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		<title>タグ“積極的平和”の公開資料</title>
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		<description>タグ“積極的平和”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[平和教育の方向性について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6950/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mackey88]]></author>
			<category><![CDATA[mackey88の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 23:35:08 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6950/" target="_blank"><img src="/docs/983430754801@hc06/6950/thmb.jpg?s=s&r=1140014108&t=n" border="0"></a><br /><br />平和教育の方向性について
 人類史上最初の原爆投下を含む悲惨な戦争体験の国民的反省と平和の価値への覚醒とが、戦争放棄の平和憲法と平和的人間の形成を目ざす教育基本法とを生み、それらによってその後の日本の教育が平和教育でなければならぬという原[354]<br />平和教育の方向性について
　　人類史上最初の原爆投下を含む悲惨な戦争体験の国民的反省と平和の価値への覚醒とが、戦争放棄の平和憲法と平和的人間の形成を目ざす教育基本法とを生み、それらによってその後の日本の教育が平和教育でなければならぬという原則が確立されたという点に、戦後わが国の教育の根本的特色があるのである。それは侵略戦争への単なるざんげをこえて、人類の未来の教育を先どりしたものでもあった。
　これは1976年に創刊した『季刊平和教育』の第１号に書かれている言葉である。この文章を読むと複雑な想いがする。平和の概念が構造的暴力の克服も含めた積極的平和へと進歩しているのに対し、その大前提となる平和..]]></description>

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			<title><![CDATA[暴力について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6863/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mackey88]]></author>
			<category><![CDATA[mackey88の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 18:08:59 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6863/" target="_blank"><img src="/docs/983430754801@hc06/6863/thmb.jpg?s=s&r=1139994539&t=n" border="0"></a><br /><br />○　ヨハン・ガルトゥングによる暴力の定義
　まず、「暴力」というものについて考える上で欠かせない人物がいる。それが、オスロ国際平和研究所の創設者でもあり、現在は紛争転換の国際NGO「TRANSCEND」の代表も務める現代平和学の第一人者、[332]<br />暴力について
○　ヨハン・ガルトゥングによる暴力の定義
まず、「暴力」というものについて考える上で欠かせない人物がいる。それが、オスロ国際平和研究所の創設者でもあり、現在は紛争転換の国際NGO「TRANSCEND」の代表も務める現代平和学の第一人者、ノルウェーのヨハン・ガルトゥングである。
ガルトゥングは平和の概念を「暴力の不在」と位置づけ、「ある人にたいして影響力が行使された結果、彼が現実に肉体的、精神的に実現しえたものが、彼のもつ潜在的実現可能性を下まわった場合、そこには暴力が存在する」とした上で、暴力の定義について次のように述べる。
　　暴力はここでは、可能性と現実とのあいだの、つまり実現可能であったものと現実に生じた結果とのあいだのギャップを生じさせた原因、と定義される。
　その例として、次のような場合を挙げる。
もし18世紀に人が結核で死亡したとしても、これを暴力とみなすことは困難である。なぜならば、当時結核で死亡することは避けがたいことだったからである。しかしもし、世界中に医学上のあらゆる救済手段が備わっている今日、人が結核で死亡するならば、われわれの定義によれば、そこには..]]></description>

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