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		<title>タグ“法政大学”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%B3%95%E6%94%BF%E5%A4%A7%E5%AD%A6/</link>
		<description>タグ“法政大学”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】統計学Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/914560872598@hc23/154004/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 勉強好き]]></author>
			<category><![CDATA[勉強好きの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Oct 2024 16:16:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/914560872598@hc23/154004/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/914560872598@hc23/154004/" target="_blank"><img src="/docs/914560872598@hc23/154004/thmb.jpg?s=s&r=1728890213&t=n" border="0"></a><br /><br />科目名：統計学Ⅰ
課　題：1回（１）交通事故に関して各自テーマを設定し、警視庁調べの交通事故データを用いて具体的に分析せよ。
※丸写し厳禁、無断転載、複製禁止[233]<br />科目名：統計学Ⅰ
1回（１）交通事故に関して各自テーマを設定し、警視庁調べの交通事故データを用いて具体的に分析せよ。

【解答】
飲酒運転事故について具体的に分析をする。
福岡の「海の中道大橋」にて、当時の市職員が起こした飲酒運転事故により幼い子供が亡くなったのは平成18年8月25日（金曜日）のことである。平成18年の飲酒事故は表１より11626件、そのうち死亡事故は611件であったが、平成19年から飲酒事故は1万件をきり、死亡事故件数も減少傾向にある。しかし、死亡率を見てみると平成18年よりも平成26年のほうが高い。これは、平成18年と比べて飲酒運転件数も死亡事故件数も明らかに減っているが、平成26年は飲酒運転により事故を起こした者のうち死亡事故につながる件数が多かったことが分かる。

次に、月別、曜日別に飲酒運転事故を分析する。

表2より、飲酒事故が多い月は12月（2311件）飲酒運転による死亡事故件数が多い月は7月（120件）であった。また、表3より飲酒事故が多い曜日は日曜日（5059件）、表4より飲酒運転による死亡事故が多い曜日は同じく日曜日（307件）であった。福岡で起きた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法制通信】人的資源管理論Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/914560872598@hc23/153992/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 勉強好き]]></author>
			<category><![CDATA[勉強好きの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 13 Oct 2024 12:48:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/914560872598@hc23/153992/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/914560872598@hc23/153992/" target="_blank"><img src="/docs/914560872598@hc23/153992/thmb.jpg?s=s&r=1728791299&t=n" border="0"></a><br /><br />【法制通信】
科目名：人的資源管理論Ⅱ
課　題：第1回（１）女性や高齢者、外国人など多様な人材を活かすことを目的とした、いわゆるダイバーシティ・マネジメントの現状と課題についてまとめなさい。
※丸写し厳禁、無断転載、複製禁止[331]<br />科目名：人的資源管理論Ⅱ
第1回（１）女性や高齢者、外国人など多様な人材を活かすことを目的とした、いわゆるダイバーシティ・マネジメントの現状と課題についてまとめなさい。

【解答】
「働き」について日本では様々な問題を抱えている。①女性や②外国人、③高齢者の雇用というのが大きなポイントとなっている。これらについての現状と課題を説明し、これらの多様な人材を活かすことを目的としたダイバーシティ・マネジメントの現状と課題についても説明する。

①女性の働きについて
上林（2014）によると、現在、日本では「女性の労働力率が上昇し、雇用者に占める女性の割合も40％を越えた（上林（2014）112頁）」とある。これは、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」（上林（2014）112頁）とされた時代から、共働きをしないと家庭（家計）が維持できない現在の格差社会や女性の晩婚化が、女性の働き方へ影響を与えていると言える。
一方で、女性の雇用者が増加したが、一方では男女間賃金格差や男女間地位格差が是正されていない事実もある。女性管理職者の登用など改善が求められるが、女性の中には管理職への興味がないなどの課題..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「法政通信」法政大学通信教育　社会思想史第2回1設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/924609881582@hc20/153442/]]></link>
			<author><![CDATA[ by うさカラス]]></author>
			<category><![CDATA[うさカラスの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 May 2024 20:25:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/924609881582@hc20/153442/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/924609881582@hc20/153442/" target="_blank"><img src="/docs/924609881582@hc20/153442/thmb.jpg?s=s&r=1714908342&t=n" border="0"></a><br /><br />第2回1設題
「18世紀後半のドイツ社会思想」について論ぜよ。
丸写しは厳禁です。
あくまでも参考程度でお願いいたします。[172]<br />18世紀後半は、ドイツの啓蒙主義で理性に対する信頼が頂点に達しており、宗教や政治などのあらゆる権威が理性の吟味に付される時代であったのである。
政治的、経済的、文化的意義を一国の中心をなすケーニベルクのような都市は、国の政府機関があり、１つの大学があり、海外貿易の要衝を占めて、様々の言語や風習をもつ遠方、近隣の国々と交易をするために便利であり、人間知と世間知を拡張するのに格好な場である。そこにいれば、旅行をしなくても知識を得ることができ、カントは同時に当時のイギリスやフランスを始めとするヨーロッパ諸国の先進的な思想活動をし、その影響下で自らの思想形式を行うことができたのである。
他者の立場にたって思考する「複数主義」に基づく批判主義の哲学である常識的な考え方の逆で「公平無私な理性」の自己意識の試みを前提にこの理性の自己批判の試みをカントは、自ら「コペルニクス的転回」と呼んでいる。
1789年のフランス革命は、ドイツに様々な波紋を投げかけて、反響を呼び起こしドイツの啓蒙思想家の多くは、フランス革命の精神に共鳴したのである。
フランス革命に強い支持をしたカントが、ルソーに対して若い時から深..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「法政通信」法政大学通信教育　社会思想史第1回2設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/924609881582@hc20/153423/]]></link>
			<author><![CDATA[ by うさカラス]]></author>
			<category><![CDATA[うさカラスの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 29 Apr 2024 13:07:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/924609881582@hc20/153423/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/924609881582@hc20/153423/" target="_blank"><img src="/docs/924609881582@hc20/153423/thmb.jpg?s=s&r=1714363669&t=n" border="0"></a><br /><br />社会思想史第1回2設題となっております。
「社会契約論とはなにか」というテーマでリポートを作成せよ。

丸写しは厳禁です。
あくまでも参考程度でお願いいたします。[235]<br />社会契約論は、社会の起源を問う思想で社会がつくられるためと維持されるために最低限必要なルールは何かを問う思想でもある。また、人工物としての社会を誰がどうやって作ったか、その社会は何によって維持されるのかを問う思想である。
　ルソーは、自然状態から社会状態へ移行するのは問題ないとし、何らかの障害が発生して人々が自然状態に留まることが許されなくなったと想像してみようと述べているだけである。自然状態への移行に対する態度は、そこから導かれる国家理論そのものが性質を決定するのである。
　ホッブズの場合、自然状態論はリアルな状態描写であったが契約理論と事実上切れていたのである。リアルな状態描写から開始した理論は、「契約したのだから主権者に従わねばならない」という国家の教義のような義務論で終わってしまったのである.
　契約したのだから、契約していると見なせるのだから人民は、主権者に従うべきだという主張にほかならないのである。契約の意味を問い直すことで、そこから導かれるべき政治制度を正確に論じていくのである。一面では「現実をこう解釈すべきだ」と説き、他面では「現実をこう変革すべきだ」と説いたのである。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34515　日本史特講(社会史)　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152493/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 13:07:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152493/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152493/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152493/thmb.jpg?s=s&r=1699762078&t=n" border="0"></a><br /><br />法政通信・日本史特講(社会史)　第1回[51]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34515
科目名・日本特講（社会史）　第1回
文字数・2000字程度
課題・1945年の敗戦から1970年代の高度経済成長の間、日本社会はどのように変貌したかについて、主に庶民の生活スタイルと社会意識の変化という観点から論じなさい

1945年の敗戦から1970年代の高度経済成長に至るまでの期間は、日本社会における大きな転換期である。この時期、庶民の生活スタイルや社会意識は、戦後の荒廃から経済復興へという大きな流れの中で、劇的な変化を遂げた。
敗戦直後の1945年から1950年代初頭にかけて、日本は深刻な食糧不足やインフラの破壊に直面した。多くの市民は、生活の基盤を一から築き直す必要に迫られた。戦後間もない時期は、基本的な生活資源の確保が第一の課題であり、多くの家庭では自給自足の生活や地域コミュニティに依存した支援体系が見られた。

1950年代の日本は、高度経済成長期の幕開けとなる重要な時期である。この時代を理解するには、その時代の経済、社会、および政治の側面を考慮に入れる必要がある。
経済面では、1950年代の日本経済は戦後復興から成長への転換..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34628 日本中世史　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152486/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 12:42:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152486/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152486/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152486/thmb.jpg?s=s&r=1699760523&t=n" border="0"></a><br /><br />法政通信・日本中世史1回目[37]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34628
科目名・日本中世史　第1回
文字数・2000字程度
課題・鎌倉幕府の経済基盤について論じなさい

鎌倉幕府の経済基盤について論じるにあたり、まずは幕府が成立した背景から理解することが重要である。鎌倉幕府は、1185年に源頼朝によって設立された日本初の武家政権である。この政権の成立には、平安時代末期の貴族社会の衰退と地方の武士勢力の台頭が大きく関係している。この時代の政治的・経済的背景を踏まえると、鎌倉幕府の経済基盤がどのように形成され、発展したのかを理解するための鍵を握っている。

鎌倉幕府の経済基盤は、主に荘園経済に根ざしていた。荘園制度とは、平安時代から室町時代にかけて日本に存在した、特定の土地（荘園）を中央政府の直接支配から独立して私的に所有し、運営する制度である。この制度は、鎌倉時代における経済活動の中心的な役割を果たしていた。
鎌倉幕府が成立する以前から、荘園は貴族や寺社によって設立され、彼らの私有財産としての性格を持っていた。これらの荘園は、非常に効率的な生産システムを有しており、米やその他の農産物を生産することで、貴族や寺社..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34544 日本古代史　第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152483/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 12:31:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152483/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152483/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152483/thmb.jpg?s=s&r=1699759878&t=n" border="0"></a><br /><br />法政通信の日本古代史2回目です[43]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34544
科目名・日本古代史　第2回
文字数・2000字程度
課題・8～9世紀の古代国家のエミシ支配政策について論述せよ

8世紀から9世紀にかけての古代日本におけるエミシ支配政策について論じるには、まずエミシとは何か、そして当時の日本の国家構造を理解する必要がある。

エミシは、古代の東北地方に居住していた民族群である。彼らの存在は、日本の歴史書である『日本書紀』や『古事記』などにも記されており、日本の古代史において重要な位置を占めている。エミシの社会は、狩猟、漁業、そして限定的な農耕に依存していたとされ、彼ら独自の文化と生活様式を持っていた。
エミシのもっとも顕著な特徴の一つは、彼らの戦闘スタイルである。彼らは優れた騎馬技術を持ち、弓矢を用いた戦闘に長けていた。このため、初期の日本政府との間で頻繁に衝突が発生し、多くの歴史的記録にその様子が残されている。
8世紀から9世紀にかけての日本政府、特に奈良時代から平安時代にかけての政府は、エミシ地域への支配を強めるために多くの努力を行った。この時期、政府はエミシ地域に対して軍事遠征を行う一方で、後には..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34647　日本近代史　第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152479/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 11:28:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152479/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152479/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152479/thmb.jpg?s=s&r=1699756106&t=n" border="0"></a><br /><br />法政通信・日本近代史2回目です[43]<br />法法政大学　通信教育部

科目コード・34647
科目名・日本近代史　第2回
文字数・2000字程度
課題・日露戦争後の社会について政治と産業の両面から論述せよ

日露戦争後の社会について、政治と産業の両面から論述するには、まずその時代背景を理解する必要がある。日露戦争は1904年から1905年にかけて行われ、日本とロシア帝国との間で起こった戦争である。この戦争は、日本の近代化と国際社会における地位向上の重要な転機となった。

日露戦争後の日本の政治面に焦点を当てると、多くの重要な側面が見えてくる。この戦争の勝利は、日本の内政と外交政策において大きな転換点となった。
まず、外交政策の面では、日露戦争の勝利によって日本は国際社会において一定の地位を獲得した。これまで西洋列強による植民地主義が進行していたアジアにおいて、日本は列強に対抗できる唯一のアジア国家としての地位を確立した。これは、以降の日本の外交政策において、自信と独立性をもたらし、アジア諸国に対する影響力を強める一因となった。
次に、国内政治においては、戦争勝利がもたらした国民の愛国心と政府への支持の増大は、政府の権威と安定性を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34647　日本近代史　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152478/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 11:15:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152478/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152478/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152478/thmb.jpg?s=s&r=1699755311&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信・日本近代史1回目[43]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34647
科目名・日本近代史　第1回
文字数・2000字程度
課題・近代国家の建設にあたり、殖産興業政策のはたした役割について論述せよ

近代国家の建設において殖産興業政策が果たした役割について論じるにあたり、まず殖産興業政策の基本的な概念から始めることが重要である。殖産興業とは、文字通りには「産業を育て、興す」という意味の政策であり、主に19世紀から20世紀初頭にかけての近代国家建設の過程で採用された経済政策である。この政策の目的は、国の工業基盤を強化し、経済を発展させることにあった。
殖産興業政策の特徴は、政府が積極的に経済活動に介入し、産業の発展を促進することである。これには、農業の近代化、工業の育成、商業の活性化などが含まれる。農業では、効率的な農法の導入や生産物の多様化によって、農業生産性の向上を図った。工業では、新しい技術の導入や国営工場の設立などによって、産業基盤を築き上げた。商業においては、国内市場の整備や外国との貿易促進により、経済の更なる発展を目指した。
この政策は、国家の近代化と経済成長を目指す際に、特に重要な役割を果たした。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34502　東洋史概説　第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152477/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 10:21:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152477/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152477/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152477/thmb.jpg?s=s&r=1699752082&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信・東洋史概説2[37]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34502
科目名・東洋史概説　第2回
文字数・2000字程度
課題・明朝成立の背景について、何故、江南から明が興ったのか、宋から元までの歴史を踏まえて述べよ

明朝成立の背景について考察する際、宋から元にかけての歴史的流れを理解することが重要である。宋朝は中国史上において、文化的にも経済的にも非常に繁栄した時代だった。しかし、その後の政治的な混乱や軍事的な弱さは、元朝による支配へとつながった。元朝はモンゴル帝国の一部として、中国を支配した外来勢力であった。このような背景の中で、明朝がどのようにして江南地方から勃興したのかを見ていく。
宋朝末期、政治の腐敗と軍事力の弱体化が顕著であった。

宋朝の弱体化は、いくつかの重要な側面から理解することができる。政治的な腐敗は、この時代の重大な問題の一つだった。官僚制度は時間の経過とともに形骸化し、政治の品質は低下していった。高位の官職が金銭で取引されるようになり、貪欲な官僚によって政治が汚染された。さらに、中央集権の弱体化が進行し、地方の豪族や軍閥が力を増していった。これにより、中央政府の統制力は弱まり、国全..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34502　東洋史概説　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152476/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 10:02:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152476/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152476/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152476/thmb.jpg?s=s&r=1699750964&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信・東洋史概説1です[43]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34502
科目名・東洋史概説　第1回
文字数・2000字程度
課題・官制、法制、軍制、財政、農業のうちから1つ以上選んで隋から宋までの変遷過程における隋の果たした役割と歴史的意義について述べよ

法制について
東アジアの古代政治体制にてこの期間は、中国が古代から中世へと移行する過程を示しており、隋の法制はこの変遷期における重要なマイルストーンとなっている。

隋は581年に中国を統一し、隋煬帝の時代には帝国の拡大と中央集権体制の確立に尽力した。この時代の最大の成果の一つは、法制の整備と標準化であった。隋は、それまでの各王朝が持っていた法律や制度を集約し、改革を行った。特に、「隋律」と呼ばれる法律体系は、後の唐の「唐律」と共に中国史上最も影響力のある法律の一つであると言われている。
隋律は、社会秩序の維持と国家の統治を目的としており、刑法だけでなく民法や行政法も含まれていた。これらの法律は詳細にわたり、様々な社会現象に対応するための規範を提供していた。隋の法制は、国家の権力とその運用方法を明確にし、皇帝と役人が国を統治するための基盤を提供した。
また..]]></description>

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			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34503　西洋史概説　第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152475/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 09:41:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152475/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152475/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152475/thmb.jpg?s=s&r=1699749668&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信・西洋史概説2です[43]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34503
科目名・西洋史概説　第2回
文字数・2000字程度
課題・フランス絶対主義の時代について、その特徴をその社会構造と王権との関連に注目しつつ述べよ

フランス絶対主義の時代は、ヨーロッパ史において重要な位置を占める。この時代の特徴は、中央集権化された王権と社会構造の変化に深く根差している。このレポートでは、その社会構造と王権の関連に焦点を当て、フランス絶対主義の時代の特徴を探求する。

まず、絶対主義の概念を理解する必要がある。絶対主義とは、中央政府、特に君主が絶対的な権力を持つ政治体制を指す。フランスにおいてこの体制が成立した背景には、貴族の力の削減と中央集権化の動きがあった。ルイ14世の治世、特に彼の「国家即ち私」の言葉は、この時代の王権の絶対性を象徴している。

社会構造に目を向けると、フランス絶対主義の時代は、三部会の存在が特徴的だった。
三部会は、フランス革命前夜の社会構造において重要な役割を果たした制度である。この制度は、フランス社会の階級制度を反映し、政治的意思決定プロセスにおいても重要な位置を占めていた。
三部会の構成は、第..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34503　西洋史概説　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152474/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 09:02:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152474/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152474/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152474/thmb.jpg?s=s&r=1699747347&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信・西洋史概説1です[43]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34503
科目名・西洋史概説　第1回
文字数・2000字程度
課題・ドイツにおける叙任権闘争の経緯とその意義、その結果がドイツ史、ヨーロッパ史に与えた影響について述べよ

叙任権闘争が起きた背景には、複数の要因が絡み合っている。この闘争の背景を理解するためには、以下の点を考慮する必要がある。

1.**中世ヨーロッパにおける教会と国家の関係**：中世ヨーロッパにおいて、キリスト教教会は社会のあらゆる側面に影響を及ぼす強大な力を持っていた。国家の統治者たちも教会の権威を認めており、その結果、教会と国家の間には緊密な関係が形成されていた。しかし、この関係はしばしば緊張を孕むものであり、両者の間には権力をめぐる軋轢が常に存在していた。

2.**聖職任命における権力の争い**：中世初期から、聖職者の任命には世俗の君主も関与していた。この慣行は、教会高位聖職者の任命において皇帝や王が大きな影響力を持つことを意味していた。しかし、教会内部からは、このような世俗の介入に対する反対の声が高まっていた。

3.**教会改革運動**：11世紀に入ると、教会内部で改革..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　14534　西洋法制史　第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152451/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Nov 2023 23:02:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152451/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152451/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152451/thmb.jpg?s=s&r=1699624935&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信の西洋法制史のレポートです。参考としてお使いください[96]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・14534
科目名・西洋法制史　第2回
文字数・2000字程度
課題・人文主義法学について、それ以前の法学との違いを明らかにして論じろ

以下解答
人文主義法学とは、法の本質やその適用において、人間の尊厳や個人の価値を重視する法学の一派である。この考え方は、法律が単に社会の秩序を維持するための道具としてではなく、個々の人間の権利と自由を守るためのものとして理解されるべきだと主張する。人文主義法学は、古典的な法律観とは異なる新しい視点を提供し、個人の尊重を法律の中心に置く。
この法学の流れは、特に啓蒙時代において、自然法の思想と密接に関連して発展した。自然法とは、人間が生まれながらに持つ普遍的な権利に基づく法の概念で、人間の理性によって認識される。人文主義法学者たちは、この自然法の原理を重視し、法制度がこれを反映すべきだと論じた。彼らは、法律が抽象的なルールや命令の集合以上のものでなければならないと考える。つまり、法律は人間の生活と密接に関わり、その生活を豊かにするものでなくてはならないというわけである。
この視点から、人文主義法学は、法律の解釈や適用..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　14534　西洋法制史　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152448/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Nov 2023 21:23:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152448/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152448/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152448/thmb.jpg?s=s&r=1699532603&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信の西洋法制史のレポートです。参考としてお使いください[96]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・14534
科目名・西洋法制史　第一回
文字数・2000字程度
課題・明治期の日本における西洋法の継受について、歴史的事実を明記しつつ説明せよ

以下解答
明治期の日本では西洋法の継受が積極的に行われた。この動きは、1868年の明治維新に端を発する。日本は、長い鎖国の時代を終えて急速に国際社会に歩を進めた。この過程で西洋の法制度を取り入れることは、近代国家としての体制を整え、国際的に認められる法の支配を確立する上で不可欠であった。

まず、日本は司法制度において大きな改革を行う。1870年代にはフランス法を参考にした民法典の草案が作成された。1870年代の日本における民法典の草案作成は、西洋法の継受の重要な一環であった。この時期、日本は明治維新による大きな政治・社会変革の最中にあり、新しい法体系の構築が急務であった。
フランス法はナポレオン法典に代表されるものであり、これが日本の民法典作成のモデルの一つとされた。ナポレオン法典は、当時としては画期的な法典であり、合理性と明瞭性を重視したものだった。そのため、新たな法体系を求める明治政府にとって、優れた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　14634　労使関係論　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152430/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 Nov 2023 22:30:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152430/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152430/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152430/thmb.jpg?s=s&r=1699363846&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信の労使関係論のレポートです。参考としてお使いください[96]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・14634
科目名・労使関係論　第一回
文字数・2000字程度
課題・古代地中海世界(特にギリシャ・ローマ世界)と東方世界との関りの歴史について論じ、地中海世界にとって東方はいかなる意義を有したか論ぜよ。

以下解答

労使協議は、労働者と使用者の間で行われる協議のことである。その目的は、労働条件や職場環境、経営方針などに関する合意形成を図ることにある。労使双方の関係を良好に保ち、両者が互いの立場を尊重し合いながら、会社の持続的な成長と労働者の福祉向上を目指すための重要な手段だ。
この協議の過程では、労働組合あるいは労働者代表が労働者側の代表として参加し、使用者側は経営陣や人事部門の代表がこれに当たる。協議内容は多岐にわたり、賃金、労働時間、安全衛生、福利厚生、教育訓練、リストラクチャリングや労働争議の解決などが含まれる。
労使協議が成立するためには、双方の意見を開かれた環境で誠実に交換することが求められる。また、互いの要求と制約を理解し、妥協点を見出す柔軟性も必要である。成功の鍵は、互いの信頼関係の構築にあると言えるだろう。信頼を築くためには、情報..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[法政通信　日本文学科　日本文芸学概論　2018年度レポート第一回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933712316947@hc17/134733/]]></link>
			<author><![CDATA[ by himaneco]]></author>
			<category><![CDATA[himanecoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 26 Jul 2018 10:42:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933712316947@hc17/134733/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933712316947@hc17/134733/" target="_blank"><img src="/docs/933712316947@hc17/134733/thmb.jpg?s=s&r=1532569337&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポート[18]<br />（
日
本
文
芸
学
概
論 
第
一
回 
第
一
設
題 
二
葉
亭
四
迷
『
浮
雲
』
を
鑑
賞
し
な
さ
い
。
ま
た
、
こ
の
作
品
が
な
ぜ
近
代
文
学
の
嚆
矢
で
あ
る
と
い
わ
れ
る
の
か
述
べ
な
さ
い
。 
二
葉
亭
四
迷
の
『
浮
雲
』
の
登
場
が
日
本
近
代
文
学
史
上
に
お
け
る
大
事
件
と
な
り
得
た
要
因
の
一
つ
は
、
言
文
一
致
に
よ
る
画
期
的
な
文
体
の
改
革
に
あ
っ
た
。
本
作
は
未
完
で
あ
る
が
三
編
ま
で
が
書
か
れ
て
お
り
、
一
編
で
は
存
在
し
な
い
句
読
点
が
三
編
で
は
使
わ
れ
て
い
た
り
、
一
編
で
多
用
さ
れ
て
い
た
当
て
字
や
漢
語
調
の
文
体
が
三
編
で
は
な
り
を
潜
め
て
現
在
の
文
体
に
近
い
も
の
に
な
っ
て
い
る
。
こ
の
よ
う
に
、
こ
の
小
説
一
本
で
、
ま
だ
文
語
調
の
名
残
が
あ
る
新
た
な
文
体
へ
の
試
み
か
ら
、
完
全
な
状
態
に
近
い
言
文
一
致
の
文
体
へ
と
進
化
し
て
い
く
様
子
を
見
る
こ
と
が
で
き
る
。 
も
う
一
つ
の
要
因
が
、
近
世
と
近
代
の
「
揺
れ
」
を
読
み
取
る
こ
と
が
出
来
る
点
に
あ
る
。
本
論
は
こ
の
点
を
中
心
に
述
べ
る
。
主
人
公
の
文
三
は
学
業
優
秀
で
官
吏
の
職
を
得
、
下
宿
先
の
お
勢
と
恋
仲
に
な
り
な
が
ら
、
突
然
の
免
職
に
よ
り
思
い
描
い
て
い
た
将
来
設
計
の
全
て
が
崩
れ
て
し
ま
う
。
本
作
は
そ
の
崩
壊
の
過
程
を
途
中
ま
で
描
い
た
と
こ
ろ
で
終
了
し
て
い
る
。
未
完
で
は
あ
る
が
時
代
の
過
渡
期
を
生
き
る
人
々
が
、
単
純
明
快
に
旧
弊
を
捨
て
去
り
新
し
い
時
代
に
ふ
さ
わ
し
い
文
化
や
習
慣
や
思
想
を
無
条
件
で
受
け
入
れ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64545/法政大学通信教育部/管理会計論Ⅱ/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/130292/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Aug 2017 15:42:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/130292/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/130292/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/130292/thmb.jpg?s=s&r=1502952159&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文） 投資計算の性格と方法について述べよ。 
＜セットで回答しなければならない付属問題の回答もつけております＞  

参考文献 
『管理会計論』佐藤康男著（法政大学）[244]<br />投資計算の性格
　企業が投資案件に対する意思決定を行う場合、複数の選択肢を比較検討して最終的な投資の意思決定を行う。その比較検討過程で投資に関する各選択肢を実行した場合の効果を試算する必要がある。それを投資計算という。投資計算を行った結果に基づき、投資に関する各選択肢に優劣、採否を決定するには一定の判断基準が必要となる。その判断基準の代表例として「利益率」「内部利子率」「回収期間」がある。
（１）利益率
　投資案Ａが100万円の投資により、10万円の利益が見込めるとする。利益額を投資額で除し、利益率10%となる。この利益率を投資の意思決定に用いる場合、投資案それぞれの利益率を計算し、利益率の大小で優劣を大別することになる。その場合、投資案Ｂが300万円の投資により、15万円の利益が見込めるとすると、利益額だけを見れば投資案Ｂの方が優れているが、利益率は5%であるから、利益率で見れば投資案Ａの方が優れているということになる。また、投資に際して資金調達が必要な場合も多く、投資案件を実行した際に要する費用として「資本コスト」も加味して利益額を計算するとより妥当な結論を得られる。
内部利子率
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64544/法政大学通信教育部/管理会計論Ⅰ/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/130077/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 Jul 2017 16:22:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/130077/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/130077/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/130077/thmb.jpg?s=s&r=1500621768&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文）
企業予算の性格と体系について述べよ。
＜セットで回答しなければならない付属問題の回答もつけております＞

参考文献
『管理会計論』佐藤康男著（法政大学）[241]<br />１．企業予算の性格
Ａ．企業予算の定義
企業予算とは短期利益計画を具体的に実行するための執行プログラムである。その構成要素は業務計画と損益計画の２つに大別される。業務計画とは企業内の各部門・各個人が何を業務として実行するのか（例：販売計画・生産計画・購入計画・人員計画・広告計画）という行動の計画である。また、損益計画とは業務計画を忠実に達成した場合の損益計算書である。作成単位は企業全体だけではなく、企業内の各部門単位でも作成される。
Ｂ．予算管理の意義
企業予算を用いて経営活動のコントロールを行う仕組みを予算管理という。
企業予算を立案する局面において、部門管理者は自部門の予算を立案する。それは「部門管理者が日常業務を離れて客観的に自部門の業務全体を見直す機会」となる意義がある。　
また、各部門管理者は自部門の予算を他部門の予算と整合させるよう配慮すると共に、他部門の予算を自部門に整合させるよう働きかける必要がある。その結果、予算立案を通じて「企業全体として最適な予算となるよう部門間で調整が図られる」という意義もある。
その典型例として、営業部門の予算（販売計画）に合わせた製造部門の予..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64540/法政大学通信教育部/財務会計論Ⅰ/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/129962/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 08 Jul 2017 14:08:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/129962/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/129962/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/129962/thmb.jpg?s=s&r=1499490493&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文）
資産負債アプローチが援用されている我が国の会計基準の事例をもとに、なぜその基準が収益費用アプローチではなく資産負債アプローチにもとづいているのか、理由を述べなさい。[263]<br />１．会計基準の国際動向と日本基準
　日本の会計基準の大前提である「企業会計原則」には、資産負債アプローチに触れる部分が存在しない。しかし、「損益計算書は、（中略）すべての収益とこれに対応するすべての費用とを記載して経常利益を表示し、これに特別損益に属する項目を加減して当期純利益を表示しなければならない。」 と規定しており、収益費用アプローチが日本基準の根底に流れる大前提だと言える。
　しかし、日本基準においても資産負債アプローチに立脚する会計基準が存在する。その代表例が、「その他有価証券評価差額金」「繰延ヘッジ損益」「土地再評価差額金」「為替換算調整勘定」等である。これらは、資産負債の増減を認識する会計基準であるが、日本基準では投資のリスクから解放されることが損益計算書上の収益費用を認識する要件となる 為、損益計算書を経由せずに貸借対照表の純資産の部に直入される。ただし、連結財務諸表においては「包括利益の表示」が日本基準においても義務づけられているため、包括利益計算書に、資産負債の増減として表示される。
資産負債アプローチに立脚する個々の会計基準
　従来の日本基準においても、日本国内の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64543/法政大学通信教育部/原価計算論Ⅱ/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124752/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 May 2016 19:07:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124752/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124752/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/124752/thmb.jpg?s=s&r=1462356445&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育学部
 合格評価を得た解答を、そのまま出品いたします。
 
 出品者からのコメント
 担当教官は採点基準として、指定教材に散りばめられた論点の網羅性を重要視している様です。この合格答案を参考として重要論点を効率的に把握して下[344]<br />１．計算方法の特徴
　直接原価計算は、原価を直接原価と期間原価に区分し、直接原価のみを製品原価とする。直接原価とは直接費（製造した製品との関係が紐付け出来る費用）ではなく、変動費を意味する。変動費の代表格である原材料費は直接費であるため、直接費と原材料費は同じ概念の様に誤解されることもあるが、固定費でも特定製品品番に使用する専用設備の減価償却費の様に直接費となるものがある。よって、変動費と直接費は異なる概念であって、直接原価計算は変動原価計算と呼ぶ方が適当であり、一般にそう呼ばれることもある。
　全部原価計算は、直接材料費、直接労務費、直接経費および製造間接費の全てを製品原価に含んでいる。そして各原価要素には変動費と固定費が混在している。よって、直接原価計算と全部原価計算の計算過程で最も強調すべき相違点は、全部原価計算が固定費を製造原価に含むのに対し、直接原価計算ではこれを含まないという点にあると言える。
２．計算結果とＰＬの基本構造の違い
直接原価計算は固定費を原価要素に含まないため、直接原価計算を前提とするＰＬでは固定費の全額が必ず当期費用となる。これに対して、全部原価計算は固定費..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64676/法政大学通信教育部/職業指導（第２回）/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/125455/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 17 Jul 2016 07:25:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/125455/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/125455/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/125455/thmb.jpg?s=s&r=1468707950&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文）
進路情報の意義とは何か。また、個々の生徒に自分の将来像を描けるようにサポートするには、中学校、高等学校の各教科において、どのような教育実践が考えられるか。具体的方策を述べよ。

参考文献：高等学校学習指導要領 平成21年3月 文[344]<br />１．進路情報の意義
　一般に、進路情報とは進路選択・決定に関係する環境側の要因に関係する情報を総称するとされる。また、学校の行う進路指導では、進路情報とは「個人が進路の実情を理解し、自己理解と相互に関連し合いながら、進路意識を高め、進路適性等を吟味し、将来の進路の選択・決定の能力を育て、将来の生活における適応と自己実現の発達を図ることを目的に、意図的・計画的に組織し編成された一連の教育的素材」とされる。
　これらの進路情報を知ることは、適切な進路選択・決定の前提として必要な条件であって、大きな意義があると考えられる。
各教科を進路情報と位置づけた実践案
　中学校・高等学校の各教科は、長い人生の中でもそのときにしか学ぶ機会のないものだと思われがちだ。しかし、あらゆる職業の基礎であり、将来にわたって形を変えて無意識のうちに学ぶことになる基礎知識である。これを進路情報の一つと意識付けることが出来れば、深い学びを得る機会となり、生徒の積極的な学びにつなげる動機づけになる。
（数学の事例）
　「私は大工になるのだから苦手な数学を学ぶ必要はない」と考える生徒に対し、三平方の定理を扱う数学の授業で、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64676/法政大学通信教育部/職業指導（第１回）/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124756/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 May 2016 19:21:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124756/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124756/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/124756/thmb.jpg?s=s&r=1462357263&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文）
スーパーの職業的発達理論の特徴を述べ、この理論に基づいてあなた自身の進路や進路決定が、どのようになされてきたのかを述べよ。

参考文献：高等学校学習指導要領 平成21年3月 文部科学省[278]<br />スーパーの職業的発達理論の特徴
　「職業指導の概念」が最初に定義された1921年から暫くの間、「職業指導の概念」は、将来職業を選択する学校の学生・生徒や、現在の求職者の個々人に対してその実務的能力を伸張させる教育や、進路・職業・求人情報を与えることにその重点が置かれて来た。
　しかし、スーパーは「職業指導の概念」に、現実の自己と理想の自己をイメージするという「自己概念」と理想の中に含まれる「役割概念」を持ち込んだ。その上で、個々人が理想に描く役割はそもそも社会に存在するのか、その役割は自己の経験・能力、今後の学習・努力によって自ら果たすことが出来るのかどうか、について自己判断出来る能力を育む機能を「職業指導」の定義に加えた。その結果、職業を選択する個々人が満足し、社会全体の利益にも資する結果を「職業指導の最終目標」として明記した点にも特徴がある。
　スーパーの職業的発達理論を前提とした「職業指導の概念」は、手段としての職業指導の本質的な構造を明らかにし、個々人だけでなく社会全体の利益増進に資することを職業指導の目的と明記した点に旧来の考え方と異なる大きな意義が存在する。
大学卒業時にお..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[95509/法政大学通信教育部/商業科教育法（第２回）/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124754/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 May 2016 19:17:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124754/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124754/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/124754/thmb.jpg?s=s&r=1462357068&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文）
商業教育の概念を中心に、その特徴を述べよ。

参考文献：高等学校学習指導要領 平成21年3月 文部科学省[158]<br />商業の概念
　一般に商業教育と称する場合、高等学校における商業教育を指す。しかし、高等学校における商業教育を論ずる場合、商業概念、すなわち商業教育における商業とは何を意味するのかについて固まった定説はない。
　学問としての「商学」の対象たる商業の概念に依拠して答えを求めようとしても、最広義の取引企業説から最狭義の再販売購入説まで多義にわたる学説が存在する。現代まで、多数の学者によって、商学、商業学、経営経済学、配給論、マーケティング論の研究がなされ、研究成果が発表されたにも関わらず、やはり商業概念に対する定説はないのである。
　商業教育における商業の意味は、一般に用いられる「商業」の意味よりもはるかに広い。また、いかなる科目を、どの学年で、何単位教えるのが望ましいかという教育課程論議を通じて商業教育における商業の意味は事実上定まっていくため、自然と商業の指導領域、指導範囲は常に変化せざるを得ない性質を持つのである。
商業教育の概念における総括的課題
　新しい教育制度に基づく高等学校教育は昭和２３年度にスタートを切った。商業教育についての最初の学習指導要領は昭和２５年試案として示された。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[95509/法政大学通信教育部/商業科教育法/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124753/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 May 2016 19:14:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124753/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/124753/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/124753/thmb.jpg?s=s&r=1462356846&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文）
わが国の現在までの商業教育の発達について、それぞれの時代に分類し、その特徴を述べよ。（１つの時代区分にこだわらず、全般的に述べる事）。

参考文献：高等学校学習指導要領 平成21年3月 文部科学省[296]<br />江戸時代以前（学校制度開始以前）
　明治５年の学制公布に始まる我が国の学校制度開始以前において、読み・書き・算盤の初歩を教える機能は、寺子屋が果たしていた。そして、商業教育の中核は丁稚制度にあり、商業の経営理念や経営活動に必要な知識や技能を体験的・実践的に教えるという商業教育としての役割を果たすものであった。
２．明治初期
　明治５年の学制公布と共に、学校教育としての商業教育制度が整備された。しかし、経験に学ぶ丁稚制度が、商業教育の中核にあった当時の日本において、商業教育を担う学校の必要性は認められず、「学制」の規定する商業学校は１校も設立されることはなかった。
　明治８年の商法講習所が商業教育で最初の学校である。この学校の目的は日本の開港場で貿易取引を独占支配する外国人仲買を介さず、日本人がロンドン・パリなどと直接貿易を行うためであった。その他、神戸、三菱、岡山、大阪商業講習所等、様々な学校が設置されるが、いずれも商業の盛んな地に有力実業家の要請で設立、運営されたものである。
　文部省は明治１７年に商業学校通則を制定し、商業学校を小規模商業の経営者を養成する第一種と、大規模経営組織の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64541/法政大学通信教育部/財務会計論Ⅱ/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/126273/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 11 Sep 2016 15:54:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/126273/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/126273/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/126273/thmb.jpg?s=s&r=1473576885&t=n" border="0"></a><br /><br />（問題文）
①引当金に関する我が国の規定と国際会計基準における規定の相違点について述べなさい。
②そのような相違点が生じた理由について述べなさい。[215]<br />引当金の定義
　我が国では、引当金を将来の特定の費用又は損失であって、その発生が当期以前の事象に起因し、発生の可能性が高く、かつ、その金額を合理的に見積ることができる場合には、当期の負担に属する金額を当期の費用又は損失として引当金に繰入れ、当該引当金の残高を貸借対照表の負債の部又は資産の部に記載するものとするとされる 。また、負債とは、「過去の取引または事象の結果として、報告主体が支配している経済的資源を放棄もしくは引き渡す義務、またはその同等物をいう」とする 。
　国際会計基準では、引当金を、時期又は金額が不確実な負債とし、負債とは、過去の事象から発生した企業の現在の債務で、その決済により、経済的便益を有する資源が企業から流出する結果となることが予想されるものとする 。
　日本基準は、収益費用アプローチを前提とするため、引当金に繰入れる要件が整えば費用・損失とする旨を会計基準に規定し、国際会計基準では資産・負債アプローチを前提とするため、引当金の計上を単に負債の増加と異なる捉え方をしている。
引当金の認識
　日本基準において、引当金は次の４要件をすべて満たす場合に認識する。①将来の特..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[伝統とともに（社会学）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954868139024@hc10/126166/]]></link>
			<author><![CDATA[ by なっちゃん♪]]></author>
			<category><![CDATA[なっちゃん♪の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 06 Sep 2016 15:39:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954868139024@hc10/126166/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954868139024@hc10/126166/" target="_blank"><img src="/docs/954868139024@hc10/126166/thmb.jpg?s=s&r=1473143969&t=n" border="0"></a><br /><br />『社会学』
設題2010年度　法政大学通信教育課程課題

今現在、各人の住む地域もしくが近隣地域、あるいは生まれ故郷に現存してみられる「伝統工芸品産業」のひとつに即して、そこに携わる職人（工人）たちの労働生活と労働意識の動向を文献・史[340]<br />伝統と共に、布と糸の概念
先日テレビで、「糸」から「布」への様々な技法が取り上げられ、その伝統工芸について紹介されていた、その地域ごとに独自に発達した伝統の技術に驚かされ「世界は凄い」と思ったのだが、ふと、私の母の出身地である群馬県桐生市にも「桐生織」という伝統工芸がるというのを、以前母から教えられたことを思い出した。
　群馬県は、古くから養蚕栄えた町で、絹といえば上州群馬の一番の特産物であった。そんな養蚕王国上州の、東の筆頭桐生市は四囲を山々に囲まれ東に桐生川、西には渡良瀬川の２つの清流があり、その清流に挟まれた盆地の中に発達した自然に富んだ街である。
現在でも町を歩けばあちこちで織機の音が聞こえ、江戸～昭和初期にかけての勢いは無いものの、確実にその技術と伝統を受け継いでいる。
　1600年、天下分け目の関ヶ原の合戦で、徳川軍に2410疋の絹の旗を織り上げ献上し、徳川軍がこの合戦に勝利したことから、一躍全国にその名をとどろかせることとなる。
　桐生織りは、約1300年程前の和銅7年に桐生地方から絹織物が朝貢されたと記録にあるが、飛躍的に発展したのは、18世紀中頃に京より高機が移入され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私について（社会学）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954868139024@hc10/125865/]]></link>
			<author><![CDATA[ by なっちゃん♪]]></author>
			<category><![CDATA[なっちゃん♪の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Aug 2016 16:18:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954868139024@hc10/125865/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954868139024@hc10/125865/" target="_blank"><img src="/docs/954868139024@hc10/125865/thmb.jpg?s=s&r=1471850306&t=n" border="0"></a><br /><br />『社会学』
設題2010年度　法政大学通信教育課程課題

テキスト第一部「社会学の思想と視覚」の説くところをテキスト巻末にみられる参考文献を手掛かりに同テーマで説く他の論文著書ないし、同テーマに収斂する諸文献を出来る限り多く精読され、[340]<br />『社会学』
設題2010年度
(1)　テキスト第一部「社会学の思想と視覚」の説くところをテキスト巻末にみられる参考文献を手掛かりに同テーマで説く他の論文著書ないし、同テーマに収斂する諸文献を出来る限り多く精読され、その諸論稿から得られた知見も加えて、要約してください。
「私」について
「私」についての社会学的考え
　「私」というものは自分たちにとって一番身近な存在であるといえる。しかし、「私」というものは何かと言われれば、それは漠然としていて明らかではない。そこで、「私」はどんな人間なのか、本当の「私」とはなにか、などと考える「私」問題が出てくる。「私」について社会学的に考えてみると、そこには二重化された私というものが見てくる。たとえば、お気に入りの服を着ている私とそれを鏡で見て評価している私のように問われる私と問う私の関係が存在している。このような二重化された私はどのようにして形成されていくのか。つまり、問う私とは何か。それは、私というものを他者が評価するように、その他者の視点から見ているのが問う私であるといえる。よって、他者から見られるという経験をして、その経験から他者からの見られ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64542/法政大学通信教育部/指・原価計算論Ⅰ/A+最高評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/123452/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まりん]]></author>
			<category><![CDATA[まりんの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Feb 2016 18:20:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/123452/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955066544172@hc10/123452/" target="_blank"><img src="/docs/955066544172@hc10/123452/thmb.jpg?s=s&r=1454577634&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育学部
 合格評価を得た解答を、そのまま出品いたします。
 
 出品者からのコメント
 担当教官は採点基準として、指定教材に散りばめられた論点の網羅性を重要視している様です。この合格答案を参考として重要論点を効率的に把握して下[344]<br />製造間接費の定義
　原価計算基準では、原価要素が原材料費、労務費、経費と大きく３分類される。これらの費用は、それぞれ特定製品との紐付けが明確な直接費と、その点不明確な間接費に大別することが出来る。この観点を原価計算基準の原価要素の３分類に加味すると、直接費は「直接材料費、直接労務費、直接経費」、間接費は「間接材料費、間接労務費、間接経費」と６分類することが出来る。
２．製造間接費の分類方法
　「間接材料費」は、製品の製造に際し、間接的または補助的に消費された材料である。私が所属する工業用ゴム製品製造会社（以下、Ａ社と呼ぶ）の勘定科目では「副資材費」「原価消耗品費」「消耗工具費」が間接材料費に該当する。
　Ａ社では製品品番に直課する直接材料費の原価計算に、製品と材料の親子関係を定義した部品表が必要不可欠である。よって、製品を物理的に構成するとしても、部品表に定義のないものは直接費の原材料費ではなく、間接費の副資材費という扱いになる。
　また、製品の加工に用いる素材のうち、１～数回で消費するものの費用を「原価消耗品費」、数年にわたり継続使用するが２０万円未満のものの費用を「消耗工具費」とし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[農業論第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106625/thmb.jpg?s=s&r=1379223864&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
現代世界の食糧問題が、先進諸国における食糧の過剰と開発途上諸国における食糧の不足との併存として現れている要因について分析しなさい。
　その場合、同じ開発途上国であっても、なぜサハラ以南アフリカや南アジア諸国において飢餓問題が生じているのか、考察しなさい。
　・はじめに
　先進諸国における食糧過剰と開発途上諸国における食糧不足との併存として現れている要因を先進国、開発途上国の食糧事情を比較しながら要因を探る。また、開発途上国であるサハラ以南アフリカや南アジア諸国でおきている飢餓問題も考察していく。
　・先進国
産業革命以降工業生産社会となり、農業もまた工業化され、大量生産が必須の要件となった。生産される農作物は商品として扱われ、収穫量が高く、成長の早い品種が開発、栽培され、広大な土地に単品種が栽培されていく。工業化された農業は、機械力の動員はもちろんのこと、大量の化学肥料や農薬が使用される。特に第二次世界大戦後に、化学肥料や農薬の大量投入がなされ、その内容が一新されることとなった。化学肥料や農薬、そして機械は、大規模なエネルギーと資源を使用する工業製品に他ならない。これらを..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本経済史第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106623/thmb.jpg?s=s&r=1379223863&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
「大戦ブーム」と「反動恐慌」について論じなさい。
明治維新から第一次世界大戦への過程、特に明治初期の殖産興業、日清、日露戦争が与えた日本の資本主義への影響を考えていく。
政府は富国強兵をめざして殖産興業に力をそそぎ、近代産業の育成をはかるとともに、封建的制度の撤廃につとめ、近代産業の発展の基礎をかためた。政府は１８７０年に工部省を設け、佐渡・生野などの金属鉱山や高島・三池などの石炭鉱山を官営とした。軍部の近代化をはかる意味から東京・大阪の砲兵工廠や横須賀・長崎の造船所の拡充に力をいれた。さらに輸出の中心となっていた生糸の生産に力をいれ、群馬県に富岡製糸場を設けた。１８７３年に設立された内務省は製糸・紡績などの軽工業の分野で、官営模範工場をつうじて民間の機械制生産をうながした。そして１８６９年蝦夷地を北海道と改称して開拓使をおき、１８７４年には屯田兵制度を設けて開拓を行わせ、１８７６年には札幌農学校を開校した。
交通・通信制度の整備にも力がそそがれた。交通では１８７２年東京・横浜間に官営の鉄道が開通した。また岩崎弥太郎の三菱会社に手厚い保護を与えて欧米資本の海運業に対抗させた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動論第１回（1）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106622/thmb.jpg?s=s&r=1379223862&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）①特別活動の教育的意義について、指定本に言うところと、「学習指導要領」及び「学習指導要領解説」に言うところの比較を含めて論じて下さい。
　　　　　②指定本の「実践編１」について論評してください。その際、「実践編１」の筆者が、どのような意図を持って活動に関わっているかを読み取って、その点を踏まえて下さい。
①
　特別活動とは、学級活動・生徒会活動・学校行事等を総称したものだと教育課程では規定されており、第二次世界大戦後に時間をかけて教育課程に組み込まれ、形式上インフォーマルなものからフォーマルなものになった。
　特別活動の目標として子どもたちが市民的資質を自分たちの中に築いていくことにある。折出は、その資質のキーワードとして、「権利」・「責任」・「参加」・「自治」・「アイデンティティ」の五つをあげ、「子どもたちが問題を自主的・共同的にとらえ、その現状を意味付けながら、その解決のための取り組みの課題意識と見通しを持てるようになる」ことに教育的意義がある、と述べている（折出2008、pp22－23）。学級単位や学年単位、学校単位で起こりうる問題解決の過程で、子どもたちがその問題を自..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育指導論　第1回（1）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106621/thmb.jpg?s=s&r=1379223862&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）現在の日本の公教育において、道徳教育はどのように行われているか。
その仕組みと特徴について
そうした取り組みが、教師の道徳教育実践を支援するものになっているかどうかについて、具体的な根拠をあげながら述べなさい。
①　現在の日本の公教育での道徳教育の仕組み
公立学校における道徳教育は、学習指導要領第1章総則に記されているように、「道徳の時間を要として学校教育活動全体を通じて行うもの」である。すなわち、「各教科、総合的な学習の時間及び特別活動」を通じて行われるものであって、その中核として「道徳の時間」が置かれる。これを実施するにあたり、「道徳教育の全体計画と道徳の時間の年間指導計画」を作成する。広範なこれらを支える二つの柱は、以下のような内容である。
すなわち、全体計画として各学校の道徳教育の重点目標の設定を行い、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動における指導の内容・時期を定める。また家庭、地域社会との連携の方法も必要となる。家庭では人格形成の基本的な場である。そして地域社会での異年齢集団や異世代との交流から、学校、家庭とは異なる学びを経験できる。
これらを組織的で計画的な取..]]></description>

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			<title><![CDATA[地誌学通論第（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:21 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106620/thmb.jpg?s=s&r=1379223861&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）世界のさまざまな地域で見られる自然環境の破壊について、テキスト第３章～第１０章の各地域のうちから二つを選び、その地域における現状と問題点とをまとめて述べよ。
熱帯地域における環境破壊
はじめに、熱帯雨林気候下でのシンガポールについて、シンガポールはマレー半島の南端に位置しており、淡路島ほどの面積を持つ。熱帯雨林気候下にあり、高温多雨である。イギリスの植民地となり、アジアニーズの一国として発展するが、かつてあった熱帯雨林の大部分が失われてしまった。1965年の独立以後、外国資本導入による工業化が推進され、急激な経済成長を遂げた。シンガポールは石油精製基地となり、造船や電気、電子などの工業が盛んである。
しかし、それにともない、環境問題もある。シンガポールは国土が狭く、人口密度が7382.0人/平方キロメートルと高く、経済活動が活発であることに起因している。
　特に水質汚染における海洋汚染が深刻である。石油精製、シンガポール港でのタンカー修理などから発生する汚染排水や、タンカーの座礁事故から排出される廃油などが原因となる。また、積極的な外国資本導入による工業化で、大気汚染も問題と..]]></description>

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			<title><![CDATA[西洋史概説第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:14 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106618/thmb.jpg?s=s&r=1379223854&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（２）フランス・ブルボン朝の治世を例に、絶対主義について論述しなさい。
Ⅰ　親政の始まりとヨーロッパ情勢
　ルイ１４世は政務の一切を宰相マザランに委ねてきたがマザランの死後権力を自らの手中に掌握することにした。彼は「朕は国家なり」という言葉を残す一方で、「国政に思いをめぐらし、その決定をなすのは、ひとえに国の元首たる者の任務である。他のなすべきは、ただ与えられた命令を実行するのみ」と国政覚書には記している。彼はマザランの家令としてその経理の才能を認められていたコルベールに王国財政を委ねた。
　スペインは新大陸の銀を獲得でハプスブルク家の衰退はおおいがたく、神聖ローマ帝国は３０年戦争のよる打撃により、今やみるかげもない怪物に例えられるほどとなった。スペインとドイツの没落に代わってオランダとイギリス威勢を高めていた。このような時期にコルベールは後にコルベルティスムの名で知られる経済政策を展開した。フランスはそれまでも重商主義政策を推し進めてきたが国際商業におけるフランスの立ち後れは明白であった。さらに重要なことは国際商業を支える国内産業の発展であった。フランスは多様性に富んだ土地を持っ..]]></description>

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			<title><![CDATA[西洋史概説第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106617/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:14 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106617/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106617/thmb.jpg?s=s&r=1379223854&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）ドイツにおける叙任権闘争の経緯とその結果、ドイツ史、ヨーロッパ史に与えた影響について論述しなさい。
Ⅰ　教皇権の目覚め
１０７６年ハインリヒ４世に教皇グレゴリウス７世から書面が届く。その内容はハインリヒが即位後ドイツ国内の教会改革を怠り、俗人の手による聖職叙任を禁止した四旬節公会議の決定にも関わらず、ミラノ大司教、フェルモとスポレトの司教を叙任したことを非難し、破門と廃位との威嚇の下に、ハインリヒの悔い改めを要求したものだった。直接のきっかけとしてはハインリヒが北イタリアの司教叙任を強行したことであり、この闘争を通じて「俗権による聖職者叙任」が争点をなしたばかりではなく教皇権と皇帝権の闘争自体、一つの妥協、ヴォルムスの和約へ到達した。
この闘争の背後には、教権と俗権との関係がいかにあるのか、根本的な意見の対立があったことが挙げられる。ドイツのテレンバハはその本質を「あるべき世界の秩序」をめぐる争いであったとしている。皇帝側からすると「あるべき秩序」は国王が皇帝は世俗の支配者であると同時に「塗油せられたる者」として、国内最高の司祭者でもあった。「杖と指輪」をもって国内の聖職者の..]]></description>

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			<title><![CDATA[生徒・進路指導論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:13 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106616/thmb.jpg?s=s&r=1379223853&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
学校教育において生活指導（生徒指導）が果たす役割について論じるとともに、戦後日本の学校教育における生活指導（生徒指導）の位置の変化について論じなさい。その際、教科指導や特設「道徳」の時間などとのかかわりに留意すること。
生徒指導とは、本来一人一人の生徒の個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や能力態度を育成し、さらに、将来において社会的に自己実現できるような資質・態度を形成していくための指導・援助であり、個々の生徒の自己指導能力を目指すものである。（注１）生徒指導が児童生徒一人一人が心身ともに健康であり、社会の中で自己実現できるように個性の伸長を図り、社会的資質を高めることを支援するためのものである。生徒指導は一人一人の児童生徒に対して個別的に行われ、何か問題が起こってから取り組むのではなく、児童生徒が将来にわたり自己実現できるように、開発的、長期的に継続する必要がある。生徒指導の目標として「自己指導力」が挙げられる。そのためには自発性、自律性、自主性の育成が重要である。この自己指導力を育成するためには学校教育全体で行われる教育目標を達成する機能として考える必要がある。..]]></description>

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			<title><![CDATA[人文地理学概論第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106614/thmb.jpg?s=s&r=1379223852&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）２０世紀以降の日本の人口変動の様相について調べ、その特徴をまとめてみよ。なお、人口に関する具体的な数値を示し、かつその出典を明記すること。
　第二次世界大戦直後、日本の人口は海外からの引き揚げ者およそ４９４万人の社会増加と、１９４６年から始まるベビーブームで１９４８年までに８０５万人余りの出生があったことで、増加した。（年次別全国推計人口（明治５～昭和３３年）『人口白書』P.121）
　しかし社会増加は１９４５年が特に高かったのみで、ベビーブームも１９４９年には収束に向かった。出生数・出生率ともに高かったベビーブームが終わると、出生数・出生率は急速に減少し、１９５７年には戦後最低の約１５７万人を記録した。（人口動態統計『人口の動向　日本と世界』P.49）
　出生率変化の特徴を調べるため、１９４７年と１９５５年のデータを比較すると、女子（母）の年齢階級別出生率で２０代の出生率低下の割合が３０％程度であるのに対して、３０代で５０％、４０代で８０％低下しており、高年齢の低下が大きい。出生順位別では、第一児から第三児の出生率はそれほど低下していないのに対して、第四児以上の出生率は大き..]]></description>

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			<title><![CDATA[社会思想史　第二回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:04 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106610/thmb.jpg?s=s&r=1379223844&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会思想史、評価Ａ＋[60]<br />設題（２）１
以下のテーマのうちいずれかを選んで論ぜよ。
１８世紀後半のドイツ思想について論ぜよ。
ドイツ観念論の社会思想について論ぜよ。
　ドイツはイギリスやフランスと異なり近代化が遅れた。それは宗教戦争によりドイツの国土は荒廃し人口も激減したことからあらゆる分野において発展が遅れてしまった。しかし、人間精神は異なっていた。「上からの近代化」によりドイツの啓蒙化は進むが政治、経済の発展が滞ったため現実的生活の改革までには及ばず意識内部の改革へと向かった。その中で１８世紀の啓蒙思想はカントにより完成される。今回はカントについて考えていくことにする。
カントは「啓蒙とは何か」において、啓蒙とは人が未成熟の状態から抜け出すことであるとし、「理性の公共的使用」によって社会全体に啓蒙がもたらされると主張した。理性の公共的使用とは、「教養のある人が読者層全体に向けて自由に発言すること」である。それに対して、理性の私的使用とは、「特定の役職に就いている人の理性の使用」のこと。この場合は、上司の命令を批判する自由は制限されてよいとカントは述べている。つまり、表現の自由を通じて批判的な世論が形成される..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[社会公民科法第２回（学習指導案）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106608/thmb.jpg?s=s&r=1379223843&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />学習内容 
学習活動と指導上の留意 　　　　時間 
資料等 
導
　
入 福島第一原発の事故により原発への関心が高くなってきている。宿題で原子力発電所の長所と短所について調べてきてもらう。それを次の「展開」で発表してもらう。
教師が福島第一原発の事故を説明する。その際、生徒にも被害の内容を知っている範囲で答えてもらう。
例）冷温停止状態
　　津波による破損
　　放射性物質
　　などを挙げてもらう。 
１０分 教師の説明と発問、それに対する生徒の発言。 
展
　
開
ま
と
め １）原子力発電所の長所・短所
（発言例）
原子力：
＜長所＞
・安定、大量の電力
・単価が安い
・温室効果ガスを出さない。
・大気汚染の原因となる酸化物を出さない
＜短所＞
・事故が起きた際、放射能によって土壌や大気を汚染する。
・事故が起きて放射能が流出すると、人が近付けなくなり修復が困難になる。
・処理方法
ウランの残りカス「プルトニウム」を適切に処理する方法が無い。
＜事例＞原子力発電所の問題について深く考える。2011年の福島第一原発の事故によって原発の危険性が明らかになった。セシウムとは？なぜ海岸沿いに..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[社会・公民科教育法第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106605/thmb.jpg?s=s&r=1379223836&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />設題（１）
テキスト第１編「中学校社会科の課題と実践」をすべて読んで何を学び考え、テキストからどのように今日の中学校社会科の課題を理解したのか述べなさい。
そして、その課題に答える内容の学習指導案（１時間分）の一例を作成して下さい。指導案は地理か歴史分野のいずれかを選ぶ。かならず教材（コピー可）も一枚付けて下さい。
Ⅰ　はじめに
　先進国であるがゆえに地理、歴史、の授業は主観的な、そして公民においては私たちにとって身近な問題を扱っているにも関わらず教科書では具体的な事例が挙げられていない。そのため身近で起こっていても興味、関心を持てないこともある。また、生徒参加型の授業を行うことで生徒自身が主体となって学ぶ必要がある。ここでは地理、歴史、公民科教育における課題（第Ⅱ節）を挙げ、そして子どもが自ら学ぼうとするためには教師がどのようなことに注意しなければならないか。また、テキストの実践例を基に教材選定とよりよい教材作りをするために必要なことを考えていく（第Ⅲ節）。そして最後に生徒と教師が客観的に物事を捉え、そして生徒が主体となって学習できる環境を教師が整えるためには何が必要かを考えていく..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会・公民科教育法第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106604/thmb.jpg?s=s&r=1379223835&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />設題（２）
テキスト第２編をすべて読んで、何を学び考え、また自ら今日の若者の政治・社会意識の現状と特徴を分析し、その両方から導かれる高校公民科教育の課題について述べなさい。
そして、その課題にこたえる公民科の一科目の指導案（１時間分）を作成して下さい。教材（コピー可）をかならず一枚付けて下さい。
Ⅰ　はじめに
今やグローバル化が進む中で国家主義が再び登場してくる社会になった。人権、民主主義は国家主義に抑圧されつつある。それを回避するためには公民科で人権、民主主義について学ぶ必要がある。しかしその公民科教育は、国家主義的な道徳を植え付けようとしている。また、高校公民科の授業実践を踏まえて問題の解決を導く。
Ⅱ　人権・民主主義の学習
　人権とは個人を取り巻く社会が生きる権利を保障することである。これは私たち人間が当たり前のように持っている権利である。「すべて国民は健康にして文化的最低限度の生活」を保障し、「義務教育は、これを無償とする」というものは国会に請願した結果盛り込まれていた。よって日本国憲法が押しつけではないと言うことでもある。また、情報化時代となったためマス・メディアを通じて世界がつながるようになった。情報はありふれるようにはなったが、国家や企業が巧妙に情報を操作することも可能となった。国民主権の立場から新しくできた権力に対してどう規制すべきかという視点も必要になっている。
　民主主義の重要な内容は人間の尊厳を承認するという基礎の上で個々の人間の対等平等性を主張することである。また、機構原理として機能するためには人間の自由と平等が必要である。しかし対等平等をうたっているが、経済格差や雇用不安、差別問題など人間の尊厳を揺るがすような大きな課題である。経済活動はグローバル化したことにより生活破壊や環境破壊を引き起こすことにもなった。これらから私たちは人間の尊厳、対等平等性の実現を目指して不断に努力しなければならない。
今日では国民国家を越えてＮＧＯなどの活動も大きな広がりを見せている。民主主義を守り発展させることは私たちの責任である。
Ⅲ　高校社会科教育の解体と政治介入
　戦後、社会科教育は平和で、民主主義的社会を形成する人間を育成する教科として再編される。しかし、１９５７年の第三次学習指導要領改訂では指導要領が「法的な拘束力」を持つものとされ、「道徳」を特設..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[工業論第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106602/thmb.jpg?s=s&r=1379223834&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、工業論、評価Ａ＋[54]<br />設題（２）
後進国の工業発展と技術革新について、第二次世界大戦後の日本のケースについて論じよ。また、アジアＮＩＥｓ、ＡＳＥＡＮ、中国、インドなどから最低一国を選択し、工業発展と技術革新の観点より日本のケースと比較検討し、結論を導け。
＜日本の工業発展と技術革新＞
第二次世界大戦後の日本について、戦後の日本が急速に回復した理由は朝鮮戦争に伴う、特需であった。後方補給基地として、アメリカが食料や雑貨、資材の調達、船舶・車両等の修理、などを日本で行ったため経済が活性化した。そして1955～73年の20年近くの間、日本経済は成長率が年平均10％をこえる高度成長を続け、国民総生産であるＧＮＰは、1968年に資本主義国ではアメリカにつぐ第2位の規模に達した。鉄鋼・造船・自動車・電気機械・化学などの部門が、アメリカなどの技術革新の成果を取り入れて設備を更新し、石油化学・合繊繊維などの新部門も急速に発達した。鉄鋼業の例を取ると、薄板圧延方式からストリップ・ミル方式を導入することで大量生産が可能となった。こうした薄板での量産方式の導入は自動車、家電などの耐久消費財産業への原料供給体制を築くものとなった。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経済史第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106600/thmb.jpg?s=s&r=1379223827&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、経済史、評価Ａ＋[54]<br />設題（２）第２次大戦が生じた経済的要因とは何か。第１次大戦後のドイツおよびアメリカ経済のそれぞれの状況を踏まえて論じなさい。とくに、1920年代と1930年代の両国経済のあり方を十分に比較・対照しながら、ドイツがなぜ大戦までに至ったかに留意して、この課題に取り組みなさい。
＜ドイツ経済＞
（１）第一次大戦後のドイツ経済
第一次世界大戦の敗戦国ドイツについてロンドン会議では、ドイツは１３２０億マルクもの多額の賠償金を払うよう決定した。これは天文学的な賠償金の額であり、とても払える金額ではなかった。これにより、ドイツはこの賠償金の支払いを滞らせるようになった。しかし、この賠償金の不払いによりフランスは、ドイツでも有数の工業地帯のルール地方を占領した。これによりドイツ経済は致命的な打撃を被り破綻状態となった。失業率は１０％を超えた。これに対し、政府は企業の補償と失業者の生活保護のために巨額の不換紙幣を乱発した結果、ハイパー・インフレが生じた。ドイツのハイパー・インフレが収束したのは、シャハト氏が新たにドイツの中央銀行であるレンテン銀行を設立し、そのレンテン銀行の総裁に就任してからであった。シ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育相談第１回（２）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106598/thmb.jpg?s=s&r=1379223826&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育相談、評価Ａ＋[57]<br />設題（２）カール・ロジャーズ（Carl Rogers）のカウンセリングの要点を紹介し、それらを青年期の生徒の指導に用いる場合の注意点と問題点、限界を考察せよ。
＜ロジャーズのカウンセリングとパーソナリティ理論＞
　　カウンセラーが来談者に対して指導、助言、指示を与えるのではなくカウンセラー主導の関係から来談者の能動性とした。その一方で能動性が引き出される契機として、カウンセラーの存在と役割を重視している。これを来談者中心療法という。来談者中心療法は、来談者が自己受容・自己成長により問題を解決するとした。それにはロジャーズの人間観である「自己実現傾向」があることによって説明することができる。人間は有機体として、生理・心理的発達、分化、成熟へ向かう傾向を示し、依存から独立へと発展。欲求を満たすために、自動的に調和を保つように機能する傾向を本来持っていると考えた。すなわち、人はどのような時でも自己の人間的な成長を目指す前向きな姿勢を持っているということである。来談者はカウンセリングがうまくいくと自己不一致から自己一致へと向かう。自己不一致の状態とは不適応状態のことでこれは「自己概念」が「経験」とかけ離れ固定化した時に起きる。理想的自己と現実の自己との隔たりも大きい。（注１）自己概念とは自分についての認知であり、経験は個人の内面的世界である。ここで来談者の主体的経験が尊重されて明らかにされると自分の感情を感じ取れるようになる。そして来談者が自分の経験と自己概念の不一致に気付けば自己不一致から自己一致へと変化する。
ロジャーズはカウンセラーの役割を重視した。来談者の能動性を前提としている一方来談者の能動性を引き出すためにその役割について重視している。ロジャーズはカウンセラーに共感的理解、無条件の積極的尊重（受容）、自己一致を求めた。
共感的理解とは、共感は同一化とは異なり、「あたかも」同一化しているようにみえることである。共感とは一つになることではなく、別の二つが全身で浸透しあった状態をさす。人が何かを選択し、行動する背景には、その人の理由がある。それを、ロジャーズは、「内的準拠枠」と呼んだ。相手の内的準拠枠を理解しようとしなければ、話し合いは往々にしてすれ違う。つまり共感とは、自分の中の価値判断を押し付けて相手と一つになることではなく、カウンセラーはカウンセラー、来談者..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育相談第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106597/thmb.jpg?s=s&r=1379223826&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育相談　評価Ａ＋[57]<br />設題（１）
　いじめの事実を思い浮かべつつ、思いやりがあって権威に盲従しない、しっかりした人格を形成するために、教育はどのような援助が可能か考察せよ。
　＜思いやり行動を促進する条件とは＞
　いくつかの関連性で思いやり行動が検討されてきた。まず、子どもの性や家庭での出生順位、家庭の社会経済的地位などの人口統計的変数。つぎに子どもが社交的か否かと社会的状況の中での対処能力。そして他者に対する同情や共感的反応性と関係している。またＩＱ、他者の視点取得能力などの認知的発達をあらわす能力である。最後に思いやり行動に一貫性を示しているかである。
　これらの思いやり行動を促進するには彼等を取り巻く環境が大切である。最も思いやり行動に影響を与えるのは家族である。その思いやり行動を促進するために親は誘導的なしつけをし、他者の視点、共感性、同情心を奨励する。次に友だちやクラブ、近所の人、教会、学校といった家庭外の影響である。こういった自分を取り巻く環境で相手を思いやる行動は育まれていく。
　＜権威に盲従するメカニズム＞
ミルグラム実験の実験から、約６５％の被験者たちが、隣室から聞こえる悲痛な叫びと実験..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育の制度経営第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106596/thmb.jpg?s=s&r=1379223825&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育の制度経営　評価Ａ＋[66]<br />設題（１）テキスト『学校経営』（小島弘道編著、2009年）の確証には、その末尾に「考えてみよう」というコラムがあります。これらを参考にしながら、日本における教育の経営と制度に関する問題や課題について、自分なりに自由にテーマをたて、テーマに即した資料や事実を探し、先行研究などを参照して、そのテーマを論じて下さい。なお、論述に際しては、冒頭の１行目に２０字以内で具体的なテーマを記し、次の１行をブランクにして、本文を書き始めて下さい。
Ⅰ　はじめに
最近教師が精神を病み休職したり、自殺をするケースが増えている。教師は人間と接する機会が多くストレスを抱えやすいと考えられる。しかし、それ以上に教師としての業務とは異なるものが多く存在していることも言える。例えば親が出来ないようなしつけを教師や学校が対応すること。また、最近では給食費の徴収を教師がやるなど教師の多忙化も挙げられる。今回は小野田正利氏の「悲鳴をあげる学校」からイチャモンをつける保護者と地域住民の問題点（第Ⅱ節）とどのように対応すべきか（第Ⅲ節）、そして地域の在り方（第Ⅳ節）を考える。最後に学校と地域がどのように今後協力していく必要が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[共生の島の開発と環境]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951831949360@hc11/98613/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ガーミン]]></author>
			<category><![CDATA[ガーミンの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Nov 2012 10:56:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951831949360@hc11/98613/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951831949360@hc11/98613/" target="_blank"><img src="/docs/951831949360@hc11/98613/thmb.jpg?s=s&r=1353549382&t=n" border="0"></a><br /><br />自然保全のために取り入れた屋久島の低環境型リサイクル事業について書いています。評価はＡでした。[141]<br />1993年に世界遺産に登録された屋久島の「共生の島、開発と環境」をテーマに取り上げてレポートする。屋久島は鹿児島県南部の大隈諸島の中にある五角形状の島で、樹齢7200年といわれる縄文杉をはじめとする屋久杉でも有名な自然遺産の島です。その小さな屋久島に、九州最高峰の宮之浦岳（1935m）をはじめ1000メートルを超す山々が46座もあり、「洋上のアルプス」とも呼ばれています。この地形がおりなす気候には、実に海岸部の亜熱帯性気候から山頂部の亜寒帯性気候までが含まれ、植生も垂直的に変化しており、島には、神秘的な森や特異な生態系に153科、1273種の植物種がひしめきあい、さらに世界で屋久島だけに自生する固有の植物が約43種、屋久島を南限とする植物が約227種、北限とする植物が約80種に及んでいる。また高温多湿の気候と関連して、着生植物が多いということも屋久島の特性であることから「東洋のガラパゴス」とも呼ばれる程、他に比類のないほど素晴らしい地形的特徴を持った景観のある魅力的な島である。また屋久島の年間降水量は、8000～1万ミリで、1ヶ月に35日雨が降ると称される程、豊富な降雨量に加え山岳の霧..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の研究　第１回（１）「道徳教育はどのように行われているか」　評価B　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94484/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jun 2012 23:33:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94484/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94484/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94484/thmb.jpg?s=s&r=1340375602&t=n" border="0"></a><br /><br />道徳教育の研究
　第１回
「(1)現在の日本の公教育において、道徳教育はどのように行われているか。
①その仕組みと特長について
②それが、期待されている教育効果をあげているかどうか
について、述べなさい。」のレポートです。評価はBでした。２[342]<br />道徳教育について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
2009/10/27　
道徳教育の仕組みと特長
「中学校学習指導要領」（平成20年3月告示　2008年8月）を参照すると、その目標は「学校の教育活動全体を通じ」て、「道徳的な心情・判断力」、「実践意欲や態度などの道徳性」を養うことにある。
　また道徳の時間以外の各教科や特別活動の時間においてもその関連や育成を期すことが求められ、その中で計画的教育を指南することも併せて求められている。
ではどういったことが要点としてあるのかであるが、大きく分けると4点である。
自分に関すること
他の人とのかかわり
自然や崇高なものとのかかわり
集団や社会とのかかわり
この中でまたさらに細かい点が挙げられる。
たとえば４の中では「学級や学校の一員としての自覚をもち、教師や学校の人々に敬愛の念を深め、協力してよりよい校風を樹立する」「地域社会の一員としての自覚をもって郷土を愛し、社会に尽くした先人や高齢者に尊敬と感謝の念を深め、郷土の発展に努める」などの項目がある。
こういった目標と内容をふまえ、教師は年間の指導計..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学概論　第２回　「白地図（地中海・イスラム）生活様式について」　評価B　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94483/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jun 2012 23:23:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94483/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94483/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94483/thmb.jpg?s=s&r=1340375007&t=n" border="0"></a><br /><br />人文地理学概論　
第２回「（1）①次の二つの事項について、通教テキスト巻末「学習指導書」に折り込んである白地図1～2枚にそれぞれの分布範囲を記入し、それぞれに300字以上400字以内で説明文をつけよ。なお、分布図の作成において参考にした文献[340]<br />人文地理学概論
2009/3
（1）①次の二つの事項について、通教テキスト巻末「学習指導書」に折り込んである白地図1～2枚にそれぞれの分布範囲を記入し、それぞれに300字以上400字以内で説明文をつけよ。なお、分布図の作成において参考にした文献・資料等も明記すること。
（a）地中海式気候地域
地中海式気候地域は夏季の絶対的な乾燥から、山岳地方では階段耕作やトランスヒューマンスが行われ、平野部では灌漑、海岸地方では主に観光業で生活を立てている。
階段耕作は山の斜面に耕地を築き、ブドウ、オリーブ、オレンジなどが栽培されている。トランスヒューマンスは山と平野を行き来する季節的遊牧である（トルコの黒海沿岸など）　　　　
灌漑では水をどのように与えるかが課題であったが、大規模にそれが成功するとブドウ、柑橘類、オリーブなどの単一栽培で輸出を生業としている（北アフリカを含む地中海沿岸）カリフォルニアではその他に綿花、南アフリカ南端やオーストラリア南西部はブドウ、柑橘類をヨーロッパ向けに輸出。
観光地の特徴は断崖地帯であり、壮麗な風光を誇るニースやコートダジュールが有名である。そこでは居住人口より滞在..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本近世史　第二回（1）「内憂外患の時代と復興意欲」　評価B　２０１０　★２８Pの長文です。（寛政の改革以後からペリー来航の阿部政権を網羅してあります。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94445/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jun 2012 00:17:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94445/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94445/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94445/thmb.jpg?s=s&r=1340291821&t=n" border="0"></a><br /><br />第二回（1）「内憂外患の時代と復興意欲」のレポートです。２８Pもの長文になり、寛政の改革以後からペリー来航の阿部政権を網羅してあります。しかし長すぎて評価は残念ながらBでした。２０１０年の問題です。参考にしてください。[321]<br />日本近世史
2010/11/03
第二回（1）内憂外患の時代と復興意欲
寛政五年（1793）七月、老中松平定信は幕政改革の途中で隠退し、幕閣を去った。しかし、定信とともに改革を推進してきた幕府の首脳陣は健在で、なかでも松平信明は老中首座として二六年の間、幕政を担当した。彼は大胆な新政策よりもすでに敷かれた路線を保守していくことに注力した。
この時期、外からは北方の脅威が迫り、内には米価低落に伴う財政問題が幕政の危機として顕在化したが、幕府は一貫して緊縮財政を維持したため、北辺の大名による蝦夷地警衛、諸大名への囲米の強制、土木普請への大名助役など、諸藩に対する課役負担が強化され、藩幕間にあらたな問題をもたらしている。
文化期（1793～1817）&hellip;寛政の改革を継承する松平信明（1793～1817）の時代
文政期（1818～1829）&hellip;そこからの転換を図る水野忠成（1817～1834）の時代
（外）根室に来航したラクスマンに長崎入港の信牌を与えたのは、定信が辞任する一ヶ月前の同年六月であったが、その後ロシアの南下政策が具体化し、北辺の危機が現実のものとなってくると、幕府もその対応策を迫られ、鎖国を祖法として遵守する立場から北地の探索と沿岸の防備に力を注ぐことになった。
（内）飢饉対策として江戸に米穀の備蓄をする計画は、定信が退任してからで、深川に巨大な籾蔵ができたのはさらに五年後である。寛政異学の禁のほかに、信明の時代には湯島聖堂の再建をした。下級御家人から一部批判はあったが政権を揺るがすほどではなかった。
信明政権の後半において、前代からの懸案であった幕府直轄地、特に関東幕府領の農村掌握と、江戸の経済的地位の向上を目指した商業・金融政策には注目すべきものがある。
関東農村の直轄地は旗本領と入り組んだ相給支配が多く、代官の多くは江戸在住であったから、これまで規制の行き届かない点があった。このため天明の災害（1782年、寛政期の前）で農村の荒廃は深刻化し、農村構造の解体も進んだが、その過程で無宿者・博徒が村落秩序から脱落し、治安の間隙をついて、関東一円を横行していた。
寛政期では、農村救済のための貸付費と北辺防備のための蝦夷地対策費の比重が高いのに対し、文化期になると、米価調節のための御買米代金と、朝鮮通信使接待費と日光法会費に比重がかかっているのが特徴である。
この..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本中世史　第１回（１）「鎌倉幕府の守護について」　評価B　２０１０]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94444/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 23:58:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94444/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94444/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94444/thmb.jpg?s=s&r=1340290693&t=n" border="0"></a><br /><br />日本中世史　第１回（１）　鎌倉幕府の守護について述べよ。」のレポートです。評価はBでした。２０１０年の問題です。参考にしてください。[196]<br />日本中世史
二〇一〇・〇六・一五
第１回　（１）　鎌倉時代の守護について述べよ。
鎌倉時代の守護は、一一八五年、文治元年における勅許から始まると考えられる。それは勅許の内容が地頭と惣追捕使を設置することであり、この惣追捕使が後の守護となったと考えられるからである。追捕使は平安時代に置かれた令外官であり、凶賊を取り締まることを任務とする臨時の地方官であった。しかしその後時代を経るにつれ常置されるようになり国司、郡司の子弟の中からその任が選ばれ、ほかに中央から特別に派遣される場合もあった。
文治元年の惣追捕使は地頭とともに各荘郷、国におかれ、平家の残党狩り、源行家・義経の捜索といったことがその職掌であった。守護という呼称がいつから使われていたのかは不明であるが、追捕使である守護の職掌が大犯三箇条にみられる、謀反人・殺害人の検断と大番催促であったことはわかっている。守護が国守の代わって国内の重罪人の検断権と国内の軍事指揮権の起点ともなる大番催促権を掌握したことは、国家の地方支配体制上の軍事・警察権が公家政権から幕府の手に移ったといえる。
鎌倉幕府は頼朝と御家人の直接的な主従関係が軍事組織の根..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第２回（１）立法不作為（朝日訴訟、25条）　評価B　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94443/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 23:50:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94443/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94443/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94443/thmb.jpg?s=s&r=1340290213&t=n" border="0"></a><br /><br />法学
第2回　（１）「いわゆる朝日訴訟（最大判昭42･5･24民集21巻５号1043頁）における、最高裁の憲法25条の解釈の立場を説明し、立法不作為に及べ。」のレポートです。評価はBでした。２００９年の問題です。参考にしてください。[316]<br />第2回　（１）いわゆる朝日訴訟（最大判昭42･5･24民集21巻５号1043頁）における、最高裁の憲法25条の解釈の立場を説明し、立法不作為に及べ。
朝日訴訟（最大判昭42･5･24民集21巻５号1043頁）における憲法25条の立場は、最低限度の生活を具体的に個別に保障するものではなく、現役厚生大臣が判断する最低限度の水準を満たしていれば、「個人」が「最低限度」を満たしていないと判断しても、それは著しい場合を除いては司法の審査の対象にならないということである。これは朝日訴訟が25条を具体的権利説の立場を取って違憲訴訟を起こしているからである。25条の解釈にはプログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説とあるが、通説は抽象的権利説を採っている。これは生存権が25条に保障されているが、抽象的であるためこれを根拠に訴訟はできないとしている。堀木訴訟（最大判昭57･7･7民集36巻7号1235頁）においても抽象的権利説が採られ、朝日訴訟と同様に具体的な政策の裁量は行政に委ねられていると判決をしている。
そういった点を踏まえると、立法としての観点からみれば上記案件に対する議論や立法はすでに十分な..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育原理　第1回　「近年、学力低下や文部科学省の「ゆとり教育」が・・・」　評価B　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94441/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 23:34:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94441/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94441/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94441/thmb.jpg?s=s&r=1340289278&t=n" border="0"></a><br /><br />教育原理　
第1回「近年、学力低下や文部科学省の「ゆとり教育」が社会的及び政策的に問題になってきている。そこでは何が問題とされ、また論争となっているか。これを整理したうえで、学力のあり方をふくむ学力問題に対する自らの見解を述べよ。」のレポー[356]<br />教育原理
2009/6
第1回：近年、学力低下や文部科学省の「ゆとり教育」が社会的及び政策的に問題になってきている。そこでは何が問題とされ、また論争となっているか。これを整理したうえで、学力のあり方をふくむ学力問題に対する自らの見解を述べよ。
「ゆとり教育」とは1970年代後半以降、学習指導要領第四次、第五次改訂において知識の詰め込み型の教育に対して「ゆとり」「教育の人間化」「教育の個性化」「新しい学力観」「生きる力」「総合的な学習の時間」が文部科学省から発布されたことを受けた教育方針の総称である。具体的な施策としては授業時間の三割カット、カリキュラムの削減が行われた。こういった中で現役教師たちの間からは基礎学力の必要な時間が削られ、個性を伸ばすどころか学力低下を招くとの指摘があがった。それは授業時間を削減されているところにおいて、家庭学習などの増加が見込まれていたはずが、実際は家庭でのゲーム、テレビ視聴、塾通いの時間増加を招いたからであった。このため学力低下の問題は単純に同じ問題をやらせてみて平均点が低下したということではなく、本質的に問題自体を理解していない生徒の増加を招き、基礎学..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育原理　第2回　「国連子ども権利条約」の歴史的意義を要約・・・」　評価B　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94440/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 23:34:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94440/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94440/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94440/thmb.jpg?s=s&r=1340289278&t=n" border="0"></a><br /><br />教育原理
第2回：a「国連子ども権利条約」の歴史的意義を要約した上で、今日の日本の教育問題（校則、体罰、いじめなど）を「条約」精神や内容と関わらせて批判的考察せよ。」のレポートです。評価はBでした。２００９年の問題です。参考にしてください。[352]<br />教育原理
2009/6
第2回：a「国連子ども権利条約」の歴史的意義を要約した上で、今日の日本の教育問題（校則、体罰、いじめなど）を「条約」精神や内容と関わらせて批判的考察せよ。
1989年11月20日第四十四回国連総会において、「子どもの権利に関する条約」が採択された。同じ人類として人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治やその他の意見、国民的・民族的・社会的出身、財産、障害出生、地位による差別は受けず、生存する権利を地球上のすべてのものに要求できることをうたっている。子どもたちを経済的搾取、有害な労働、麻薬や向精神薬、性的搾取や虐待、誘拐、売買、取引の防止、死刑･拷問等の禁止、武力紛争からの保護など、子どもの生存、福祉にとって有害なあらゆる形態の搾取から保護し、子どもたちの「思想、良心、宗教の自由」「表現の自由」を妨げることはしない、と定めたのだ。これは貧困にあえぐ第三世界が入ることはもとより、先進諸国における子どもの人権の埋没化、内面汚染に対して子どもの権利を主張しているものでもあった。このように1959年の宣言で受身の権利保障であったものが、1989年の条約では大人社会への積極的な..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋史概説　第二回　「鄭和の航海について」　評価B　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94439/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 22:57:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94439/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94439/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94439/thmb.jpg?s=s&r=1340287069&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋史概説　第二回　「鄭和の航海について」　のレポートです。評価はBでした。２００９年の問題です。参考にしてください[172]<br />第二回：鄭和の航海について
2009/05
元朝時代の14世紀中葉に相次ぐ天災や飢饉、黄河の氾濫に伴う無償の治水工事などに民衆の不満が募り、1351年紅巾の乱が起こる。また元王朝内部の紛争も手伝い、紅巾の流れを汲む朱元璋が元王朝を滅ぼし明が建国された（1368年）。朱元璋は洪武帝と名乗り独裁体制を築き、建国以来の側近を次々に粛清する。こういった状況下で政務をこなす信頼できる人間として宦官が多く用いられた。宦官が重責ある政治登用され、後の鄭和のポストを生むことになる。15世紀に入り、第3代皇帝永楽帝が靖難の役（1401年）で即位すると、外征の勢いが強まる。それは鄭和をはじめとする宦官たちを海外に派遣し、朝貢貿易における冊封体制の強化を目指したものであり、またティムール帝国などが中国に向けて武力侵攻をなすことに対して歯止めを掛けるためのものでもあった。
鄭和は1371年に雲南地方で生まれ、イスラム教徒の親を持ち、永楽帝の宦官となるとその実力が認められ1405年に南海遠征の指揮官に抜擢される。1405年から始まった遠征は永楽帝下で6回（1405～1423年、一回の航海期間は一年半ほど）、続く..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋史概説　第一回　「唐代の仏教について」　評価A　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94438/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 22:57:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94438/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94438/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94438/thmb.jpg?s=s&r=1340287068&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋史概説　第一回　「唐代の仏教について」　のレポートです。評価はAでした。２００９年の問題です。参考にしてください。[175]<br />第一回：唐代の仏教について
2009/05
7世紀における唐代の仏教は中国仏教の原型を再構築した。それは大乗仏教として入ってきた仏教に小乗仏教の要素を混ぜ、中国独自の仏教として広く民間に浸透した。その教えは朝鮮、日本に伝播し仏教の源流となっていった。
前2世紀末の後漢以来、インドから持ってきた経典を漢訳する作業が様々な翻訳僧によって行われ、唐代においても例外ではなかった。唐代における翻訳僧の一人玄奘（600/602-664）はその漢訳『大蔵経』が、倶摩羅什の旧訳に対して&ldquo;新訳&rdquo;と呼ばれるほど革新的であった。以前のものとのちがいはその一字一句の正確さにあったといわれ、仏教普及に役立った。また彼の旅行記『大唐西域記』は7世紀前半の中央アジア・インドの風俗、文化を中国に伝えた。こういった仏教やインド・西域文化の中国への浸透を翻訳僧がした。玄奘のほかにも義浄、不空などがいる。
中国における儒教、道教、仏教は互いに影響を与え合うことになるのだが、7世紀はじめの唐初時点では、沙門王者不敬論があり、儒教の礼にある君主、父母を敬うことを仏教は是としていなかった。こういった傾向が改められ、国家の統制の下..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学通論　第1回　森林開発の現状と問題点　評価B　２００８]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94437/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 22:13:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94437/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94437/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94437/thmb.jpg?s=s&r=1340284431&t=n" border="0"></a><br /><br />地誌学通論
第１回目「（1）世界のさまざまな地域で行われている森林開発について、テキスト第3章～第10章の各地域のうちから二つを選び、その地域における現状と問題点をまとめて述べよ。　」のレポートです。評価はBでした。２００８年の問題です。参[348]<br />地誌学通論
2008/6
第１回目
世界のさまざまな地域で行われている森林開発について、テキスト第3章～第10章の各地域のうちから二つを選び、その地域における現状と問題点をまとめて述べよ。　　
①東南アジアの森林開発の現状と問題点
東南アジアの熱帯雨林気候地域はスマトラ島やカリマンタン島に代表されるが、森林開発において問題がある。従来から日本への輸出などもあり、木を切ることで口に糊する生活をマレーシアやインドネシアの当住民は行っている。環境云々よりも生活がかかっているため、国際的な法律や援助といった形の前に一国としてどう政策をたてるかが重要であると考えられる。一例をあげれば、焼畑などの広がりは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学通論　第2回　「三圃式農業、隠岐「牧畑」比較、異同」　評価A　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94436/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 22:13:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94436/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94436/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94436/thmb.jpg?s=s&r=1340284427&t=n" border="0"></a><br /><br />地誌学通論
第2回目「(1)ヨーロッパにおける三圃式農業の起源および現在の実態を、自然環境のありようと関連させてまとめよ。また、それと日本の隠岐諸島においてかつて行われていた「牧畑」とを比較し、その異同について述べよ。」のレポートです。評価[350]<br />地誌学通論
2009/3
第2回目
(1)ヨーロッパにおける三圃式農業の起源および現在の実態を、自然環境のありようと関連させてまとめよ。また、それと日本の隠岐諸島においてかつて行われていた「牧畑」とを比較し、その異同について述べよ。　
三圃式農業は中世ヨーロッパの典型的な農法で、農地を三分割し夏穀物（オオムギ、エンバク、マメ科作物など）、冬穀物（コムギ、ライムギ）、休閑放牧地（羊、ヤギ、牛）の順で輪作する。これは19世紀初期まで地中海沿岸を除く各地で行われていた。（『最新地理学用語辞典』　110頁）
三圃式農業の起源は、紀元前6000年頃に中東の肥沃な三日月地帯から地中海東南部に農業がもたらされ、その後地中海沿岸地域において古代地中海式農業が形成されたことにはじまる。（108頁）古代地中海式農業は土地がやせるのを防ぐために、一年おきに交互に作物（大麦、小麦など）が栽培されていた。また同時に羊やヤギなどの家畜が飼育されていたが、このときはまだ牧畜と作物栽培の有機的な関係はなかった。（109頁）その後古代地中海式農業は北に伝播し、三圃式農業へと発展した。三圃式農業は上記にある牧畜と作物栽培..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本近代史　第２回　（１）「開国から西南戦争にいたる近代日本の外政について」　評価A　２０１１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94435/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 21:08:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94435/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94435/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94435/thmb.jpg?s=s&r=1340280484&t=n" border="0"></a><br /><br />第２回「（１）開国から西南戦争にいたる近代日本の外政について」
についてのレポートです。評価はAでした。2011年の問題です。参考にしてください。[207]<br />日本近代史
2011/3
第２回（１）開国から西南戦争にいたる近代日本の外政について
日米和親条約が安政元年に結ばれ、その四年後に日米修好通商条約が結ばれた。当時日本は徳川幕府が外交を行っていたが、国内は攘夷か開国かという二極に分裂していた。攘夷派は、朝廷を中心に条約の調印を基本的には認めず、日米修好通商条約の締結は幕府への不信を高めた。攘夷派は、朝廷に対して攘夷をスローガンに京都に政治工作を図るようになり、幕府の主権を脅かすようになっていった。
徳川幕府が部分的にではあるが開国したのは、当時の中国、清がアヘン戦争で敗れたという事実があった。南京条約という不平等条約を結ばされた清が、列挙の食い物にされているという情報は、アジアの一小国であった日本が開国を決断するには十分な脅威であった。
　対日通商使節として来航したペリーによる大砲外交は、前回のビッドルよりも現実的かつ具体的な通商・「開国」要求であり、幕府にその即時回答を突きつけるものであった。幕府は下田、箱館などの部分的開港によって、その要求を回避していたが、日米修好通商条約の締結により、「開国」の度合いは強まり、攘夷派を刺激した。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本近代史　第1回　（１）「開国から西南戦争にいたる近代日本の内政について」　評価A　２０１１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94434/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 21:08:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94434/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94434/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94434/thmb.jpg?s=s&r=1340280484&t=n" border="0"></a><br /><br />第1回「（１）開国から西南戦争にいたる近代日本の内政について」
についてのレポートです。評価はAでした。2011年の問題です。参考にしてください。[205]<br />日本近代史
2011/3
第1回（１）開国から西南戦争にいたる近代日本の内政について
安政元年（1854年）に日米和親条約が締結され、いわゆる「鎖国」政策から開国へと日本の政策は変更を余儀なくされた。日本は近世、徳川幕藩体制として約260年間の治世が行われていたが、世界は列強を中心に産業革命後、市場を求め東アジア、特に中国への侵出を行っていた。
当時日本は、幕府の統治能力に限界が見え始め、度重なる改革もその財政赤字や飢饉、一揆、打ちこわしを根本的に解決することができなかった。西南雄藩は独自の産業政策によって、藩の財政の健全化を行っていたが、幕府の中央集権的な管理体制では、その利益を独占することはできず、しばしば対立を起こしていた。
内憂外患といわれているように、開国の時期は黒船来航と幕府に対する不満があいまり、朝廷という休眠していた勢力を表舞台に引きずり出すことになった。水戸藩の過激浪士中心に行われた万延元年（1860年）の桜田門外の変は、前々年に行われた安政の大獄に対する報復であり、もはや幕府が絶対権力たりえなくなっていた。西南雄藩の代表である薩摩、長州、土佐藩は朝廷に近づき、その優..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会・公民科教育法　第2回（１）「第2編をすべて読んで考え、今日の若者の政治・社会意識・・・」　評価A　２０１２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94432/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 19:48:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94432/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94432/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94432/thmb.jpg?s=s&r=1340275704&t=n" border="0"></a><br /><br />社会・公民科教育法　
第2回「（１）①テキスト第2編をすべて読んで考え、今日の若者の政治・社会意識の現状と特徴を分析し、その両方から導かれる高校公民科教育の課題についてのべなさい。②そして、その課題にこたえる公民科の一科目の指導案（１時間分[354]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理学　第２回　（１）カントの倫理学　　 評価A＋　２０１１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94431/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 19:13:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94431/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94431/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94431/thmb.jpg?s=s&r=1340273589&t=n" border="0"></a><br /><br />倫理学　第２回　（１）「カントの倫理学について」のレポートです。 評価はA+でした。2011年度の問題です。参考にしてください。[178]<br />倫理学
2011/04/05 
第2回 (1)　カントの倫理学について
要点：カントの倫理学の要点は、「厳格主義」と呼ばれるその性格において、その特徴をなす。カントは、道徳性において、完全義務と不完全義務をわけ、その意志において、自己愛が含まれていないことを真の道徳として規範化しようとした。それは表面的な道徳行為を許さず、内面においても行為との一致を求める姿勢から現れたものであった。そして、この段階に留まらず、カントは極悪人などは、その悪性のコントロールができない哀れな人間という考えから、適法的行為をしている人間は、その道徳的他律において&ldquo;より&rdquo;悪性であることを暴露し、またそういったことを自覚し、道徳を自律化した人間においてさえ、その自己愛が消えず、自己を社会において保存したい欲求があることを捉え、人間の根源悪としていかなる人間もその自己愛からのがれえることはできないとした。そういった前提から、道徳における道徳自身への尊厳をもち、自己愛を棄却しつつ、道徳を常に自律的かつ理性的にふるまうことができれば、それは真の道徳的行為になるとした。こぅいった人間の道徳的行為を内面から縛り付けることに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理学　第1回　（１）アリストテレスの倫理学　　評価A＋　２０１１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94420/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 17:17:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94420/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94420/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94420/thmb.jpg?s=s&r=1340266623&t=n" border="0"></a><br /><br />倫理学　第1回（１）「アリストテレスの倫理学について」のレポートです。評価はA+でした。2011年度の問題です。参考にしてください。[184]<br />倫理学
2011/04/05 
第1回　 (1)　アリストテレスの倫理学について
要点：アリストテレスは、国家 (ポリス)は最高善であり、倫理学と政治学は切り離せないと考えた。それは共同体社会において、人間の最高善は実現されるのであって、ポリスの定めに従って生きることは人間を人間たらしめるからである。人間社会のなかにいない人間は「善とはなんであるか」といったことを考えることや、徳を実践する機会があたえられず、それは人間的であるとはいえない。であるから、人間もポリスもアリストテレスの定義によれば、目的である「善」を追求し、ポリスは人間の個々の倫理的課題における助力をすべきであるとアリストテレスは言う。では彼の言う、倫理的、徳、善といったことは具体的にどういったことか。
アリストテレスの倫理の中心は徳、アレテ一である。徳は二種類に分けられる。一方は知的徳であり、もう一方は倫理的徳である。知的徳は理性能力に関するもので、端的にいえば、感情に流されず、考察を入れることができる人間的能力のことだと考えられる。倫理的徳は、その理性を用いる際における尺度基準 として考えられるが、アリストテレスはそこ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育方法論（社会系）　被支配民の立場　★指導案例★　　評価A+　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94369/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Jun 2012 09:43:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94369/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94369/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94369/thmb.jpg?s=s&r=1340153012&t=n" border="0"></a><br /><br />「(1)社会科は暗記科目ととらえられやすく、そのために面白くないと感じる子供は少なくない。なぜ社会科学習は暗記学習に陥りがちなのか。その原因を分析したうえで、どのように克服すればよいのか論じなさい。その際、暗記学習に傾斜しないような社会科授[354]<br />テーマは
「ポツダム宣言受諾書からみる天皇制」
ですが、便宜上授業を３回に分けました。 
２００９・１０・３０ 
第１回：宿題以前の展開 
時間配分 単元 目標主題 学習内容・獲得認識 資料 形式 教師の働きかけ 生徒の活動・反応の予測 その他 
導入15分 近現代、戦後 天皇制 戦後の日本は、どうやって戦争責任の反省をしたのか。
天皇の戦争責任はなかったのか。
またもしあったらどうなったのだろうか。 質問形式 質問①：今の日本において天皇は必要か 必要：
①天皇がいることでひとつにまとまるし、祝日とか増える。
②悪いことはない。
不要：
③天皇は同じ人間なのに特別扱いはおかしい。平等ではないのではないですか
④昔から戦争の道具にされてきたし、いない方が平和かもしれない 
展開①　２０分 天皇制の問題は非常にタブーとされてきた。それは戦前の皇国教育のせいであり天皇は1000年以上も続いている。これは古い伝統を重んじる日本の精神にも繋がる。明治維新のときなどを出して復習 天皇機関説の記事
玉音放送
一億火の玉
皇民化政策
礼拝などの儀礼 左記の資料配布 
展開②　10分 質問②：ポツダム..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本近世史　第一回（１）十八世紀の改革政治と社会　評価A　２０１０]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94344/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Jun 2012 10:33:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94344/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94344/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94344/thmb.jpg?s=s&r=1340069586&t=n" border="0"></a><br /><br />日本近世史　「第一回（１）十八世紀の改革政治と社会」　のレポートです。（詳しくやりすぎて少し長いです。９Pあります）評価はA。2010年です。参考にしてください。[231]<br />日本近世史
2010/07/15
第一回（１）十八世紀の改革政治と社会
18世紀の改革政治は、社会の趨勢と決して不可分ではない。
元禄期に入り、武断政治から文治政治への変換は太平の世を目指した徳川幕府の一貫した流れの中に出たものであるが、開幕以来の貯蔵も尽き、新たな財政再建が必要であった。また、太平の世になると農民が生産する米、商品流通による経済が増大した。こういった経済政策は武士である将軍が本来行うべきものではないが、貨幣経済の発達は幕府に改革を要求した。将軍はその能吏である側用人や勘定奉行などの重臣たちを用い、これらの問題に対処した。
元禄期、殉死の禁止を命じた家綱ら幕府の意図は、跡継ぎの新しい主人に奉公することを義務づけたことであった。かつてのように主人個人に忠誠をつくすのではなく、主人の家に奉公することが望まれたのである。（人&rarr;家へ奉公変更）主人の家は代々主人、家臣は代々主家に仕える家臣、下克上の可能性を皆無にさせたといえる。
三代家光から四代家綱の将軍代替わりまで、大名との主従関係は決して自動的なものではなかった。上記の政策を進めた結果、四代から五代への代替わりに際しては、将軍宣下の後、それまでにない格段に短い期間での領知判物・朱印状の発給になった。平和の中の主従制は、より一層安定的かつ自動的なものになった。
農民の生産した米が年貢米として領主の手元に入り、この領主米が城下町と上方市場で販売され換金されて、これが領主の消費に当てられる。おもにこの循環のサイクルが領主的商品経済あるいは幕藩制的な商品流通と呼ばれる。諸大名を藩内領域で自己完結させず、上方市場に依存せざるをえなくさせた点から、上方の大坂・京・堺・大津を幕府が直轄地として抑えていたのは、幕府の大名支配統制にとって重要な意味をもっていた。また、1660年代（寛文期）からおよそ1700年（元禄期）ごろまでの全国の商品流通は、米以外の商品については、全国的にみて限られた商品特産地域しかなかったから、その商品量は全体からみると少ないものであった。『農業全書』宮崎安貞1697年、農業以外に商品作物についても詳しく著述しているのもこの時期の動向をよく表している。
将軍綱吉は、東照権現中心の思想のほかに、神・儒・仏それぞれを学ぶことで独自の学問思想を充実させたようにみえる。財政上などのほかの理由もあろうが、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本中世史　第二回　義教期の幕府政治　評価A　２０１０　★縦書きです★]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94342/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 23:47:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94342/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94342/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94342/thmb.jpg?s=s&r=1340030845&t=n" border="0"></a><br /><br />日本中世史　「第２回　（１）　将軍足利義教期の幕府政治について述べよ。」についてのレポートです。評価A。2010年度の問題です。参考にしてください。★提出要項にあったため縦書きのままです★[272]<br />日本中世史
二〇一〇・〇八・二〇
第２回　（１）　将軍足利義教期の幕府政治について述べよ。
鎌倉府との関係から見る義教期の政治
義教は正長元年（一四二八）に義円から還俗して義宣と名乗り将軍となったが、評定始・判始はすぐに行われたことに対し、将軍宣下は一年二ヶ月も先送りされた。それは幕府が朝廷に義教を将軍継承者とする報告がなかったという不満もあったが、鎌倉公方足利持氏の存在が大きかった。籤引きという異例の将軍選びに候補者としての自覚を抱えていた足利持氏は、候補者にすら入らず、また義教決定後に対して明らかな敵意を室町幕府に示していた。そのため関東における京都扶持衆から、持氏上洛の報告が相次ぎ、実際に関東管領上杉憲実の諫止がなければ思いとどまらせることは出来なかった。持氏が年号を義教の改元に基づく永享を使わず正長を使い続けていたことは抵抗の一例である。
室町幕府開創にあたり、鎌倉には精神的支柱として義詮が置かれ、関東を管轄する地方機関として鎌倉府が整備された。義詮が将軍として上洛すると、弟基氏がこれに代わり、基氏の子孫は鎌倉公方を世襲する。そして、基氏の子、氏満の頃から、実質を失いつつある南..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際法一部　第1回「（１）条約の終了について、無効との相違・・・」　評価A　２０１１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94340/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 23:30:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94340/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94340/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94340/thmb.jpg?s=s&r=1340029852&t=n" border="0"></a><br /><br />国際法一部　第1回「（１）条約の終了について、無効との相違を明らかにした上で、説明せよ。」のレポートです。評価はAでした。2011年度の問題です。参考にしてください。[237]<br />国際法一部
2011/08/02
第1回（１）条約の終了について、無効との相違を明らかにした上で、説明せよ。
第二次世界大戦後、国際連合機関における国際法委員会は、国際的で普遍的な条約法の法典化を目指した。その結果、1969年ウィーンにおける条約法会議によって条約法条約は採択された。この条約法条約に則って国際法の条約は行われる。国際法はその主要な法源を条約と国際慣習法に依っている。条約は当事国の合意によって締結されるが、ここにおいて「合意は拘束する」という国際法の前提がある。この合意により条約が締結され当事国はその履行の義務を負うのであるが、合意に関して瑕疵がある場合や合意内容が強行規範 に反する一定の場合は無効となる。また条約関係の安定を確保するために、条約の有効性を保つ一定の要件と、万一の紛争の場合を想定し、紛争解決の手続きを定めた。要件の特色は網羅主義が採用されており、その八つの条項（条約法四六～五三条）を満たさない場合は、真正な合意と呼べず全ての条約は無効となる。この八つは二つに大別され当事国が無効原因として援用しうるものとして「相対的無効原因」と、条約を当初から無効とする「絶..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育心理学　第1回　「思考力」を育成するために効果的な方法　評価A　2009]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94339/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 23:24:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94339/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94339/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94339/thmb.jpg?s=s&r=1340029498&t=n" border="0"></a><br /><br />教育心理学　「(1)さまざまな情報に満ち溢れた現代社会では、自ら考え、判断する力がますます必要とされている。このような「思考力」を育成するために効果的な方法について考察せよ。」のレポートです。評価はAでした。2009年度の問題です。参考にし[344]<br />情報化社会に対する「思考力」とその育成方法
情報化社会における「思考力」が必要な理由を＜１＞～＜４＞に分け、考察した。
*********************************************************************************
＜１＞問題：既有知識や先入観、バイアスなどの危険性
＜２＞手段：「思考力」(自己省察的思考、クリティカルシンキング)
＜３＞育成方法：領域的知識の蓄積、吟味、実践　
問題補足の習性、自己スキーマ、ステレオタイプなどの弊害を知る
＜４＞まとめ：報化社会において「思考力」がないと何故困るのか？
*********************************************************************************
以下、この順に沿って考察を述べる。
問題：既有知識や先入観、バイアスなどの危険性
思考におけるバイアス　既有知識や先入観がバイアスを与えるのは、人間が経験的判断から物事をまず解決しようとするため起こるものである。それは様々な経験を通して身につけられたものであり、それ自体が間違っている性質ではない。また人間は自らの期待する方向に固執する傾向があり、吟味されていないイメージで物事を把握することが多い。その領域における客観的知識やそれに基づく吟味が行われていない場合、それは単なる思い込みの可能性があり、バイアスを生むことになる。
例えば某芸能人が麻薬所持をしていたという話は、同じようなことが続けて報道されると、「芸能界は麻薬に汚染されている」と考えるようになる。これは事実がどうかは別として、その情報だけで「芸能人」であれば、「みんなが麻薬を所持している」というイメージを人間に引き起こす。しかし、これが誤った錯覚とするならどうであろうか。ここで誤っているというのは、芸能界の麻薬事件はたしかに存在するが、「報道されやすい人々」というクリティカルな思考が働いていれば、「みんなが～持っている」という考えは捨てることが出来るということである。
こういった思考を行えない場合、「芸能人はみんな麻薬をもっている」というイメージを持ちやすくなり、原因帰属の際における相関の錯覚、自己スキーマ形成による芸能界に対してのステレオタイプ化（「芸能界は麻薬で汚染されてい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教職入門　第1回　「内心の自由」を侵してはならない・・・」　評価A+　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94338/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 23:15:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94338/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94338/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94338/thmb.jpg?s=s&r=1340028922&t=n" border="0"></a><br /><br />「(1)教師は生徒の「内心の自由」を侵してはならない、と言われます。そのためには、当然、教師自身の「内心の自由」も侵されてはなりません。1）教師が生徒の「内心の自由」を侵してはならないのはなぜでしょうか。また2)教師の権利、教師の自由につい[348]<br />(1)教師は生徒の「内心の自由」を侵してはならない、と言われます。そのためには、当然、教師自身の「内心の自由」も侵されてはなりません。
教師が生徒の「内心の自由」を侵してはならないのはなぜでしょうか。
教師の権利、教師の自由について、｢教育の本質」との関係で説明してください。
　
日本国憲法においては、基本的人権の尊重が謳われている。それは先の太平洋戦争において行われた軍国主義的人権抑圧が、人間の生存権を脅かしていたと考えられていたからである。「内心の自由」とはその定義がいかようにも解釈できるが、ここでは生徒の考えを教師が抑圧、修正できるのかといったことを大まかにさすと考えられる。まずもって生徒は大半はまだ成人していない未成年であり、社会的責任を果たしていないため、その思想や意思は軽視されがちであるが、国際的な子どもの権利条約があるように子どもの意見だからと言って軽んずることはもはやできない。こういったことは生徒である子どもが自らの意見が一人の人間の意見として、自由に且つ責任をもてうるのかということに着目できる。すなわち教師が生徒の基本的人権である「内心の自由」を蹂躙することは、国際的..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動論　第1回　「望ましい集団活動」　評価A＋　2009]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94337/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 23:05:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94337/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94337/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94337/thmb.jpg?s=s&r=1340028317&t=n" border="0"></a><br /><br />特別活動論
　「(1)「学習指導要領」における特別活動の目標規定中の「望ましい集団活動を通して」とはどのような意味を含んでいるととらえられるか。「小学校学習指導要領」又は「中学校指導要領」に
ある特別活動の「内容」のうちから適宜具体的な例を[350]<br />特別活動論について
2009/10/29
********************************************************************************
『中学校学習指導要領解説　特別活動編』（文部科学省　2008年9月　８ｐ）によれば「学習指導要領」における特別活動の目標規定中の「望ましい集団活動を通して」とは、「生徒が自主的、実践的に集団活動を展開し、その間の生徒の相互作用を第一義」とし、「この相互作用を重視した「望ましい集団活動」を実現していくことが最も直接的な目標となる」と説いている。
　ではどのような集団活動が望ましいのかと言えば、「基本的には、特別活動の目標に示されているような発達をすべての集団の各成員に促していくものでなければならない」とし、互いの人格の尊重、民主的な手続きを経た集団の目標や規範の設定を互いに協力し合うことで形成される人間関係および学校生活をさすものと考えられる。それは少数が支配する集団活動、単なる馴れ合いの集団活動とは結束が固くても認めないとしている。
　上記のような例は学級活動において、各個人が自らの意..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生徒・進路指導論　第1回「 学校教育において生活指導（生徒指導）が果たす役割・・・」　評価A+ 2009]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94336/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 22:56:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94336/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94336/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94336/thmb.jpg?s=s&r=1340027763&t=n" border="0"></a><br /><br />第1回「(1)学校教育において生活指導（生徒指導）が果たす役割について論じるとともに、戦後日本の学校教育における生活指導（生徒指導）の位置の変化について論じなさい。その際、教科指導や特設「道徳」の時間などとのかかわりに留意すること。」につい[352]<br />指・生徒・進路指導論
2010/03/07　　　　
********************************************************************************
学校教育における生活指導が果たす役割は、戦後の教育改革の動向と軌を一にしてきた。
戦前の教育勅語、修身における情操教育は、その軍国主義的教育方法から戦後の米国GHQ主導による自由民主主義解放政策にそぐわないため新しい教育が求められた。日本国憲法ができ、教育基本法が1947年にできると、教育現場は「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」ことを目的とし、問題解決型の学習方法で生徒指導を行うこととなった。それは生徒の生活に合わせ、ひとつの問題から社会の問題を読み取る学習方法であった。無着成恭の『山びこ学校』にみられるような教育方法が戦後の日本教育の方法であったのである。
　1950年の朝鮮戦争を皮切りに1950年代に入ると、米ソの冷戦対立が日本の姿勢を左右することになり、西側陣営である日本は防共対策として、いわゆる「逆コース」の道を歩んだ。社会科において問題解..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育課程論　第1回「戦後における教育課程の性格の変化について・・・」　評価A+　2009]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94335/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 22:41:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94335/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94335/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94335/thmb.jpg?s=s&r=1340026903&t=n" border="0"></a><br /><br />第1回「戦後における教育課程の性格の変化について、一定の時期区分をしてそれぞれの時期の特徴を述べ、それらを踏まえて今日の教育課程のあり方について各自の考えを述べよ」2009年度の問題です。評価A+でした。参考にしてください。[322]<br />「おとな」の変革が教育を変える
～高校単位の自由化から見る競争解体～
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
教育課程の変化
＜1945～50年代＞
戦後は太平洋戦争の影響もあり、軍国主義的な教育は否定され、自主的に問題解決を目指す教育が行われた。「山びこ学校」に見られるように農村の貧困解決に何が求めれるのかといったことをその地域に根ざした問題解決が教育現場で行われていた。
＜60年代～70年代前半＞
朝鮮戦争に見られるように米ソによる東西冷戦構造は、日本を防共の役割とすることを促した。特需をもたらした戦争景気は、教育においても第一次産業から第二次産業へのシフトが求められ、ホワイトカラーを大量につくるべく、全国共通の学力、科学的知識の早期学習と高度な学習内容が求められるようになった。そして「逆コース」と呼ばれる戦後の民主化は1956年の公選制教育委員会の廃止、1958年の教師への勤務評定制度の実施、学習指導要領の法的強制力の強化が行われたことが挙げられる。競争社会の形成を促し、企業もその受け入れを行い、学業成績＝いい会社＝いい生活ということが確立していった。
＜70年代後半～90年代＞
オイルショックからはじまる高度経済成長の終わりのなかで、競争の激化は労働者の過労死などによって顕著になり、家庭においても学校は競争の場であることが求められた。それに対する生徒たちの反乱として校内暴力（70年代後半～80年代前半）が全国の公立中学校で頻発した。それに対して私立学校の増設、管理の強化で政府は対応した。そういった対応はやがていじめ・不登校、登校拒否、学級崩壊をまねき、人間性の危機が出る。臨教審（84年～87年）が発足し、「教育の自由化」「個性化」、「日本人としての自覚」の教育が提起された。
＜90年代後半～現在＞
90年代に入り、受験競争、詰め込みなどによる弊害をなくそうと「ゆとり」が打ち出されていたが、国際的な学力測定において日本の学力低下が判明すると、財界含め「ゆとり」に対する批判が噴出し、国際競争力の低下を叫ぶ声が高まった。文部科学省は教育新生プランを掲げ、学習の階層化、格差化、中高一貫教育、義務教育開始年齢の弾力化、大学入学年齢制限の撤廃、学習指導要領の最低基準化、学校選択の自由などを示した。
今までの教育課程の問題点（「おとな」の求めて..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育方法論（社会系）　被支配民の立場　★レポート★　評価A+　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94183/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jun 2012 09:59:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94183/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94183/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94183/thmb.jpg?s=s&r=1339462742&t=n" border="0"></a><br /><br />「第1回（１）社会科は暗記科目ととらえられやすく、そのために面白くないと感じる子供は少なくない。なぜ社会科学習は暗記学習に陥りがちなのか。その原因を分析したうえで、どのように克服すればよいのか論じなさい。」についてのレポートです。評価A＋　[356]<br />教育方法論（社会科）
2009/10/30
『新しい歴史教育　第7巻　授業をつくる』（歴史教育者評議会　大月書店　1994）によれば、「教師が『教えるべき』と考えた内容は、子どもは『学ぶべき』としてうけとめ、多くの知識を獲得するが、自分なりの見方や考え方を介していないため、その与えられた知識は時間とともに失われていくことになる」とある。
これは暗記学習の短所としての特徴をあらわしていて、こういった性格を助長する制度として成績評価、そのための試験、「人生を決めると言われる」受験がある。この制度の弊害は経済界主導の価値観、国民不在の国家官僚主導といった今までの教育改革において現出し、民衆を支配するための人間を育てる競争と言うゲームを人間に押し付けているに過ぎない。それはいい成績を取れないことは人間として価値が低いというヒドゥン・カリキュラムを促進させる。そしてこの制度の価値観を未熟な人間に押し付けいわば戦前の軍国主義的な生徒動員（学徒出陣）を連想させる。これは主体的に生きる人間を育てる国家とは呼べない。いわばそういった社会が目指すところは軍事であれ、経済であれ、単一の価値観が尊ばれ、そこか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[法学　第1回（１）損害賠償責任について説明　評価　A＋]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94180/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jun 2012 09:37:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94180/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94180/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94180/thmb.jpg?s=s&r=1339461428&t=n" border="0"></a><br /><br />第1回（１）損害賠償責任について説明し、最2小判平9･7･11民集51巻6号2573頁以下にある判決の是非を論じなさい（損害賠償責任の説明については、海外や外国人が関与する場合を想定しなくてよい。）　2009年提出。評価はA+でした。参考に[322]<br />第1回（１）損害賠償責任について説明し、最2小判平9･7･11民集51巻6号2573頁以下にある判決の是非を論じなさい（損害賠償責任の説明については、海外や外国人が関与する場合を想定しなくてよい。）
損害賠償責任について説明すると、まず不法行為における民法709条と債務不履行による415条が挙げられる。709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害したものは、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とあり、一般法として扱われている。415条は「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも同様とする」とあり、こちらは主に双務契約における不履行が問題となった場合に、損害賠償請求が発生するということである。そのため709条に比べれば特別法といえる。損害についての法的見解を述べれば、416条にある損害賠償の範囲が挙げられるが、通常損害、特別損害ともにいえるのは、その不法行為がなかった場合とあった場合との利益状態の差額がその損害賠償額の範囲と示されている（北河隆之　監修　『法律用語の意味がわかる辞典』　188頁　日本実業出版　2001年）。
以上が大まかな損害賠償責任の説明の流れであるが、損害賠償が決まる上では被害者、加害者に対して損害コストの公平な分担ということが大事になる。平たく言えば偏らないということである。慰謝料が多すぎても少なすぎても公平性を欠くのであれば容認できないのである。これは憲法の理念にある法の下の平等であることや、人権尊重の立場からも一貫されている。
さて本設題にある損害賠償責任は民事であり、損害に対しての賠償命令は出すが、懲罰的な制裁金は科していない。これは日本の法律区分において刑事法に当たるとしているからである。これは民事責任と刑事責任の性格を述べることで理解が深まる。
民事責任においては私益侵害についての損害賠償が定められている。これは被害者から加害者への損害の転嫁、損害の公平な分担が盛り込まれている。これは一方的に被害者が無過失責任で加害者に損害の賠償を請求するのではなく、損害賠償の要件（①加害者に故意又は過失があること　②加害者に責任能力があること　③被害者の権利または法律上保..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育相談　第1回目（２）　カール・ロジャース（Carl Rogers)のカウンセリングの要点・・・　評価B]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94168/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 11 Jun 2012 18:33:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94168/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94168/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94168/thmb.jpg?s=s&r=1339407223&t=n" border="0"></a><br /><br />「カール・ロジャース（Carl Rogers)のカウンセリングの要点を紹介し、それらを青年期の生徒の指導に用いる場合の注意点と問題点、限界を考察せよ。」ついてのレポート。再提出なしで評価Bでした。参考にしてください。[298]<br />指・教育相談
2010/09/08　
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第一回(2)カール・ロジャース（Carl Rogers)のカウンセリングの要点を紹介し、それらを青年期の生徒の指導に用いる場合の注意点と問題点、限界を考察せよ。
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ロジャーズのカウンセリングの目的は「ある特定の問題を解決することではなく、個人が成長するのを援助し、それによって彼は現在および将来の問題に、より統合されたやり方で対処できるようにすること」（『ロジャーズ　来談者中心療法』11P）であり、特徴としては知的な面よりも情動的な面を、個人の過去よりもその場の状況である現在を重視した。それは、セラピーそのものの経験がクライエント（来談者）の成長体験における変化としてとらえようとする点を強調し、クライエントがカウンセリングを通して自己認知を行い、その体験過程を経て自己を変革していくことにある、としたのであった。
背景となる人間観には、人間は自分自身の中に、成長し成熟する動因と欲求を持っており、成長を促進する環境を創り出す事によって、人間は健康になるということにある。「何がその人を傷つけているのか、どの方向へ行くべきか、何が重大な問題なのか、どんな経験が深く秘められているのか、などを知っているのはクライエント自身である」（同9P）というロジャーズの述懐にはそのことが内包されている。
「効果的なカウンセリングは、クライエントをして、自分の新しい方向をめざして積極的に歩みだすことができる程度にまで、自分というものについての理解を達成できるようにする、明確に構成された許容的な関係によって成立するものである」（同31P）
明確に構成された許容的な関係とは、上記の目的と背景となる人間観を求めたカウンセリングの研究の結果、カウンセラーにおける自己一致や純粋性、受容、共感的理解がその方法の条件、原則となったことを示す。
自己一致や純粋性はクライエントとの治療関係において、「クライエントは、カウンセラーが、ある一つの&ldquo;方法&rdquo;、つ..]]></description>

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			<title><![CDATA[教育相談　第1回目　いじめの事実・・・　評価B]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94166/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 11 Jun 2012 18:26:07 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94166/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94166/thmb.jpg?s=s&r=1339406767&t=n" border="0"></a><br /><br />(1)	いじめの事実を思い浮かべつつ、思いやりがあって権威に盲従しない、しっかりした人格を形成するために、教育はどのような援助が可能か考察せよ。　といった問題で2010年の提出で再提出なくBを取りました。参考にしてください。[318]<br />指・教育相談
2010/05/26　
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第一回
いじめの事実を思い浮かべつつ、思いやりがあって権威に盲従しない、しっかりした人格を形成するために、教育はどのような援助が可能か考察せよ。
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思いやりとは心理学で「向社会的行動」であるが、アイゼンバーグによれば文化的影響、家族、学校、仲間、マスコミなどの周囲の影響を思いやり行動を促進させる条件として提示している。また思いやりを必要とする同じ環境下であっても「向社会的行動」をひき起こすには、気分の状態、行為に対する代価と利益、援助を受ける人の特徴、行為者自身の特徴によっても左右されるとアイゼンバーグは説いている。
文化的影響に関してみれば、向社会的行動な傾向をもつ文化では、「子どもたちは家族の経済的安定と家族メンバーの福祉のために大切とされる多くの義務を割り当てられ、遂行し（中略）子どもたちは自分の家族に責任をもたねばならないこと、家族への自分の貢献が重要であることを、早い年齢から学ぶことになる」とあり、逆にそうでない文化は「人びとは核家族で暮らし、（中略）共同体のメンバー間で労働力を貸し借りしあう必要はなくなり（中略）けんかを防いだり、方向をそらしたり、解決したりするために発達してきた社会的なスキルは退化し、まったく学ばれなくな」（『思いやりのある子どもたち』98～99P）」る。以上の比較文化的なデータ研究の観点から言えば、西欧の技術と職業の専門化は協力的な向社会的な行動の必要性を低めているという結果が出ていて、これが文化的影響の差を表しているといえる。
家族は子どもの向社会性に最も影響を与えているとアイゼンバーグは言うが、それはオリナー夫妻の研究結果に出ているように、ナチスドイツの支配下においてユダヤ人救済という危険をおかした人たちは、同じ状況下で救済をしなかった人たちにくらべ、両親（またはそういった人たち）から寛容さと思いやりを学んだ傾向が強く、また「倫理的価値はすべての人間に適用されるのだというこ..]]></description>

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			<title><![CDATA[【超カンタン】自宅のプリンタで自筆ノートが作れちゃう！ルーズリーフ（B5/6mm&times;36行） サンプル]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950149968486@hc12/91877/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aicezuki]]></author>
			<category><![CDATA[aicezukiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 27 Mar 2012 16:21:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950149968486@hc12/91877/" target="_blank"><img src="/docs/950149968486@hc12/91877/thmb.jpg?s=s&r=1332832905&t=n" border="0"></a><br /><br />手書きは時代遅れ！パソコンで簡単に手書きに限りなく近い授業ノートがつくれちゃう！
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			<title><![CDATA[民法Ⅲ－２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429782601@hc06/84032/]]></link>
			<author><![CDATA[ by papa-san]]></author>
			<category><![CDATA[papa-sanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Aug 2011 07:29:07 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429782601@hc06/84032/" target="_blank"><img src="/docs/983429782601@hc06/84032/thmb.jpg?s=s&r=1312324147&t=n" border="0"></a><br /><br />相殺と差し押さえの優劣、差し押さえ時期と相殺適状の前後関係[87]<br />この設問を考えるにあたり弁済期がいつなのかということが重要であるため、まず時系列に整理する。９月１日BはAに対する３０００万円の代金債権を有し、弁済期は１１月２０日である。その後AはBに土地建物を売却し、AはBに３０００万円の代金債務を有し、弁済期は１０月２０日である。Cは９月１５日にAのBに対する弁済期１０月２０日の債権を差し押さえ、取立権を取得した。その後BはCに対して１０月２０日になっても支払わず、１１月２０日になって、BのAに対する代金債権の弁済期が来たため、Bは相殺の意思表示をしBはAに対する債権が消滅したとCに主張をする。
　この場合CがAのBに対する債権を差止めた後に、BがAに対する債権を取得したとすると、民法５１１条により差止めを受けた債権による相殺をすることができないので、BがAに対する債権で相殺したという主張は認められないことになる。しかし、Cが差止めをする以前にBはAに対する代金債権を有していたことになるため、差止めの時期と弁済期との関係で問題になるのである。
　明治３１年２月８日の大審院判決では、相殺と差止めで相殺が優先するには、差止め前に相殺適状が生じているこ..]]></description>

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			<title><![CDATA[民法Ⅲ－１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429782601@hc06/84031/]]></link>
			<author><![CDATA[ by papa-san]]></author>
			<category><![CDATA[papa-sanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Aug 2011 07:27:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429782601@hc06/84031/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429782601@hc06/84031/" target="_blank"><img src="/docs/983429782601@hc06/84031/thmb.jpg?s=s&r=1312324037&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学の民法第3部のレポートの内容[52]<br />この事例では、民法４７８条「債権の準占有者に対してした弁済は、その弁済をした者が善意であり、かつ過失がなかったときに限り、その効力を有する」という規定に関す絵宇ものである。本来無権者に対して行った弁済は効力を生じないが、Aが準占有者であり、Yが善意でかつ無過失であれば、弁済は有効であり、この問題の場合定期預金は解約されたことになる。Xはすでに弁済されてしまった自己の定期預金を再度真の預金者であるとして銀行Yに対して払い戻しを請求することができないことになる。XができるのはAからお金を取り戻すことである。以下考察する。
１．Aが準占有者であること
　AがXの定期預金通帳と印鑑を盗み出した。その結果AがXの銀行Yに対する債券証書を占有していることになる。民法２０５条の規定により「自己のためにする意志をもって他人の債権を行使する」者にも当てはまる。実際は代理人を偽る場合も準占有者であるといえる。またXがAに対して通帳印鑑を貸与した場合でも、AがXから盗んだ場合でも、Aが準占有者であるといえる。この場合Aが準占有者にあてはまることは明白である。
２．銀行Yの善意・無過失 　最高裁平成５年７月１..]]></description>

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