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		<title>タグ“総中流”の公開資料</title>
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		<description>タグ“総中流”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[日本の「総中流」社会の終わり]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430771701@hc06/10571/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ma88127155]]></author>
			<category><![CDATA[ma88127155の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 18 Aug 2006 00:35:05 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430771701@hc06/10571/" target="_blank"><img src="/docs/983430771701@hc06/10571/thmb.jpg?s=s&r=1155828905&t=n" border="0"></a><br /><br />日本は明治以降、職業選択の自由が法的に認められ職業によって社会的な地位が決定されるようになった。その結果、日本は学歴による資源配分原理が支配的な社会、つまり「学歴社会」になった。実績・努力・必要・均等を選択肢とし、理想と現実の資源配分原理を[360]<br />　日本は明治以降、職業選択の自由が法的に認められ職業によって社会的な地位が決定されるようになった。その結果、日本は学歴による資源配分原理が支配的な社会、つまり「学歴社会」になった。実績・努力・必要・均等を選択肢とし、理想と現実の資源配分原理を調査した結果、簡単に言うと「実績」と「努力」の対立がみられた。また、Ｗ雇上は実績が、Ｗ自営・Ｂ自営は努力が地位や経済的な豊かさを得るあり方であるべきだと答える傾向がみられた。生まれ持った資産や看板など本人の力の及ばない部分が大きい自営業の人々が「努力」に傾くのは理解できる。だがホワイトカラーの実力は客観的に評価できるものではないにも関わらずなぜＷ雇上は「実績」を支持するのだろうか。親の学歴による隠れた資産と「階層の戦後」という点から、戦後の日本社会の「平等」について考えたい。
まず実績主義に傾く人をもう少し詳しく見ると、学歴が高い人ほどその傾向が強いことがわかる。また本人学歴の高さと父親の学歴の高さというのはきれいに対応しており、父の学歴が高いほどＷ雇上になりやすいというデータがある。つまり親の学歴というのは本人にとって「目に見えない資産」となって..]]></description>

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			<title><![CDATA[「働く」という行為とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430771701@hc06/7659/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ma88127155]]></author>
			<category><![CDATA[ma88127155の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 18 Mar 2006 21:54:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430771701@hc06/7659/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430771701@hc06/7659/" target="_blank"><img src="/docs/983430771701@hc06/7659/thmb.jpg?s=s&r=1142686467&t=n" border="0"></a><br /><br />　立岩真也氏は『つよくなくてもやっていける』の本文の中で、働くという行為は「人が生存し生活するために必要な手段であり、基本的にはそれ以下でもそれ以上でもない」と述べている。私は、フリーター・ニートの拡大の背景には学校教育での進路指導の不備が[360]<br />立岩真也氏は『つよくなくてもやっていける』の本文の中で、働くという行為は「人が生存し生活するために必要な手段であり、基本的にはそれ以下でもそれ以上でもない」と述べている。私は、フリーター・ニートの拡大の背景には学校教育での進路指導の不備が要因として考えられると感じていた。というのも、従来の進路指導は「出口指導」や「振り分け指導」などに見られるように、教師側からの一時的で一方的な指導が行われてきたことを反省して児童・生徒の自己概念の確立や職業的自己実現を目指した指導へと移行しているということを大学の講義で学んだためである。
マッチング理論（個人の能力や興味と職業をうまく合致〈マッチ〉させることによって、その個人の職業選択と成功が実現できるとする見方）1　に基づいて進路指導を行うと、人と職業の適合を重視できる反面、人にはその人に最適の仕事というものが存在していて、それを探してゆくのが進路指導であるようにも感じられてしまう。キャリアにおける自己実現や、現実の自己に着目せずに将来どういう自分になっていきたいのかと理想の自己のみに重点を置いた学校教育の進路指導が、自分と自分に適した職業の「赤い糸..]]></description>

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