<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/" xmlns:activity="http://activitystrea.ms/spec/1.0/">
	<channel>
		<title>タグ“社会文化”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%96%87%E5%8C%96/</link>
		<description>タグ“社会文化”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
		<generator uri="http://www.happycampus.co.jp/" version="1.0">happycampus rss generator</generator>
		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[社会科学概論　「共通文化」とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20419/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Mar 2008 23:26:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20419/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20419/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/20419/thmb.jpg?s=s&r=1205591162&t=n" border="0"></a><br /><br />社会科学概論
「共通文化」とは
【Ⅰ】 ｢共通文化｣の意味
　まずは、「共通文化」とは何なのか？そこを多少明確にしておいてから具体的な検討をはじめたいと思います。
　『戦後日本の大衆文化史―1945－1980年』のp.[301]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の言語文化.]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20410/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Mar 2008 18:47:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20410/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20410/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/20410/thmb.jpg?s=s&r=1205574430&t=n" border="0"></a><br /><br />『日本の言語文化』
日清戦争以降「一等国」となった日本は、大東亜共栄圏を樹立しようと台湾や朝鮮、満州、東南アジアに領土を拡大していた。しかし、植民地語の使用は日本の統治政策を崩すことにもなりかねず、異民族を統治するためには言語問題の解決が[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[言語論『近代日本における方言の語り方の特徴と21世紀における方言の可能性』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20395/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Mar 2008 18:35:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20395/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20395/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/20395/thmb.jpg?s=s&r=1205573715&t=n" border="0"></a><br /><br />『近代日本における方言の語り方の特徴と２１世紀における方言の可能性』
一般的に、方言とは、言語の地域的な変種を指し表す概念である。日本の方言は、日本列島で日本語が使われ始めて広まっていく過程で、日本人が歩んだ歴史の歩みに呼応しながら、互い[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会文化的アプローチ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/9137/]]></link>
			<author><![CDATA[ by binkanboy]]></author>
			<category><![CDATA[binkanboyの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Jun 2006 03:35:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/9137/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/9137/" target="_blank"><img src="/docs/983430219101@hc06/9137/thmb.jpg?s=s&r=1150914919&t=n" border="0"></a><br /><br />まず、私は高校での学びの目標は理解してもしていなくても、とにかく覚えて慣れることであったと考える。これは大学入試のための学びであり、大学入試の中でも特にセンター試験は理解しなくてもとにかく覚えて、慣れることによって点数が伸びるものであった。[360]<br />「社会文化的アプローチから
高校での学びを考える」
私は当然だが今までこのような学習の仕方を分析するようなことはしたことが無かった。そのため講義内容は非常に興味深かった。しかし理解できない部分も多かった。そこでまずは「社会文化的アプローチ」の定義をまとめてみた。
これまでの学習、言語獲得観 社会文化的アプローチ 　
分析の対象 理想化された話し手、学習者の情報処理 
システム、内在化された言語能力(linguistic 
competence)、コミュニケーション能力、入力(input)としての言語 　
文化的道具によって媒介され行為する個人 学習観 知識、スキル、表象、思考の獲得とその 
内..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[身体の意味について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431329301@hc05/4346/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shm667]]></author>
			<category><![CDATA[shm667の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Dec 2005 18:06:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431329301@hc05/4346/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431329301@hc05/4346/" target="_blank"><img src="/docs/983431329301@hc05/4346/thmb.jpg?s=s&r=1135587980&t=n" border="0"></a><br /><br />　今回この「身体の意味」についてレポートを書くに当たってまずは何も読まない状態で身体という立場に置かれるのはどんなものなのかを考えてみた。このタイトル見たときに、自分はなにを思うか、それを自分自身に問うことをしてみたのだ。
　はじめに思い[356]<br />性・世代の社会文化論
最終課題
「身体の意味」について
今回この「身体の意味」についてレポートを書くに当たってまずは何も読まない状態で身体という立場に置かれるのはどんなものなのかを考えてみた。このタイトル見たときに、自分はなにを思うか、それを自分自身に問うことをしてみたのだ。
はじめに思い浮かんだのが私の体、つまり【しんたい】としての意味を持った「身体」についてだ。そこには様々な臓物、機能などのたくさんのコンテンツを有し、そのうえで成長や退行を絶えず行い最終的に朽ちてゆく。一人の人物の精神にひとつしか有せないもの、そんな「身体」についてだ。果たしてこの【しんたい】の意味とは何であろうか。
私はこの【しんたい】についてはただの「私」という、流動的で無限でさらに柔軟で凶暴、そして目に見ることの出来ないものを実際に可視するためだけに存在する「入れ物」に過ぎないのではないかと思う。私はこの【しんたい】という「入れ物」は中身の「私」を失った瞬間、実物的にはもうそれは「私」としての意味を有さない、ただのたんぱく質など無数の成分や細胞によって構成されている「何らかのもの」だと考える。もう「私」を失っ..]]></description>

		</item>

	</channel>
</rss>