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		<title>タグ“現代詩”の公開資料</title>
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		<description>タグ“現代詩”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[ロマン派詩と現代詩の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429607301@hc06/13574/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mayumichan]]></author>
			<category><![CDATA[mayumichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 08 Apr 2007 09:53:23 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429607301@hc06/13574/" target="_blank"><img src="/docs/983429607301@hc06/13574/thmb.jpg?s=s&r=1175993603&t=n" border="0"></a><br /><br />18世紀後半から19世紀初頭はイギリス文学におけるロマン主義時代と呼ばれている。18世紀前半の古典主義時代では人間生活の規律や理性に基づき、古典文学の法則に忠実に表現されていたが、ロマン主義時代では、国外のアメリカ独立戦争やフランス革命の勃[348]<br />18世紀後半から19世紀初頭はイギリス文学におけるロマン主義時代と呼ばれている。18世紀前半の古典主義時代では人間生活の規律や理性に基づき、古典文学の法則に忠実に表現されていたが、ロマン主義時代では、国外のアメリカ独立戦争やフランス革命の勃発、国内の産業革命の伸展や資本主義の成立などに伴い、次第に自由思想が発展した。
ロマン主義時代の代表的な詩人として、ウィリアム・ワーズワース（1770-1850）は欠かせないであろう。ワーズワースは19世紀の最も優れた自然詩人であり、自然のために自然を歌うことに一生を捧げたイギリスの唯一の詩人である。彼の自然に対する親しみある静観的態度は自然を愛慕する日本人の共感を集め、日本の明治および大正文学に多くの影響を与えたと言われている。ワーズワースと共に、詩集『抒情歌謡集（Lyrical Ballads,1798)』を出版したサミュエル・テイラー・コールリッジ（1772-1843）も彼と並ぶこの時代の代表的な詩人である。抒情性を強調したこの詩集が出版されたことで本格的なロマン主義が始まったと言われている。ワーズワースが自然に共感し自然を感じたままに歌ってい..]]></description>

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			<title><![CDATA[高橋睦郎の美について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 11 Jul 2005 03:07:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/856/thmb.jpg?s=s&r=1121018865&t=n" border="0"></a><br /><br />汚れたものを汚れたものとして、素直に書いた詩人。背徳の美を、罪という美をそのまま受け入れて書いた詩人。わたしがこの世で最も不満を抱く偽善家を、嘲り笑うどころか全く無視したその姿勢にわたしは惚れ込んだ。いや、これは畏怖というべきだろう。単に彼[360]<br />　高橋睦郎の美について
　汚れたものを汚れたものとして、素直に書いた詩人。背徳の美を、罪という美をそのまま受け入れて書いた詩人。わたしがこの世で最も不満を抱く偽善家を、嘲り笑うどころか全く無視したその姿勢にわたしは惚れ込んだ。いや、これは畏怖というべきだろう。単に彼がわたしの最も興味を惹く要素、「男色」と「死」と「悲劇」を中心に抱いていたからと言えばそれは間違いではない。
　「ほんとうに美しいものは必ず悲劇的だ」、高橋睦郎は言う。これは最も言ってはいけなかった真実である。人間の無意識の中で、誰もが感じている真実なのである。だからシェイクスピアの四大悲劇は四百年以上の時を超えて今も愛され続けるのであろうし、近年もてはやされている純愛物語も必ず悲劇的である。わたしは悲劇を最も愛する人間のひとりである。しかし素直にそうとは認めない。本物の悲劇とは、単なる「劇」では終れない。そこには胸を引裂かれる「現実の苦しみ」があるのだ。安易にそれを好きだということは出来ない。本当の悲劇を生み出す人が実際に、妄想によりそれらの作品を書くわけではないことは、これまでの色々な詩人を見てきて知っている。最愛の人の..]]></description>

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			<title><![CDATA[詩のことば]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/513/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 20:23:00 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/513/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/513/thmb.jpg?s=s&r=1119352980&t=n" border="0"></a><br /><br />普段私達は、意味を先に優先させて、それからその意味に見合うことばを探していく。そのせいか、逆に同じように、人間の多くがまずはことばに意味を求めるに違いない。ふと、音の響きが綺麗だと感じることがあっても、それが意味を伴わなければ、ほとんどの人[360]<br />詩のことば
詩のことばというのは、なんとも不可思議で、私には到底理解できないものである。いや、そうではなくて、到底人間が理解するのは不可能なのかもしれない。ことばによって生かされている私達に、どうやっても追い付くことが出来ないほど先を生きることばを、自分の中に取り入れ、それを理解し、自在に操ることなど最初から無理なのかもしれない。ましてや、意味よりも、その「ことば」本来が生きている詩を相手にするとなると、ぽっかりと宇宙に口をあけた暗闇の奥底の如く、本来の姿が見えない、恐怖の実体なのかもしれない。
普段私達は、意味を先に優先させて、それからその意味に見合うことばを探していく。そのせいか、逆に同じ..]]></description>

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			<title><![CDATA[堀口大學詩集を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/510/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 19:39:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/510/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/510/thmb.jpg?s=s&r=1119350385&t=n" border="0"></a><br /><br />　彼の人生、生涯を大まかにしか知らないが、彼はとても洒落たセンスをもっているのだろうとしみじみ思う。巧みな言葉の使い方、語呂の合わせ方、冷めることは無いしゃれ。そう簡単には、なりきりも、真似も出来ないだろう。また、彼の熱烈な、恋や女という存[360]<br />　堀口大學詩集
　恋と、性と、薔薇と、人間。彼の詩を読んだ時に、最後残ったのはこの四つだった。光太郎に続き相変らずの素人の読み方で、更に詩は物悲しいもの、不思議なものという固定観念を未だに拭い去れないでいる私には、悲しいものはほとんど書かない彼の詩に感情移入が出来なくて理解に苦しんだ。本屋に並んだ沢山の詩人の詩集を見て、最後まで迷い結局堀口大學にしたのだが、私はたまたま開いた一つの詩が印象的で、他のページをあまり見ること無く決定した。『性』という詩だった。彼は客観的に愛を見て、冷静にそれを言葉にしている。この詩の内容が、自分の愛と人間というものの概念にあまりにぴったりで、これだ、とすぐに決めてしまったのだ。 　しかしどうだろうか、彼の詩集を読みすすめていくうちに、全く印象と異なっていた。彼は恋を賛美し、いかにそれが素晴らしいものかを書いているように感じる。そして、冷静だとばかり思っていた彼の詩は、とても情熱的であり、時におどけてさえいた。その影には物悲しさというものが感じられなかった。どことなく、シラーの詩を思わせる、情熱的な詩が印象的だった。（エクスクラメーションマークがとても多い印..]]></description>

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			<title><![CDATA[田村隆一詩集「腐敗性物質」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/506/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 19:02:53 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/506/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/506/thmb.jpg?s=s&r=1119348173&t=n" border="0"></a><br /><br />　彼の詩は、素晴らしい技巧が凝らされた詩とは違う洒落気がある。ことば自体が作られて、飾り立てられてお洒落になっているのではなく、彼のことばの選び方がお洒落なのだ。特別に難しいことばを繰り返し使うわけでもない。日常の中、目の前に用意されたこと[360]<br />　田村隆一「腐敗性物質」を読んで
　詩のことばは、硬派かそれとも飛びぬけて技巧的でなければならないと思っていた。それは誰かに言われた記憶もなければ、何処かで読んだ記憶でもない。ただ漠然と決められたルールのように感じていた。しかし何のことはない、田村隆一の書いたことばに、あっさりとその固定観念と呼ばれるものが吹き飛ばされたのである。
　今までの苦悩の詩は、己の混沌とした内面を吐き出すものが多かったように感じたが、彼の詩はぐるぐると己の中を回っているのを、顎先に手を添えて、冷静に外から客観視しているような、そんな落ち着きがあるように感じる。理屈を抜いて、ここまで素直に初めから「格好良い！」と思えた詩は無かったかもしれない。この感覚は何だ、今までとは全く違う。私の中に素直に響いてくる彼の選んだことばのひとつひとつ。しかも、詩集の最後に向かうに連れて、なぜか鼓動が早くなり、すうっと現実へ帰っていくような不思議な感覚がある。
　彼の詩は、素晴らしい技巧が凝らされた詩とは違う洒落気がある。ことば自体が作られて、飾り立てられてお洒落になっているのではなく、彼のことばの選び方がお洒落なのだ。特別に難し..]]></description>

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