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432309801@hc05/5956/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chengtw]]></author>
			<category><![CDATA[chengtwの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 29 Jan 2006 22:10:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432309801@hc05/5956/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432309801@hc05/5956/" target="_blank"><img src="/docs/983432309801@hc05/5956/thmb.jpg?s=s&r=1138540227&t=n" border="0"></a><br /><br />　この革命のエチュードを初めて聞いたのは、ショパンの映画を見るときだった。とても激しい情熱に満たされ、何かを訴えているような強烈な感じだった。そして、ショパンの人生に実際起きたことを合わせると、なぜこんな絶望や怒りという感情が渦巻いているの[360]<br />ショパンの「革命のエチュード」について　（テーマ2）
　　この革命のエチュードを初めて聞いたのは、ショパンの映画を見るときだった。とても激しい情熱に満たされ、何かを訴えているような強烈な感じだった。そして、ショパンの人生に実際起きたことを合わせると、なぜこんな絶望や怒りという感情が渦巻いているのがはっきりと感じられる。
　　映画によると、ショパンがパリに行く途中、シュトゥットガルトという場所に滞在した際、そこでショパンは、故郷のワルシャワで革命が起き、革命軍がロシア軍に鎮圧されたという知らせを受けた。その知らせを聞いたショパンはやり場のない絶望と怒りに見舞われた。その想いがこの曲にぶつけられた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[紅白梅図屏風に秘められた光琳の心]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430954801@hc06/5841/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 現役海外大学院生]]></author>
			<category><![CDATA[現役海外大学院生の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Jan 2006 03:27:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430954801@hc06/5841/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430954801@hc06/5841/" target="_blank"><img src="/docs/983430954801@hc06/5841/thmb.jpg?s=s&r=1138386464&t=n" border="0"></a><br /><br />紅白梅図屏風は、尾形光琳の最晩年期に製作されたものであり、光琳の最高傑作とも言われている。左側に白梅、右側に紅梅を描き、中央に川の流れを配した二曲一双の屏風図で、二曲一双の金地を背景に老成した梅樹が描かれている。また、型紙を使って描いたかの[360]<br />紅白梅図屏風に秘められた光琳の心
紅白梅図屏風は、尾形光琳の最晩年期に製作されたものであり、光琳の最高傑作とも言われている。左側に白梅、右側に紅梅を描き、中央に川の流れを配した二曲一双の屏風図で、二曲一双の金地を背景に老成した梅樹が描かれている。また、型紙を使って描いたかのような水の流れの模様は、光琳の工芸家としの要素が現れていると思う。光琳は、豊臣家の御用商人として染織物を納める豪商の家に生まれたため、その時代の最高級の衣裳や紋様帳に生まれながらにして親しめる環境があったのだ。そういった背景や彼の技術が、この重厚なリズム感や緊張感、さらに洒落た装飾性をも作り出したのだと思う。
この絵は日本史の資料集などで何度もお目にかかってきたので、私にとってとても馴染み深い作品である。また、絵の大部分に貼られた目映いばかりの金箔から、何か祝儀的なものを感じていた。ところが、先日ＮＨＫで放送された「光琳・解き明かされた国宝の謎」と言う番組を見て、私は身震いしてしまった。何とその金箔の地と考えていた部分には、金は殆ど使われていなかったと言うのである。子供の頃から見慣れた「紅白梅図屏風」の写真などには、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[博物館、美術館における「資料」の問題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431764101@hc05/5762/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hrm12ch]]></author>
			<category><![CDATA[hrm12chの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 26 Jan 2006 15:34:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431764101@hc05/5762/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431764101@hc05/5762/" target="_blank"><img src="/docs/983431764101@hc05/5762/thmb.jpg?s=s&r=1138257257&t=n" border="0"></a><br /><br />　博物館は専門領域とする範囲内の数多くの博物館資料を基盤とし、各博物館が収蔵する独自の資料を媒介とする社会教育機関であることはいうまでもない。伝達者である学芸員の研究成果は直ちに一般の人たちの知的財産になるのであるから、影響力が大きく重大な[360]<br />博物館、美術館における「資料」の問題について
　博物館は専門領域とする範囲内の数多くの博物館資料を基盤とし、各博物館が収蔵する独自の資料を媒介とする社会教育機関であることはいうまでもない。伝達者である学芸員の研究成果は直ちに一般の人たちの知的財産になるのであるから、影響力が大きく重大な責任感が要求される。その中で、1つの博物館資料には1つしか情報がないと思われがちな問題がある。1つの資料には様々な情報を包含しているというのを、一般の人たちに理解してもらうのは重要なことではないだろうか。
　博物館資料と一言にいっても、そこには考古学資料・歴史資料・文献資料・民俗資料・美術資料などをはじめとする人文系資料や、動物資料・植物資料・地学飼料などの自然系資料と、各博物館がそれぞれの専門領域とする範囲内で多岐に及ぶ資料が介在し合っている。これらの各学問分野の資料は、博物館に収蔵されることにより一般に博物館資料と呼ばれるものとなり、博物館に収蔵された考古学資料は博物館資料と認識されることとなる。しかし、ここで確認しなければならない点は、博物館に収蔵された資料の具体的状況であって、ただ単に博物館にある..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 北インドと南インドの彫刻様式の差異]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432174601@hc05/5687/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ftakuya]]></author>
			<category><![CDATA[ftakuyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Jan 2006 18:19:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432174601@hc05/5687/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432174601@hc05/5687/" target="_blank"><img src="/docs/983432174601@hc05/5687/thmb.jpg?s=s&r=1138094366&t=n" border="0"></a><br /><br />　先ず北インドの中世彫刻について述べることとする。中世彫刻は当代インドのあらゆる地域で展開したことにより、古代と異なる特徴を持つ。これは南インド彫刻についても同様であるが、建築の発達と即応した形で展開し、寺院というものが建築と彫刻からなる複[360]<br />　先ず北インドの中世彫刻について述べることとする。中世彫刻は当代インドのあらゆる地域で展開したことにより、古代と異なる特徴を持つ。これは南インド彫刻についても同様であるが、建築の発達と即応した形で展開し、寺院というものが建築と彫刻からなる複合体として発達したことが挙げられる。また、抽象的で単純な部分が有機的に結合され、全体が統一性を持って構築されていることも具体例に挙がるべきことだろう。更にかかる寺院が、今までのように特定地域のみで発展するのではなく、様々な地域でそれぞれの地域性を見せながら造営されたのである。
　北インド中世彫刻は建築と一体となって展開したこともあって、古代彫刻が目指した自然..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[映画の理論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431046201@hc06/5516/]]></link>
			<author><![CDATA[ by coco09]]></author>
			<category><![CDATA[coco09の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 20 Jan 2006 00:10:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431046201@hc06/5516/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431046201@hc06/5516/" target="_blank"><img src="/docs/983431046201@hc06/5516/thmb.jpg?s=s&r=1137683443&t=n" border="0"></a><br /><br />　映画の理論というシンプルな題名からもわかるようにこの本は映画について論じているのであるが、著者の理論は今までにない斬新さを帯びている。たとえば、映画は新しい芸術の一分野であると著者は言っている。それであるのに人々は気がつかず、人類が見たこ[360]<br />映画芸術の可能性
映画の理論というシンプルな題名からもわかるようにこの本は映画について論じているのであるが、著者の理論は今までにない斬新さを帯びている。たとえば、映画は新しい芸術の一分野であると著者は言っている。それであるのに人々は気がつかず、人類が見たことがなかった新しい芸術の誕生の瞬間をみすみす見逃してしまった。
　またこの本が映画を見る人のための本である。映画を見る全ての人たち、学者や映画研究者だけではなく膨大な数の一般人に向けての言葉であるためか、斬新なすばらしい理論であるがわかりやすい文体で書かれており説得力がある。しかしそれだけではなくいい文章で書かれているためという理由もある。
　何よりもまず第一章では映画について理論を学ぶ必要性が挙げられている。日本でも最近では映画の研究がされているが、一番映画を見る普通の人々にはどうだろうか。彼らには絵画や文学を学ぶことはあるにしても映画の見方をまなぶといったことはない。このことは著者の時代と全く同じ状況である。映画は未だただ見る物である。なぜ必要に迫られているのかと言えば、この本の第一文で分かる。「映画芸術は、他のいかなる芸術よりも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ギリシャ演劇とオイディプス王]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5509/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marierock]]></author>
			<category><![CDATA[marierockの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 19 Jan 2006 22:55:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5509/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5509/" target="_blank"><img src="/docs/983431336301@hc05/5509/thmb.jpg?s=s&r=1137678920&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　前期、「演劇と教育」では蜷川幸雄演出、野村萬斎主演の『オイディプス王』の一部分を見た。『身毒丸』なども手がけ、国際的な評価も高い蜷川幸雄と、狂言師であり映画やドラマなどでも多彩な活動を見せる野村萬斎が、ギリシャの古典悲劇であり[356]<br />　　　　　　　　　　　ギリシャ演劇とオイディプス王
はじめに
　前期、「演劇と教育」では蜷川幸雄演出、野村萬斎主演の『オイディプス王』の一部分を見た。『身毒丸』なども手がけ、国際的な評価も高い蜷川幸雄と、狂言師であり映画やドラマなどでも多彩な活動を見せる野村萬斎が、ギリシャの古典悲劇であり、精神分析などでも「エディプス・コンプレックス」に関連してよく名前の出てくる、ソフォクレスの『オイディプス王』の舞台をやる、ということでとても注目された舞台である。自分自身前から『オイディプス王』に興味を持っていたこともあり、取り上げることにした。
　構成としては、第一章ではギリシャ演劇について、第二章ではギリシャ悲劇とギリシャ喜劇、そして第三章ではソフォクレスと『オイディプス王』について述べる。
ギリシャ演劇
　ギリシャ演劇とは古代ギリシャで行われた演劇のことであり、それには悲劇、喜劇、サテュロス劇、などというものが挙げられる。サテュロス劇とは、ギリシャ神話の豊穣の神であり酒の神である、ディオニュソスの従者に扮したコロス（合唱隊）が登場する劇のことである。コロスとは、コーラスの語源ともなっており、古..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[&ldquo;Rock &rsquo;n&rsquo; Roll and America.&rdquo;]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5455/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marierock]]></author>
			<category><![CDATA[marierockの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 Jan 2006 02:44:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5455/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5455/" target="_blank"><img src="/docs/983431336301@hc05/5455/thmb.jpg?s=s&r=1137519859&t=n" border="0"></a><br /><br />Introduction
　There are a lot of people in the world who love rock &rsquo;n&rsquo; roll. Still, many popular rock &rsquo;n&rsquo; rollers exist[130]<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
&ldquo;Rock &rsquo;n&rsquo; Roll and America.&rdquo;
Introduction
There are a lot of people in the world who love rock &rsquo;n&rsquo; roll. Still, many popular rock &rsquo;n&rsquo; rollers exist. However half century has passed since rock &rsquo;n&rsquo; roll was born, its status is fixed even today. Why is it? Rock &#039;n&#039; roll, isn&#039;t it just a kind of a genre of music? These are interesting questions. Born in America, rock &#039;n&#039; roll was the music of black people and the music of white people. Therefore, inevitably, it has a ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[The Mission]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5453/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marierock]]></author>
			<category><![CDATA[marierockの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 Jan 2006 02:26:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5453/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/5453/" target="_blank"><img src="/docs/983431336301@hc05/5453/thmb.jpg?s=s&r=1137518780&t=n" border="0"></a><br /><br />The Mission is the movie about religious, economical, and political power. The first one, religion, is the theme of this[120]<br />The Mission
The Mission is the movie about religious, economical, and political power. The first one, religion, is the theme of this movie. Religious power is the story about the missions by Jesuit. The Guarani had their own religion, of course. However, some Guarani were converted to Christianity when they met it. And others didn&#039;t. In this situation, they held their balance. 
Two things that upset their balance were economical and political power. The former is economical power between Portuga..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[レオナルド・ダ・ヴィンチと彼の描く女性像の意味]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/5427/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 09:38:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/5427/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/5427/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/5427/thmb.jpg?s=s&r=1137458326&t=n" border="0"></a><br /><br />立命館大学　　　　ヨーロッパ文化史今回の講義を通して私がテーマとして注目し、設定したものはレオナルド・ダ・ヴィンチと彼の描く女性像の類似性についてである。レオナルド論においてフロイトは「聖アンナと聖母子」という彼の作品の中にいくつかの[354]<br />ヨーロッパ文化史ⅡL
レオナルド・ダ・ヴィンチと彼の描く女性像の意味
今回の講義を通して私がテーマとして注目し、設定したものはレオナルド・ダ・ヴィンチと彼の描く女性像の類似性についてである。なぜこれを私がテーマとして選んだのかというと、それはフロイトのレオナルド論を知ったことをきっかけとして、私が疑問を抱いたからである。レオナルド論においてフロイトは「聖アンナと聖母子」という彼の作品の中にいくつかの不可思議な点を発見している。それをレオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出から分析していき、その絵画の謎を解明しようとしたものであった。そして私が疑問を抱いたのはこの不可思議な点に関連しているものである。その不可思議な点とは、まず聖アンナと聖母マリアの関係が挙げられる。この二人の姿勢や位置関係、そして年齢差の感じられないことである。そして微笑みの表現や聖母マリアと幼子キリストの関係、判じ絵の存在などが挙げられるのである。これらの点を幼年期のある思い出から分析し、解明しようとしていたのであるが、このほぼ同じ時期に彼の代表作と言っても過言ではない作品「モナ・リザ」も描いている。この二つの絵画..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[異文化表象の問題点]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431238901@hc06/5360/]]></link>
			<author><![CDATA[ by michelle]]></author>
			<category><![CDATA[michelleの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Jan 2006 23:35:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431238901@hc06/5360/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431238901@hc06/5360/" target="_blank"><img src="/docs/983431238901@hc06/5360/thmb.jpg?s=s&r=1137335758&t=n" border="0"></a><br /><br />　今日、私たちは生活のあらゆる場面において、表象されている異文化というものに出くわす。それは、自文化を再認識する上で非常に大きな役割を果たしている。しかし、異文化を表象することにおいて、ひとつ問題となってくることがあるように思われる。それは[360]<br />今日、私たちは生活のあらゆる場面において、表象されている異文化というものに出くわす。それは、自文化を再認識する上で非常に大きな役割を果たしている。しかし、異文化を表象することにおいて、ひとつ問題となってくることがあるように思われる。それは、「表象される側への配慮」という問題である。表象という行為において、表象する側と表象される側が存在するのは必然となってくる。ただ、表象する側の考えによって、どのようにでも表象される側は変化していってしまうのである。ここでは、第五回内国勧業博覧会の植民地パビリオン台湾館を例にとって考えていこうと思う。
この第五回内国勧業博覧会は一九〇三年に開催されたのだが、「この時期、植民地台湾では、原住民の「絶滅」をも念頭においたうえで、彼らが主に居住する「山地」の征服を目指しはじめた台湾総督府に対し、原住民は存亡をかけた激しい武力闘争を行っていた。しかし、総督府出品物による原住民の表象からは、そのような側面は一切捨象されており、彼らの日常生活品や写真がそのような政治的コンテクストを隠蔽した形で、並べられていたのである。」（P72）つまり、ここに展示されたものは純粋に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[古典と西欧との差異からみる舞踊の本質]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431261501@hc06/5222/]]></link>
			<author><![CDATA[ by makipeko]]></author>
			<category><![CDATA[makipekoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 13:04:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431261501@hc06/5222/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431261501@hc06/5222/" target="_blank"><img src="/docs/983431261501@hc06/5222/thmb.jpg?s=s&r=1137211469&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　舞踊は人間が言葉を有する以前から生活の中にあった。そして信仰と結びついて舞踊が発生したのは世界共通の事実。しかしそれぞれの民族によって長い歴史と共に大きな差が生じたのである。
　大正元年、帝劇に招かれたイタリア人教師ローシー[352]<br />はじめに
　舞踊は人間が言葉を有する以前から生活の中にあった。そして信仰と結びついて舞踊が発生したのは世界共通の事実。しかしそれぞれの民族によって長い歴史と共に大きな差が生じたのである。
　大正元年、帝劇に招かれたイタリア人教師ローシーによってバレエはもたらされた。バレエ伝来から約１００年経つが、これまで幾度かのブームを経て、今またこの芸術の人気が高くなってきている。今日の日本では、遥か千年以前の古代の舞楽、中世の能、狂言、近世の人形浄瑠璃、歌舞伎、そして日本舞踊と各時代の芸能が現代の演劇、舞踊とが共存しているが、その中において見事バレエも舞踊文化の一端を担うことができていると言える。これは他国にはあまり見られることではない。西欧が前代の様式を壊して進化していく変遷であったのに対して、日本の芸能は新旧交代することなく、互いに影響し、多岐に分裂していくという形をとってきた。アジア東端の島国である日本は、それらを独自の文化として成長させてきた。ここでは古典芸能の集大成ともいえる日本舞踊と西欧の舞踊クラシックバレエとを比較し、共通点・相違点から舞踊の本質を本論のテーマとしたい。
衣装による表..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[エヴァとマリアと女性像]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/4793/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 10 Jan 2006 19:13:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/4793/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/4793/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/4793/thmb.jpg?s=s&r=1136887991&t=n" border="0"></a><br /><br />立命館大学　　美学・芸術社会学EVAとAVEはアナグラムになっていることなどから女性の二面性の可能性などを視野にいれ、女性とはどのようなものとしてあらわされ、どのような位置におかれていたのかを考察し、述べています。その他の資料h[334]<br />エヴァとマリアと女性像
美学・芸術社会学L
　私が今回、考察したことはエヴァに始まる女性像というものについてである。一番印象に残っていることは「男性は肯定形で表象され、女性は否定形で表象される」という言葉である。これには自身が女性であるということもあって大変なショックと憤りのようなものを感じた。なぜ男性は肯定形であって、女性は肯定形ではなく否定形で表されるのか。このことについて考察したことを以下に述べる。そのことを考えるにあたって、まずは女性とは具体的にどのようなものとして表され、どのような位置に置かれていたのかを整理していくことにする。
女性はキリスト教の中でエヴァとマリアという対象的な二人の人物に二分されている。原罪を犯し、楽園を追放される原因となったり、パンドラの箱を開けてしまった者、つまり女性は諸悪の根源とされてきた。つまりエヴァは女性そのものなのである。しかし対称的にイエス・キリストを生む聖母マリアが反ロゴスであるエヴァであってはいけないという考えから、マリアは絶対に処女懐胎をしなければならなかったのである。聖母マリアは女性いうその段階を飛ばして「母そのもの」でなければならな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アートメネジメント課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431334101@hc05/4534/]]></link>
			<author><![CDATA[ by narulin]]></author>
			<category><![CDATA[narulinの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Jan 2006 12:25:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431334101@hc05/4534/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431334101@hc05/4534/" target="_blank"><img src="/docs/983431334101@hc05/4534/thmb.jpg?s=s&r=1136258720&t=n" border="0"></a><br /><br />　渋谷の、とあるビルの地下に「maria cuore(マリアの心臓)」というギャラリーがある。
　私はこの課題において、「マリアの心臓」にて先月催された「幼きマリア様」という人形展示会について、その空間がどのような働きを持つ「装置」である[330]<br />アートマネジメント春学期課題
渋谷の、とあるビルの地下に「maria cuore(マリアの心臓)」というギャラリーがある。
私はこの課題において、「マリアの心臓」にて先月催された「幼きマリア様」という人形展示会について、その空間がどのような働きを持つ「装置」であるか、そのためにはどういった企画が求められていたのかについて論じていきたいと思う。
　「マリアの心臓」とは、２００３年２月に閉鎖された人形ギャラリー「マリアクローチェ」の後継である。店主いわく、ギャラリーというよりは「人形好きのサロンにしたい」というコンセプトから来る店名らしい。渋谷駅から東急ハンズ方面へと向かう道に、その場所はある。注意していないと素通りしてしまうほど、何気なく、ひっそりと存在している。そこが会場だと知らなければ、十中八九、人々は気付くことは無いであろう。渋谷の極ありふれた外装のビルからエレベーターで地下へと降り、一度そのドアが開いた瞬間、世界は変わるのだ。そんなところもこのギャラリーの魅力なのかもしれない。室内は、「マリアクローチェの眠る秘密の地下室で」というテーマを崩さないゴシックな雰囲気が保たれている。こ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[札幌コンサートホールと、その他様々なホールについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317301@hc05/4508/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sutabarate]]></author>
			<category><![CDATA[sutabarateの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 02 Jan 2006 14:12:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317301@hc05/4508/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317301@hc05/4508/" target="_blank"><img src="/docs/983431317301@hc05/4508/thmb.jpg?s=s&r=1136178729&t=n" border="0"></a><br /><br />　七月中旬の研修旅行一日目に行った札幌コンサートホールは、私にとって初めて見るタイプのホールでした。
　私が今までに見て来たホールと言えば、『舞台の正面と横に観客席』と言うタイプのみで、札幌コンサートホールの『舞台の後ろにも観客席』には、[356]<br />　音楽の歴史　　コンサートレポート　
～研修旅行一日目に行った札幌コンサートホールと、その他様々なホールについて～
　七月中旬の研修旅行一日目に行った札幌コンサートホールは、私にとって初めて見るタイプのホールでした。
　私が今までに見て来たホールと言えば、『舞台の正面と横に観客席』と言うタイプのみで、
札幌コンサートホールの『舞台の後ろにも観客席』には、大変驚いたのと同時に感激しました。しかし、よくよく考えてみれば数回ならいいかもしれませんが、毎回舞台の後ろから見ると言う事は、舞台を通して見える背景が、観客席になると言う事ですから、一概にも全てがいいとは言い切れないのかもしれません。コンサートホールにも、形、長所・短所があり、用途によって様々な形があるようです。
まず、札幌コンサートホールのような客席の囲み角３６０度のタイプは、円形劇場、アイランドステージ、アリーナ、センターステージなどと呼ばれ、一般的にはアリーナ形式と呼ばれるようです。この形式の典型的な例はサーカスで、アリーナ形式のステージと観客席は先々の興行地で仮設される大屋根テントの中に組み立てられます。英国内では常設のサーカス..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Psycho Film Review]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/4299/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marierock]]></author>
			<category><![CDATA[marierockの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Dec 2005 02:21:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/4299/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/4299/" target="_blank"><img src="/docs/983431336301@hc05/4299/thmb.jpg?s=s&r=1135444891&t=n" border="0"></a><br /><br />Psycho
Director: Alfred Hitchcock
Actors: Anthony Perkins, Janet Leigh, Vera Miles, John Gavin
Running Time: 109 minu[120]<br />Form A
Psycho
Director: Alfred Hitchcock
Actors: Anthony Perkins, Janet Leigh, Vera Miles, John Gavin
Running Time: 109 minutes
Rated: Not rated
Review Writer: Rie Aizawa 
When we hear the name of Alfred Hitchcock, we remember The Birds (1963), Vertigo (1958), and this movie, Psycho (1960). Unlike his other movies, Psycho is black-and-white. This is because he wanted to cushion the shock of the horrible murderous scene for the audience. However, he could make this movie horrible and shocking wit..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Crooklyn Film Review]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/4298/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marierock]]></author>
			<category><![CDATA[marierockの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Dec 2005 02:15:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/4298/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431336301@hc05/4298/" target="_blank"><img src="/docs/983431336301@hc05/4298/thmb.jpg?s=s&r=1135444515&t=n" border="0"></a><br /><br />Crooklyn
Director: Spike Lee
Actors: Alfre Woodard, Delroy Lindo, Zelda Harris
Running Time: 113 minutes
Rated: Not [120]<br />Form A
Crooklyn
Director: Spike Lee
Actors: Alfre Woodard, Delroy Lindo, Zelda Harris
Running Time: 113 minutes
Rated: Not rated
Review Writer: Rie Aizawa
Introduction
What is the word &quot;Crooklyn&quot;? Crooklyn means Brooklyn and it is the word that black children utter Brooklyn. In this movie, a lot of black children in Brooklyn appear. Of all others, Spike Lee focused the Carmichael family. There are 7 people and a dog in their family; Carolyn Carmichael (Alfre Woodard), Woody Carmichael (Delroy Li..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[スタンピングと小麦粉ねんど]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431559701@hc05/4289/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミューズ大好き]]></author>
			<category><![CDATA[ミューズ大好きの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 24 Dec 2005 02:20:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431559701@hc05/4289/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431559701@hc05/4289/" target="_blank"><img src="/docs/983431559701@hc05/4289/thmb.jpg?s=s&r=1135358425&t=n" border="0"></a><br /><br />　造形表現とされるものはたくさんある。その中からまず、スタンピングについてである。スタンピングとは、身の周りにあるものに絵の具をつけ、紙に押して写すことをいう。また、型押しという。スタンピング（型押し）は物の形や材料の材質を写し出すとともに[360]<br />　造形表現とされるものはたくさんある。その中からまず、スタンピングについてである。スタンピングとは、身の周りにあるものに絵の具をつけ、紙に押して写すことをいう。また、型押しという。スタンピング（型押し）は物の形や材料の材質を写し出すとともに、幼児でも、同じ型を簡単に多く造ることが可能なのである。柔らかい材料で版を作り、その単位形の組み合わせをすると、子どももデザイン的な構成ができ楽しめる。
　幼児が自然物や使わなくなったものなどの中から、面白い形をしている物を見つけ、それを紙に押していく。例えば、スポンジに含ませた絵の具をつけて押す。形を並べるだけから発展して、版の粗密や配置を考えて構成する。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ベートーベン研究序説]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431344101@hc05/4249/]]></link>
			<author><![CDATA[ by horihori]]></author>
			<category><![CDATA[horihoriの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Dec 2005 23:04:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431344101@hc05/4249/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431344101@hc05/4249/" target="_blank"><img src="/docs/983431344101@hc05/4249/thmb.jpg?s=s&r=1135260294&t=n" border="0"></a><br /><br />　私にとって最も大好きな作曲家は、間違いなくベートーベンである。クラシック好きの祖母の影響を受けて、こうなるまでには、ずいぶんといろいろな作曲家の音楽に夢中になったものである。シューベルト、シューマン、ブラームスなどロマン派の作曲家の作品も[360]<br />ベートーベンのピアノソナタについて
私にとって最も大好きな作曲家は、間違いなくベートーベンである。クラシック好きの祖母の影響を受けて、こうなるまでには、ずいぶんといろいろな作曲家の音楽に夢中になったものである。シューベルト、シューマン、ブラームスなどロマン派の作曲家の作品もずいぶん聴いた。彼らはベートーベンの後に出てきた作曲家である。彼らは、ただひたすらベートーベンの後ろ姿を追い求めた。しかし誰として、ベートーベンを超えられた作曲家はいなかったのではないかと私は思う。このように考え、最後はやはりベートーベンへと到達した。ベートーベンの曲の中でも私は、交響曲よりも、シンプルなピアノソナタが好きである。ベートーベンのピアノソナタは彼の自叙伝と考えてもいい気がする。叶わなかった恋愛や耳に異常を感じたときの身を切るような悲痛な叫びを描いている作品が多いので私はそのように考える。ベートーベンには、３２曲のピアノソナタが存在するが、ハンス・フォン・ビューローによって「ピアノ音楽の新約聖書」とたとえられている。これらのピアノソナタはピアノによる表現力を徹底的に追求して交響曲のような形式・内容でしっか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[デザイン情報概論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431368801@hc05/4163/]]></link>
			<author><![CDATA[ by elephantpink]]></author>
			<category><![CDATA[elephantpinkの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 19 Dec 2005 21:06:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431368801@hc05/4163/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431368801@hc05/4163/" target="_blank"><img src="/docs/983431368801@hc05/4163/thmb.jpg?s=s&r=1134994004&t=n" border="0"></a><br /><br />A    アップル　iPod  Shuffle
《特徴》
新しい曲順はランダム
　iPod shuffleは、お気に入りの曲を毎回ちがった順番で再生して、「お決まりのパターン」を完全に排除する。iPod shuffleをコンピュータの[264]<br />A アップル　iPod Shuffle
《特徴》
新しい曲順はランダム
iPod shuffleは、お気に入りの曲を毎回ちがった順番で再生して、「お決まりのパターン」を完全に排除する。iPod shuffleをコンピュータのUSBポートに直接差し込むたびに、「新しい音楽体験」を作り出す。次に再生される曲が予想できないというだけでも「同じことの繰り返し」から、ほんの少し解放されるのではないだろうか。
何でも入れて出かけよう
iPod shuffleの重さは自動車キーほどで、ファッション的な要素もたっぷり。付属のネックストラップに取り付けて、それを首にかけて散歩やジョギング、サイクリングを楽むことができる。音飛びが一切なく、最長12時間もの連続再生（2）が可能なiPod shuffleを持って行けないところはないどろう。iPod shuffleには小さなキャップが付いていて、普段はこれでUSBコネクタ部分を保護する。
A&rsquo; SONY NW―E500 
《特徴》
見やすさ、美しさともにアップ
3行表示有機ELディスプレイを採用。文字やグラフィックがくっきりと浮かびあがるような美しいデザインの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ディスプレイとロゴ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431368801@hc05/4162/]]></link>
			<author><![CDATA[ by elephantpink]]></author>
			<category><![CDATA[elephantpinkの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 19 Dec 2005 21:00:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431368801@hc05/4162/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431368801@hc05/4162/" target="_blank"><img src="/docs/983431368801@hc05/4162/thmb.jpg?s=s&r=1134993633&t=n" border="0"></a><br /><br />[はじめに]
　今回のレポートに取り組むにあたって内容が授業内にとりあげた項目ということで、いろいろ悩んだが、自分が惹かれた授業内容として残っていたのは「ディスプレイデザインについて」、「ロゴデザイン」の2つだった。この２つに共通していえ[350]<br />[はじめに]
今回のレポートに取り組むにあたって内容が授業内にとりあげた項目ということで、いろいろ悩んだが、自分が惹かれた授業内容として残っていたのは「ディスプレイデザインについて」、「ロゴデザイン」の2つだった。この２つに共通していえることはどちらのデザインも「客が対象」だということだ。客が対象ということで今回この２つを含む宣伝のためのデザイン、客にむけてのデザインについて調べてみよと思った。
私たちが普段あらゆることろで目にする広告、看板、ディスプレイなど、歴史なども調べつつ現在のデザインについて、さらに未来のデザインについて調べていけたらいいと思う。
[ディスプレイデザイン]
メディアとしてのディスプレイ
ディスプレイは、現代の都市空間を中心にして拡大し、発展を続けている。たとえばショッピングセンターや百貨店、専門店などの楽しい商業空間。最近では科学館や博物館、美術館などのしゃれた文化空間は、若者の知的デートスポットとなっている。さらに展示会、見本市、ファッションショー、スポーツ行事、地域の祭りの賑やかなイベント空間・・。街のストリートを彩るショーウインドウも相変わらずの魅惑的だ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「盛期唐三彩」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432039501@hc05/3907/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kiitos]]></author>
			<category><![CDATA[kiitosの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 12 Dec 2005 21:48:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432039501@hc05/3907/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432039501@hc05/3907/" target="_blank"><img src="/docs/983432039501@hc05/3907/thmb.jpg?s=s&r=1134391719&t=n" border="0"></a><br /><br />　唐三彩は、白い素地に金属化合物（酸化鉄・酸化銅・コバルト）を呈色剤とし、酸化鉛を加えた釉薬をかけて低温で焼成したやきものである。唐三彩の素地には一般に白い化粧土が施されており、酸化鉄を主とした場合は褐色、酸化銅は緑色、コバルトは藍・青色に[360]<br />　唐三彩は、白い素地に金属化合物（酸化鉄・酸化銅・コバルト）を呈色剤とし、酸化鉛を加えた釉薬をかけて低温で焼成したやきものである。唐三彩の素地には一般に白い化粧土が施されており、酸化鉄を主とした場合は褐色、酸化銅は緑色、コバルトは藍・青色に発色する。三彩とは厳密にこの褐色・緑色・藍色、そして透明釉のかかった地の白色を含めた4色もしくは3色を指すが、二色の場合の二彩、そして単色の緑釉・褐釉・藍釉なども広い意味での三彩の範疇に含める。白い素地の上に緑釉・褐釉・藍釉が美しく輝いた唐三彩は、中国陶磁器の中でも最も色彩豊かであるが、中国陶磁研究者の関心を集めるようになってまだ浅い。
日本が聖武天皇の政治を中心に天平時代が展開されていた最中、黄河流域にある洛陽・長安では、鞏県窯を中心に唐三彩が焼かれ始めた。大唐の都には貴族階級が生活し、唐三彩は彼らに奉納するため生産され、後世の出土も洛陽・長安周辺の王墓や貴族の墓の明器として副葬されていたものがほとんどである。鞏県窯では、イスラム世界との交易の結果イスラム陶器の多彩なデザインと色彩・それとは対象的な器形の素朴さ等の影響を受け、唐三彩が焼かれるように..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[音楽の楽しさについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431477301@hc05/3732/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sm7ru6g]]></author>
			<category><![CDATA[sm7ru6gの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Dec 2005 15:19:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431477301@hc05/3732/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431477301@hc05/3732/" target="_blank"><img src="/docs/983431477301@hc05/3732/thmb.jpg?s=s&r=1134022784&t=n" border="0"></a><br /><br />　前期の授業で、私が特に興味をひかれた事柄は民謡のお話でした。その際に、「日本人の伝統的な音感覚」について実際に五線譜で音符を示しながら授業をしていただいたことがありました。私は音楽感覚に優れていないので何音の曲か、何拍の曲か、などがわかり[360]<br />音楽の楽しさについて
　前期の授業で、私が特に興味をひかれた事柄は民謡のお話でした。その際に、「日本人の伝統的な音感覚」について実際に五線譜で音符を示しながら授業をしていただいたことがありました。私は音楽感覚に優れていないので何音の曲か、何拍の曲か、などがわかりませんでした。がしかし、その際に先生が例としてお出しくださった民謡（童謡）を本当に懐かしく聞かせていただき、子供の頃によく歌いながら遊んだことを思い出していました。
　私は合唱部に所属していたこともあり、歌を歌うことがとても好きです。ですから音楽の授業や、合唱コンクールなども本当に好きでした。そこで、授業の際に先生からお話を伺ったあとにあまりにも懐かしかったので、家で小学校・中学校で使っていた音楽の教科書や楽譜を引っ張り出して眺めていたところ面白いことを発見しました。
　先生から民謡は「子供でも歌いこなしやすいように一曲につき音は多くても５音旋律くらいまで」だと伺っていました。そこで小学校のときに初めてリコーダーを手にしたときの楽譜を見てみたところ吹きやすいように始めのうちは２音旋律の曲や、３音旋律の曲などが選ばれていました。そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ムソルグスキー「展覧会の絵」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431471101@hc05/3718/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rubykaba]]></author>
			<category><![CDATA[rubykabaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Dec 2005 18:26:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431471101@hc05/3718/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431471101@hc05/3718/" target="_blank"><img src="/docs/983431471101@hc05/3718/thmb.jpg?s=s&r=1133947575&t=n" border="0"></a><br /><br />モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー（Modest Petrovich Mussorgsky)
　１８３９年３月１６日地方の、軍人を輩出した貴族の家系に育ち、その末っ子としてロシアのカレウォで生まれる。６歳のころから母親にピアノを習って[300]<br />ムソルグスキー「展覧会の絵」
モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー（Modest Petrovich Mussorgsky)
　１８３９年３月１６日地方の、軍人を輩出した貴族の家系に育ち、その末っ子としてロシアのカレウォで生まれる。６歳のころから母親にピアノを習っていたが、軍人を志し１８５２～１８５６に士官学校在籍する。その仕官学校時代に音楽に目覚める。この時期に、のちにロシア国民楽派５人組の一員であるボロディンと出会う。また、有名なロシア人作曲家、ダルコムイシスキーのサロンに出入りするようになり、バラキレフやキュイらとの親交が始まる。バラキレフから指導を受け、作曲家としての才能も磨かれるようになった。その後兵隊になったが、バラキレフの勧めで除隊し、音楽活動に専念。
　しかし、間もなく&ldquo;農奴解放令&rdquo;が出され、地主だった実家が没落し、貧乏生活を強いられるようになる。だが、役人として省庁に勤めながら、バラキレフ、ボロディン、キュイ、リムスキー＝コルサコフとともに、いわゆる「ロシア国民楽派５人組」を結成し、音楽活動を行い、作曲家としての地位を着々と築き上げた。その中でも大胆で斬新な作風を切..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[広告から見る｢性｣に対しての文化の違い]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3544/]]></link>
			<author><![CDATA[ by langhappy]]></author>
			<category><![CDATA[langhappyの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 19:55:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3544/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3544/" target="_blank"><img src="/docs/983431534701@hc05/3544/thmb.jpg?s=s&r=1133520946&t=n" border="0"></a><br /><br />1.序論
　広告は時代の窓口だとよく言われる。特殊な場合を除いて、一般的に公開された広告は、その公開した国あるいは地域の社会制度、国民に受け入られるのである。従って、広告を通じて、その時期の社会の風習、風俗、人の考え方などを推測できる。そ[352]<br />広告から見る｢性｣に対しての文化の違い
1.序論
　広告は時代の窓口だとよく言われる。特殊な場合を除いて、一般的に公開された広告は、その公開した国あるいは地域の社会制度、国民に受け入られるのである。従って、広告を通じて、その時期の社会の風習、風俗、人の考え方などを推測できる。そこで、私は本稿を通して、欧米、日本、香港と中国の数多くの広告の中から、それぞれの特徴的な広告を取り出し、お互いに比較し、その4地域の「性」に対する捕らえ方の違いについて考察してみようと思う。
２.欧米、日、香港、中の広告
　①欧米の広告
　　下に、VERSACE（ヴェルサーチ）というイタリア名家の一つの商品広告である。画面の右側に、二人の男が思い 切ってキスをしている。左側は、その商品のイメージが書いてある。はっきり見えないが、多分その商品は何かの新しい生活態度を宣言している。赤裸々な画面で、見ている人はかなり衝撃を受けたのではないか。そして、その商品に対してかなり深く印象が残るだろう。
　
　GUCCI 、世界でも有名なトレード・マークである。左側のGUCCIの新しい春夏広告が登場してから、世間をあっと言わせた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[チャールズ・チャップリン　モダンタイムス]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431597101@hc05/3422/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazuaki]]></author>
			<category><![CDATA[kazuakiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 25 Nov 2005 16:54:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431597101@hc05/3422/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431597101@hc05/3422/" target="_blank"><img src="/docs/983431597101@hc05/3422/thmb.jpg?s=s&r=1132905269&t=n" border="0"></a><br /><br />　モダン・タイムスは授業で始めてみた。以前フリッツラングのメトロポリスを見ていたので、機械がらみのシーンや労使対立などといったシーンからメトロポリスの影響、もしくは共通する部分を感じた。
　社会の流れや、ペースに乗っていけない人間は少なか[356]<br />チャールズ・チャップリン
モダン・タイムス
　モダン・タイムスは授業で始めてみた。以前フリッツラングのメトロポリスを見ていたので、機械がらみのシーンや労使対立などといったシーンからメトロポリスの影響、もしくは共通する部分を感じた。
社会の流れや、ペースに乗っていけない人間は少なからず存在する。自分は大学四年になって、就職活動をしては挫折して、面接に行くのに怖気づいて、くじけそうなこともあったが、流れに乗れないことに恐れ活動しつづけている。社会の流れやペースこそが全てではないし、加速していくビジネスの流れも絶対ではない。
ただ、モダン・タイムスやメトロポリスを見ていると、そうはいっても社会の流れ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ポップアートとアンディウォーフォル]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431659301@hc05/3364/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mika8355]]></author>
			<category><![CDATA[mika8355の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 24 Nov 2005 00:05:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431659301@hc05/3364/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431659301@hc05/3364/" target="_blank"><img src="/docs/983431659301@hc05/3364/thmb.jpg?s=s&r=1132758330&t=n" border="0"></a><br /><br />　アメリカ現代美術界の寵児であり、ポップ・アートの旗手でもあるアンディ・ウォーホル(1928〜87)が仕掛けた「ブリロ・ボックス」は「芸術とは何か」という根底的な問い掛けに真っ向から挑戦するような出来事だった。
　ポップ・アートとは一般的[340]<br />アメリカ現代美術界の寵児であり、ポップ・アートの旗手でもあるアンディ・ウォーホル(1928～87)が仕掛けた「ブリロ・ボックス」は「芸術とは何か」という根底的な問い掛けに真っ向から挑戦するような出来事だった。
ポップ・アートとは一般的に大衆芸術、つまり広告やメディアを中心とする大衆文化に主題を求めた芸術の事を指す。なかでもウォーホルは、キャンベル・スープの缶、エルヴィス・プレスリー、マリリン・モンローなど大衆の脳裏に焼き付いた、ごくありきたりのイメージを用いて現代アメリカ社会のイコンともいうべきものを作り上げた天才的なアーティストである。その芸術をひとことで表現するならば「写真による複製(コピー)に居直った芸術」ということができる。それはつまり、もともと商業主義から出発したこのアーティストに高度に独創的な技を求めてもあまり意味が無いという事を意味する。しかしながら、だからといってその芸術性が乏しいとは決していえない。むしろ逆である。あえていうならば事物により即した研ぎ澄まされた感性の持ち主、それこそがアンディ・ウォーホルであるといえる。
「ブリロ・ボックス」というのはスーパー・マーケッ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[化政文化の歌舞伎]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3256/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 18 Nov 2005 21:29:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3256/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3256/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3256/thmb.jpg?s=s&r=1132316959&t=n" border="0"></a><br /><br />序文
　文化・文政年間以降の江戸時代は、最も歌舞伎がブームとなった時代である。「和事」「荒事」の演出様式が誕生した元禄歌舞伎から時を経て、作品の傾向も変化していく。
　この時代を象徴した作者には、四代目鶴屋南北（一七五五〜一八二九）、河[352]<br />化政文化の歌舞伎 
序文 　文化・文政年間以降の江戸時代は、最も歌舞伎がブームとなった時代である。「和事」「荒 
事」の演出様式が誕生した元禄歌舞伎から時を経て、作品の傾向も変化していく。 
　この時代を象徴した作者には、四代目鶴屋 南北（一七五五～一八二九）、河竹黙阿弥（一 
八一九～一八九三）がいる。彼らの作品を紹 介しながらこの時代の歌舞伎の特徴を述べて 
みることにする。 
南北 　黙阿弥より先に生まれた南北は、四十六歳の時に脚本家として脚光を浴びるのだが、傑作 
の多い彼の作品の中で、今日でも特に有名な のが『東海道四谷怪談』（一八二五）である。 
塩冶浪人伊右衛門が私欲に走り、邪魔になっ た妻お岩を殺して死骸を川に流したが、その亡 
霊に悩まされて自滅する、というご存知幽霊物 の話である。夏のお化け屋敷には、今でもお 
岩を真似た幽霊があるほど知られた話である が、ただ幽霊を用いた話が暑い夏に涼しさを 
与えたから大ヒットとなっただけではなかったのである。 
　初演は文政八年（一八二五）、この時時代物 として大御所の『忠臣蔵』の作品と『東海道四 
谷怪談』は話を同時進行で交..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[上方と和事の歌舞伎　　「和事」と「荒事」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3255/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 18 Nov 2005 21:24:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3255/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3255/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3255/thmb.jpg?s=s&r=1132316658&t=n" border="0"></a><br /><br />　今日では世界中でも支持されている日本の伝統芸能「歌舞伎」には、「和事」と「荒事」の種類の演出様式がある。
　主に上方歌舞伎を「和事」、江戸歌舞伎を「荒事」と言うが、それぞれの特徴について比較検討しながら述べる。
　その前にまず「歌舞伎[352]<br />上方と江戸の歌舞伎　　「和事」と「荒事」 
　今日では世界中でも支持されている日本の 伝統芸能「歌舞伎」には、「和事」と「荒事」の 
二種類の演出様式がある。 
　主に上方歌舞伎を「和事」、江戸歌舞伎を「 荒事」と言うが、それぞれの特徴について比較 
検討しながら述べる。 
　その前にまず「歌舞伎」の歴史から説明して みる。発祥は江戸幕府の開かれた慶長八年 
（一六〇三）春、京都に出雲の「国」と名乗る 巫女が現れ「かぶき踊り」と呼ばれるものを踊 
ったことが歌舞伎の始まりであると言われてい る。これが四条河原の遊女歌舞伎へと移動し 
江戸など全国へ広まっていくが、色っぽすぎ 刺激が強いと風紀上の問題から禁止される。 
その後、男の若者ばかりの若衆歌舞伎が流行 するが、これも同性愛の対象になるという理由 
で禁止される。そして若衆のシンボルである前 髪をそり落とし、成人男子中心の野郎歌舞伎 
が誕生する。この野郎歌舞伎が、今までの踊 り中心の歌舞伎から狂言を用いたドラマ性の強 
い現在の歌舞伎へと変化していく。 
　この若衆歌舞伎と野郎歌舞伎の時代に女方 芸が確立されており、これが今日の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幕末の崩壊現象を滑稽に表現　&minus;国芳ー]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3254/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 18 Nov 2005 21:19:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3254/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3254/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3254/thmb.jpg?s=s&r=1132316378&t=n" border="0"></a><br /><br />序文
　江戸後期、北斎・広重らと並んで名を馳せた浮世絵師に、歌川国芳（一七九七〜一八六一）がいる。浮世絵にもさまざまなジャンルが登場し、発展していったこの時代に国芳の浮世絵の「戯画」が、何故評判を呼んだのか。それは長年続いた江戸幕府が崩壊[356]<br />幕末の崩壊現象を滑稽に表現 - 国芳- 
序文 　江戸後期、北斎・広重らと並んで名を馳せた 浮世絵師に、歌川国芳（一七九七～一八六一） 
がいる。浮世絵にもさまざまなジャンルが登場 し、発展していったこの時代に国芳の浮世絵 
の「戯画」が、何故評判を呼んだのか。それは 長年続いた江戸幕府が崩壊しかけ、新しい時 
代へと脱皮していく日本と、国芳の「戯画的表 現」がまさにマッチしていたからである。 
　ではこの「戯画的表現」がどんなものであっ たのか、時代背景を説明しながら述べていこう。 
本文 　まず、この時代がどんな時代であったのか。 
　時代背景 　江戸後期は、天保の飢饉のため困窮する農 民・町人が増え、一揆などが多発していた。そ 
んな時代にもかかわらず、十一代将軍徳川家 斉（一七七三～一八四一）の大御所政治の為 
幕府は贅沢な暮らしをしており、これに対し、 幕府内外でも怒りが限界に達していた。その 
後家斉が亡くなり、始まった天保の改革でさら に厳しい取締りが行われ世情不安はいっそう 
深まっていった。 
　当時の町の様子は、小林克氏によると「町人は人口では全体の半数をしめながら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「動」の北斎・「静」の広重]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3253/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 18 Nov 2005 21:12:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3253/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3253/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3253/thmb.jpg?s=s&r=1132315941&t=n" border="0"></a><br /><br />　江戸時代を代表する風景画浮世絵師といえば、必ず名前の挙がる葛飾北斎(一七六〇〜一八四九）・安藤広重（一七九七〜一八五八）であるが、二人の作品の特徴を簡単に述べる
とすると、「動」の北斎・「静」の広重といった感性の違いであろう。
　「浮[350]<br />「動」の北斎・「静」の広重 
序文 　江戸時代を代表する風景画浮世絵師といえ ば、必ず名前の挙がる葛飾北斎(一七六〇～ 
一八四九）・安藤広重（一七九七～一八五八） であるが、二人の作品の特徴を簡単に述べる 
とすると、「動」の北斎・「静」の広重といった感 性の違いであろう。 
　「浮世絵」とこの時代背景を説明しながら、二人の作品の違いを説明したい。 
浮世絵 　この「浮世絵」は『江戸学事典』の記述によれば、「無常の現世を意味する「浮世」のあら 
ゆる事象をありのままに筆をまかせて描写した 風景画の総称」とある。それまで宗教的・古典 
的で、武家・貴族・僧侶らが鑑賞を楽しむという高尚なイメージであった日本美術を、時代の 
九八）であった。 
　師宣の時代は墨一色の墨摺り絵が主であっ たが、その後時を経て二色刷りの紅絵、そして 
鈴木春信（一七二五～一七七〇）で知られる 多色刷りの錦絵まで発展した。そしてこの進 
歩に伴い、木版は多くの複製が作れるように なった為、経済的に余裕ができた町人がお手 
軽にこの浮世絵を購入できるようになっていく。 
　このようにして絵を見る楽しみ、又は絵から..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ドイツ・デザインの近代化における、ドイツ工作連盟の意義]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689001@hc05/3183/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 9953521030h]]></author>
			<category><![CDATA[9953521030hの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 15 Nov 2005 10:22:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689001@hc05/3183/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689001@hc05/3183/" target="_blank"><img src="/docs/983431689001@hc05/3183/thmb.jpg?s=s&r=1132017725&t=n" border="0"></a><br /><br />?ドイツ・デザインについて
　はじめに、ドイツ工作連盟ができたときのドイツ・デザインはどのような環境・傾向・状況にあったのだろうか。このころドイツでは、19世紀の後半に起こった産業革命の流れを受け、20世紀に入り、ますます社会の産業化が進[346]<br />ドイツ・デザインの近代化におけるドイツ工作連盟の意義
①ドイツ・デザインについて
　はじめに、ドイツ工作連盟ができたときのドイツ・デザインはどのような環境・傾向・状況にあったのだろうか。このころドイツでは、19世紀の後半に起こった産業革命の流れを受け、20世紀に入り、ますます社会の産業化が進んでいた。しかし、まだ、機械生産における造形の価値は低いものとみなされ、工芸家による、工芸品の価値が認められており、歴史主義がはびこっていたといえる。けれども、その確実な産業の進化にともなって、日常生活とそれを取り巻く様々なものの改良と向上が必須となってきたころであった。また、生活に関する反歴史主義的市民啓蒙と輸出振興のためのデザイン改革の要請、さらに民族主義の勃興といった多様な時代動向がみられた。また、近隣のイギリスでは、　「１、寓意からではなく、「装飾のための装飾」　２、都市労働者へ向けられた　３、日常用品を対象とした」といった意義を持った、アーツ・アンド・クラフツ運動が起こっており後に記すヘルマン・ムテジウスはこのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響をうけていた。
　　
②ドイツ工作連盟の概要
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日常生活の中の芸術]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431886601@hc05/3173/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yumika0727]]></author>
			<category><![CDATA[yumika0727の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Nov 2005 13:36:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431886601@hc05/3173/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431886601@hc05/3173/" target="_blank"><img src="/docs/983431886601@hc05/3173/thmb.jpg?s=s&r=1131942972&t=n" border="0"></a><br /><br />　「僕の音楽を聴いてくれる人は専門家ではなく普通の人が多い。僕は芸術家じゃなく街中の音楽家ですから、聴いてもらってわかりやすいことが大事です。」
　
　これは、私の大好きな現代音楽の作曲家、「久石譲」さんの言葉である。私が久石さんのこと[352]<br />日常生活の中の芸術
「僕の音楽を聴いてくれる人は専門家ではなく普通の人が多い。僕は芸術家じゃなく街中の音楽家ですから、聴いてもらってわかりやすいことが大事です。」
　
　これは、私の大好きな現代音楽の作曲家、「久石譲」さんの言葉である。私が久石さんのことを知ったのは「宮崎駿」監督作品「風の谷のナウシカ」だった。　映画中に流れる「らんらんらららんらんらー」あの、子供の声で流れる曲のインパクト。それから徐々に久石さんのことを知っていき、あのなんともいえない聞きやすさ・私にとっての癒しを含んだ彼の曲は現在の私にとってなくてはならないものとなっている。（毎晩就寝前にCDを聞くのが決まりのようになっている。）
　久石が作曲家を志したのは２０歳の時。テリー・ライリーの「Ａ Ｒａｉｎｂｏｗ ｉｎ Ｃｕｒｖｅｄ Ａｉｒ」に魅せられ、２０歳でミニマル音楽の作曲家になろうと決めた。ミニマルとは、短い音のパターンをひたすら反復する音楽で、ライリーはその「発明者」だった。
　延々と続くなかで繊細な変化を重大なものとして響かせるため、どこを切り取っても「同じ体験」として聴けるのがミニマルの特徴だ。小さい頃から西..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[オタク文化がメディア芸術に与える影響について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431706901@hc05/3099/]]></link>
			<author><![CDATA[ by niea66]]></author>
			<category><![CDATA[niea66の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Nov 2005 17:03:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431706901@hc05/3099/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431706901@hc05/3099/" target="_blank"><img src="/docs/983431706901@hc05/3099/thmb.jpg?s=s&r=1131696238&t=n" border="0"></a><br /><br />　ますます発達していくメディア芸術。これに、オタク文化は多大なる影響を及ぼしている。
　見方としては、2つの視点がある。1つ目は商業的な視点。もう一つは、人材の視点。
　1つ目の視点。ある傑作が出ると、オタクはそれを真剣に見つめ、専門的[346]<br />　オタク文化がメディア芸術に与える影響について
　ますます発達していくメディア芸術。これに、オタク文化は多大なる影響を及ぼしている。
見方としては、2つの視点がある。1つ目は商業的な視点。もう一つは、人材の視点。
1つ目の視点。ある傑作が出ると、オタクはそれを真剣に見つめ、専門的な意気までそれを自分の中で分析して噛み砕いていく。それだけ、1つ1つの作品に対する思い入れが強いということの現われなのだが、その表われは作品そのものを盛り上げていく大きな要因となっている。
　数年前に社会現象になった庵野秀明監督の新世紀エヴァンゲリオンは、将にオタク文化が盛り上げた産物である。このアニメのオタク文化に対..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第一次、第二次アニメーション全盛期時代]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431706901@hc05/3098/]]></link>
			<author><![CDATA[ by niea66]]></author>
			<category><![CDATA[niea66の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Nov 2005 16:54:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431706901@hc05/3098/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431706901@hc05/3098/" target="_blank"><img src="/docs/983431706901@hc05/3098/thmb.jpg?s=s&r=1131695686&t=n" border="0"></a><br /><br />　第一次、第二次アニメーション全盛期時代。その製作現場ではセルが使われており、
多くの人による手作業によって作品が作られていました。
　第三次には「新世紀エヴァンゲリオン」劇場版における一部分にデジタルペイントのCG技術が投入され、より[348]<br />　
第一次、第二次アニメーション全盛期時代。その製作現場ではセルが使われており、
多くの人による手作業によって作品が作られていました。
　第三次には「新世紀エヴァンゲリオン」劇場版における一部分にデジタルペイントのCG技術が投入され、より低コスト且つ迅速な作品作りが推し進められ、アニメーションにおけるCGというものの可能性が注目され始めた走りのようなものではないでしょうか。
劇場アニメーション映画におけるCGが使われ出し、それが雑誌などで大きく騒がれだしたのはもののけ姫ではないでしょうか。当時、出回っていた関連雑誌はすべて読みました。
　私が高校時代リアルタイムに公開日に並んで観に行った、もののけ姫では迫力のある映像がCG技術により効果的に表現されていたように思います。
　この作品で使われていたCG技術は大きく分けて3つ。デジタルペイント、トゥーンシェーダー、モーフィング。デジタルペイントにより、タタラ場の製鉄集団の前を通り過ぎるアシタカとエボシ御前がすべて同時に動くという表現が出来ています。普通のセルアニメーションでは重ねられるセルの枚数が限られてくるので数人までしか同時に動かせませ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[２０世紀における音楽学史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2516/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cheshire]]></author>
			<category><![CDATA[cheshireの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 Oct 2005 01:07:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2516/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2516/" target="_blank"><img src="/docs/983431835101@hc05/2516/thmb.jpg?s=s&r=1129738025&t=n" border="0"></a><br /><br />１９世紀までにつくられてきた「個人の著者による包括的な音楽史」というものは、アウグスト・ヴィルヘルム・アンブロスの《音楽史》によって効果的に終わりを告げることとなる。アンブロス自身は１７世紀の音楽史研究のみを手掛けただけではあるが、同僚によ[360]<br />２０世紀における音楽学史
　１９世紀までにつくられてきた「個人の著者による包括的な音楽史」というものは、アウグスト・ヴィルヘルム・アンブロスの《音楽史》によって効果的に終わりを告げることとなる。アンブロス自身は１７世紀の音楽史研究のみを手掛けただけではあるが、同僚によって残りの研究がなされたこの本において、彼の文化的なアプローチとより堅実な研究は、その時代に関する後の研究全ての基準を形成したのである。
２０世紀初頭から史料や論文などの方法論的研究と解明が進められ、各分野の研究が改めて十分に深く進められるようになった。新しい史料の発見や、史料批判の文献学的方法の確立を要望する声の高まりと共に、研究はますます細分化されていき、それに伴い専門分野の出版物が定期刊行物、学会報告、記念論文集などの形で刊行され始めた。
大学や研究機関に音楽学研究室を設置する動きも促進され、音楽史へのアプローチそのものが常に歴史の中に在るとの確信がこれまでになく浸透し、歴史的であるかどうかががアプローチの基本的な様式となった。
２０世紀初頭に現れる複数の専門家の共同制作による研究は、音楽学の歴史編修法を明らかにした..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[振付家：ロイストン・マルドゥーム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2512/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cheshire]]></author>
			<category><![CDATA[cheshireの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 Oct 2005 00:19:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2512/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2512/" target="_blank"><img src="/docs/983431835101@hc05/2512/thmb.jpg?s=s&r=1129735160&t=n" border="0"></a><br /><br />Royston Maldoom

1943年生まれ。英国ロイヤル・バレエ団の映画に魅了されて本格的なダンス・レッスンをはじめ、22歳という遅めのスタートを切る。ロイヤル・バレエ団やアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・スクールで学ん[310]<br />ロイストン・マルドゥーム　　
Royston Maldoom
1943年生まれ。英国ロイヤル・バレエ団の映画に魅了されて本格的なダンス・レッスンをはじめ、22歳という遅めのスタートを切る。ロイヤル・バレエ団やアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・スクールで学んだ後、１つの作品を仕上げる中で、振付けの魅力に気付き、振付家となる。
ロイストンは、数々のプロフェッショナルなダンス・カンパニーと仕事をするかたわら、20年にわたってダンス・ユナイテッドのような、年齢や能力、文化的背景が異なる人々が一緒に踊るというダンス・プロジェクト的カンパニーにおいても指導を行ってきた。手掛けてきたものの中にはバルカン紛争時のザグレブで少数民族が集まったプロジェクトや、南アフリカの多文化プロジェクト等がある。紛争中のリトアニアやクロアチア、ボスニアのダンス・プロジェクトにも関わっている。
1995年エチオピアでは、当時追放されていたストリートチルドレンが出演するカール・オルフのバレエ曲《カルミナ・ブラーナ》の舞台を大使や政府高官の前で大成功させ、「アートは、コミュニケーションだ」という持論をもとに振付家とし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[後期バロックにおけるオペラとオラトリオについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2510/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cheshire]]></author>
			<category><![CDATA[cheshireの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Oct 2005 23:39:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2510/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431835101@hc05/2510/" target="_blank"><img src="/docs/983431835101@hc05/2510/thmb.jpg?s=s&r=1129732757&t=n" border="0"></a><br /><br />１７００年前後のヨーロッパには、確たるまとまりもないまま多数の国家が群立していた。しかも、そのそれぞれはかなりの程度独立していたので、芸術を保護奨励する政策を取る取らないも各々の意のままであった。今日のドイツには当時３００もの国があり、イタ[360]<br />１７００年前後のヨーロッパには、確たるまとまりもないまま多数の国家が群立していた。しかも、そのそれぞれはかなりの程度独立していたので、芸術を保護奨励する政策を取る取らないも各々の意のままであった。今日のドイツには当時３００もの国があり、イタリアでも１０以上の諸邦がせめぎ合っていた。
１７、１８世紀のヴェネツィアは今日と同様有数な観光地であったが、当時の観光客にとってはオペラ見物が大切な目当ての一つだった。オペラのシーズンはいくつかに分かれていたが、最も大切なのは謝肉祭のシーズンだった。これは１２月２６日から懺悔の火曜日まで続き、その後四旬節である４０日間、劇場は閉鎖された。この頃の劇場はヴェネツィアの貴族階級の名家が所有しており、その劇場のある教区の名前が劇場の名前となっていた。そこは音楽を楽しむ場所というよりも社交の場であり、演奏中でも人々は飲食やお喋りやカード遊びをしているのが普通だった。したがってオペラ座の支配人は、オペラ上演の期間中、演奏活動を充たすべく契約を結び、聴衆を十分楽しませる事をその責務としたのであった。そして、作曲家や台本作家、舞台装置家、舞台監督たちは一つのオペラ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[女流画家上村松園の人生とその時代背景に関する考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432226001@hc05/2030/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cow2005]]></author>
			<category><![CDATA[cow2005の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 22:11:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432226001@hc05/2030/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432226001@hc05/2030/" target="_blank"><img src="/docs/983432226001@hc05/2030/thmb.jpg?s=s&r=1122729071&t=n" border="0"></a><br /><br />上村松園。驚くべきことに、その人は女性画家であった。明治や大正といった時代に、厳しい芸術界の中で活躍した女性が存在したのだ。私は、この人について知りたい、と思った。彼女はどんな人であり、どの様にして画家の道を歩んだのか。そして、彼女の人生を[360]<br />女流画家上村松園の人生とその時代背景に関する一考察
序論
　上村松園の画に出会ったのは、この夏のことであった。その展覧会には、明治・大正・昭和期の巨匠の作品が数多く展示されていたが、その中でどうしてか惹きつけられる一枚の画があった。
　団扇を持つ簾の中の美人の立ち姿、が描かれていた。片方の手でそっと簾を押しのけている彼女の視線の先にあるものは、一匹の蛍。その蛍を眺める目は優しく、団扇をあてた口元はやや微笑んでいるかのように見える。なんて美しいんだろうーー私は思わずそこに立ち止まってしまったのだ。うまく言葉には表せないのだが、そこには気品が漂っていて、それでいてはんなりとした艶やかさが存在している。このような女性を描く画家は、一体どんな人だろうと思った。
　上村松園。驚くべきことに、その人は女性画家であった。明治や大正といった時代に、厳しい芸術界の中で活躍した女性が存在したのだ。私は、この人について知りたい、と思った。彼女はどんな人であり、どの様にして画家の道を歩んだのか。そして、彼女の人生をその時代背景と共に追ってゆき、またその作品から、彼女が理想とした画境がいかなるものであったかを探..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ポーツに伴う靴・下着の変化について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432214201@hc05/1923/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wdodgy]]></author>
			<category><![CDATA[wdodgyの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Jul 2005 23:43:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432214201@hc05/1923/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432214201@hc05/1923/" target="_blank"><img src="/docs/983432214201@hc05/1923/thmb.jpg?s=s&r=1122648232&t=n" border="0"></a><br /><br />1870年代を特徴付けたタイト・例シングやハイヒールは女性たちに過剰な身体の拘束を強いたが、その一方で現代につながるさまざまな改革をもたらす契機となった。
　きょくたんな　身体の締め付けによって女性の健康が悪化したため、新鮮な空気を積極的[348]<br />スポーツに伴う靴・下着の変化について
さまざまな改革　
　1870年代を特徴付けたタイト・例シングやハイヒールは女性たちに過剰な身体の拘束を強いたが、その一方で現代につながるさまざまな改革をもたらす契機となった。
　きょくたんな　身体の締め付けによって女性の健康が悪化したため、新鮮な空気を積極的に採り入れて健康を維持・回復しよという「オープンエア療法」が医者たちからいっそう強く提唱されるようになった。その結果、女性の外出や、1860年代から広まりつつあったスポーツがいっそう勧められるようになった。それまで女性のスポーツといえば乗馬に限られていたから、クロケットやローンテニス（芝生の上のテニス）といったスポーツは、覆うの女性たちにはじめて積極的に身体を動かす機会を与えた。
　また加熱
する旅行ブームのなか「健康によい」海外リゾート地への旅行も人気を博した。こうした健康を目的とした外出やスポーツ、リゾート地の滞在といった非日常的な場の増加は、女性をタイト･レイシングのみならず、依然厳しかったヴィクトリア調のモラルからも確実に開放していった。
　それまで、女性誌には本誌に1～2枚の最新ファッ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[タトリンの芸術とその周辺（素材・塔・機械）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432145601@hc05/1858/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nernosky]]></author>
			<category><![CDATA[nernoskyの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Jul 2005 00:57:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432145601@hc05/1858/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432145601@hc05/1858/" target="_blank"><img src="/docs/983432145601@hc05/1858/thmb.jpg?s=s&r=1122566227&t=n" border="0"></a><br /><br />歴 史上にはさまざまな文化的・芸術的運動が発生した。それらについて、私にはそのほとんどが、直前の芸術様式の否定と失われた過去の遺産の発掘・修復に端を発しているように見える。ルネサンスが「文芸の復興」というスローガン。つまり中世のキリスト教に[358]<br />♪タトリンの芸術とその周辺（素材・塔・機械）♪ 
０．はじめに 歴 史上にはさまざまな文化的・芸術的運動が発生した。それらについて、私にはそのほとんどが、直前の芸術様式の否定と失われた過去の遺産の発掘・修復に端を発しているように見える。ルネサンスが「文芸の復興」というスローガン。つまり中世のキリスト教にヨーロッパ世界が覆われてしまった時代の芸術様式を否定し、はるか彼方のギリシア芸術を上位に据え、それを模倣・発展させていく運動であったように。この文化・芸術様式の交替というものはとても興味そそられる事項である。とりわけ、ある文化が手法・枠からの超越を主張するが故に、否定したはずの直前の文化と同じように、手法・枠の固定化を招き批判を浴びて新たな文化に交替する、というなりゆきは、結局人間世界の法則・・・文化に限らず、政治も経済も、そういうものなのかもしれない。例えばロマン派についてみてみることにする。自由な人間性の発露を謳ったルネサンスは「様式・手法の硬直化」という批判を受けて、結局その後ロマン派に交替していく。ロマン派は従来タブーとされてきた「枠」の部分を、表現意欲という内部からの圧力で外へ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[芸術作品としての映画]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1845/]]></link>
			<author><![CDATA[ by avx28993]]></author>
			<category><![CDATA[avx28993の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 28 Jul 2005 22:53:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1845/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1845/" target="_blank"><img src="/docs/983432231401@hc05/1845/thmb.jpg?s=s&r=1122558807&t=n" border="0"></a><br /><br />　『芸術』とは何だろう。定義上、「一定の材料・技術・様式を駆使して、美的価値を創造・表現しようとする人間の活動及びその所産」とされ、造形芸術（彫刻・絵画・建築など）・表情芸術（舞踊・演劇など）・音響芸術（音楽）・言語芸術（詩・小説・戯曲など[360]<br />　『芸術』とは何だろう。定義上、「一定の材料・技術・様式を駆使して、美的価値を創造・表現しようとする人間の活動及びその所産」とされ、造形芸術（彫刻・絵画・建築など）・表情芸術（舞踊・演劇など）・音響芸術（音楽）・言語芸術（詩・小説・戯曲など）、また時間芸術と空間芸術など、視点に応じて種々に分類される、とされている（広辞苑）。　　　　そして現在、世界には様々な『芸術作品』が存在し、その中で最古の芸術作品は南フランス・ショーベ洞窟の壁画だと言われ、その歴史は遠く三万五千年前にも遡る。この他にも絵画・彫刻・文学といった、紀元前から存在する非常に歴史の深い『芸術作品』は数多く存在し、時を越え、人種を越え、今なお世界中の人々の心に触れ、感動をもたらしている。
　映画はそうした『芸術作品』として扱われうるか。私はそうだと考える。しかし歴史の面から見ると、世界初の映画は1,895年12月18日の、リュミエール兄弟による映写式のシネマトグラフとされており、先ほど挙げた芸術作品から見て歴史は非常に浅く、また、映画は『芸術作品』としてよりむしろ『見せ物』として認識されている場合が多いのではないだろうかとの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私たちの生活における芸術とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432261201@hc05/1446/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sana37]]></author>
			<category><![CDATA[sana37の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jul 2005 02:23:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432261201@hc05/1446/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432261201@hc05/1446/" target="_blank"><img src="/docs/983432261201@hc05/1446/thmb.jpg?s=s&r=1122225790&t=n" border="0"></a><br /><br />『あらゆる人は芸術家である』　これはドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスの言葉である。私もあらゆる人は芸術家であると思っている。ただ注意しなくてはいけないのは、この言葉の意味は、誰でも絵描きになれたり、歌手になれたりすると言う意味ではない。これは[360]<br />芸術活動と一言に言っても様々であるが、特に印象に残っているのは、福祉施設などで芸術を通じて人々と触れ合っている芸術家の存在である。彼は、老人ホームなどで小さな展覧会を開いたり、軽度だが痴呆症をわずらった人たち一人一人と芸術を通じて積極的に交流したりする。最初はその痴呆症ゆえ引きこもりがちになっていた人たちも、次第に心を開いていく。芸術の力である。あれだけ生活に密着した現場で芸術というものを生かして活動しているは、すばらしいと思う。このような&ldquo;生活の中の芸術&rdquo;とは、私たちとどのように関係しているのだろうか？また、生活の中で、わたしたちは芸術とどのように接していくべきなのだろうか？
生活における芸術を考える前に、芸術そのものについて少し触れておきたい。一昔前、「芸術は爆発だ！」と言っていた人がいた。万国博覧会の『太陽』の塔などで知られる芸術家・岡本太郎である。「芸術は爆発だ！」ということばは、当時ＴＶのＣＭで流されたこともあって、流行語となった。その後、このことばは、マンネリ化し、一般的には岡本太郎といえば「爆発」ということになり、芸術をいささか揶揄的に表現する場合にとりあえず「爆発だ！」..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[音楽レポート「ロマン主義時代の交響曲」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432188701@hc05/1293/]]></link>
			<author><![CDATA[ by breakofdawn]]></author>
			<category><![CDATA[breakofdawnの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jul 2005 20:42:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432188701@hc05/1293/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432188701@hc05/1293/" target="_blank"><img src="/docs/983432188701@hc05/1293/thmb.jpg?s=s&r=1121946161&t=n" border="0"></a><br /><br />＜ロマン主義時代とは＞
　18世紀のヨーロッパを支配していた啓蒙主義は、理性を偏重し過ぎ、伝統を軽視する傾向があったため、19世紀になるとそれに対する反動としてロマン主義が生まれてきた。ロマン主義という言葉は『ロマンス』という語に由来し、[348]<br />平成15年度
音楽レポート
「ロマン主義時代の交響曲」
＜ロマン主義時代とは＞
　18世紀のヨーロッパを支配していた啓蒙主義は、理性を偏重し過ぎ、伝統を軽視する傾向があったため、19世紀になるとそれに対する反動としてロマン主義が生まれてきた。ロマン主義という言葉は『ロマンス』という語に由来し、冷徹な理性よりも人間に本来自然に備わっている感情を重視し、それを空想的・夢幻的・牧歌的な世界への憧れという形で表現したのがロマン主義である。ロマン主義はまた、何よりもまず個人の人間性を尊重する芸術でもあった。
　音楽におけるロマン主義時代も、19世紀に入ると間もなく始まったと言える。ウェーバーやメンデルスゾーン、シューベルトといった個性的な作曲家が登場し始めた頃である。1800年代初頭にはベートーヴェンも活躍していたが、彼の後期の作品の中にはロマン主義音楽の特徴とされる要素を多く認めることができる。
　個性的な音楽様式が対立しながら共存していたので、統一的な様式をまとめることは難しいが、古典派時代から受け継いだ様式や形式も多い。８小節を単位とした楽節構造や調性に基づく和声構造、ソナタ形式など基本的..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[音楽レポート「バロックと古典派」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432188701@hc05/1291/]]></link>
			<author><![CDATA[ by breakofdawn]]></author>
			<category><![CDATA[breakofdawnの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jul 2005 20:39:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432188701@hc05/1291/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432188701@hc05/1291/" target="_blank"><img src="/docs/983432188701@hc05/1291/thmb.jpg?s=s&r=1121945955&t=n" border="0"></a><br /><br />＜「バロック時代の音楽」と「古典派音楽」の相違点＞
　この2つの時代の器楽曲の特質を見ると、大きな違いとしてまず通奏低音（バッソ・コンティヌオ）があげられる（ただし、独奏曲を除く）。バロック時代の合奏音楽は、オーケストラであれ室内楽であれ[354]<br />2003年度
音楽レポート
～バロックと古典派～
＜「バロック時代の音楽」と「古典派音楽」の相違点＞
　この2つの時代の器楽曲の特質を見ると、大きな違いとしてまず通奏低音（バッソ・コンティヌオ）があげられる（ただし、独奏曲を除く）。バロック時代の合奏音楽は、オーケストラであれ室内楽であれ、必ず通奏低音付きで演奏された。これはチェンバロやオルガンといった和声楽器の奏者が、与えられた低音の上に即興的に和声を充填しながら、伴奏声部を完成させていく方式である。ここにさらにガンバやチェロ等の低音の旋律楽器がバス旋律を重ねて演奏する場合も多かった。バロック時代において、ヴァイオリン等の新しい楽器が出現し、..]]></description>

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			<title><![CDATA[ピエロ・デッラフランチェスカと初期ルネサンス]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432299901@hc05/1270/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rightright]]></author>
			<category><![CDATA[rightrightの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jul 2005 15:37:20 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432299901@hc05/1270/" target="_blank"><img src="/docs/983432299901@hc05/1270/thmb.jpg?s=s&r=1121927840&t=n" border="0"></a><br /><br />初期ルネサンス
初期ルネサンスは、自然の美や現実世界の価値が再発見され、ギリシア・ローマ美術の模倣が行われた時代。人間の尊厳の再認識として、「人間中心主義」が発生し、それは、市民階級がいち早く台頭した中部イタリアの商業都市フィレンツェでま[356]<br />ピエロ・デッラ・フランチェスカと初期ルネサンス美術
初期ルネサンス
初期ルネサンスは、自然の美や現実世界の価値が再発見され、ギリシア・ローマ美術の模倣が行われた時代。人間の尊厳の再認識として、「人間中心主義」が発生し、それは、市民階級がいち早く台頭した中部イタリアの商業都市フィレンツェでまず盛んになる。
初期ルネサンス建築
代表建築家：フィリッポ・ブルネレスキ（サン・ロレンツォ聖堂、サント・スピリト聖堂）
　　　　　　アルベルティ（『絵画論』『彫像論』『建築論』）
初期ルネサンス彫刻
代表彫刻家：ブルネレスキ（〔アブラハムの犠牲〕）
　　　　　　ドナテルロ（〔聖ゲオルギウス〕、〔預言者ハバクク..]]></description>

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			<title><![CDATA[ギリシア神話をみる]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432227601@hc05/1019/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tugumi]]></author>
			<category><![CDATA[tugumiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 16 Jul 2005 17:53:25 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432227601@hc05/1019/" target="_blank"><img src="/docs/983432227601@hc05/1019/thmb.jpg?s=s&r=1121504005&t=n" border="0"></a><br /><br />ギリシアの愛と美と豊穣の女神。ローマ神話では女神ウェヌスと同一視されたが、ウェヌスとは異なり、アプロディテは性愛の女神というだけではなく、アプロディテは性愛の女神といだけではなく、社会生活を維持する情愛をつかさどる女神でもあった。その名前の[360]<br />美術　レポート課題　
アプロディテ、②パリスの審判、③トロイア戦争　を中心に考察する。
ギリシアの愛と美と豊穣の女神。ローマ神話では女神ウェヌスと同一視されたが、ウェヌスとは異なり、アプロディテは性愛の女神というだけではなく、アプロディテは性愛の女神といだけではなく、社会生活を維持する情愛をつかさどる女神でもあった。その名前の意味ははっきり分かってはいないが、古代ギリシア人は、泡に関連すると信じるようになった。このような考えは、おそらくアプロディテの誕生をめぐる物語から生まれたに違いない。ティタン族のクロノスが鋭い鎌を使って父ウラノスの男根を切り取り、その不死の男根を海に投げ捨てると、男根は白い泡に包まれ、その男根の中からアプロディテが生まれて、やがてキプロス島のパポスに流れ着いた。だが実際には、アプロディテを祭る神域は多くの島々にあった。このことは、アプロディテが西アジア起源の女神で、海上交易によってギリシアに渡来したことを示していると考えられる。アプロディテが渡来すると、まもなく古代ギリシア人は彼女を自分たちの神話に組み入れ、足の不自由な鍛冶の神へパイストスと結婚させた。しかし、ア..]]></description>

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			<title><![CDATA[「図像」とは何か、「図像学」とは何か]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432265701@hc05/851/]]></link>
			<author><![CDATA[ by serie29]]></author>
			<category><![CDATA[serie29の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 10 Jul 2005 22:43:22 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432265701@hc05/851/" target="_blank"><img src="/docs/983432265701@hc05/851/thmb.jpg?s=s&r=1121003002&t=n" border="0"></a><br /><br />我々に最も身近である２０世紀美術、すなわち２０世紀の西洋絵画は、純粋芸術といわれるものであるために何らかの意味内容を読み解く必然性はない。何故なら、何らかの意味内容が込められていないからである。例えば、パブロ・ピカソの「ゲルニカ」は、古都ゲ[360]<br />　図像とは、造形作品における構図やモチーフやその形に、何らかの意味内容が込められたものである。込められているその意味内容とは、宗教的なものであったり、それを教育するためのものであったりする。図像をともなっている芸術は、芸術のための芸術という２０世紀の純粋芸術と相反するものである。また、図像学とはその意味内容を読み解く手段である。以下、まず図像とは何かについて具体例を挙げながら述べていく。次に図像学とは何か、またその必然性について中世美術と２０世紀美術とを比較しながら考察する。
　造形作品に何らかの意味内容が込められたものといえば、様々なものがある。例えば、絵画の始原であるラスコー壁画やキリスト教美術、仏教美術の作品群はどれもそれぞれ何らかの意味内容を含ませている。
　フランスに旧石器時代のマドレーヌ文化時代のラスコー洞窟壁画である「オーロックスと馬の群れ」という作品がある。これは一見すると、現代から見れば子供の描いたような拙さをともなう絵だが、これを描いた動機は、子供のような純真無垢な要求によるものではなく、狩猟祈願や、自然のうちにある動物に対する畏敬の念や、呪術的な意味を含ませるため..]]></description>

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