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		<title>タグ“自己存在”の公開資料</title>
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		<description>タグ“自己存在”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[自己存在と存在了解の観点から認識と実践との関連について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/10944/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sei2324]]></author>
			<category><![CDATA[sei2324の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 17 Sep 2006 17:54:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/10944/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/10944/" target="_blank"><img src="/docs/983429694501@hc06/10944/thmb.jpg?s=s&r=1158483273&t=n" border="0"></a><br /><br />あるものが存在すると、それが存在することによって、その存在に対立する対象が必然的にあらわれてきます。そうして、ある存在は、自己とその対象との関係にまとわられ、解決の運動をはじめます。
認識を意識作用と意識対象の静の構造とするならば、実践は[356]<br />　　　　自己存在と存在了解の観点から認識と実践との関連について
あるものが存在すると、それが存在することによって、その存在に対立する対象が必然的にあらわれてきます。そうして、ある存在は、自己とその対象との関係にまとわられ、解決の運動をはじめます。
自己存在の存在的地盤は「身体」である。身体は意識作用と意識対象との出会い、自我と他我との連接点、いわば、自己存在と他己存在との通路でもある。身体は世界のうちに、投げ出されているのであるが、同時にまた世界の中心でもある。
一般にモナドの存在はそれが、それ固有の時空間を占有することによって、またその限りにおいてのみ可能である。人間というモナドの存立は、そ..]]></description>

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