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		<title>タグ“考古学”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6/</link>
		<description>タグ“考古学”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[古墳]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148574/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 26 May 2022 13:27:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148574/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148574/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148574/thmb.jpg?s=s&r=1653539276&t=n" border="0"></a><br /><br />古墳
古墳こふんとは、
・原義・第1義としては、「古い墓」「古人の墓」を意味する。日本では少なくとも平安時代中期
以来の日本語漢語である。
・第2義・考古学的語義・近代以降現代の語義としては、「墳丘墓」・「盛土封土をした古代
の墳墓」を意味する。
・最狭義には、日本の古代に属する一時代古墳時代というに築造された特定の形態の墳丘墓を
指す歴史用語である。高塚たかつかともいう。
東アジアにおいて位の高い者や権力者の墓として墳丘墓が盛んに築造された。本項はこれ以降、特
筆しない限りは日本の古墳について解説する。
「古墳」という日本語は、古代から近世にかけては「古人の墓」全般を指す語であったが、墳丘を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148379/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 11 May 2022 17:09:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148379/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148379/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148379/thmb.jpg?s=s&r=1652256586&t=n" border="0"></a><br /><br />考古学
考古学こうこがく、英語:
archeologyは、人類が残した物質文化の痕跡例えば、遺跡から..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　2019〜2022年度　考古学概説 分冊2 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/928256103383@hc19/143421/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chamuu]]></author>
			<category><![CDATA[chamuuの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 11 Mar 2021 13:02:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/928256103383@hc19/143421/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/928256103383@hc19/143421/" target="_blank"><img src="/docs/928256103383@hc19/143421/thmb.jpg?s=s&r=1615435373&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 2019年〜2022年度　考古学概説　分冊2 合格レポート

当レポートは2019年に合格したものです。
あくまで参考程度としてお使い下さい。
丸写しなどはご遠慮下さいませ。[242]<br />弥生時代の墳丘墓と古墳時代の違いについて説明し、古墳時代がいつから始まるか書きなさい。

＜ポイント＞
時代区分の基準について学び、諸説ある古墳時代の開始のうち、最新の考え方を知る。

＜キーワード＞
前方後円形墳丘墓、前方後円墳、纏向型前方後円墳、箸墓古墳

１弥生・古墳時代の始まりと終わり
弥生時代の始まりは紀元前十世紀～五世紀頃であった。弥生時代から古墳時代への移行は紀元後の三世紀始めから中ごろ、古墳時代の終わりは六世紀末～七世紀初めごろである。
弥生時代の墳丘墓は地域ごとに個性的な形状で作られていたのに対し、古墳時代は前方後円墳をはじめとする画一的な古墳のスタイルが生まれて普遍化し、本州諸島のほぼ全域に広まって分布した。したがって前方後円墳の出現と消滅を指標として古墳時代の始まりと終わりが定められる。
２弥生墳丘墓
山陰や北陸地方では方丘の四隅を張り出させ、石を張った四隅突出型墳丘墓や長方形の墳丘墓が作られた。それらの埋葬施設では特殊壺・特殊器台・高杯・把手付短頸壺が出土している。
東海から南関東地方では方形周溝墓や、前方後方形墳丘墓が作られた。
瀬戸内海沿岸と中部高地～北関東..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学・文化遺産総説 期末レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/924045616442@hc20/141152/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Ssshe]]></author>
			<category><![CDATA[Sssheの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 04 Jul 2020 22:41:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/924045616442@hc20/141152/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/924045616442@hc20/141152/" target="_blank"><img src="/docs/924045616442@hc20/141152/thmb.jpg?s=s&r=1593870119&t=n" border="0"></a><br /><br />決してまるごと提出したり剽窃したりせず、参考程度にしてください。

立命館大学[115]<br />考古学・文化遺産総説 II 期末レポート 
課題図書:古代国家はいつ成立したか 
日本の初期国家の成立時期については諸説あるが、弥生時代、古墳時代が古代国家形成
に大きく携わっていることは紛れもない事実である。本レポートでは、弥生時代における
集落の発展、邪馬台国の国家制度と巨大古墳の成立、初期の律令国家の完成という 3 点か
ら課題図書を要約し、古代国家の成立について述べる。 
弥生時代前期には直径 100〜200 メートル程度の円形の集落の周りが幅深さ共に約 2、3
メートルの壕で囲まれた、環濠集落と言われるものが現在の九州から畿内にかけて登場す
る。中期には、この環濠集落が発展し、広さ 2〜3 ヘクタールの大きな集落が畿内地域にて
点々と分布する。その中でも、いくつかの環濠集落を統括する特別に巨大な「巨大環濠集
落」は注目すべき事項である。巨大環濠集落には 3 つの特徴があり、第一に多くの人々が
集住した場所であるということ、第二に集落の中央にはリーダーの住居と祭祀施設がある
こと、第三に集落内には手工業の場が必ず確保されており交易の中心地となっていること
である。これは日本初期..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信 2019年〜2022年度　考古学概説　分冊１ 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/928256103383@hc19/139954/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chamuu]]></author>
			<category><![CDATA[chamuuの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 11 Mar 2020 15:37:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/928256103383@hc19/139954/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/928256103383@hc19/139954/" target="_blank"><img src="/docs/928256103383@hc19/139954/thmb.jpg?s=s&r=1583908666&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 2019年〜2022年度　考古学概説　分冊１ 合格レポート

当レポートは2019年に合格したものです。
あくまで参考程度としてお使い下さい。
丸写しなどはご遠慮下さいませ。[244]<br />考古学概説　分冊１

縄文時代を時期区分し、各時期の特徴となる遺物（土器を除く）を挙げながら説明しなさい。

〔ポイント〕
環境の変化やそれに伴う生業・社会の変化、また、交易の変化などを狩猟具、装飾品、土偶、石棒といった遺物の変遷から学んでいく。必ず、各時期の絶対年代を書くこと。

〔キーワード〕
有舌尖頭器・石鏃・土偶

縄文時代は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分されるが、具体的な年代については諸説ある。ここでは『縄文の豊かさと限界』に基づいた年代を述べる。
1.草創期
草創期の始まりは約一万三千年前頃から一万二千年前頃であると言われている。そして草創期は九千五百年前頃まで続く。縄文時代の特徴的な狩猟用の石鏃、木の伐採加工を主目的とする磨製石斧、土堀り用の打製石斧、植物質食料の加工するための石器が南九州で出土しており、生活における縄文文化らしい文化が成立したといえる。当時北大西洋で起こった厳しい寒冷気候が再来したため、縄文文化が北九州まで広がることはなかったようである。
日本列島の遺跡の数は各地で急激に増加した。しかしまだ遺跡の規模は小さく、土器の量もわずかで石器は有..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学入門_分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945124389298@hc13/122598/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomooooooo]]></author>
			<category><![CDATA[tomoooooooの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Nov 2015 18:13:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945124389298@hc13/122598/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945124389298@hc13/122598/" target="_blank"><img src="/docs/945124389298@hc13/122598/thmb.jpg?s=s&r=1447319593&t=n" border="0"></a><br /><br />考古学入門 旧教材 分冊2 (科目コード Ｑ20400) 旧教材
考古資料における「型式」について述べなさい。
型式とは、人工物である遺跡や遺構において物的に共通する一軍特徴によってまとめられ、分類された単位である。また、考古学科学における一種の類概念であり、考古資料のさまざまな特徴を用いて分類し、分類学位を作り出していく考古学の基本作業を型式学的研究法という。型式を構成する要素は、時間的また空間的に同質なモノ、材質、形態、技法、装飾などの他の型式と区別する無数の特徴(属性)があり、これらの条件を比較検討し、時間と空間の両軸に基づき、型式分類される。こうした分類は、資料の新旧の順序編年である「時間差」、出土した地域の「地域差」、資料がもっている機能の「機能差」に区別できる。これらの「差」について以下に述べていく。
考古学資料によって、人類の歴史を解明するには、まず「時間差」を設定しなければならない。考古学の時間尺度である編年体系は、時間の関係を示す「相対編年」と絶対的な時間的位置を示す「絶対年代」に分類できる。前者の「相対編年」は、考古学資料を層位学や民俗学などを用いて、比較検討し、考..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学入門_分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945124389298@hc13/122597/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomooooooo]]></author>
			<category><![CDATA[tomoooooooの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Nov 2015 18:13:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945124389298@hc13/122597/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945124389298@hc13/122597/" target="_blank"><img src="/docs/945124389298@hc13/122597/thmb.jpg?s=s&r=1447319592&t=n" border="0"></a><br /><br />考古学入門 旧教材 分冊1 (科目コード Ｑ20400) 旧教材
発掘資料(出土遺物)の処理について述べなさい。
発掘資料の処理について以下に述べていく。
発掘資料の処理作業の工程は大別して、遺物の処理、遺物の実測、遺物の拓撮、遺物の写真撮影、保存管理に分けられ、行われる。これらの段階作業の結果、博物館などで一般公開される。
最初の段階である遺物の処理についての工程を大別すると、遺物の洗浄、遺物への注記遺物の接合と補修、遺物の科学処理に分けられる。遺物の洗浄作業では、基本的に水洗いだが、種類や状態に応じて対応するせんじょうほうほうが用いられ、資料価値を半減させないよう遺物の堅さに応じている道具を使い分ける。洗浄した遺物は目立たない部分、小範囲の部分に記入、写真撮影に写らない部分にラベルの記載事項を注記する。特殊なものに関しては、容器に注記される。その後、遺物の接合と補修作業を行う。出土遺物が完形で出土することは稀であり、普通は接着剤などによって破片をつなぎ合わせる。欠損部は石膏で補修し、着色する補修作業に入る。着色の段階では、着色部分と現存部分が認識できるようにする必要がある。そして、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　Q0103　西洋の歴史　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945970123249@hc13/105256/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atago]]></author>
			<category><![CDATA[atagoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 29 Jul 2013 11:03:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945970123249@hc13/105256/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945970123249@hc13/105256/" target="_blank"><img src="/docs/945970123249@hc13/105256/thmb.jpg?s=s&r=1375063389&t=n" border="0"></a><br /><br />合格したレポートです。参考にしてください。[63]<br />テキスト『アトランティス・ミステリー』について。
アトランティス伝説の解釈について三つ以上の例を挙げながら、自身の解釈を論じなさい。そのうえで、なぜアトランティス伝説が人々を魅了してきたのか、テキストの内容を踏まえたうえで、自分自身の考えを論じなさい。
アトランティスとは紀元前４世紀の古代ギリシアに生きた哲学者プラトンの対話編である『ティマイオス』『クリティアス』に登場する伝説の島のことである。この伝説をまとめると次のようになる。ソロンがエジプトの神官から聞いた話とされ、ソロンの時代から九千年前（今から一万二千年前頃）、大西洋上にアトランティスというが存在した。現代から一万二千年前といえば、人類はまだ石器時代の段階にあったはずなのである。ここでは自然環境に恵まれ、食糧、資源が豊かであったうえに、交易の中心地でもあり、海上を支配して、高度な建築技術のもとに都市を建造し、島は大変繁栄していたが、それゆえに人びとは堕落してしまった。また、地中海全体を征服しようとしてアテナイに撃退された。そして、堕落に対する神罰を受けて、大地震と大洪水によって、一昼夜にして海中に没したのである。それはアテナイ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大森貝塚]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82766/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Elisha]]></author>
			<category><![CDATA[Elishaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Jul 2011 00:14:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82766/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82766/" target="_blank"><img src="/docs/952516557140@hc11/82766/thmb.jpg?s=s&r=1309446849&t=n" border="0"></a><br /><br />大森貝塚
「概要・・・大森貝塚は、東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、1877年（明治10年）6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてからすぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行った。1955年（昭和30年）3月24日には、国の史跡に指定された。モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975年（昭和50年）に全て国の重要文化財に指定されている。
時代背景・・・縄文時代後期は寒冷化に伴う環境の変化により、木の実、動物などの食料が減少した時代である。さらに東京、神奈川一帯では箱根山の噴火や富士山の噴火が長期化したため食料の確保が難しくなり、それに伴い急激な人口減少が起きている。そのため東京、神奈川では縄文時代晩期の遺跡はほとんど見当たらない。その際、寒冷化に伴う食料資源の減少が少ない海産物を中心に食料の確保をしたため、この貝塚ができたとされる」ウィキペディアより抜粋
１９５１年文化財保護委員会告示第二号として定..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[《炭素十四年代測定による縄文住居・集落研究に関する議論》]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77952/]]></link>
			<author><![CDATA[ by malaplop]]></author>
			<category><![CDATA[malaplopの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:39:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77952/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77952/" target="_blank"><img src="/docs/953966978133@hc11/77952/thmb.jpg?s=s&r=1295858377&t=n" border="0"></a><br /><br />炭素十四年代測定による縄文住居・集落研究に関する議論に関し、初めに小林の見解を以下に述べ、続いて他の論者の見解を述べたい。「縄文社会研究の新視点―炭素１４年代測定の利用―」において小林は、考古学的方法による復元のみでは、先史社会の実年代を復[360]<br />『考古学と関連科学B』レポート
《炭素十四年代測定による
縄文住居・集落研究に関する議論》
《炭素十四年代測定による縄文住居・集落研究に関する議論》
　　
　　炭素十四年代測定による縄文住居・集落研究に関する議論に関し、初めに小林の見解を以下に述べ、続いて他の論者の見解を述べたい。「縄文社会研究の新視点―炭素１４年代測定の利用―」において小林は、考古学的方法による復元のみでは、先史社会の実年代を復元することはできないため、相対的な編年の定まった考古学的事象に対してもＡＭＳ14C年代測定を行い、考古学的問題を復元して行く努力が必要であるとする。
特に炭素１４年代の精緻化を初めとして土器編年以外の時間軸の設定が現実味を帯びてきたことと、土器編年の欠点も見出されるようになったことから、必ずしも土器編年による相対時間が無二の時間的単位ではないという認識が現れてきた。だが炭素十四年代測定の精度が高まりより正確に、簡便になったとしても、土器編年が不要になるということではない。少なくとも旧来のデータについては土器型式土器から得られる状況的情報と比較できる、もう一つの座標軸が得られることは歓迎すべきであるとする。今後年代測定の確度を上げるなど検証作業を継続していくこと等を通して、土器の時間情報を中心にしたライフサイクルモデルにＡＭＳによる年代測定という新しい要素を取り入れることができるのではないかと期待する。これに対し早山は小林が較正曲線の示す十年ごとの周期は、それよりも小さな実際の周期と同一視することは後に大きな矛盾を生み、修正の必要が出てくるのではないかと指摘する。これに対し小林は歴博の研究グループでも日本産樹木の年輪資料を５年ごとに検討している事、また山形大学のグループも１年ごとに年輪の炭素年代測定をしており、較正曲線の精度を高める研究が成実されていると述べた。またこれを補正し村木が単に資料の年代測定をすればよいというわけではなく、資料の来歴を発掘調査または整理作業で明らかにしなければならない、つまり理化学分析結果の批判をするためには評価のためのデータが必要であるとした。また、そうした分析結果を統合して見えてくるものもあるのではないかとする。さらに、一つの分析法ではできない遺跡の成果をどう組み合わせて解いていくのか、というノウハウの構築が不十分で、各種理化学的分析の複合が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[《炭素14年代測定、ＡＭＳ法、較正年代の原理・方法》]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77951/]]></link>
			<author><![CDATA[ by malaplop]]></author>
			<category><![CDATA[malaplopの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:39:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77951/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77951/" target="_blank"><img src="/docs/953966978133@hc11/77951/thmb.jpg?s=s&r=1295858375&t=n" border="0"></a><br /><br />１．炭素14年代測定の原理
炭素14年代測定とは、放射性同立体である炭素14が、ベータ線という放射線を出しながら時間経過とともに崩壊し、安定同位体である炭素１２、１３との比が減っていく性質を利用して、動植物などが、死亡などによって炭素を取[344]<br />『考古学と関連科学B』課題１
《炭素14年代測定、AMS法、較正年代の原理・方法》
《炭素14年代測定、ＡＭＳ法、較正年代の原理・方法》
１．炭素14年代測定の原理
炭素14年代測定とは、放射性同立体である炭素14が、ベータ線という放射線を出しながら時間経過とともに崩壊し、安定同位体である炭素１２、１３との比が減っていく性質を利用して、動植物などが、死亡などによって炭素を取り込むことをやめた段階からの時間経過を測定する方法である。また炭素14年代測定は１９４０年代末にアメリカ、シカゴ大学のＷ．Ｆ．Ｌｉｂｂｙによって開発された自然科学的年代測定法ともいえる。古い資料では14Cの量が少なく、最近の資料であれば多い。14C測定法は、過去数万年間、地球上のどこにおいても炭素14の濃度は一定と前提し、炭素の半減期は５７３年として計算する。文献資料のない考古学上の事物に対して絶対年代を与えてきたが、過去の測定においては、測定上の統計誤差が百年以上となり、細かな年代的位置付けには必ずしも適していなかった。なぜなら炭素14Cの存在比は炭素年代全ての時代で一定であると仮定しているが、実際はそうではない。過去の14C濃度は、地球からの磁場の影響、太陽活動の変化による宇宙線量の変化、産業革命以後の14Cの濃度の変動、核実験等による14Cの増加などによって大きく変化している。そのため既に年代がわかっている木の年輪を用いて過去12000年近くのデータを較正曲線として補正する必要がある。
また、炭素が電子（&beta;線）を放出し、壊れて窒素へと変化する性質を利用する方法もある。一万個の炭素14原子が５千個になるのに５７３０年かかる。この期間を半減期と呼び、炭素の半減期は５７３０&plusmn;４０で表される。生物が死ぬと炭素を取り込むことはなくなり壊れる一方である。従って意外に１兆分の１あった炭素が２兆分の１に半減していればその生物は５７３０年前に生命活動を停止したことが分かる。炭素を測定するためには、炭素が崩壊するときに放出する電子を数える「&beta;線計測法」もある。しかしこの方法は１分間に14個しか壊れないため計測困難なものとなる。
２．炭素14年代測定の方法
　炭素14年代測定の対象となるのは種子木材などの植物遺存体や骨角・貝殻などの動物遺体、ＡＭＳ法による土器付着物である。他に鉄、珊瑚、湖の底に堆積した泥や昆..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東工大：コンピュータリテラシー発表「ES細胞と論文捏造」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958741853808@hc09/60739/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Gomimushi]]></author>
			<category><![CDATA[Gomimushiの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Dec 2009 07:48:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958741853808@hc09/60739/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958741853808@hc09/60739/" target="_blank"><img src="/docs/958741853808@hc09/60739/thmb.jpg?s=s&r=1260744496&t=n" border="0"></a><br /><br />東工大：コンピュータリテラシーでのテーマ別発表「ES細胞と論文捏造」[98]<br />ES
細胞と論文捏造
概要
　
2004
年、ソウル大学の黄禹錫教授（当時）が世界で初めてヒトクローン胚
から
胚性幹細胞（
ES
細胞）の作成に成功と科学誌サイエンスにて発表。翌
年には同誌で、患者の皮膚細胞をもとに
ES
細胞を作成したと公表した。し
かし研究協力者が論文は虚偽と暴露し、ソウル大調査委員会は論文が捏
造だったと断定した。
　
論文捏造はなぜ起きたのか。そして、なぜ発覚が遅れたのか。韓国社会
がノ
ーベル
賞
受
賞
に対して、焦燥感を感じていたこと、また過去の捏造事
件と比較すると、研究者、研究所単位でのヒエラルのがだと
る。これを、をることで、より公が
でき、よりに科学のを取りことができるというにた。
はじめに
　
、ソウル大での捏造事件によって、科学のに
注
った。国でも大学
や
大学で論文の捏造がれた事あり、対
岸
のと言ってられない。よって、件
のを、大韓
民
国の
学から論文捏造事件がなぜ起こったのか、どのように起こっ
たのかを調査する。さらに過去の捏造事件をもとにして、捏造事件にする要、
にためにはどうすかする。
ソウル大論文捏造事件について
事件の
2..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[杉原荘介について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59431/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59431/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59431/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59431/thmb.jpg?s=s&r=1258940509&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　課題として出された杉原荘介について調べた結果を報告してみたいと思う。

第一節	杉原荘介の生涯について
　杉原荘介は１９１３（大正二）年十二月六日、東京都日本橋小舟町に出生する。幼い頃から考古学に関心があったらしく、武蔵[342]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[小林行雄について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59427/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59427/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59427/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59427/thmb.jpg?s=s&r=1258940502&t=n" border="0"></a><br /><br />小林行雄は、明治44（1911）年に兵庫県神戸市に生まれた。昭和初頭に浜田耕作・梅原末治・森本六爾らと出会い、京都大学で教鞭をとった。平成元（1989）年死去（享年77歳）。研究分野は、弥生時代から古墳時代の埋葬施設についてで、特に古墳の副[336]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学の方法について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59424/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59424/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59424/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59424/thmb.jpg?s=s&r=1258940498&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　本書は、考古学に携わる上での基本的事項が簡潔に纏められており、自分のような考古学を志す者にとっての入門書だと思う。しかも、すでに発掘等の体験をしている場合には、考古学における目的やその意義、技術の内容に関してより理解を深められ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『通論考古学』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59412/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59412/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59412/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59412/thmb.jpg?s=s&r=1258940482&t=n" border="0"></a><br /><br />今回課題図書として指定された、浜田耕作著『通論考古学』（雄山閣、1996年6月）を読み、特に私が興味を持ったのが、型式学的研究方法に関する記述である（第4編　研究、第2章　特殊的研究法、142～156ページ）。考古学は、遺物の型式的変化と遺[334]<br />『通論考古学』を読んで 
今回課題図書として指定された、浜田耕作著『通論考古学』（雄山閣、1996 年6 月）を読み、
特に私が興味を持ったのが、型式学的研究方法に関する記述である（第4 編 研究、第2 章 特
殊的研究法、142～156 ページ）。考古学は、遺物の型式的変化と遺構の切り合い関係や前後関
係による層位から出土遺物の通時的変化を追う個々の遺跡の編年を縦軸とし、横軸に同時代と
推察される遺物の施文技法や製作技法、表面調整技法などの比較を通して構築される編年論を
基盤として、遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指している。 
第一節 型式学的研究法の定義 
型式学的研究法について、江坂輝彌・芹沢長介・坂詰秀一編『日本考古学小辞典』（〈ニュー
サイエンス社、1983 年9 月〉103 ページ）では、｢層位学的研究とならんで考古学における最
も基本的な研究方法の一つである。すべての考古資料のうち、同形式と認めうる資料を取り上
げ、その中における相違点と類似点を摘出し、共通な要素を持ついくつかの形式に分類する。
こうして得られた各型式の、時間的前後関係や空間..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[明治時代の考古学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59409/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59409/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59409/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59409/thmb.jpg?s=s&r=1258940479&t=n" border="0"></a><br /><br />第三　明治時代の考古学
　一　明治時代初期
８．弥生式土器の発見と人類学会の創立

●	弥生式土器の発見
1844（明治17）年の3月に、つぼい坪井しょうごろう正五郎はありさか有坂しょうぞう鉊蔵・しらいこう白井光たろう太郎とともに[324]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の考古学界のその後]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59408/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59408/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59408/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59408/thmb.jpg?s=s&r=1258940478&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　私は前期に、『日本考古学史』111ページ～124ページの「８．弥生式土器の発見と人類学会の創立・１．考古学の一般の動向（１）―三宅米吉の『日本史学提要』・２．考古学の一般の動向（２）―考古学会の創立」についてレポートを作成し発[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[縄文の漆文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59405/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59405/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59405/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59405/thmb.jpg?s=s&r=1258940472&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　今年の6月、東京両国の江戸東京博物館にて｢発掘された日本列島2001｣と題し、最新の考古学速報展が開催され、考古学を志す者の一人として私もそこに足を運んだ。展示品の中で私の目を引いたのが縄文時代の漆製品だった。むろん、縄文時代[346]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学入門１分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/52865/]]></link>
			<author><![CDATA[ by oniwaban_hime]]></author>
			<category><![CDATA[oniwaban_himeの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Jul 2009 23:25:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/52865/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/52865/" target="_blank"><img src="/docs/962368413739@hc08/52865/thmb.jpg?s=s&r=1248272743&t=n" border="0"></a><br /><br />日本で考古学が独立の学問として意識され
るようになったのは、19世紀後半、明治時代
初期のことで、それまでは縄文式時代の特殊
な形態の石器などを収集したりする趣味を
もつ人達が紀行集や図録などを刊行したり、遺物を持ち寄って自慢しあう[340]<br />　日本で考古学が独立の学問として意識され
るようになったのは、19世紀後半、明治時代
初期のことで、それまでは縄文式時代の特殊
な形態の石器などを収集したりする趣味を
もつ人達が紀行集や図録などを刊行したり、遺物を持ち寄って自慢しあうだけにとどまっていた。
幕末以降になると、西欧の先進技術や学術的知識を学ぶために様々な分野に多くの外国人が雇用されｎた。彼らは「お雇い外国人」と呼ばれ、日本の近代考古学の発展に大きな影響を与えた。
「考古学」という言葉は、ギリシャ語のarchaios(古代の)とlogos（学問）を語源とする英語の「archaeology」の訳語である。日本では明治初期に、「古きものを好む」という意味で「好古」と記されたり、「古物学」と訳されていたこともあるが、シーボルトの息子であるハインリッヒ・フォン・シーボルトが1879年に日本に送った著書「考古学説略」に緒言を記した吉田正春が「考古学は欧州学課の一部にして、云々」と述べてから、「古きを考察する」学問であるという考え方が広まり考古学という名前が使われたといわれている。
　日本近代考古学の初期には、考古学の研究はその文化内..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[旧石器時代の地域区分]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34608/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Jan 2009 22:32:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34608/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34608/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/34608/thmb.jpg?s=s&r=1232631130&t=n" border="0"></a><br /><br />旧石器時代の西アジアと東アジアの区分
１．旧石器時代とは
　約300万年前から約1万年前までの期間を占める人類史上最古の時代。1865年イギリスの考古学者Ｊ・ラボックが石器時代を新旧に2分して設定したが、[284]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[世界考古学史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34020/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 17 Jan 2009 23:02:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34020/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34020/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/34020/thmb.jpg?s=s&r=1232200959&t=n" border="0"></a><br /><br />世界の考古学史
１．はじめに
考古学は人文科学のなかでは、歴史の浅い学問である。ギリシア、中国などの古代文明においても、考古学資料に対する人々の興味と関心が持たれていたものの、その多くは古物に対する好奇心であり、体系的な学問として成立するの[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学概論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19631/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Feb 2008 19:31:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19631/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19631/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/19631/thmb.jpg?s=s&r=1203589885&t=n" border="0"></a><br /><br />考古学概論

目次

１．考古学の定義

２．考古学の学問としての位置づけ　

～歴史学的考古学と人類学的考古学～

３．考古学資料について 

４．考古学の年代決定法

５．おわりに 

参考・引用文献一覧

[278]<br />考古学概論
目次
１．考古学の定義
２．考古学の学問としての位置づけ　
～歴史学的考古学と人類学的考古学～
３．考古学資料について 
４．考古学の年代決定法
５．おわりに 
参考・引用文献一覧
１．考古学の定義
日本で考古学が独立の学問として意識されるようになったのは、19世紀後半、明治初期のことである。日本の考古学はヨーロッパで成立した考古学の移植により発足した。
「考古学」という言葉はギリシャ語のarchaios(古代の)とlogos（学問）を語源とする英語の「archaeology」の訳語である。日本に導入された当初には「古物学」と訳されていたこともあるが、学問名称として好ましい響きを持つ「考古学」に統一されることになったのである。
現在、日本の考古学界で一般に受け入れられている考古学の定義は浜田耕作が『通論考古学』（1922）で示されている
「考古学は、過去人類の物質的遺物に拠り人類の過去を研究する学問なり」
という定義である。
これを現代風に言い換えれば
「考古学とは過去の人類の過去の生活や文化の跡が残された遺跡、遺物、遺構などの物質的資料（考古学資料）を研究対象にして、考古..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人類の進化と発展]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/13341/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sei2324]]></author>
			<category><![CDATA[sei2324の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 12 Feb 2007 07:33:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/13341/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/13341/" target="_blank"><img src="/docs/983429694501@hc06/13341/thmb.jpg?s=s&r=1171233185&t=n" border="0"></a><br /><br />人類の進化と発展　　　　　　　　　　　　
１．人類の起源
　最初のヒト科は、第三紀の後期のおよそ７００万年前に、チンパンジーとヒトの共通の祖先から分岐した。これらの初期の人類化石はすべて東アフリカと南アフリカから発見されているため、ヒト科は[356]<br />人類の進化と発展　　　　　　　　　　　　
１．人類の起源
　最初のヒト科は、第三紀の後期のおよそ７００万年前に、チンパンジーとヒトの共通の祖先から分岐した。これらの初期の人類化石はすべて東アフリカと南アフリカから発見されているため、ヒト科はアフリカで出現し進化したと考えられている。初期人類はすべて、現代人とは属のレベルで異なる。アルディピテクス属、アウストラロピテクス属、ケニヤントロプス属、パラントロプス属。最古のヒト科の化石はアルディピテクス（属）―ラミダス（種）。およそ５００万年前、初期人類の進化では、およそ２００万年前のアウストラロピテクス属とパラントロプス属の分岐が、最も大きな変化。
ホモ・ハビリス
ホモ・ハビリスが生息していたのは、約200万年前から、１５０万年前の５０万年あまりであった。ホモ属の最初の種である。身長は１５０ｃｍくらいで、体重は約５０ｋｇ。顔面は後退して小さくなり、頬歯列はやや小さく前歯部は大きい。上肢は下肢に比べて短くなっており、腰骨は直立二足歩行と大頭の子供の出産の両方が可能な形態をもつ。脳容積は６５０～８００ｃｍ3、脳には言葉を喋るのに欠かせない、口力の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[発掘調査について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/12336/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Dec 2006 06:32:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/12336/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/12336/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/12336/thmb.jpg?s=s&r=1167341523&t=n" border="0"></a><br /><br />発掘調査について
目次
1.　考古学と発掘
2.　発掘と法律 
3.　事前調査 
4.　本調査
5.　記録

発掘調査とは過去の人間が生活した生活環境と自然環境を、確認し、理解するための作業である。本稿では発掘調査の流れについて説明していき[320]<br />発掘調査について
目次
1.　考古学と発掘
2.　発掘と法律 
3.　事前調査 
4.　本調査
5.　記録
キーワード
考古学　発掘調査　調査報告書　文化財保護法　物質的資料
発掘調査とは過去の人間が生活した生活環境と自然環境を、確認し、理解するための作業である。本稿では発掘調査の流れについて説明していきたい。
１．考古学と発掘 　考古学とは、浜田耕作が、イギリスのホガースの著書から「過去人類の物質的遺物（により人類の過去）を研究する学なり」と定義したように、物質的資料を研究の手段とする学問であるから、考古学にとって発掘は良質の資料を得るための不可欠の事業である。物質的資料とは、石器・土器・青銅器・鉄器・瓦(かわら)などの遺物、住居址(し)・墳墓・水田址・倉庫・寺院址・官衙(かんが)などの遺構、この両者を含む遺跡をさすが、かならずしも人類の意図的な痕跡(こんせき)とはいえない足跡・糞石(ふんせき)・轍(わだち)、貝塚中の貝・獣骨・魚骨なども資料に含まれる。発掘にとって重要なのは、これら資料の単なる収集ではなく、遺物と遺物、遺物と遺構、遺構と遺構の位置関係を明らかにすることで、これが発掘..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学の歴史について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11767/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Nov 2006 03:13:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11767/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11767/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/11767/thmb.jpg?s=s&r=1164651192&t=n" border="0"></a><br /><br />考古学の歴史について
目次
１．考古学の前史
２．考古学の形成
３．第二次世界大戦前までの考古学
４．現在の考古学

[163]<br />考古学の歴史について
目次
１．考古学の前史
２．考古学の形成
３．第二次世界大戦前までの考古学
４．現在の考古学
１．考古学の前史 　遺物・遺跡を通じて古代を探究しようとする試みは、紀元前にさかのぼっている。すなわち、新バビロニア帝国のナブナイド王（前6世紀）は、バビロニアの歴史に関心が深く、シャマシュ神殿を発掘しアッカド時代の神殿跡を発見したのは、考古学的研究の嚆矢(こうし)とされる。またギリシアの歴史家トゥキディデス（前5世紀後半）は、その『歴史』のなかで、古墓から発見された武器やその埋葬様式のうえから、デロス島の先住民がカリア人であったことを証明しようと試みている。しかしこれらは考古学史上の狂い咲きであって、あとが続かなかった。一方、中国でも古銅器の研究は、『考古図』や『宣和博古図』にみられるとおり、11世紀末葉から12世紀にかけて盛んに行われたけれども、そのまま近代的な学術に成長することはなかった。
２．考古学の形成 　ヨーロッパでは古物に対する関心は16世紀後半からようやく高まってはいたが、考古学の名に値する研究は、ドイツのウィンケルマンを待たねばならなかった。ウィンケルマ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[  考古学とは何か]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11766/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Nov 2006 03:03:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11766/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11766/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/11766/thmb.jpg?s=s&r=1164650628&t=n" border="0"></a><br /><br />考古学とは何か

目次
１．考古学の定義
２．考古学資料
３．考古学の研究方法
４．考古学と関連分野
５．考古学の必要性と限界について
６．おわりに
参考・引用文献[228]<br />考古学とは何か
キーワード：考古学　モノ　年代決定法　歴史学　人類学
目次
１．考古学の定義
２．考古学資料
３．考古学の研究方法
４．考古学と関連分野
５．考古学の必要性と限界について
６．おわりに
参考・引用文献
１．考古学の定義
考古学　　archeology
語源････archaios(古代の)＋logos（学問）
　浜田耕作　「考古学は、過去人類の物質的遺物に拠り人類の過去を研究する学問なり」▽　　　　　　　　　　　　　　（『通論考古学』1947）
　　　　　　
　◎考古学とは過去の人類の物質的資料をもとにして人類の過去の生活・社会・文化を研究する学問。
（例）技術・技法、生活様式、社会組織、環境・生態、思想
学問としての位置づけ
日本では広義の歴史学の一分野
アメリカでは人類学の一分野
　　　　　（文化人類学・社会人類学・言語学・考古学・形質人類学などを含めた総合学）
２．考古学資料
考古資料（物質的資料）････物質のうえに残された人間活動の全ての痕跡。
　　　　　　　　　　　　　　考古学では遺物・遺構・遺跡という概念を使う。
　遺物････人間活動によって遺跡に残され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[縄文土器研究の重要性〜山内清男の業績について〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9463/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 09:25:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9463/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9463/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/9463/thmb.jpg?s=s&r=1152404737&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
山内清男（1902〜1970）はそれまでの空想や常識論的な先史学に疑問を持ち、客観的科学性を重んじた遺跡、遺物の研究方法をもって日本の先史考古学の体系を構築した。
本稿ではその山内清男の業績をまとめ、また縄文時代における縄文土[340]<br />縄文土器研究の重要性～山内清男の業績について～
目次
１．はじめに
２．山内清男の業績
３．縄文土器研究の重要性
４．おわりに
１．はじめに
山内清男（1902～1970）はそれまでの空想や常識論的な先史学に疑問を持ち、客観的科学性を重んじた遺跡、遺物の研究方法をもって日本の先史考古学の体系を構築した。
本稿ではその山内清男の業績をまとめ、また縄文時代における縄文土器研究の重要性についてもまとめていきたい。
２．山内清男の業績
　第一の業績は、縄文土器の原体と施文法を発見したことである。山内は日本の縄文土器の縄文文様は植物質の繊維に撚りをかけて縄にした原体を土器の表面に転がしながら、押しつけた押圧回転施文であることを明らかにした。そしてさらに進んで土器面に見られる多様な縄文の種類を集成、分類し、数多くの縄文原体を明らかにした。
　第二の業績は、縄文土器の編年の基礎を築いたことである。山内は甲野勇・八幡一郎とともに関東や東北地方の貝塚で層位的発掘を推し進め、その中心となった山内は北海道から九州にいたる全国の土器型式を時間別、地域別に配列し、最初の編年表を提示した。そして縄文時代を早期、前..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 親族と家族の関係は歴史の中でどのように変化したか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/8469/]]></link>
			<author><![CDATA[ by orpheus12]]></author>
			<category><![CDATA[orpheus12の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 16 May 2006 23:38:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/8469/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/8469/" target="_blank"><img src="/docs/983430589301@hc06/8469/thmb.jpg?s=s&r=1147790326&t=n" border="0"></a><br /><br />このレポートの内容は日本考古学会に通念化しつつあった、弥生時代から近畿地方は父系社会であるという説とは異なる、田中良之教授の説から成り立つ。以下、弥生時代末期からの埋葬の形式を考えることから始める。
　弥生時代末期から５世紀代にかけては、[356]<br />親族関係と古代社会　レポート『親族と家族の関係は歴史の中でどのように変化したか』
　このレポートの内容は日本考古学会に通念化しつつあった、弥生時代から近畿地方は父系社会であるという説とは異なる、田中良之教授の説から成り立つ。以下、弥生時代末期からの埋葬の形式を考えることから始める。
　弥生時代末期から５世紀代にかけては、キョウダイ原理において埋葬が行われた。それは一方の性に偏ることなく、兄弟・姉妹・兄妹・姉弟という同一の世代が複数埋葬の被葬者だった。この中で事例的に最も多かったのは兄妹・姉弟のケースであり、この基本モデルを&alpha;モデルとする。（これには亜型が多く、二世代構成となることもある。）このモデルは被葬者の配偶者は含んでおらず、寛骨前耳状溝がみられて出産をしたと認められる女性もキョウダイとともに葬られている。（ここでは近親婚の可能性への言及はしない。）そして、キョウダイから一人だけ選出されて埋葬される場合も、男女いずれの場合もあり、さらには、造墓契機となった初葬者（小児の場合すらあった）・単体埋葬の被葬者における性別の割合はどちらかに偏ることはない。ここに&alpha;モデルの特徴である双系的性..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[縄文時代の埋葬頭位研究の現状]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/7916/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Apr 2006 02:27:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/7916/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/7916/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/7916/thmb.jpg?s=s&r=1144862869&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
これまでの縄文時代の墓制研究において、埋葬人骨の頭位方向は他の属性と比較して特に重要視されてきたといえる。それは頭位方向が当時の精神文化のあり方や社会組織を表しているとの解釈が行われてきたためであろう。本稿では縄文時代の埋葬頭[358]<br />縄文時代の埋葬頭位研究の現状
目次
１．はじめに
２．埋葬頭位は何を表すのか
３．埋葬頭位研究史
４．おわりに
１．はじめに
これまでの縄文時代の墓制研究において、埋葬人骨の頭位方向は他の属性と比較して特に重要視されてきたといえる。それは頭位方向が当時の精神文化のあり方や社会組織を表しているとの解釈が行われてきたためであろう。本稿では縄文時代の埋葬頭位研究史をまとめてみることにより、頭位研究をする意義や課題について考えてみたいと思う。
２．埋葬頭位は何を表すのか
山田康弘は考古学的に墓から観察可能な属性を、その付加される契機をもとに生前付加属性と死後付加属性とに分類している(山田1997)。それに基づけば、頭位方向は死後付加属性であり、これは本人によって最終的に決定することは不可能であるため、必ずしも生前の被葬者の立場や状態を直接的に表していたとは言い難い面がある。頭位方向に関して、どのような解釈が述べられてきたのか、以下述べることにする。
３．埋葬頭位研究史
　日本において初めて埋葬頭位について述べたのは長谷部言人であった。以後小金井良精、清野謙次などがさまざまな見解を述べるが、戦前..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[縄文時代の社会構造を考える]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/6538/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Feb 2006 21:58:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/6538/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/6538/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/6538/thmb.jpg?s=s&r=1139576300&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
本稿ではまず縄文時代の東西日本の格差をとりあげたうえで、谷口氏の環状集落から見た生態史観の研究をみていき、最後にまとめにかえて遺跡分布と人口密度を研究する意義について個人的考えを述べていくことにする。

２．縄文時代の東西格差[354]<br />遺跡分布と人口密度
目次
１．はじめに
２．縄文時代の東西格差
３．谷口氏の環状集落から見た社会構造の研究
（１）環状集落数と集落遺跡分布の関係性
（２）文節構造の発達過程
（３）環状集落の生態史観
４．遺跡分布と人口密度を研究する意義　～まとめにかえて
参考・引用文献一覧
１．はじめに
　谷口康浩氏はこれまで環状集落の拠点的性格や機能を容認する立場から環状集落の存在意義や領域構造を論じている。その際、基本的な理解の根拠としてきたのは、一地域における全体的な集落の分布状態・密度である（谷口2005）。本稿ではまず縄文時代の東西日本の格差をとりあげたうえで、谷口氏の環状集落から見た生態史観の研究をみていき、最後にまとめにかえて遺跡分布と人口密度を研究する意義について個人的考えを述べていくことにする。
２．縄文時代の東西格差
　縄文文化を通観すると、土器型式のあり方や配石遺構、大規模なモニュメントなどにおいて、東西日本の格差が大きいと認識される場合が多い。
　縄文時代の遺跡分布（図1）をみると、東日本に濃密で西日本に希薄であるということがわかる。これについて否定的な意見（西田1985　注１..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 考古学と情報化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6186/]]></link>
			<author><![CDATA[ by keikog]]></author>
			<category><![CDATA[keikogの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 22:04:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6186/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6186/" target="_blank"><img src="/docs/983430920001@hc06/6186/thmb.jpg?s=s&r=1138885448&t=n" border="0"></a><br /><br />　近年の考古学の成果は、これまでの我々の歴史観を次々と塗り替えている。年代測定、産地推定、古環境復元、材質・技法研究、遺跡探査、遺物保存などの広い分野において科学技術の成果が考古学に取り入れられるようになったからである。日本の考古学でも近年[360]<br />近年の考古学の成果は、これまでの我々の歴史観を次々と塗り替えている。年代測定、産地推定、古環境復元、材質・技法研究、遺跡探査、遺物保存などの広い分野において科学技術の成果が考古学に取り入れられるようになったからである。日本の考古学でも近年、自然科学の手法を用いた研究が増えている。遺跡の発掘だけで終わらず、そこからもたらされた科学的データを使って古代の日本列島をより具体的に描き出している。
だが、コンピュータだ、インターネットだなどと騒いだところで、少なくとも現在のところ、コピー機ほど考古学研究に役立っている情報機器は他にないだろう。戦後考古学の発展において、コピー機すなわち乾式複写機の普及こそ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[新潟大学　あさひまち展示館]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431046201@hc06/5583/]]></link>
			<author><![CDATA[ by coco09]]></author>
			<category><![CDATA[coco09の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jan 2006 02:05:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431046201@hc06/5583/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431046201@hc06/5583/" target="_blank"><img src="/docs/983431046201@hc06/5583/thmb.jpg?s=s&r=1137776722&t=n" border="0"></a><br /><br />　あさひまち展示館は新潟大学の考古学研究室と医学部の第一解剖研究室の共同展示である。
　最初に小片保教授の紹介がある。教授は考古学の縄文人骨を鑑定する第一人者であった。それによって１９８０年までに発見された人骨はすべて新潟大学に集められて[356]<br />新潟大学あさひまち展示館
　あさひまち展示館は新潟大学の考古学研究室と医学部の第一解剖研究室の共同展示である。
最初に小片保教授の紹介がある。教授は考古学の縄文人骨を鑑定する第一人者であった。それによって１９８０年までに発見された人骨はすべて新潟大学に集められていた。縄文人骨が１８００体あり「小片コレクション」を形成している。それに対して弥生人骨は１,２体しかない。結果として縄文人の研究が進んでいる。
ここでまとめるにあたって資料が多く、特に興味を持った縄文時代について論じようと思う。
　
１　人間の歴史
　ケースには５つの頭骸骨が展示されている。猿人、原人(北京原人)、旧人(ネアンデルタール人)、新人(クロマニヨン人)、新人と古いほうから順になっている。なおこの５つはすべてレプリカである。
２　人骨の変遷
　ケースには縄文から近世までの頭蓋骨が展示されている。時代によって日本人の形質がどのように変化していくのかがわかる。まず縄文時代早期・前期は頭蓋がやや小さく四肢骨(両手足)の上・下端部の発達が悪い。
　縄文時代中・後・晩期では頭蓋骨も大きくなりがっしりしてくる。四肢骨も太くなり筋肉..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[旧石器研究史〜日本最古の石器文化の探求〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/5482/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 19 Jan 2006 03:31:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/5482/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/5482/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/5482/thmb.jpg?s=s&r=1137609108&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の旧石器時代研究史を岩宿遺跡（群馬県）発見以前の「前史」、岩宿遺跡発見から1980年頃までの一連の調査までを「第一期」、1981年の石器文化談話会（後の東北旧石器文化研究所）による散乱木遺跡（宮城県）から、2000年上高森遺跡（同県）の[336]<br />旧石器研究史～日本最古の石器文化の探求～
はじめに
　考古学の発掘成果に基づく、日本最古の○○発見という新聞記事は我々の好奇心や想像をときめかせる。特に某ゴットハンドによる、日本最古の石器の数々の発見は日本中を沸かせた。しかし、それがまさか捏造だったとは･･･。旧石器捏造事件によって、世間による考古学界のイメージは失墜した。今回は相沢忠洋による岩宿遺跡の発見により、旧石器時代が日本にもあることが確認されてから、某氏による事件が起こるまでの研究の流れを、「最古の石器文化の探求」をキーワードにしていきながら、述べていきたいと思う。
　日本の旧石器時代研究史を岩宿遺跡（群馬県）発見以前の「前史」、岩宿遺跡発見から1980年頃までの一連の調査までを「第一期」、1981年の石器文化談話会（後の東北旧石器文化研究所）による散乱木遺跡（宮城県）から、2000年上高森遺跡（同県）の発掘までを「第二期」と区分して述べていきたい。
世界の旧石器時代研究の黎明期
　ヨーロッパで旧石器時代の研究が始まる。
　1836年　トムゼン（C.J.Thomsen）
三時期法（三時代法）：人類史を石器時代、青銅器時代、鉄..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の戦争の起源を探る]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/5364/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 16 Jan 2006 06:44:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/5364/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/5364/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/5364/thmb.jpg?s=s&r=1137361488&t=n" border="0"></a><br /><br />1．	はじめに
　人を殺し文明を破壊する戦争は、おそらくその開始から平和と安定を乱す悪の概念として、戦争の当事者を含めて、指摘されてきた。１９世紀から始まる資本制社会においては、人は戦争をなくすための戦争を行い、戦争を遂行するための科学技術[354]<br />日本の戦争の起源を探る
　　目次
はじめに
戦争の概念
日本の戦争の起源はいつか
おわりに
　　
はじめに
　人を殺し文明を破壊する戦争は、おそらくその開始から平和と安定を乱す悪の概念として、戦争の当事者を含めて、指摘されてきた。１９世紀から始まる資本制社会においては、人は戦争をなくすための戦争を行い、戦争を遂行するための科学技術が高度な産業社会を生み出し、仮想敵国を想定し戦争を前提とする国家総動員体制を準備するまでにエスカレートする。
　現在もなお戦争に終止符が打たれていないことは紛れもない事実であり、おそらく人類が存在する限り戦争は消滅することはなく、負の遺産として形を変えながら執拗につきまとうであろう。そして、依然として激しさを増す民族戦争、宗教戦争はとどまることを知らず、交通戦争、環境汚染、環境ホルモン問題など加害者を特定できない新型の戦争に直面しているのが、２１世紀における人類を拘束する厳しい実情である。
　現在、外交における海外派遣問題など日本における戦争に対する枠組みがめまぐるしく変わりつつあり、「戦争」というテーマにもう一度目を向け直すべきだと思い、調べることにした。今..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[三角縁神獣鏡研究史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4922/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 03:42:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4922/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4922/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/4922/thmb.jpg?s=s&r=1137004975&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
紀元1世紀のころ、倭人ははじめて中国の文物に接し、以後、先を争うように鏡を求めた。日本列島から出土する鏡の数は1000面近くに達している。
　中国三国時代の魏の書物『魏志』倭人伝には、景初３年（239）初めて魏に遣使倭の女王卑[340]<br />三角縁神獣鏡の研究史
　　目次
１．はじめに
２．三角縁神獣鏡とは
３．富岡謙蔵の年代論
４．小林行雄の同笵鏡論
５．王仲殊の日本製説
６．三角縁神獣鏡研究の現状
７．おわりに
　　１．はじめに
　古来、鏡好きの倭人は数多くの鏡を墳墓に副葬した。紀元1世紀のころ、倭人ははじめて中国の文物に接し、以後、先を争うように鏡を求めた。日本列島から出土する鏡の数は1000面近くに達している。
　中国三国時代の魏の書物『魏志』倭人伝には、景初３年（239）初めて魏に遣使倭の女王卑弥呼に対して、皇帝が銅鏡百枚を含む数多くの品物を与えたという記述が見られる。近畿地方を中心に分布する三角縁神獣鏡こそが、この銅鏡百枚であるという有力な説があるため、発見のたびに「邪馬台国畿内説に有利云々」という見出しが新聞に上ることになる。邪馬台国論争を所在地論のみに限定するのは適切ではないが、三角縁神獣鏡の身元を明らかにすることは避けて通れない論点であることは間違いない。
　それだけでなく、三角縁神獣鏡は古墳時代前期の有力古墳から主要な副葬品として発見されるため、古墳時代開始期の列島内諸勢力の政治関係を考えるうえで第一級..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[銅鐸の変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4481/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Dec 2005 18:46:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4481/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4481/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/4481/thmb.jpg?s=s&r=1135935995&t=n" border="0"></a><br /><br />銅鐸とは何か
＜銅鐸の定義について＞
　銅鐸は日本で生まれたもので、日本に特有なものである。その祖形は朝鮮半島に求められ、朝鮮の小銅鐸にその原型があると思われる。日本では７・８世紀以来、
有鈕無舌の撞きならすベルを「鐘」
有鈕有舌のベルを「[352]<br />三遠式銅鐸の変遷
目次
はじめに
三遠式銅鐸を語るにあたっての予備知識
三遠式銅鐸と近畿式銅鐸の違いについて
三遠式銅鐸の変遷
おわりに
はじめに
　私の地元である静岡県西部は銅鐸分布の東端に位置していて（具体的に名前を挙げると掛川市長谷から出土した銅鐸）数多くの銅鐸が発見されており、小銅鐸も見つかっている。どのテーマで発表するか考えていて、そうしたことが頭をよぎり、今回は銅鐸をテーマに発表することにした。銅鐸は弥生時代の精神文化に迫る上で非常に大事な遺物であるといえる。今回の発表を機にその銅鐸についての基礎知識を深め、今後の足がかりにしていきたい。
銅鐸を語るにあたっての予備知識
　　①銅鐸とは何か（学史も含めながら）
　＜銅鐸の定義について＞
銅鐸は日本で生まれたもので、日本に特有なものである。その祖形は朝鮮半島に求められ、朝鮮の小銅鐸にその原型があると思われる。日本では７・８世紀以来、
有鈕無舌の撞きならすベルを「鐘」
有鈕有舌のベルを「鐸」
有鈕有丸の球形のもののみを「鈴」と呼んでいる。
＜銅鐸の機能について＞
大正以前
楽器説と非楽器説
昭和以降
後藤守一：祭祀関係品であると..]]></description>

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			<title><![CDATA[縄文時代の人口論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4479/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Dec 2005 18:25:35 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4479/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/4479/thmb.jpg?s=s&r=1135934735&t=n" border="0"></a><br /><br />1．	はじめに

　先史時代の人口を推定することは大変難しいことである。いままでこれを試みた研究者は芹沢長介氏、山内清男氏、小山修三氏、といった限られた人しかあげることができない。「人口論は、今後の縄文時代研究において進展の期待される分野で[352]<br />縄文時代の人口論
　　目次
　１．はじめに
　２．人口研究の意義
　３．山内、芹沢両氏による人口推定
　４．小山氏による人口推定
　５．今村氏による人口推定
　６．その他研究者による人口推定
　７．人口研究の課題
　８．おわりに
　参考引用文献
はじめに
　先史時代の人口を推定することは大変難しいことである。いままでこれを試みた研究者は芹沢長介氏、山内清男氏、小山修三氏、といった限られた人しかあげることができない。「人口論は、今後の縄文時代研究において進展の期待される分野である」（羽生1990）にもかかわらず、長い間あまり議論が行われていなかった。しかし今村氏の西関東と中部高地の人口推定の論文が発表されて以後、何人かの研究者によって細かい地域ごとの人口推定が行われつつあるのが現状である。本発表ではそうした縄文時代人口論の研究史を通して、各研究者の人口推定に用いた方法、それを元に導き出された数値を紹介していき、今後の人口研究の課題についても述べていきたい。
人口研究の意義
　・「人口推定の最も重要な役割は、それが先史時代の人間の生活の安定・繁栄を測る客観的なメルクマールとなりうる点にある..]]></description>

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			<title><![CDATA[平城宮跡]]></title>
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			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 00:53:08 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3927/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/3927/thmb.jpg?s=s&r=1134402788&t=n" border="0"></a><br /><br />１．平城宮について
　平城宮跡は奈良盆地の北辺、奈良山丘陵の南山麓から平野部に展開する平城京の中枢機構であり、平城京域の北辺中央に位置する。
　平城京のメインストリートである朱雀大路の北端には朱雀門がそびえていた。朱雀門をくぐると天皇の住居[356]<br />平城宮跡
１．平城宮について
　平城宮跡は奈良盆地の北辺、奈良山丘陵の南山麓から平野部に展開する平城京の中枢機構であり、平城京域の北辺中央に位置する。
　平城京のメインストリートである朱雀大路の北端には朱雀門がそびえていた。朱雀門をくぐると天皇の住居であり、政治や国家的儀式を行う平城宮がある。平城宮の周囲には大垣がめぐり、朱雀門をはじめ１２の門が存在した。
　平城宮の内部には政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務を行う曹司、宴会を行う庭園など幾つかの区画に別れていた。その中でも都が一時離れた時期を境にして、奈良時代の前半と後半で大きな変化があった。奈良時代前半に、朱雀門の真北にあった大極殿（第一次大極殿）が、奈良時代後半になると東側の区画に建てられた。（第二次大極殿）
　他にも、ほぼ正方形と考えられてきた平城宮が、実は東部に張り出し部分（東院）を持つことが分かったことや、その隅に奈良時代の庭園を発見したことなどは発掘調査による大きな成果といえる。
　　２．遺跡の保存整備について
　昭和３７年に起こった電鉄車庫建設計画は、宮跡の存亡に関わる危機であっ..]]></description>

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			<title><![CDATA[縄文時代の植物食について&minus;堅果類の研究を中心に&minus;]]></title>
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			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 20 Nov 2005 18:48:33 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3291/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/3291/thmb.jpg?s=s&r=1132480113&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　縄文時代を通じて植物質食料が主要な地位を占めていたことは多くの研究者に共通する見解である。にもかかわらず研究は必ずしも進展しているとはいえない。それは低湿地の特殊泥炭層の中や何らかの要因で炭化しないと植物遺存体が残存しにくい[358]<br />縄文時代の植物食について－堅果類の研究を中心に－
　　１．はじめに
　縄文時代を通じて植物質食料が主要な地位を占めていたことは多くの研究者に共通する見解である。にもかかわらず研究は必ずしも進展しているとはいえない。それは低湿地の特殊泥炭層の中や何らかの要因で炭化しないと植物遺存体が残存しにくい現状、またたとえ遺存したとしても確実に食料となった証明が難しいなどといった研究の困難さに原因がある。　
縄文時代の食用植物については、1980年代以降調査例が著しく増加し、また同定方法や精度も格段に高まったこともあり、堅果類、ヒョウタン、ソバ、マメ、イネなど多くの植物が遺跡から報告されている（表１）。
　しかし現在のところ植物資源のなかでは、発見例や分布的特徴をふまえて、議論可能なのは結局のところ堅果類に限定されてしまう。なので、本発表では堅果類のの食用方法について述べていきたいと思う。
　　２．堅果類とは
　クリ、クルミ、ドングリ類、トチなどの堅い果皮を持った木の実のこと。比較的残存しやすいので、遺物包含層、貝層、泥炭層、洞窟、岩陰、住居址、土器内、貯蔵穴内など様々な場所から出土例がある。また遺..]]></description>

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