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		<title>タグ“第二次世界大戦後”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[国際情報,西洋史４]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951012442267@hc11/94714/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 松村英生]]></author>
			<category><![CDATA[松村英生の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jun 2012 13:19:54 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951012442267@hc11/94714/" target="_blank"><img src="/docs/951012442267@hc11/94714/thmb.jpg?s=s&r=1341029994&t=n" border="0"></a><br /><br />私は、第二次世界大戦後のドイツ現代史上で特筆すべきことは、①「分断国家の成立」、②「統一ドイツ」の成立、③「欧州連合内での中核国として存在」であると考える。
ドイツは敗戦が決まり、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の４つの戦勝国で分割占領された。いわゆる「分断国家の成立」である。１９４９年、米英仏占領地域に自由主義・資本主義のドイツ連邦共和国（西ドイツ）を成立し、これを受けてソ連占領地区に共産主義のドイツ民主共和国（東ドイツ）が成立した。つまり、ドイツ国家と民族は東と西に分断されたのだ。それに伴い１９６１年には、その象徴ともいえる「ベルリンの壁」が建設された。東ドイツは、通貨・経済、行政、政治の面でソ連の一衛星国みたいなソ連型統治機構（社会主義体制）となり、経済的な成長はなかった。一方、西ドイツは、マーシャル・プラン や朝鮮戦争特需によって、ヨーロッパの奇跡と呼ばれたように戦後復興・経済成長を果たした。西ドイツは、欧州連合の全身である欧州経済共同体などへの加盟を通じ、以前に対立したフランスやイギリス等の近隣諸国との経済協力や政治協調を進め、欧州の一員かつ中核メンバーとして受け入れられる..]]></description>

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			<title><![CDATA[第二次世界大戦後における日本の福祉制度の概観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428940601@hc07/13519/]]></link>
			<author><![CDATA[ by miyamn]]></author>
			<category><![CDATA[miyamnの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Mar 2007 13:46:02 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428940601@hc07/13519/" target="_blank"><img src="/docs/983428940601@hc07/13519/thmb.jpg?s=s&r=1173761162&t=n" border="0"></a><br /><br />第二次世界大戦後の日本国はイギリスの「ベヴァリッジ報告」のような戦後社会保障制度を準備する計画をもたず戦後体制に入ったこと、及び米軍占領下の監視のもとで戦前の体制に立ち戻る原点をもたなかったことがその再出発の方向性を決定づけた。日本の軍事的[360]<br />第二次世界大戦後の日本国はイギリスの「ベヴァリッジ報告」のような戦後社会保障制度を準備する計画をもたず戦後体制に入ったこと、及び米軍占領下の監視のもとで戦前の体制に立ち戻る原点をもたなかったことがその再出発の方向性を決定づけた。日本の軍事的体質の解体とその温床を除去することが目的であったため「福祉改革」の始まりは、１９４５年１１月２５日付の「軍人恩給停止令」という「一般扶助主義」と「無差別平等主義（優遇差別禁止）」の理念を含むものからとなった。占領軍は１９４６年２月「社会救済に関する覚書」を発表した。その内容とは公的扶助3原則と呼ばれる基本原則、①優遇措置禁止（無差別平等）の一般扶助主義、②扶..]]></description>

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			<title><![CDATA[憲法9条改正の是非]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/1491/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happyabc]]></author>
			<category><![CDATA[happyabcの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jul 2005 17:29:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/1491/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432357601@hc05/1491/" target="_blank"><img src="/docs/983432357601@hc05/1491/thmb.jpg?s=s&r=1122280183&t=n" border="0"></a><br /><br />憲法の意義の違った捕らえ方がある。最も注目されるのが憲法というものが、国家権力を拘束し、その暴走をチェックすることに存在意義があることを、抵抗権や革命権の実定化によってさらに徹底しようとした点である。
この点でこの講演会に来てよかったと思[356]<br />憲法9条改正の是非
憲法の意義の違った捕らえ方がある。最も注目されるのが憲法というものが、国家権力を拘束し、その暴走をチェックすることに存在意義があることを、抵抗権や革命権の実定化によってさらに徹底しようとした点である。
この点でこの講演会に来てよかったと思った。今までは憲法があって国民がそれを守ると考えていたのだがこういった考え方もあるのだと改めて実感した。
憲法が注目され熱く語られるとき、その時代は転換期にある。明治１０年代が其の始めであるが、政府の暴走に対するチェックの必要性が事細かに自覚されていたのだ。その例として「抵抗権の保留」があった。結局は大日本帝国憲法と言う欽定憲法が制定されることになったのだが、これが発布されるまでのわずかな期間、日本に立憲国家を求める熱い運動が存在したことも初めて知った。大日本帝国憲法制定につい今までの授業でもそういった詳しいことは触れていなかったので、改めてまだまだ知らないことが多いと思った。調べることの重要性を知った。
さらに、敗戦直後の一時期も憲法が熱く語られたそうである。新しい憲法をめぐる「論争」が展開されていたこと、国内での各政党だけでなく..]]></description>

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