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		<title>タグ“縄文時代”の公開資料</title>
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		<description>タグ“縄文時代”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[大森貝塚]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82766/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Elisha]]></author>
			<category><![CDATA[Elishaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Jul 2011 00:14:09 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82766/" target="_blank"><img src="/docs/952516557140@hc11/82766/thmb.jpg?s=s&r=1309446849&t=n" border="0"></a><br /><br />大森貝塚
「概要・・・大森貝塚は、東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、1877年（明治10年）6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてからすぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行った。1955年（昭和30年）3月24日には、国の史跡に指定された。モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975年（昭和50年）に全て国の重要文化財に指定されている。
時代背景・・・縄文時代後期は寒冷化に伴う環境の変化により、木の実、動物などの食料が減少した時代である。さらに東京、神奈川一帯では箱根山の噴火や富士山の噴火が長期化したため食料の確保が難しくなり、それに伴い急激な人口減少が起きている。そのため東京、神奈川では縄文時代晩期の遺跡はほとんど見当たらない。その際、寒冷化に伴う食料資源の減少が少ない海産物を中心に食料の確保をしたため、この貝塚ができたとされる」ウィキペディアより抜粋
１９５１年文化財保護委員会告示第二号として定..]]></description>

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			<title><![CDATA[縄文土器～地域の関連とその独自性～]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59406/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:14 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59406/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59406/thmb.jpg?s=s&r=1258940474&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　今回、過去に私がアルバイトで扱ってきた縄文土器について、地域ごとに共通する点と独立している点について調べ、当時の文化交流を考えてみようと思う。しかし、縄文時代の全ての土器を調べるのは大変な時間と資料を要求する。そのため、対象と[356]<br />]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[縄文の漆文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59405/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59405/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59405/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59405/thmb.jpg?s=s&r=1258940472&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　今年の6月、東京両国の江戸東京博物館にて｢発掘された日本列島2001｣と題し、最新の考古学速報展が開催され、考古学を志す者の一人として私もそこに足を運んだ。展示品の中で私の目を引いたのが縄文時代の漆製品だった。むろん、縄文時代[346]<br />]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[縄文土器研究の重要性〜山内清男の業績について〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9463/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 09:25:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9463/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9463/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/9463/thmb.jpg?s=s&r=1152404737&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
山内清男（1902〜1970）はそれまでの空想や常識論的な先史学に疑問を持ち、客観的科学性を重んじた遺跡、遺物の研究方法をもって日本の先史考古学の体系を構築した。
本稿ではその山内清男の業績をまとめ、また縄文時代における縄文土[340]<br />縄文土器研究の重要性～山内清男の業績について～
目次
１．はじめに
２．山内清男の業績
３．縄文土器研究の重要性
４．おわりに
１．はじめに
山内清男（1902～1970）はそれまでの空想や常識論的な先史学に疑問を持ち、客観的科学性を重んじた遺跡、遺物の研究方法をもって日本の先史考古学の体系を構築した。
本稿ではその山内清男の業績をまとめ、また縄文時代における縄文土器研究の重要性についてもまとめていきたい。
２．山内清男の業績
　第一の業績は、縄文土器の原体と施文法を発見したことである。山内は日本の縄文土器の縄文文様は植物質の繊維に撚りをかけて縄にした原体を土器の表面に転がしながら、押しつけた押圧回転施文であることを明らかにした。そしてさらに進んで土器面に見られる多様な縄文の種類を集成、分類し、数多くの縄文原体を明らかにした。
　第二の業績は、縄文土器の編年の基礎を築いたことである。山内は甲野勇・八幡一郎とともに関東や東北地方の貝塚で層位的発掘を推し進め、その中心となった山内は北海道から九州にいたる全国の土器型式を時間別、地域別に配列し、最初の編年表を提示した。そして縄文時代を早期、前..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[縄文時代の埋葬頭位研究の現状]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/7916/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Apr 2006 02:27:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/7916/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/7916/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/7916/thmb.jpg?s=s&r=1144862869&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
これまでの縄文時代の墓制研究において、埋葬人骨の頭位方向は他の属性と比較して特に重要視されてきたといえる。それは頭位方向が当時の精神文化のあり方や社会組織を表しているとの解釈が行われてきたためであろう。本稿では縄文時代の埋葬頭[358]<br />縄文時代の埋葬頭位研究の現状
目次
１．はじめに
２．埋葬頭位は何を表すのか
３．埋葬頭位研究史
４．おわりに
１．はじめに
これまでの縄文時代の墓制研究において、埋葬人骨の頭位方向は他の属性と比較して特に重要視されてきたといえる。それは頭位方向が当時の精神文化のあり方や社会組織を表しているとの解釈が行われてきたためであろう。本稿では縄文時代の埋葬頭位研究史をまとめてみることにより、頭位研究をする意義や課題について考えてみたいと思う。
２．埋葬頭位は何を表すのか
山田康弘は考古学的に墓から観察可能な属性を、その付加される契機をもとに生前付加属性と死後付加属性とに分類している(山田1997)。それに基づけば、頭位方向は死後付加属性であり、これは本人によって最終的に決定することは不可能であるため、必ずしも生前の被葬者の立場や状態を直接的に表していたとは言い難い面がある。頭位方向に関して、どのような解釈が述べられてきたのか、以下述べることにする。
３．埋葬頭位研究史
　日本において初めて埋葬頭位について述べたのは長谷部言人であった。以後小金井良精、清野謙次などがさまざまな見解を述べるが、戦前..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[縄文時代の社会構造を考える]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/6538/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Feb 2006 21:58:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/6538/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/6538/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/6538/thmb.jpg?s=s&r=1139576300&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
本稿ではまず縄文時代の東西日本の格差をとりあげたうえで、谷口氏の環状集落から見た生態史観の研究をみていき、最後にまとめにかえて遺跡分布と人口密度を研究する意義について個人的考えを述べていくことにする。

２．縄文時代の東西格差[354]<br />遺跡分布と人口密度
目次
１．はじめに
２．縄文時代の東西格差
３．谷口氏の環状集落から見た社会構造の研究
（１）環状集落数と集落遺跡分布の関係性
（２）文節構造の発達過程
（３）環状集落の生態史観
４．遺跡分布と人口密度を研究する意義　～まとめにかえて
参考・引用文献一覧
１．はじめに
　谷口康浩氏はこれまで環状集落の拠点的性格や機能を容認する立場から環状集落の存在意義や領域構造を論じている。その際、基本的な理解の根拠としてきたのは、一地域における全体的な集落の分布状態・密度である（谷口2005）。本稿ではまず縄文時代の東西日本の格差をとりあげたうえで、谷口氏の環状集落から見た生態史観の研究をみていき、最後にまとめにかえて遺跡分布と人口密度を研究する意義について個人的考えを述べていくことにする。
２．縄文時代の東西格差
　縄文文化を通観すると、土器型式のあり方や配石遺構、大規模なモニュメントなどにおいて、東西日本の格差が大きいと認識される場合が多い。
　縄文時代の遺跡分布（図1）をみると、東日本に濃密で西日本に希薄であるということがわかる。これについて否定的な意見（西田1985　注１..]]></description>

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			<title><![CDATA[縄文時代の人口論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4479/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Dec 2005 18:25:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4479/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/4479/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/4479/thmb.jpg?s=s&r=1135934735&t=n" border="0"></a><br /><br />1．	はじめに

　先史時代の人口を推定することは大変難しいことである。いままでこれを試みた研究者は芹沢長介氏、山内清男氏、小山修三氏、といった限られた人しかあげることができない。「人口論は、今後の縄文時代研究において進展の期待される分野で[352]<br />縄文時代の人口論
　　目次
　１．はじめに
　２．人口研究の意義
　３．山内、芹沢両氏による人口推定
　４．小山氏による人口推定
　５．今村氏による人口推定
　６．その他研究者による人口推定
　７．人口研究の課題
　８．おわりに
　参考引用文献
はじめに
　先史時代の人口を推定することは大変難しいことである。いままでこれを試みた研究者は芹沢長介氏、山内清男氏、小山修三氏、といった限られた人しかあげることができない。「人口論は、今後の縄文時代研究において進展の期待される分野である」（羽生1990）にもかかわらず、長い間あまり議論が行われていなかった。しかし今村氏の西関東と中部高地の人口推定の論文が発表されて以後、何人かの研究者によって細かい地域ごとの人口推定が行われつつあるのが現状である。本発表ではそうした縄文時代人口論の研究史を通して、各研究者の人口推定に用いた方法、それを元に導き出された数値を紹介していき、今後の人口研究の課題についても述べていきたい。
人口研究の意義
　・「人口推定の最も重要な役割は、それが先史時代の人間の生活の安定・繁栄を測る客観的なメルクマールとなりうる点にある..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[動物遺存体からみた「サケ・マス論」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3924/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 00:39:59 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3924/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/3924/thmb.jpg?s=s&r=1134401999&t=n" border="0"></a><br /><br />1．	はじめに
　山内清男の「サケ・マス論」という仮説を知り、大変興味が引かれるとともに、サケ・マスが縄文時代の東日本の高い人口密度を支える食料資源となりえるのか強い疑問を感じた。そこで現在の研究段階で山内の「サケ・マス論」に関してどこまで[354]<br />動物遺存体からみた「サケ・マス論」
　　目次
　１．はじめに
　２．動物遺存体とは何か
　３．「サケ・マス論」に関する研究小史
　４．サケ・マス類骨の出土例
　５．動物遺存体からみる縄文時代のサケ・マス食
　６．おわりに
はじめに
　山内清男の「サケ・マス論」という仮説を演習の発表の準備をしている間に知り、大変興味が引かれるとともに、サケ・マスが縄文時代の東日本の高い人口密度を支える食料資源となりえるのか強い疑問を感じた。そこで現在の研究段階で山内の「サケ・マス論」に関してどこまで言及できるのかということを調べてみたくなり、歴史地理概論のレポートにこのテーマを取り上げることにした。
動物遺存体とは何か
　動物遺存体という用語を説明する前に環境考古学、動物考古学という用語について説明したい。
　環境考古学とは主に自然遺物の分析を通して、過去および現在の環境や生態系と人間活動の関係を明らかにすることを目的とした考古学の一分野である。分析手法に、自然科学的方法またはそれを基礎とした方法を用いることが多いため、むしろ自然科学的方法による過去の探求を総称した分野ともいえる（佐藤2004）。
　考..]]></description>

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