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		<title>タグ“生きる”の公開資料</title>
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		<description>タグ“生きる”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[読書感想文『夏の庭』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/928169142186@hc19/144744/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 白コニー]]></author>
			<category><![CDATA[白コニーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Jul 2021 08:55:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/928169142186@hc19/144744/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/928169142186@hc19/144744/" target="_blank"><img src="/docs/928169142186@hc19/144744/thmb.jpg?s=s&r=1626134155&t=n" border="0"></a><br /><br />新潮文庫　平成6年発行　湯本香樹実著　「夏の庭」
中学生向けの読書感想文です。
昔に書いたものが押し入れから出てきたので参考にされる方がいらっしゃいましたらご活用ください。
原稿用紙5枚の読書感想文という夏休みの課題があり、大変でした[344]<br />『夏の庭』を読んで
「夏の庭」は、国語の先生のおすすめでした。とても面白いと紹介されましたが、すぐに読もうとは思えませんでした。なぜなら、その本を初めて手にしたとき裏表紙のあらすじに「死ぬ瞬間をこの目でみるために。」という言葉が書かれていたからです。私はねそれをとても不快に感じ、素直に読む気持ちにはなれませんでした。まるで、人の死を楽しむかのような言葉が、どうしても理解できなかったからです。死とはそんなに明るいものではありません。まして、死ぬのを待っているような言動は、好奇心からでも決して抱いてはいけないと思います。しかし、そう思っていたのに、この本を読んでみようと思い立ったのはこんなきっかけからでした。
私は今年、生まれて初めて葬儀に参列しました。それは、同級生のお父さんのものでした。クラスの代表で参列したその葬儀は、悲しみと寂しさが入り混じった大変辛い時間でした。普段はムードメーカーである彼の姿は、当然のことながらどこにもありませんでした。
沈痛な面持ちの彼がとても痛々しく見えました。彼のお父さんをよく知らない私でさえも自然と涙があふれ、今も頭から離れません。
死とはそういうものな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】倫理学基礎講読　課題１（２０１９～２０２２年度）合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932100466867@hc17/144266/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kikirm7535]]></author>
			<category><![CDATA[kikirm7535の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 12 May 2021 21:04:04 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932100466867@hc17/144266/" target="_blank"><img src="/docs/932100466867@hc17/144266/thmb.jpg?s=s&r=1620821044&t=n" border="0"></a><br /><br />日本大学通信教育部　倫理学基礎講読　課題１（２０１９～２０２２年度）の合格レポートです。　
本レポートは参考程度とし、ご使用は自己責任でお願いいたします。丸写しなどはご遠慮ください。[272]<br />倫理学基礎講読 課題１ 合格レポート 

回答例： 
①ソクラテスが告発された内容は、最初の訴人による「天上地下のことを探求し、弱論を強弁するなどいらざるふるまいをなし、かつ、この同じことを他人にも教えている」ことと、後の訴人による「青年に対して有害な影響を与え、国家の認める神々を認めず、別の新しいダイモンを祭る」ことである。ソクラテスは、その訴えの理由は、多くの人からの中傷と嫉妬によるものであると考える。 
告発のきっかけであるソクラテスの活動とは、人々にソクラテスよりも知恵のある者は誰もいないという神託の真偽を問うものである。彼は知者と呼ばれる人々を訪ね歩いたところ、人々はそれぞれの分野の知恵は持っていることから知恵があると思っているに過ぎず、正しいことを知らないということが分かった。正しい知恵とは、人間として持つべき徳、善美に関することである。人間として、また一国の市民として持つべき徳を知っているかである。ソクラテス自身は、この善美の事柄を知らないことを知っている。この点で知者より優れているということを自覚する。そして、真の知者とは神であり、その知恵に比べて人間の知恵は無価値だと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私の看護観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950916438721@hc11/140973/]]></link>
			<author><![CDATA[ by りんりんrinn]]></author>
			<category><![CDATA[りんりんrinnの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 23 Jun 2020 02:11:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950916438721@hc11/140973/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950916438721@hc11/140973/" target="_blank"><img src="/docs/950916438721@hc11/140973/thmb.jpg?s=s&r=1592845919&t=n" border="0"></a><br /><br />看護学校において、全ての実習を終え、私の看護観のレポートになります。評価は【優】でしたので、参考にどうぞ！[159]<br />私の看護観

　私はこの三年間の実習で多くの患者さんと関わり、一番大切にしていきたいと思ったことは、やはり患者さんの笑顔でした。初めは険しい表情をしていた患者さんでも、看護をしていく内に、次第に表情に変化が生じ、笑顔が見られるようになったことは、私自身も大変嬉しく、看護の喜びを感じることができました。看護の対象は人間であるため、患者さんの側に寄り添い、触れ合うことを原点とし、患者さんを生活者として捉え、個別性のある看護をすることが大切でした。そして、患者さんが今まで生きていきた人生を大切にし、その人らしく生きることを支えることは、その結果、患者さんの笑顔に繋がり、その笑顔を守っていくことも看護..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私の死生観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950916438721@hc11/140972/]]></link>
			<author><![CDATA[ by りんりんrinn]]></author>
			<category><![CDATA[りんりんrinnの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 23 Jun 2020 01:35:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950916438721@hc11/140972/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950916438721@hc11/140972/" target="_blank"><img src="/docs/950916438721@hc11/140972/thmb.jpg?s=s&r=1592843735&t=n" border="0"></a><br /><br />看護学校において、成人看護学実習【終末期】を終えての死生観のレポートになります。ターミナル期の患者さんと関わったレポートです。評価はＡでしたので、参考にどうぞ。[240]<br />私の死生観

今回の実習では、患者さんの日々変化する症状から、人の命はいつか必ず終わることを実感し、生きることの意味や、死というものは何なのか、そして人生についても深く考えた実習でした。
私は初め、患者さんが未告知であることや、死というものの怖さから、患者さんとどのように関わっていけばよいのか、患者さんと向き合うことが怖く感じていました。日々の関わりの中で、患者さんの手を握り、足をマッサージし、背中を擦りスキンシップを図っていく内に、患者さんの「一人は寂しい。」という孤独感や恐怖が感じ取られ、側にいて心で向き合うことで患者さんは安心されることを実感しました。何かをすることだけでなく、触れている..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ソクラテスの論駁について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954373967489@hc10/117133/]]></link>
			<author><![CDATA[ by damens]]></author>
			<category><![CDATA[damensの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 30 Nov 2014 23:22:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954373967489@hc10/117133/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954373967489@hc10/117133/" target="_blank"><img src="/docs/954373967489@hc10/117133/thmb.jpg?s=s&r=1417357351&t=n" border="0"></a><br /><br />ソクラテスの哲学がどのようなものだったかを踏まえ、ソクラテス的論駁と呼ばれる論法を実例を挙げて問題を述べる。
　ソクラテスによれば、人の持つ様々な信念の関係を網の目に喩えるとすると、信念の網の目の全体はその当人にとってもはじめから透明に見通せるものではない。対話による吟味によって、その網の目の全体の様子が徐々に明らかとなっていく。そして、実はその気づかない信念が、信念の網の目の中心的な部分、つまり自分の他の多くの信念を支えており放棄できない。基礎的部分に潜在しているということ(基礎的信念)である。すなわち真であるが故に、「何人も反駁できない」とソクラテスは診断する。ソクラテスが真理として追求し提示するのは、このような基礎的信念であり、それによって支えられている人の真の姿である。ソクラテスが様々な徳(アレテー)の本質を探究する上で、他者との対話・問答(ディアロゴス)を行って、相手の主張を吟味し検討する際の独特な探究の技法を反駁・論駁(エレンコス)と呼ぶ。ソクラテスはそうしたエレンコスを徹底的に鍛え上げて対話を行っている。ソクラテスの至上命題である「汝自らを知れ」で自分の心の限界を知るこ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平成26、27年、日大通信、倫理学（分冊１）、合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/115000/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Sun-flower]]></author>
			<category><![CDATA[Sun-flowerの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Aug 2014 18:29:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/115000/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/115000/" target="_blank"><img src="/docs/943705740060@hc14/115000/thmb.jpg?s=s&r=1408526968&t=n" border="0"></a><br /><br />平成26年度に取り組んだ日大通信『倫理学（分冊１）』の合格レポートです。

先生からの講評をそのまま書きます。 
&quot;課題に即した内容の論述が展開されているリポートとして評価します。課題票裏面に記載されているポイントやキーワードにも配慮が行き[346]<br />■倫理学（科目コード0013）分冊１

［課題］
「患者のQOL」について説明しなさい。

（レポート本文）
　QOL（Quality of Life）とは直訳で「生活の質」や「生命の質」という意味を表す。
このQOLというものはとくに、ホスピスでのターミナル期の患者にとって、大きな意味を担う。ここでいう英単語のターミナル（terminal）とは、「最後の」や「最終の」という意味を持ち、ターミナル期とは人生の終末期を意味している。このターミナル期を迎えた患者は一般的には、ホスピスという施設に入所する（在宅ケアなども含め、総称してホスピス・ケアという）。では、ターミナル期を迎えた患者は死を待つだけなのだろうか。ホスピスは、死にゆくための場所ではなく、「死への恐怖を少しでも和らげるとともに、最後まで『より良く生きる』ための援助をする」という場所であり、死を迎えるまでの間、本当の意味で生きる場所でもある。

人間には必ず死というものがやってくる。人間だけでなく、生があるものすべて、必ず死というものが存在する。森羅万象、この世のものすべてに始まりがあり、終わりもある。
では、なんのための終わり..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[死生観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947290935627@hc13/104676/]]></link>
			<author><![CDATA[ by もりした]]></author>
			<category><![CDATA[もりしたの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Jul 2013 22:16:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947290935627@hc13/104676/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947290935627@hc13/104676/" target="_blank"><img src="/docs/947290935627@hc13/104676/thmb.jpg?s=s&r=1373030208&t=n" border="0"></a><br /><br />死生観　看護の視点より[33]<br />「死生観」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　看護の視点より
　　　　
私は、このレポートを記述するにあたって、「死生観」とはいったいどういうことなのかがイメージすることができなかった。辞書で調べると「生きること、およびその延長上にある死に対する個人の考え方や受け止め方。」とあった。
生きることとはなんなのか、死とはなんなのか深く考えたことがない。そのため自身の死生観はまだ確立されてないと考える。
自分にとっての生とは、今まさにこの時を迎えていることだと思う。食事をしたり、布団で寝たり、友達と話をしたり、このごく当たり前のサイクルが生きるということだと思う。そして、死とは、体..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳指導案（中学）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951765504745@hc11/89882/]]></link>
			<author><![CDATA[ by はぐれメタル]]></author>
			<category><![CDATA[はぐれメタルの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 10:56:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951765504745@hc11/89882/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951765504745@hc11/89882/" target="_blank"><img src="/docs/951765504745@hc11/89882/thmb.jpg?s=s&r=1327456618&t=n" border="0"></a><br /><br />○○中学校　第３学年　道徳学習指導案
日時　平成○年○月○日（○）　○校時
学級　３年○組（男○名　女○名　計○名）
指導者　○○○○
1 主題名「命をいとおしむ」内容項目３－（２） （生命の尊重）
2 資料名　毎日新聞記事　萩原信也「三陸物語」（2011/5/11,12,13,14,17）
谷川俊太郎「生きる」(『うつむく青年』サンリオ、1989年)
3 主題設定の理由
(1) ねらいとする価値
学習指導要領では内容項目３－（２）は、「自他の生命の尊さを学ぶためには自己の生命への尊厳、尊さを深く考えさせ、他の生命を尊重する態度を身につけさせることが大切である」としている。
近年、社会が高度に情報化し、物質的にも便利になっていく一方で、自分の価値観と違うものを排除したり、気分や感情だけで自殺や殺人などの生命を軽視した行動をとってしまう子どもの精神的な未熟さが目立つ。今年３月、東日本大震災が起き、その被害の大きさや人々の悲しみの大きさを目の当たりにした生徒たちの意識はその前後でどう変化したのだろうか。また、震災から半年が経過した今、生命について冷静にどう考えることができるのだろうか。中学..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ラピュタ・アニメーション・フェスティバル2010]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78406/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YAH！！]]></author>
			<category><![CDATA[YAH！！の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Feb 2011 00:03:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78406/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78406/" target="_blank"><img src="/docs/953839146930@hc11/78406/thmb.jpg?s=s&r=1296486223&t=n" border="0"></a><br /><br />ラピュタ・アニメーション・フェスティバル2010　「アリーテ姫」
身近なアニメを見ている感覚で気軽に見ることができた。しかし、なぜかジブリ作品を見ると、物事を普段から考えすぎてしまう癖のある自分は、いつも以上に余韻に浸ってしまう。この作品もまた、考えさせられ、感情移入してしまう点が多くあった。
　あらすじは、姫というイメージとは正反対のアリーテ姫は毎日を塔の中から下で営まれている様々な生活を見て過ごしている。そんな彼女が魔法使いに出会い、様々な困難を乗り越えながら自分に出来ること、誰かのために、生きる意味を見つけ出す。
　まず、アリーテ姫が私のお姫様のイメージでもあり、きっと多くの人のイメージ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yoshyy]]></author>
			<category><![CDATA[yoshyyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Jan 2011 03:50:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/" target="_blank"><img src="/docs/953894836063@hc11/77720/thmb.jpg?s=s&r=1295376631&t=n" border="0"></a><br /><br />幸福と理性の関係について述べよ
1、幸福と理性の関係について
　「幸福とはどんな時か？」や「幸福とは何だと思うか？」と人に尋ねれば、「宝くじが当たった時」や「家族で楽しく食事をしている時」などの百人百色の答えが返ってくるだろう。
　そして、それらの答えに共通して言える事は、お金、健康、人間関係やスポーツ等の活動、大会での優勝や学問的な成果、生理的欲求等が満たされた時といった要素と、「うれしい」や「満足」といった感情の2つの要素が必要であると言えるだろう。
　すなわちスポーツの大会に負けても、その大会に出場できた事に対して「うれしい」や「満足」だと思えるのであれば、幸福であると言えるのではないだろうか。
　今回は、エピクロス、ストア派、アリストテレス、カント、以上4人の幸福論を考えてみようと思う。
　
2、エピクロスの幸福論
　エピクロスの考える幸福とは、幸福＝快＝善であるという考え方である。
　しかしエピクロスの考える快は普段私達が考える快楽とは違いアタラクシア(atra-xia)
と呼ばれる状態である。
　アタラクシアとは、精神的な苦痛が無いことと、心が平静であるということで、エピ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理　3,200文字レポート清書 終]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77643/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yoshyy]]></author>
			<category><![CDATA[yoshyyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Jan 2011 03:49:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77643/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77643/" target="_blank"><img src="/docs/953894836063@hc11/77643/thmb.jpg?s=s&r=1295376555&t=n" border="0"></a><br /><br />「幸福と理性の関係について述べよ」
　私的解釈において幸福とは、度合いがあり、また受けるための条件も変わってくる。
一般的な幸福とは、欲求不満の解消である。この欲求の中でも特に衣食住の三大欲求の不満解決により受ける幸福は、とても小さいが容易である。つまり、三大欲求が満たされているならばそれが幸福な状況であるともいえよう。
別の幸福の状態を考えてみる。人が幸福と感じるのは、欲求が満たされた時だけではない。楽しい事や、嬉しい事があった時、つまり心がプラスである時も幸福と感じられよう。
幸福とはなにか、昔の哲学者たちが幸福について考えた幸福論がある。
　紀元前341～270年、古代ギリシャの哲学者エピクロスは、「幸福＝快楽＝善」と考えた。彼は、幸福とは「快楽」を追求することであり、肉体的、感賞的快楽ではなく、心の平静（アタラクシア）であり、精神的、知的快楽の事であると説いている。また、その幸福を得るための理性の役割とは、理性に従い真の快楽を選び苦痛を避けなくてはならないと言っている。かれの幸福論に「もしある快を味わうことで、後に身体に苦痛が生じたり心の平静が乱されたりするならば、その快は味..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教大学　日本文学概論　設題１（Ａ判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/76180/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyokatt_912]]></author>
			<category><![CDATA[kyokatt_912の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 30 Nov 2010 13:20:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/76180/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/76180/" target="_blank"><img src="/docs/957236580345@hc09/76180/thmb.jpg?s=s&r=1291090829&t=n" border="0"></a><br /><br />『徒然草』第７段、第５１段、第６０段、第７４段、第９２段、第１０６段、第１５５段を読み、そこに共通する作者の考えを論ぜよ。[183]<br />『徒然草』第７段、第５１段、第６０段、第７４段、第９２段、第１０６段、第１５５段を読み、そこに共通する作者の考えを論ぜよ。
　まず吉田兼好は『徒然草』の第七段において、「命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし」（この世に生きるものを見てみると、人間のようにだらだらと生きているものも珍しい）と述べている。
要は「人というものは、生きすぎだ」だと言っているようだ。
読むとさらにこう続く。
「住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん」（永遠に存在することなどできない世の中で、醜い姿になるまで生きて、何になるのだろうか）。
「ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき」（世俗的な名利を欲しがる心ばかり強くなり、物事の情趣を感ずる心もなくなっていくのは嘆かわしい）。
この段は『徒然草』の中でも特に有名なものである。平均寿命が四十代前半であった当時において、『徒然草』を執筆した兼好自身、ちょうどその年齢にあった。皮肉にも兼好はこの後、倍近くも生きることになるのであるが、それはさておき、ここにあるのは彼の強烈な無常観である。
　次に第七十四段。
「常住ならんこと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73962/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 23:24:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73962/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73962/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/73962/thmb.jpg?s=s&r=1289312675&t=n" border="0"></a><br /><br />日本文学史～羅生門を読んで～
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、餓死をする体なのだ」、この言葉には物事の善悪を越えて「現実」というものが詰まっていると私は思う。物語に登場する下人は常に右頬の大きなニキビを気にしているが、最後には右頬から手を離し、悪事に手を染める。このニキビは下人にとって正義感の強い青年としての象徴的なもので、それから手を離すことは、「悪に対する反発」を捨てることにつながる。老婆が言った一言は下人を悪の道に歩ませたが、これがはたして本当に悪事かどうかは断定できない。辞書的な定義で言えば、正義とは人の道にかなっていて正しいことを言う。ということは「ひと」を殺めること、は当然正義とは程遠い。そしてその「ひと」には当たり前ながら自分も含まれる。正義を貫き通すとこが必ずしも正義とは限らない、逆説的ではあるがこれが「現実」である。老婆の「わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、餓死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていたことも悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、餓死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[英文学演習課題レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73948/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 23:24:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73948/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73948/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/73948/thmb.jpg?s=s&r=1289312666&t=n" border="0"></a><br /><br />William Carlos Williamsの詩とBrueghelの絵画について
今回私は本講義で学んだwilliamsの詩の中からBrueghelの絵画に関連している３つの詩を取り上げ、各々をよく考察したうえで、それらに関して私なりの観点から論じたいと思う。
PEASANT WEDDING
農民の結婚式を描いたBrueghelの代表的な絵画の1枚だ。Brueghelの作品には農民の暮らしを描いたものが多く、当時の楽器や食事の様子などが事細かに描かれている。PEASANT WEDDINGの中ではこの絵画の描写が細部に至るまでされており、読んでいると、Brueghelの絵画(静止画)から「がやがや」といった人々のざわめきが聞こえてくるような印象を受ける。
その印象を受けて気がついたことがある。私はこの詩を読んでいるときに「聴覚」を使っているということだ。当然のことながら、絵画に対する描写、つまり視覚的に訴えかけてくる文章も多々あるが、音を連想されるキーワード、たとえばbagpipe、hound、gabbingなども多く用いられている。よく優れた書き手の文章はその情景を想像させる力がある..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学概論　第一課題　評価Ａ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957348387737@hc09/60785/]]></link>
			<author><![CDATA[ by takatosinet]]></author>
			<category><![CDATA[takatosinetの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 15 Dec 2009 10:48:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957348387737@hc09/60785/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957348387737@hc09/60785/" target="_blank"><img src="/docs/957348387737@hc09/60785/thmb.jpg?s=s&r=1260841681&t=n" border="0"></a><br /><br />『徒然草』第七段、第五十一段、第六十段、第七十四段、第九十二段、第百六段、第百五十五段を読み、そこに共通する作者の考えを論ぜよ。
　まずは徒然草全体に流れる吉田兼好の価値観について考えてみたい。吉田兼好は世俗の欲について否定している。徒然草を読んでいると、名誉や金銭を追うことは愚かであると述べた段がいくつもある。財産とは害や災いを招く元だから山に捨ててしまえとまで書いてある。名誉について、高い位を望むのは、利益を求める次におろかであると言っている。
　次に吉田兼好は財産を持たず、質素な生活をすることが素晴らしいとも言っている。財産は災いの元であるから生活するお金さえあればそれでいいという。
　そして時間の大切さについても吉田兼好は深く考えている。ただ時間の使い方についても、お金や名誉のために忙しく走り回るのではなく、自分を見つめるため、そして一瞬一瞬を大切に生きることの大切さについて教えている。
　では、第七段、第五十一段、第六十段、第七十四段、第九十二段、第百六段、第百五十五段を読みながら、そこに共通する作者の考えについて考えてみる。
　第七段では、『生』が１つのテーマになっている。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[≪聖徳短通信≫幼稚園教育要領で強調されている「生きる力を育てる」ということを、教育心理学の視点から検討・考察してください。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/poroporo/59374/]]></link>
			<author><![CDATA[ by poroporo]]></author>
			<category><![CDATA[poroporoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Nov 2009 22:52:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/poroporo/59374/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/poroporo/59374/" target="_blank"><img src="/docs/poroporo/59374/thmb.jpg?s=s&r=1258897940&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の研究　第一投題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958362358917@hc09/56829/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamarainodilemma]]></author>
			<category><![CDATA[yamarainodilemmaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 28 Oct 2009 21:47:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958362358917@hc09/56829/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958362358917@hc09/56829/" target="_blank"><img src="/docs/958362358917@hc09/56829/thmb.jpg?s=s&r=1256734061&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生きる　生命　哲学　仏教　恋愛]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51198/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 1010323]]></author>
			<category><![CDATA[1010323の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 21:47:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51198/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51198/" target="_blank"><img src="/docs/960205412501@hc09/51198/thmb.jpg?s=s&r=1245070023&t=n" border="0"></a><br /><br />『なぜ生きる』（監修；高森顕徹、著者；明橋大二、伊藤健太郎、一万年堂出版）
テーマ「永遠の旅人としての人間」
８月上旬、この『なぜ生きる』を読んだ。読後の正直な感想は、仏教的な解説が全体的にやや多いという印象をまず受けた。しかし、生と死[352]<br />『なぜ生きる』（監修；高森顕徹、著者；明橋大二、伊藤健太郎、一万年堂出版）
テーマ「永遠の旅人としての人間」
８月上旬、この『なぜ生きる』を読んだ。読後の正直な感想は、仏教的な解説が全体的にやや多いという印象をまず受けた。しかし、生と死、そしてなぜ生きるかという問いが頭の中に根を張ったかのような感覚が私のなかにしばらく残った。なぜ生きるのか。なぜ私は生きるのか。なぜ私は生まれてきたのか。一言ではとても言い尽くせない哲学的で、宗教的である問いである。２０年間の人生を通じて私のなかでその問いが根付いたのは今回が初めてではない。たしか中学２年の時にそのテーマに取りつかれたことがある。なぜ私は生まれたのか。なぜ人は生きるのか。人の生きる意味とは。死ぬというのはどういったことか。そしてそこから派生してなぜ人を殺してはいけないかということにも考えが及んだ。結論としては未だに絶対的であると断定できる答えが見つかっていないのが現状であるし、おそらくその答えが見つかっている人少ないと思われるし、または絶対的な答えが存在するということすら疑問である。なぜ中学生の私にその問いが浮かんだのかはわからない。特別..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　道徳教育の研究]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960843683216@hc08/50486/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ma-mare-do]]></author>
			<category><![CDATA[ma-mare-doの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 02 Jun 2009 21:01:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960843683216@hc08/50486/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960843683216@hc08/50486/" target="_blank"><img src="/docs/960843683216@hc08/50486/thmb.jpg?s=s&r=1243944080&t=n" border="0"></a><br /><br />「生きる力」の育成と道徳教育について述べよ。
　1996年7月に出された第15期中央教育審議会第一答申、「21世紀を展望した我が国の教育のあり方」以来、今日の教育目的となった「生きる力」について検討し、その後「生きる力」の核となる豊かな人間[340]<br />「生きる力」の育成と道徳教育について述べよ。
　1996年7月に出された第15期中央教育審議会第一答申、「21世紀を展望した我が国の教育のあり方」以来、今日の教育目的となった「生きる力」について検討し、その後「生きる力」の核となる豊かな人間性を育む道徳教育のあり方について考察していく。
社会のめまぐるしい変化の中で子どもたちを取り巻く環境も日々変化し、学力の問題に加えていじめや不登校、自殺などの健やかな成長を拒む問題が浮き彫りとなった。上記の答申では、「生きる力」を全面に打ち出した。「生きる力」とは①自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力。②自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性。③たくましく生きるための健康や体力。この三つの能力から成る知・徳・体のバランスのとれた力であり、「人間としての実践的な力」とも言うべきものである。その後、中央審議会は、２００３年１０月に答申「初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について」を出し、新学習指導要領の基本的なねらいは「生きる力」の育..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会の人権意識について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959204568340@hc09/48409/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marcy21]]></author>
			<category><![CDATA[marcy21の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 May 2009 14:38:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959204568340@hc09/48409/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959204568340@hc09/48409/" target="_blank"><img src="/docs/959204568340@hc09/48409/thmb.jpg?s=s&r=1242279538&t=n" border="0"></a><br /><br />人権とは、人間が人間らしく生きるために生来持っている権利である。人権は現在の社会で数多く問題、侵害が行われている。人権問題の例として、犯罪被害者の人権、障がい者の人権、女性の人権、高齢者の人権、労働者の人権などが挙げられる。
　身近なもの[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[技術教育特論レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431367101@hc05/38019/]]></link>
			<author><![CDATA[ by くるる]]></author>
			<category><![CDATA[くるるの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Mar 2009 02:20:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431367101@hc05/38019/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431367101@hc05/38019/" target="_blank"><img src="/docs/983431367101@hc05/38019/thmb.jpg?s=s&r=1236792035&t=n" border="0"></a><br /><br />１．初めに　～本について～
この授業で読んだ、稲盛和夫さんが書いた「生き方」の本は、
「人間として正しいことを正しいままに追求する」
という、人として生きる上でとても大事な考え方が書かれている。
稲盛和夫さんは、27歳のとき、京都セ[340]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生きていく意味]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431016101@hc06/19021/]]></link>
			<author><![CDATA[ by izaharu27]]></author>
			<category><![CDATA[izaharu27の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Feb 2008 02:09:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431016101@hc06/19021/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431016101@hc06/19021/" target="_blank"><img src="/docs/983431016101@hc06/19021/thmb.jpg?s=s&r=1201799389&t=n" border="0"></a><br /><br />　人はなぜ生まれてきたのだろう、生きているのだろうという大問題に関する現時点での見解。
私が生まれてきた理由は、一言で言えば「たまたま」である。本当たまたまなりゆきで生まれてきたとして、ではなぜ生きているのだろうというと、「なんとなく」であ[358]<br />　人はなぜ生まれてきたのだろう、生きているのだろうという大問題に関する現時点での見解。
私が生まれてきた理由は、一言で言えば「たまたま」である。本当たまたまなりゆきで生まれてきたとして、ではなぜ生きているのだろうというと、「なんとなく」である。
こんな答えで本当に申し訳ないのですが、これはおそらく大部分の他の人にもあてはまると思う。もちろんこれとは違った考え方をする人もいる。運命を信じる人なんかもそうだ。
『人が偶然と呼ぶものは因果関係が複雑すぎてわからない必然である』という考え方である。
なぜ生きているのかということに関しても、もちろん違った考え方をする人もいるだろう。私なんかよりももっと目..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生きる]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963298394482@hc08/18881/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aquas120]]></author>
			<category><![CDATA[aquas120の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Jan 2008 02:34:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963298394482@hc08/18881/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963298394482@hc08/18881/" target="_blank"><img src="/docs/963298394482@hc08/18881/thmb.jpg?s=s&r=1201628063&t=n" border="0"></a><br /><br />「トクン、トクン」と心臓は今この時を刻んでいる。私たちが意識していない今も、心臓は自身の仕事をこなしているのである。心臓だけではない。心臓以外の身体を構成している各器官や各細胞は、自身がすることをきちんと理解し、行動をしているのである。人は[360]<br />「トクン、トクン」と心臓は今この時を刻んでいる。私たちが意識していない今も、心臓は自身の仕事をこなしているのである。心臓だけではない。心臓以外の身体を構成している各器官や各細胞は、自身がすることをきちんと理解し、行動をしているのである。人はそんなことは意識していないのに。
生命とは親の身体に宿った時から存在している。人はこの世に生まれた時から日々成長し、生活している。人はその生活の中で様々なことを経験し、考え、色々なことを思うのである。中には、日々の生活がつらくて「死」について考える人もいるだろう。しかし、そんなに簡単に死に向かってはいけないのではないか。死後の世界がどういうものなのか私には想..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係について述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429387801@hc06/17312/]]></link>
			<author><![CDATA[ by haruna0416]]></author>
			<category><![CDATA[haruna0416の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Jan 2008 13:13:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429387801@hc06/17312/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429387801@hc06/17312/" target="_blank"><img src="/docs/983429387801@hc06/17312/thmb.jpg?s=s&r=1199420038&t=n" border="0"></a><br /><br />　「幸福と理性の関係について述べよ。」
　人間は常に幸福を追い求め、幸福でありたいと願ってきた。幸福とは何か。それは人によってさまざまな捉え方がある。
　今日の世界では、テロや戦争などで幸福な生活を奪われてしまった人や家族がたくさんある。お[356]<br />　「幸福と理性の関係について述べよ。」
　人間は常に幸福を追い求め、幸福でありたいと願ってきた。幸福とは何か。それは人によってさまざまな捉え方がある。
　今日の世界では、テロや戦争などで幸福な生活を奪われてしまった人や家族がたくさんある。お金がなく、食べものが買えず、不自由な生活をしている人も大勢いるが、その人たちにも自分なりの幸福がある。幸福とは、ものやお金で買えるようなものではなく、愛する人を大切にして、今の時間、今の自分を大切にするからだと考えるからである。
　多くの人々は、幸福とは、善をなすことによってことによって獲得され、またその善は理性によって理解されると考えてきた。
　たとえばエピクロスは、肉体的、感覚的快楽を否定し、身体的苦痛がなく、心が平静であること（アタラクシア）が最上の快、つまり幸福であると考えた。たとえば、好きなものを食べるのは一時の快であるが、食べすぎはやがて苦になるといったように、もしある快を味わうことで、後に身体に苦痛が生じたり、心の平静さが乱れたりするならば、その快は味わうべきではない。逆に一時的な不快や苦痛を伴うにしても、それが身体の無苦と心の平静さに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自分が生きる意味とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429253501@hc06/13141/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mimiunko0106]]></author>
			<category><![CDATA[mimiunko0106の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 06 Feb 2007 13:27:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429253501@hc06/13141/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429253501@hc06/13141/" target="_blank"><img src="/docs/983429253501@hc06/13141/thmb.jpg?s=s&r=1170736031&t=n" border="0"></a><br /><br />自分が生きる意味とは　
人は一人では生きていけない。人生は人と人との交わりで成り立っている。私の生きる意味とは、その交わりの中で自分が必要とされること。それによって自分の存在を認識し、生きていると実感できること。生きることにかっこいい意味は[358]<br />自分が生きる意味とは　
人は一人では生きていけない。人生は人と人との交わりで成り立っている。私の生きる意味とは、その交わりの中で自分が必要とされること。それによって自分の存在を認識し、生きていると実感できること。生きることにかっこいい意味はいらない。生きる意味がわからなくても、それは悪いことではなく、これからの生活の中で快楽と苦悩を繰り返しながらその都度見つけていけるものだと思う。
しかし、人々は現在の不自由のない暮らしの中で生きることの空しさを感じている。自分がいまここに生きている意味がわからない、自分など別にいなくてもいいのではないか、自分が自分でなくてもいいのではないか。最近メディアでも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[〈ほんとうの自分〉のつくり方]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431401701@hc05/4095/]]></link>
			<author><![CDATA[ by regentag]]></author>
			<category><![CDATA[regentagの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Dec 2005 23:00:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431401701@hc05/4095/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431401701@hc05/4095/" target="_blank"><img src="/docs/983431401701@hc05/4095/thmb.jpg?s=s&r=1134655236&t=n" border="0"></a><br /><br />アイデンティティは語った言葉に左右される
・語ることからすべてが始まる
知っている相手に自己を語るのは簡単
　&rarr;相手との間には共通の文脈が出来上がっている。なので、それにふさわしい自分を語ればよい。相手がどのように自分を見ているかによ[348]<br />〈ほんとうの自分〉のつくり方
アイデンティティは語った言葉に左右される
・語ることからすべてが始まる
知っている相手に自己を語るのは簡単
　&rarr;相手との間には共通の文脈が出来上がっている。なので、それにふさわしい自分を語ればよい。相手がどのように自分を見ているかによって語り分けることになるが、それは嘘ではない。
知らない相手に自己を語るのは難しい
　&rarr;共通の文脈ができあがってないため、どのような自分を語りだしていけばよいのかがわからない。逆に言えば、共通の文脈による制約がなく、自由に自己を語ることができる。が、だからこそ、どんな自分を語りだせばよいのかを迷い、悩んでしまう。
&rArr;自分という存在に決まった形ができあがっているわけではない、だれか聞き手を前にして自己を語ることで自分の形が定まっていく。
　
・出会いが新たな聞き手をもたらす
人生で最も大きな影響力もつのは、人との出会い
　&rarr;良い出会いも、悪い出会いも自分にとって記憶に残るものなら、それなりに意味があり、新たな出会いは新たな聞き手をもたらす。語り手は新たな聞き手の理解の枠組みの見当をつけながら、聞き手にわかってもらえるように自己を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人を精神的に援助する際、重要な点について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431597201@hc05/3377/]]></link>
			<author><![CDATA[ by a0720y]]></author>
			<category><![CDATA[a0720yの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 24 Nov 2005 13:01:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431597201@hc05/3377/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431597201@hc05/3377/" target="_blank"><img src="/docs/983431597201@hc05/3377/thmb.jpg?s=s&r=1132804872&t=n" border="0"></a><br /><br />　私たち人間は、社会の中で、他の人間との関わりの中で日々暮らしている。その日々の暮らしの中で、助けたり助けられたり、支えたり支えられたり、時にはけんかしたり、そして仲直りしながら生きているのである。特に昨今は、高齢化が進み、お年寄りの存在を[360]<br />人を精神的に援助する際、重要な点について
　
　私たち人間は、社会の中で、他の人間との関わりの中で日々暮らしている。その日々の暮らしの中で、助けたり助けられたり、支えたり支えられたり、時にはけんかしたり、そして仲直りしながら生きているのである。特に昨今は、高齢化が進み、お年寄りの存在をいかにして支えていくかが大きな問題になっている。また、ストレスの大きい現代、様々な精神病で苦しむ人も多い。不治の病もたくさん存在している。こうしたお年寄り、病気の人や身体的・精神的障害を持つ人、肉体的には健康であっても精神的にストレスがたまっている人などを、医学的身体的側面ではなく、精神的に援助する際に重要なこと..]]></description>

		</item>

	</channel>
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