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		<title>タグ“統合保育”の公開資料</title>
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		<description>タグ“統合保育”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[障害児療育｢統合保育の目的と意義」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960186105401@hc09/52776/]]></link>
			<author><![CDATA[ by こた]]></author>
			<category><![CDATA[こたの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 20 Jul 2009 23:23:29 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960186105401@hc09/52776/" target="_blank"><img src="/docs/960186105401@hc09/52776/thmb.jpg?s=s&r=1248099809&t=n" border="0"></a><br /><br />｢統合保育の目的と意義」
　わが国の国民はみな等しく教育を受ける権利を有している。そんな中、障害児に関する教育を受ける権利については、日本国憲法第26条や教育基本法第3条で保障されている。
　国際的には｢児童の権利に関する条約｣の第23[342]<br />　｢統合保育の目的と意義」
　わが国の国民はみな等しく教育を受ける権利を有している。そんな中、障害児に関する教育を受ける権利については、日本国憲法第26条や教育基本法第3条で保障されている。
　国際的には｢児童の権利に関する条約｣の第23条で障害児に対する教育･訓練の機会均等を宣言しており、わが国も批准している。
　最近の国際的な動向としては、誰もが持てる能力を最大限に生かし、特別な配慮のもとにきめ細かな教育を行うというものである。その例として｢統合保育」が挙げられる。
　障害児教育については、①基本的な教育を受ける権利の保障、②適切な教育を受ける権利の保障、③統合保育の実現、という考え方の変..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[障害児に対する教育のあり方]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429996101@hc06/14145/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pooooh]]></author>
			<category><![CDATA[poooohの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Jul 2007 20:14:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429996101@hc06/14145/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429996101@hc06/14145/" target="_blank"><img src="/docs/983429996101@hc06/14145/thmb.jpg?s=s&r=1185189255&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　　　　　　障害児に対する教育のあり方
統合保育とは簡単に言えば、障害児を含めての保育という意味である。統合保育により、障害児は健常児からの刺激によって発達が促進され、健常児は本当の意味の福祉の心の芽生えが養われる。統合保育は別の言い方[358]<br />　　　　　　　　障害児に対する教育のあり方
統合保育とは簡単に言えば、障害児を含めての保育という意味である。統合保育により、障害児は健常児からの刺激によって発達が促進され、健常児は本当の意味の福祉の心の芽生えが養われる。統合保育は別の言い方では「インテグレーション」といい、障害児を可能な限り健常児に近い生活を確保させることを「ノーマライゼーション」というのである。統合はノーマライゼーションの考え方の具体化の諸方策のひとつなので、３つのレベルがあるという考え方が一般的である。第一は、障害児のための専門的な教育機関（盲学校・聾学校・養護学校など）を、通常の小･中･高校と同一敷地か隣接地などに設置し、教育の場を近接させるというレベルの統合「位置的または場の統合」である。第二は、給食やクラブ活動や学校行事などにおいて障害児と健常児が一緒に活動することをめざすというレベルの統合「社会的統合」である。そして第三は、各教科の学習もふくめて障害児が通常の学級で全日をすごすというレベルの統合「機能的統合」である。位置的または場の統合が前進すれば社会的統合はいっそう容易になり、さらに機能的統合に向けての試..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[統合保育について学んで〜「障害を持つ子」の教育のありかた]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/chiyuki/10651/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chiyuki]]></author>
			<category><![CDATA[chiyukiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 19 Aug 2006 14:41:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/chiyuki/10651/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/chiyuki/10651/" target="_blank"><img src="/docs/chiyuki/10651/thmb.jpg?s=s&r=1155966085&t=n" border="0"></a><br /><br />これまで、障害を持つ子ども（以下、障害児）の学校教育について学んだことはあったが、就学前の、つまり統合保育については考えたりしたことがなかった。そこでまず、私が新たに認識した、統合保育を受けた子どもたちの3つの姿から述べてみたい。
1つ目[352]<br />統合保育について学んで～「障害を持つ子」の教育のありかた
　これまで、障害を持つ子ども（以下、障害児）の学校教育について学んだことはあったが、就学前の、つまり統合保育については考えたりしたことがなかった。そこでまず、私が新たに認識した、統合保育を受けた子どもたちの3つの姿から述べてみたい。
　1つ目は、障害のない子どもたち（以下、健常児）の、&ldquo;障害を素直に受け入れられる姿&rdquo;である。私はもともと、例えば、健常児が「障害児を、差別してはいけません」と教えられて初めて、「障害がある子どもは差別される（ことがある）」ということを知るように、偏見や差別の感情は、内から生まれるものではなく、外からつくられ..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[ 逆統合保育&minus;インクルージョン的障害児保育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430006901@hc06/9582/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kanna69]]></author>
			<category><![CDATA[kanna69の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Jul 2006 04:39:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430006901@hc06/9582/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430006901@hc06/9582/" target="_blank"><img src="/docs/983430006901@hc06/9582/thmb.jpg?s=s&r=1152733143&t=n" border="0"></a><br /><br />１．＜異＞が当たり前という感覚
「逆統合保育」というタイトルを見たとき、私には統合の逆、即ち普通教育と支援を必要とする子ども（以下障害児とまとめたい）の教育との統合、摺り合わせをせず、それぞれが適した形で教育を受けるものというイメージが浮[356]<br />１．＜異＞が当たり前という感覚
「逆統合保育」というタイトルを見たとき、私には統合の逆、即ち普通教育と支援を必要とする子ども（以下障害児とまとめたい）の教育との統合、摺り合わせをせず、それぞれが適した形で教育を受けるものというイメージが浮かんだ。しかしこの「逆」が、健常児の場に障害児を近づけるのではなく、障害児側の保育環境に健常児を参加させるという、従来とは逆方向の統合保育を意味するのだと分かったとき、あまりに思い切った発想の転換であると、正直呆気にとられてしまった。また、「＜異年齢・異能力・小集団＞の保育」という言葉が強く眼についた。
統合という形は本流へ近づけようとするため、どうしてもメインストリーミングの色が出てくる。これは、全ての子どもを同じように包み込み、個々に教育的ニーズが異なることを言わずもがな当然のこととし、必要なサポートを講じていくインクルージョン的発想とは異なるものである。逆統合という心持ちで教育者が一人一人と向かい合ったときに、異年齢・異能力・小集団の場で個々の子どもが意識され、別々の違った人間として彼らと関わるという態度が生まれたのではないだろうか。
やはり逆統..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[ 統合保育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430456701@hc06/8244/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nanamaru36]]></author>
			<category><![CDATA[nanamaru36の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 May 2006 11:03:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430456701@hc06/8244/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430456701@hc06/8244/" target="_blank"><img src="/docs/983430456701@hc06/8244/thmb.jpg?s=s&r=1146881019&t=n" border="0"></a><br /><br />私は障害を持っているという理由で教育が無意味であると考え、それを怠るのは間違っていると考えています。できないからといって刺激を与えずにいれば、その子はそのままできないままです。ここで言う刺激とは、一般的に言われている「健常な子どもたち」と共[360]<br />（１）「障害を持つ子」の教育のありかたについて
　私は障害を持っているという理由で教育が無意味であると考え、それを怠るのは間違っていると考えています。できないからといって刺激を与えずにいれば、その子はそのままできないままです。ここで言う刺激とは、一般的に言われている「健常な子どもたち」と共に過ごすという、まさに統合保育のことです。具体的な例としてレジュメの事例を挙げさせて頂くと、Rちゃん（男児）は、５歳の男児が立って排尿している姿を見て何度かマネることによって、Rちゃんも立って排尿する成功率が高くなったなどのことです。Rちゃんは５歳の男児から刺激を受けて、それによって成長したのです。この刺激がなければ、もしかしたらRちゃんは立って排尿しようと思うことすらなかったかもしれません。このようなことは、他の事例にも言えることだと思います。つまり、刺激を受けることによって障害を持つ子の発達が促進される場合があるということです。まねること、そしてまねる対象が身近にいることの意義は非常に大きいと私は感じました。この手本になるということは、保育士よりもより近い目線にいる子どもたちの方が適任なのでしょう..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[統合保育の目的と意義について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430741101@hc06/7215/]]></link>
			<author><![CDATA[ by raimi821]]></author>
			<category><![CDATA[raimi821の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Mar 2006 01:47:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430741101@hc06/7215/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430741101@hc06/7215/" target="_blank"><img src="/docs/983430741101@hc06/7215/thmb.jpg?s=s&r=1141490874&t=n" border="0"></a><br /><br />　統合保育とは、「子どもを取り巻く全ての環境の中で、障害幼児と通常幼児が共に生活し、時間と空間を共有し、相互に影響しながら共に歩んでいく保育」のことである。これは、ノーマライゼーションの理念の広がりと共に、その具体的な施策の一つとして誕生し[360]<br />「統合保育の目的と意義について述べなさい。」
　統合保育とは、「子どもを取り巻く全ての環境の中で、障害幼児と通常幼児が共に生活し、時間と空間を共有し、相互に影響しながら共に歩んでいく保育」のことである。これは、ノーマライゼーションの理念の広がりと共に、その具体的な施策の一つとして誕生した。ノーマライゼーションとは、障害児・者のハンディキャップをそのまま認めたうえで、障害をもたない人と同じ環境で、できるだけ障害をもたない人に近い生活を送ることを目指そうする理念である。その実現のために、統合保育は行われてきたといえる。したがって、統合保育の目的・意義は障害児保育がどのような道筋をたどってきたのか、から考察して述べていきたい。
(1)　子どもの教育・保育を受ける権利
　わが国では、日本国憲法第26条によって全国民に教育を受ける権利を保障しており、教育基本法第3条では教育権を保障している。
　国際的には、1989年（平成元年）に国連総会で採択された「児童の権利に関する条約」の第23条に「障害児の権利」として「障害を有する児童の特別なケアへの権利」が認められている。さらに、そのなかで障害児に対す..]]></description>

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			<title><![CDATA[学級が障害を持った子どもを受け入れるということ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6814/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mackey88]]></author>
			<category><![CDATA[mackey88の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 12:07:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6814/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6814/" target="_blank"><img src="/docs/983430754801@hc06/6814/thmb.jpg?s=s&r=1139972836&t=n" border="0"></a><br /><br />　私は障害を持つ子もそうでない子も、「同じ」なんだということを強く感じるようになった。
　この「同じ」というのは、「教師が意識しすぎてはいけない」ということである。もちろん教師には、子どもの監督責任は最低限必要である。なかでも、その子が障[356]<br />学級が障害を持った子どもを受け入れるということ
私は障害を持つ子もそうでない子も、「同じ」なんだということを強く感じるようになった。
　この「同じ」というのは、「教師が意識しすぎてはいけない」ということである。もちろん教師には、子どもの監督責任は最低限必要である。なかでも、その子が障害を持っていれば、細心の注意が必要となることは言うまでもない。しかし、それ以上の「手」は必要ないのではないか。学校生活と言うからには、それは楽しいものでなくてはならない。これは、私の考えの中では絶対事項である。もちろん、そこに障害者も健常者も関係ない。学校は楽しい場所でなくてはならないのだ。そのためには、教師は決してむやみやたらと手をだしてはならない。「目を離すな手を出すな」。この精神が、難しいことかもしれないが大切なことだと思う。
　例えば、園だよりの「保育について」に書かれていることを見ると、「障害」というものを別枠として考えることはできない、と感じた。こども像、保育目標、保育の内容と方法、どれを見てもそれは、健常児に対しての保育であると同時に障害児に向けての保育、メッセージであることに気づく。特に「あ..]]></description>

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